マスコミ発表を国民が信じていなくとも、政治家と違って投票による是正方法がないのでスキなように報道出来て都合が良いのですが、その代わりマスコミは自己満足・裸の王様になり勝ちです。
マスコミ意見と民意が乖離して来ると選挙が怖くなるので・・「大義なき解散」とか選挙費用が勿体ないとか選挙を回避したいような報道が充満していたのかも知れません。
そう言えば選挙の御陰で年末の忘年会などパーテイのキャンセルが多く困っていると言う変な特集記事まで大きく出ていました。
報道の自由が民主社会において重視されるのは、自由な批判によって健全な民意を育成する必要があるからですが、報道機関が、金がかかるなどと民意反映手段である選挙を怖がっているのでは、本末転倒・・存在意義がなくなっていることを自白しているようなものです。
こう言う馬鹿げた報道をを繰り返しているうちに新聞購読者やテレビ視聴者が減って行き、ネット経由情報に負けて行くことになる→ネット系で食べて行けるならば、本当のことを発表出来る場所に人材が集まるようになって行くでしょう。
物販がデパートからスーパーへ更にはコンビニに主役が変わって行くのに比例して人材も入れ替わって行くのと似ています。
この後で書いて行きますが、日弁連も国民の信任を直接必要としていない点では同様の弱点を抱えています。
「争点がない」「大義がない」と言う今回の選挙期間中のマスコミ主張に戻ります。
マスコミや人権団体は安倍政権の各種政策決定を「国民の意思に反する」と(国民の意思を判定して)宣伝していたのに、選挙になるとこれらを争点にしなくなりました。
マスコミが勝手に決めたことだけが争点であるべきであり、それ以外を国民が判定するのはけしからんとでも言うような勢いです。
「争点がない」としきりに宣伝するのは安倍政権の信任・選挙効果・民意を薄める工夫に励んでいるのではないかと言う批判が起きてきました。
このネット批判に抗し切れなくなったのか?(争点がなくて投票したい人がなくとも)「投票に行きましょう」と宣伝しているのは、半ば行かない方が良いと言っているようなものですが・・)途中からアベノミクスは大失敗と言う意見記載が増えてきました。
ちなみにここ数十年入れたい人がない・・と言う選挙忌避誘導系の報道が幅を利かすようになっていましたが、マスコミあg何の根拠でこう言う報道を垂れ流すようになったのかも不思議です。
そもそも選挙は入れたい人がいるから選挙があるのではなく、一定期間・一定のタイミングで誰かがやめたときの後任選びに参加出来ることに意義があるのです。
誰かをある人の後任にしたいと狙っている人ばかりではなく、選挙権のある人がその後任選びに参加出来ることに意味があるのは当然であって、予め自分の意中の人がいることの方が少ないのは当然です。
これは各種の受験採点であれ、面接試験であれ前もって誰かを通したい思って試験官になっていることの方が例外であると言えば分るでしょう。
今秋北京で開かれたAPEC大会直前からの小笠原諸島に中国漁船が大量に領海侵犯・珊瑚乱獲騒動で言えば、海上保安庁が巡視船を増派した結果漸く収まってきました。
非武装平和論者・・戸締まり不要論者はこういう事態に備えてどう言う効果を期待して非武装・戸締まり不要論を主張していたかを、これら侵犯事件直後の選挙戦で明らかにすべきでした。
12月22日ころから北朝鮮によるソニーピクチャーズに対するサイバーテロが国際問題になっているように、韓国による慰安婦騒動や中国の南京大虐殺宣伝も情報戦と言う意味では現在の国防論の一種・最前線に位置するものでした。
安全保障政策は国家・国民の重大関心事ですから、これが具体化している最中の選挙では、これが重要争点であるのが明らかです。
日本社会では自己が正しければ黙って耐えていてもいつか理解を得られる・・相手が恥ずかしくなって自制するようになる前提です。
アメリカの支配する国際社会ではアメリカに都合の良いようにでっち上げた噓がそのまま歴史として積み重ねられて行く・・不正が横行する社会であると言う現実です。
中国による反日暴動に続く尖閣諸島侵略行為、小笠原での白昼公然の強盗的な資源略奪や東南アジア諸国に対する侵略行為・・これに連携した韓国の慰安婦騒動で明らかになったことは、反論・反撃すべきときには反論・反撃すると言う毅然たる行動が必要と言うことではないでしょうか?
中韓両国は日本が我慢していれば、噓を更に大きくして来るし、いくらでも侵略して来る図々しい民族であると言う事実です。
でっち上げ情報による要求に対して断固反撃して行ったことが、中韓の主張を根拠なく事実であるかのように繰り返していた朝日新聞を謝罪発表に追い込み日本の名誉を守ったと理解している国民が多いのではないでしょうか?
何の反論もしないで相手が噓でも損をしたと要求して来れば謝罪の繰り返しが正しいとする戦後政治・・これは非武装論と結びついていた行動様式だったように思えます。
22日ブログ冒頭に書いたようにアメリカ支配・・戦後秩序の揺らぎにあわせて、今回は戦後政策を総括すべき選挙だったように見えます。
アメリカ一強の時代には、憲法前文に書いてあるとおり、アメリカの「諸国民の公正と信義」を信じていてもそれなりのメリットがあったのですが、パックスアメリカーナが崩れ始まるとそんな悠長なことを言ってられなくなります。
小笠原諸島での珊瑚強奪行為はまさに白昼の強盗行為そのものですが、強盗したい国が周辺に跋扈している以上は、自分である程度国民の生命財産を守るしかないと考えるかどうかの選挙でした。
憲法前文
「・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。・・」