政治は政治家に!(素人政治の限界)1

政治の世界も言うだけではなく、政策実現には多くの関係者を動かすに足る相応のプロの能力が必要ですから、互角の政治力のあるもの同士で選挙戦を戦うこととこそが選挙制度のあるべき姿です。
政治力が互角とした場合・・ドングリの背比べの中から、どの方向の政治をする予定かを国民が選挙で知り、気に入った方を選ぶのは民意重視・重要です。
言わば、5段階のテストがあって、最後の決勝戦はこれらを勝ち抜いた一定の実務能力がある前提の人だけが参加する選挙は、実務能力=公約実現能力がある前提で「やりたい方向性」だけ述べれば良い決勝戦です。
本来決勝戦は実務実現能力がある前提ですから、(日本では、利害調整が済んでから発表するのが普通です)候補者がこの方向でやると言えば実現出来る前提で主張しているとみんなが期待してしまいます。
繰り返しますが、鳩山氏の「少なくとも県外へ」の主張がまさか実現出来ないカラ鉄砲とは思わずに投票した人は、民主党への信頼を裏切られてしまいました。
ヤンバダム反対運動も民主党が政権をとると一旦中止を表明しましたが、紆余曲折の結果遂に再実施になった・・・一時停止したので時間の浪費とコストアップになっ終わりましたが、結果的に何だったのが問われねばなりません。
利害調整を経た民意の代弁ではなかったからイザ実行しようとなってからの利害調整のやり直しでは、何も出来ない結果に終わるのです。
築地市場移転反対論者がいたでしょうが、移転の動きが具体的に動き出してから歯車の逆回転をするのは大変・・白紙状態で意見を決めるときに比べて何倍もの反対エネルギーがいります。
権力さえあれば何で出来ると言う権力行政信奉者であってこそ、簡単にやりなおし宣言を出来るのでしょう。
嘘つきほど相手を直ぐに嘘つきと言うように、エリートの集まりで自分が民意を汲み取っていないから民主党と言うのかも知れません。
民主党が政権を握ってみると原発事故対応を巡って菅総理の実務能力不足が指摘されていましたが、いろんな場面で利害調整無視の強権的発言が多過ぎた・・実務能力不足・民主党の党内勝ち抜き戦のレベルが低過ぎる・党内序列・・幹部になって行く過程が予選としての機能を果たしていないことが分りました。
政策実現する実務力がない場合マトモな提案も出来ないので、必然的に何でも「反対または政府批判やこんなことが許されるのか!」と言う程度の思わせぶり質疑をするしかない・・前向き提案が出来なくなって行くしかないのでしょう。
これでは政党ではなく、オンブズマン集団と変わりません。
私の司法試験受験時の口頭試問では、各科目共に禅問答のような応答で終わったのを覚えていますが、大先生が「キミそれで良いんだよ!と言われて合格しましたが、前提になる実務的細かい試験に合格していた前提があるからです。
実務的能力試験を通過している以上は、あとは価値観が狂っていないかどうかだけ判断すれば良かったのではないかと言えます。
芸術家トップクラスになると人格や哲学的立場がないと行き詰まり苦しむことが知られていますが、この逆に着実な技術修得がなく、発想や着眼力さえあればその気持ちどおりに作品で表現出来ることはありません。
作家でも映画監督でも一定の訓練を経てからデビューするものです。
政治で言えば、この最終決戦に予選や地区大会等の実務テストを経ない・・政治経験のない人がマスメデイアの応援で突如出馬して大量得票を得るパターンが、美濃部都知事〜青島氏や石原氏以降続いていました。
青島氏などは全て実務官僚のナスがままで、何ら個性的政策実現が出来ないで都庁を去ったと評価されています。
官僚上がりの市長や都知事では代わり映えしない・・「アメリカ式素人政治が良い」とマスメデイアが応援したのですが、却って素人政治家は何も分らないので事務方の言うがママになっていたことになります。
行政に精通した官僚上がり政治家の方がトップになったときに自分が役人であったときに実現出来なかった抱負を実践する意欲がある・・新機軸を出す抱負を語る場合必要な実務に精通しているので、本当にやれる限度の改革提案になるのは当然ですが、(使い慣れた部下も一杯いるし)実際に手堅く実行するのが普通です。
青島氏や石原氏は(実務が分らないので?)殆ど都庁へ出勤しなかったと言われています。
日本の野党はこの辺を誤解している・・政治には能力不要・理念さえ高邁な理念さえ主張すれば良いと思っているから、日本の野党がいつでもうまく行かないのです。
評論家と実務家は違うのですから、地道に政治訓練を経て一人前に・・廻りを動かせるようになってから、自分はこうしたいと言うべきでしょう。
組織の人材抜擢に当たって、AB比較する場合の基準としてAとBどちらの方が廻りが骨身を惜しまず動くか、動かないかが人望が重視されることが多い・政治家選抜はまさにその点を最重視すべき分野です。
高名な美術評論家がそのとおりの絵画や音楽を創作出来るわけがないのと同じです。
民主主義などと言う頭でっかちな観念論以前に、我が国では古代から時間のかかるボトムアップ方式でやって来ましたし、その代わり一旦決めればみんなが守るしみんなが実行に協力する優れた方式です。
ボトムアップに長く参加して実務訓練を受けているうちに、まとめる能力のある有能な人は自然に頭角を表して来ます。
民主主義と言うスローガンよりは、民族共同体にある多様な利害調整を経て決めて行く・・正義を造り上げる過程が重要です。
社会党やその流れを汲む民進党は、「人権を守れ」などのスローガンで満足してしまい、具体的意見吸収経験を欠いているエリート意識が災いしているので、実務上出来ないことをスローガンを掲げてしまう傾向があります。
地に着かない頭でっかちな西欧の人権思想のいびつな応用が捕鯨反対運動に典型的に現れていますが、(曰く「クジラはほ乳動物だから捕獲を許さない」と言うのですがこの馬鹿さ加減に日本人の多くが絶句するでしょう)観念論を上から普及するとこう言うバカな結果になる典型です。
アメリカでは国内利害調整シテ政治をするほどの民度に至っていない・・庶民に言いたいことを言わせると収拾のつかないレベル・・まだうまく行かないので意見調整しなくても良いように専断的な効力のある大統領令が発達して来たのですが、これをもっと大変な筈の対外的政治にもそのまま適応して来たのがアメリカの歴史です。
ペリー来航でも分るようにモノの進め方は強引そのもので、このやり方のママ現在に至っています。
アメリカが対外的に(根回し不足のまま)無茶を要求していても行き詰まらなかったのは、いつも戦争で勝っては自己の未熟な正義を押し付けても(相手が)ばかばかしいと思っても腕力に優るアメリカに世界が従うしかなかったことによります。
アメリカの国力低下に比例して無理が利かなくなって徐々に多角交渉に頼るしかなくなったのですが、ニクソンショック頃にはまだ圧倒的国力を背景に議事主導権を握れましたが、国力低下に伴い徐々に思うように行かなくなって行きます。
基本的に1対1の一方的取引〜国力背景の主導権を握る交渉経験しかないアメリカにとってはクリントン〜オバマ以降うまく行かなくなったことに対する(国民の鬱積したストレス)鬱憤ばらしがトランプ旋風の下地です。
トランプ氏及びその支持層が最強国だったときの1対1の取り引き外交に戻りたいのは、願望としては自然の成り行きですが、選挙戦で
は願望だけで勝てても実際の政治が単純願望どおりに出来る筈がありません。

マスメデイアと政治家3(地についた政治)

芸能系スター(ゴシップも含めて)は、昭和40年代頃からマスコミの造り上げた虚像に過ぎないと一般的に言われるようになっていましたが、これらは娯楽なのでそれほどの害がないとして放置されて来ました。
ところが報道界は日常的に脚色〜少しくらい事実より誇大に報道しても許される状況が続いた結果、次第になかったことまで事実として虚偽報道することに抵抗がなくなって行った(麻痺)ように見えます。
マスメデイアが世論誘導したい方向へ10のことに尾ひれを付けて20に言うようなことが日常化していた結果、ないことをあるように捏造報道に走ったのが珊瑚礁やらせ報道だったと見るべき・・重大な事件発覚でした。
これは氷山の一角・タマタマ地元民が頑張ったからであって、普通の政治関係では事実確認出来ないのでどうにでも脚色出来ます。
しょっ中新聞では10数年前の出来事として「真相」と称して「誰が◯◯と言ったら誰それが△△と応じた」と言うまことしやかな裏話・ストーリーが展開されています。
この種の話は現役の政治家でさえも、(「俺はそんなこと言ってないよ」と言う場がないまま)否定するには難しい仕組みで展開されます。
名誉毀損で訴えるほどのことでない限りかなり悪い人間のような報道をされても反論する場もないやり方ですから、メデイアは書きたいやりたい放題です。
例えば今朝の日経朝刊2pにはトランプ氏のプーチンと電話会議中にプーチンから新スタート(戦略核兵器削減交渉の合意)の話題が出たときに「新スタート」とは何だ!」と同席している側近に聞いてバツが悪かったらしく、「俺の人気はすごいんだ」と話題を急転換したと出ています。
要するに外交のイロハも知らない大統領がプーチンと交渉していると言う印象付けですが、トランプにとっては日本の新聞記事までチェックして反論するヒマもないでしょうから報道されっぱなしです。
この場合には、電話の公式記録が残っているからまさかでっち上げ出来ないでしょうが、(と言う理由で滅多に検証しませんが、実は検証したくとも一般的には首脳間電話会談記録はトップ級の秘密ですからメデイア界に身を置く人でも滅多にチェックする方法がない筈です)日本の過去の政治家の私的発言などを「如何にも何かから引用しているかのような書き方をしていますが」、どう言う基礎データに基づくのか全く引用がありません。
こういう洪水的一方的やり方・・政治の世界・全ての分野でゴシップ・・マイナス報道を含めて事実に基づかない虚像を作り上げて行くことが常態化して来ると、「噓を広げた方が勝ち」みたいになって社会・道徳が蝕まれて行きます。
国民の多くの行動決定は事実を前提にしているのですが、目前事実以外の社会で起きたことを知るにはメデイアによるしかありません。
各種社会現象・政治の動きに対する脚色・誇大・つまみ食い?事実の中の一部だけ取り出して脚色報道する姿勢が蔓延してこれが政治に及んで来た・・私の記憶で弊害が目立つようになったのが、5日に紹介したとおり、昭和50年台半ばに入ってからです。
小池氏(1992年)も蓮舫氏(2004)も最盛期のマスコミの意を受けて政界に出て来た人物ですが、議員であるだけならばマスコミの洪水的報道だけで人気を保てますが、実務責任者になるといくらマスコミが煽っても実務が始まれば、実績がモノを言います。
マスコミは煽り虚像を作り上げる能力はありますが、虚像である限りメデイア映えする演技力さえあれば良いのですが、政治家の場合実務が待っているので演技だけではなく実務能力がないとその先はありません。
トランプ政権も同様ですが、トランプ氏は一見マスコミに頼っていないように見えますが、実際にはマスコミ対決を演出してマスメデイアを最大利用して当選したに過ぎません。
彼の場合もひっきりなしにマスメデイアを罵ったりして、常に大きなニュースとして露出し続けることが政権の命づなのように見えます。
メデイアとの対立ばかりでは政治が進まないので、最近手詰まりっぽくなって来たのも小池知事に似ています。
小池氏もマスメデイアを利用した虚像・演出で・・内田氏と言う反論出来ない相手を黒幕らしく作り上げていましたが、・・報道を見る限り彼を通していろんな政治案件の根回しをしていたと言うだけ・・有能で都政の円滑化に役立っていたことが分るだけで、彼の何が都政に害をなしていたのかさっぱり見えません。
これを敵に祭り上げてはその攻撃ばかり・・何をやりたいのかさっぱり不明・・これが千代田区長選挙で終わると今度は石原氏に対して築地市場移転決定経緯を追及するとメデイアでは大騒ぎですが、今決めなければならない築地移転をどうするかの重要決定とどう言う関係があるのか不明です。
この辺はFebruary 22, 2017に別のテーマの途中で書きましたが、・・そもそもオリンピック関連騒動も如何にも森元総理を黒幕・・悪の権化みたいな印象操作(小池氏とメデイアの総合演出?)でズームアップしていましたが、結局あの騒動は何だったのか?関係自治体に期待を持たせて振り回しただけで終わった印象です。
喫緊の課題であるべき築地移転をどうするのか?についても、メデイアを駆使して騒ぎまくっているものの、どうしたいのか見えない・・行き詰まりの過程で石原氏との対決演出です。
10年以上前の決定過程を検証すると息巻いている様子ですが、緊急を要する市場移転問題の決定にどう言う関係があるのかまるで見えません。
今はネット空間が発達していて、私のようにメデイアを介さずにいろんな意見を出せますので、マスメデイア利用さえ出来ればいい時代ではありません。
その内「いい加減にマトモな仕事をして欲しい」という都民の気持ちをマスメデイアが押さえ切れなくなるでしょう。
小池氏が、具体的始動に失敗すると「空騒ぎばかりの小池都知事」として都民の信頼を失い、小池〜蓮舫〜鳥越と続いたマスコミによる政治家虚像造りの最終編となるのでしょうか?
トランプ政権の可能性に戻ります。
人権、民主主義、平和を守れ、都民ファースと、あるいはアメリカンファーストと言うスローガンだけで、具体的に何をするのか、出来るのか分らない人物をメデイアに煽られるままにブームに乗って投票する方のレベルが低いことが問題です。
ボトムアップによる地に着いた人物評価がないままで、イキナリメデイアの応援を受けて躍り出るスターの人気投票制度・・メデイアの影響力の大きい直截選挙の弊害と言えるでしょう。
自分の能力に関係なくオリンピックで金メダルとりたいとか◯◯選手権で、優勝したいと言うだけならば誰でも言えます。
社長になって売上を3倍にしたいと言うのも、言うだけならば、誰(その辺の浮浪者も)でも言えます。
各種の選抜は、意欲だけで選抜するのではなく実現するに足る能力が備わっていることが先決問題です。
「社員のための企業にしたい」言いさえすれば、「立派なことを言う」と言って浮浪者を社長にしないでしょう。
成果を上げられるだけの能力があるかどうかが重要であり、意欲だけ立派な素人をサッカー、テニスその他の選手に選抜してもアジア地区予選でさえ通過出来ません。

マスメデイアの政治支配(暴言の構造)2

ところで、政治家発言が何故暴言として政治問題になって来たかの構造ですが、昨日紹介した論文によれば、以下のとおりマスメデイアの仲介・拡散によることが明らかにされています。
以下上記論文の抜粋です。
「.暴言とは何か
本稿では,テロリズム研究の知見を分析のフレームワークとして応用することを試みる。」
「何がテロリズムにあたるのか,それを決めるのは犯人ではなくて,受け手側の感覚である」[宮坂2002: 30]という興味深い指摘がある
「攻撃の対象は「テロリスト」の真の目的ではなく,むしろそれは「テロリスト」の「メッセージ発信機」にすぎない。メッセージをどのように解釈するかという点で,事件を報道などで知る受け手側の感覚が重要となってくる。」
「テロリズム」と同様に,ある発言が「暴言」か否かを決定するのは,発言者本人ではない。その発言の受け手,さらにはマスメディアなどを通じて発言内容を知った市民の感覚によって左右される」
「政治家の暴言も同様である。政治家のある発言をメディアが問題視し取り上げることがなければ,その発言の存在それ自体が知られることはないため,その内容がどんなものであろうと「暴言」として社会問題化することはない。」
「ここから,暴言とメディアの関連性が指摘できるが,本稿の分析の範囲外である。いずれにせよ,メディアで取り上げられたある発言が,野党政治家あるいは市民そして本稿の場合だと中国政府に問題視されたときに,当該発言は暴言となり,政治外交問題となる。」
煩雑になるので昨日省略しましたが、80年代以降の暴論例示ではメデイアが騒ぎ、何日か後に中国政府が遠回しに不快感を示すと言う繰り返しが紹介されています。
まさに中韓相手に日本メデイアが(メデイアの気に入らない)政治家発言を大々的に取り上げることによって、中韓発言を引き出してはこれを引用して更に中韓が不快感を示している・・こんな暴言を許していいのかと騒ぐ→中韓両国に対して日本の政治下がでこんな暴言を吐いて開き直っているが中韓政府が黙っていていいのかとけしかける・・中韓政府が仕方なしに更に突っ込んだ不快感声明を出すと言う螺旋状の拡大プロセスの結果中韓の対日批判が厳しくエスカレートして行った流れが見えます。
一方で日本の方では、「教科書の内容まで、一々ケチを付けて来るとは何事か!」と言う不満が鬱積して来ますから、お互いのために良い関係にはなりません。
実は、靖国参拝もこの頃からうるさくなって来たのであって、それまで誰も文句を言っていなかったのです。
3月6日現在のウイキペデイアからの記事の引用です。
「戦争被害を受けた中国や韓国は、靖国神社にA級戦犯が合祀されていることを理由として、日本の政治家による参拝が行われる度に批判反発している(諸外国の反応の詳細については後述の#日本国外の見解を参照)。もっとも、1979年4月にA級戦犯の合祀が公になってから1985年7月までの6年4月間、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘が首相就任中に計21回参拝をしているが、1985年8月に中曽根首相が参拝するまでは、非難はされていなかった。1985年の参拝に対しては、それに先立つ同年8月7日の朝日新聞が『靖国問題』を報道すると、一週間後の8月14日、中国共産党政府が史上初めて公式に靖国神社の参拝への非難を表明した[要出典]。一方で、戦没者を慰霊追悼・顕彰するため、外国の要人も訪れている[要出典]」」
上記を見れば、元々問題になっていなかったことを敢えてマスメデイアのある意図によって、政治問題化したことによって日中韓にくさびを打ち込んだことが明らかです。
多くの日本人は朝日、毎日新聞が中韓贔屓だと思い込んでいる人が多いと思いますが、マスメデイアが何故イキナリ80年代半ば以降になると日中韓の不仲を煽るようになって来たか・・これをやることによって、どこの誰が利益を得るのか?何のためにお互いにとって不幸な関係構築に励むようになったかと言う冷静な分析が必要です。
日の出の勢いの日本の経済力を封じ込めるために始まった世界体制・・プラザ合意以降の対日包囲網の一環だったのではないかと言うのが、さしあたりの印象です。
話題を政治とマスメデイアの関係に戻します。
ネットの発達した第二次安倍政権が始まるまでは、マスコミに叩かれると政治生命がなくなるので、マスコミが政治の動向をうかがって報道するのではなく、政治記者の仕事は、政治家がマスコミ傾向無視の政治を目指しているか、そのような意向を漏らすかの監視役みたいになっていました。
昨年にも、作家百田尚樹氏が自民党内勉強会での発言がマスコミに報道されて大騒ぎになっている時代です。
https://matome.naver.jp/odai/2138403790714522501
「安倍晋三首相の側近ら、自民党若手議員約40人が25日、党本部で憲法改正を推進する勉強会を開いた際、講師として招いた作家の百田尚樹氏が、「沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない」と発言していたことが、分かった。「あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」とも主張したという。」 出典「沖縄の新聞つぶさないと」 百田尚樹氏が暴言 – 社会 : 日刊スポーツ
ギャグで言った言葉を切り取られた(>_<) しかも部屋の外から盗み聞き! 卑劣! nikkansports.com/m/general/news…
それにしても、報道陣は冒頭の2分だけで退室したのに、ドアのガラスに耳をつけて聞き耳してるのは笑った。しかし、正規の取材じゃなくて盗み聞きを記事にするのは、ルール違反だし、卑劣だろう! nikkansports.com/m/general/news…
作家が発言してもこの有様です。
怖くなった政治家がマスコミの動向をうかがって発言する逆転した時代が続いていることが分ります。
この結果メデイアを支配する人物が国政を左右するような時代になっていました.
この象徴的人物が、読売新聞のドンと言われた政界マスコミ界の大物?渡辺恒雄氏の存在でしょう。
政治動向がマスメデイアの脚色次第になって来るので、マスメデイアが誘導する方向へ政治が動く時代が戦後ずうっと続いて来ました。
マスメデイアが政治の方向性を左右出来ると言う増長・・慢心の結果が出て来たのが事実の脚色どころか事実ゼロのことを捏造する・・珊瑚礁落書きなどのヤラセ報道でしょう。
その境目に起きたのが慰安婦報道だったと言えます。
珊瑚礁のヤラセ事件と慰安婦報道の過熱がぐうぜん?時期的にほぼ平行していますのでこの頃のマスコミ関係者は何でも自分の誘導したい方向へ何でも出来ると思い込んでいた時代だったのではないでしょうか?
珊瑚礁落書き事件は平成元年のことです。
http://jikenshi.web.fc2.com/newpage93.htm
「平成元年4月20日、朝日新聞の夕刊一面トップに「観光客・ダイバー達の低モラルぶり」という見出しで、沖縄県・八重山群島西表島の珊瑚に「K・Y」という落書きを発見したと、写真付きで報道した。この取材は、《自然環境破壊に警鐘を鳴らす》という特集で、朝日新聞の記者が、ダイビング中に偶然発見したとされた。
記事は、「80年代の日本人の記念碑になるに違いない100年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさ、すさんだ心。一体K・Yって誰だ」という内容だった。
-思わぬ展開(捏造)-
ところが、この記事に関して異議有りを訴えたのは、地元のダイバー達だった。沖縄のダイバー達は、地理的にも人為的にも、珊瑚は傷つくことは有りえない(ダイバー達は、こよなく自然を愛し海が好きだ。このような卑劣な行為をする訳が無い)と立ち上がった。
ダイバー達は、何度も現場の海に潜り、問題の珊瑚を調査したり、朝日新聞に落書きを発見した経緯や聞き込み調査を開始した。やがて、ダイバー達の執拗な調査結果、現場へ行くには、素人のダイバーには地理的に無理で、プロの地元ダイバーのガイドが必要であることが判明した。そこでダイバー達は、朝日新聞社に真意を問いただした。
その結果、5月16日に広報担当の青山取締役(当時)は、既にあったKYの文字を、写真で明確になるよう「なぞった」だけとし、しかしながら行き過ぎた取材であったと釈明する。
この回答に納得しないダイバー達は、更に調査を実施。
結果、K・Yの落書きは「スクープ欲しさの捏造であることが判明した」。朝日新聞社は、記者自らK・Yの落書きを行っていたことを認め、謝罪するに至ったのであった。この記者は、自然破壊に繋がる取材をしていたが目ぼしいものが無く、記者の持っていたカメラのストロボの柄で、珊瑚に落書きしていたことが判明したのである。
新聞報道は常に正しいという概念に警鐘を鳴らす事件でもあった。」
慰安婦報道の時系列は朝日新聞第三者委員会の検証報告が正確ですが、検索で簡単に出た記事を便宜上紹介しておきます。
年月日は多分そんなに違わないだろうと言う程度の引用です。
http://www.sankei.com/affairs/news/140913/afr1409130007-n1.html2014.9.13 09:26更新【朝日慰安婦誤報】「宮沢謝罪外交」と共鳴
(1/3ページ)【朝日慰安婦検証】
 虚報を垂れ流して日本と日本人を国際社会で貶(おとし)めた朝日とともに見逃せないのは、自民党の宮沢喜一内閣による事なかれの“謝罪外交”の存在だ。朝日の報道ぶりと宮沢政権の対応をみると、両者が不思議なほど緊密に連動していた実態が浮かび上がる。記事取り消しとなった朝日の慰安婦報道の背景には、国内外で悪化する政治状況への便乗もあったようだ。
 宮沢内閣が発足したのは平成3年11月だ。翌4年1月11日、朝日は朝刊1面トップで、「慰安所の軍関与を示す資料」が見つかったと報じ、そのわずか2日後に加藤紘一官房長官が記者会見で、十分な調べもしないまま軍の関与を認めて正式に謝罪した。朝日報道の影響を受けていたと勘ぐられても仕方あるまい。」
上記のようにヤラセ・でっち上げ報道が日常化していたメデイア界の慢心が慰安婦報道事件を引き起こした素地ではないかと根拠のない私の印象を書いています。

マスメデイアの政治支配(暴言の構造)1

現在の国会議論は、国会・・選良が議論を尽くしてより良い物に仕上げる気持ちがなく、お互いの一方通行的な主張をマスコミが報道してあるいは生中継してこれを国民が判定するような仕組みにかわっています。
与党が法案を修正するかどうかは、野党との意見擦り合わせの結果納得したからではなく、マスコミ報道による国民の反応を見て決めるようになっています。
しかも国民反応がどうであるかすらも、マスコミ報道によっています。
マスコミの気に入らないに政策実行者のあら探しをシテは、国民が憤っているとする巧妙な報道が繰り返されて来ました。
政治家個人がマスコミの集中砲火を浴びると、次の選挙が危ないのでこれを最も嫌います・・結果的にマスコミが政治の主導権を握っていたのです
反対法案を強行採決・可決すると議論する時間が少なかったと言う型通りの批判がありますが・・実際には、お互いの言い分を数十分程度主張する時間があれば充分みたいになっています。
余った時間でスキャンダル探しや発言のあら探し・昭和50年代には、政治家がマスコミの意向に合わない発言をすると、みせしめ的に「失言」と称して吊るし上げては辞任要求することがはやりました。
実際に多くの骨のある政治家が失職しました・・この結果をみると政治家は自己の政治主張をうっかり言えない・・マスコミの誘導している方向から逸れることが出来ない時代が続いていました。
暴言に関する以下の論文からの部分引用です。
http://www.law.osaka-u.ac.jp/c-forum/box2/dp2010-21fukuda.pdf
2010年12月30日 福田 州平
・・本節では,1980年代以後の日本の政治家の中国に関する暴言をいくつか取り上げて考察する。
1980年代の日本の政治家の中国に対する暴言は,歴史教科書問題に端を発するものだった。
1986年,「日本を守る国民会議」の作成しようとした高校日本史教科書の記述内容が韓国や中国から批判を浴び,文部省は同会議の教科書に四度にわたる修正要求を出す事態となった。
こうした問題が起こった直後に,中国に対する暴言を述べたのが,第3次中曽根内閣の文部大臣,藤尾正行である。藤尾は就任間もない7月25日「東京裁判が客観性を持っているのかどうか。勝ったやつが負けたやつを裁判する権利があるのか,ということがある。世界史が戦争の歴史だとすれば,至るところで裁判をやらなきゃいけないことになる」
「……われわれがやったとされる南京事件と,広島,長崎の原爆と,一体どっちが規模が大きくて,どっちが意図的で,かつより確かな事実としてあるのか。現実の問題として,戦時国際法で審判されるべきはどちらなんだろうか。」
[藤尾1986a]と述べた。この内容は『文藝春秋』の発売前に明らかになり,政府与党内でも問題視されたが,藤尾は発言を撤回することはなかった。・・結局『文藝春秋』発売前に,中曽根が藤尾を罷免する事態に至った。」
1988年4月22日,竹下登内閣の国土庁長官の職にあった奥野誠亮は,記者意見の場で靖国神社参拝問題にかんして,「戦後43年たったのだから,もう占領軍の霊に振り回されることはやめたい」「鄧小平氏が靖国参拝批判発言をしているが,鄧発言をすべて素直に受け止めなければならないのかなあ,と思う。日本は自由な国であり,相手に対し非礼にならない限り,国民としての考えは述べてもいいと思う」[朝日新聞1988年4月25日夕刊]と衆議院土地問題特別委員会で述べた。結局5月13日に発言の責任をとる形で,国土庁長官の職を辞した。
1990年代羽田孜内閣の法務大臣である永野茂門は,1994年5月3日までに・・・さらには南京大虐殺について「私はでっち上げだと思う」とし,その理由として「直後に私は南京に行っている」
・・「不適切であり,これを撤回したい」と陳謝したものの,南京事件の犠牲者について「数が分からないので本当に大虐殺といえるかどうか疑念に思っている」と疑問を呈した」
1994年8月12日,村山富市内閣の環境庁長官の桜井新は,閣議後の記者会見で,「……日本も侵略戦争をしようと思って戦ったのではなかったと思っている。…..全体のことについてはある程度わびる必要があるけれどもしかし,日本だけが悪いという考え方で取り組むべきではないと思う」14日,桜井は首相官邸を訪れて発言を謝罪し,村山首相に辞表を提出した[朝日新聞1994年8月15日夕刊]。
1995年8月8日,村山は内閣改造を行い,自民党の島村宜伸が文部大臣に就任た。就任直後の9日の記者会見で,島村は,「……相も変わらず昔を蒸し返して,それをいちいち謝罪していくというやり方は,果たしていかがなものかとは思いますね。去年,マレーシアでもシンガポールでも中国でも言われましたよ。いつまで過去をわびるかと。大事なことは先行きのお互いの姿勢じゃないかと。結果は謝罪外交と言われることがなかった。よかったと思ってますよ。」
11日に「就任時の説明は誤解を生じたので撤回する」との談話を発表した
1996年は,従軍慰安婦に関する暴言があいついだ。」
慰安婦関連は以下省略
以上のとおり、日本政治家発言に対する中国の対応が小うるさくなって来て、次第に窮屈になって行く状況が見られる一方で、日本政治家の方でも何でも中韓の言うとおりしなければならないのか不満が蓄積され始めていることが分ります。
ところで何故中韓がうるさくなって行ったかですが、これは日本マスコミが一定方向へ誘導して行ったからではないかの関心で書いています。
と言うのは中韓が黙っていたのに、日本マスコミが騒ぐので中韓政府としては黙っていられないが他国のことなので遠慮ガチ発言をしていたところ、ドンドン日本マスコミが煽るので中韓政府としては内政上放置出来なくなり、次第にエスカレートして行くしかなくなって行く流れが見られます。
慰安婦騒動も韓国マスコミは、当初半信半疑で相手にしていなかったのが、日本で報道が激しくなったので韓国でも報道で取り上げられるようになった経緯が知られています。
慰安婦虚偽報道で大損害を受けたのは、最初おっかなびっくりだったのに、つい「行ける!」と乗ってしまった結果、引くに引けなくなってしまった韓国ではないか?と書いたことがあるように記憶しています。
韓国の慰安婦騒動も中国の南京事件も自国のことですから「でっち上げ」とよく分っていたのに、噓でも儲かると乗っかってしまった・・道徳心のなさが引くに引けなくなってしまったのです。
この損害が・慰安婦像と南京記念館が撤去されるまで文字どおり数百年単位で残って行くことが明らかです。
日本人がアメリカなどへ旅行して設置されている慰安婦像を見るたびに嫌韓感情を抱くのは明らかです。
中韓はこれがある限り、日本人の嫌中韓感情がいや増すことを期待していることになります。
ロシアの政権が北方領土などいらないと思っても、今更返すわけに行かない・・この結果日本と平和条約を結べないで困っているのと同じ構図です。
今後数百年間、日本に嫌われ続ける方が得だと思っているのでしょうか・・?
仮に日本が今後中小国化して行くとしても、敵を作って特な国はありません。
戦後アメリカのようの突出した強国であればあるほど世界中に支配を及ぼしたい・・友好国が欲しいのが普通です。
まして今後中韓の方が停滞する方向性が確かになりつつあります。
日本はこの先数百年、ことあるごとにこれらを取り上げては、(領事館前の慰安婦像だけではありません・・)◯◯協力を頼まれても簡単に応じられない材料に使って行けることになります。

単純政治の限界・ 2項対立5

ばい菌の浸透は日本国内データ破壊に留まらず、科学技術の進歩によって犯罪形態でさえもドンドン進化して行くので19世紀型・・例えば未舗装の現場が滅多にないので、犯人の足形(靴やゲタで歩いた後が現場に残る)や指紋採集などの対応では解決出来なくなっています。
たとえば、外国人の指紋押捺を犯罪人扱いするな!問題にしていた時期がありましたが、今や情報機器アクセスに指紋どころか網膜その他もっと厳密な識別情報登録が要求されている時代です。
この時代に何でも過去の基準を振りかざすのは無理があります。
社会の変化・サイバーテロに合わせてドアのカギだけではなく新たな入退出ルールが必要です。
犯罪形態犯罪手法も進化の一途ですから、新たな証拠収集方法が必要ですが、各種データの名寄せによる履歴の跡づけを図るマイナンバー制度、防犯カメラ反対、通信記録の調査、クルマの尾行に変わるGPS機能の利用、秘密保護法反対だけでは時代対応が出来ません。
FBIが押収したスマホだったかの暗号解読に協力する・・しないの大騒動がアメリカで1年ほど前にありました。
犯罪の手口方法が日進月歩なのに合わせて、19世紀型の通信の保護の必要性や肖像権その他権利保護がどうあるべきか、再構築努力を怠ることは許されません。
上記GPS取り付けに関する最高裁判例がでると言う報道が出ていましたが、プライバシーと捜査の必要性の微妙な境界です。
特定原理は生まれた時代状況に応じて出来上がったに過ぎず万代不易の法原理などあり得ません・・権利保護のあり方も社会の変化に合わせて不断に見直して行く必要がある点はどの分野でも同じです。
近代法の原理・「人権」と言えば何でも解決・・犯罪抑止に役立つことに何でも反対する勢力は、犯罪による人権侵害被害の方を無視しているのです。
犯罪がはびこってあらゆる信用秩序が破壊されて国民が困ることよりは、人民と支配者・日本国民と政府は違う・・「日本政府さえ困れば良い」と言う前提かも知れません。
中国政府がよく使う・・国民は良いが政府が悪い、戦争責任は軍人が悪かっただけ、今で言えば安倍総理が悪いと使い分けしています。
実際に侵略軍が上陸すれば、真っ先に多くの国民が大被害を受けますし、ありもしない慰安婦強制連行の虚偽非難を放置していれば日本人が世界中で被害を受けます。
小笠原での2〜3年前の中国漁船による珊瑚礁破壊略奪行為でも分るように、先ず国民が被害を受けるのです。
尖閣諸島の中国による侵犯行為でも被害を受けているのはその地の漁民です。
竹島占領も同様であって、右翼組織が損をしているのではありません。
国全体から見れば微々たる損失でも地元民にとっては死活問題ですから、同胞としての一体感で被害を受けていない他の地域の人たちも共感するから大問題になるのです。
共感力の発露と言う点では、北朝鮮拉致事件や局地的地震災害も領土問題も根本は同じです。
日本に対する侵攻軍が日本列島に上陸したときに日本人民の解放者と見る意見によれば、アメリカが一般人殺傷目的に焼夷弾攻撃による日本中の街を焦土化し病人船や学童疎開船撃沈〜原爆の人体実験をしたのとは矛盾しますが、そう言うことには目つむっています。
悪い政府から人民を解放して貰うためには日本人が殺されても仕方ないと割り切るのでしょう。
中国政府が人民の味方だと言う前提がありますが、ソ連や中国人に支配してもらう方が何故いいのかについての説明が一切ありません。
アメリカは対日戦争開始前から、ニッポン民族を如何にして奴隷的支配するかの研究をしていたのですが、外敵導入論者はそう言う論文には一切目を向けません。
アメリカはナチスもびっくりするほど日本民族に対する野蛮な計画をしていて、実際荒野のど真ん中で鉄条網で囲まれた収容所に・・結果は4年間でしたが、いつまでと言う期限もなしにも入れられていると気が狂いそうな気がしませんか?
ソ連が日本軍将兵をシベリアに大量に連行して行った蛮行が黙認されていた背景が分る・・あるいはアメリカによる日本男性去勢強制や南洋諸島への民族移送計画の手間を省かせるためにソ連に協力させるヤルタ密約があったと推測されるところです。
アメリカが戦時条約に反していたことを隠すために、日本軍の蛮行に東京裁判ですり替えたように、その逆張り・・ドイツでもナチスの蛮行を煽っている疑いがあります。
アメリカほど酷い計画をしていた国は滅多にないでしょうが、同国人同士の争いであるシリア難民を見ても分るように、戦争で本当の被害を受けるのは国民です。
非武装論・集団自衛権反対・秘密保護法反対論者は戦争こそが人権侵害の極致だと主張していますが・・。
戦争反対は国民100%の意見と言えるでしょうが、どうすれば防げるかの意見が違うだけ・.泥棒や強盗を防ぐには、警察官が必要かの意見相違でしかありません。
ところが、非武装論者は、非武装論者以外は軍国主義者・・「戸締まりしましょう・・いつでもガードマンが駆けつけられるように契約しましょう・・その前にドアーの暗証番号を秘密化しまょう」と言うと「近代法の原理に反するとか戦争法案」と決めつける飛躍があります。
古くはソ連支配・・今中国支配を渇望する勢力は、中国軍による日本侵攻では国民被害がない・・仮にあっても日本政府の圧政から解放されるメリットの方が大きいと言うのでしょうか?
何でも反対の結果、相互不信が極まり今のシリアのように日本の治安が千々に乱れてくると言論の自由もプライバシーよりも先ずは命の方が大切となります。
クニが乱れて外国軍でも何でも良い(乱暴な中国武装警察の監視社会の方が良い?)から強力な統治をしてくれる方が良いと言う待望論が生まれるのを期待しているのかも知れません。
私が物心ついた頃には、戦争で奥の人が戦死し家も焼けてなくなった・・その結果食うや食わずになったけれども、民主化して却って良かったと教え込まれて育ちましたが・・。
勝てば官軍と言いますが、侵略軍導入勢力にとっては教育次第でどうにでもなると思っているのでしょう。
非武装論によれば、抵抗するから被害が起きるのであって抵抗しないでお酒を用意して侵略を歓迎すれば被害は起きないと言う論理ならば一貫します。
政府と国民は対立関係だと言う立場で、各種データ提出に飽くまで抵抗する運動・・サイバーテロは正義の戦いと応援する・摘発妨害勢力がのさばるとどうなるのでしょうか?
あらゆる面でのデータ信用性破壊が進むと今後の世界はどうなるか・・信用破壊はサイバーテロに始まり殆ど全て中国発ですが、指標造りどころかデータ自体の簡単なすり替え・書き換えが起きて来ると世界秩序がどうなるか?恐るべき時代が来る予兆が始まっていると言う意見を大分前に書いたことがあります。
社会とは、決まり事・信用で成り立っている・・例えば車の運行1つとってもみんなが信号を守る前提で安心して高速走行出来る仕組みです。
我が国の鉄道は1分も遅れず到着して発車して行く・・部品も寸分違わず精巧に作り上げる・・単に生真面目な習慣の問題ではなく、今の社会では、部品が10に1くらい狂いがあっても良いという時代ではありません・・。
クルマや飛行機あるいはロケット・・原発など高速走行中にある部品1つでも故障して動作が狂うと大事故になります。
中国や韓国がこの決まり事を破壊する目的で潜入して来ると先進国ほどこうした病原菌に弱くなっています。

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