共謀罪反対論が守ろうとしている利害集団1

日弁連が政治運動して良いかの議論を離れて、以下成立してしまった条約履行反対論の合理性を見ておきましょう。
反対論者は、日本をどう言う方向へ持って行きたいのでしょうか?
どう言う世界秩序を目指して・それが日本のためになると言う考えで国際条約を形骸化したいと思っているのか知りませんが、政治運動をする以上は一定の現世的利害のある効果を目指していると言うべきです。
政治運動する集団はすべからく、目指す世界観・・どう言う結果を期待しているのかを国民に提示すべきではないでしょうか?
イスラム国その他テロ組織には相応の正義があって、日本がこの取締りに協力すべきではないと言うのも1つの意見のあり方ですが、それならそれでそう言う主張をし、組織犯罪防止条約反対を訴えれば分りよいです。
(でもそう言う主張は政治目的団体がやるべきことであって、日弁連の仕事ではありません。)
日弁連意見書では、日本にはテロの現実的危険が日本には存在しない・・条約を履行するべき立法事実がないと言う主張ですが、(日本だけ必要性を感じないと言って国際協力しないことが国際政治として成り立つかは別問題ですが・・)北大生によるテロ組織「イスラム国」応募に驚いた人が多いとしても、まだ危険性が低いと同感する人が多いでしょう。
今の日本でこの法律が制定されると直ちに実際の効果を受けるのは、国際テロ組織よりはまさに国内組織暴力団のように思われます。
今あるのは銃刀法所持取締法や「凶器準備集合罪」ですから、凶器等準備した上で、しかも現実に集合しないと検挙出来ませんが、共謀罪の法律が出来ると1~2ヶ月先の何時集合するのかその他の情報が不明でも、「◯◯を暗殺するぞ!」いう命令等が分った(証拠をつかんだ)段階で検挙出来ることになります。
集合計画がなくとも特定ヒットマンを決めてさえなくとも、敵対集団幹部暗殺を組織内で決めた(証拠をつかんだ)段階で検挙出来ます。
もちろん(凶器がなくとも良いのですから)事前に法で決めた特定凶器や毒物を使う予定の情報収集・・証拠集めをする必要もありません。
これが共謀罪があるかないかの大きな違いでしょう。
ただしこの後で書いて行きますが、「共謀した」と言う事実とその裏付けの証拠がいります・・念のため・・。
日弁連の反対意見は・事実と証拠があってもこの段階で検挙するのでは人権侵害になると言うことになるようですが、この論理立ては無理があるように思います。
逮捕の濫用や・・冤罪のリスクは、共謀概念の曖昧さや証拠がないのに検挙されてしまう証拠評価レベルの議論です。
これまでチラチラと書いて来ましたが、安易に共謀の事実認定されない(ジョークに相づちを打った程度で逮捕されるのでは困ります)ように日弁連が努力すべきは、共謀概念の客観化と証拠法則に関する緻密な意見提案ではないかという私の意見につながって行きます。
法律専門家によるすり合わせの結果・・日弁連が納得する共謀概念定義や証拠法則に従って共謀の事実が認定された場合にも、冤罪のリスクがあると主張するのは論理矛盾になります。
そこで近代刑法の精神に反すると言う意味不明のスローガンを表に出さざるを得ないのではないでしょうか?
共謀の事実と証拠だけで検挙されると困るのは今のところ、暴力団や違法なことを計画している集団だけでしょうが、そう言うグループを野放しにしておくために応援することが何故人権擁護になるのか分りません。
このあとで書くように共謀罪が出来ても「共謀」の概念構成と客観証拠がいるので、むやみに検挙される訳ではありません。
殺人行為等具体的被害行為が未だ存在しない共謀だけの証拠確保は、実際には難しいので簡単に検挙出来ません。
しかし偶然計画が分り、証拠までそろっていた場合でも、計画だけでは手も足も出ない・・実際に誘拐や殺人行為等に着手するまで検挙・抑止してはならないのでは、困りませんか?

共謀罪反対論と日弁連の政治活動の限界1

今回の共謀罪制定反対運動は、人権擁護に関連する運動でしょうか?それとも日弁連の制度目的を逸脱した運動でしょうか?
30日に紹介した判例のように考えれば、弁護士の目的とする人権擁護に密接に関連していますが、単なる法技術問題を越えて国際信義の問題になっているから、そこまで法律専門家が絡んで行って良いかに疑問があります。
10月22日に紹介したように日本政府は2000年国連の組織犯罪防止条約に署名し2003年5月に国会承認も受けています。
2003年以降は国内法整備の国際法的義務(条約を守る義務)を負っている状態です。
国会で同意した条約は、国内法に優先するのが法体系上の原則ですから、国内法で言えば法律が国会で制定されたが、これを実施する省政令規則等の施行準備が遅れているような関係です。
こうした状態に関しては、憲法改正手続法がないと憲法改正権・主権が事実上行使出来ない状態になると書いたことがありますがそれと同じです。
国際的に見れば関税引き下げの約束をした後で、いつまでたっても、関税法の改正をしないし、税関職員にそのマニュアルを与えないので、現場では従来どおり関税をかけているような関係・・日本は条約違反をしている状態です。
条約成立後の段階で国内法制定になお反対するのは、国内議論を尽くして成立した法律・(条約)に対してなお反対運動しているのと似ています。
判例の許容する「目的を逸脱していない」のは、成立後の法律に飽くまで反対政治運動することまで含むのでしょうか?
成立した法律に従うべきではないと言う運動は法律家の運動としてはおかしなものですから、法律が成立してしまった以上はこれに従うしかないが、(例えば消費税率アップ反対運動していてもアップする法が成立してしまった後に、消費税納付拒否を主張するのは、法律違反行為の煽動です)法律の廃止運動を意味していることになるのでしょうか?
元日弁連事務総長であった海渡氏が著者だったか編集関係者の本を立ち読みすると、成立後の秘密保護法の廃止運動をするのは国民主権の一種であるから許されていると言う意味のことが書いてありました。
憲法改正論で書いたように、作る権利のある国民は改廃する権利もあるのが原則です。
しかし国際条約に署名してしまった後に条約の義務による国内法整備に反対するのは、条約違反行為をすべきだと主張しているのと同じではないでしょうか?
そもそも、共謀罪反対論者が、組織犯罪防止条約の履行=国内法整備に反対することによって、どう言う法律効果を狙っているのかが見えません。
条約内容に反対ならば、その条約改正運動をするのは分りますが、ただ国内法整備だけ反対するのは上記の消費税納付拒否・違法行為主張と同じではないでしょうか?
条約改正運動としてみれば、成約後14年も経過して大多数の国が履行をしている状態で、共謀罪の取締りをしないように変更する国際政治力などないと見るのが普通です。
飽くまでも条約の履行を拒むと言うことは、将来的には条約からの脱退を目指すことになるのでしょうか?
条約に参加するかしないか・・飽くまで反対を続けて修正or脱退に持ち込むリスク・・その場合の国際的孤立の可能性を含めた判断は、高度な政治判断であって人権擁護の使命とはあまりにも遠く離れ過ぎた政治運動のように思われます。
共謀罪制定が国際条約上の法的義務になってしまっているならば、日弁連は国内法制定過程で人権擁護上必要な法案意見(安易な共謀認定がえん罪を生まないような歯止め・証拠上の意見など)を充分主張して行く・・その実現目的範囲内での政治運動程度が目的の範囲内で合理的です。
日本が2000年に条約に同意してしまった以上・しかも世界の大方がこの条約に参加している以上は、いまは反対運動出来る時期が終わり・1種の条件闘争段階ではないかと思われます。
日弁連の10月号委員会ニュースには、このためにか?条約自体に反対出来ないとも書いています。
その上で凶器準備集合罪等が日本にはあるから作らなくて良いと言う論を展開しているのですが、この論法は無理があることを23日以降書いてきました。
共謀罪法制定が国際的に避けて通れないとすれば、日弁連の本分であるえん罪防止に役立つような条文制定作業等に意見を入れて行く努力に集中して行くべきではないでしょうか?
特定秘密保護法に関しては抽象的な反対運動ばかりしていたので、法案作成作業については蚊帳の外におかれたまま成立してしまったように思われます。
これについて、日弁連は充分な国民的議論もないまま国会通過したと批判していますが・・・。

弁護士会の政治活動4

北朝鮮や中韓あるいは、共産党の主張はその立場の主張と国民が割り切って聞いているので、それはそれで良いのですが、朝日新聞の誤報または捏造記事問題で分るように、中立であるべき団体が偏っているのではないかと社会から思われてしまうとその組織の発言力にとって致命傷になります。
日弁連が偏っているのではないかと思われてしまうと人権擁護に直接関係のありそうな法案に関する絶対に必要な意見まで、世間が信用しなくなってしまうリスクがあります。
10月18日「政治運動と中立組織」で書いたように、教育者は教育論に関する周辺政治に関心を持ち運動するのは職分ですし、労働組合は労働条件とその周辺支持に関して同じです。
私がいろんな意見を書くように、弁護士会はいろんな意見の集合体であって、特定政治思想で一致共鳴したことによって集まった結社ではありません。
弁護士会は強制加入団体と言って、弁護士をやるからには道府県ごとに1つしかない(東京に限り3つの会がありますが・・)会に加入しないと弁護士の仕事を出来ないのですから、思想や心情・意見が違うからと言って、弁護士をやめない限り脱退の自由がありません。
この辺が脱退しても教員をやめる必要のない教職員組合や一般的な労組とは本質が違います。
強制加入団体でなければ偏った運動するのがイヤな人は脱退したり、新規加入が減って行きますので自然に自浄作用が働きます。
ところで、弁護士会の多数意見だからと言って、(実際アンケート調査すらしていないので本当に多数か少数かも分りません)少数意見まで同一意見のように一般的(人権擁護とかなり遠い)政治活動を強制的に代弁するのは筋違いな活動です。
ただし人権擁護そのものに関する分野では、その面で学説の違いのような意見相違程度は許されるでしょう。
強制加入団体なのに人権擁護とかなり遠い分野で一方的な政治信条の表明をされるのでは、公式意見と違う思想の会員にとっては、個人の思想信条の自由を侵害されているような不満が生じます。
「じゃあ、裁判すれば良いか」と言うと簡単ではありません。
以下は平成4年末に高裁判決が出たことについての日弁連の発表です。
この後で最高裁判決が出てこの高裁判決が支持されています。
要は当時の反対運動は日弁連として許された範囲の政治活動と言うことでしょう。

日弁連昭和62年総会決議無効確認訴訟判決言渡について

国家秘密法に反対する日弁連の昭和62年総会決議の無効確認と日弁連運動の差止等を求める一部会員からの提訴につき、本日、東京高等裁判所第5民事部(川上正俊裁判長)は、日弁連側全面勝訴の判決を言渡しました。

この判決は、本件日弁連決議と日弁連運動が構成員である会員個人の権利を侵害するものではないという理由で、原告である一部会員たちの請求を全部棄却した本年1月30日付の一審判決を基本的に維持しています。
今回の判決は、その上で、次の点を積極的に認定・判断しました。

弁護士会の活動は、「目的を逸脱した行為に出ることはできないものであり、公法人であることをも考えると、特に特定の政治的な主義、主張や目的に出たり、中立性、公正を損なうような活動をすることは許されない」
しかし、「弁護士に課せられた」弁護士法1条の「使命が重大で、弁護士個人の活動のみによって実現するには自ずから限界があり、特に法律制度の改善のごときは個々の弁護士の力に期待することは困難である…ことを考え合わせると、被控訴人が、弁護士の右使命を達成するために、基本的人権の擁護、社会正義の実現の見地から、法律制度の改善(創設、改廃等)について、会としての意見を明らかにし、それに沿った活動をすることも」、目的の「範囲内のものと解するのが相当である。」
本件総会決議は、「本件法律案が構成要件の明確性を欠き、国民の言論、表現の自由を侵害し、知る権利をはじめとする国民の基本的人権を侵害するものであるなど、専ら法理論上の見地から理由を明示して、法案を国会に提出することに反対する旨の意見を表明したものであることは決議の内容に照し明らかであり、これが特定の政治上の主義、主張や目的のためになされたとか、それが団体としての中立性などを損なうものであると認めるに足りる証拠は見当たらない。」

上記高裁判例は、昭和62年当時秘密保護法に反対運動していたのは「目的を逸脱していない」と認定したものです。
しかしながら注意すべきは、「目的逸脱とは認められない」と言うだけであって「逸脱して」はいけないことが大前提の法理論として定立されたことを重視すべきでしょう。
どんな政治運動もフリーであるとお墨付きを与えたものではありません。

弁護士会の政治活動3

日本社会で共謀程度でも犯罪化する必要性・・立法事実があると見るべきかどうかについてここまで書いてきましたが、これは政治判断ですから、人によって意見が分かれても良いことです。
必要性があっても共謀だけで処罰するのでは、前倒しが激し過ぎて限界を超えている・・人権擁護上危険だと言う意見もあるでしょう。
日弁連が強調すべきは後者ではないでしょうか?
後者の具体論・・共謀段階の処罰法制定がどれだけ危険か、言うほど危険でないかについてはこの後で書いて行きます。
専門家はそれを国民に知らせるべきですが、その結果と、社会防衛の必要性を見比べてテロ計画等を規制した方が良いか否かは国民・・政治が決めることです。
エボラ出血熱で言えば入国時にリベリア経由などの自主申告義務がありますが、そのことによるプライバシー侵害と社会防衛のどちらをとるべきかは国民の判断権であって法律家がその判断まで介入する権利はありません。
立法事実の有無に関しては、・・「立法事実」と言う変な専門用語を使うので、法律家の専権事項のような印象ですが、要は社会的必要性・・政策総合判断です。
日弁連や法律家が総合判断の専門家ではないのですから、専門家として総合判断について専門家のように意見を言い、これを理由に政治運動するのは誇大広告?っぽい・・権利の乱用っぽいことになります。
日弁連は人権擁護にリスクがある場合に意見を言う専門集団であって、法制定の必要性・・政策判断になるとかなり関係が遠くなります。
あまり関係が遠くなり過ぎると、日弁連存在目的逸脱の危険・・疑いが生じてきます。
仮に日本だけが共謀罪に反対したままですと、テロの謀議は日本では許される・・日本をテロ謀議フリーにしておくことが、国際社会で仲間はずれにならないかの視点が重要です。
国内政治どころか日本の国際的立場の判断まで伴うとなれば、超高度な政策判断能力が求められます。
こうした高度な政治に関する終局判断を行なうのは、政治家の職分です。
政治家でなくとも、例えば政治関連のシンクタンクなどはそう言う政策提言をし、政治を後押しし、あるいは批判をするのも1つの方法です。
その他素人であろうと専門家であろうと独自に意見の合う集団を結成して政治に影響を及ぼすべく政治活動するのは民主国家において許された行為です。
日弁連や各地単位会は法律専門家集団はそうした政治をするために結成した専門家集団ではないので、組織構成員に関連することがら以外には、・・一般的政治意見を組織として主張する立場ではありません。
法律家が一般的政治意見を集団で提言したいならば、独自の政治目的集団を組織して行なうべきです。
例えば在特会などは、いろんな職業の人で成り立っていると思いますが、そうやって活動すれば良いのです。
10月20日にニコニコ動画で在特会会長と会談した橋下大阪市長は「選挙に出ろ」と繰り返し言い張って、政治家以外の政治運動を否定するかのような発言に終始していましたが、私はそう言う意見ではありません。
政治家や政治集団ではなくとも、意見の合う人が集団になって行動し意見を発表することが否定されるべきはありません。
弁護士も政治活動したければ同志を募って、◯◯会を結成して運動するのは問題とは思いません。
これまで書いているように日弁連は法律制定そのものには人権擁護上関係があるので、その法案に意見を述べるだけではなく、悪法制定阻止運動することもその職分です。
結果として法案が通ってしまっても、その前に国民の反対運動や人権侵害意識が高まれば、制定した法律の運用が慎重になって、結果的に人権侵害リスクが減るメリットがあります。
そう言う視点では、人権侵害の危険のある法制定反対運動は相応の意味がありますから、ある程度の政治活動は必要です。
人権擁護と関連すると言うだけで関連性の範囲に明確な線引きがないので、余程自制して行かないと設立目的と離れ過ぎてしまわないのかが心配です。
政治目的で設立されたものではない団体が、設立目的からかなり離れた政治問題で偏った運動しているのではないかと社会から思われたり、疑いをもたれるようになると、(狼少年の寓話のように)本来の活動能力・・社会信用が低下してしまうリスクがあります。

共謀罪8と立法事実5

共謀をしているだけで法が予め決めた実行行為をしない限り、検挙すべきではないと言う意見は、「襲撃計画だけ決めたがいつ実行するかはまだ不明」と実行予定者から堂々と警察に予告されても、通報者が凶器等を準備していない限りその通報者の動静を見張っている程度で放置しているしかない・・放置すべきだと言う意見になるのでしょうか?
(未遂を罰する犯罪では、凶器を持っていなくとも実行に着手するとその段階で検挙出来ますが、例えば殺人行為に着手するまで放置するのでは目の前に警官がいない限り間に合いません。)
共謀罪新設反対論者はアメリカとは違い拳銃等所持自体が禁止されているので、これらを所持していればその段階で拳銃発砲前に検挙出来るのが根拠のようです。
しかし、仮にヒットマンを予め特定出来て警官が張り付いていても、ヒットマン数人が何も持たずに殺害目的人物にくっついて歩いていたばあい、その段階では何も持っていないので予め検挙出来ません。
誰かがその場にイキナリ拳銃やナイフあるいは爆発物やサリン等毒物を届けてその瞬間にバラまくようなやり方だと事件防止に間に合いません。
凶器がなくともイキナリ飛びかかって数人でしめ殺すことだって出来ます。
スーパー等への爆破予告や食品に毒を入れるなどの通報をすれば、脅迫罪や業務妨害罪になりますが、警察に対して店名を言わないで抽象的爆破計画通報だけでは社会不安が起きても脅迫罪や業務妨害にならないように思いますが、共謀罪反対運動をやっているプロではないのでよく分りません。
※ ただし、カナダ議会乱射事件のように一人計画の場合、事前把握しても共謀相手がいないのですから、共謀罪処罰法が出来ても処罰も検挙も出来ません・・今の時代一人で犯行計画している限り大勢の計画より害が少ないので、まだまだこの程度では我慢しなければならないと言う価値判断でしょう。
実行者が一人でも、大勢で練り上げた計画の方が被害が大きい場合が多いので、複数人で計画した場合との程度差をつけるのは意味があります。
既存法で見ても傷害行為等の実行前段階である凶器準備「集合」罪があるように、集合・・集団化すると、その結果発生する被害規模が大きいことを立法の理由にしています。
日本に共謀段階で処罰しなければならないような事態・必要性が起きていないと言う日弁連意見書は、日本社会を標的に破壊するようなテロの動きが現実化していないと言う狭い意味と思われます。
1〜2週間前に判明した元北大生の事件やサリン事件に参集した若者の特徴・・社会からの孤立・・個人的閉塞感が容易に・・短絡的に過激派の勧誘に応じてしまう土壌は、地下鉄サリン事件以降収束して行くどころか、拡大して行く一方だと思うのが普通ではないでしょうか?
北大生がテロ組織イスラム国兵士に応募していたとしても、それは日本社会を標的にしたものではないから、日本には共謀を罰しなければならないような危険な事態がまだ起きていないと言う主張になるのでしょうか?
仮に我が国は標的にされる心配がない・・我が国で、いくらテロ行為の謀議や訓練・準備されていても野放しにしておいて良い、被害を受けるのはアメリカやアフガンや中東諸国だからと言うような受け取り方をされてしまう論理が国際的に通用する議論でしょうか?
秘密保護法の場合も同じですが、日本だけ知る権利を守ると主張して秘密をダダ漏れにしていると、友好国が日本と特定秘密を共有したがらない弊害が指摘されています。
(発明発見競争の激しい現在、いろんな秘密をとり放題・・軽微な刑罰しかないのでは、経済的に重要な影響のある時代・問題です)
以上一般弁護士の目で見てきましたが、我が国でも共謀段階での取締の現実的必要性が高まっている・・いわゆる立法事実があると見るのが普通ではないでしょうか?
日弁連意見は、日本には共謀だけで処罰しなければらないような事態が起きていないと言うのですが、サリン事件はまさにそうした重大事態が現実に発生した事例だと思いますが、この辺は専門的に反対運動をしていない素人(一般弁護士)の意見です。

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