政治生命をかけるとは?2

ところで、6月26日の衆議院での採決では、民主主義の正義を守るために「政治生命をかけた」のはわずかに57人しかいませんでした。
(棄権者はその他にいましたが・・意見を言わない人は、大勢の赴く所で良いということ=そのときそのときの強い者の味方・・本件では信託者である国民に対する裏切り行為の肯定・黙認に作用します)
ちなみに離党したのはそのまた一部37人(衆議院に限定すれば・・)だったことをどのように評価するかです。
正義に反する行為をする政党には居られない・・「義に反する周の粟(ぞく)を食らわない」と言って西山に入ってゼンマイやワラビを食っていて餓死した伯夷叔斉の故事が有名です。
以下史記列伝の(周の武王の出陣を止めて容れられなかったので)西山に隠遁していて、死に際しての辞世の句です。

登彼西山兮   彼の西山に登りて
采其薇矣     其の薇を采る
以暴易暴兮   暴を以て暴に易へ
不知其非矣   其の非を知らず
神農虞夏     神農虞夏
忽焉沒兮     忽焉として沒しぬ
吾適安歸矣   吾適(まさ)に安くにか歸せん
吁嗟徂兮     吁嗟(ああ)徂かん
命之衰矣     命の衰へたるかな

私は現在の代議「士」に餓死まで求めません・・離党すればいいだけ・国会議員の地位はそのままで歳費は従来通り受け取れますから・・餓死する心配すらないでしょう。
それだけ(次の選挙が怖いだけ)のことでも正義のために賊徒の中で反旗を翻すことの出来る気概のある国士が37人しかいなくって、あるいはそれだけ多くいたとしても、残りはやはり大きな所帯に居残りたい・・正義のために政治生命を掛けるより安泰な地位を求めたい人たちだったということになります。
(それまで小沢氏に恩顧を受けていたその数倍の人が目先の利に従ったことなります)
マスコミは小沢氏に付き従った人が僅か37人・・支持が少ない・誰も支持しない異端のグループであるかのような印象を強調するために宣伝していますが、逆に選挙に落ちる恐怖・・伯夷叔斉が西山に登るに匹敵する勇気のある人が37人もいたのかとも言えます。
この辺の解釈は読者が自分の身に置き換えて自分だったら、そんな思い切った決断が出来たかどうかを基準に判断することでしょう。
「政治生命をかける」と言うはたやすいですが、実際に大きな権力に刃向かうと悪事が露見しないように権力から口封じのための刺客も来るでしょうし、大きな権力に身を寄せていないと次の選挙で落ちる恐怖が大きいことは当然です。
(マスコミはいつも大きな権力寄りで、与党批判者には陰に陽に誹謗中傷が行われる傾向があります・・まして今回の増税路線はマスコミ推奨路線でもあるのでなおさらです)
伯夷叔斉は自分の意見が正しいことを訴えて周の武王やその部下全員を翻意させようと飽くまで努力したのではなく、こんな義に反する周の国にはいられないと身を引いて餓死したに過ぎません。
ナチスに対するレジスタンス・あるいは近年の民主運動家は、単に国から出て行くだけでは(亡命あるいは海外移住)潔しとせずに、国内に留まって命がけで民主化運動に取り組む人たちが普通です。
国を捨てて海外移住希望だけなら韓国・中国の庶民?(巨額資金を蓄財している共産党幹部など)はいくらでもしていますので、海外移住をしている庶民の多くがみんな古代の伯夷叔斉並みの「士」と言えるのでしょうか?
今では海外の方が住み易いので移住するだけですから、死を恐れずに西山に入った伯夷叔斉のような「士」ではなく、祖国を地盤にして金儲け(蓄財)してその資金を持って海外に逃げるのですから、祖国を裏切る不道徳な国民がこんなに多いのかと言う印象です。
37人の義士は、こんな不正義な政治の世界にはいられないと言って政治をやめるだけなら、中国・韓国人の海外移住・逃亡同様に何の苦労もないでしょう。
国会議員をやめても伯夷叔斉の時代と違い直ぐに餓死することはない・・別の仕事がいくらでもある時代です。
権力者にとっても政界から逃げ出してくれれば大した害がないので、放置すれば済むことですが、(平安時代にあった左遷・・中央からの放逐で足りたのと同じです)政治社会に留まって反対を唱えられるのが怖いので、刺客を向けたりして口封じに精出すことになります。
代議士を辞めずに自分たちの理想社会を作ろうと努力を続ける点では、その場から逃げてしまった古代の伯夷叔斉よりも偉いのかも知れませんが、その代わり(自分の権力欲を満たすためにやっているのと区別が難しいので)マスコミからは個利個略だと誹謗されるし、権力からは刺客に狙われるし、次の選挙も命がけです。

政治生命をかけるとは?1

「政治生命をかける」とは自分の政治信念を貫徹するためには有力者に嫌われ、政治上不利な立場になろうとも、正義のために節を曲げずに主張を通し、選挙でも堂々と主張してその結果、「選挙で負けても悔いがない」というのが本来の意味でしょう。
多数派が正義不正義に拘らずその主張を通すためには、政治生命をかける必要がありません。
消費税増税反対を主張して政権を取った(国民から信任を受けた)党が、方針変更に対する総選挙の洗礼(国民の信任)を受けるのを明白に嫌がりながら、「増税に政治生命をかける」というのは言葉のまやかしです。
(誰かの委託を受けた行為ではない・・純粋個人の利害だけの行動ならば、豹変するのは勝手・君子ですが・・・)
少数派が正義のために行動するときに不利な扱い・・除名や資格停止などの不利益処分を受けるのを覚悟の上で行動するときに使う言葉を、多数派が奪ってすり替えて使い国民を誤導しているのです。
公約違反推進に多数の力を恃んで政治生命?をかける党首・・これをマスコミが「本来の語義・用法と違う・・国民を欺くもの」だと批判しようとせずに、むしろそれとなく応援している様子です。
(・・民主党が実現したマニフェストは少ないのでマニフェスト重視を言うのはおかしいという変な擁護論さえありますが、実現に努力して出来なかったのと反対の政策を率先して実行するのとは本質が違います。
あるいは反対する勢力をおとしめるためにそこにあるのは「個利個略しかない(政治的識見がない)」と言い、「すべてが選挙対策だ」とも言います。
しかし公約違反の与党やマスコミの大勢に反対するのが何故(何の識見もない)個利個略なのか、(普通は個人にとっては不利な選択です)またせっかく作り上げた与党を飛び出して孤軍奮闘(マスコミからも集中砲火を受けながら)で戦おうとしている人が何故選挙対策で動いているというのか、論理が見えません。
むしろ公約違反はおかしいと思いながら執行部に反対意見を述べる勇気のない政治家の方が、個利個略・選挙対策(自己保身)だけの人ではないでしょうか?
選挙目当てと言いますが、与党から飛び出して国からの補助金もない(1月1日現在での政党にしか補助金が出ない・・途中で分裂するグループに不利な制度です)状態で選挙をやるのは極めて不利なことは常識でしょう。
増税するか否かこそは数ある政治案件の中では、政治意見の中核であることは公理とも言えるほど歴史上明らかなことですから、増税反対かどうかを軸に行動基準を決めることが何故に政治的識見がない行為と言えるのか不明です。
財政赤字解消のために増税の必要性があるかどうかの意見とそれぞれの根拠・理由はこれまで書いているとおりいろんな意見があるのですから、自分(マスコミ)と論拠が違う相手を「識見がない・・バカだ」というのでは、大人の議論・・マスコミが取り上げるべき公平な報道とは言えません。
どちらの論拠が正しいかは選挙で決めることです。
論理のない批判が横行しているのは言うならば、誹謗中傷のたぐいを天下のマスコミが垂れ流していることになります。
党は党でそんな党首に任せられないと解任するどころか、公約を守れと反対する少数議員・・彼らこそ正義のために政治生命をかけていると言えます・・を除名してしまうような政党・・マトモな政党が世界を見渡しても歴史上あったでしょうか?
時代劇で言えば、お家乗っ取りを策す悪家老一味に敢然と立ち向かう正義の「士」少数派を誹謗中傷しているようなものです。
幕藩体制下で幕藩体制を覆すような主張が公然とされた場合、そのグループは幕藩体制と食うか食われるかの戦いをしない限り存続出来ないのは当然です。
信長や秀吉の支配下で信長や秀吉の支配方法に異を唱える以上は、信長や秀吉の支配領地内で存続が許されません。
民主主義体制を良しとする現行法体系下で、(これを覆そうと主張するならば一貫していますが・・これをやめる展望もないまま)民主主義の根本原理に反する行為をしている以上は、一種の反逆罪を犯している状態で、現行秩序上存在自体が許されない状態です。
まさに野田総理とその1党は政治生命をかけて自ら政治家を辞めるべき主張になります。
民主主義に根底から反する行為を賞賛するマスコミその他の勢力は、民主主義制度を否定する勢力に加担・そそのかす勢力と言わざるを得ないのではないでしょうか?
アメリカは民主主義を守るための戦いだったと称して日本に原爆を落とし、その他何百万(大げさかな?)の一般人を焼夷弾で焼き殺し続けたのですが、日本のマスコミはアメリカでは野田総理が激励されているかのような(高官などとぼかした言い方)報道です。
アメリカは自分の都合に合わせてあちこちの軍事独裁政権を支援してきましたし、自分に都合の良いときだけ民主主義のための戦いと言い出す自分勝手な国ですが、・・いくらご都合主義のアメリカだとしても、民主主義制度の根幹を破壊する野田総理の暴挙をそこまで応援するかな?と疑っています。
元々野田総理は訪米直後から消費増税へのボルテージがイキナリ上がって来た傾向があって、アメリカに吹き込まれてやっているらしいとも言われていますし、反米的色彩の強かった鳩山・菅政権に比べてアメリカの覚えが目目出たいのは間違いがないでしょう。
ところで何故アメリカは日本の消費税率上げに熱心だと言われるのでしょうか?
(勿論正式表明をする訳がないので噂・憶測に過ぎませんが・・)
今までのアメリカの行動からして、日本を良くするために熱心になることは殆ど考え難いので、合理的な理由としては増税させて日本経済の停滞・駄目にしてしまうことを期待しているらしいことくらいしか推測できません。
増税=内需縮小という図式は間違い・・消費の増減には関係がない・・むしろ増税分を100%支出に使えば消費が上がるという意見を以前March 19, 2012税収2と国債1」以降書いています。
増税目的が赤字解消のための増税の場合、その分支出が増えないで資金を市場から引き上げるだけになるのでマイナス消費になりますが、国債=せっかくお金の使い道のない人が出してくれた資金で所得再分配しているのに、これを税で貧者からも徴収して金持ちに返してしまう・・金持ちからの所得再分配をやめるというのですから、財政赤字解消のための増税ほど馬鹿げた政策はありません。
財政赤字解消のために増税が必要という論理は、現在社会で必須の所得再分配機能を理解しない意見であって破綻していることになります。
国債保有者が外部にある場合、(他人からの借金で豊かな生活をしている場合)所得再分配資金を削って(外食を減らすなどして)でも赤字解消が必要になりますが、身内が持っている場合(家族の誰かが外食費を持ってくれている場合)赤字解消の必要性ががないばかりか、寄付同様の所得再分配機能があって、むしろプラス要因になっているのです。
約1000兆円の国債残高=同額の資金が、今まで余裕のある金持ちから所得分配金に使われて来たことになり目出たいことではありませんか?
綺麗な道路維持や保険の赤字も生活保護・子供手当もみんなこの資金があってこそ支給されて来たし、これが我が国の国民の同胞意識・一体感の基礎になっていることを上記コラム以降で連載しています)
世の中には間違った(私の意見とは違うと言うだけです)経済理論が横行しているので、アメリカもその気になっているのでしょうか?
しかし、日本経済が停滞し、ジリ貧になってもアメリカにとって何の得もないのですから、この種の議論(増税反対論者の流布するアメリカ陰謀説とも言うのかな?)も眉唾です。
せいぜいアメリカ主導のIMF官僚の好きなテーマ・・彼らはいつも、馬鹿の一つ覚えのように緊縮健全財政政策論であることは分りますが、学者というのは過去の事例研究しか知らないからそうなるのであってアメリカの陰謀でも何でもない・・智恵が足りないだけです。
ちょうどIMF専務理事が来ていて、増税による赤字解消努力を賞賛するような発言が新聞に載っています。
やはり、ここは外国の思惑(外国からの支援を受けているという議論も一方ではアメリカの後ろ盾があるという宣伝にもなるし、他方では本筋から離れた誹謗中傷の一種にもなります)を基準にせずに、純粋に我が国の民主主義制度を守るのに有益か否かの視点だけで考えるのが、賢い方法でしょう。

個々人の政治能力と政党政治2

代表と代理の違いを09/01/03「代表と代理(大理石)理事の違い」のコラムで書きました。
代理は個別の権限範囲を決めて委任された人の法律行為ですが、(車を買う・・特定の土地を売るなど権限が特定されているのが原則です)代表の場合は、その人格を信頼してテーマ無限定である分野に関してはそっくり一任する関係です。
会社の社長を代表取締役と言い、会社運営に関しては株主総会決議事項を除いて広範に業務執行を一任するのがその例です。
とは言え、時代の進化によって生殺与奪の権を握る信長や専制君主への一任の時代とは違い、一定の範囲内限定で信任する傾向が出てきます。
西洋市民革命前夜の王党派と議会派、革命後はジャコバンとジロンド党などから始まり、社会主義運動が盛んになると社会・共産主義諸派(ロシア革命中にはボルシェビイキメンシェビイキなど)と自由主義系の党派に大きく分かれて行きました。
20世紀前半は共産主義対資本主義と枢軸国とに入り乱れていましたが、後半は米ソ対立を軸に、おおむねこの2大政党(我が国で言えば自社・55年体制)の時代だったので分りよい時代でした。
この枠内で国民はどちらに一任するかを判断すれば良いので簡単でしたし、政治家の施策についても自由主義の範囲であれば個々の政策に不満でもあまり国民は不満を言わない・・不満だからと言って自民党支持者が共産党に投票鞍替えする心配がありませんでした。
ソ連崩壊後資本主義の枠内でどのグループに委ねるかとなると、争点がもっと具体化せざるを得ませんし、国民も不満なら別の政党に乗り換え可能になってきました。
同じ方向に向かっているバスや電車が数本ずつあるような時代です。
こうなると政党名・・基本綱領だけで政党を選ぶのではあまりにも抽象的過ぎて選択基準にならなくなります。
(憲法改正を求めるとしてもどの方向で求める政党か政党ごとにはっきりしてくれないと「改正」というだけでは政党選択出来ません)
そこで選挙民に訴えるために選挙ごとに掲げる公約・・マニフェストを掲げる方が選挙民にとって選択の基準がはっきりして訴求力が強いことから、ソ連崩壊後世界的にマニフェスト選挙が主流になって来ました。
我が国でも政党が選挙ごとに掲げる公約は当初は抽象的でしたが、回を重ねるごとに選挙民に対する訴求力確保のために具体化して来るとともに、「公約」よりももう少し具体的政治課題明示向きのマニフェスト提示が前回・前々回選挙のころから定着・主流化しています。
他方国民の方も、このシリーズで書いているように労組や企業に任せられなくなり自己決定をする必要に迫られるようになったことと、自由主義か共産主義かという抽象的枠組み選択の時代が終わったことから、具体的政治課題に関心を持つようになったこともあって、各政党にマニフェスト提示を求めてこれによって投票行動を決めようとする人が増えて来ています。
郵政民営化選挙以来この方式の選挙が続いていて、現在の民主党政権もこれによって自民党との違いを際立たせて政権を獲得したものです。
実務能力がない政党は困りものですが、能力さえあれば選挙民の意向に反したことを実行して良いか・裏切っても良いか・・・選挙公約・マニフェストの重みについては明日以降に書いて行きます。

個々人の政治能力と政党政治1

僅かな放射能汚染さえ嫌がって、東京圏から関西・中国地方へ移住している人もかなりいます。
そう言う人はその代わり文明の利器を手放すなら行動が一貫していますが、人並みに電気器具を利用して、あるいは電気の利用による企業製品を購入して普通に生活しているとしたら、良いとこ取りをしようとしていた大阪市民と考えが同じです。
大阪・京都市民も「反対さえ言ってれば後は政府や企業が何とかすべきだ」という無責任な態度で自分はその分電気を使わない・電気を利用した製品(工業製品の殆ど)を使わないと言わないのですから、無責任な主張だったことになります。
原発廃止・家から柱の取り外し等に比べて一般の政治決定は、その何百倍も複雑で一波万波を呼ぶような複雑な経路を経ていろんな方面へ波及効果を及ぼして行くのが普通です。
複雑な政治問題では市民の短絡的な反対に従って政策決定した場合、どのような危機・効果を招来するか(柱の撤去のように)目に見えないことから、市民運動家系・タレント系の政治家ではただ反対するだけで、その効果に対応した前向き提言がないまま(言い換えれば無責任発言)になり勝ちです。
政治決定に関しては、上記のとおりその及ぼす効果が複雑過ぎるので信頼出来る人や集団に一任すれば気楽ですし、その道に長けた人に一任するのが合理的であることから代議的民主主義制度が生まれて来ました。
私が受験したころの司法試験勉強科目であった政治学原論では、昔から政治はプロによるしかなくこれを世襲君主あるいはその側近によるか民主的手順で代議員を選出するかの違いで民主主義と言っているだけで、結果的に少数者による多数支配しかあり得ないと学んだような記憶です。
中国では古代から皇帝の政治権力の正当性・授権は天命によるとして、近世の西洋では王権神授説が流行しました。
市民革命以降世襲君主の代わりに民意によって選ばれる代議士とその代表者が権力の担い手になり、その代議士を選ぶのに所属企業や労組などの推薦に頼って来たのです。
ところが、誰かにお任せしていたらどうなるか分らない時代が来たので、自分で一々の政治課題を考え行動するしかなくなりました。
国民個々人にとっては目前のテーマとその後の複雑な経路を経て効果が出る結果の関係が分らない・・(部屋を広くしたいということとそのために間仕切りの壁や柱を取り払ったら安全性がどうなるか・・その先のことは素人には分りません)古代以来個々人がそんな能力のあったことはないので、大変なことです。
有価証券投資・運用のような値上がり値下がり程度の単線的見通しでさえも難しいことから、個々人が直接手がけるのは至難の業で投資信託みたいにどこかに委ねるしかないのが普通です。
投資顧問のAIJ事件が発覚したばかりですが、プロでない個々人どころか年金基金などセミプロでさえ、直接運用するのは至難のことですから、投資顧問会社に一任しているのが普通です。
そこで複雑な政治決断をどこかに任せるしかないということで間接民主・代議制になっているのですが、実務能力を信頼して任せていた自民党は世襲制がはびこり2世3世議員の時代になって絆創膏を貼った大臣が出て来たりして信用を落としてしまいました。

政治の担い手(企業から個人へ)2

政治と国民の間に入るべき組織・団体の政治機能が弱体化し国民個々人が自分のこととして直接政治の主役になって行くしかないので自衛のためもあって、政治意識が高まるのは良いことです。
その結果1億総評論家時代が到来し、ひいてはその意を受ける政治家も百家争鳴のなかで多数の個々人の民意を直接把握しなければならないので大変です。
国民は自分がアマチュアであることからプロに対する反感があるのも理解出来ますが、感情の赴くままに支持する傾向が強まるとアマチュア的政治集団の民主党・・あるいは維新の会のような政党がが有利になります。
政治のステークホルダーがアマチュアである個々人に下りて来たのだから、(元々最終利害関係者は国民個々人でしたが、これまでは会社その他の団体が介在してその恩恵を間接的に受ける関係でしたので気楽だったのです)その支持を受ける政党もアマチュア的政党になるのは仕方がないとも言えますが・・・。
厳しい消費者・利用者がいてこそ、商人が鍛えられて良い商品・サービスが生まれて来ます。
政治に対しても厳しい注文をつけ情報を提供して鍛えてくれる企業実務家が疎遠になり、政治家がアマチュアから直接支持を受けるようになると批判・不満情報が中心となり、その意見を通せば全般的社会・産業構造がどうなると言う有益な情報が入らなくなります。
家の建築でこの柱が邪魔だからない方が良いと思っても、その柱を取り外したら家の安全性がどうなる・・補強可能かという全般的見通しとセットでないと実現が無理なことは誰でも分りますが、政治に関してはその先の検討不要の無責任な意見がはびこり勝ちです。
原発で言えばアマチュア的に言えば危険なものはやめた方が良いに決まっていますが、アマチュアの主張はそこで停まっていて、原発をイキナリ全面的にやめた場合の市民生活がさしあたりどうなるか・どう対処すべきかの意見(情報提供)がありません。
原発に頼って経済市民生活がこれまで組織されていた以上は、これをイキナリ止めた場合(時速2〜300キロメートルの運動体でも徐々にスピードを落とせば安全ですが、イキナリ崖にぶつかって急停止するような事態です)の日本の産業構造への影響・・市民生活がどうなるかという総合的判断を捨象した一方的意見ばかりになり勝ちです。
「自分は反対しているだけだ・・その結果困ったことになるとしたらそれに対する善後策を考えるのが政治家・政府の責任だろう」という自分の意見通りになった場合及ぼすマイナス面に対する手当を考えようとさえしない無責任な意見が多いのが市民意見の大多数・特徴です。
ものごとには、長期・超長期の方針ばかりではなく短期の視点も重要です。
大飯原発の再稼働に関して弁護士出身の大阪橋本市長は当初大反対で民主党をボロクソにケナしていましたが、次第に現実的判断に同調せざるを得なくなった推移を見ても、アマチュアの支持に頼る政治家の限界が明らかです。
(橋下氏はテレビ番組に出ていて有名になり政治に出た経歴であって・弁護士出身というよりはタレント出身という方が正確でしょう・・維新の会も基本的には実務経験による裏付けのない集団です)
今回のように目前の電力危機・・経済・市民生活直撃という結果が目前に見えていてもあれだけ抵抗してほぼ時間切れになるまで難航させたのが衆愚政治というものです。
言わばギリシャ国民が最後の最後まで緊縮政策に反対してゴネていて再選挙までした結果、ギリギリの所で「やっぱりユーロ離脱もイヤだ」ということで渋々緊縮政治に舵を切るようなそぶりで決着したのと似ています。

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