国会審議拒否と内閣総辞職(戦前の教訓)2

江戸時代の一揆の仕組みを佐倉宗五郎の例で紹介しましたが、騒動を起こすような大名には統治能力がない・企業でいえば部下が団体で社長に直訴するような騒動を起こされるような人(所長や支社長)は「人の上に立つ能力がない」という判断は概括的評価として便利な知恵です。
そして騒動原因の善悪に関わらず、首謀者は必ず処罰される江戸時代の「喧嘩両成敗ルール」も安易な騒動を起こさせない知恵でした。
両成敗の結果、安易な個人的恨みや出世競争を勝ち抜くための追い落とし戦略などない時代には合理的制度だったように思われます。
西欧の民主主義制度・・その一環としての政党政治が始まると、党利党略中心で、国家のためというよりは党派利益だけで相手の党を非難だけして騒動に持ち込めば与党が責任を取るという結果だけ真似した・両成敗ルールがないので騒いだ方に政権が転がり込む変な結果にしたのが西園寺ルールでした。
加えてエセ民主主義国家においては本当の民意を問う仕組みがないので騒動が大きくなると民意の支持を受けた騒動か否かの判断がつかないので・・本当の民主主義を求める革命騒動に点火するリスクを恐れて、目先沈静化の方便としての不満の種になっている担当者処罰で乗り切ろうとの考えが高まります。
こうした時代背景を前提に日露講和条約不満が合理的・正義にあっているか民意によるかの基準によらずに、元老院が内閣総辞職させて当時の少数野党に組閣させた理由でした。
この辺までは、まだ党利党略による不当な意図によって騒動を起こす政党政治が未発達でしたので、(元老院内で有能な政治家に白羽の矢を立てる)許容範囲でしたから元老院のミスとは言えないでしょうが、その後政党政治が発達するとこれが変な方向性・・・なんでも反対して政治を麻痺させれば野党に政権が転がり込むという歪んだ政治運動の基礎になっていきます。
政党政治を導入する以上は民意多数を得た政党=選挙で多数支持を得た政党が政権を握るという両輪の導入が必須だったのですが、明治政府はそこまでの民主化の徹底を認められなかったので、民意や正義に関係なく国会審議が滞れば結果責任主義で政権交代を行なったのがこのような歪みを起こした原因です。
この悪習が次第に大きくなって、野党が政権を握るには選挙で勝つよりは何かテーマを見つけてはメデイアと組んで根拠のない騒動を起こしさえすれば時の野党が政権を握れる習慣になったので、あることないことで騒動を起こしては(天皇機関説事件の例を紹介しました)政権党になる・政権交代のルールになっていきました。
下野した方は同じくメデイアや軍部(メデイアの応援がないと騒動にならないからですが・・そのうちメデイア主導(メデイアは軍部と組み)と組んではまた自分を追い落として政権を得た与党を攻撃する・・結果その都度軍部が増長していき日本を破滅に追い込んだ歴史です。
戦後は本当の民主主義社会になったのですから、民意を知る手段としては完全な自由選挙制度があるので、騒動の大きさによって民意を知る必要がありません。
赤ちゃんが生命の危機を伝えるには泣くしかないのですが、むずかるとか小さな動きを母親がきめ細かく感じ取って手当てしていくようになると大きな声で泣き叫ぶ必要を感じなくなります。
成長に連れて言語能力等が発達するように、国民の表現力が付き、為政者も察知能力が高まる・上下ともに共感力・察知能力→忖度能力が高まると大規模な革命騒動が不要になります。
このコラムで繰り返し書いているようにフランス革命や、中国で繰り返される王朝末期の大騒乱など大規模騒動を起こさない限り社会が変わらない硬直性こそ恥ずべきことです。
日本では昔から「民の声なき声」(赤ちゃんが泣き叫ばなくとも母親の多くがその前に表情等で気がつくように)をすくい上げる能力が発達していますし、これに加えて戦後民主主義制度の発達定着で民の声は十分に届いているので、命がけの一気に相当する反政府活動・.騒乱状態を必要としていません。
一部はねっかえり組織集団画題動員をかけてデモや集会を何回繰り返しても国民大多数の声など反映しているものではありません。
処罰される心配もない民主国家では、集会に千人参加すると(処罰が怖くて参加をためらう)その何百倍の支持があるという意味がほぼなくなり、最近ではどちらかと言えばデモや集会は自己集団の存在誇示運動目的になっているイメージです。
その集会目的とどういう関係があるのかわからない韓国語で書いたプラカードや組合の旗などが目立ちますが、仲間内でどこの組織が参加したかの出席表みたいになっているのでしょうか。
補欠選挙や地方議会選挙などで民意を絶えず反映している先進国では、選挙で得た民意・多数党になるしか与党になることができないにも関わらず、革新系野党は騒動さえ起こせば与党になれた戦前の旨味を忘れられないでいるように見えます。
戦後もこの威力を発揮したのが60年安保騒動でしたが、これはまだ戦前政治の記憶が強い時期だった・当時はまだ戦前政治経験者がほとんどだったから戦前の政治習慣に従って「揉めれば辞職」すべきという暗黙の合意があって、内閣総辞職になったにすぎません。
ところが、戦後の制度は民主制度に変わっていますので、内閣総辞職しても国民が自民党を支持している限り、少数野党に政権が転がり込むことはありません。
そうすると何のために何かといちゃもんつけては審議妨害をしているかの疑問が起きてきます。
ここから革新系野党の誤算が始まったように見えます。
その頃から「政権たらい回し」批判を頻りに行って「憲政の常道論」が起きたのですが、彼らの言う戦前の憲政の常道とは、騒動の責任をとって辞職した以上は、政権を(少数=民意を無視して)野党に引き渡すべきと言うものでした。
騒動を国民が支持しているならば、次の選挙で勝てばいいのですがそれを一切言わないところが味噌です。
歴史の審判の結果から言えば当時の日本国民の大多数は革新系の推進していた旧ソ連圏との同盟よりは、日米同盟を支持していたことは明らかでした。
戦後文化人と称する人達は、ずっとこの手の騒動を起こすことに主眼を置いて民意の支持を得る地道な努力をしないまま70年以上もやってきたことになります。
民(たみ)の支持を得る努力と書きましたが、日本の場合、古代から上下共にそれほど能力差がないことを書いてきましたが、「エリートが高邁な理想を唱えて愚昧な民を指導する」という発想自体がおかしい・・むしろ実務に参加して実務で磨かれた常識の中から国の進むべき道筋の方向が出てくるのが原則です。
ですから欧米的エリートと文盲に分化している階層社会を前提にして、(これを有難がって)エリート?の前衛思想家が国民を指導しようとする方向自体が間違っています。
国民意識を無視して有名教授の名を連ねて「違憲」という運動をいくらしても国民は共感しません。
この辺は、ポーツマス講和条約に反対した帝大7博士意見書の伝統を受け継ぐ古色蒼然たる運動形式です。
明治時代でも7博士の意見書は時代錯誤の主張であったことはほぼ百%明らかですが、それから約100年あまり経過後の今でも帝大7博士の故事に倣った憲法学者連名声明を錦の御旗のように掲げる?主張のおかしさに気がつかないようです。

国会審議拒否と内閣総辞職(戦前の教訓)1

野党(立憲民主党は森かけ等の一連疑惑追及の急先鋒ですが・・)は、次官が懲戒を受ければ大臣の任命責任という順序の主張であり、メデイアはそれとなく国民理解が得られないと(5月2日紹介記事のように)主張して次官や大臣の辞任要求に徹しています。
最重要閣僚の解任になれば、総理の任命責任という図式を描いているイメージです。
これまで戦前の総辞職の事例を書いてきたように、内容の真偽や是非ではなく、「これだけの騒ぎになった以上内閣が責任を取るべき」と言う戦前の悪しき習慣の再現を野党とメデイアは共同して狙っているように見えます。
反論さえさせない・事実不明にしたままで「ともかく責任を取れ」という強引な態度を国民がどう見るかです。
野党やメデイア界全般の強引な対応を見ると、事実の有無を明らかにしない・他の審議を一切止める・・こういうことが国政上どういう意味があるかの議論よりも、政局に持ち込みたい?野党とメデイアの変な意図に対する憶測をたくましくする意見も一応の説得力があります。
この辺で自民党側から解散説が出てきたので、メデイアや野党の意向が民意の支持を受けているかの関心が高まってきました。
民主国家における「民意は何か」となると、戦後民主主義国家においてはメデイアの偏った?世論調査結果よりは選挙結果が文字通りの民意です。
昨年の解散直前の世論調査と選挙結果がまるで違っていた事実があります。
ここにきて野党は内閣総辞職に追い込んで選挙に勝てる自信があるか・本当に国民支持を受けて騒いでいるかの問題であることが、次第にはっきりしてきました。
戦前の天皇大権下のエセ民主主義時代・繰り返し書いてきたように、政治テーマの是非に関わらず騒動がおきると野党に政権交代させる西園寺ルール・・悪しき慣習によりかかっている野党やメデイアが困ってきたようです。
戦後は枢密院が次の政権を指名する時代ではなくなっている・・民意=選挙結果で政権交代交代する時代になっているのに、騒ぎさえすれば政権交代になる戦前からノスタルジアに浸っているメデイア・野党の限界が見えてきました。
戦後60年安保当時は戦前政権交代のルールに親しんでいる国民が多かったのでまだ内閣総辞職で対応しましたが、当たり前のことですが(国民の多くがソ連と仲良くするよりは日米友好基軸体制・・安保条約を支持していたので?)政権交代にならなかったので騒動を起こした支持者が失望しました。
その後国民に民主主義の意識が浸透するに比例して内容の是非に関わらず「騒動さえ起こせばいい」という運動に対する疑問が起きてきて、一般学生運動というよりは、原理主義というか過激運動家中心・ともかく「暴れることに意味がある」暴発運動に変わってきました。
この開き直りを正当化しようとしたのが?毛沢東語録「造反有理」のスローガンでしたし、政党的にはなんでも反対の社会党への変質であったと思われます。
このように戦前政治回帰は不可能になっているのに、いまだにその夢を追っているのがメデイアであり革新系政治家です。
造反有理は文化大革命の悲惨な実態が伝わるにつれて、なんでも反対で騒動を起こす政治運動が無理になったので、さらに開き直って、国民支持を気にしない一種のテロ活動(三菱重工爆破事件や連合赤軍によるあさま山荘事件)に変わって行き.ついには一般学生も国民の共感も得られなくなったのがその後の経過です。
メデイアが軍部(戦後は中ソの応援・ソ連崩壊後ソ連から、社会党に資金が流れていたことが明らかになった記事を紹介しました・・)等を背景に騒動を煽りさえすれば政権交代があった・戦前政治風土への回帰は民主化が本物になった戦後は、不可能になっているのに、いまだにその夢を追っているのがメデイアであり革新系政治家です。
ここ数十年では単なる反対では国民が相手にしなくなったので「護憲」「民主主義」「平和主義」というスローガンによっていますが、具体的処理の必要な政治決断を何でも「護憲」「平和」と言う原理さえ言えば解決できるはずがありません。
今の時代内乱は滅多にないので平和主義とは国際紛争解決をどうするかが中心テーマですが、中東の戦乱・イスラエルとアラブ諸国との紛争、サウジを中心とする湾岸諸国とイランを中心とするシーア派の抗争・イエメンでの内乱、シリア内戦に関するトルコやイランの立場の違いとクルド族の独立問題、シーア派とスンニ派の宗教対立とイランの浸透などなど・・・これを平和主義という一言で解決ができるでしょうか?
高校の頃だったか?現実理解がなかったのでソクラテス・プラトンの授業だったかで哲人政治という言葉に惹かれましたが、大人になると世の中具体的事象に応じた例外の例外の例外の応用・TPOが必要で原則論さえ知っていれば物事が解決できるものでない・哲学者や憲法学者に政治ができるものではないことが分かりました。
ノーベル賞物理学者が、車や電気釜、自転車一つまともに作れないのと同じです。
原理論しか言えない人は、(そんなことは中学生でも知っているレベルです)政治家あるいはまともな政党・・実務家とは言えないでしょう。
「花の都パリ」というだけで、文明開花の匂いを嗅いだ気になっていたのですが、みんなが海外旅行出来るようになると「憧れ」の時代が終わり具体的運用が重要になる・・民主主義や平和主義という原理論のスローガンだけで酔い痴れるレベルの人は、具体的な民主主義の運用など知らなかった時代の人のことです。
・・April 7, 2018のコラムにに新宿駅前の反〇〇集会写真を紹介しましたが、参集しているのはほぼ旧時代の人・・夢多き時代の生き残り・・高齢者中心です。
戦後いきなり始まった民主主義の言葉に酔いしれた高齢者がまだ(現実をみようとしないで)夢を追い続けていることがわかります。
現在の国会審議拒否状態を国民がどう見ているか?については以下の記事を引用しておきましょう。
undgarge.com/20180313a-nikkei-early-bird

財務省の問題と、内閣総辞職の必要性とは、全くリンクしない
今朝の日経朝刊(3/13)早読み。本稿を書こうと新聞を読んで、記事を選ぼうとして、一旦は止めました。あまりに下らない。税金を使って運営されている国会の実態が小学生の学級会以下だと思われてならないからだ。
なぜ、財務省の倫理、コンプライアンスの類の問題から一足飛びに「内閣総辞職」という言葉がチラつくまでにエスカレートするのだろうか?新聞記事の紙面も、経済新聞でありながら、殆どがこれ関連だけだ。
仮にもし、こうしたことで政治空白が生じ、市場や経済に影響が出たら、野党はどう責任を取るつもりなのだろう。
またそれを面白おかしくヒステリックに煽り立てるマスコミという存在は何なのだろうかと思ってしまう。
・・・公文書を行政の現場で書き換えたこと自体は非常に由々しき問題であるが「野党側は強く反発しており、安倍晋三首相は厳しい政権運営を迫られる」というのは、正直解せない。
何を誰に対して、どうして野党側は反発しているのか?国政を司る国会運営という原点に立ち戻った時、野党のすべきことは「反発」なのだろうか?
民主主義の中でのマイノリティが、何かと問題を見つけてはマジョリティの転覆を諮ることだけを大命題にしている気がしてならない。
事実首相は「「行政全体の信頼を揺るがしかねない事態であり、責任を痛感している。国民に深くおわびする」と謝罪した」とある。一方野党側は「組織的に行われ、極めて悪質だ。内閣全体の問題だ」(希望の党の玉木雄一郎代表)と指摘して組織的な隠蔽だと批判、内閣総辞職を求めた」とある。まるで指先の怪我とは言わないが、手首を挫いた程度で「死ぬ、死ぬ」と騒ぎ立てている子供のように思えてしまうのは私だけであろうか?

以上が常識的感想と言うべきでしょう。

フランス革命3と中韓露の財政危機対応への教訓

昨日紹介したようにフランスでは,財政改革が暗礁に乗り上げて,収拾のつかない状態打開のために三部会を開いたものです。
戦費調達のための議会招集はうまく行かないで革命に発展することは,イギリスの2度にわたる革命の教訓から,フランスでも良く知っていた筈ですが,敢えて三部会招集の轍を踏んだのは,フランス王家は貴族と聖職者から税をとろうとしていて市民を対象にしていなかったので,うまく行くと思ったからではないでしょうか?
この経緯から国王は当初聖職者・貴族等と第三身分との仲裁者的立場でしたから、国民公会の最初の決定事項は立憲君主制であり,教会財産の没収・国有化決定だったことを12月17日に紹介しました。
最初は三部会の議決方式(部会別か全体合算決議か)で市民と貴族聖職者連合と揉めた争いが切っ掛けで、第三身分が国王の招集がないのにテニスコートに集まる事態(国民公会の前身)に発展し,次第に騒ぎが大きくなって行きました。
貴族と聖職者に対する増税が元々のテーマだったのに,革命騒動進展の結果貴族層がうまく生き残って,聖職者と王様だけが引き摺り下ろされて終わった・・今になっても貴族層が生き残っているのですから,宮廷の権謀術数下で生き残って来た才覚を活かした政治力は大したものです。
我が国では,古代から(信長時代の近衛前久)戦前の近衛家に至る藤原氏と応仁の乱以降生き残って来た細川家(明智の謀反の危機や関ヶ原でもうまく切り抜け,明治維新では薩長土肥政府に参画し・20年ほど前の細川元総理は近衛文麿の孫)のような能力です。
16年12月20日過ぎ頃に日経新聞連載のファッションデザイナー高田賢三の「私の履歴書」では,同氏のパートナーの紹介部分で貴族が現在も生き残っている状態が紹介されています。
イギリスに比べて貴族層が厚かったことや貴族自体が既に資本家として活躍していたことも原因でしょうし、民間の力まだ弱くて貴族層との共存が必要だった可能性もあります。
元々国王と二人三脚で世界展開していた筈の商人が植民地戦争でうまく行かなかったからと,最後に国王を処刑する方に回るのは変な結果ですが,絶対王政と協調する重商主義の限界・・産業脱皮の限界に不満が出て来た・・保護者的?国王が不要になって来たのでしょう。
現在国際政治で言えば,中ロ等地域大国が国威発揚による内政失敗の誤摩化しが効かなくなったときに,どのレベルで民間が不満を持っているかによってその後の変化が決まって来ます。
韓国で言えば,歴代政権による国民不満逸らし目的で毎回反日批判していても、これまで日本が反撃しなかったので、これで溜飲を下げて政権満足度が上がる国民レベルでした。
こう言う赤ちゃんのような低レベル国民の場合、当てが外れると大変です。
朴政権も歴代政権の成功体験そのままでやったところ安倍政権の反撃で失敗に終わったのですが、朴政権が反日の旗を降ろすしかなくなると・・(国民はがっかりしたでしょう)突如朴大統領降ろしの嵐になって来ました。
当然次の大統領野党候補のスローガンには「日韓合意破棄」が掲げられていますし、数日前には釜山の日本領事館前に慰安婦像を建てる許可をしたと報道されています。
中ロのように「自分らのレベルはこんなもの」と達観できない・・まだまだこ反日を繰り返すしかないのでしょう。
中ロも中進国の罠を抜け出せなくて国内不満を逸らすために対外威信発揮に生き残りをかけていたように見えますが,(シリアで成功しても次々と手を広げることは出来ないので)威信発揮することがなくなると国民がどう出るかはフランス革命同様に国民レベルにかかって来ます。
ロシアではソ連崩壊後民主化・自由化して大失敗した経験があり、(実はロシア革命自体・・農奴解放などして行ったことが,逆に大貴族の反発を受けて命取りになったようにも見えます)このときにプーチンのような強力指導者がもしも出なかったら[アラブの春」のような大混乱に陥っていたと思われます。
この経験から,資源安による財政危機程度の不満でプーチン体制を変えても人民レベルが先進国水準に追いついていない以上どうにもならない・強権支配体制を変えようがないのが実態でしょうし、国民もこれを知っていると思われます。
資源安による経済低迷は仕方がない・・政治責任ではないと国民が達観しているとすれば、プーチンが焦って(経済が苦しいのにむだな軍事費を使って)国威発揚をする必要がなかったことになります。
国威発揚行為が行き詰まったときには,この点に関する(無駄なことに国費を使わないで欲しいと言う)国民批判が起きる可能性がある・・フランス革命で言えば[王様の見栄で戦争しないで!」)ということになるのでしょうか。
同じことは中国にも言えて,国内不満逸らしが本当に必要でやっていたとすれば,対外示威行為が行き詰まると大変なことになりますが,(中華の夢再現は)政府が勝手にやっていただけで,人民の方は冷めた目で見ていたとすれば,行き詰まってもそれ自体で大政変になりません。
アラブ世界のように無茶苦茶にしても意味がない・・歴代王朝末期に毎回繰り返したような大流民化時代を百年規模で繰り返さない・・少しは智恵がついたのではないか、ロシアが完全民主化するのは無理と分ってからプーチンを選んだように、その程度の智恵があると思われます。
中国人民も軍事費(岩礁の埋め立て工事などは世界で孤立する上に莫大な無駄です)に無駄遣いされたことの責任をとって欲しいかも知れませんが,独裁制自体をやめる必要がないと思っている可能性があります。
中国は先端技術を盗む追いつき型社会・・国策によるサイバー攻撃等で先端技術を盗んで追いついて来た側面があります。
今は,まだ完全自由化・民主化しても世界トップに立つのは無理があることは自明・・どうせ5〜6番手に近づく程度がやっとならば、個人で技術を盗むより国策でやって欲しい・・もう少し先端技術剽窃で追いついて行く方が特だと言う判断と完全自由化とどちらを選ぶかまだ分りません。
中国がトランプ氏に脅されて海外膨張よりは,内政に向き合うしかなくなってある程度自由化するしかないとしても、国策による組織的剽窃が必須とした場合,フランス革命型・・貴族に代わる共産党幹部の特権を前提にした国家関与を大幅に残した自由主義社会を目指すことになるでしょう。
これが為替を完全自由化出来ない原因(実力・WTOで非市場国認定を受けている実体的基礎))であり、完全自由化しないのは,中国社会能力に適した政策選択でもあります。
こうして見ると中国は内政的にはレベル相応の適正な政治(経済政策)をしているのですから,矛盾があるのは対外的に実態以上に威張り過ぎる矛盾だけ修正すれば済むことになります。
評論家の多くは完全自由化こそが経済発展に必要であるから,自由化を半端にしたままで政府がところどころつまみ食い的介入しているから,無理・限界が来ている・・完全自由化=共産主義経済統制経済の矛盾を認めるしかない→共産党一党支配の終焉しかないだろう式のニュアンスの主張が普通です。
いわゆる神の手・市場が決める方が優れている意見自体に私も反対しませんが、社会の中でもいろんな組織がある・家族で言えば「優先順位が弱い者順」になるなど市場の自由競争原理とは違った原理があるように・・構成要素の違う部分社会ごとに違った決定仕組みの方が良いこともある・・小学1年生に「何でも自分らで決めなさい」と言っても学級運営はうまく行かない・レベルに応じた自治が必要なように・・これがうまく行く社会とそうはいかない社会があることも事実として受入れるしかないでしょう。
国家単位で見ても小学生レベルから働き盛り〜老成したクニまで発展段階の違うクニがあります。
1直線に伸びて来た中国経済には無理が来ているのはそのとおりですが,だからと言って(ソ連崩壊後のように)無防備(抵抗力もないのに)に完全自由化さえすれば解決するものではありません。
私の考えでは完全自由化しないから中国がダメになりかけているのではなく,1直線の成長路線が曲がり角に来た・・修正が必要と言うだけであって,ここで大幅な自由化したもっと無茶苦茶になる・・先進国の餌食になるだけだから半自由化でも良いから,自己能力が低いこと認めて,[この程度で勘弁して下さい」とやる方が合理的です。
ハンデイをつけてもらって堂々と悪びれずやる方がなんぼか気持ちが良いでしょうし、周辺も協力してあげようとなる筈ですが、謙虚姿勢に転じるには沽券を重んじる意識が邪魔になります。
中韓共に国際社会で生き難さを助長している原因・謙虚さの逆張り・沽券意識が邪魔している点では共通です。
沽券や格式にこだわるならば相応の公徳心・礼儀があればバランスが取れますが,格式に見合う道義心が皆無・道路で痰を吐き,技術その他盗み放題・・道義心が最低のままで沽券・・大国意識だけ振り回す・・文字どおり形式だけで威張る沽券意識ですから世界で嫌われているのに気が付かないのです。
GDPその他指標をかさ上げして,威張り散らすのは百害あって一利無し・・・「今のところこれしか出来ない」ので教えて下さいと言えば済むことです。
数字で言えば実態以上のGDPや外貨準備等の自慢〜SDR採用成功などが端的に背伸びし過ぎを現わしていますが,「かさ高さ」をやめて低姿勢で教えを乞うように修正すれば廻りとうまく行き、実利もあって何の問題もありません。
個人もクニも原理は同じ・・実力相応に自己表現出来るようになれば良いだけのことであって、これが出来ないで実力不相応に空威張りしていると世界・友人との軋轢が絶えません。
これが洋の東西を問わない礼儀作法と言うものです。
若い頃には自信喪失と過剰の振幅が大きいと言われますが,クニや社会にとっても同じことが言えます。
民族、先祖の誇りを持ち自信を持って生きるのは(植民地支配で失った民族の誇りを取り戻し再起するエネルギー源は必要で)良いことですが、それを振りかざして近隣をバカにするようになると行き過ぎです。
何ごとも行き過ぎを押さえるのは余程の智恵がないと難しいものです。

ウクライナ危機10と中国の学習能力3

4月20日以降の報道では、商船三井の船を中国が戦前の補償を理由に差し押さえたとのことです。
商船三井に対する執行の問題は、これまで日本が如何に悪いかを煽って来た手前、国際条約で解決済み→なんでそんな条約を結んだ・・見返りに貰った金を寄越せと言う政権批判に直結するのが怖くて抑え切れないので、ガス抜きに使っている面もあります。
韓国も中国も賠償請求権放棄する代わりに日本から巨額資金を得ているのですが、国民に配らないで内緒で使い込んでしまった(・・この結果高度成長出来たのですが・・)ことを今更言えないからです。
大々的対日暴動は却って全般的対中投資を減少させてしまうことが分ったので、この1年ほどは方針を変えて個別企業を狙い撃ちし始めたのでしょう。
半年か数ヶ月くらい前にはニコンだったかキャノンだったかの日本企業を狙った大々的なマイナスキャンペインがありました。
個別企業イジメなら、その企業関係者だけの問題に絞って・・あるいは当局に目を付けられ・睨まれなければ良いんだという問題に矮小化できて、日本企業全体の投資減退にならないと読んだのでしょう。
特定企業を大々的にブラック企業として槍玉に挙げる対象を絞った一種の限定暴動的やり方ですが、これが恒常化すれば、日系企業が槍玉に挙げられないように当局の顔色を窺い付け届けに精出すしかありません。
対日強硬姿勢その他対日交渉ではそれら企業は中国寄り発言をし、日本政府に働きかけするしかなくなるでしょう。
この努力が低いとみなされれば、次の標的にされるリスクが高まります。
他方で国民の不満を少しずつガス抜きできるという一石二〜三鳥の狙いで始めたものでしょう。
とは言え、モノゴトにはそんなうまい話はありません。
とは言え、市場競争が厳しくて敗退のリスクがあるならば納得ですが、理不尽な言いがかりで敗退するリスクがある市場には、出来るだけ投資を避けたくなるのが目に見えています。
対日暴動以降日本の対中投資は激減に継ぐ激減で、昨年は前年比4割減と言われています。
長年反日教育で煽って来たのにイザとなると何も出来ないと弱腰批判されることと、ここ数年の経済停滞と公害の現実化等失政が明らかになってきたので、何かガス抜きしないと政権が持たない印象です。
もう一度反日大規模暴動を煽って対中投資が更に激減すると、中国経済は持たないのですが、全く日本批判をしないと政権が持たないので、日本の顔色を見ながら1企業ずつに絞ってでもやらざるを得なくなったのが中国政府の苦しいところです。
1企業ずつなら日本の反発が少ないだろうという期待でしょうが、これもあまり続くと、いわゆるカントリーリスクとして日系の対中投資は更にジリ貧になって行くし、行くべきだと思います。
例えば進出企業百社あるとして毎年2社くらいずつ槍玉に挙げられると、全体で2%のリスクのある投資となります。
槍だまに上げられる個別企業用にとっては、2%どころが巨額損失ですから、日本企業にとっては中国投資はリスクが大き過ぎるので、ぬれ手に粟の短期間にボロ儲けしていつでも逃げ出せそうな商売以外は進出しない方が賢明な選択となります。
中国投資は他国よりリスクが大きいので敬遠されて、同一条件なら投資が他所に逃げて行く・・誘致競争に負けるために中国政府が努力していることになります。
中国は充分な外貨を持っているとは言え、絶えざる投資を求め技術導入し続けないと自国企業だけではマトモなものを作れない点ではその他新興国と何ら変わりません。
2年前の対日暴動以降日本の対中投資が4割減になり、他方対東南アジア投資が急増している実態・・東南アジア諸国の急成長と片や中国経済の停滞・失速の始まりに中国政府は恐れおののいている筈です。
この経験に懲りた筈なのに、まだセコセコと(恐る恐る?)反日行動をやらざるを得ないのは、長年反日教育し、今や日本を追い越したと自慢していた手前、今更日本企業を叩き出す力がないとは国民に言えない弱みからです。

ウクライナ危機9と中国の学習能力2

今ではロシア等の新興国は国際金融資本・産業資本を受入れていると言うか、国際貿易体制に組み込まれているので、その動向を無視して政治を運営出来ません。 
新興国では資金の厚みがないことから、(アメリカの金融政策動向・・金融緩和の方向転換がいつあるかの予測程度だけで大幅に資金流出するなど)外資の動向による乱高下の振幅が激しいのが普通です。
無茶をすると民族意識の昂揚による支持率上昇と同時に・・あるいは支持率の上昇よりもっと早く資金流出が生じて超短期的にも経済活動が失速して(血流がイキナリ止まるようなものですから、)国民を苦しめてしまう可能性があります。
これでは戦争を煽ることによる支持率アップ期待どころか、その前に政権の支持基盤が崩壊してしまう危険があります。
新興国では、延命期待の独裁政治家と言えども、戦争が終わってから数年先に来る経済不振など気にしないと言える時代が終わっています。
即ち一定レベル以上に経済活動が進化している国(これが新興国と言われる国々です)では、支持率アップのために排外行動すると支持率アップの効果が出る前に急激な経済不振が始まって、却って政権にとって命取りになるリスクが高まっています。
アメリカが地理的条件から直接の軍事介入できないことが分っているので、プーチンがやる気になればウクライナ東部の占領をするのは簡単でしょうが、これ以上やると危険な賭けとなるのが分って来た(急激な資金流出を予測できなかったのでしょうか?)ので、腹の探り合いに入っています。
中国では、改革開放化に臨んだ時点では、改革が進んで(先進国の文化が入り・豊かになって)将来国民が独裁政権に不満を持つようになって収拾がつかなくなったときには、まだこの種の政治危機打開策・・民族意識の高揚策が有効という判断だったのでしょう。
鄧小平は遺言?として、イザというときに国民の目をそらせる緊急事態・・イザとなれば対日レアース禁輸や日本企業を呼び込むだけ呼び込んでおいて反日暴動で痛めつければ良いと言う基本思想で準備して来ました。
この戦略の基に表向き日本に低姿勢で大規模資金援助や工場進出を求めながら同時に国内では反日教育を始めていました。
中国はこの遺訓に従って約30年経過して対外紛争を起こすに足るほどの国力もついたし、国民には物心ついたときから反日意識で凝り固まるように教育して来た効果も出ています。
中国ではこの数年経済成長が下降気味になり、政府に都合の良い発表だけでは実態経済の悪化を覆い隠せなくなってきましたので、政権への求心力が急低下する兆しが出て来ました。
共産党政権はロシア革命に限らず元々山賊的に政権を簒奪しているだけで正統性がないのですから、国民には道義よりも金儲けが良いと教え込んで来ました。
この結果、道徳よりも目先の金儲け主義・ゲンキンな国民が育ったのですが、その教育を受けた国民が儲けられなくなれば、政権求心力が急低下するのは当然です。
その上公害その他で政策運営の矛盾激化が進み、誰の目にも失政が明らかとなって打つ手がなくなって来たのが、最近の状態です。
鄧小平の遺言の実行をするべき「ときや来たる!」とばかりに、対日レアアース禁輸の切り札を出して来たのが数年前でしたが、見事に失敗しました。
対日暴動では中国の開放経済化に最初に尽力した松下・現パナソニックの工場が、攻撃対象になったことを日本ではいぶかしく思っている報道が多いのですが、最も深く入り組んでいる工場や企業を標的にした方が、簡単に逃げられないから効果が高いという鄧小平以来の国家方針に忠実に従ったに過ぎません。
ヘンデルとグレーテルの寓話のように太らせてから食うという見え透いたやり方です。
半信半疑で進出しているような新参企業を標的にすると、直ぐに撤退してしまうから撤退できないほど深入りさせてから叩くのが中国の基本方針と言うべきでしょう。
レアアース禁輸や国内暴動をけしかけての対日攻撃がうまく行かないと分ったので、日々の細かな嫌がらせは別にやり続けるとしても、国民の目をくらますような大規模なものとしては軍事力による威嚇しか残っていません。

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