社会党純化と抵抗政党化2

安保闘争のやりすぎで(メデイア系や文化人?は歴史的業績として今でも宣伝しますし、全共闘時代を懐かしむ美術展が1昨年頃に千葉市美術館で行われていました)実際には現実無視のやりすぎに国民が驚いてしまった・・大失敗だったでしょう。
安保騒動の結果国民支持を大幅に失い、ヤケになったのか?66年から76年までの中国の文化大革命を礼賛して国内で「造反有理」を若者をけしかけて、昭和40年台の全共闘世代の騒乱を経てさらに信用を落としていた社会党は、実質的に正攻法での天下取りの展望を失っていきました。
当時美濃部都政に始まり横浜の飛鳥田市長など地方自治体での首長選で実績を積んでいたのですが、それは者回答内で進む教条主義とは正反対の現実路線による実績だったのに党中央では教条主義の成果と誤解?していたようです。
社会党低落の原因に関する7日現在のウイキペデイアの記事です。

再統一と60年安保闘争・三池争議
左右両派は1955年10月13日に党大会を開き社会党再統一を果たした(鈴木茂三郎委員長・浅沼稲次郎書記長)。1950年代の躍進により、再統一時の社会党の衆議院での議席は156にまで拡大した。同年11月には保守合同で自由民主党が結成され、両党を合わせて55年体制とも呼ばれるようになった。
1959年第5回参議院選挙では東京選挙区で公認候補が全滅するなど党勢が伸び悩んだ。最右派の西尾末広は、階級政党論、容共、親中ソ路線が敗因と批判した。
さらに、安保改定に反対するなら安保条約に代わる安全保障政策を明確にすること、安保改定阻止国民会議の主導権を総評から社会党に移し、国民会議から共産党を追放するよう要求した。逆に、総評の太田薫と岩井章は、共産党との共闘(社共共闘)を原則にするよう主張し、両者は真っ向から対立した。
・・・西尾末広派と河上丈太郎派の一部は、1959年に相次いで脱党し翌年民主社会党(後の民社党)を結成する。
・・・当時、日米安全保障条約の改定が迫りつつあり、社会党は安保条約の廃棄を争点に政権獲得を狙った。福岡県大牟田市の三井三池争議も泥沼化し、この三池争議と安保闘争を社会党は全精力を傾けて戦うことになる。このなかから、社会党青年部を基礎に社青同(日本社会主義青年同盟)が1960年に結成された。三池争議も労働側に著しく不利な中労委の斡旋案が出されるに至り敗北が決定的となり、新安保条約も結局自然成立してしまった。
低落を決定づけた1969年の総選挙
この時期に起きた社会主義に幻滅を与える数々の事件(新左翼による暴力的な全国学生闘争/70年安保闘争やそれに伴う内部暴力抗争=内ゲバ)、中華人民共和国の文化大革命の混乱、チェコスロバキアへのソ連率いるワルシャワ条約機構軍の侵攻(チェコ事件)などについて、社会党がはっきりと批判的な態度を取らず曖昧な態度に終始していたこと、文革やソ連の侵攻について党内には理解を示す動きすらあったことではないかと推測している。また、この時から各種世論調査で「支持政党なし」層が急増することにも注目し、社会党を支持していた層のうち、69年総選挙で一旦棄権した後、社会党支持には戻らず「支持政党なし」に移行した有権者が多数存在していたのではないかとも述べている。
しかし、自主独立路線を確立しソ連や中国への批判姿勢を強めた日本共産党は、この時期から議席が拡大傾向を示すようになり、社会党の側からも脅威と見られるようになった(これが社共共闘が壊れた理由の一つでもある)

以上のように安保騒動前に社会党内でも、観念的非武装中立論ではダメだという主張が大きなうねりになっていたのに、主流派は教条的観念論で排除するばかりでついに現実路線の人材が脱党して民社党結成になります。
ソビエトが粛清に次ぐ粛清で内部が純粋化?硬直化していったのと同じ動きが始まっていたのです。
民族精神の強い日本人は、サンフランシスコ講和反対=実質日本独立反対論→安保騒動以降、中ソべったりの社会党を胡散臭く見るようになって行ったとするこれまで書いてきた私の意見とほぼ同様の解説です。
社会党が事実上分裂して1960年民主社会党→民社党ができ、(支持母体労組総評.官公労→社会党と同盟・民間労組→民社に2分)その社会党がさらに左派同士(その後の中ソ対立の影響をもろに受けてソ連系左派対中共系原理主義的左派の争い?)の内部抗争を繰り返していて・左派(佐々木派)内で頭角を表したものの現実路線で国民人気を博した江田三郎氏は居場所をなくして出てしまいました。
要するに純粋左派どころか極左系政党となり内部的には一人よがりの決議を連発してればいいので気持ちよくなったでしょうが、国民支持が急速に離れていったのです。
江田三郎氏に関するウイキペデイアです。

1970年の委員長選挙でも敗れた江田は、公明党・民社党との社公民路線による政権獲得を主張したが、当時の委員長成田知巳らは日本共産党をも加えた全野党共闘を主張し、江田の主張には耳を傾けなかった。
自民党がロッキード事件で大きく揺れる1976年、社公民路線を推進するため公明党書記長矢野絢也や民社党副委員長佐々木良作ら両党の実力者とともに「新しい日本を作る会」を設立するが、これが社会主義協会系の活動家たちの逆鱗に触れた。同年12月の第34回衆議院議員総選挙では落選し、明けて1977年の党大会では社会主義協会系の活動家たちから吊し上げられる。この結果、江田は社会党改革に絶望して離党しようとしたものの、離党届を受け付けられず、逆に除名処分を受けた。
離党後の1977年3月、菅直人らとともに社会市民連合(社会民主連合の前身)を結成し、同年の第11回参議院議員通常選挙に全国区から立候補することを表明したが、病魔は江田を襲っていた。同年5月22日、肺癌のため69歳で死去。代わりに息子の江田五月が急遽出馬し、第2位で初当選した。

社会党の方針は(国民そっちのけで)内部過激化(教条化)競争する一方の状態で、急速に国民支持が離れていきました。
結果的になんでも反対するしか無くなって、外から見ると日本の近代化阻止邁進中?(中ソに対するの忠勤競争?)の印象が強まる一方でした。
戦後の大変革(今でいえば紙媒体からデジタルIT化への変革に匹敵)のさきがけ・・飛行機利用拡大・・グローバル化時代突入に備えるインフラ準備であった成田空港開設を阻止することが、社会党の目玉政策になったようです。
これが時代錯誤性の象徴的運動になって、ついに社会党は単なる抵抗勢力の代名詞になって急速に国民支持を失っていきます。

政党支持率と内閣支持率(安倍内閣の改憲を許さないとは?)

いまの内閣を信用してもすぐに変わっていくが(日本では平均数年です)自民党の体質は簡単に変わらないから「この内閣の提案は信用できるが母体の政党が信用できないので、反対」という方が意味が通るキャンペインですが、憲法改正や政策に反対するチラシなどでは、逆に「安倍内閣だから〇〇反対」という運動が目立ちました。
選挙で勝敗(信任)が決まった直後に、国会周辺に数万前後を動員して「自民党の提案に反対しているのは国民大多数の意見」というのは無理があるので「自民党支持と内閣支持は違う」国民は内閣を支持した訳ではない・・というすり替えイメージ流布に努めている印象でした。
このような選挙結果無視の運動が正しいとすれば、議院内閣制を否定し大統領制に憲法を改正するしかありません。
何がなんでも憲法を守れという護憲勢力としては矛盾した主張です。
民意無視の専制国家モデルでは、「人民は敵ではないが、支配者は敵」と分離する発想は合理的ですが、日本のようにボトムアップ型・同胞社会では人民と支配者の分離工作は無理があります。
政治の世界でも同じで「与党に文句ないが与党の選んだ内閣は敵」という運動には意味不明の印象を受ける人の方が多いでしょう。
これがぴったりだと思うのは、専制支配を理想とする精神構造の人たちのグループだけはないでしょうか?
本質は反対のための反対なのでいうことがなくなったのではないか?というイメージです。
これに呼応するかのように大手メデイアは「安倍一強」に問題があるかのように、自民党内の風通しが悪くなり自由な議論ができなくなっているなどのムード宣伝が続きました。
最近では政高党低という熟語を宣伝して、内閣が自民党から如何に遊離しているか党内不満が鬱積しているかのようなイメージ作りに励んでいます。
内閣を支持していないが地元与党政治家を支持しているから結果的に与党に投票しているという人もいるでしょうし、逆に自分の選挙区の与党立候補者の人物はもう一つと思っているが、内閣を支持しているので与党候補が落ちて内閣が弱体化すると政策実現能力が下がるので、仕方なく与党候補に投票している・・内閣の人気にブラ下がって立候補当選している政治家もいます。
このどちらが多いかを表すのは内閣支持率と与党支持率の較差でしょう。
昨日紹介した世論調査を見ると、どこの調査でも内閣支持率が自民党支持率よりも高いのですから、地元自民党立候補者への信任より内閣への信任の結果・・仕方なしに地元自民党候補に投票している人の方が多いことを表しています。
こういう状態で自民党は好きだが内閣のやることには反対・・これが国民大多数の声というキャンペインは無理があることが明らかです。
立憲民主に対する総選挙後の支持率の変化を見ると、国民の多くが原理論というか?観念論で反対ばかりする政党を必要としていないことは明らです。
昨夏の衆院解散に対して「大義のない解散」という声・・解散批判論がメデイアを中心に大きかったですが、選挙があれば、少なくとも一定の高齢者がこの機会に引退することで政治家の世代交代が進むことと、民意の反映が進むメリットがあることが明らです。
メデイアの応援頼りで実際に国民支持のない民進党が選挙という国民審判の本番を前に外見をそのまま持ちこたえられずに解体するしかなかったこと・・希望の党や立憲民主党ができたことで、メデイアによる実態不明の世論調査ではなく、メデイアの煽る森友問題などを国民が本音でどう見ているかの審判が下されるようになったことは、大きなメリットでしょう。
メデイアはしきりに解散がいかにもよくないかのようなイメージづくりをしていましたが、要は「森かけばかりが国会の仕事ではないという)民意を証明されるのが怖かったからでないか?という結果に終わりました。

国政政党の役割4

昨日引用の続きです。
http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20171109.html

衆院総選挙、このあと小池都政はどうなる?
佐々木 信夫/中央大学経済学部教授
専門分野 行政学、地方自治論
都政はどうなるか、小池都知事は再起できるか
・・・・今回の衆議選では姉妹党と思われる「希望の党」は大惨敗した。特におひざ元の都内25小選挙区のうち勝利したのは1つであり、比例を含めても獲得議席は4に過ぎない。東京都内のこの結果が東京都政に影響を及ぼさないはずがない。
都知事の威信
選挙前でも、就任1年目の庁内の小池評価は46.6点。同時期の舛添要一は63.6点、石原慎太郎は71.1点。[7]。前任の都知事らと比較しても極端に低かったが、今回の国政進出でその信認は完全に失われてしまった。0点に近いのでは。信頼できないトップの言動、動きに部下が冷ややかな反応をするのは企業とて同じ。トップのリーダーシップは部下のフォロアーシップが噛み合ってこそ初めて機能する。小池氏はもはや1人で吠える空回りリーダーではないのか。
2足わらじ
・・・都議選後、「都政に専念する」と明言していたにもかかわらず、舌の根も乾かぬうちに「私が先頭に立つ」と国政政党を1人で立ち上げ、「政権選択の選挙」だとはしゃぎ走り回った小池氏。大敗後も、深く反省し「都政に邁進する」と口では言うが、党代表を降りる気もなく、党代表と都知事との2足わらじを相変わらず履き続けるというのだ。
・・大敗後も代表として国政政党の主要な意思決定に深く関与するという態度だ。「国政に色目を使わずに地道に都政の執行に専念すべきだ」(前掲・片山)といった知事経験者としてのコメントにも応えようとしていない。
国との関係
都民の人気が絶大でそれを背後に国にモノ申してきた小池氏とは違い、都民の支持がなくなったいま国側は全く怖くない。五輪準備もこの先、ゴタゴタ続きになるのでは。それに国が救いの手を差し出すとは思えない。
都議会との関係
・・・小池氏が掲げた“東京大改革は都議選に勝つこと、”この目標“は見事に達成されたが、それだけでは大した意味はない。自分を支える勢力にお友達が増えた程度の話だ。そうではなく、“古い議会を新しい議会に変える”との話はどうなるかだ。
・・・うも違う。小池氏の都民ファ運営が独裁との評で、既に2名の有力議員が離党した。「希望の党に連なる都民ファへの指導力が低下する可能性もある。都民ファは分解の過程に入ることも想定される。特に民進党出身の都議が動揺していると聞く」。
・・・都民ファの内部の最大勢力は実は希望の党の9割以上が民進出身者であるのとよく似ている。一番数が多いのが民進系議員で、もし彼らが集団離党すれば、もはや都民ファは1年生の小池塾生と一部の自民系議員だけになる。その自民も今回の復調で離党する可能性がある。このドミノで都民ファは少数会派に転落してしまう。
都民ファと与党を組む都議会公明(23議席)の動きも怪しい。国政同様に自公体制を望み、都民ファとの与党体制を解消する方向に行ったら、小池都政を支える勢力は無に帰してしまう。
小池都政の今後の課題―それを解決できるか
仮に小池氏が希望の党代表を辞め、都知事に専念するとした場合、この先小池都政はうまく前進できるかどうか。課題を幾つか挙げてみるが、なかなか難しいのでないか。
第1は、小池都政のこれまでの都政運営の仕方を変えられるかどうか。議会にも職員にも都民にも相談なく進めるワンマン都政のやり方をだ。情報公開、見える化を売りにするが、一方で政策形成や決定過程は外部顧問に依存し、組織を無視するワンマン決定でブラックボックスに近い。合意形成より知事独裁に近い都政運営をどのように変えていくのか、変えられるだろうか。
第2は、豊洲移転と築地再整備の折衷案を実際「形」にできるかだ。そもそも豊洲移転延期から2年以上が過ぎる見通しで時間とカネが相当掛る。しかも都議選直前、自分のAI(人工頭脳)で決めたという豊洲移転と築地再開発の両立という方針は、採算面からみても成立不可能ではないか。500社に及ぶ築地市場の利用業者の信用は完全に失われている。カネと時間を失い、信用を失ったこの大プロジェクトを立て直すことができるのか。
第3は、2020五輪の準備は相当遅れているが、ほんとうに大丈夫か。築地市場跡地を通す幹線の環状2号線の整備及びバス3000台以上が駐車できる駐車場の整備は、豊洲への全面移転が完了してからでないと始まらない。その移転自体、ズルズル延び来年10月以降という。それだけでなく、全体的に遅れているのが五輪向け都市整備だ。“総合的に判断”と言うが、ワンイッシューにこだわり整合性を欠く都市整備の現状を小池氏自身の力で変えられるか。間に合わないとなれば、急転しインフラ整備は国が前面に立ってやらざるを得ない状況に追い込まれる事態すらあるかも。そうなると、小池都政は国内外の信用を完全に失ってしまう。
第4は、本来都政が取り組むべき「都市問題」の解決、都市政策の実行ができるかだ。もともと都民は小池氏に政策問題の解決をあまり期待していない感じだが、しかしそうは言っていられない。
・・・・・・自分が関心のある無電柱化などに凝っているようだが、それ自体、都民生活上の優先順位は低い。上述の優先順位の高い問題にどのようなプログラムとスケジュールで取り組むのか。それには都庁という巨大官僚制を動かすエネルギーが要る。信用を失った中で、これができるか。
第5は、東京都内というコップ内だけでなく、日本全体の東京一極集中批判に都政はどんな対応をするのか。独りよがりの東京論をかざしていると、老人介護施設の首都圏広域展開ひとつ協力を願えない。五輪施設の他県整備でゴタゴタした小池氏の手法に不信を持つ知事、市長は多い。よく考えて欲しい。東京という大都市は水ひとつ、エネルギーひとつ、食糧ひとつ、自前で供給する能力のない、他に依存して成り立っている砂上の楼閣のような都市であることを。近隣諸県のみならず、全国、アジア、世界からの協力なくして東京は生きていけない。
建言「もう“国政との2足わらじ”は止めろ」
少数野党を率い国政に片足を置いたままで都政がうまくいくはずがない。ひとりの人間にそんなエネルギーはない。ここは政党代表を離れ、都政にしっかり専念すべきだ。それでも大変な時期のはず。都知事の通常の仕事、前例のない「老いる東京」問題、2020東京五輪の準備と、都知事が3人必要な状況にあるのだ。
・・・・・小池氏は都知事になる準備をしていた人ではない。突然前知事が辞職したから降って沸いたようにお鉢が回ってきたに過ぎない。なので、都政自体をもうひとつ判っていない感じがする。就任から1年以上経つ今でも、自分の皮膚“感覚”で都政を語っているようにしか見えない。本当にやるべきこと、都政を動かすプロモートは何かが見えていないのではないか。
労組の「連合」を頼りにしているようだが、選挙はともかく大都市経営には限界がある。民間との関係で片肺飛行の都政。これでは東京の持つ力を出せるはずがない。
・・・労組も大事だが、経済界、政界、区市、各種団体、都民、他県ともしっかりスクラムを組むべきだ。情報公開という意味で、五輪は五輪で今どんな準備段階にあるのか工程表を明示し、世に説明すべきだ。ひとつひとつ謙虚に物事を解決し実績を積んで行ってこそ、小池都政に“明日”は拓ける。」

国政政党の役割3

以上、小池旋風や総選挙について感想を書いてきましたが、専門家のわかり良い分析が出ているのに気がついたので長文のために部分的抜粋ですが、以下2日に分けて引用して紹介しておきます。
これによると小池氏は敵を巧みに作りあげる手法でメデイアとの合体でブームを起こしてきたが、都議選後敵がなくなって困っていたところで、解散があったので国政へ逃れて一時的に息を吹き返したという見たてのようで、これまで書いてきた私の個人的印象が裏付けられます。
いつも書くことですが、面倒な内部の利害調整・政治を怠り外敵を求める安易な手法に頼ると次から次へと外敵が必要でいつかは壁にぶち当たります。
以下に紹介する論文は読売のオピニオンに掲載されているのですが、政治家として何をするかの内容のない・スケープゴートを作り上げるだけの小池旋風を煽ってきたメデイア界がどう責任を取るのか?という私の関心・・問いも(遠慮がちに)発せられています。
下記引用の通り、2足のわらじで都政を放り出していることに対する厳しい批判を受けていたので已む無く14日には希望の党の代表を降りたようですが、往生際が悪かった点がどう作用するかについては、以下の引用記事には出ていません。
小池氏が今更パファーマンス政治をやめて都政に真面目に取り組むといっても、もともと利害調整の経験が乏しい小池氏に調整能力があるのかの疑問がある上に、都庁役人や都議会・都民が「都政を踏み台に利用」しようとした点がバレバレになった今となっては、真面目に協力できるか?ということです。
http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20171109.html

衆院総選挙、このあと小池都政はどうなる?
佐々木 信夫/中央大学経済学部教授
専門分野 行政学、地方自治論
飽くなき“権力亡者”にいつまでつき合う
昨年7月31日の都知事選で291万票を得て当選したのが小池百合子氏。今年7月2日の都議選で自ら立ち上げた地域政党「都民ファーストの会」を大勝(55議席)に導き、都議会自民を大敗(23議席)させた。都議会ドンとか都庁を伏魔殿と呼ぶなど敵視戦略で2つの選挙を制してきた。都議選に大勝利した瞬間が小池百合子主演の「小池劇場」(都政版)がピークを迎えた時だった。筆者は、その後の都政は敵を失い自らの仕掛けが敵になる、との見方からこの瞬間で「小池劇場は終焉した!」と本欄に書いた(17年8月31日付)。
ところが第2幕があった。もう1つの国政進出がそれ。安倍首相の突然の衆院解散、10月22日総選挙と慌ただしい動きが始まると、この時とばかり、“私一人で立ち上げます!”と国政新党「希望の党」を立ち上げた。(国政版)「小池劇場」の幕が開いた瞬間だ。マスコミなど世の中はテンヤワンヤの大騒ぎ。“希望のスター現れる”との囃し立てぶり。“初の女性総理誕生”とまで書く新聞もあった。
・・小池氏はあたかも首相の座に手が届きそうな絶頂の表情でテレビに出まくった。
民進党を丸のみして政権を取ろうとした希望の党、それをめぐるゴタゴタ。その主犯は小池氏だろう。中身のない看板だけの民進党の面々も同罪だが、都政を置き去りにし、都政の実績もなく問題提起だけで1年を過ごしてきた小池氏が“私が日本を変える大政治家”とばかりに振舞った罪は重い。そのことを見抜けないで馳せ参じた民進系議員、スターのように囃し立てたメディア、評論家の罪も重い。危うい世論の空気も。日本政治の空白の1ヶ月だった。
・・・その小池氏。大敗に驚き潔く身を引くかと思いきや、「深く反省し、お詫びしたい」と反省の弁を語ったが、それは口先だけ。都知事は辞めないし、依然として希望の党代表を続けるという。そうまでして権力の座に恋々とする、“飽くなき権力亡者”に都民はいつまでつき合うのか。
・・・今回の総選挙で希望の党が過大評価されたのは「メディアの責任が大きい。
マスコミの支持、世論を追い風にしてきた小池都政の推進力はこの先、確実に落ちる。
・・・小池氏は、問題の指摘は上手だが“課題を収拾できない人”と皆が見抜いてしまったからだ。
・・・・本人は「都政に邁進する」と嘯く。「都政を踏み台に首相へ駆け上がる」、その野望を全面に出しての国政勝負に大失敗し“劇場2幕”の幕が下りたにも拘わらず、この先も政党代表と都知事の2足わらじを履き続けるという。
・・・・常識では考えられない。果たしてこの先、都民の支持、都庁官僚の支持、都議会の支持、国民の支持は得られるのか。頼るのはマスコミの支持か。都知事の途中辞任が続く“混乱都政”の収拾を期待されての登板だったはず。だが、やっていることは、それに輪を掛けそれを上回る混乱、専横ぶりではないか。都知事ってそんなものか、都政ってそんな片手間の仕事なのか。都政をないがしろにし、自己ファーストで権力の座にしがみつく、そうした小池氏の姿に怒りと失望を感ずるのは、筆者だけだろうか。
この解散総選挙は何だったか、何に役だったか
現代はメディアの報道が選挙結果を大きく左右する時代だが、商業主義のメディアに翻弄され右往左往した有権者も多かろう。政権選択と嘯き「希望の党」にスポットを当てて小池百合子をスターのように扱ったメディアは今どう抗弁するのだろう。
選挙報道の新聞、テレビはどれも筆先は同じ、コメンターもみな同じ人。そこには小池氏を囃し立てるトーンはあっても有権者の目線に立った対論、争論、ディベートは殆どなかった。第4権力ともされるメディア、これが報ずる“過ち”を私達はどう見抜けばよいのか。」

執筆者はメデイア界で活躍しているからか、「私達はどう見抜けばよいのか。」とメデイアの影響力を過大評価していますが、いくらメデイアが煽っても彼女の政治が何をもたらすかを素早く見抜いた国民がいる・・すぐに彼女を支持しなくなった健全な結果を重視すべきです。
小池旋風がほんの短期間しか効果がなかったのは、メデイアの虚像(いわゆるフェイクニュースの走りです)拡散による誘導効果・メッキも一緒に見抜かれている点をこの論者はあえて過小評価していると思われます。

国政政党の役割2

ここでは政党全体の能力競争・・レストランのメニューにあたる選挙に必要な公約の内容を書いています。
実際に作れないメニュウ表記はフェイク・おとり広告になるのと同じで、メニーに掲げる以上は具体的準備が必要でしょう。
例えば、政治資金規正法関連や政務調査費の使途チェックばかりに特化するのは、政党ではなくオンブズマン程度の組織のやることでしょうし、汚職や不正経理チェックも警察や監査専門家が第一次的にやることです。
弱者目線で言えば福祉水準は手厚い方が良いし医療費は安い方が良いし子供も大事にした方が良いに決まっています。
しかし商人でいえば売り上げ金全部〜8割を生活費に使うと次の商品仕入れができないし、店舗や設備をリニューアルし優秀な人材を雇って行かないと競争に負けます。
結局は使途バランスをどうするかの問題です。
政治家・国の経営者になろうとするものは、いかにして収入(国の活力アップ)を増やすかの方向性を示してから、その配分を考えるのが普通です。
総収入があってこそ、使い道の考えも出てくるものです。
生活保護も手厚い方がいいものの、元気に働くものの生活水準とのバランスがあります。
希望の党の公約では不要不急のインフラ整備をやめて財政再建する・・消費税増税凍結と言うのですが、不要不急のインフラ工事をやめるといっても何を不要不急と断定して中止するかの意見がありません。
国家運営には、国民全般の生活条件の底上げ・の収入増をはかることが重要・その上での分配論ですが、収入面で言えば、どの産業分野を今後伸ばしていくべきかを言うべきであって、単に「産業の活力アップを目指します」と言うのでは空疎すぎます。
産業の活力アップ反対の政党はないでしょうから、どうやって活力アップするかの提案こそを公約すべきです。
例えば電線地中化自体は徐々に行われていて誰も反対はないのですから、この公約は従来は年に5キロのペースで進んでいたが、今後10キロのペースにするなどの速度アップのアッピールと思われますが、資金面の優先配分だけでは無理で、後記の通り逼迫している建設関連労働力をこの分野に優先的配分しない限りスピードアップできません。
電線地中化工事を早めるために、オフイスビルやホテルあるいは駅舎等々の新改築、オリンピック関連工事その他の前向き需要に応じた建設工事(新鋭工場や物流施設や、都心部の最新ショッピング施設新設工事などなど)を遅れさせることが経済活性化にどのように結びつくのでしょうか?
優先順位の決定がないまま・・不要不急のインフラ整備をやめるというだけでは、なにを止めるのかも不明で希望の党には何の政策もない・やりたいこともないのに権力欲だけで結党したと自白しているようなものです。
築地移転で言えば、1年間以上も空転させてまで土壌汚染を騒ぐ必要があったのかと言う・まさに時間の優先順位の判断ミスの疑問です。
政治は全体のバランスを見て取捨選択→具体的になると大方の場合「あなたの希望は後回しです」と言うしかないので利害対立が出てきますが、利害調整をしないで具体的意見を言えないのでは、国家運営を担うべき政党と言えないでしょう。
国政進出の政党設立は、小池氏が総理になりたいという野心で始めたことは周知の通りであったにもかかわらず、党代表の自分が立候補するか否かさえもはっきり出来ないまま公示日直前を迎えてしまいました。
都知事1年で都政を混乱させただけで何もしないで逃げ出すのか?という批判に耐えられなかったことがまず第一で、次に結党直後のフィーバーがどの程度続くか見極めてから決めたいという態度が見え見えでした。
若狭氏が結党準備をしていたのに、或る日突然に私がやりますと宣言していきなり自ら代表についておきながら、風向き次第で選挙に出るか出ないかを決めるというのでは、実現したいことがあって旗揚げしたのではないという前代未聞の自己都合の結党だったイメージを焼き付けました。
選挙に出ないで負けた場合には都知事の椅子にしがみついていれば、もしかして残任期中に都政で挽回できれば捲土重来を期する道があると見たのでしょう。
無責任な煽りばかりで自分が出馬するかどうかもはっきりさせられない・・それでもメデイアの煽る方向へ単純に同調する国民がそんなに多いのか不思議だと思ったのは私だけかと見ていましたが、結果は10月10日公示〜10月22日の衆議院選挙結果で判明しました。
October 28, 2017「アメリカンファーストと都民ファーストの違い」以来アメリカンファーストのフレーズに関連して、都民ファーストのフレーズとを比較しているうちに希望の党の旗揚げがあったので、変な方向にテーマが流れてしまいました。
小池氏の手法は、現実政治に関係のないキャッチフレーズを次々繰り出すだけ・それもヒト様(トランプ氏やメデイアで出ている)の借用の言葉が踊っているだけという印象で終わったのではないでしょうか?
アメリカンファーストはオバマ以来の国際力学の変化であって(応分の負担をしてくれないと)「もはや世界の警察官をやってられない」というアメリカの厭戦気分を背景にしていますので、時代背景のあるフレーズですが、都民ファーストには何らの合理性もないと書いてきました。
日経新聞には、消費税の地方分配率で、東京都が取りすぎているので東京都の取り分を減るべきという動きが出ていて12月16日朝刊ではその方向で決着したと書いています。
都民ファーストどころか「都が多く取り過ぎている」という批判の方が多いのを無視し(何か言い分があるかもしれませんが、何も考えずに流行語に飛びついただけの印象を国民多くがうけたでしょう)て国政に打って出ようというのですから、何を考えているの?という疑問を持った人の方が多いでしょう。
今回(昨秋)の選挙の結果、メデイアと政治家がタッグを組んで虚像・イメージを繰り返せば一定のところまで行けるが、国民が賢いので根拠のないイメージ効果持続期間(人の噂も75日?)が短いことが分かった状態です。
メデイアの世論誘導力が選挙のたびに落ちてきたことが、メデイアが目の敵にしていたトランプ当選だけではなく今回も証明されたようです。

 

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