名誉毀損成立と政治効果6(司法の信頼5)

共謀罪反対でも秘密保護保護法反対でも「諸外国の例とここが違うという具体的主張を出すべき」と、このコラムで繰り返し書いてきましたが、これまで聞いたことがありません。
毎回初心者に説明していられないとしても、その都度「よその国の条文とここがこのように違うので危険だ」という根拠文献ぐらいあげるべきではないでしょうか?
事実など問題にしない・・「私はこう思う」と言い張るだけの人とは、右であれ左であれ、まともな議論になりません。
BPOの決定には応じられないという・・MXに番組提供したDHC会長の独占手記が報道されています。
http://news.livedoor.com/article/detail/14650432/

DHC会長独占手記】「ニュース女子」騒動、BPOは正気か

にDHCの主張が出ていますのでちょっと読むと「どの様な事実に基づく」かの主張がなく「報道の偏り」という主観的意見?に終始しているイメージで参考になりません。
決定が出てからでもこの程度の反論しかできないのでは、BPOの審査段階でも、あまり合理的反論がないママで審査が進んだように見えます。
同じ検索でhttps://www.sankei.com/entertainments/news/180501/ent1805010002-n1.htmlにも会長独占手記の報道があります。
産経の方には、関連記事・意見が出ており、たまたまその中の文筆家・古谷経衡氏のコメントを読んでみると、(そこに書いている事実が真実か否かまでは不明ですが)事実とすれば事実に基づくなかなか説得力のある意見です。
話題がだいぶ逸れましたが、これまで紹介した例では、草分け・主役と言われる間は良いが、黒幕と言われるようになるといきなり名誉毀損で訴える=「社会的地位が下がる」という主張に変わるような印象を受ける人が多くないのでしょうか?
関係していることや自分がそのような事態を引き起こした責任者と知られると社会的地位低下するというならば、
「彼らは自分のしていることが正しくないことを前提にこれまで国民をイメージ操作してきたのかな?」
長年イメージ操作に慣れさせられている(私を含めた国民は、ニュースをちらっと見た印象だけでは、沖縄基地反対運動の黒幕・中心的に応援している人と言われるのは名誉ではないのか?なぜ社会的地位低下になるのか不思議という受けとめ方になります。
「沖縄基地反対運動は、国民支持を受けていない・・正義ではない」という自白のような印象を受けた人が多いでしょう。
名誉毀損で訴えれば訴訟では勝てるとしても、問題が大きくなればなるほど、政治的には敗北宣言と同じ効果がありそうです。
ただし、この件についてはこれまで書いてきたように念のために決定概要を具体的に見たので、法的には違うテーマであったこと・・「沖縄基地反対運動の黒幕」ではなく、「違法行為の黒幕」という名指しを社会的地位下落するとして名誉毀損の理由としたのであって、沖縄基地反対運動に関与していることを名誉毀損として申立したのでないことがわかりました。
多くの人は決定概要まで見ないので誤解したままでしょうから、訴訟をした→勝ったという宣伝自体が「沖縄基地移設反対騒動には大義がない」のか?というイメージ効果が逆に広がり政治的には大きなマイナスになった印象です。
同じく児童売買春の広がりを批判「的」に国際社会で訴えていた→国際的運動の主役?的活動家(例えば、「国連委員会で発言しました」というツイッターかホームページでの報告があった場合(私は国連で発表したという活動報告を見つけていませんので、実はどういう主張をしたか不明ですが、ツイッターなどでの発信傾向を印象だけで読むと→いかにも大層な影響力を発揮していたように理解するのが普通です。
(ただし全部削除してしまったようなので、今では再アクセスできないので記憶しかありません)
ところが、イザとなれば一転して「私が何をしたというの!」と名誉毀損で訴えるのは、言葉の端々で具体的にどのような単語を使ったかの相違があるとしても、
「日頃主張態度イメージ宣伝との整合性はどうなっているの?」
という印象を持った人の方が多いのではないでしょうか?
いずれにせよ同弁護士が児童売買春関連の活動報告を一切あげなくなったとすれば、児童売買春反対運動体としては、マイナス効果があったということ・・・国民の支持がなかったということになると思われます。
京都朝鮮人学校が訴訟に勝ったものの学校の移転を余儀なくされたとヘイトスピーチ関連で紹介した学者が書いていた記憶ですが・・。
目的が正しくとも方法が悪ければ違法・許されないというのが、法治国家においては確立された法理論ですが、それと政治効果・社会の評価は違います。
窃盗グループに対するGPS捜査の違法性について3月はじめ頃に紹介しましたが、仮に自分の息子が違法なGPS捜査被害?にあって逮捕され裁判で無罪になったとしても、それを近所に言いふらしたい親がいるでしょうか?
あるいは違法収集証拠排除排除決定の結果無罪になった場合、そんなことを自慢するのは担当弁護士くらいでしょう。
非難方法がどぎつ過ぎて礼儀にかなっていないとして名誉毀損になるとしても、名誉毀損される方にまず責任がないの?という結果評価を受けるのが普通です。
暴力被害を受けた場合でさえ、・・「あの人はそのうち被害を受ける思ってたよ!」の評価が怖くて、できるだけ口外しません。
法的には被害者で強い立場のはずですが、被害を自慢したい人が滅多にいないのが現実でしょう。
沖縄基地反対運動では誰がスポンサーかではなく、地元民が中心か、よそ者中心の運動なのか・違法行為が横行しているのかを国民が知りたいのではないでしょうか?
辛氏が「自分がその黒幕ではない」というだけの訴えでは、却って違法行為横行を前提としているように見えます。
普天間基地移設問題は、(少なくとも県外へ」という主張は、実際上無理がある以上(基地負担を集中的に押し付けている沖縄県民には申し訳ないとしても)当面少しでも被害の少ない場所・県内移設しか解決方法がないというイメージが一般的です。
詳しい経緯を知りませんが、今までの一般的報道から受けていた印象では(このように多くの意見は報道によって事実上方向付けられています)「普天間基地がこのままでは沖縄の人たちが困るから巨額コストをかけて人口密集地から移設しましょう」となったはずなのに、それに反対では地元民はどうしたいのかが見えません。
高江ヘリパッド工事は、普天間基地の縮小工事関連だと思いますが、それの妨害ですからなおさら第三者には意味不明です。
こういう行動が続くと沖縄基地移設反対運動を地元民が本当に望んでやっていることなのか?
「反対のための反対」かが最大関心になってきたし、県外からの応援組の違法行為が連続していることから、移設反対闘争と地元民の関係が不明になって来たように国民が思うようになってきたところでのニュース女子事件でした。
こういう政治状況下で辛氏が名誉棄損訴訟で仮に勝っても国民の方は「変な言いがかりで勝った」だけ・・?と理解してしまい、「沖縄基地移設反対運動がお墨付きを得たと盛り上がる」とは思えません。
ただし、上記は現在のメデイアの主流的報道による洗脳効果によるもので、いまになって記憶を喚起してみると10年ほど前に米軍の沖縄基地からグアムへの大規模移転計画が報道されていたことがありました。
それがどうなったのかそれとの関係がどうだったのかの関心が持ち上がってきました。

名誉毀損訴訟と政治効果5(司法の信頼3)

当時のことは忘れてしまったので私のNovember 3, 2015のコラムで引用した池田氏の記事の再引用です。(見直してみました)

池田信夫 @ikedanob 2015-10-30 16:34:22
国連に「性奴隷」を売り込んだ弁護士が、今度は「日本の女子学生の30%が援助交際」などのネタを売り込んでいる。 twitter.com/KazukoIto_Law/
「(匿名化しました)同弁護士のツイッター・・ 10月23日からの引用です)明日、来日中の国連の児童ポルノ・児童買春に関する特別報告者とおあいする予定。この秋葉原の街は未だに、児童ポルノと児童買春にあふれています。警察はなぜあからさまな児童ポルノを野放しにしているのか疑問。国連から厳しい報告書を出してもらうよう、明日はしっかりプレゼンするつもりです♪」
10月24日「さまざまなご意見いただきました国連児童ポルノ等特別報告者とのMTGはぶじに終了。特別報告者は明日には都内で会見する予定とか。「本の現状に相当ショックを受けていた模様。年内または年明けに日本に対する報告書を公表する予定とのことです。注目していきます。」

上記のように自分の功績が如何に大きいかアッピールしていたはずなのに、誰がこんな無茶を吹き込んだのかの議論が起きると、いきなりブログ等の過去の関連発信をほぼ消してしまい、(相手がNGO代表者の過去発言を立証できないように?)問答無用的に訴えた印象でした。
November 4, 2015,にその頃の動きを紹介していますので、関心のある方は再読してください。
自己コラムですが、一部引用しておきます。

「特別調査官の来日に合わせてプレゼンしに行っている以上・・多忙な相手が会うチャンスを与えること自体が、この道で相応の実績があることが国際的に知られている前提です。
また、援助交際を世界的に問題にしていた・・その道の実績のある論客でなければ、(例えば私のような素人が会いたいと言っても会ってくれないでしょう・・)多忙な特別調査官の面会・調査対象にはなれないでしょう。
仮に招致したのは別組織であってもそれなりの連絡が取れていた・・連携作業ではないかと私のような門外漢は想像してしまいます。
想像だけで、池田氏のように断定的に書いて良いかは別問題ですが、情報源が秘匿になる結果訴訟上証明出来ない・・訴訟技術の穴を利用しているかのように、単に否定して「告訴します」と言うのでは、相手が証拠さえ出せなければ何をしても良いと言う傲慢な印象を受けるだけで国民の理解を得られないのではないでしょうか?」

と当時書いておいた通りの(素朴な?)疑問です。
私は名誉毀損事件でどちらの味方になりたい訳ではないので、その時にはNGOがおこなったという国連での意見発表の原文をコピーして置かず引用しなかったのですが、15年11月中旬頃から別のテーマ・国内政治で解決すべき問題を国内で議論しないで何故国連で訴えるのかのテーマで利用しようとして見直したらツイッター等(秋葉原の同事務所付近は児童売買春が「溢れている」という趣旨の記事が全て消されていました。
以下紹介するのは、政治意見を国内で言わずに国外運動必要性のテーマの関心で書き始めていたのですが、コラムに載せる前にいろんなテーマが挟まって先送りになっていた当時の原稿であり、それに必要な限度でコピーしておいた同NGOのホームページだったかの掲載記事です。
名誉毀損で訴える方が正しい主張なら過去の発信を残しておいて「このどこが悪いの?」と堂々と議論すべきだったのではないでしょうか。
15年11月4日に引用した日本語版では「慰安婦問題」としていながらも、その頃コピーしておいたPDF英文を見直してみると、「性奴隷」となっているなど「性奴隷・強制性」を強調して日本への特別報告者派遣を「強力に」求めたり、教科書検定について(慰安婦問題が教科書に載せられない言論の自由侵害を強調か?はっきりしませんが、・・)訪日調査を求めたりしているように読めます。
英語力が低いので読み違いがあるかもしれず、自信を持って紹介できませんので、当時のコピーに基づき英文自体を引用紹介しておきます。
これによれば「池田氏が弁護士が性奴隷や児童売買春も吹聴している」というようなことが、実際に行われていたと思うのは、訴訟的厳密さを基準にせず一般人を基準にすれば、「性奴隷」拡散については「信ずるにつき相当の根拠があった」ように私には見えます。
以下引用文には「年」を書いていませんが、全て15年の略です→15年中の11月初旬連載の続きに書いた時の下書きです。

「11月4日紹介したように、9月9日に慰安婦問題を国連で取り上げて、続いて19日・第30回でも慰安婦問題を主張しています。
この2回の英語原文を紹介しようと思って、クリックすると9月9日分は何故か削除されていて同NGOの活動歴に出て来なくなりました。
・・タマタマ、第30回提言の英文を10月末日ころに一部コピーしていたのが、まだ私のところにはありますのでこの限度で紹介しておきます。

 10月末ころに9月9日分の英文をざっと見たときの記憶では「日本軍性奴隷」の題名で、内容的には、賠償問題の英単語が目についたのですが、どう言う文章だったか正確には覚えていないので、文脈等正確を期すためにもう一度見て引用しようとしたら、削除されていることが分りました。
活動歴の項目から9月9日分がそっくりなくなっているのですが、名誉毀損で訴えると宣言してから削除しているには何かやましいことが書いてあったのでしょうか?
内容は賠償だったように記憶しているのですが・・・。
同弁護士やNGOが援助交際や性奴隷関連記事の全面削除行為に走っているように見えますが(一旦読んで記憶しているツイッターの記事をコピーしていないので、「何を消したというのか立証せよ」と言われると立証不可能です・・その意味では「あやふやな記憶」というしかありません)、自己のこれまでの「表現がヤバイ!」「国民非難を受ける」と思っていることの証左かも知れません。
正しい主張ならば、何故消してしまったのか?国民の公平な審判を仰ぐ気持ちがあるならば、「国連で発言した内容は以下の通りです」と過去公開記事そのまま引用主張すれば良いことです。
(今回・・15年10月末)の援助交際騒動で池田氏の批判発信に触発されて、初めてNGOヒューマンライツナウと言う組織が、国連で「援助交際に関して国際活動しているようだ」と知り、どういう組織で、どういうことをしているか知るために、NGOヒューマンライツナウの国連活動記録に入っていき援助交際の国外発言記録に絞って見た結果、15年11月4日のコラムには、「援助交際テーマの発言記録がない」という意味で活動記録の目次のみコピー引用して置いたものですが、そこでは「慰安婦」〇〇とだけ書いていたので内容にまで入って読みませんでした。
その後池田氏の主張は援助交際だけでなく、国外での性奴隷宣伝についても批判していることに気がついて、慰安婦関連発言の内容を見てみようとして、その直後に再度NGOの過去活動歴に入ったら上記の通り削除されていたのです。
消し忘れかミスか知りませんが、上記のとおり9月19日分PDFが残っていたので、コピーしておいたのが幸い残っています。

本日(1918年8月15日)現在、念のためヒューマンライツナウの15年9月、10月での国連活動履歴を開くと以下の2件しか記事しか出てません。
http://hrn.or.jp/activity/area/cat32/page/10/

国連での活動
【声明・発言】ヒューマンライツ・ナウが第30会期国連人権理事会にて口頭声明を発表
2015/10/20
第30会期国連人権理事会にて、ヒューマンライツ・ナウでは以下の項目について口頭発言を行いました。 発言の様子はUN WebTVのアーカイブ映像でご覧にいただけます。 また書面によるステートメント全文はこちらからご覧いただ …
声明
ビジネスと人権
人権活動家・民主化活動
女性に対する暴力、女性の権利
子ども・少女の権利
武力紛争と人権・重大な人権侵害
経済的・社会的権利
イラク
カンボジア
シリア
パレスチナ
マレーシア
国連での活動
日本
【声明】第30会期 人権理事会へ書面によるステートメントを提出しました。
2015/09/01
【声明】第30会期 人権理事会へ書面によるステートメントを提出しました。 9月14日から始まる第30会期の人権理事会に向けて、ヒューマンライツ・ナウは書面によるステートメントを提出いたしました。 今回は以下の4つの項目に …
声明
人権活動家・民主化活動
女性に対する暴力、女性の権利
子ども・少女の権利
武力紛争と人権・重大な人権侵害
イラク
カンボジア
シリア
パレスチナ
国連での活動

上記それぞれのアンダーライン部分に入っても慰安婦・性奴隷についての意見を掲載していません。
私が15年11月4日に引用した活動歴の記載との違いの大きさに驚きます。

名誉毀損訴訟と政治効果4(司法の信頼2)

「表現の自由市場で負けた方が、訴訟すれば勝つ」という一般的運用が定着している社会とは、なんでしょうか?
正義が訴訟によって回復されるということなのか、訴訟判断が社会の価値観と遊離している・・狂っているというかの評価です。
実際の訴訟経過を知りませんので断定的に言えませんが、ここでは事実認定のルールが偏っていないかの視点で書いています。
「あいつはバカだとか犯罪者」などと根拠なく連呼するような場合には、合理的討論に馴染みませんからこの種の場合には「社会的評価が下がるわけではないが感情的に許せない」・・別の基準・侮辱罪との出番です。
論理の正しさを競うばあいでも、自由市場が成立するのは双方互角の発信力のある場合のことであって、メデイアと一般人やフリーの評論家の場合の論争の場合には、メデイアに名誉毀損された方は反論情報発信能力にハンデイがあって、対等に戦えませんので、対等な土俵が用意される訴訟に頼るのは合理的です。
児童売買春事件の伊藤弁護士の場合、国連委員会でも発言し国内的バックの巨大な著名活動家でむしろ発信力では優勢なように見えるのに、言論の自由市場で一切の反論をしないで?いきなり訴訟に持ち込んだとすれば、裁判所の立証責任論を利用(悪用?)したような印象を受けます。
(ただし、訴訟展開の詳細を知りませんのでこの辺は憶測です・伊藤弁護士弁護士からこういう証拠を積極的に出してで勝ったというならばすぐに訂正します))
原発訴訟では、情報格差を前提に事実上電力会社や国側に安全性の主張立証責任を負わせていますが、国際活動している発信に対する批判論が、事実無根かどうかについては、国際活動家の方に対し過去に行った国連活動記録の提出命令を出すなどの公平な審理が必要です。
国連公式発言や国連の動き、調査官コンタクトとの詳細記録を訴訟では出せても「自由市場では出せない」という秘密性があるのでしょうか?
対等発信力のある場合には、国民大関心事であればあるほど、多くの国民が判定に参加するので自由市場規模が大きくなり、その判定には安定感があります・・事実上密室化されている?訴訟での決着の必要がないはずです。
自由市場では公開できない資料を当事者間で開示しても、意見対立が終わらないので訴訟に踏み切るのは合理的でしょうが、これを一切しないで、いきなり密室の訴訟に持ち込むのはスラップ訴訟にならないかの疑問です。
一般論としては訴訟で決着する必要があるのは、週刊誌等で一方的に名誉毀損行為をかき立てられた場合、対等に反論する場がないので訴訟で救済するのに適していますが、もともと自分がネットやメデイア等で発信した以上は、それを利用して反論すればいいのにこれをしないで、名誉毀損訴訟するのは、アメリカでは(条件次第で)スラップ訴訟の法理になりそうな印象です。
憲法擁護・表現の自由擁護を金科玉条にしているはずの左翼系論者が、ネット発信によって批判を受けると「訴訟提起したので一切の質問に応じられません」あるいは、ヘイト規制要求に持ち込み論争に応じない傾向があるのは不思議な現象です。
国民の主張立証責任の分配意識(・・一般に説明責任と言われます)と裁判所の基準に真反対の関係があるから国民常識では負けそうになっている方が裁判所を駆け込み寺のように逆提訴する「逃げ場」を作っているのではないでしょうか?
主張立証責任論は、訴訟法の専門用語ではありますが、その分配基準は国民常識が基本になっているはずです。
「分配基準が国民常識と違って良い・司法に任せろ」というようでは、司法の傲慢でしょう。
司法は選挙によらないとはいえ、国民の信頼があってこそ維持されるのです。
国民常識と司法の判断基準が違っている場合には、訴訟で勝っても政治で負ける現象が起きると思われます。
結果から言えることは、政治論争については政治の場(表現の自由市場・・この公平性担保は必須ですが・・)で決めるべきであって、司法に最終決定権・管轄がないとすべきでしょう。
朝日新聞の慰安婦問題検証委員会設置の必要性・最近では日大アメフト部、あるいはボクシング連盟の不祥事もありますが、なんでも「訴訟で勝敗を決める」というだけで、何ら説明「責任を果たさずに)しないで「訴訟で決める」と批判をシャットアウトしていれば済むでしょうか?
そういう開き直りが続けば、その業界や組織の信頼を失うから自発的説明責任を果たす努力をし、訴訟で負けなくとも引責辞任・退任する人が多いのです。
しかも、国連で関係者にどのような根回しをしていたか、来日国連調査者とのミーテイング・報告の場でNGO代表者がどのような状況説明をしたかなどの具体的証拠・面談記録や録音等があることが推定されるものの、ネットでの批判者の開示請求に対して特別報告者は情報源秘匿特権を理由に開示しないでしょうから、その入手はネット発信者には事実上不可能です。
これに対して同弁護士が職務で面談している以上は、一般的に面談記録を残すのが普通ですし、自己記録では客観性・信用性が低いとすれば、面談時に提出した(このあとで同弁護士がネットに上げていた英文を紹介するように国連でスピーチする場合でも事前用意の原稿によっていることがわかります・・日本の会議で同じですが、口頭だけのスピーチでは理解を得にくい(まして英語発言の場合出身国によって発声法も違い聞き取りにくい)ので事前ペーパー配布してスピーチするものでしょう)発言要旨の開示請求すれば、情報提供者本人の開示請求なので秘匿理由がないので出してくれるので入手は簡単です。
こういう場合(証拠が初めっからないなら別ですが、)訴えた方が簡単に入手し出せるのに「自分に立証責任がないから」と出さないことにより被告側を事実上の証明不能な状態において)批判者が虚偽事実を前提に批判したこと→違法行為とされるのでは、国民平均的見方によれば、公正な裁判方法と思うでしょうか?
事案によっては証拠の偏在があり、柔軟対応しないと公正なルールになりません。
原告の伊藤弁護士が、国連報告者に説明に出かけた事実が疎明されれば、裁判所が公平な論争を保障するために原告に対してどういうプレん全テーションをしたかの説明と証拠提出を求めて事実上の立証責任の転換を図るべきでしょう。
その結果出た記録でも、同弁護士が慎重な言い回し終始していて、「誇張表現していなかった」という訴訟結果だったかも知れません。
(判決書をみないと事実は不明です)
ただ、本来の問題は国民や特別報告者・・国民の受け取り方ですから、学問的には真実「性」の評価ですが・・如何に慎重な言い回しに終始していたとしても、説明を聞いた国連特別報告者がニュアンスとして、30%または13%と理解した結果を重視すべきではないでしょうか?
部外者・情報の受け手には、言葉の端々まで訴訟になるまで事前に分からない以上、法的に「真実」が必要とされず真実「性」さえあれば良いという通説判例の趣旨からしても、真実「性」・・・「らしさ」があったかどうかの判断においては、聞き手・・・国民の受け取り方に委ねるべき・・どこまで司法が判定するのが司法の役割か?という政治と司法の限界です。
訴訟までするには相応の準備してからすべきでしょうが、メデイアなどの組織背景のない個人(フリーの評論家はメデイアのような組織を持っていません)がネットで話題になっているホットなニュースに対して意見発信する程度のことで、そこまで「調査してからでないと何も言えない」(ましてニュースソースに容易にアクセスできない現実からして)とするのは表現の自由尊重の意味からして公平・合理的でしょうか?
これではメデイア発信批判が怖くてできない・メデイアやメデイアの寵児だけの表現の自由論になりかねません。
名誉毀損で訴えた弁護士が事前に国連での活躍や国連調査官とのミーテイング・報告に行くことをホームページ等で誇らしく書いていたとすれば、同弁護士の方で文字どおり、表現の自由市場論で堂々と「事実がこうです」記録を開示して反論(説明責任)すれば良いことであって、それに対して「聞く耳を持たない」という感情論で応酬してきたときに、初めて訴訟に持ち込むのがルールではないでしょうか?

名誉毀損訴訟と政治効果3(司法の信頼1)

児童売買春国連特別報告者事件は、品質表示の虚偽表示同様で、実態に合わない報告になったとすれば、商品品質の虚偽表示問題の悪評価版です。
大問題になってすぐに調査者側で13と30通訳ミスであったと訂正した記憶ですが、この種の発表はペーパーを配布して行うのが普通です(例外もあります)から、質疑応答等の即時通訳の場合と違い、文字を書き間違うわけがないので不可思議な訂正でした。
統計処理に馴染みにくい・統計基礎数字も一切ない状態の訪日調査ですから、大づかみの印象数字しかないはず(何もないからこそ、日本政府の抗議に対して13%の数字も引っ込めた)なのに、13%などの細かな数値をどうやって算出たのかの疑問もありますから、もともと30%だったのでしょうが、反響の大きさに驚いてこのような言い訳を急いでしたように私は憶測しています。
当時のネット記事が出ましたので、正確を期すために引用しておきます。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_002635.html

平成27年11月11日
1 11月9日,外務省は,10月下旬に訪日したマオド・ド・ブーア・ブキッキオ児童売買,児童買春及び児童ポルノ国連特別報告者(Ms. Maud de Boer-Buquicchio, Special Rapporteur on the sale of children, child prostitution and child pornography)が,10月26日の記者会見で,「女子学生の13%が援助交際を経験している」と発言したことについて,同報告者側(国連人権高等弁務官事務所(OHCHR))に,発言の撤回を強く求めるとともに,特別報告者が2016年3月に国連人権理事会に提出する予定の報告書は客観的データに基づくものとするよう申し入れました。
これに対し,OHCHRは,日本側の申し入れを特別報告者本人に伝え,対応するよう要請する旨述べていたところです。
2 その後,本11日(現地時間10日),特別報告者本人から,OHCHRを通じて在ジュネーブ国際機関日本政府代表部宛に書簡が接到し,その中で,援助交際やJKビジネス等の現象の評価を日本政府に呼びかけつつも,13%の数値については,更なる検討の結果,13%という十分に立証されていない数値を裏付ける公的かつ最近のデータはなく,記者会見における13%という概算への言及は誤解を招くものであったとの結論に至った,このため今後この数値を使用するつもりはなく,国連人権理事会に提出する報告書でも言及しないとの説明がありました。
3 13%という数値に関する今回の説明は,事実上,発言を撤回したものと受けとめていますが,外務省としては,先方に対し,引き続き,客観的データに基づく報告書の作成を強く求めていきます。
(参考)
1〜2省略
3  記者会見における援助交際関連の発言部分<日本語訳>
「・・・例えば例としては援助交際があります。これは女子学生の3割は現在「援交」をやっているというふうにも言われているわけで・・・」(※後に,通訳の誤訳として,「3割」は「13%」に訂正を発表。)

上記経過を見ると、国連特別報告者は客観事実調査しないで聞き取りだけで国連報告・・国連の公式記録にしてしまう予定であったような印象・日本で記者会見がなければ招請運動家以外にはほとんど誰も知らないまま進んでいた・・「国連って怖いところ」という印象付けた事件でした。
援助交際している少女が13%であっても、日本人感覚からすれば異常な高率ですからどういう調査をしたのかが大問題になり、その原因は調査者の誤解によったのか、調査者が誤解するような虚偽または過大報告が行われたのか、誰が報告に関わったのかの疑問に膨らんで行ったものです。
特別報告者派遣が根拠なく決まるわけではない・・特別調査の必要性を訴えるために国連委員会や関連運動家の間での事前根回しや委員会での資料提出や意見表明があって決まることでしょうから、こうした運動にきなり委員会決議が出るわけがないし、そのためには日本で児童売買春の横行がどんなにひどいかの現状説明があった筈・・どの程度表現していたかも重要事実になるでしょうが、名誉毀損で訴えられた人はそういう(証拠保全の)準備なしに印象だけでNGOの伊藤弁護士を名指し批判してしまったのでしょうか。
ホットな事件が起きてからそういう調査するのは時間的に無理があるし、ニューヨークへ出かけて過去の議事録等の事実調査してからでないと批判できないというのでは、即座の批判禁止と同じ効果があります。
裁判所の勝敗基準は学問論争の場合(小保方氏論文批判は、追実験して判明したものです))に妥当するでしょうが、日々の世論を誘導して行くメデイアの寵児による意見に対する批判をするのに、アメリカまで出張して議事録等を調査してからでないと批判できないのでは、その間に日々話題が変わってしまうので事実上即時反論禁止する基準になりそうです。
息の長い調査をするに適したテーマでも、出張経費等巨額資金がいるのでフリーの批評家が、自己資金でそういう調査をするのは普通は無理ですから、事前調査しないと意見を言えないとすれば、メデイアの応援を受けている方は言いたい放題で誰の批判も受けない仕組みになります。
裁判で「社会評価を下げる発言である」と認定されると次は「批判発信者の方が根拠事実の証明責任がある」のでネット等で批判していた方が防戦に回る・攻守逆転です。
しかし批判意見は対象意見の評価を下げるためにあるのですから、「社会的評価の低下」=表現の自由市場で勝った場合に原則として名誉毀損訴訟で負ける制度設計では表現の自由市場論はまやかしではないでしょうか?
社会・自由市場で負けている方こそ、立証責任を転換して主張(説明)立証責任があるという運用にすべきではないでしょうか?
自由市場の評価より、裁判の評価の方が何故優先するのか不明です。
今日の関心は、このあとでちょこっと書くように、どの程度の事情で立証できていると見るべきかの裁判所の基準が、国民意識と乖離していないかの疑問が生じます。
児童売買春が日本で広がっているとしてこれを人権問題として国際活動してきたことを日頃からネット発信し、秋葉原では児童売買春が「氾濫」しているとまで発信していた弁護士が、上記「特別調査者とのミーテイングに行ってくる」という意味のことを誇らしげに発信していて、この後の記者会見が楽しみとして、言わば調査官来日の立役者ぶっていた(ただし、この点はうろ覚えです)以上は、「自分は30%または13%の誤解を招くような発言・報告をしていない」との説明責任があるように思うのが普通(市場評価)ではないでしょうか?
上記一般人の価値判断に立脚してネット批判者が、伊藤弁護士に説明責任を求めていたというべきでしょう。
これに対して伊藤弁護士は説明責任を果たしたが、納得していただけなかったので訴訟になったのか・まるで説明しないで問答無用式に訴訟提起したかが重要でしょう。
憲法学者の言う「言論の自由市場論」を日頃からメデイアを通した発信力を持つ弁護士こそが、実践すべきだったように見えます。
憲法学者は、メデイアが一方的発信力を持つ(事実上メデイア主張に反論する場がない)前提でなんでも市場に委ねるべきという論を展開してきたことをくり返し書いてきましたが、メデイアの発言を批判するネット社会が発展してくると、自由市場論・自己の発信したネット空間で反論せずにいきなり訴訟に持ち込む傾向が出てきたのは皮肉な現象です。
そもそも、伊藤弁護士が「国民の大方が納得する程度まで説明をしたのに相手が不合理な批判だけ続ける場合には、自由市場のレフリーである国民が審判を下す(多くの国民が納得する説明をしたかどうか)・即ち国民がその批判を不合理として支持しなければ、その批判による社会的地位の低下が起きません。
社会評価の低下が起きるのは、自由市場で負けたばあいのことです。
社会的地位の低下が起きるのは批判意見の方が説得力がある・・批判された方が反論すべきなのにできないという国民審判の結果を表しているのでしょう。
批判に根拠がないと思われれば、逆に不当な批判をした方が評論家としての信用がなくなります。
表現の自由市場論とは、どちらが説明責任を果たしているかの審判を国民がするという意味ではなかったでしょうか?
批判されて社会的地位が低下した(自由市場の論争に負けた)方が、一切の反論をせずにいきなり訴訟提起するのは文字通り問答無用・・相手には証拠収集能力がないことを見越した革新系思想家の金科玉条である「自由市場論」に反した行動のように見えます。

亡命と難民の違い?2(名誉毀損と政治効果1)

亡命と逃亡や移住との間にも、もちろん意味が違うから違う熟語になっているのです。
辛氏のドイツ移住は、従来概念の「亡命」というには無理がありすぎるの結びつけようとしているので「実質」という意味不明の撹乱的修飾語をつけたように見えます。
亡命とは一般的に権力闘争の当事者が主体で一般人は想定されていません。
ウィキペデイアの亡命解説です。

亡命の理由として政治的迫害によるものが多いが、宗教対立や民族対立、経済的窮乏など、その他の理由によるものが含まれることもある。
政治家や官僚や王族ではない一般市民が他国に越境する場合は難民として区別される。
「refugee」を亡命者と訳すか難民と訳すかの問題で、両者は同一であるとする見解もある。

亡命と難民の区別の難しさは分かりますが、亡命を「実質と形式」に区別する見解はない・・辛氏の創作言語ではないでしょうか?
難民といえば、経済難民(より良い職を求めて好景気の国や地域への移住)も含まれるでしょうから、幅が広くなります。
彼女の場合、( これまで紹介してきた彼女の「実質亡命」になった説明を読むと単語を徐々に言い換えて行き、違う結論に持っていく連続ですから・・同氏のその他活動を具体的に知りませんが、こういう論理展開方式では)日本で彼女の主張を受け入れる人が減ってきたので新天地を求めたとすれば、経済難民という方がしっくりきます。
ところで、このヘイトシリーズでは「罵詈雑言でさえ文明社会で許せるか」の議論をしているのに、本当に暴力にまで発展する動きがあり得るとすれば、日本社会にとって由々しき事態 になります。
そういう関心で、8月6日以来引用しているKサカイ氏のつけた題名「傍観できない」趣旨には同感です。
そこで、引用されているMX事件とはどういうものだったのかが気になって6日以来ニュースを手掛かりに順次入って見てきたのですが、BPO決定概要から見る限り日本はテロにあう危険性の高い国と言えるのでしょうか?
そもそも名誉毀損されたとか、朝鮮総連銃撃事件で恐怖を感じたという理由だけでどこの国が正式亡命申請を受け付けるでしょうか?
亡命とは個人が主観的に希望すれば受け入れられるのではなく、亡命の必要性が認定されて初めて亡命できるのです。
彼女の上げる理由(繰り返し書くように彼女はこの理由で亡命したい」と明白に書いていない・思わせぶりに書いているだけです)では亡命しなければならない緊迫性とはまるで縁のない遠すぎる理由づけではないでしょうか?
合理的に認められない理由づけをして勝手に「実質亡命」と名乗っているだけ・・だから「実質」と意味不明の修飾語をつけてごまかしているのでしょうが、このようにあやふやなの主張・言語利用が多すぎるのが文化人?活動家の特徴です。
「近代法の原理を守れ」とか「平和主義」を守れなど内容不明の主張が左翼系文化人得意の手法でしたが、国民が知りたいのは「どうやって平和を守れる」かの具体論です。
彼ら文化人の主張が(メデイアで脚色されず)そのままネットに晒されるようになると、国民レベルが高いために相手にされなくなってきた実態が辛氏の主張のあやふやさに象徴されているように見えます。
合理的理由もなしに「日本から亡命せざるを得ないほど危険な国だ」というイメージ宣伝を海外でするのが目的のように感じる人が多いでしょうが、その誤解が生じる原因は、同氏の過去実績によるように思われます。
(実質)亡命宣言をして次の戦略・・「日本は言論の自由がない」・「少数民族に対するテロ危険社会」だという国際宣伝行動に切り替えたとすればこれも違った角度から放置できない方向です。
事実がそうであれば、自戒して日本社会のあり方を正すべきでしょうが、事実無根の恐怖感を煽り、対立組織を暴発させる試みもありますし、日本の国際評価を落とす目的の工作活動もあり得ます。
どちらが本当か知りたいところです。
数年前の国連調査官による日本の少女の児童売買春経験者の驚くような高率数字発表(日本は性道徳の乱れた国だという基礎数字固めの印象)で、日本国民多くが心底驚愕したばかりですが、国民のあずかり知らないところで、こういう運動が行われてきたような印象です。
この事件についても、この調査官活動に協力してきたか、どういう事実が摘示されたか不明ですが、名指しされた弁護士が本件の辛氏同様に名誉毀損訴訟を提起して勝訴したと報道されていましたが、誰が黒幕かは別として放置していると、いつの間にか国連の公式記録になり、後で争えない仕掛けです。
この数年では「日本の表現の自由が危機に瀕している」という趣旨(文言を忘れたので正確ではありません)の国連調査官の発表があって騒ぎになったばかりです。
日本はテロ横行の危険国家という宣伝をすぐには信じる人はいないでしょうが、怖くて言いたいことが言えない→「表現の自由がない」という宣伝にはそのまま使えそうですし、メデイア界も事実上応援勢力に加わる期待があるでしょう。
名誉毀損訴訟がメデイア界で発言力のある人に対する批判を萎縮させるためのスラップ訴訟化していないかの危惧です。
メデイア露出度の高い有名人が印象操作的に一定方向へ煽っている場合に、それに対する不満を持つ立場の人がチクリと批判すると名誉毀損ですぐ訴えてしまう仕組みが、逆に自由な批判を窒息させる効果を発揮していないかの心配です。
メデイア界にしょっちゅう出ている有名人には、批判されれば一般人と比較にならないほど反論のチャンスがあるのにそれをしないで、いきなり名誉毀損で訴訟に持ち込むパターンは、私のような場外の素人から見るとズルイ印象を受けます。
これまで書いてきた辛氏の主張のように、メデイアと連携する有名人は誤解を招く?ような言語の羅列による印象操作手法を用いることが多いですから、漠然とした印象記憶に基づいて「彼はこんなことを言っているのはけしからん」と批判すると「そんなことを言ったことはない」「証拠を出せ」という事実無根の誹謗をしたという批判によって、「名誉毀損された」と訴訟されると批判者が負けてしまう仕組みです。
多くの視聴者(評論家でさえ計画的発言する場合には過去録画をチェックするかもしれませんが、ニュース等での情報仕入れ段階では何気なく見ている人が多い筈です)はイメージ記憶しているだけなので、「いつこういうことを言った」とズバリの言語表現を証明できないので真実性の立証はほぼ不可能です。
名誉毀損に関するウイキペデイアの記事からです。

真実性・相当性の法理
日本においては、事実の摘示による名誉毀損について、真実性の抗弁・相当性の抗弁が判例上認められている[53][54]。日本の民事名誉毀損については刑法230条の2のような明文規定がないため[55]、昭和41年6月23日の最高裁判所判決(民集20巻5号1118頁)が承認して以来判例理論によって認められているもので、刑法230条の2の趣旨を参考に表現の自由を保障する観点から設けられた免責事由である[56][55]。
「名誉毀損罪#真実性の証明による免責」も参照

真実性・相当性の法理は、問題とされている表現行為が、特定人の社会的評価を低下させるものであっても、公共の具体的な利害に関係があることを事実を以って摘示するもので(公共性)、その目的が専ら公益を図ることにあり(公益性)、摘示した事実が真実(真実性)または真実であると信ずるについて相当な理由のあるとき(真実相当性)は名誉毀損は成立しないとする法理である[57]。
上記の通り、名誉毀損行為とは、社会的地位低下表現行為であり、無罪・免責要件は、真実性の立証ですが、イメージ操作を受けたことによる印象に基づいて非難した発言を名誉毀損行為だと訴えられると、「いつどういうことを言った」と証明してくれ」と言われると(何かのニュースで見た記憶だがなあ!程度しかなくて立証不可能な場合が多いでしょう。

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