覇道支配の終焉1

日本にもアメリカ式金融資本主義一辺倒に走りたい人もいますし、戦争に負けたらすぐにキリスト教に改宗する人もいたでしょうし、ドイツ式に原発が危険だとなればすぐにやめた方が良いと短絡的に走る人もいます。
多種多様な人がいるから(英米法に詳しい人や、金融デリバティブで稼ぐ人も必要です)日本は適応能力が高いのですから、八百万の神を認めるのと同様に、短絡的な人がいる事自体めでたいことです。
そう言う人にとっては、被害がなくともドイツが原発政策を全面(廃止方向へ)変更しているのに、あれだけの被害があった我が国が、何故直ぐに「廃炉する」と決めないんだ!「何をモタモタしているんだ」と言う気持ちでしょう。
原発事故=全面即時廃炉論者と、日本の敗戦は軍備があったからだ、軍備さえなければ敗戦がなかったと言う・・意見は短絡的と言う面で繋がります。
その結論との間にはいろんな思考パターンがある筈ですが、この辺が単純・・文字どおり「短絡」ショートさせてしまうのが、この種論者の特徴です。
複雑に考える必要がないので原発が良いとなれば原発一辺倒、駄目となればすぐに全面撤退で、こう言う人は生きて行くには簡単で良いかも知れません。
韓国をみると、自由貿易体制が良いとなれば民意など無視して100%その方向へ舵を切るなど、アメリカ式に表音文字・ハングルだけにしてしまう・・戸籍制度もやめてしまうなど、すごく簡単に大幅な制度改正をしています。
元々自国の基礎文化が薄いことが簡単に大変更出来る原因かも知れませんが、中国などでは歴代王朝が転覆すると前王朝を全面否定する文化・・全く新しく歴史を書き換える文化です。
我が国で考えている歴史とは違い、中韓やアメリカなどは客観性など問題にしない・・勝った方が歴史を好き勝手に作るのが当然と言う意識の社会であることを理解しておく必要があります。
アメリカの好きな・・基本国家原理である「法の支配」も、東京裁判を見れば誰でも分るように、事後法で一方的に裁いて人殺しをしているのですから、アメリカの基本原理である法の支配自体に矛盾している・・破綻しています。
また原爆投下や一般人殺戮を目的にした東京その他の大空襲は人道に対する罪そのものですが、これに対する一切の弁明すらしていません。
アメリカの価値・道徳観は、どんな非道なことしても腕力さえあれば良いと言う本質を表していますので、権力闘争に勝ちさえすれば何をしても良い・・中国の歴史同様の専制支配の価値観と本質が変わっていません。
この種の身勝手な二重基準は、世界各地で行なわれて来た筈(イラク戦争も同じ)ですから、今や世界中がアメリカの身勝手な行動に対する不満だらけです。
この国が「法の支配」「人道主義」などと言っても、世界中(国内では激しい人種差別がまだ続いています)で誰も信用していないでしょう。
アメリカの言う「法の支配」とはアメリカ以外の国に対する専制的支配を前提にして、権力意思の貫徹を目的にしていた中国古代の韓非子の法家の思想と同じで、「法」自体正義に基づくか否かではなく、自分の決めたルールを弱者に守らせようとする利己主義の表現でしかありません。
この辺の疑念があるので、市場開放・自由主義とかTPももしかしたた、アメリカの一方的要求を貫徹する道具じゃないのか?と言う疑心安危が小国に根強い理由です。
アメリカの国際政治の基本は、王道(道義)によるのではなく、覇道によると言うべきでしょうから、世界中でアメリカ式圧政に対する不満が高まるのは仕方のないことです。
この矛盾に対する世界的抗議が9・11以降世界的抵抗が燎原の火のように広がって来た原因と思われます。
日本以外の国では、前政権の支配は全面的に悪かったと言う虚偽歴史、虚偽の正義を教えることにも、何の疑問も恥ずかしさもありません。
日本の場合、その都度前政権の功績を認めてその上に改善して行く社会でしたから、絶え間ない発展が続いて来たのですが、中国では王朝が倒れる都度全否定から始まる・・ゼロからの繰り返しでしたから約2000年間制度的に全く発展性がなかった原因です。
彼ら(特に中韓政府)から見れば、2000年にわたる専制支配下で生き抜く智恵を身につけて来た経験・・覇者に取り入って自己保身することには長けていますので、アメリカに気に入ってもらい相手(日本)を蹴落とす権謀術数ではヒケをとらないと言う自負心があるようです。
習近平氏就任直前の権力闘争の激しさに関して、権力闘争に関しては2000年の歴史があるので、権力闘争(・・権力内の政敵を蹴落とす争い・・現在では覇者あるアメリカの意を迎える競争)に関しては、「日本などは赤子の手をひねるようなものだ」と豪語している関係者発言?を読んだことがあります。
実際に韓国系はこの能力を活かして国力の割には、米国政界に巧妙に取り入って大きな地盤を築いています。
中韓の価値観では、覇者(古い言葉で言えば専制君主)アメリカの支持を受けている限り噓でも何でも言い募って弱い者イジメに使うのは古来からのやり尽くして来た讒言の一種であり、「強者の覚えが目出たい」取り入るのに有益と言うプラス要因でしかない前提ですから、我が国が慰安婦問題や南京虐殺は史実と違うと主張すること自体が「世間知らず」とバカにされていました。
南京虐殺であれ慰安婦であれ正義・事実とは関係なく、世界覇者のアメリカが喜ぶかどうか、アメリカが裏で推進する気があるかどうかで勝負が決まると言う考え方です。
こう言う狡い考えが世界中ではびこっているのは、アメリカ自身に正義に従って行動する基準がないからです。
賄賂で動く女に弱い、お酒が好きだ、ゴルフが好きだとみれば、その道で攻勢を掛けるのが普通ですから、要は上に立つ人の生き方です。

非武装平和論7と国連憲章の旧敵国条項

国連憲章(日本語版)を読んでいると日本は旧敵国条項の対象になっていて、旧敵国が「侵略政策の再現」→国連秩序・戦後秩序に挑戦しようとする場合には、安保理事決議がなくともどこの国でも単独軍事行動をすることが出来る・・違法な侵略にあたらないと言うお墨付き条項があります。
日本が竹島を奪還しようとしたり、もしも尖閣諸島が中国に占領されたときにこれの奪還作戦をしようとすると、中韓は安倍政権が戦後秩序違反・侵略を目論んでいると主張さえすれば、(戦争に際しての本当の正義は誰にも分らないので、主張だけで足りるのが怖いところです)いつイキナリ日本攻撃をしても安保理事決議のない違法な軍事行為の批判を受けないお墨付きになっています。
以下は、国連広報センターからの条文引用です。
http://www.unic.or.jp/info/un/charter/text_japanese/
「第53条

安全保障理事会は、その権威の下における強制行動のために、適当な場合には、前記の地域的取極または地域的機関を利用する。但し、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない。もっとも、本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条に従って規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは、関係政府の要請に基いてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする。
本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。」

日本が中韓による突然の攻撃・侵略を受けても、日本が侵略しようとしたからと言えば、安保理は違法と言えません。
安保理は当てに出来ないので、日本は実力で守るしかないのですが、それには、アメリカとの相互防衛協定が必須と言うか最有効です。
日米安保条約があると、中韓がイキナリ攻めて来てもアメリカが撃退してくれる・兵器供給などで応援してくれるので、安保理事の停戦命令決議がなくとも何とか守れるという歯止めが期待されています。
これまで何回も書いていますが、政治運動は机上の空論・学術論文ではなく、現実の効果を国民に及ぼすためにあるのですから、その意見どおりにしたらもたらす効果が何か、どんな効果を期待しているかこそが重要です。
政治運動する人は、すべからくどのような効果を期待しているかの立場を明らかにすべきです。
古来からの祖法と言われた鎖国制度でさえも、明治維新で必要に応じて開国に変更したように、非武装論者が有り難がって已まない日本国憲法が日本の先祖が作った祖法や家訓であっても時代に合わせて変えて行くべきです。
まして、日本国憲法はアメリカが仮に善意で強制して作ったとしても、その条項が現実世界で合理的かどうかの検証すること自体を忌避する理由がありません。
これを被支配者であった日本人が金科玉条にして、もたらす結果の合理性の有無よりはアメリカの強制した憲法に反するかどうばかりを基準にするのは、不合理です。
古代から異民族支配したときに、属国の武器まで全部取り上げてしまうような酷い支配をするのは、その民族を消滅させてしまう目的のときだけです。
民族自決。国民主権精神の発達した現在社会で、日本の降伏/占領と同時に全面武装解除してしかも、将来にわたって一切の軍備を持たせないようにする憲法を押し付けたアメリカの意図は、工業生産の全面禁止とあわせてみれば、推して知るべきです。
話が変わりますが、強制されたかどうかに関わらず米軍占領によって改善された男女平等や国民主権等の精神など良いところはそのまま取り入れて行くべきでしょうがから、誰が作ったかではなく、要は内容の合理性を基準にすべきです。
永久的に非武装化を目指した部分は、独立を保つべき国際基準(主権国家の尊重)から見ても非合理ですから、変更して行くべきです。
非武装論者と重なる左翼文化人は、何かにつけて「世界ではこうなっている」「国連人権規約ではこうだ」世界標準主張が大好きなのに、どうやって日本民族を守れるかの議論なると「憲法に書いてある」と言うばかりで議論から逃げているのは、非武装で自国を守れると実践している民族や学説は世界中探しても皆無だからではないでしょうか。

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