中国強権政治と政権の脆弱性

習近平政権による激しい粛清劇や、日本とマトモに戦ったこともないのに抗日戦勝利の大々的な式典開催を(するしかないのを)見ると、権力基盤がかなり弱い・・その反作用と見るのが普通です。
世界の支持率のバロメータートしてみれば、出席者はロシアのプーチンと韓国大統領くらいで、欧米首脳その他マトモな国の参加がなく、世界大多数の国が日本に遠慮して?参加していません。
これでは普通の先進国的報道基準で言えば、却って習近平氏やって来た中国の国際的地位低下を満天下に曝したことになり、却って権威が大失墜・・大恥をかいた結果になります。
(報道規制があるので、中国人は何も言えませんが・・)
習近平の自信喪失状態丸見えの写真がニュースに出ていますが、報道規制下ですから政府公表写真でさえそんなものしか発表出来ないのですから大変な事態です。
世界で孤立している自信喪失を補うために軍事力を誇示する大々的パレードをするなんて、ナチス時代の再来のような印象・・時代錯誤もはなはだだしい発想です。
マスコミでは、こう言う評価が出て来ませんが普通に見ればナチスの閲兵式のような印象です。
このために3日前ころか北京中心街3km前後が交通禁止、道路に面した窓を開けることも禁止、商店も営業禁止、株式市場も閉鎖(経済活動停止)などですから、事実上戒厳令を布いているようです。
強大な軍事力や公安警察の威力を国民や諸外国に誇示すればするほど、それほどまでに国民が怖い・国民の支持を受けていないことの自認行為であり、諸外国に対しては、今後紳士的交渉・正義の基準に基づくよりは、武力で威嚇して行く方針を明示したことになります。
これでは株式下落の催促に対して市場開放・・透明な社会にして信任を得る努力よりは、市場経済化促進よりは規制強化・・対外不信に対しては武断政治の強化と言う意思表示になります。
自由な経済活動を認めない・・正義に基づく話し合い解決よりは武力による世界から孤立する覚悟・・開き直りを誇示したことになります。
ヤクザ組織じゃあるまいに、力を正面に出して行く意思表示が国益上マイナスになる・・いよいよ国際資本が逃げるでしょうから、冷静な判断が出来なくなっているか生まれが出たと言うべきでしょう。
国内経済も軍事パレードにかこつけて周辺工場や商店を操業停止させたり株式市場閉鎖していれば、当面株式相場の下落を防げるでしょうが・・式典が終わって再開したときどうなるのやら・・却って怖いでしょう。
経済活動の隅々まで剥き出しの規制強化せざるを得なくなったのは、経済面でも限界が来ていることを表しています。
これが尻抜け状態になると・・この面でも権威失墜です。
政府高官自体がいつ失脚するか知れないので、安全のために裏社会を利用して国外に資産を隠し、家族を逃がしている「裸官」と言われている社会です。
隅から隅までお互いを信頼せずにルールも国法よりも入り乱れたヤミの掟で動いている社会では、人間も相互に信頼する習慣が途絶えています。
中国では、愛国心などかけらもない・・一族のみが頼りと言われています。
猜疑心が渦巻く・・荒廃した人心関係で秦漢以来約2000年も経過しているので、これをマトモな心に戻すのは至難です。
表向きは誰でも簡単に改心出来ますが、心の底から癒し真人間に復元するには、心を傷つけられ続けた時間に比例した長期間を要するでしょう。
始皇帝以来の2000年以上にわたる専制支配下で生きて来た人民が、生き残るために法網をくぐることに精出して来た民族性のままで、世界進出するようになると世界秩序の撹乱要因になっていることを、2015/08/06「秩序破壊と社会の停滞・退化1」以下で書いてきました。

民意を反映する政治(任期の短さ)

我が国は古代から季節の微妙な移ろいに感じては歌を詠み、(たとえば「秋来ぬと目にはサヤカに見えねども、風の音にぞ驚かれぬる」中高校生時代のうろ覚えの記憶ですので間違いがあるも知れません)日々の温度差によって衣類(色柄までも)や食事内容を変えて行く、日々調整している社会ですからコマメな変化に対応する文化が根付いています。
フランス革命を自慢すること自体民意無視政治が長過ぎた・恥ずかしいことだと言う意見をこのコラムで書いてきましたが、日本では気配り社会ですから革命が起きるほど民意の不満が蓄積するまで放置することはありません。
赤ちゃんが泣く前におむつを取り替えたりミルクをやったりするのが日本の母親です。
ボトムアップ社会ですから、指導者が引っ張る必要もないし、無理に引っ張れば不満が出ます・・ヒーローも必要がありません。
松平定信の改革が国民の不満が強く短期間でお役御免になったり、天保の改革の水野忠邦も同様でした。
民主主義と言う大げさな観念のない徳川時代でも、実際の政権担当者・老中(若年寄りも合議に参加すること以前紹介しました)構成員・今の内閣に似た合議体ですが、概ね数年前後で順次変わって行く社会でした。
歴史上有名な、新井白石(正徳の治・・1710年の正徳元年〜1716年吉宗就任まで)や田沼(明和4年(1767年)から天明6年(1786年)まで20年間・寛政改革の松平定信(1787年から1793年)や天保改革の水野忠邦(1841年(天保12年〜14年)政権時代と言っても、そんなに長くありません。
田沼政権は家柄出身(紀州徳川家足軽出身)でもないのに、20年も長期政権を維持出来たのは、出自の故に?気配りが利いて民心の機微を察知してその都度軌道修正する柔軟性があったからかも知れません。
田沼の失脚は(将軍死亡で失脚ですが実態は)天明の大飢饉等気象状態悪化によるものでしたが、凶作対策は一朝一夕の政策変更でどうなるものでもないので、(たとえば寒冷化に強い稲の品種改良等には長期間を要します)彼の失脚を狙う勢力に負けてしまったと言えます。
次の改革者松平定信は、自分の領内で飢饉用に食糧備蓄していた功績を買われたもので、現在の財務官僚好みなので、歴史教育ではこれを大きく取り上げて、積極政策をして来た田沼の悪口ばかりですが、定信のやったことは結局、倹約・・財務官僚やIMF官僚の好きな緊縮政策だけです。
質素倹約を訴えるだけなら誰でも出来ます。
庶民生活が発達している我が国では、彼の緊縮一点張り政策は庶民生活窮屈さ(派手な衣類からお歌舞伎や書籍出版まであらゆる分野で禁止して・戯作者を手鎖の刑にした)や経済不振に直結しますので、民意の支持を失ってすぐに失脚しました・田沼のような軽輩出身ではない将軍家の血筋そのものであっても無理が出来ない社会・・民意重視社会であったことが分ります。
※「白河の清きに魚は住みかねてむかし濁れる田沼恋しき」とか「世の中に蚊ほどうるさきものはなし、文武文武(ブンブブンブ)と夜も寝られず」などの政権批判が多く出たのは彼のときです。
以前から秀才にはロクなものがいないと言うのが私の持論(私自身秀才でないのでやっかみもあります)であちこちに書いてきましたが、定信は超エリートの田安家出身で若いころから秀才の誉れ高いホープでしたが、秀才は書籍で得た知識中心ですから、財務官僚好みの「贅沢は敵」程度の簡単ロジックを深く学んだ程度の能力はあるでしょうが、自己創造性の必要な政治家向きではないことが分ります。
政治家の任期に戻りますと、田沼時代を除けば、戦後の最長不倒政権と言われる佐藤栄作で8年、中曽根、小泉政権でもせいぜい5〜6年前後しかないのと似ています。
マスコミや文化人から(暗黒の)非民主時代と非難されている明治憲法下・・戦前の内閣ではもっと政権は短命でした。
以下歴代内各年表を見ておきましょう。
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/hirosilk/naikaku.htmからのコピーですが、ふりがなその他の主な出来事に付いては一部省略しています。
第1代  伊藤 博文   1885-1888   内閣制度発足
第2代  黒田 清隆   1888-1889   大日本帝国憲法発布
第3代  山県 有朋   1899-1891  
第4代  松方 正義   1891-1892  
第5代  伊藤 博文   1892-1896  第2次
第6代  松方 正義   1896-1898  第2次
第7代  伊藤 博文   1898-1898  第3次
第8代  大隈 重信  1898-1898  第1次
第9代  山県 有朋  1898-1900  第2次
第10代  伊藤 博文   1900-1901  第4次
第11代  桂 太郎   1901-1906   第1次
第12代  西園寺公望    1906-1908   第1次
第13代  桂 太郎      1908-1911 第2次
第14代  西園寺公望   1911-1912  第2次
第15代  桂 太郎     1912-1913  第3次  
第16代  山本権兵衛   1913-1914  
第17代  大隈 重信      1914-1916  第2次
第18代  寺内 正毅    1916-1918
第19代  原 敬       1918-1921
第20代  高橋 是清    1921-1922  
第21代  加藤 友三郎  1922-1923
第22代   山本 権兵衛    1923-1924 第2次
第23代   清浦 奎吾    1924-1924
第24代  加藤 高明     1924-1926
第25代  若槻 礼次郎   1926-1927 第1次
第26代   田中 義一    1927-1929
第27代  浜口 雄幸     1929-1931
第28代  若槻 礼次郎      1931-1931 第2次
第29代  犬養 毅      1931-1932
第30代  斎藤 実      1932-1934
第31代  岡田 啓介     1934-1936
第32代   広田 弘毅    1936-1937
第33代  林 銑十郎      1937-1937
第34代 近衞 文麿    1937-1939 第1次
第35代  平沼 騏一郎    1939-1939
第36代  阿部 信行    1939-1940
第37代  米内 光政    1940-1940
第38代  近衞 文麿    1940-1941 第2次
第39代   近衞 文麿     1940-1941 第3次
第40代   東條 英機     1941-1944
第41代   小磯 国昭     1944-1945
第42代   鈴木 貫太郎  1945-1945
第43代   東久邇宮 稔彦王  1945-1945 降伏調印

第44代 幣原 喜重郎   1945-1946
第45代 吉田 茂      1946-1947 第1次 日本国憲法の公布
第46代 片山 哲    1947-1948
第47代 芦田 均    1948-1948
第48代 吉田 茂   1948-1949
第49代 吉田 茂   1949-1952   第3次
第50代 吉田 茂   1952-1953  第4次
第51代 吉田 茂    1953-1954 第5次
第52代 鳩山 一郎  1954-1955   第1次
第53代 鳩山 一郎  1955-1955  第2次
第54代 鳩山 一郎  1955-1956 第3次
第55代 石橋 湛山  1956-1957
第56代 岸 信介  1957-1958  第1次
第57代 岸 信介  1958-1960  第2次
第58代 池田 勇人 1960-1960 第1次
第59代 池田 勇人 1960-1963 第2次
第60代 池田 勇人   1963-1964  第3次
第61代 佐藤 栄作 1964-1967 第1次
第62代 佐藤 栄作   1967-1970 第2次
第63代 佐藤 栄作   1970-1972 第3次
第64代 田中 角栄 1972-1972 第1次
第65代 田中 角栄 1972-1974 第2次
第66代 三木 武夫 1974-1976
第67代 福田 赳夫    1976-1978
第68代 大平 正芳 1978-1979 第1次
第69代 大平 正芳  1979-1980 第2次
第70代 鈴木 善幸 1980-1982
第71代 中曽根 康弘 1982-1983 第1次
第72代 中曽根 康弘 1983-1986 第2次
第73代 中曽根 康弘 1986-1987 第3次
第74代 竹下 登 1987-1989
第75代 宇野 宗佑 1989-1989
第76代 海部 俊樹 1989-1990 第1次
第77代 海部 俊樹 1990-1991 第2次
第78代 宮澤 喜一 1991-1993
第79代 細川 護煕 1993-1994
第80代 羽田 孜 1994-1994
第81代 村山 富市 1994-1996
第82代 橋本 龍太郎 1996-1996 第1次
第83代 橋本 龍太郎 1996-1998 第2次
第84代 小渕 恵三 1998-2000
第85代 森 喜朗 2000-2000 第1次
第86代 森 喜朗 2000-2001 第2次
第87代 小泉 純一郎 2001-2003 第1次
第88代 小泉 純一郎 2003-2005 第2次
第89代 小泉 純一郎 2005-2006 第3次
第90代 安倍 晋三 2006-2007 第1次
第91代 福田 康夫 2007-2008
第92代 麻生 太郎 2008-2009
第93代 鳩山由紀夫 2009-2010
第94代 菅 直人 2010-2011
第95代 野田 佳彦 2011-2012
第96代 安倍 晋三 2012-2014 第2次
第97代 安倍 晋三 2014~ 第3次

歴史上有名な道長のような長期政権を除いては、古代から2〜3年で入れ替わって行くのが我が国での原則的形態です。
江戸時代老中の在職期間表もありますが、これを引用すると膨大過ぎるので省略しますが、関心のある方は以下のデータをクリックしてご覧下さい。
http://www.nagai-bunko.com/shuushien/rekidai/rouju.htm
老中は今の国務大臣みたいなものですから、在職年数が仮に10年あってもその間ずっと首座(指導権)にあったことにはなりません。
老中は概ね4〜5人で構成していて、首座は先任者がなるので、結局は2〜3年交代であったと思われます。

日弁連と政治8(弁護士自治破壊リスク5)

弁護士会執行部の行動があまり行き過ぎると(今行き過ぎていると言う意見を書いているのではなく徐々に行き過ぎるようになると・・と言う仮定の議論です・)・・独占のない健全な市場競争下では、不買・客離れに発展するのと同様に、多数派の横暴に対して脱退気運が盛り上がって来るので、脱退を防ぐために相応の抑制機能が働きますが、(弁護士である限り)脱退が法的に禁止されていると、この最後のブレーキが利きません。
言わば、1党独裁体制下に国民を縛り付けている国家の国民同様になります。
権力規制=裁判では政治活動の是非が不問にされるとしても、政治活動が活発になり過ぎると世間からの批判も起きて来るでしょうし、こういうことが続くと会の公式意見と合わないグループが、会・組織とは別の独自組織・・「◯◯を考える会、◯◯を実現する会」を作る動きが出てくるのが普通です。
この辺が第二組合が出来難い・・いやなら脱退すれば良いし、新規加入が減って行く一般の労働組合や同好会とは違う点でしょう。
少数意見者がグループ結成をするようになると、会の政治運動を牛耳っているグループが強制的に徴収した会費を利用して政治運動しているのに対して、少数意見グループは自費で運動しなければならない・コスト負担の不利益がある上に、自分たちの思想に合わないどころか、自分の意見に対する反対運動のために自分の納付したお金を使われることに納得出来なくなりますので、会費納入に抵抗するようになります。
会費納入に抵抗して会費を払わないと懲戒処分を受けることから、反対運動するしか方法がありません。
強制加入団体とは、会費強制徴収権・・国の場合税金徴収権・・があることと同義であることが分ります。
租税滞納程度では国外追放されませんが・・弁護士の場合、会員資格=弁護士資格がなくなる点で大きな違いがあります。
・・いくら反対運動しても少数派である限り否決されますが、その運動の広がりに反応して多数派が政治活動を自制するようになれば大人の関係です。
「いくら反対しても否決すれば良いのだ」と言う強硬な姿勢を多数派が貫くと、少数派は我慢出来なくなって、外部勢力に頼ることになって来る→外部政治勢力を巻き込んで強制加入方式の否定論=法改正論の盛り上がりへつながり、弁護士自治弱体化に繋がる危険があります。
これが諸外国で国外勢力の応援を得て頻発する反政府運動・内戦やゲリラ・テロ活動の図式です。
政権が強行策をとれば取るほどテロが激化するのはこのためですが、我が国では、古代から敗者の言い分を良く聞く社会ですからこんな大人げないことになったことはありませんし、(明治維新も外国勢力の介入を防いで解決しました)まして弁護士会は大人の集まりの筈です。
ただ、モノゴトには作用反作用の関係があって、世論が特定思考様式を受入れなくなるとこの支持者が世論に歩み寄れば良いのですが、危機感から従来より一層主張が先鋭化し、活発化して行く傾向がありますから要注意です。
(妥協しない人材だけ残って柔軟タイプが脱落して行くのかな?)
政治活動が許されるかの議論の1つとして、政治活動の程度問題があります。
会費を使い、会の名で行動する程度であって、「集会や街頭行動等への参加強制しないのだから・受忍限度じゃないか」と言うのも、程度問題の一種でしょう。
ただ弁護士大量増員によって収入レベルが下がって来て、高齢者会員その他会費負担のウエートが上って来る時代には、参加強制しないで「会費を使うくらい良いじゃないか」とは言えない時代が近いうちに来ると思います。
大きく分類すれば、執行部意見に賛成するグループと反対するグループが両端にあって、意見は是是非で右でも左でも、どちらに使おうとも構わない人から、政治運動するための会費を払うのはイヤだと言うグループ(会費値下げ要求)の4つに分かれるのでしょうか?
この先弁護士の収入減少が続き、世知辛くなる一方とすれば、「会費の使い方などどうでもいいや」と言う中間層が減って行くように思われます。
他方で世論の傾向に反発する最後のよりどころとして政治運動を活発化して行くと中間層の反発も大きくなります。
行き着くところ「強制加入制を撤廃すべきだ」と言う意見、またはどこかの会に加入するべきだと言う強制加入制を残すならば、府県ごとに1つしかないのではなく、「一定数が集まればいくつでも府県内に自由に設立出来るようにしろ」と言う政治家を巻き込んだ運動が出て来るでしょう。
あるいは「関東のどこの会に入っても良いようにしてくれ」と言う案も選択肢になります。
国政選挙では今の県単位選挙区割りが合理性を失っているように、都道府県別に1つの単位会を強制するのは実態に合わなくなって来たように思われます。
私が弁護士になったときに千葉県弁護士会の会員数は90人台から漸く100人突破したものですが、今では750人弱になっています。
もっと地方の県では当時数十人規模が普通でしたし、今でも100人前後から未満の県がいくつもあります。
まして弁護士法が出来た戦後直後には千葉県全部で数十人いたかいないかだった時代でしょうから、こう言う時代には、自治と言っても一定規模がないと自治能力に疑問符が付くし、5〜6人規模の会が乱立すると発言力がなくなる心配があったでしょう。
何人規模以上が必要かの議論よりは、県単位と言う切り方が問題解決に合理的だったと思われます。

日弁連と政治7(弁護士自治破壊リスク4)

日弁連や単位会が裁判所(権力)の自己抑制を良いことにして、政府のお墨付きがあるかのように振る舞うのは間違いです。
政府権力は弁護士会に自治権があるから何をしても良いと言うのではなく、自治権がなくてもマスコミにむやみに干渉しません・家庭に法律は滅多に入りませんし・いろんな場面で謙抑的行動するのが権力と言うものです。
これを逆用して際限なく・自制心なく特定勢力に偏った政治活動をするようになって来ると、少数意見弁護士には不満がたまってきます。
少数意見だから無視すれば良いと言うスタンスで、しかも強制加入のために脱退する自由がない・・一種の独裁政権にとらわれている国民のような関係です。
独裁政治がイヤなら国民は国外逃亡すれば良いと言われても、仕事を棄てて海外逃亡すれば生活苦が待っているので、国外逃亡出来る人は滅多にいませんし、弁護士も弁護士会の政治意見とあわないならばやめたら良いだろうと言われても、イキナリ別の仕事で食って行ける人は滅多にいません。
独裁政権が専断政治を続けると、海外逃亡よりは政権打倒運動が起きて来るように、弁護士内部から弁護士自治はいらないとは言わないまでも・・分派活動が出て来るリスクがないかの心配をしています。
町内会で言えば、会長や役員が暴走すれば会費を払わなくなるでしょうが、会費の強制徴収方式はこのような暴走を阻止し難い性質を持っている点が、制度的弱点です。
2015-2-6「マスコミの役割・・情報紹介業3」で民放と違いNHKの場合、強制徴収権があるのでブレーキが利き難いと書いたのと同じ現象です。
そもそも強制徴収制度・強制加入制度が何故あるかと言えば、戦後イキナリ弁護士自治制度・・権力の干渉を許さない制度を創設しても強制加入性にしないと分裂を繰り返して組織を維持出来なくなる可能性がある・・一種の補助的制度だったと思われます。
アラブの春以降書いてきましたが、民主主義と言い、言論の自由があればうまく行くとは限らない・・新興国では国民レベル・能力に応じて民主化して行く必要があると何回も書いてきました。
チトーやリークアンユーその他大政治家があってまとまって来た国々がいくらもあるのです。
自治を守るための会費強制徴収権が、(不満な人が会費を払わない・・抵抗する権利を封じていることから・・脱退による対外的分派行動を起こせない面では、組織維持にはいいことですが・)逆に会内民主主義・一体感を阻害してしまうリスクになりかねません。
民主主義とは多数決で良いのだから多数派が何に金を使おうと勝手だと言う意見もあるでしょうが、究極の自由な意見開陳権はイザとなれば脱退の自由があってこそ保障されるものです。 
どんな組織でも、あまり脱退が簡単ですと離合集散ばかりではやって行けないので一定の絞りが必要ですが、要はどの程度の絞りが妥当かと言う問題になってきます。
(世の中の組織で・・夫婦でさえ離婚権があります・・完全否定は弁護士会くらいではないでしょうか?)
政党の場合、脱退は法的には自由としても、選挙資金上の不利を乗り越えなければならない・・(政党交付金の比重が上がっているので基準日をにらんだ年末の分裂・新党結成が普通になっています・・外に、国民の支持を受けない脱退は次の選挙で落ちてしまう洗礼が待っているので簡単には脱退・分派行動が出来ません。
この点株式会社の場合、お金目的で集まっただけの組織ですから、企業経営方針が気に入らなければ、上場企業の場合、自己保有株式を市場で売り払えば良いし、譲渡禁止会社の場合でも、会社に対して適正価格での買い取り請求を出来ます。

会社法(平成十七年七月二十六日法律第八十六号)

(反対株主の株式買取請求)
第116条 次の各号に掲げる場合には、反対株主は、株式会社に対し、自己の有する当該各号に定める株式を公正な価格で買い取ることを請求することができる。
一 その発行する全部の株式の内容として第107条第1項第1号に掲げる事項についての定めを設ける定款の変更をする場合 全部の株式
二 ある種類の株式の内容として第108条第1項第4号又は第7号に掲げる事項についての定めを設ける定款の変更をする場合 第111条第2項各号に規定する株式
三 以下省略

日弁連と政治6(弁護士自治破壊リスク3)

、加入脱退自由でも労組を例にして硬直すると問題があることを書いてきましたが、強制加入団体の弁護士会が、特定思想に基づく運動するようになると脱退・逃げる自由すらもないのでさらに弊害が大きくなります。
弁護士会は強制加入団体と言って、弁護士をやるからには道府県ごとに1つしかない(東京に限り3つの会がありますが・・)会に加入しないと弁護士の仕事を出来ないのですから、思想や心情・意見が違うからと言って、弁護士をやめない限り脱退の自由がありません。
教師や医師は教組や医師会に加入しなくとも教師や医師を続けられますが、弁護士にはその自由すらないのです。
退会して弁護士業をすると刑事処罰されます。

弁護士法
昭和24・6・10・法律205号  

弁護士の登録)
第8条 弁護士となるには、日本弁護士連合会に備えた弁護士名簿に登録されなければならない。
非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止)
第七十二条  弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、異議申立て、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない。ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。
(非弁護士との提携等の罪)
第七十七条  次の各号のいずれかに該当する者は、二年以下の懲役又は三百万円以下の罰金に処する。
一  第二十七条(第三十条の二十一において準用する場合を含む。)の規定に違反した者
二  第二十八条(第三十条の二十一において準用する場合を含む。)の規定に違反した者
三  第七十二条の規定に違反した者
四  第七十三条の規定に違反した者

弁護士会の組織活動が自分の意見にあわないときには、弁護士会の活動に参加しなければ良いのだからそれでいいじゃないかと言う人もいるでしょう。
大学自治会が革マル派・中核派などに占拠されていても、イヤならば自治会活動に無縁でいれば良いと言う消極的抵抗と同じやり方の推奨でしょうか?
親としては息子がまじめに勉強してれば良いのと同じで、弁護士会活動しなくとも受任事件さえまじめにこなしていれば良いじゃないかと言う動きです。
弁護士会と政治運動に関する高裁判例を2014-10-30「弁護士会の政治活動4」で紹介しました。
日弁連が自治権の濫用またはすれすれの行為をしても、裁判例としては大幅な逸脱がない限り自治権に介入出来ないと言う抑制的判断が続くと思われます。
「非政治組織(日弁連)と政治6」Mar 28, 2015で書いたとおり、弁護士会に自治権があろうとなかろうと日本の政府はもともとそう言うものです。
日本の歴史と西洋や中国の歴史とは違いますので、西洋や中国の歴史を持って来てすぐに弾圧がどうのと言う左翼文化人的議論は、日本の歴史実態とはあっていません。
こう言う日本の政府の成り立ちを考えると、どこまで許されるかを(本来内部自治で決めるべきことですから)裁判(国家権力)で白黒つけるのは無理と思われれます。
取材に応じた台湾原住民の意向とは違った形で放映されたというNHK相手の裁判に関連して少し書きましたが、何でも裁判に持ち込んでそこで白黒を付けようとするのは、無理があります。
2月21日に書いたように、その限界は自分達で決めて行くべきであって、裁判所が原則として口出しするべきことではありません。

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