単純政治の限界・・2項対立4

尖閣諸島問題はマスコミは油田だけが問題であるかのように矮小化して報道していましたが、(日本が開発する予定もない油田のために争う必要がないかのようなイメージ操作)このコラムで数年前に書きましたが、尖閣諸島に中国の基地が出来ると台湾の安全に直撃しますし、太平洋への出口確保によって、アメリカの軍事戦略にも大きな影響が出ます。
日本の通商路の真ん中に(尖閣諸島と南シナ海の2カ所)中国の基地が出来ると、中国が気に入らないことがあるとレアアースのように国際法上許された軍事演習その他の名目で一定期間(半年間)通行止めなどと反日活動に利用されると日本の死活問題になります。
通商路だけですと終着点の日本と台湾しか被害がありませんが、アメリカの世界戦略に関係siアメリカに利害があると思うか否かです。
日本一国だけでの反対・・1対1の交渉に持ち込むよりは、味方を増やした方が有利に決まっている・・これが安倍外交の基本であり、トランプ政権に対して真っ先に必要としていた日本の説明行為でした。
日本の死活的利害を無視して、先ずはトランプ氏の入国制限を批判すべきだと言う人は、尖閣諸島〜日本の通商路確保についてどのように考えているのでしょうか?
いわゆる非武装平和論の延長論・・中国の言いなりになっていればそんなことは起きない・・心配がいらないと言うことでしょうか?
ところが、中国に媚び諂って大規模訪中団を率いて行った民主党政権下で尖閣諸島問題が起きたのです。
朴クネ政権が中国にすり寄った結果完全属国になったとみるや、韓国に対する露骨な圧力・お仕置き?でも分るように、相手がへりくだれば遠慮なく強権支配するクニです。
スローガン政治と利害の幅に戻しますと、鳩山民主党の「少なくとも県外へ」と言うスローガンは分りよかったのですが、この実現には日本全国の都道府県やアメリカまで巻き込む複雑な政治が必要なので、実現不能が明らかになって失敗しました。
国内外を問わず政治テーマが中核テーマに近づけば近づくほど、利害関係者が増える→強い者に有利な1対1の交渉では解決できなくなります。
中国は合従連衡の故事から弱い相手には1対1の交渉に持ち込むのが外交の基本方針です。
尖閣諸島周辺海域・・排他的経済水域で油田掘削だけの場合、日本一国だけの利害なので世界のどこも味方になってくれませんでしたので日本の抗議を無視してやりたい放題でした。
ところが、尖閣諸島の領有主張や南シナ海での埋め立て基地化まで進むと、利害国を多くしてしまったのでフィリッピンだけ抱き込んでも済まなくなったのが誤算です。
国際司法裁判所でどこの国の領海でもない・・礁は島ではない=どこの領海でもない「公海」であると言う判決になったのは大きな実績でした。
公海となれば、中国がフィリッピンだけ脅しスカして抱き込んでも日本の通行を妨害出来ませんし、国際秩序に関心を持つ欧米を巻き込む下地が出来ました。
この成果が昨年のイギリス戦闘機の南シナ海飛行であり、フランスのパトロール表明に繋がったのです。
トランプ氏の極端なスローガンの実施でも、メキシコ国境の壁構築実施だけならば利害国はメキシコだけですし、国境線のパトロールの目をくぐって密入国して来るのは底辺労働者中心なので国内利害関係業界が多くない上に、反対意見表明し難い闇ブロ−カー中心ですから政治利害的には実行可能です。
ところが、壁建設には金がかかる→国内的には予算・議会の根回しが必要なので特定分野に巨額資金をとると他分野の予算が減る・・利害関係者が増加します・・実務的にハードルが高まる難点があります。
そこで、予算不要で大統領令一本で直ぐ実行出来る入国禁止令の実施に踏み込んだのでしょうが、詰めが甘過ぎて(じっくり条件を詰めて修正すれば違憲非難を免れる可能性があります)これは国内多方面に影響のある大きなテーマです。
IT業界だけではなく産業界も横断的に影響がありますし、いわゆるグロ−バリストの格好の反撃材料になった上に人権活動家も頑張ります・・中国の南シナ海の埋め立て同様に問題が大きくなり過ぎて多角的な分野から反発を受けることになりました。
トランプ氏の公約?脅かしの高関税率の適用も、クルマなど国外との競争に曝されている業界には高関税は朗報ですが、国内消費直結系業者は輸入品が減るし高くなるのは困るので反対派です。
時間の経過で消費者・庶民も物価上昇反対に流れるでしょうから、格差反対論でトランプ氏を支持していた低所得階層の支持が崩壊・逆転します。
このように強国だから・あるいは権力を持てば何でも出来るとように見えても、単純強行策を続けると国内がいろんな分野で二極分化して行きます。
ここで昨年から書いていた「政府と国民5」2項対立主義の続きに戻ります。
May 5, 2016, 国「政府と国民5(2項対立3)」で2項対立的白黒思考の浅薄さについて書いている内に資源大国と消費力のテーマに入って行き、長い間話題がそれてしまいましたがトランプ政権誕生に関連して眠っていた原稿の再開・・続きです。
アメリカでも2択的・・煽動的演説で政権を決めるのではなく落ち着いて考えたい人が増えて来ている筈ですが、マスコミ戦略的には白黒・単純化の方がインパクトが強いので、そればかり強調する傾向があってじっくり型の意見はなかなか表に出ません。
サイレントマジョリテイーの重要性については連載中で中断していますが、その内再開します。
複雑微妙な色合いの美術品を見せて、「白の絵か黒の絵かどらかを答えろ」と言われると絵画を良く理解している人ほど答えに窮するでしょう・・。
答えられない人に対してシロか黒かの色の区別も知らない・・区別も分らないバカだと言っているような思考形式が2項対立的意見を言う人です。
質問者のレベルが低過ぎることに困惑している人がいると言う自覚すら出来ていないのです。
自民党はドブ板選挙が得意と批判されていましたが、膝詰めの接触は2択的スローガン連呼の演説では表現し切れない機微を説明する方法とみれば合理的です。
地震災害等は政府だけでなく国民が先に困るし、不景気になれば政府の失策と非難出来るかも知れませんが、何よりも自分・国民自身が困ります。
航空機名簿に限らず災害弱者・・独居高齢者情報は言うに及ばず倒壊したアパートにどう言う人が何人いたかの情報もその後の救出活動に必須ですから、プライバシー侵害と叫んでいれば良いものではありません。
政府と人民の二項対立・・政府を抑圧組織として単純化してみる立場によれば、抑圧手段に利用されるリスクがあるので、政府保有情報はデタラメ・・当てにならない方が良いし、政府のやることなすこと失敗だらけの方が良いのでしょうか。
日本を外国が侵略するのは国民解放のためだから日本国民にとって良いことだし、日本国政府に慰安婦その他で賠償させたり謝らせる運動・・あるいは国連に出掛けて行って、「日本には報道表現の自由がない」と批判する決議を画策するのは政府批判であって、「ニッポン民族に対する攻撃にはならない」と心の中で器用に切り分けて理解しているように見えます。複雑な現象をシロかクロ程度に単純化してみれば、大して頭を使わなくて済み・複雑な利害調整もいらないで省エネでいいでしょう。
余程頭が良くないとこのような切り分けが出来ませんが・・日本人の多くは複雑思考ですし、政府とニッポン民族の一体感が普通ですからこのような切り分け論にはついて行けない人が多い・・「頭の良い人の言うことはよく分らない」と言う形で黙って聞いていると思います。
日本人は面と向かって反対しません・・大人げないからです。

民族の正義→外国人の政治活動2

日本人が外国の思想や商慣習等を紹介して民族意識の変革を試みるのは、国家発展に必要なことであり当然許された行為ですが、民族の共通価値観を外国人が自国主張に従わせるために、他国の国論を変えて行こうとしてそのクニで政治運動をするのは邪道でしょう。
まして日中韓で厳しく対立している南京虐殺や安婦問題等で中韓の主張を後押しするためのデモを日本でするのは論外です。
在日中国人が反日デモ行動した事実は、彼らが更新許可申請したとき、あるいは再入国許可申請したときには日本政府は国際ルールである相互主義も勘案して、(中国は政府基本方針に反する政治活動の自由を自国民にすら認めていないし、ましてや日本人に認めていません)裁量権の範囲内として毅然とした態度を示すべきでしょう。
中国人のデモ参加者は在留許可更新拒否を恐れて?ほぼ全員がマスク等で顔を覆って・・デモを始めると横断幕をぐるっとデモ隊の周囲に掲げて参加者の顔が道路から見えないように終始覆って参加していました。
彼らは日本人が気に入らないことを自覚してやっている・・嫌がらせのためにデモしていたのでしょうか。
相手に悪感情を抱いていても相手に知られないようにするのが普通・だから陰口で本音が漏れるのですが、韓国や中国は日本に嫌われるため明からさまな行動をする変なクニです。
昨日紹介した憲法学者の論文の内「入国の自由」に対する主権国家論については、トランプ氏の入国禁止令の根拠にもなっている点は、2月4日に紹介しました。
アメリカの入国禁止令に関する訴訟関係(・・請求側の主張自体が全く報道されないこともあって)の報道が散発的でよく分らないままでしたが、日々実態が明らかになって来ています。
2月11日日経朝刊報道によると、高裁の決定?では差し止めの可否に関する判断だけであって大統領令が違憲か否かがテーマになっていないような解説です。
入国禁止によってどう言う被害が出ているか・緊急差し止めが必要かどうかの攻防であったと言うのですが、企業がどれだけ困っているか・・政治効果の是非そのものを司法が最終決定出来るのでは三権分立の原理に反している可能性があります。
トランプ氏の「司法が政治的過ぎる」との批判が、三権分立の原理を無視した行き過ぎで非常識と言うのがマスコミの大きな報道姿勢ですが、現在の司法審査が政治が決めるべき分野を審査しているとすれば、トランプ氏主張の方が合理的印象をうけます。
ただ、昨日紹介したマクリーン判決の応用として入国禁止判断裁量権が行政府にあるとしても、判断材料となった政治活動をしたか否かの事実認定は司法審査の対象ですから、この法理を当てはめるとトランプ政権が緊急に入国禁止しなければならないと判断した前提事実・・その前提たるテロ発生リスクがあるとする判断資料の有無等の事実認定は司法審査の対象です。
我が国でも司法が政治に口出し過ぎていると言う批判がありますので、原発稼働停止に関する大津地裁の仮処分に関連して16年11月12日の「司法権の限界16・謙抑性4(民主主義の基礎1)まで書いていたところですが・・具体的審査次第・・立証責任に即してどうだったのかの検証・・私なりの解釈に入りかけて横道にそれていますので、近日中にこの続きとして割り込ませる予定です。
ただし、日本の場合大統領令のような制度がなく、行政権が法を変えられないので法の適用の有効性がテーマですからこの種議論が妥当しますが、アメリカの場合後から出来た大統領令が既存法に優先するとした場合、憲法に外国人の入国自由を書いていないとすれば、既存法の解釈で入国禁止の必要性を審査出来ない筈です。
報道による限り一般的な裁量の違法適法の判断を争っているように見えるので、もしかしたらアメリカ合衆国憲法に外国人にも入国の自由権みたいな規定があって例外的に国防上その他の自由があるときだけ制限出来ると言う憲法上の権利があるのかも知れません。
あるいは大統領令が法と同等の効力がある(ウイキペデイア解説なので正確性が不明)としても、一種の戒厳令みたいな緊急事態に備えてそう言う権能が認められているだけとすれば、緊急性がなければ無効と言う解釈もあり得ます。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakaokanozomu/20170210-00067544/トランプの研究(6):控訴裁判所での大統領令を巡る訴訟でトランプ大統領敗北、トランプ政権に大きな打撃
によると高裁の仕組みなど詳しく紹介されています。
また口頭弁論のやり取りの要約?の外「判決全文」として紹介されていますが、憲法のどの条項に反するか、大統領令の法的値位置づけなど法律家として関心のある点が漏れていますから「全文」ではないように見えます。
ただし、大統領令は仮に憲法で禁止している宗教差別に当たるかどうか、その有無認定のために・7カ国出身者のテロ行為が過去にあったのかなどがテーマになったとすれば、審査対象にした(政治判断分野ではない)合理性がありそうです。
憲法による外国人の入国権があるのか、緊急事態外には大統領令の効力がないのか等はっきりしないままですが、緊急性があれば憲法で許される範囲あるいは緊急事態がないと入国制限が出来ないことになりますので、その前提で念のため現在(報道による限り)行なわれているらしい訴訟の争点・・裁量の許される範囲の議論を書いておきます。
新たな入国基準策定までの臨時処置として6ヶ月間入国禁止すると言う大統領令の有効性判断には、7カ国の人に対して従来どおりの入国基準による入国を禁止しないとテロ発生リスクが高い・・差し迫った危険があると言う・・ある程度の証明が必要になります。
このリスク発生率が低いと禁止による損害とのバランス次第で行政権に認められた裁量を逸脱していることになります。
大きな被害防止のためにより小さな被害発生を我慢する・・ワクチン接種や崖崩れの危険があるときの規制など)のが物事の原則(比例の原則)です。
大きな被害発生の可能性が高い場合に、警察が緊急通行止めをするのは(迂回しなければならない損害があっても)合理的ですし、裁量の逸脱となりませんが、何ら危険もないのに(警察のスケート大会などに利用したいために?)何かしたいために通行止めにしたとすれば、裁量権の乱用です。
公的目的であっても、必要性の程度に応じて通行止めが裁量の乱用かどうかが決って来ます。
今回は入国禁止するほどの必要性があったかどうかです。
指紋押捺を求める程度の厳重化程度だとこれによる弊害は少ないでしょうから弊害よりはそれによる実効性がどう代わるのかが論点でしょうが、特定国人全面入国禁止→宗教差別・弊害がすぐに分るので、余程リスク発生率の高さを証明しない限り、禁止令維持は苦しくなります。
上記のように順に争点整理・・分析して行くと、政府側に直ちに入国禁止しなければならないような緊急性・リスクの証明力が薄い場合には、緊急事態実行による損害の大きさが重要になって来る・・「悪影響の大きさに比べて・」そんなことまでする必要があるの?と言う意味で入国禁止の影響の大きさが重要な争点になって来たことになります。
本来の争点は危険発生可能性だったのですが、これの証明度が低いために禁止による兵弊害がどのくらいあるかが次の争点になって来たとすれば、政治問題を司法が論じていることにはなりません。
そうとすれば、政治的過ぎと言うトランプ氏の批判は、逆に司法権への介入批判となるのでしょう。
日本では政府に不利な判決が出ても、司法の判断を尊重すると繰り返すのは判決内容の分析によって意味が違って来るリスクがあるので、政治家は発言に慎重です。
南京事件に関する中国人デモに戻します。
日本人の場合でも南京事件に関する認識がホテルオーナーと違うならば、自分も相応の表現活動すれば良いことで、大勢で押し掛けて相手を黙らせるような示威運動をするのは表現の自由に反するルール違反ですし、まして中国人が自国政府主張を通すためによその国に来て政治運動するのは礼儀にも反しています。
留学生や研修生等が留学先の政治に反対して政治運動するのは、他社へ研修目的で派遣された社員が研修見習い先の企業運営に反対運動するようなものです。
間違っていると思うならばそんな研修を受けるために来なければ良いことです。
日本批判するためのデモをするような人を、政府補助金で留学させているとすれば、おかしなものです。
大分前に書きましたが、北京五輪時に長野で、反チベットデモのため中国人が5000人規模でバスで集まって傍若無人に振る舞った報道を見て驚きましたが、今回はユーチューブの映像を見るとさすがに日本で嫌中韓意識が高まっている中ですので、遠慮ガチと言うかコソコソとした伏し目がちのデモでした。
中国政府の強制で、断り切れない立場の人だけが集められたのでしょうが、可哀相な雰囲気でした。
ただし、可哀相とばかり言ってられない・・やってしまったことに対しては相応のマイナス報酬・・在留許可更新不許可や再入国拒否などの影響を受けるべきでしょう。
そうしないとドンドン反日デモ・反日運動するために中国政府の意を受けて入国して来る外国人が日本ではびこってしまいます。
正義の行なわれているクニかどうかに戻ります。
フィリッピンのドウテルテ大統領就任後「犯罪者を容赦なく射殺しろ」と言う政治実行で国際人権運動家を刺激していましたが,犯罪者がゴロゴロいる社会では、犯罪者の人権と被害者とどちらが大切かと言う限界状況で判断すべきです。
一種の社会的正当防衛状況では、人権保障手続きでは間に合わないから、「話し合いより実力行使あるのみ」と言うのも一理あります。
殺されても後で裁判してやるから安心しろと言われても困るので、自己防衛しかなくなります・・これがアメリカで銃規制出来ない理由です。
大分前に死刑廃止のクニでは、現場射殺が多いと書いたことがあります。

民族の正義=共同体意識→外国人の政治活動1

権力と言うのは目に見える範囲で威令が行き届けば良いのではない・・大統領の目に見えるところや大通りだけでなく,中くらいの通りや路地裏まで行き渡らないと安定権力とは言えません。
法・権力の信頼喪失は、即ち共同体帰属意識の喪失へ繋がり・・自己中心主義・・見つからなければ悪いことをしても良い気風・強い者勝ちになり・社会が混乱して行きます。
正義とは何か?と言えば、長年の民族経験で積み重ねて来た共同体維持ルールですから,正義の乱れる社会で共同体が良くなる筈がありません。
犯罪の多い社会・正義が乱れているアメリカは共同体意識が乱れているか、未成立・不十分社会と言うべきです。
日本のように共同体意識の堅固な社会では物理的権力空白時と言うべき敗戦直後でも治安が殆ど乱れませんでしたし、3、11大震災でも世界が驚いたように犯罪より助け合う方に向かいます。
敗戦直後の権力空白時にも、負けてしまったので助け合って挽回するしかないと言うのが普通の意識で、違法行為を働いたのが、共同体意識の薄い朝鮮人中心だったことがこれを示しています。
民族の窮迫時に朝鮮人が共同体敵視の行為を働いたトラウマが、未だに日本人に残っている・・これコソを朝鮮人が歴史教訓にすべきことです。
韓国人に対する日本人のトラウマと同様に、中国人もおかしな人たちです。
現在南京事件に対する日本側の反論書物をアパホテルにおいていることを中国政府が問題視したことが切っ掛けで?例によって中国政府主導らしい、在日中国人によるアパホテルに対する威嚇デモが企画された報道が出ています。
横断幕などを見るとさすがに南京事件を理由にする対日攻撃はありませんでしたが、南京事件否定の書籍をホテルにおいていることが(思想統制している中国ではあるまいし)自由な日本で何故行けないのか?
ソモソモ日本に来てまで反対運動される筋合いがない・・日本人としては不愉快に思う人の方が多いからでしょうから、表向きの横断幕を見ると「中日友好」「日本が好き」と言うようなのが目立ちました。
中日友好のために南京虐殺事件を批判的に紹介するアパホテルに対する業務妨害的デモを企画するのか不明です・・「中日友好」のためには中国政府が大々的宣伝している「南京大虐殺」の主張をそのまま認めるべきと言う一方的立場をデモの実施で示そうとしているように見えます。
中国は、自分は言論規制や各種規制で自由な経済政治行動を許さないままで、相手国には民主主義・自由主義国だから、何でも許されると言う論理で押し通す自分勝手な自由主義(ダンピング輸出など)を謳歌しています。
これをトランプ氏が激しく批判しているのです。
相互主義が国際ルールの基本ですが、黙っているといくらでも図々しく圧して来る国相手には、譲っても仕方ない・・国際ルールを厳しく適用すべきだと思う人が増えているのではないでしょうか?
反日の意図が見え透ぎ過ぎていて、日本人に不快感を与えるのが明らかなデモを中国や韓国の人が日本に来てワザワザやる感覚が日本人には理解不能です。
1昨年ころには終戦記念日には韓国人が来て靖国神社周辺で天皇陛下の顔写真か似顔絵だったかに竹槍を突き刺した形のデモ行進をしていましたが、彼らは日本人・社会に何を訴えてたくて来ているのか不思議な印象を持ちました。
マスコミが彼らを応援するために?報道するのを楽しみにしているかも知れませんが、デモって元々自己主張支持者を増やすためのアッピールとすれば日本人の反感を広げるためのデモって意味不明です。
昨年靖国神社に爆発物を仕掛けていた韓国人が再入国しようとして検挙されましたが、爆発させれば日本国民の支持が広がると思っていたとは思えません。
日本の支持を広げる目的ではなく、本国向けパフォーマンスと見るべきでしょう。
そう言う目で見ればここ10年前後が激しくなっていた外国人のデモは了解可能です。
シバキ隊と言う名称の慰安婦問題応援団のようなマスコミ別働隊デモをマスコミが報道していましたが、ソモソモ日本で何のためにデモしているのか不明のために誰も支持しない結果、最近は自然消滅状態です。
最近では沖縄に転進?していることが知られるようになりましたが、長距離進出するコスト・・彼らの出動資金をどこが出していたのかがニュース女子などで話題になって来て東京新聞などは・・社説でその種報道を否定するなど火消しに必死の様子です。
在日外国人も多様な意見があっても良いですが、中国政府主張に反する日本人の個人主張を圧迫するために政治運動するのは入管法の精神に反するものです。
いわゆるマクリーン判決をウイキペデイアで見ると如何にも政治活動の自由が保障されたかのような紹介ですが、(虚偽紹介と批判されない程度のすれすれ?と言う感じです)少し長くなりますが、判決要旨を最高裁自体のデータを引用してありのまま紹介しておきます。
外国人の政治活動の自由と在留許可更新に際しての裁量の範囲に関する最高裁判例要旨は以下のとおりです。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=53255
昭和50(行ツ)120 事件名 在留期間更新不許可処分取消
裁判年月日 昭和53年10月4日法廷名  最高裁判所大法廷
一 外国人は、憲法上、わが国に在留する権利ないし引き続き在留することを要求しうる権利を保障されていない。
二 出入国管理令二一条三項に基づく在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由の有無の判断は「法務大臣の裁量に任されているものであり、上陸拒否事由又は退去強制事由に準ずる事由に該当しない限り更新を不許可にすることが許されないものではない。
三 裁判所は、出入国管理令二一条三項に基づく法務大臣の在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由の有無の判断についてそれが違法となるかどうかを審査するにあたつては、右判断が法務大臣の裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうかについて審理し、それが認められる場合に限り、右判断が裁量権の範囲を超え又はその濫用があつたものとして違法であるとすることができる。
四 政治活動の自由に関する憲法の保障は、わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても及ぶ。
五 外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、在留の許否を決する国の裁量を拘束するまでの保障すなわち、在留期間中の憲法の基本的人権の保障を受ける行為を在留期間の更新の際に消極的な事情として斟酌されないことまでの保障を含むものではない。
六 上告人の本件活動は、外国人の在留期間中の政治活動として直ちに憲法の保障が及ばないものであるとはいえないが、そのなかにわが国の出入国管理政策に対する非難行動あるいはわが国の基本的な外交政策を非難し日米間の友好関係に影響を及ぼすおそれがないとはいえないものが含まれており、法務大臣が右活動を斟酌して在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるものとはいえないと判断したとしても、裁量権の範囲を超え又はその濫用があつたものということはできない。 」
要約すると政治活動の自由はあるが、在留更新では法務大臣に裁量権があり、政治活動をしたかどうかを裁量事実に含めても構わないと言うことです。
裁量前提事実の事実誤認の有無は司法審査の対象になるものの、外交の基本政策に対する非難行為を裁量の対象に含めることが許されると書いています。
ウイキペデイアに引用されている文献紹介を引用しておきましょう。
「この判示を導き出したのは、在留更新の許否に関する法務大臣の裁量権は広範であり、司法審査の範囲は限定される。その論拠となったのは、国際慣習法上、外国人の入国の自由は保障されず、日本国憲法もその立場をとっている。
^ 参政権的機能を果たす政治活動の自由については、国民の場合と異なる特別の制約が許されると解する(通説・判例 芦部信喜『憲法学Ⅱ』[1994]151-153頁、本判決の立場)。」

政治と訴訟の関係(イチャモン訴訟?)

イチャモン裁判の疑いのある例で最近有名なところでは,沖縄県の普天間基地移転工事許可取り消しによる訴訟を見ておきましょう。
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2016121302000089.html
辺野古訴訟、沖縄県の敗訴確定へ 最高裁、弁論開かず
九月の一審判決は、翁長知事の取り消し処分の前提になる仲井真弘多(ひろかず)前知事の埋め立て承認に違法性があるかを審理。「仲井真前知事の承認に裁量権の逸脱はなく、取り消した翁長知事の処分は違法だ」と結論付けた。
 その上で、「普天間飛行場の騒音被害や危険性は深刻な状況で、閉鎖して改善するしかない。被害を除去するには辺野古に移設する以外ない」などと指摘。国の判断は尊重すべきだとし、辺野古移設によって「全体としては沖縄の負担が軽減される」とも言及した。」
以上のとおりですが,
普天間基地は住宅密集地近くで危険だと主張していたのでその弊害除去のために日米で漸く合意して,大金を投じて基地を過疎地に移転させしかも一部?沖合移転することによって,大幅に騒音その他の弊害除去に貢献することなったにも関わらず、イザ移転が決まると翁長知事や革新系文化人の応援する勢力は今度は一旦前県知事が下した工事許可を合理的理由もなく取り消して工事妨害する方法に固執しています。
裁判で負けても今度は何か(ケチを付ける材料を見つけて)飽くまで反対の挑戦する姿勢・・印象の報道が出ています。
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-410472.html
「翁長知事は「確定判決には従う」と述べており、最高裁判決後にも埋め立て承認取り消しを“取り消す”見通しとなった。国が新基地建設工事を再開する法的根拠が復活する。一方、翁長知事は敗訴した場合でも「あらゆる手法」で辺野古新基地建設を阻止する姿勢は変わらないとしており、移設問題の行方は不透明な情勢が続く。」
工事が進行すれば,相手が海なので予定外の事態が起きるのが普通・・一般的にこの種の工事計画は進捗に合わせて修正しながらやって行くことが普通らしいですが,計画修正・変更の申請が出たら「そのとき許可しない・許可を出来るだけ引き延ばす」などの抵抗が出来ると言うニュアンス報道されています。
肝腎の普天間基地→辺野古沖移転の可否に関する議論をするのではなく,反対のためのあら探し・嫌がらせ的妨害をする予定を今からはっきり(報道姿勢なので真実は不明)させている印象です。
これでは後進国の独裁政府が恣意的に特定企業に嫌がらせするのと同じで、法治国家としてのルール無視・反民主主義的・専制権力者になったかのようです。
政治は県民の現在被害縮小・利益極大を図るのが王道ですが,知事が何のために反対のための反対を続けるのか不明・・民意無視してあらそうためだけの争いをやめるべきはないかと思う人の方が多いのではないでしょうか?
反対運動支持の琉球新報や革新系新聞の記事を見ても,「県民無視の移転をやめろ」とか言うイメージ(私はネットでたまに見るだけなので正確性には欠けますが)を受けますが,何が県民のためになるかの対案も具体論が見えません。
鳩山元総理の言う「少なくとも県外へ・・」程度の空理空論しか言うべき論理?がないようですから,合理的政治運動とは言えません。
ただし,沖縄だけが被害を受けていると言う感情論理に使える技巧ではあります。
政治論は政治の世界で決着をつける・・政治の議論で決めた以上は政治・民意に従うべきで,これを言いがかり的訴訟や小細工で引き延ばしを図るのはルール違反です。
「元々基地があるのが行けない」のだと言っても,そう言うことは政治レベルで決めることであって政治決着のついたことを工事許可権を濫用して自説を押し通そうとするのはルール違反です。
政治と司法の関係はNovember 12, 2016,「司法権の限界16・謙抑性4(民主主義の基礎1)」まで書き掛けで中断していますが、この後で司法の謙抑性の原理等として再開予定です。
政治で決まったことを妨害するために土俵外で嫌がらせするのは、近代民主主義社会で確立した最低ルールを守れないレベルです。
実現不可能な全面講和論に固執して、ソ連系を除く諸国との講和条約によって兎も角「一日も早く日本独立をしましょう」と言う意見に飽くまで反対していた→日本独立反対論・・その後ずっと,日本自立の機会をコトあるごとに反対し続けて来た旧社会党と同じやり方です。
「基地がある限り返還拒否」と言っていたのでは、今の北方領土同様に今でも占領下のママだったでしょうし,どちらが良かったかは自明です。
日本の国益よりはどこかの利益のためではないかと思われ兼ねない主張ばかりするのは実質的憲法違反行為ではないでしょうか?
国民主権・言論の自由とは,国民のためになる議論を主張出来るのであって外国の利益のために主張する権利の保証ではありません・・。
中国の領海侵犯の繰り返し・攻勢に対する防衛努力・・集団自衛権問題に対しても,どうやって国益を守るかの意見・対案がなく,憲法違反と言うばかりです。
非武装平和論は沖縄だけが基地の多くを引き受けている(少なくとも県外へ!)と言うのと同じで対案とは言えません。
憲法は国民のためにあるのであって憲法さえ守れば,国民が他国に侵略され奴隷的立場になっても良いと言う制度ではありません。
民主主義の精神を実質的に否定する(憲法のよってたつ原理に反する?)勢力が「憲法を守れ」と言うのですから、歴史を捏造している方が「歴史を学べ」と言うのと同じ印象を受ける人が多いでしょう。
沖縄県民または沖縄人がこう言う人を選挙で再選するのであれば,日本国益に反する集団・・国民の一部としての沖縄県民ではなく,沖縄人でないのか?と疑問を持つ人が増えるのではないでしょうか?
こんな人たちのために、国費を際限なくつぎ込む必要があるかの議論コソ先決です。
沖縄復帰後現在まで投下された資金は・・http://www7b.biglobe.ne.jp/~whoyou/miyatahiroshi090725.html2016年12月18日(日)更新版によると「復帰後、8兆8000億円の内閣府計上の沖縄振興事業費が投下された・・」とあります。
上記によれば,現在も基地使用料等の不労所得中心経済になっている・・それが政府の責任と言う書き方で不思議な論文ですが?これでは,反対のための反対ばかりしたい心情になるのも分ります。
反対運動によって補償額がつり上がり沖縄への援助も膨らみますが,本当に普天間から移転してしまえば普天間基地周辺人のたちの地代収入その他(騒音?)保障・・勤務先・商売人に取っては客が来なくなり,生活が成り立たなくなる恐れ・・も分ります。
他方で移転先の辺野古では海岸埋め立て・・漁業補償金は既に払われているでしょうから、いくら工事が長引いても長引くほどその間漁業が出来て有利です。
数ヶ月前に騒音被害苦情に対して基地の約半分返還目的で縮小工事に着手しようとすると地元で反対運動している理不尽さを(しばきたい幹部逮捕に関連して)紹介しましたが,基地がうるさい・危険と言いながら移転や縮小が決まるとそのための工事に反対する身勝手な行動をして羞じないのが不思議です。
反対運動の合理的理由が見えない以上,返されると地代や騒音保障・・基地移転等のマイナス・各種基地労働に通えなくなる外,関連出入り業者や近隣商店も売上減になるので移転に反対したいのかな?と推測する人も増えるでしょう。
そもそも普天間基地周辺に人家が密集していて危険と言う報道自体不思議です・・基地と言うのは元々住宅街のまん中に出来るものではありません。
沖縄の人口が増えた?としても、何のために危険な?基地周辺に引っ越して来たのか?となります。
基地就労者その他が増えて人家が集まって来たのではないかの疑問があります。
辺野古への移転が終われば,年月の経過で周辺に人家が増えるのではないでしょうか?
こうした時系列の議論を見たことがありませんが,マスコミは敢えて伏せているのではないでしょうか?
合理的意見を全く言わず「沖縄県民の痛みを知らないのか!」などの感情論ばかり報道されていますが,こればかり押し付けられていると却って同情する気持ちが減って行く人が増えるのではないでしょうか?
本音は何なの?と疑問に思う人が増えて来るのは当然です。
民主的手続を経て決めたことは、ドシドシ実行して行く・・民主主義を守る姿勢が必要でしょう。
タマタマ数日前にオスプレイの不時着事故がありました。
一般的に言えば民家を避けて海上に不時着出来たのは良い(立派な)ことですし、事故による被害が負傷程度で良かったねと言うのが普通の人情です。
これを鬼のクビでもとったかのように非難し続ける沖縄人の人間としてのレベルを疑う報道がないのが不思議です。
鬼畜米英の時代に不時着した捕虜を棒切れで叩くのさえ褒められたものではありませんが,いま日米はそう言う関係ですらありません。
実質的意図は別として米軍は日本防衛の一翼を担っている関係です。
65年安保条約によって日本がいつでも更新拒絶すれば,1年後に失効する仕組みになったコトを紹介しましたが,日本政府・国民は条約を継続する方が国益になると判断して(民主党政権も社会党の村山政権も)条約を維持して来た以上は互恵関係ですから,条約に従って駐留している米軍を親の敵のようにあしざまに対応するのは条約の精神に違反する行為です。
客として招待しながらお客が転んだり,困ったことが起きると助けようとしないで嘲笑しているような失礼な行為です。

占領政治と警察組織解体(旧警察法〜現行警察法)

在日問題に逸れましたが占領政策・・警察法に入ります。
先ず、旧警察法から見て行きましょう。
ウイキペデイアによります。
旧警察法
自治体警察はすべての市および、人口5000人以上の市街的町村に設置されると定められた。市町村長の所轄のもとに市町村公安委員会を置き、自治体警察を管理するとされた[1]。経費はすべて当該自治体の負担とされた。
自治体警察の法執行官は、最高責任者である警察長と警察吏員(現行法における警察官に相当)によって構成された。
小規模の町村にとって警察経費は重い財政負担だった。1951年に一部法改正が行われ、住民投票の付託で自治体警察の存廃ができるようになると、自治体警察の返上が相次ぎ、ほんの僅かな期間に1千以上の自治体警察が廃止された。」
「自治体ごとに小分けにされた警察は広域犯罪に対処することができず[3]、戦後の混乱期にあって増加する犯罪に的確に対処することが難しい事例もあった。さらに自治体警察は地元に密着していることから、暴力団などとの癒着も横行していた。」
「様々な問題を受け、1954年(昭和29年)に全面改正された現行の警察法が施行された。」
私が子供の頃に住んでいた5000人以上の農村規模(子供の頃の目分量では約1km四方のほぼ正方形的地形でした)でも設置ですから、経済的に無理がありました。
小さな村にまで警察を置くのは一見警察官が増えるかのようですが、細分化してしまう結果、却って一定規模の警察署がなくなりどこの村や町にも一人か2人しかいないのでは、複数犯・・集団化した暴徒や広域犯罪に対応出来なくなります。
ウイキペデイアでは暴力団と癒着と書いていますが、1〜2人に細分化された警察では、物理力で優る暴力団に頼るしかない面があったことが推測されます・・これが田岡組長の自伝で語られている真実でしょう。
比喩的に言えば「10万の軍が展開」と言っても、1km四方に一人ずつ配置では軍隊の役割を果たせないと言えば分りよいでしょうか?
これが朝鮮人の違法行為続出を誘発した制度的原因ではないかと思います。
占領軍は治安悪化・・警察組織解体を目指していた・・混乱が広がれば軍が出動してやる・・占領・軍政を長引かせる思惑もあったのでしょうか?
案に相違して食うに困っていた筈の日本人の犯罪は広がらず朝鮮人の犯罪ばかり広がったので支配の手先・道具として朝鮮人を使うのは無理となりました。
占領長期化・・軍による直截支配の思惑が狂い結果的に支配道具として利用する予定だった朝鮮人を(数日前に紹介した首相官邸事件や神戸の非常事態宣言に至る事件のように)鎮圧対象にするしかなかったのです。
昭和29年・現行警察法でも市町村単位から県単位に引き上げただけで、自治体警察の原則が今でも残っています・・。
日本は律儀ですからアメリカの残した基本・・自治体警察の基本までは手を着けられなかったとも言えます。
自衛隊を作りながらも平和憲法自体をいじらないのと同じで大人の智恵です。
ウイキペデイアの続きです。
「1952年、日本が独立を回復すると、旧警察法に内在する問題を根本的に解決すべく、警察制度改革が始まり、1954年6月8日、旧警察法を全面改正した新警察法が公布され、同年7月1日から施行された。新警察法では、従来の国家地方警察と自治体警察による二本立ての制度を廃止し、新たに警察庁と都道府県警察を発足させて、日本の警察機構を再び中央集権化した(地方警務官も参照)。また、内閣の責任を明確化すべく、国家公安委員会委員長に国務大臣を充てることになった。
以下は政府公報からの引用です。
警察法(昭和二九年 六月 八日法律第一六二号)
(警察の責務)
第二条 警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。
第五条  国家公安委員会は、国の公安に係る警察運営をつかさどり、警察教養、警察通信、情報技術の解析、犯罪鑑識、犯罪統計及び警察装備に関する事項を統轄し、並びに警察行政に関する調整を行うことにより、個人の権利と自由を保護し、公共の安全と秩序を維持することを任務とする。
  2、3項省略
 4  国家公安委員会は、第一項の任務を達成するため、次に掲げる事務について、警察庁を管理する。
一  警察に関する制度の企画及び立案に関すること。
二  警察に関する国の予算に関すること。
三  警察に関する国の政策の評価に関すること。
四  次に掲げる事案で国の公安に係るものについての警察運営に関すること。
イ 民心に不安を生ずべき大規模な災害に係る事案
ロ 地方の静穏を害するおそれのある騒乱に係る事案
ハ 国際関係に重大な影響を与え、その他国の重大な利益を著しく害するおそれのある航空機の強取、人質による強要、爆発物の所持その他これらに準ずる犯罪に係る事案
五  第七十一条の緊急事態に対処するための計画及びその実施に関すること。
六  次のいずれかに該当する広域組織犯罪その他の事案(以下「広域組織犯罪等」という。)に対処するための警察の態勢に関すること。
イ 全国の広範な区域において個人の生命、身体及び財産並びに公共の安全と秩序を害し、又は害するおそれのある事案
ロ 国外において日本国民の生命、身体及び財産並びに日本国の重大な利益を害し、又は害するおそれのある事案

第一六条 警察庁の長は、警察庁長官とし、国家公安委員会が内閣総理大臣の承認を得て、任免する。
2 警察庁長官(以下「長官」という。)は、国家公安委員会の管理に服し、警察庁の庁務を統括し、所部の職員を任免し、及びその服務についてこれを統督し、並びに警察庁の所掌事務について、都道府県警察を指揮監督する。
(所掌事務)
第一七条 警察庁は、国家公安委員会の管理の下に、第五条第四項各号に掲げる事務をつかさどり、並びに同条第五項及び第六項に規定する事務について国家公安委員会を補佐する。
第三六条 都道府県に、都道府県警察を置く。
2 都道府県警察は、当該都道府県の区域につき、第二条の責務に任ずる。

上記のとおり、16条2項によって、警察庁長官は「所掌事務について」都道府県警察の指揮監督出来るのですが、肝腎の所掌事務は国家公安委員会の事務を担当する事務部門でしかありません。
第17条を見ると、警察庁の庁務には第2条記載の本来の警察業務が所掌事務に入っていないのですから、企画立案・統計調査などが主任務で具体的事件に対する指揮監督権がありません。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC