民族意識3(敵前逃亡)

ところで経済成長時に都会に出て行って過疎化を進めた人たちと、自然災害に恐れをなして故郷を棄てた人々の間にどのような差があるのでしょうか?
結果は似ていますが、一方は故郷の人から養い切れないから都会に出て就職するように追い出されたような人々・・・残ったのは農家の跡取りであって出て行ったのは言うならば弱者であって故郷から押し出された方でした。
だからこそイザとなれば故郷に帰る権利が戦前にあったし、満州等へ出て行った人たちも戻るべき故郷があったのです。
戦後も同じように二三男は集団就職で都会に押し出されたのですが、超高度成長が続いた結果、実は追い出してみたら地元に残って有利だった筈の長男の方が成長から取り残されてしまったという逆の結果が生じたに過ぎません。
今回の災害で(非難命令にしたがって已むなく出た人は別ですが)率先して逃げ出した人たちは、郷土の苦難に対して力を合わせて立ち向かおうとするときに、これに協力しないで自分だけ安全圏に逃げ出す行為ですから、蒙古襲来に対して真っ先に故郷を棄てて逃げ出したような行為になります。
蒙古軍を撃退してから「やれやれ良かったね」と戻って来たら、残って戦っていた人たちがどう思うかと言うことです。
(それぞれに子供を抱えて心配だから・・などいろいろ言い分がありますが・・ここでは結果を書いているだけです)
歌舞伎役者の海老蔵がペットボトルを買い占めたりして福岡まで逃げていたというニュースがありましたが、かれは元々暴力事件の被害者になったり素行的にレベルの低い話題の多い人ですが、国民的スターになろうかと言う人間が真っ先に逃げ出しているなどは、取り返しのつかない汚点をまた1つ着けてしまいました。
彼は暴力を振るわれたチンピラ相手に「俺は黙っていても一定の年になれば、人間国宝になれる家柄だ」と威張っていたそうですが、何十年か後に具体的選考時になれば、今回逃げ回っていたことが大きなマイナス点になるでしょう。
こんなのがこれからの歌舞伎界のスターというのでは、何となくイヤになりますが、数日後には、東京高裁の事件のついでに新装なった歌舞伎座に歌舞伎を見に行く予定ですが、彼の芝居を観に行く訳ではありません。
元民主党党首の小沢氏が、大震災時には実は遠くに逃げていて地元に寄り付かなかったと妻からの離縁状の暴露形式でネットニュースを賑わしていましたが、その後妻からの追加発言もないし、離婚事件に発展しているというニュースも流れないところを見ると単なる怪文書だったのかも知れません。
それにしても地元の苦難を放置して自分が真っ先に逃げていたというニュースのインパクトは甚大なものがありました。
このニュースあるいは怪文書の御陰で、彼の政治生命は100分の1くらいに縮まったのではないでしょうか?
彼がどんなに選挙運動をしようとも、どんな立派な政策を掲げようとも先ずこのとき自分はどこにいてどのように地元復興に尽力していたかを説明出来ない限り、地元民の一旦離れた心は戻らないでしょう。
政治は政策次第とは言うものの、その前提として民族愛・・自分は命を棄てても民族を守ると言う気構えがないと話にならないのが我が国の心です。
この心構えはリーダー一人ではなく兵士の末まで徹底していますので日本の兵は強い・・劣勢になっても絶対に総崩れせずに最後まで戦う気力を失わないのです。
末端の兵士まで、銃後の家族・・ひいては民族を守る意識で敗戦になる直前まで逃亡せずに特攻に志願して死んで行ったのです。
こう言う国柄で政治家たらんとする者・・昔で言えば大将・部隊長になるべき者が真っ先に敵前で逃げるようでは大将が勤まる訳がありません。
6月9日ころに原発事故で命を張って頑張った吉田昌郎元所長が食道がんのためになくなったと報じられていました。
彼の訃報に対して国民の関心が強いのは、彼が民族を守るために身命を賭して現場で頑張ってくれた(・・当然その下で一緒に戦った多くの無名の部下もいますが・・)その心意気に対する民族としての感謝の心です。
日本では自己保身のために政治・・外国批判をやっていると見られたら最後、政治生命が終わりになる国ですから、中韓・北朝鮮政治家のレベルの低さに驚くのですが、あちらとこちらでは政治家になるべき基準が違うのですから仕方がありません。
我欲の強い人が政治家になったり経営者になる社会では、成功すれば成功を誇示するために大きな屋敷を構えて敷地内に信号機を着けるようなことをして自己満足する社会になります。
日本では世の中の人とためになりたいという信念でないと企業活動に成功しても誰も尊敬しません。

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