政党と内閣支持率推移3(劇場型政治から安倍政権へ)

3月2日に紹介したグラフを見るとバブル崩壊後小泉政権を除けば政権獲得後すぐに幻滅に見舞われ短命内閣が続いたのを見ると、新時代に応じた人材養成期間が必要であったことがわかります。
キャッチアップ・調整型政治に慣れ親しんできた社会でいきなり構想力・実現力を求められても、そういう人材が産業界を含めた各種分野で中堅幹部等にしか昇進していなかった・・そう言う人材は海外子会社に飛ばされているなどすから、創意工夫・企画力のある人材が中枢に抜擢され昇進してくるまでの期間が必要です。
その間目くらまし的に劇場型・イメージ・パフォーマンス戦略に走るしかなかったのは・・・政治の足腰・前提たる実業界自全体が従来型キャッチアップ商法からどうやって脱皮・転換するかに苦しんでいたのですから、政治分野だけ成果をあげるようなアイデアがある訳が無い・堅実な裏付けのないパフォーマンスに終始したのは当然です。
パフォーマンス政治=実現性のない格好付け政治スローガンの意味とすれば、バブル崩壊後安倍政権に至るまでの各内閣を見ると、小泉氏以外のパフォーマンスが全て失敗した原因と小泉政権との相違点を見ると小泉氏以外は、鳩山氏の「少なくとも県外へ」同様にすべて前向き政策の提示でした。
バブル崩壊後政治家だけではなく、超円高と中国の開放による超低価格攻勢に実業界もどのように対応するか模索中でしたので、どう言う構造改革が必要か不明のまま「蛮勇を振るって改革する」という期待感を煽るだけでは(裏付がなく実行力を伴わなかった結果)政権発足直後失速した点では鳩山氏に限らず結果からみると保革を問いません。
鳩山氏は何をするか不明の構造改革論と違って「少なくとも県外へ」と焦点を絞った点で小泉劇場同様にインパクトがあったのですが、郵政民営化は国民がそのスローガンに熱狂さえすれば一定の法改正自体可能ですが、基地移転は相手が米国ですし、国内的に見ても移転先の同意・用地獲得などの手当てが必要ですから、熱狂・国内をいくら煽ってもどうにもならない・・スローガンの実現不可能性は素人にもすぐに判明した点で目立ったにすぎません。
小泉劇場の成功の秘訣は、野党の「〇〇反対」と同じ「ぶっ潰す」というだけで新たに何かする提案をしていない、出来もしない前向き政策を提案していません。
現行政策をストップするだけで具体的政治に対する期待感を煽らなかったので、既存政治家にいじめられているイメージだけ膨らませて、いじめられている人に対する同情心・判官贔屓で成功したものです。
「ぶっ壊す」のは、新たな制度構築に比べて権力者にとっては楽なことです。
たとえば道路をつくるといえば道路用地買収から予算までいろんな手順・実務能力が必要ですが、(「少なくとも県外へ」が失敗したのは受け入れ先の同意その他の実務がいるからです)中止ならば実行中の工事の次の工事の発注さえしなければ済みます。
小池氏はその真似をすればいいと思った・・まず最初の大政党を敵に回しての孤軍奮闘のイメージ戦略で有権者の同情心を掴み、都知事になって実際に何かする必要が出てくると築地市場の移転では、豊洲の粗探しで工事中断に持ち込みました。
オリンピックのエンブレムに始まる騒動も全て粗探しに始まって手続き中断を狙ったものでした。
築地移転もオリンピックも目先の注目期間が終わり、何のための中断だったか(停滞の損失)に関心が移る頃に総選挙になったので失速してしましたが、ともかく工事中断効果があったことは間違いがありません。
このように「やめる」だけならば、トップの権限で公約通りに実行可能な点が前向き政策との違いです。
民主党政権での「事業仕分け」が華々しかったのは、事業廃止だけだったので強引無茶な仕分けが可能だったにすぎません。
(馬に水を飲ませないことはできるが)「飲ませることはできない」という箴言の応用です。
革新系のように反対・粗探しによる議事・進行妨害だけならば国民の納得不要で簡単ですが、前向きの政策の場合には国民が自発的に動いてくれないと進まないので難しいので自己満足ではどうにもなりません。
小池氏のオリンピック問題のカラ騒ぎや築地移転のいちゃもん騒動では、以下の通りの大損失ですが関係者の協力不要で先送り可能でした。
オリンピックでは東京都以外の競技場検討というだけ言って大騒ぎした結果、競技場が元の予定に戻るなど関係者は不満だらけですが、国益のためになんとか間に合わすしかない・仕方なしの協力関係になっています。
築地移転に至っては具体的損害が出ています。、
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201707/CK2017073102000110.html

2017年7月31日 朝刊
東京都の築地市場(中央区)から豊洲市場(江東区)への移転延期が長引き、築地市場の建物解体工事を都から受注した業者が困惑している。移転時期が不明なため、都が契約解除を求めているためだ。業者にとっては大きな仕事を成し遂げて実績にしたいとの思いがあり、「落札した契約を都の都合で破棄されるなんて聞いたことがない」と反発している。 (唐沢裕亮)

http://ytanaka.g.dgdg.jp/toyosubook/ebook-8.pdf

大騒ぎをし、数百億円の損失を残した、豊洲移転延期騒動は何だったのか

上記では各分野の中断による損害を弾いていますが、省略します。
小池氏は、次の予定された次の工事着工OKの印鑑を押さないだけでは格好がつかないので、過去の決定手続き過程調査が必要と言って時間稼ぎをしていたように見られてしまいました。
パフォーマンス政治脱却に成功した安倍政権(BtoCからBtoBへの実業界の対応が進んできたことが背景)時代になっても、まだパフォーマンス劇場型の小型版・・二番煎じで支持率を維持できると誤解していたのでしょうか。
バブル崩壊後次から次へと政権が交代してもその都度支持率急落の連続でしたが、3月2日紹介のグラフで第二次安倍政権の支持率を見ると、派手なパフォーマンス不要で内閣支持率が党支持率を長期安定的に上回っている初の本格政権になっていることが分かります。
安倍政権が次々次繰り出す政策が良いから経済順調・支持率維持なのか、経済が息を吹き返した時に政権獲得したから支持率が安定しているのかの関係は不明ですが・・。
内閣支持率の安定こそ政敵・野党に限らず中韓等敵対国は、政権党を攻撃するよりは先ずは安倍政権打倒に必死になっているのでしょう。
60年安保以降〜高度成長期以降の野党の動きを見ると体制(政策)選択の主張で競争するのは無理が出てきたので、各種反対運動や国会議事妨害目的になって行き、清水幾太郎がそのように変化していった丸山真男ら主流的文化人らと反目するようになっていったことをFebruary 23, 2018,に紹介しました。
「何でも反対」論は、四日市の公害や熊本の水俣病などによる公害反対激化したころまでは社会的意義のあるものもありましたが、駅前商店街(零細商店)を守れなどの反対になってくると市中心部の空洞化の原因となり、空港立地や高速道路反対・工場立地反対など地域経済に対するマイナスが目に見えてきました。

民主党政権の体質と諫早矛盾裁判の両立2

諫早水門開閉に関する司法判断の矛盾は、以下の通り菅総理が周囲の反対を押しきって(ウイキペデイアの解説によると)「私が決めたことだ」と最高裁への上告をさせなかったことによります。
矛盾関係をそのまま放置するのは市民運動家出身総理の面目躍如と言うべきです。
親子劇場専用ホール設置署名運動の例を書きましたが、ガラガラのホールを作っていつでも安く借りられれば便利かも知れませんが、「赤字を誰が負担するか」と言う他方の視点を無視するのが市民運動家です。
以下法務省(訟務部)の主張?解説です。
http://www.moj.go.jp/shoumu/shoumukouhou/shoumu01_00050.html
訴訟の現状及び国側の主張
開門派漁業者らが,潮受堤防の締切りによる漁業被害を訴えた佐賀開門訴訟において,福岡高裁は,平成22年12月6日,国に対し,潮受堤防に設置された排水門の開門を命じました(「判決確定日から3年以内に,防災上やむを得ない場合を除き,5年間にわたって開門せよ」という旨の主文)。この判決に対し,国 が上告をしなかったため,この判決が確定することとなりました。
そして,開門派漁業者らは,この福岡高裁確定判決に基づき,平成25年12月,強制執行(間接強制)の申立てをしました。これに対し,国は,対策工事がで きていない状況では,開門すれば営農者らや住民らに被害が生じるため,開門を強制することはできないなどと主張して争いましたが,平成27年1月22日, 最高裁は,国による抗告を棄却し,「開門しない場合,1日45万円(1人につき1日当たり1万円)を支払え」という間接強制決定が確定しました(その 後,1日90万円(1人につき1日当たり2万円)に増額変更がされ,この判断も最高裁で確定しています。)
他方,開門反対派営農者らは,国に対し,開門した場合には被害が生じるなどとして,開門の差止めを求める訴えを提起し,長崎地裁は,平成25年11月12日,国に対し,開門の差止めを命じる仮処分決定をしました。
これにより,国は,福岡高裁確定判決に基づく開門義務と,長崎地裁仮処分決定に基づく開門禁止義務の相反する義務を負うことになりました。
さらに,開門反対派営農者らは,長崎地裁仮処分決定に基づき,保全執行の申立てをし,平成27年1月22日,「開門した場合,1日49万円を支払え」という間接強制決定が最高裁で確定しました(これについても,現在,長崎地裁に対し,間接強制金の増額変更の申立てがされています。)。
このように,現在,国としては,開門してもしなくても間接強制金の支払を強制されるという状況に置かれています。」

以下はウイキペデイアの記事です
https://ja.wikipedia.org

菅直人の上告見送り
菅直人はかねてより自民党が推進していた本事業を「無駄な公共事業」として強く批判しており[1]、政権を取る前にも市民運動家やTVカメラを伴って水門を訪れて水門をただちに開けるように要求するなどの行動を行っていた[1]。2009年9月民主党政権が誕生すると、民主党の検討委員会が「開門調査を行うことが適当」という見解を2010年4月にまとめた。2010年12月15日、内閣総理大臣に就任していた菅は、福岡高等裁判所の判決について上告を断念すると表明した[1][8]。これに対して長崎県中村法道知事は「国営事業として進められたのに一切相談・報告がなく、報道で初めて聞いた。大変遺憾だ」[1]として不快感を示した[9]。政府内でも福岡高裁判決はあまりにも一方的であるとして上告する意見が大勢であった[1]。諫早市市長の宮本明雄(当時)や仙谷由人官房長官(当時)や鹿野道彦農水相(当時)が菅を説得しようとしたが[1]、菅は「私が決断したことだ」と意見を変えず高裁判決を確定させた[1]。長崎県知事・諫早市市長・雲仙市長・地元商工団体、農業関係者は連名で菅に23項目の抗議の質問状を提出した[10]。

高浜原発で言えば、福井地裁と大津地裁で矛盾する仮処分が出た場合、(諫早訴訟と違って直ちに矛盾する訳ではありませんが・・論点次第です)最高裁までやっておけば結論が統一されます。
衆議院選挙無効訴訟の場合で言えば、ある高裁で無効判決が出た場合国が控訴しないで確定させて、その他の高裁で有効となった場合選挙の有効性が矛盾し、収拾がつかなくなります・・そこでそれぞれの高裁事件について上告して最高裁の統一見解を求めるのが責任ある立場です。
菅総理は敢えてこれを拒否してしまった結果、収拾のつかない状態に追いやってしまいました。
この後で政治と司法の関係を書いて行きますが、政治は無限に存在する時間軸・平面軸の利害(矛盾対立)を調整して統合して行く仕事であり、現在社会では民意・市場こそが神の手であると言う思想が支配的・・民主政体優位の時代です。
そして多様な利害調整は民意吸収の専門家である政治家→国家意思で行なうことになっています。
司法権はそう言う場ではない憲法の作り付けであるのに、政治の場で民意吸収・支持に負けた勢力が、政治の場外乱闘目的・・司法の場に戦いを移したことが矛盾判断の確定をさせてしまったと原因です。
司法は主体性がなく訴えのある限度しか裁判出来ない仕組みですから、仕掛ける方の支持者・内通者?がタマタマ政権交代で国側のトップになっていたときに、ある裁判所で国に不利な判決が出たときに客観資料の明白な読み間違いがあって上訴すれば明白に国が勝ちそうなときに、国の敗訴を確定させるために政権トップの判断で直ちにやめてしまえば、別の裁判所で逆の判決が出ても(・・その間に政権を失っても・)矛盾状態を維持出来ます。
ある会社が次期社長の息子相手に横領事件の裁判をしたときに裁判所の資料読み間違いで、間違って息子が勝ったときに、(福井地裁の仮処分は新聞報道によれば決定書き引用自体が専門家の意見を誤解しているミスがあったと言う報道がありました)控訴すればほぼ100%逆転出来る資料があるときに、次期社長になった親が控訴をやめさせたようなもので、一種の背任行為です。
このように政治は時間軸での一貫性やA県とB県あるいは、国際政治と矛盾しない(「少なくとも県外」の一貫性)等の統一性が要請されますが、政治が司法に頼ると矛盾状態が起きる「制度的保障がある)原因になります。
民主党政権は(諫早事件では開門派が最高裁では負けると分って?)敢えてこう言う選択をしたことになります。
総理が(党利党略の観点のみで)こう言うことをしたとすれば、国家運営責任者の自覚があったのでしょうか?
この後で書きますが大津地裁原発停止の仮処分決定も、高裁では負けると思ってすぐに控訴出来ない仮処分決定手続に敢えて?した(・・その間停止状態になることを狙った)疑いがないかをこの後で書いて行きます。
ここでは過大被害想定運動が原発反対運動や原発操業停止仮処分を発令する伏線として利用されている点を書くのが目的で、失政をどうするかのテーマではないので、この点は仮処分制度のテーマが終わった後に回します。

民主党政権の体質と諫早矛盾裁判の両立1

ここでは、民主党政治批判が目的ではありませんが、被害や対立を煽るだけ煽る政治やマスコミは何のためにやって来たかの視点で書いています。
沖縄の普天間基地移転問題は、騒音等の周辺住民被害解決のために,先ず大騒ぎがあって騒音や事故被害縮小のために一部海上移転の解決策が決まったものですが、そうすると今度は海の生物がどうのと言う反対運動が起き、それが解決すると「少なくとも県外へ」と言う実現不能な提案になりました。
この矛盾が露呈してやはり辺野古への移転が次善の策となると、今度は沖縄だけが本土の犠牲になっている・・沖縄知事が国連で民族自決権が無視されていることを訴えるなど沖縄県民は日本人ではないことを前提にした主張が始まり、中国が画策する沖縄の日本からの分離独立に繋げる公式発言をするようになってきました。
この過程の時間稼ぎとして司法闘争が始まったことになります。
(司法が政治の上位になるような司法権運用の合憲性・・政治と司法の憲法上の関係は後に書きます)
こうなって来ると基地被害を大きく訴えるのは(本質は反日でその防壁になっている)反米運動のための言いがかりでしかなく、民族分裂・・対立を煽り、「揉めさせることが目的」だったかのような印象を受けます。
被害は出来るだけ大きく主張した方が良いと言うスタンスは、被害者救済目的ではなく産業妨害・民族内対立を煽るには被害を誇張して主張すればその内に加害者も怒り出す・・対立激化させる意図によっていたことが分ります。
(放射能被害過大宣伝に応じて大仰に逃げた人との間で、地元民同士でも軋轢・不信感が生じています)
一般政治批判さえ許されない中国の支配下ないし従属化すれば、基地問題がなくなるのか?・・基地反対運動など全く出来ないから基地問題はなくなると言えますが、・・住民無視・蹂躙されるのが目に見えているのに基地被害を理由にする反政府運動で、中国の支援を当てにする運動を始めたのですから噴飯ものです。
民主党やマスコミの被害者救済運動は、昭和時代に中ソの公害や核実験を問題にしないでアメリカの核実験や日本企業の公害ばかり反対していた文化人の系譜を引いているようです。
沖縄を日本民族から切り離す運動を見ると「そこまで来たか!」と恐れる向きがありますが、逆に本音を出さざる得ないほど反日運動家に対する支持がなくなって来た・追いつめられて来たので外部勢力に頼る・・国連活動を始めたとも見られます。
(NGOを使って外部勢力を引き込む問題点は昨年末以来中断していますが、この後で書く予定です)
沖縄基地問題を騒いでいる勢力の本音が出て来たところで、沖縄県民がどちらをとるか・・彼らの煽動にのるか、沖縄県人の本音を本土の人がじっと見守っている状況になってきました。
一旦中国寄り意識・・どっち付かずの態度あるいは独立志向を明らかにした後で日本の方が有利となってすり寄って来ても、韓国に対する日本人の冷めてしまった気持ち同様に、(イザとなれば、信用出来ない民族として)千年の溝を作ってしまう分かれ道です。
沖縄県民が韓国レベルの智恵か本当に日本民族として残るに足る智恵があるかの見せ所です。
壱岐・対馬は元寇のときに現地住民は圧倒的勢力で攻め寄せた元軍に屈しなかった点で日本人は同一民族としての意識を更に高めています。
従来「何でも反対の社会党」と言われていましたが、民主党政権も何でも実現不能に持って行く・・国の政策停滞・・何も出来ない状態・・政府の弱体化を目的にして来たことが明らかになりました。
参院衆院のねじれ現象で何も決められない状態の「継続」こそは民主党の理想的政体だったでしょう。
あちこちで実現不可能なことを言っていた民主党が衆院で多数になってしまい、(同時性と継続性の両面で)一貫したことをするしかなくなるとどうして良いか分らなくなったのではないでしょうか。
政治の停滞・・何も決めない,しない・・させないことを目的にした政党が、政権獲得を目指すこと自体矛盾でした。
諫早干拓訴訟の結果、現出した矛盾状態の根源は民主党政権の目指していた開門方針・開門請求訴訟・・高裁勝訴判決(政府敗訴)が最高裁で負けそうな予想(政府勝訴予想)によって、敢えて従来政府方針との継続性を無視して上告せずに確定させてしまい・最高裁判断を回避したことが原因です。
政権交代したら何をしても良いのではなく、政権交代は政府の内部組織の問題に過ぎず、トップの方針が変わったとしても、政府自体は同一組織ですから継続性が必要です。
企業で言えば分り易いですが、社長が替わったからと言って前社長の決めた契約や約束を反古にすることは出来ません。
方針変更については、これまでの支援者と利害調整した上で和解すべきでしたが、姑息な手段・・一見裁判結果を尊重するかのような形式でありながら、実質は最高裁の判断を仰ぐのを拒否した・・菅総理が奇策を弄したことが矛盾した裁判所判断が確定してしまった原因です。
明日、法務省説明とウイキペデイア説明を紹介します。

  中国強権政治と政権の脆弱性

習近平政権による激しい粛清劇や、日本とマトモに戦ったこともないのに抗日戦勝利の大々的な式典開催を(するしかないのを)見ると、権力基盤がかなり弱い・・その反作用と見るのが普通です。
世界の支持率のバロメータートしてみれば、出席者はロシアのプーチンと韓国大統領くらいで、欧米首脳その他マトモな国の参加がなく、世界大多数の国が日本に遠慮して?参加していません。
これでは普通の先進国的報道基準で言えば、却って習近平氏やって来た中国の国際的地位低下を満天下に曝したことになり、却って権威が大失墜・・大恥をかいた結果になります。
(報道規制があるので、中国人は何も言えませんが・・)
習近平の自信喪失状態丸見えの写真がニュースに出ていますが、報道規制下ですから政府公表写真でさえそんなものしか発表出来ないのですから大変な事態です。
世界で孤立している自信喪失を補うために軍事力を誇示する大々的パレードをするなんて、ナチス時代の再来のような印象・・時代錯誤もはなはだだしい発想です。
マスコミでは、こう言う評価が出て来ませんが普通に見ればナチスの閲兵式のような印象です。
このために3日前ころか北京中心街3km前後が交通禁止、道路に面した窓を開けることも禁止、商店も営業禁止、株式市場も閉鎖(経済活動停止)などですから、事実上戒厳令を布いているようです。
強大な軍事力や公安警察の威力を国民や諸外国に誇示すればするほど、それほどまでに国民が怖い・国民の支持を受けていないことの自認行為であり、諸外国に対しては、今後紳士的交渉・正義の基準に基づくよりは、武力で威嚇して行く方針を明示したことになります。
これでは株式下落の催促に対して市場開放・・透明な社会にして信任を得る努力よりは、市場経済化促進よりは規制強化・・対外不信に対しては武断政治の強化と言う意思表示になります。
自由な経済活動を認めない・・正義に基づく話し合い解決よりは武力による世界から孤立する覚悟・・開き直りを誇示したことになります。
ヤクザ組織じゃあるまいに、力を正面に出して行く意思表示が国益上マイナスになる・・いよいよ国際資本が逃げるでしょうから、冷静な判断が出来なくなっているか生まれが出たと言うべきでしょう。
国内経済も軍事パレードにかこつけて周辺工場や商店を操業停止させたり株式市場閉鎖していれば、当面株式相場の下落を防げるでしょうが・・式典が終わって再開したときどうなるのやら・・却って怖いでしょう。
経済活動の隅々まで剥き出しの規制強化せざるを得なくなったのは、経済面でも限界が来ていることを表しています。
これが尻抜け状態になると・・この面でも権威失墜です。
政府高官自体がいつ失脚するか知れないので、安全のために裏社会を利用して国外に資産を隠し、家族を逃がしている「裸官」と言われている社会です。
隅から隅までお互いを信頼せずにルールも国法よりも入り乱れたヤミの掟で動いている社会では、人間も相互に信頼する習慣が途絶えています。
中国では、愛国心などかけらもない・・一族のみが頼りと言われています。
猜疑心が渦巻く・・荒廃した人心関係で秦漢以来約2000年も経過しているので、これをマトモな心に戻すのは至難です。
表向きは誰でも簡単に改心出来ますが、心の底から癒し真人間に復元するには、心を傷つけられ続けた時間に比例した長期間を要するでしょう。
始皇帝以来の2000年以上にわたる専制支配下で生きて来た人民が、生き残るために法網をくぐることに精出して来た民族性のままで、世界進出するようになると世界秩序の撹乱要因になっていることを、2015/08/06「秩序破壊と社会の停滞・退化1」以下で書いてきました。

暴動と政権維持2(同胞意識3)

強権弾圧政治は、政府軍の武器が民間人の保有武器を天文学的な格差で上回ってる現在、国民の不満がどんなに高まろうとも外国の介入がない限り崩壊することがあり得ません。
国家権力が次第に強化されて来たことについては、非理法天権の法理として、01/21/04「中世から近世へ(国家権力の強化)1」〜01/25/04「江戸時代の相続制度 3(武家)(忠臣蔵の新解釈?)」までのコラムで説明したことがあります。
信長の時代・・戦国武将が強い政権のイメージで想像されていますが、実は今の政府よりも非常に脆弱であったのに対し、今の政府は突出した軍事力の御陰で歴史上比類のない強権政治可能な時代に突入していることになります。
商品知識では専門家に到底及ばない消費者問題がその象徴ですが、(最近では地震や原子力ムラ問題)全ての分野で専門家がその他に比べて格段の突出した能力を蓄えるようになった時代・・専門家以外にはどうにもならない時代に入っています。
01/10/07「世界平和12(戦争の原因6・・武士の戦争6)戦闘員の専門化2」前後の連載で、軍人の専門化が古代から比較的早かったと書きましたが、専門家の力が強くなり過ぎると政治家・権力が恣意的にならないように民主的控制(チェック)が必要になっています。
中国のように独裁体制では、民主的チェックが働かないので権力をもった方がやりたい放題になっても、民衆には前近代のように暴動によって抵抗する物理的方法・・・暴動能力低下・・がなくなった点が問題・悲惨です。
(チベットの場合、対外的に殆ど解放されていないので政府のやりたい放題なっている傾向があります。)
まして旧ソ連や中国のような大国になると外国軍の介入はあり得ませんので、政府には人道に関する意識・自制がない限り(あるいは同胞に対する愛がない限り)何の遠慮もないことになります。
進歩的知識人によるロシアや中国での民主化期待は、実は被統治者の抵抗能力が極小になって物理的歯止めがなくなくなった現在では幻想に過ぎません。
ただ、収容所列島という本を出されてしまったソ連の場合を見ても分るように、政府批判者・暴動頻発→収容所送りをしていれば政権崩壊はないとしても、国民のやる気をなくすので国際競争に負けてしまう点が難点です。
(現在でも北朝鮮の経済停滞を見れば明らかです。)
そこでソ連はゴルバチョフによって、自ら弾圧政治体制を解体してやり直しに方針転換しました。
その結果今でもまだ民主化定着に努力中・・実際には揺り戻しもあってなかなか大変ですが、民主化定着に民族として頑張って欲しいところです。
中国の場合、国際競争力回復・維持のために経済(経済活動の自由化)を開放はするが強権弾圧政治を残すと言う二兎を追う政策を実験中です。
その矛盾が最初に出たのが天安門事件でした。
共産主義政権下でも自由主義経済(先進国の自由主義にはルールがありますが、中国ではルール無視でも手段を問わずに金儲けさえすればいという自由主義)にひた走るという矛盾した体制が共産党独裁下の「自由」経済と言う呼称です。
以前書きましたが、共産主義体制堅持というのは本来は経済体制の意義ですが、中国では単に1党独裁・強権政治体制を維持するための名目を意味しているだけですから、経済体制としては改革開放後は独裁に反しない限度で自由主義体制に移行しています。
西欧の歴史に当てはめれば、絶対王制下の重商主義の焼き直しをしていると言えるでしょうか?
イランのパーレビ王制やフセイン大統領時代のイラクや中南米・リビア(カダフィ政権)等に多かった自由主義経済下での独裁軍事国家と本質は同じです。
しかし、自由主義経済維持に必要なルールと1党独裁体制維持に必要なルールとでは、価値観が対立するので、これを強権的に無理に維持していると価値観の混乱が生じます。

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