日本の危機対応力(米国支配と民族危機)2

昨日引用した占領政治の記事によれば、
「他のアジア諸国と同様に米国および欧州連合国に従属的な市場に解体」目的遂行のために占領開始後5年間の長期にわたって復興支援どころか、既存設備破壊を進めていたとは驚くべき所業です。現在でいえば、東北大震災の現場に来た米軍が、震災被害をまぬがれてようやく残った施設破壊を5年間続けていたとすれば、その残虐非道さがわかるでしょう。
しかも残すべき施設レベルは、「他のアジア諸国と同様に米国および欧州連合国に従属的な市場に解体」とは植民地支配を受けている国々と同様のレベル・欧米工業製品を買う市場でしかないレベルに落とす目的であったことが明白に公表されているのですから、対日戦争に引きずり込んだ目的が何であったと推測するのはあながち不合理とは言えないでしょう。
占領政治の公開された当初方針と実際にやったことおよび戦争中の米軍の攻撃対象(農村部民の小さな集落まで執拗に攻撃していたこと)から見れば、農業国としての生き残りしか認めない植民地的支配を目的にしていた・・それ以外の降伏条件を認めない交渉態度であったことが推測されます。
こういう邪悪な本音を含むハルノートを突きつけられた日本として無謀な?「戦争に討って出るしかない」と決意せざるを得なかったのは止むをないことでしょう。
アメリカ主導のポツダム宣言で「奴隷化するものでない」と言わざるを得なかったのは、本音がそこにあったからでしょう。
ウイキペデイアのポツダムダム宣言からの引用です。

4 日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来したのだ。
5 我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めない。
6 日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍  国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。

9 日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活出来る機会を与えられる。
10 我々の意志は日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。

奴隷化しないという文言があっても続けて意味不明な軍国主義禁止という思想検閲や戦争犯罪処罰権・何が戦争犯罪かの基準のない犯罪処罰を自由自在に行える仕組みは、奴隷支配の言い換えに似ています。
法治国家の旗頭を自称し、日本に民主主義を根づかせるための占領と称していたアメリカが「軍国主義」という意味不明の犯罪構成要件で日本国民支配道具にしたこと自体が、法に基づかない恣意的支配をする予定であった底意が推測(邪推に過ぎないかな?)されます。
軍国主義反対と何かある都度政治スローガンに掲げる思想集団がいますが、大方の場合中韓の反日主張の言い換えに過ぎず、結果的に日本国弱体化・・何をされても何ら抵抗できない状態に置いておくための方向性そのものです。
軍国主義という定義が今になってもはっきりしていないことについては、このブログでOctober 11, 2018「軍国主義とは7?(検非違使庁・・令外官)」前後のシリーズに書いたことがあります。
そもそも軍国主義否定宣言によって、民生用生産設備の国外搬出がなぜできたのか不明です。
永久に抵抗力を奪う・・そのために生産力をを持たせないという非道な支配目的であったと解釈すれば生産設備破却もその一環として理解可能です。
インディアンの生活力を奪うために全く関係ないはるかなる地域へ強制移住させない代わりに生産力を奪ったのではないでしょうか。
「弱いもの相手なら人道など問題にしない」という政治思想を臆面もなく実行してきたアメリカは、法治国家と言えないのではないでしょうか?
日本人を奴隷化しないまでも欧米の植民地あるいは半植民地化されて呻吟している諸国以下の生活レベルしか認めないという本音が現れた事実が、占領政治当初5年間の支配でした。
こういう非道な本音を知っていた勇猛なアパッチ族が最後まで戦うのを選択したのは当然でした。
アメリカの歴史事実であるアパッチ族完敗後抵抗しなかったその他部族・インデアンがいつから始まったか不明なほどの昔から住み着いていた生活圏から引き剥がされ、その子供らが両親から引き剥がされて、白人家庭で牛馬のごとく?育てられた結果、民族の誇りもなくなり(この辺の流れも以前紹介しましたが仕事を奪われ、骨抜きされて何世代も経てば当然です)、今や、自活不能・・アル中や薬物中毒中心で絶滅危惧種扱いで被保護民族になり下がっています。
http://heapsmag.com/tommy-pico-native-american-brooklyn-poet-who-left-indian-community-modern-young-american-indians-lifestyle
2016.12.18

現代インディアンは「米国政府の管理下暮らし」。故郷を捨て都会に飛び出したインディアン青年、二つのライフスタイルを語る
アメリカ・インディアン(アメリカ先住民族、ネイティブ・アメリカン。以下、インディアン[※])。アメリカ大陸に初めて足を踏み入れた“真のアメリカ人”なのに、アメリカ人として忘れられた存在だ。長い間迫害を受け、実は現在でも連邦政府の管理下でリザベーション(居留地)暮らしを送っている。

論文引用したつもりで、私の過去ブログ内を検索していたら、以下の記述が見つかりました。

July 20, 2016,「占領統治の難しさ(日本奴隷化作戦の変更)」
どこの誰か?根拠があって書いているか知りませんが,私が何かで読んだ記憶に大方あっているので一応引用しておきます。
http://goodorbadamerica.blogspot.jp/2013/01/blog-post_17.html
「徹底した同化政策を進めるために、赤ちゃんは、強制的に白人家庭に養子に出されたり、5歳以上の子供たちは、全員親から引き離されて、寄宿学校に入れられちゃいます。
学校と言っても、牢獄に近かったらしいですよ。
無理やり、部族や親と隔離して、キリスト教に改宗させられて、英語を習わされて、白人の下働きをする、「良いインディアン」作りをするための学校だったんですね。
まさに、インディアンの文化そのものを根絶やしにするための同化政策ですね~。

日本の危機対応力(米国支配と民族危機)1

欧米でもアジアでも、これまでの戦争では「〇〇会戦」で勝敗が決まれば、それ以上の民族根絶やし的攻撃を続けずに講和会議がはじまるのが普通でした。
米国は日本の交渉打診に対して全面降伏・占領政治を受け入れない限り講和交渉を受け付けずに、その間山間部や農村の民家まで対象に民族根絶やし的空爆を繰り広げていた結果、空爆に対して反撃能力がなくなり爆撃されるママになっていた日本人をもっと効率的殺戮できるように、最後のトドメに原爆を落としたように見えます。
(もちろん米国はそのような目的を否定しますが、その前にやっていたことや占領後政治と総合判断です)
ナチスが効率よく大量に殺せるようにガス室に送ったのとどう違うのでしょうか?
しかもナチスは自国内や支配地内のことですが、米軍の戦い方は戦時国際条約違反であることや、ウエストファーリヤ条約以来の国際合意に反しているのではないか?等の関心で(キリスト教国の国際条約1(ウエストファリア条約)August 26, 2016以下で書きかけだったか完成したかも記憶がはっきりしませんが、書いてきました。
中国の国際ルール違反を批判しますが、自分も相手が弱いと見れば国際合意など守っていなかったのです。
米軍の焼夷弾攻撃は、無差別爆撃どころか積極的な住民殺戮を目的にしていた・・・まず周辺部をぐるりと焼夷弾で炎上させて住民を中心部に追い詰めてから、中心部に向かって渦巻き状に焼夷弾攻撃して全員焼き殺す方法だたったという意見もありますが、(強風下を選んで実行された悔結果によるものかもしれず米軍記録には見えないということでした。
ウイキペデイアによる東京大空襲の記事です。

東京都は、1944年(昭和19年)11月24日以降[1]、106回の空襲を受けたが、特に1945年3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日-26日の5回は大規模だった。
その中でも「東京大空襲」と言った場合、死者数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日の夜間空襲(下町空襲)を指す[2][3]。この3月10日の空襲だけで、罹災者は100万人を超えた

空襲は、建前では軍施設や軍需産業に対する攻撃だが、東京大空襲は東京そのものの殲滅を目的とする無差別爆撃で多数の非戦闘員たる民間人が犠牲になっており、戦争犯罪ではないかとの指摘も強く、2007年の東京大空襲訴訟でも無差別攻撃はハーグ陸戦条約3条違反という主張がなされた[3]。第一次世界大戦後の1922年、ハーグ空戦規則が採択され、軍事目標以外の民間人の損傷を目的とした無差別空爆は禁止されていた[3]。

日本中を・・焼き尽くし作戦繰り返しの最後にやった原爆投下などに対する意見は、邪推でしかないとも言えますが、これと占領後の最初の行動が重要です。
人の意思はある行為の前後の行動から推測されるものです。
殺人や傷害事件でたまたまその場にあった刃物を使ったのか、その前から喧嘩状態にあって、面会前に刃物を準備して会いに行ったかなど前後行動が重要です。
占領後の実際政治では「日本民族にはアジア諸国と同様の生産力・農業生産しか認めない」という方針のもとに、すぐに各種生産産設備を取り上げて船積みをしていた事実を見れば、民主化するための占領というのは名目であって実際に行った生産設備破却行為を見れば(軍需設備かどうか不明だから民家も爆撃したというのであれば、占領後工場設備を設備を撤去してしまう必要はありません)どういう目的で戦争を仕掛けていたかが推測されるように思われます。
当時のアジアで植民地〜半植民地にならずにで独立していたのはタイ王国のみであり、その他は全部欧米の植民地であり中国は日本が、欧米疎開地を解放するまでは半植民地状態であり、最貧国的(戦後だいぶ経っても改革開放時日本の何十分の1の生活水準でした)状態でした。
何回も紹介していますが、現時点でのウイキペデイア(このブログでは特にことわっていませんが、学問的に絶対正しい保証はなくしょっちゅう変更されていますが、引用時点で一応この程度のことがわかっているという意味での引用です)による米国占領政治の紹介を引用しておきます。

産業解体
SCAPはドイツと同様に日本の脱工業化を図り、重化学工業産業を解体した。初期の極東委員会は賠償金を払う以上の日本の経済を認めなかった。

「賠償金を払い続けさせるために」奴隷のように働かせるが、「復興を認めない」ということは、焼け野が原のママで生活しろということでしょうか。
東京銀座や丸ビル付近の戦後直後の焼け野が原の状況が知られていますが、全土で空襲を受けなかった都市はほとんどなかった・千葉市の戦後写真展を見ると一般化されている東京銀座や東京駅周辺の写真同様に丸焼けの状態です。
地方のお城がほとんど(被害のないお城はほんのわずかです)空襲で燃えてしまったことから見ても、全国区のニュースになっていないだけで(お城のない千葉のような当時小さな街でもほぼ市街地全焼ですから)地方でも大方が焼け野が原になっていたと思われます。
札幌旅行の際に偶然見た札幌の空襲前後の写真展でも同じでした。
「復興を認めない」占領とは?国民大方に対して野宿生活を強制するつもりだったのでしょうか?
上記引用の続きです。

「マッカーサーも1945年(昭和20年)9月12日の記者会見で
「日本はこの大戦の結果によって、四等国に転落した。再び世界の強国に復活することは不可能である。」
と発表し、他のアジア諸国と同様に米国および欧州連合国に従属的な市場に解体するべく、極度な日本弱体化政策をとった。
こうして各地の研究施設や工場を破壊し、工業機械を没収あるいはスクラップ化し、研究開発と生産を停止させ、農業や漁業や衣類を主力産業とする政策をとった。工業生産も、東南アジア諸国などへの賠償金代わりの輸出品の製造を主とした[12]。
1945年(昭和20年)に来日した連合国賠償委員会のポーレーは、日本の工業力移転による中間賠償を求め、賠償対象に指定したすべての施設を新品同様の状態に修繕し、移転まで保管する義務を日本の企業に命じた。
1946年(昭和21年)11月、ポーレーは最終報告として「我々は日本の真珠湾攻撃を決して忘れない」と報復的性格を前文で明言し、「日本に対する許容工業力は、日本による被侵略国の生活水準以下を維持するに足るものとする。
右水準以上の施設は撤去して有権国側に移す。」とした。軍需産業と指定されたすべてと平和産業の約30%が賠償施設に指定され、戦災をかろうじて免れた工業設備をも、中間賠償としてアジアへ次々と強制移転させた。
1950年(昭和25年)5月までに計1億6515万8839円(昭和14年価格)に相当する43,919台の工場機械などが梱包撤去された。受け取り国の内訳は中国54.1%、オランダ(東インド)11.5%、フィリピン19%、イギリス(ビルマ、マライ)15.4%である。

高齢者は85歳から3(長期支配の弊害2)

社長の(違法不当な)独走牽制のためには、外部監査〜外部役員の必要性が言われますが、その機能をどうやって発揮するかの具体策が見えません。
外部役員「人物」を当てるしかないのですが、独走したい社長に限って、煙たい人物排除に動く本質があるので、現役の社長会長の関与しない選任システムに変えて行くしないでしょう。
長い人類の知恵では、何期か前のトップ経験者・長老・元老システム・今風に言えば顧問団に期待が集まる以です。
寸秒を惜しみ世界中を駆け巡ってがスピーチしなければならない超繁忙社長を務める体力知力がないとしても、じっくり世の中を見ている時間のある何代か前の社長経験者の意見は相応の重みがあるでしょう。
世界企業クラスの社長経験者であれば、他社の事業に精通していなくとも長期支配のマイナスが出てくるようになれば直感的にわかる面があるでしょう。
年齢だけではなく、長期政権に必然的に生じる歪みを是正する方法がない・・一定のシステムが根付けばそれをかいくぐる裏技も発達しますので、大統領任期制のように、能力如何に関わらず一定期間で自動的に失職する絶対的任期制がスッキリしてわかりよい制度でしょう。
中国やロシアトルコ等民主的制度不十分な国で任期に代わるチェックシステムをつくらないまま任期制撤廃をすること自体が、自己独裁政権の長期化を狙った制度改悪と受け取られます。
我々弁護士会の場合には、会長や副会長を2期も続けてやっていると事務所維持できないので2期続けてやりたい人は滅多に出ませんが、(特に日弁連副会長は各地の選出なので、企業役員のように社長指名によらないので会長の意のままに動く人材ではありません)企業等では社長が取締役候補を事実上指名するのが慣例になっているなど独裁的執行体制になっているのが普通です。
これでは法の予定する取締役会の監視機能が事実上形骸化するのは当然です。
総理の指名する閣僚に総理の監視役を期待しているようなものです。
商法266の3(会社法になってからは429条に条文移動しています)の以下の最高裁判例以来各種判例が蓄積されてきました。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=52058

昭和46(オ)673
事件名 損害賠償請求
裁判年月日 昭和48年5月22日
法廷名 最高裁判所第三小法廷

株式会社の取締役会は会社の業務執行につき監査する地位にあるから、取締役会を構成する取締役は、会社に対し、取締役会に上程された事柄についてだけ監視するにとどまらず、代表取締役の業務執行一般につき、これを監視し、必要があれば、取締役会を自ら招集し、あるいは招集することを求め、取締役会を通じて業務執行が適正に行なわれるようにする職務を有するものと解すべきである。

会社法 (平成十七年法律第八十六号)

第四百二十九条 役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは、当該役員等は、これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う。
2 次の各号に掲げる者が、当該各号に定める行為をしたときも、前項と同様とする。ただし、その者が当該行為をすることについて注意を怠らなかったことを証明したときは、この限りでない。
一 取締役及び執行役 次に掲げる行為
以下省略

上記判例の結果、何かと言うと取締役の責任追及訴訟が頻発するようになっており、「事実上社長は命令に歯向かえない」という取締役の抗弁を許しません。
「取締役になる以上は職を賭しても社長提案に問題があれば非を鳴らし拒絶すべき」という「きれいごと」正義論で押しきれられていました。
しかし、古来から処罰覚悟で君主に諫言できた忠臣が何人いるでしょうか?
万に一つくらいしか例がないから歴史に残っているのではないでしょうか?

左遷至藍關示姪孫湘
唐 韓愈

一封朝奏九重天
夕貶潮州路八千
欲爲聖明除弊事
肯將衰朽惜殘年。
以下省略

https://kanbun.info/syubu/sasen.html解説です。

元和十四(819)年、唐の憲宗は仏教を厚く信し仏骨を宮中に迎えて三日間の供養をした。韓愈は「仏骨を論ずる表」(論仏骨表)を憲宗に奉って諫言した。その結果、憲宗の怒りを買い、潮州(広東省)刺史に左遷された。

朝に諫言して夕べには左遷されたが、「あえて残りわずかな命を惜まんや!という強りですが・・。
閣僚の場合には自己の政治地盤が別にあるので、石破氏のように自ら入閣要請を拒否したり閣外に去る選択肢もありますが、サラリーマン取締役には固有の地盤がないのでそのような選択肢すらありません。
このように取締役の監視機能には実効性がない実態があるので、外部監査や社外取締役制度が普及して来たのでしょう。
企業活動は一定方向へ舵を切った以上は邁進する必要あり、異論を主張できない雰囲気自体を否定できないので、取締役とはいえ実質は執行役員の機能しか果たせていない現状(江戸時代の番頭の機能)肯定した上で、社外ご意見番の創設になったのでしょう。
戦前の内閣制度は総理に指名罷免権がなかったので閣内不一致を批判されても手の打ちようがなく、軍部の横暴を許したこと・・弱体化の原因になった反省で戦後憲法では、総理の指名・罷免権による内閣一体化を図った閣議決定に署名しない権利→総理は罷免で対抗する・これをしない以上は連帯責任です。
(閣僚は閣議が自己の信念に反すれば署名拒否して閣僚罷免されても地盤があるので政治家の地位を失いません・信念によって行動し地元で総理の方針に反した正当性を訴えて支持を得れば良いことです・・これをしないで署名した以上は連帯責任を免れません)
総理権限強化の代わりに総理自身の選任罷免権は枢密院・天皇による「大命降下」でなく、民意代表の議会が握る・・純粋な議院内閣制になりました。

高齢者は85歳から2(長期支配の弊害1)

移動手段の発達(同じく区間でも時間短縮・乗り心地の改善)が距離の不利益(体力低下による移動能力低下)を緩和します。
例えばJR千葉・東京間の特急は所用29〜30分ですし、千葉〜品川〜横浜間〜鎌倉/横須賀間の快速にはグリーン車があるので、日常的行動半径の東京駅や品川などまでの約4〜50分の乗車時間は、体力消耗どころか(・・美術館巡りで足が疲れているときなど)疲れた足の回復時間になっています。
(乗車時間中に普段読めない本を読んだりネットチェック時間になっています)
京成電車は自宅から最寄駅まで200メートルで直通で上野(主に東博)に行けるので便利ですが、横坐りの電車しかないので座っていること自体が楽しくないのがJRに比べた問題点です。
昨日から書いた通り、分野別・職業によってもいろんな補完手段が進んでいますので、年齢で画一的に切り分ける今の基本的仕組み(定年制が代表的なものですが・・)は無理があるように思われます。
かと言って、個別能力次第にすべきというのは「言うは安く」して具体的運用が大変です。
車の運転免許のように、視力聴力など身体機能テストだけで済むなら割合簡単ですが、(テスト項目を増やし有効期間を短縮するなど)知的労働に限らずどんな現場作業にも監督行為と末端作業とは違った能力が求められるなど複雑系能力をどうやって判定するかです。
一般的に高年齢化すると現場的分野から統括分野に役職が移行するのが伝統的役割分担です。
我々司法界・・知的職業である裁判や検察でも同様で、若手裁判官は下調べ的記録調査に精出した結果を土台に合議体で基礎的意見を述べて、これに対して10年以上経験の右陪席が質問その他の意見を述べて、合議体トップの裁判長(20数年超〜定年まで)がさらに意見を述べる形で合議が進み、右陪席や裁判長の意見で問題となった点の補充をする形で最終結論に進みます。
(以上は、私の45年以上前の裁判実習時の経験によるので今は変わっているかも?)
高裁も左陪席がほぼ主査としてまとめた意見を合議体で披露し、これの方向性を合議体で確認されると、その方向での和解勧告→和解不調=判決となるようです。
こういう具合に知的職業世界でも年齢構成による分担が長年の慣習?の結果決まっています。
公的機関や民間企業でも懲戒処分をするには相応の議決機関があって行われているのでしょうが、懲戒処分を受けるには、相応の地位ある人の合議の結果=重みを重視する風潮が重視されている印象です。
組織の長老というか高位経験者が懲戒委員や選挙管理委員をやっている必要があるかどうかは、慣習に従っているものの今までのところその合理性が私には具体的にわかっていませんが、高齢者=知恵者という古来からの常識に従っているだけか?私に不明なだけで、相応の合理性があるのでしょう。
これが従来円熟期と思われてきた中高期(5〜60歳)を越えて高齢化するとあらゆる分野で能力低下が起きるのではないかの疑問・・複雑系判断分野でも担い続けられるか・・もっといえば、65歳の判断より75歳〜85歳の判断の方がすぐれていると言えるかの問題です。
裁判官定年は私が弁護士になった頃の定年は60歳だったというウロ覚えの記憶でしたが、いつの間にか65歳になっているようですが、この年齢程度までは年功ヒエラルキーがあっても良いという国民合意があるのでしょうか?
民間では役職(別)定年制があるように、定年あるいは就労期間を伸ばすことと決裁権を並行的に伸ばせるかは別次元・人の能力は複雑系分野でも一定年齢でピークが来ることを前提にしているのでしょう。
取締役では画一的定年制がない(ただしヒラ取締役等では事実上の定年制があるようです)のは、社長や会長等の超高度判断になってくると現時点では70歳前後くらいまでは、人によっては能力低下が起きない・70歳台が60歳台を指導する高度判断可能という合意でしょうか?
今も元気に指導力を発揮している有名人では、鈴木自動車の鈴木会長や、日本電産社長永守 重信(1944年8月28日 – )が知られています。
問題は能力低下が始まった時にどうやって「首に鈴」をつけられるかでしょう。
大物の首に鈴をつけられるほどの重鎮(他分野での大物)によって構成される社外取締役制度が必須ですが社外取締役の多くが現役社長の推薦によるのでイエスマン的機能しか果たせていないと言われています。
政治家は瞬時の判断によるちょっとした発言ミスが政治生命に直結するなど市場評価の最も厳しい分野ですから、生き残っていること自体で能力テストをクリアーしていることになるから別でしょうが・・。
政治の世界では地方選挙と参議院選挙を含めてしょっちゅう民意反映制度がある民主国家ではイエスマンに支えられる政権の存立が不可能になっているので外部勢力介入は不要・害悪になり・戦後枢密院制度などが廃止になりました。
政治の世界ほど頻繁な市場評価に晒されない・・任期継続禁止が確固としていない企業統治その他組織では放っておくと澱んでしまうので、戦前枢密院制度のような元老会議のようなものがどこの分野でも実は必須なのです。
企業統治の場合には、よほどの企業業績悪化や不祥事がない限り市場評価による進退表明に追い込まれることは滅多に起きないので、取締役会がイエスマンばかりの場合、ゴーンさんのような暴走が起きるのを防ぐ方法が確立されていません。
ゴーン氏が日産のV字回復に貢献したのは初期(2000年就任後)の数年〜4〜5年だけのことで、後はどちらかといえば打ち上げた目標未達の連続であったのにカリスマ支配力によって部下に責任を押し付けていたという意見を読んだ記憶です。
https://www.kuruma-sateim.com/market/carlos-ghosn-income/によると営業利益率の推移は以下の通りです。
具体的な経営再建の結果を、営業利益率の推移で見ていきましょう。

年度営業利益率(連結)
2000年度4.8% 2001年度7.9% 2002年度10.8% 2003年度11.1% 2004年度10.0%
2010年度6.1% 2011年度5.6% 2012年度5.7% 2013年度5.0% 2014年度6.1%
2015年度7.0% 2016年度7.3% 2017年度6.2%

比較のためにトヨタの財務データと比較しておきましょう。
トヨタに比べて喧伝されているほど内容が良いわけではありません。
https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/editです

主な財務指標(連結)

会計年度 指標項目
売上高
営業利益率
売上高
税引前利益率
税金等調整前
当期純利益
総資産
総資産当期純利益率
(R.O.A.)
株主資本当期純利益率
(R.O.E.)
株主資本
総資産
2018年3月期 8.2% 8.9% 5.2% 5.0% 13.7% 37.2%
2017年3月期 7.2% 7.9% 4.5% 3.8% 10.6% 35.9%
2016年3月期 10.0% 10.5% 6.3% 4.9% 13.8% 35.3%
2015年3月期 10.1% 10.6% 6.1% 4.9% 13.9% 35.2%
2014年3月期 8.9% 9.5% 5.8% 4.7% 13.7% 34.9%
  • * 米国会計基準に基づく連結財務数値にて、算出しております。

憲法と国家(外国に支配されるための憲法?)3

占領軍・民政局は表向き学問の自由保護と称して共産主義と自由主義双方の学問を奨励していましたが、本音は共産主義の応援だったからか?日本では戦後の各種学会では概ねマルクス主義系の経済学者や思想家が主流を占めてきました。
英米的価値観とソ連型価値観(ユダヤ陰謀論で言えばユダヤ系思考・グローバル化目的では共通です)を言う自由はありましたが、日本を含めアラブその他価値観・各地民族教育の必要性を語ることは一切ゆるされず、西欧でさえもうっかり移民反対を言うと極右政党のレッテル貼りされるのが(日本に限らず)メデイア界の世界標準になっています。
日本の国益に関する主張は米国の利益に反しないことを最優先とし、その次にアメリカ軍政終了後の置き土産・監視役としての中韓の利益に反しないことでしたので、ちょっとでも中韓の利益に対立する民族主義的主張をすると中韓から「妄言」として激しく批判され、アメリカからは歴史修正主義者のレッテルを貼られると、その政治家がその失脚し政治生命を失う時代が続きました。
各種学会だけではなく、占領軍による日本メデイア支配の一端については、マンハッタン計画の研究書である以下の論文を読んでいると産軍複合体形成の一環としてメデイア関係の協力関係が偶然出て来ましたので、その一事例としてその部分だけ参考までに紹介しておきましょう。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/why_atomic_bomb_was_used_against_japan/08.htm
(2010.7.18)
トルーマン政権日本への原爆使用に関する一考察
8 対日原爆使用の政策意図  陸軍長官声明から読み取れること
体制に取り込まれる大手メデイア
つまりアメリカの大手メディアは、ほとんどすべて政権と陸軍に協力し、それぞれ応分の利益を得たのである。その代表例が、ニューヨーク・タイムスの科学記者、ウイリアム・L・ローレンスであろう。L・ローレンスはグローブスと親しく、ジャーナリストとして、原爆開発計画では特権的地位にいた。暫定委員会にも出席し、7月16日アラモゴード原爆実験後の政府声明の原稿の下書きもしたし、のちに触れるが「原爆投下直後の大統領声明」の下書きも書いた。
広島への原爆投下の後、ウィルフレッド・グラハム・バーチェットは、9月2日、ミズーリ号上の降伏調印式を抜け出し列車を乗り継いで、広島を訪れた。当時占領軍は厳重な報道管制を敷いて、特に南日本にはジャーナリストの立ち入りを禁止していたから、バーチェットの行動は正確に言えば潜入である。バーチェットはそこで、自分の見たままの広島の惨状を書き、また生存した被爆者が原因不明の病気にかかってバタバタ死んでいく様子を書いた。この原稿は「The Atomic Plague」(原子の伝染病)と題されて、45年9月5日付けのロンドン、デイリー・エクスプレス紙に掲載された。この記事が世界的に大反響を呼ぶ。原爆の悲惨が英語で世界にはじめて報道された瞬間である。バーチェットが検閲を免れたのは彼がモールス信号発信器を携行し、独自に打電できたからだと云われている。
( 以上「トルーマンは何故原爆投下を決断したか?V.投下を推進する勢力」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/back/009/009.htm>による。)
この記事が、アメリカ陸軍を慌てさせた。特にアメリカ国民には知られたくないことがバーチェットの記事に詳細に書かれていた。放射線の人体に対する影響である。グローブスは直ちに反撃に出た。アメリカの当時一流ジャーナリズムから30人選りすぐって、アラモゴードの原爆実験場に集め、「実験場には残留放射能はない。」とするデマ報道をさせた。この時の陸軍プレス・リリース(報道陣向けのニュース下書き記事)を書いたのもこのL・ローレンスである。ついでにいうとこの時、グローブズは、マンハッタン計画における自分の片腕、トーマス・ファレルを日本に派遣して、「広島には残留放射能はない。死ぬものは死に絶えた。」というデマ声明を発表させている。占領下とはいえ広島地元の中国新聞を始め日本のマスコミは、この時期ファレルの声明をほぼ無批判に報道した。戦前は軍部に協力し、戦後は占領軍に協力した。なんのことはない、何も変わっていなかったのである。変わったのは親分だけだ。
上記の通り、目の前で原爆症で苦しむ人がゴロゴロしているのを知っている現地広島新聞まで、そのまま報道していたと言うのですから、元祖フェイク報道とでも言うべきでしょうか?
ただし、事実は違うとは書けないので、占領軍の(こんなひどい)声明があったと言う無言の批判・抵抗とも言えますが・・.。
日本では「事実を言えない言論の自由な社会」であったことは確かです。
憲法学者の言う「思想の自由市場論」とは、マスメデイアの多数意見しか報道しない自由であり、メデイアに袋叩きに合うと有力政治家も失脚するし学者も芸人も発表の機会を奪われる・ネット発信が可能になるまでは食べていけない仕組みになっていました。
(アメリカの意向に便乗して批判画策する勢力を国内で育てるのに米国が成功し、各分野でその継承者が主流を占めているからですが・・・)
絵画表現で言えば、白と黒の二色しか使えないのに、自由に絵画表現できて嬉しいと喜んでいたようなものです。
戦後ニッポンの思想支配を(陰謀の有無は別として)結果から見ると以下の通りです。
まず頭脳組織トップの東大総長人事から見て行きましょう。
戦後すぐの12月には総長が変わります。
戦後初代総長の南原繁氏自身も次の矢内原総長も戦前アメリカで人気のあった新渡戸稲造の弟子でキリスト教徒である点では同様であり、米占領軍・民政局の眼鏡にかなったのでしょう。基本的にはキリスト教徒で選別されその上で、共産主義親和学者が優遇されていたことがわかります。
南原繁に関する2月13日現在のウイキペデイアの記述です。
1910年(明治43年)
6月 – 第一高等学校卒業。
7月 – 東京帝国大学法学部政治学科に入学する。入学後、内村鑑三の弟子となり、生涯を通じて無教会主義キリスト教の熱心な信者であった。一高に入学したときの校長は新渡戸稲造であり、影響を受けた。
1945年(昭和20年)
3月 – 東京帝国大学法学部長に就任。高木八尺、田中耕太郎、末延三次、我妻栄、岡義武、鈴木竹雄とともに終戦工作に携わるが失敗に終わり、敗戦を迎える。
12月 – 東京帝国大学総長に就任。
南原氏は、キリストの理論との政治の関係で独自の境地に達していた立派な人らしくその人物研究論もいっぱいあるようですが、ネットであんちょこに検索できる研究が見つかったのでこれの一部を紹介しておきます。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no97_05.pdf
研究ノート〉
宗教ナショナリズムと南原繁
西 田 彰 一
「基督教の神の国とプラトンの国家理念」ではカトリックやヘーゲルの「権力世界」は宗教と政治の一体化した支配的な神政政治の世界として斥けられる一方で、絶対的な神に媒介者なしで結合することで形成される非支配的な神の国は、 理想として高く評価されている42)。つまり、 目指されるべき理想として、原始キリスト教とその系譜に連なるプロテスタントが評価されている。」

上記によると国家を超越した正義のあり方についてキリスト教(特にプロテスタントを理想とする立場)的角度から理解しようと努めていた政治哲学者のようです。
この辺に「国家の存立よりも平和主義」とか、「国家権力を持ってしても侵すべからざる天賦基本的人権」論イメージが現在主流化している淵源がありそうです。
以下彼の哲学思想を見ていきます。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC