利害調整不全6→(地域エゴ野放し1)

民主主義社会・・自由な言論が際限ない対立を前提にするのではなく冷静な議論を経て結論が決まると挙国一致(企業で言えば企業)の方針が決まり、反対した方(一つの政策決定が自己利害に反する集団も決まればそれに従う)も実行に協力する社会を前提にしています。
経済活動場面・自由主義経済の場合→(見えざる神の手)市場による淘汰が行われ選ばれた企業が成長し、勝ち残った製品サービスが社会に行き渡る仕組みです。
商品の場合には市場規模が大きい場合順位1番から50〜100番までの多様な商品サービス並存可能ですし、多様なサービスが並存している方が消費者には便利です。
だから都会に人が集まるのです。
国家社会のルールや政策決定の場合、社会秩序そのものの決定ですので、商品のように並存可能というわけにはいかない・・・道路交通法でいえば、AB両地点のいずれに信号機設置すべきかどうかの議論でA地点だけと決まった場合、B地点派がA地点の信号設置に反対したんだからと信号無視して良いとなれば社会が混乱します。
制限速度や一方通行、駐車違反場所でも同じで、反対派だった人も決まった以上はそのルールを守るべきですので、集団別ルールが並存するのは不可能です。
民主主義とは統治の原理・統治ルール決定手続きに関するルールであり、自由な言論活動は一定期間内に一つの結論に収斂するための言論の自由です。
一定手続きで決まったこと(法)には反対派も従うことを予定していることになります。一旦決まったことを実行してみる不都合があるなどの修正変更の必要があるので、多数意見が決まったのちにも、少数意見者も「やはりこの方法の方が良い」と言い続ける言論の自由は残りますが、多数で決まったルールに従わない自由はありません。
すなわち民主主義とは意見・利害調整による意見一致を前提にした決定手続きをいうのであって、利害調整・意見一致できないで意見対立のまま終わることを予定していません。
民主主義であろうと、絶対主義であろうと自由主義であろうと一党独裁であろうとすべて社会は生命体同様の統一秩序を求めています。
一つの体で左足は横へ動く右足は前に動くというバラバラ行動は許されません。
幼児や小中学生レベルの場合、完全な自治運営が困難なように、言いたい意見を話し合いの結果合理的に収斂させる能力があってこそ自由な意見交換が成立します。
意見を言うなら議論の結果によっては相手の主張に従う度量が必要です。
年齢基準は年齢に応じてその比率が上がるだけであって、(小学3年生で5年生の能力ある子も2年生の能力しかない子もいます)大人になっても対話能力が育っていない人が一定率いるのですが、(私もそうかな?)そういう人は、自分の能力限界をわきまえて集会参加しても黙って聞いている・論争を聞いて最後にどちらが良いかの挙手をするだけで済ませば世の中が決まって行きます。
旧社会党の場合、議論にならない反対のための反対論(法案に関係ないキャンダル追求先行要求など)を繰り広げ、質疑打ち切りすると委員長不信任案や議長不信任案等を繰り出して最後は牛歩戦術や根拠ない不信任決議案提出で数時間でも採決を遅らせることで議決自体の妨害を図っていたので国民支持が離れました。
このような政治活動は技術革新の早い現在社会で、日本の国際適応を一国でも遅れさせる目的にしかならない・反日国家の意を受けた行動でないか?の疑念を抱かせるようになりました。
こういう疑念が一般化して来て・・革新的系政党支持率が低下一方になったのちは、地方自治体レベルでの抵抗戦術を始めたようです。
国政の場合2〜5%の支持率では何もできないのですが、地域特化し地域固有の問題が起きればその問題が続く限り、その地域限定で抵抗政党が圧倒的支持を得られるようになります。
数%支持でも特定問題・・例えば、放射性物質の特定市町村内廃棄貯蔵地問題が起きれば、その問題に限って過半の支持を得ることが可能です。
福島原発事故の結果、千葉県内で風向きの関係か?柏市中心に放射性物質の降下が多かった・・これの県内処理として原因企業である東電の広大な敷地がある千葉市内の臨海工業地帯・・広大な埋立地立地なので旧市街とかなり距離が開いている・近くに一般住宅街もない・・千葉市に白羽の矢がたったらしいのです。
これまで書いてきましたが、そもそも微量の放射能があった場合、どういう被害があるかの科学的意見を見たことがないのですが、宗教心のようにメデイアが恐怖心を煽り続けてきた結果だと思っていますが・・。
普段与党支持者でもこの問題に限っては、まず反対するしかないという宗教信念みたいな動きが起きます・・自治会等での議論を聴いていると風評被害がおきたらどうするんだ!式の反対で地元結束するようです。
原発問題もそうですが、「不可知な論争に持ち込んだ方が勝ち」というか、反対論者は対話にならないこの方式に頼ることが多いのです。
「〇〇があったらどうする」式の議論では、神ならぬ身、誰も「そんなことはあり得ない」と断言仕切れ無いので黙るしかない・・合理的対話が成り立ちません。
県内どこかで引き受けねばならないとなれば、被害の一番少なそうな場所に決めるしかないのですが、東京電力敷地が広大でしかも周辺と車で移動するほどの距離がある・・それ以上の適地がない・・しかし地元エゴに付き合わないと仕方ないので責任政党の与党系は「知事にかけあって努力する」というだけで腰が引けているので迫力がない・・不利です。
集会での議論を聞いていると「柏市のゴミを千葉市がなぜ引き受けねばならないか?」という一見尤もらしい議論で落ち着いて参加者が自己満足していたようです。
ちょっと考えれば無理筋の論理ですが、誰でも良識というか、良心があるので自分を誤魔化す目先の浅い論理が必要なのでしょう。

前政権(日本支配)否定と韓の労働運動2

支持率が下がっても任期で守られ不満爆発寸前まで持ちこたえて任期満了退任する仕組みだと、(パククネ大統領の場合任期満了まで持ち応えられませんでしたが今後これが慣例になるのかな?)次期大統領は前政権政策に対する不満を煽って正反対の支持を背景にする以上は前政権の全否定しかないし、前政権の責任追及に走りやすい土壌となるのでしょう。
投票時には絶大人気で選出されるものの、その反動で?すぐに期待はずれになるが、任期制のために嫌になっても付き合うしか無い・この鬱屈が大統領退任の都度嵐のような攻撃を対象になる心情風景かもしれません。
しょっちゅう絶大人気による新大統領選出という現象自体が、危うさをあらわしているとも言えます。
我々弁護士業務でも、この数十年かなり頃減りましたが根拠なく絶大な賛意を表する人がいる場合、いつ根拠ないクレーマーに変身するか怖いリスクの大きい客です。
弊履のごとく捨て去る気持ちの根本は、本音では否定感情があるものの尊敬されたり社会風潮・空気を読んである政治家や芸能人が人気があるときには批判できない分、人気や地位を失うと、一気に本音が表面化するのでしょう。
セウオール号事件やろうそく集会のようなイベントが一度成功?すると我も我もと火がついたように広がるのも便乗型国民意識によると言えるでしょう。
我が国でもメデイアがブームの元を作り、それに便乗する人が多い場合・いわゆる炎上現象で有名人が降板させられることがありますので、政治家や有名人はメデイアの標的にされるのを極度に恐れるようになっています。
最近では河野防衛相が自分は雨男で・・と発言したことをどういう仕組みか不明ですが、台風被害で頑張っている国民の神経に触った?雨男というレッテル貼りは許されないという批判?謝罪撤回に追い込まれたとのニュースが出ています。
https://www.asahi.com/articles/ASMBY3J8QMBYUTFK003.html

河野防衛相が「雨男」発言を謝罪 「不快な思いを」
2019年10月29日12時37分

朝日新聞は謝罪に追い込んで自慢でしょうが、こういう瑣末な批判ばかりに終始する大手メデイアの役割こそ考えさせられます。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191029-00000060-dal-ent

千葉市の熊谷俊人市長が29日、ツイッターを更新し、河野太郎防衛大臣が「地元では雨男と言われた」などと発言したことに「被災地の首長として全く気になりません」とつぶやいた。

えらい!我らが千葉市長です。https://www.nikkei.com/article/DGKKZO51465420X21C19A0PE8000/

閣僚辞任「政権に緩み」56% 世論調査、内閣支持層でも4割
2019/10/28付 日本経済新聞 朝刊
重要閣僚が辞任したにもかかわらず、内閣支持率は横ばいだった

こんな子供染みたこととばかり議論するために国会やメデイアがあるのでしょうか?
閣僚になってから威張り散らしたりすればおごりや緩みというべきでしょうが、閣僚になる前の言動を挙げつらっているだけです。
国会は政策を議論すべき場であって、公職選挙法違反かどうかは、司直のやるべきことです。
司直が大物政治家・実力者の不正を見逃している場合には、巨悪を暴くために国会で質疑するべきでしょうが、もともと法違反があればどんな軽微事案でも立件するs制度設計ではなく、程度問題で説教して帰すなど、軽微な太陽の場合には軽微処理することを法が予定していて、そのために起訴便宜主義という制度があるのです。
権力者に甘い便宜主義の乱用を防ぐために検察審査会というお目付制度もあります。
刑事処分されないのを誰も不満に思わない程度の軽い違反行為を、メデイアが与党であれば取り上げるのはなぜでしょうか?
野党なら問題にしないが与党なら許せないという一方的基準があるのでしょうか?
もりかけ騒ぎもそうでしたが、メデイアの騒ぎ方と民意が大幅にずれているので支持率に影響しない結果になるのでしょう。
韓国では大統領退任後例外なく不幸な結果が待っているのは、極端から極端へと支持が入れ変わる社会意識の構造に原因があるように思われます。
ちなみに現在の文大統領当選時の支持率と現在の変化を見ると以下の通りです。https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM02H4Z_S7A600C1FF8000/

文大統領の支持率84% 韓国歴代で最高
2017/6/2 20:55

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-09-20/PY3XVHDWLU6C01

2019年9月20日 11:18 JST
韓国の文在寅大統領の支持率は2017年5月の就任以降で最低となった。韓国ギャラップの世論調査が示した。
9月第3週に実施された調査によると、文大統領の支持率は40%と前回調査の43%から低下。これまでの過去最低は4月第1週の41%だった。
不支持率は49%から53%に上昇し、過去最高を記録。

韓国では上記の通り支持率84%が2年で41%→不支持率53%になるのですから、振幅が激しすぎる・・まだ民主政治をするには民度が成熟していないようです。

中国軍に解放してほしい日本人がいるか? 1

中韓等による日本非難の言語の多くは、自分らが日頃したいと持っている悪行を日本がしたことにすり替える・真逆の意味が多いという理解が今の日本では普通になっているのではないでしょうか?
人民解放論は支配者による搾取構造を前提にして異民族領域への侵略→支配を合理化するものですが、日本は古代から中ソが世界支配を正当化する図式の前提たる搾取構造社会ではありません。
指導者とは何か事業をするときにこれをみんなで心を一つにするようにまとめていく能力のある人のことで私利私欲のために動く人ではありません。
また多くの事業業績は集団協力があってこそ実現できるので、総大将や代表者・・旗振り役・・巨石を移動させるために修羅というもので運ぶのが知られています。
石の上で力を合わせるために音頭を取る人がいますが、彼一人の力で巨石が動くのではありません・・このように各種事業は旗振り役が重要ですが、彼は集団を代表して栄誉を受けるに過ぎないと言う点も民族の常識化しているからです。
この人のおかげで一つの事業を成し遂げられたと思う人が出るとうまく行くし、後世偉人として尊敬されます。
奈良の大仏の像立に成功できたのは、それまで朝廷権威による布教形態を無視して独自布教していたことで弾圧されていた・・・最後は行基の指導力を利用するために朝廷が僧としての最高位を授与していますが・・)行基の指導力だとして今だに尊崇されています。
その他、各分野で中興の祖となどと尊崇される人は、自己利益・豪邸を建てて名をなしたのではなく清廉潔白の権化みたいな人ばかりです。
ところで、民族利益とは何か?
異民族支配に成功することではありません。
搾取構造の最たるものは異民族支配でしょうが、我が国では縄文の昔からこういう不当な利益を目的に行動すること自体意味嫌われる社会です。
みんなで労力提供して稲作の為の灌漑施設を作り、ようやくコメを収穫できるようにした場合に、地域住民みんな利益享受できる共同体利益を増進することです。
卑近な例で言えば、日頃から住む自宅周辺や町を綺麗にして気持ちよく暮らすのもその例です。
千年単位で形成した文化その他を含めた幅広い総合的概念が民族利益というものでしょう。
地方旅行すると、郷土の偉人の顕彰碑や資料館があることが多いのでいつもよく見てくるのですが、地元共同利益アップにいかに貢献するかによって人徳が決まる社会ですし、この逆もあるので日本人では子々孫々に恥をかかせない生き方が基本価値観になっています。
また多くの事業業績は集団協力があってこそ実現できるので、総大将や代表者は集団を代表して栄誉を受けるに過ぎないと言う点も民族の常識化しているからです。
百の地元貢献・もたらした功績で代表者個人が百の対価を得たのでは、不当利得であり、尊敬されません。
その代表者の次順位幹部はまだ名を残せるでしょうが、そのまた下の中堅協力者の努力に報いるには結局は当時は顕彰するしかなかったのでしょう。
ため池を作る場合を考えると巨大な資金負担があり、完成と同時に地元に恩恵があるわけではないので褒美を払う資金が枯渇している点もある上に、ため池の効能は子々孫々が継続的に享受するものです。
ため池も灌漑設備も完成と同時に100%受益できるわけではないので対価も受益に応じて払うのが合理的ですが、当時今のようにストックオプション制度もなかったので、地域住民が将来に渡って受ける受益対価も将来の分割払い・・世襲的地位(将来の家禄が保証されても主家が滅びたらおしまい・ストックオプションと同じ)を付与するのが普通でした。
世襲した方は、地元民から祖先の功績を褒められ立派な人だったと尊敬されるので、自然に自分も先祖に恥じないような行動を心がけます。
名主、庄屋や豪族の地位は上記のように地元の役に立ってこそのものですから役立たずになれば、下剋上にあって地位を失っても仕方ないという社会意識が定着していったのでしょう。
その結果現世利益は名目的であり、名誉で受けるのが99%みたいな対価方式が日本社会で定着したのでしょう。
日本では今の企業経営も同じですが、成功に応じて上位者の給与がちょっと上がる程度(百の功績に対して2〜30くらいの報酬、残りは後世子孫への名誉)であって、功績以上の報酬=搾取率の低い社会です。
せっかく(渇水対策のため池を作り洪水対策の堤防を築いたり)事業に成功しても自分の功績以上に私腹を肥やすなどもってのほか(ある程度の対価は必要ですが)ゴーン氏のように対価以上のものを貪るような恥ずかしいことは社会が許しません。
もともと功績評価は地域の子々孫々にどのような福利を残したかが基準ですから、欲をかくと却って子孫が恥をかきます。
この価値観の違いが大きく出たのが発光ダイオード発明の特許に対する企業の報奨金が少なすぎると争うことになった訴訟でしょう。
日本社会は紙一重程度の技術差の人材がひしめいて、その技術集団意見のすり合わせ・協力・集団成果の上に物事の実現が図られる社会です。
例えば、・・ある商品売上増には営業課長一人の能力によるだけではなく部下の功績も無視できませんので、何かの実績をあげた代表選手だけがヒーロー化されますが、実は集合智の目印になったに過ぎないという考え方が基本です。
何かで表彰された時に約99%の人が皆様の協力を得て・・「おかげ様で・・」と謝辞を述べるのはこの価値観によります。
発光ダイオード訴訟についてhttps://ironna.jp/article/407が発明対価について論点整理してすっきり書いていますので明日引用します。

異民族直接支配4(ロシア革命とグローバリスト)

ソ連の鉄の統制・内部粛清も周辺被支配国・・チェコのプラハの春や、ポーランドなど周辺からガタつきが始まり、約70年でついにガタがきましたし、アメリカ支配も戦後70年も経過すると世界規模で衰退してきました。
アメリカも、いよいよ歴史の審判を受ける時期が始まったようです。
アメリカが不当な言いがかりで対日戦争を仕掛けた非道徳性を自己否定するために(苦しむだけマシですが・・)苦し紛れに戦勝直後からでっち上げ対日道義批判を構築してきました。
時間経過ででっち上げ批判が無理になってアメリカ自身引っ込めざるを得なくなっているのですが、「親の心子知らず?」でいまだに根拠なしの対日批判に熱中して最大限世界中で騒ぎまくっているのは、韓国だけでしょう。
近所の子供の行動態度で近所の親の気持ちがわかるように韓国の手入れbルアン対日批判行動を見るとアメリカの対日真意ががわかる便利な関係です。
韓国が従来基準で日本に悪態をツケばつくほど、騒げば騒ぐほど日本人の多くが「元凶は米国の自己弁解に始まるのか!」と気がつく人が増える構図で・・米国は困っているでしょう。
世界中で米国離れが始まり、今世界で本当に米国の信頼できる国は日本だけですから、この段階で韓国に暴走されると米国の方が困ってきました。
この結果、今回の騒動・・慰安婦合意空洞化や徴用工訴訟、レーダー照射問題と国内的に亜h、日本に関するもの亜飯でも禁止するなど矢継ぎ早に反日政策を繰り出す文政権が、日本のホワイト国指定取り消しの反応に対してこれまで通り米国の圧力・/現状で打ち止め・先にやった方のやり得を期待していましたが、米国が全く応じないそぶり・・米国は韓国の味方をしなかったしできなかったのです。
米国や中韓主張を聞くと大方の日本人の価値観からすれば「戦争に勝ってもそんなひどいことする筈がない」ということが多いのですが、どこからそういうひどい想像力が働くのか?となります。
中国韓国や欧米歴史では普通に行われてきた歴史・自分らがやってきたことを日本がやったはずという主張にすり替えてきたのです。
日本は政争や合戦で勝っても相手を卑しめず、(日露戦争勝利の時に降伏したバルチック艦隊の司令官を武士道に基づき厚遇しました)逆に歯医者を称え神社等に祀る(道真等)国ですから、敗者の残した歴史文物も豊富に残っています。
中国のように前王朝の文化財を皆破却し前時代を100%否定する歴史とは違います。
大方の日本非難論は「批判者が自分ならこういうひどいことをする」という自白のような批判が中心ですから、米国の威力を背景にしている韓国の日本批判論は自分のやってきた自白みたいで恥ずかしくないのかが不思議なくらいです。
歴史を学ばないものは・・という韓国お定まりの日本批判は文字通り自分に跳ね返っている・黙って聞いている日本人の心を知らないようです。
幸い日本統治を受けた諸国地域が多いので、日本の統治内容は事実として多くの国が証明してくれる関係でありがたいことです。
日本では「子々孫々に汚名を残さない」というのが生き方の基本ですが、史上最大の困難に直面していた我々の親世代が、「貧しても貪せず」の精神で太平洋の島嶼国や東南アジア諸国で立派な行いをしていたことがわかります。
ユダヤの陰謀論から話題が逸れましたが、昨日引用記事の論拠と関係ない私の印象ですが、祖国を持たないユダヤ民族にとっては、
「自分らは永久に民族国家を持てないならば、世界中が祖国を持たない世界になれば良い」
「キリスト社会で迫害されるならば、無神論社会になれば良い」
非宗教社会化・グローバル化を極限まで推し進めることが彼らの悲願だったと言われればそうかな?とも言えますが憶測の域を出ません。
病気も科学発明も多くは結果から見て一定の関連性のありそうな時にその仮説に基づいてもしかしたらこういう因果関係があるのじゃないのか?と検証していくのが普通ですから結果からそのような疑念を抱くこと自体を荒唐無稽とは言えないでしょう。
疑念レベルに過ぎないことを断定的に表現するのは行きすぎですが・・。
レーニンが帝国主義論主張に至った背景に関する本日現在のウイキペデイアの解説です。

背景
『帝国主義論』が書かれる直前の1914年に第一次世界大戦が勃発。1912年に第二インターナショナルに集っていた社会主義者たちは、戦争に反対していく決議(バーゼル宣言)をしていたにもかかわらず、第一次世界大戦がはじまると、その主流派は自国の戦争を支持する「祖国擁護」の態度をとり、第二インターナショナルは事実上崩壊してしまう。
ドイツ社会民主党の指導者で、当時マルクス主義理論の泰斗といわれたカール・カウツキーは、「祖国擁護」をとなえた戦争支持派と、レーニンらの戦争反対派の中間である「中間派」に位置し、両者の融合に努めようとした。また理論的には、帝国主義列強が共同で世界を搾取する超帝国主義(英語版)の出現の可能性について言及し、帝国主義は列強がとる「政策」の一つであるとして、必ずしも不可避なものでないとした。
レーニンは、この「祖国擁護」をかかげた戦争賛成派の議論とともに、カウツキーの議論を反論する必要性を痛感し、帝国主義戦争は列強の「政策」の一つなどではなく、資本主義の最高段階における必然の現象で、絶対に不可避であるという主張を本書で展開した。また、こうした戦争支持派がなぜ労働運動や社会主義運動のなかに生まれるのかという解明の必要性にも迫られ、そこで上述の「超過利潤による労働貴族の培養」という概念に達した。

日本の左翼系思想家やメデイアによる戦争反対論は、ソ連や中国による侵略は「人民解放の正義の戦いであるから、この解放戦争から人民が自衛するなどあり得ない」という立場で理解すれば(中ソの核実験やチェコやポーランドでの戦車による蹂躙等に対しては全く批判しませんでした)非武装論は一貫しているようです。
中国の人民解放軍という名称の滑稽さ・・秘密警察すら不要なほど公然と監視し続けるシステムの保証装置・人民抑圧装置を人民解放軍というのですからギャグそのものです。
そしてこのギャグを真に受けて?左翼系思想家や運動家や大手メデイアにとっては解放軍が解放に来てくれるのだから抵抗するための軍備不要ということになるのかな?
それだと非武装平和論は一貫します。

異民族直接支配5(ロシア革命とユダヤ人2)

以下の記事は人名等具体的でしかもユダヤ主導を隠す必要性にも触れていますので、長くなりますが一部引用しておきます。
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/582c8b494f27d9e823500007cf87432c

2017-07-05 10:28:20 | ユダヤ的価値観
●ロシア革命にユダヤ人多数が参加
●トロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフら枚挙にいとまなし
ロシアの社会主義運動の中心部にいたのは、ユダヤ人だった。19世紀末ロマノフ朝圧制下のロシアで、ユダヤ人はポグロムと呼ばれる虐待・虐殺を受けた。
多数のユダヤ人が出国してアメリカ等に移民した。
ユダヤ人に対する迫害を阻止するには、ロマノフ王朝を打倒しなければならないとする急進的な革命思想が広がった。
将来のパレスチナへの移住よりも、現在の体制からの解放が追求された。そのため、多くのユダヤ人が革命運動に参加するようになった。シオニズムより共産主義という選択である。
19世紀末から20世紀初めのイギリスの論壇で活躍したヒレア・ベロックは、作家、歴史家、社会評論家として知られる。ベロックは、1922年に出版した『ユダヤ人』で、ロシア革命を「ユダヤ革命(the Jewish revolution)」と表現した。ボルシェヴィキの幹部には、ユダヤ人が多かった。
レーニン(本名ウリヤーノフ)自身はユダヤ人ではなかったが、母方の祖母がユダヤ人だった。4分の1がユダヤ人というクォーターである。妻のクループスカヤは純粋なユダヤ人だった。それゆえ、レーニンはユダヤ人の民族集団に近く、ユダヤ人と非ユダヤ人を結合するのに適した背景を持っていたと言えよう。
ロシア革命で最も象徴的なユダヤ人は、10月革命を軍事的に成功させたトロツキー(本名ブロンシュタイン)である。
またそれ以外に、ジノヴィエフ、カーメネフ、ウリツキー、ラディックが有名であり、他にスベルドルフ、リトヴィーノフ、メシュコフスキー、ステクロフ、マルトフ、ダーセフ、スハノフ、ラジェヌキイ、ボグダノフ、ゴーレフらが挙げられる。ブハーリンについては、ユダヤ系だという説とそうではないという説がある。
ボルシェヴィキの幹部だけでなく一般党員においても、ユダヤ人は目立つ存在だった。党大会の代議員の15%から20%がユダヤ人だったといわれる。1920年の時点で、ソ連政府の各委員会は委員の約8割がユダヤ人だったという説もある。
ボルシェヴィキが政権を奪取すると、これを撃破しようとする白ロシア軍は、ボルシェヴィキだけでなく、全ユダヤ人を敵として取り扱った。ウクライナの内戦は、ユダヤ人の歴史で最も大規模なポグロムに発展し、6~7万人のユダヤ人が殺害された。東欧でもボルシェヴィキとユダヤ人は同一視され、ポーランド、ハンガリー、ルーマニア等でユダヤ人迫害が行われた。
しかし、ロシアのユダヤ人が全員、共産主義者なのではなく、ボルシェヴィキに参加したユダヤ人は、脱ユダヤ教的なユダヤ人だった。ボルシェヴィキは、帝政ロシアで、ユダヤ教徒の目標と利益に積極的に敵対する唯一の政党だった。
最高指導者のレーニンは、ユダヤ民族主義・シオニズムを批判し、プロレタリア国際主義を推進した。
レーニンは「ユダヤ人の民族性という概念は、ユダヤ人プロレタリアートの利益に反する」「ユダヤ人の民族的文化というスローガンを提唱する者は、プロレタリアートの敵、ユダヤ人の古いカースト的地位の支持者、ラビとブルジョワジーの共犯者である」と批判した。
それゆえ、レーニンはユダヤ人のみの利益のために革命を起こしたのではない。あくまでプロレアリア国際主義の原則のもとに革命を起こした。
実際、一般のユダヤ人は、ボルシェヴィキのユダヤ人によって苦しめられた。彼らは革命によって被害を蒙った。
ケレンスキー臨時政府は、ユダヤ人に完全な投票権と市民権を与えた。その政権が続けば、ユダヤ人は多くのものを獲得できただろう。
だが、ユダヤ人にとって、デモクラシーを否定し、武力で政権を奪うボルシェヴィキのクーデタは、時計の針の逆回転となった。ユダヤ人の多数が粛清され、生き延びた人のうち約30万人は国境を越えて亡命した。
1919年8月にユダヤ人の宗教的共同体は解散させられた。
それらが持つ財産は没収され、大多数のシナゴーグは閉鎖された。脱ユダヤ教的なユダヤ人は、ユダヤ文化の特異性のすべての徴候を撲滅しようとした。ロシアにおけるシオニズムの根絶を図り、1920年以降ロシア人シオニストが何千人も強制収容所に送られた。
彼らのほとんどは、出所できなかった。ユダヤ人共産主義者が、ユダヤ人によるシオニズムを弾圧したのである。

ユダヤ批判が高まったのでロシア革命に対する支持を失わないためにレーニンは「泣いて馬謖を斬った」のでしょうか?
レーニンはグローバル支配完成というユダヤの大義のために目先ユダヤ人優遇を封印するだけではなく逆に少数ユダヤ人を冷遇して、いかにもユダヤのための革命ではないというプロパガンダに成功しました。
経済政治運営でレーニンが、「一歩前進2歩後退」ネップ戦略を発表したのに通じるものがあります。
共産圏だけでなく、米国であれどんな強大国・強力な国家統制体制を構築しても事実に基づかないプロパガンダは、いつかはメッキが剥がれ「地」が出てくる・・色あせる時期がきます。

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