本籍4(地から地番へ)

 

ちなみに、本籍「地「と言う言葉が出て来たので戸籍簿の特定の仕方について考えて行きますと、元は戸籍筆頭者の人別に編成して行くことが可能で、・・これが江戸時代までの宗門「人別帳」と言われるゆえんです。
人別帳や戸籍簿は村(当時は何々の庄とか何々の郷と言っていました)別に造っていたので、どこの村(郷・庄)の誰それの戸籍と言えばそれで特定としては十分だったのでしょう。
しかも姓自体が。橋詰とか宮本・宮前などその集落内の場所を現すことが多かったのですからなおさらです。
地番が出来上がるまでは、「どこそこ国の何郡何郷の誰それ」と言う特定で済ましていたと思われます。
ご存知のように現在では戸籍謄本取り寄せには戸籍筆頭者名と本籍地番を書いて申請するシステムです・・22日紹介した本では、本籍地は索引機能しかないと書かれていました。
ただし、市街地では人家が密集しているので宮ノ前と言っても何十軒もある場合どこの家か分りませんから、自ずから市街地では現在の住居表示に類似する屋敷地番が発達していたようで、これが戸籍に記載されていたようです。
他方で、戸籍制度整備の目的とは別に土地に地番を振る作業が明治10年以降進んでいたことを、08/27/09「土地売買の自由化3(地番の誕生と境界)」のコラムで紹介しました。
(実際には日本中の土地に地番を振って行く作業が完了するには何十年もかかります)
平行して廃藩置県後地方制度整備が進み、いわゆる郡県市町村制が決まりその中の大字小字の区分け、その字中の地番まで特定出来るようになったのは、何十年もかかった後のことです。
屋敷地番から土地の地番に戸籍が変わったのは、明治19年式戸籍からだったとどこかで読んだような気がします。
土地に地番を振って行く作業の進捗にあわせて戸籍簿の特定も屋敷地番から土地の地番に移行して行ったのでしょう・・。
もしも本籍「地」の「地」とは現在のように策引き出来る地番のことであれば、それまでは地番自体がなかったのですから、本籍「地」と言う言葉自体がなかった筈ですから、本籍「地」と言うようになったのは地番特定が普及して以降でしょうか?
ただし、法律上の「地」とは最小単位の行政区域を指称することが多く、(例えば手形小切手法の支払地など)地番とはその「地」の中で順番に付した番号と言う意味であって、その結果、最小単位・子字(あざ)ごとに1番から始まるルールです。
参考までに手形法の第1条を紹介しますが、手形要件の中で支払地、振出地の記載がそれで、地番ではなく最小行政区域を言います。
この支払「地」や振出地は東京で言えば港区や中央区まで書かないと無効になりますが、その中で麻布や銀座・築地など下位の地名まで書く必要はありません。
手形法
(昭和七年七月十五日法律第二十号)

最終改正:平成一八年六月二一日法律第七八号

  第一編 為替手形
   第一章 為替手形ノ振出及方式
第一条  為替手形ニハ左ノ事項ヲ記載スベシ
一  証券ノ文言中ニ其ノ証券ノ作成ニ用フル語ヲ以テ記載スル為替手形ナルコトヲ示ス文字
二  一定ノ金額ヲ支払フベキ旨ノ単純ナル委託
三  支払ヲ為スベキ者(支払人)ノ名称
四  満期ノ表示
五  支払ヲ為スベキ地ノ表示
六  支払ヲ受ケ又ハ之ヲ受クル者ヲ指図スル者ノ名称
七  手形ヲ振出ス日及地ノ表示
八  手形ヲ振出ス者(振出人)ノ署名

もしもこの法律上の慣用表現が明治の初めからあったとすれば、今の最小単位は市町村(東京では区)ですが、当時は最小単位である◯◯の庄、◯◯郷まで書いてあれば、当初から本籍「地」を表記していたことになります。
「本籍地はどこか?」「はい、何々の国何々郡◯◯の庄です」と言えば、地番まで言わなくともそれで正答だったことになります。
ちなみに、郷や庄に代わって大字(あざ)小字(あざ)の単位が出来たのは、明治になって江戸時代までの小集落を併合して大きな単位の村が出来上がって元の集落名を「字」に格下げして以来のことです。
言わば第一回目の併合で格下げになったのが今の小字で、その次の合併で更に大きくなった村の一部になったのが大字であろうと思います。
昭和30年代の全国規模の大合併で更に村の規模が1kメートル四方程度の大きさになりましたが、この時更に村の下位になってしまった地域は大字とも言わずに旧何とか地域と言われることが多いようです。
大きな市では元の△村や△町はそのまま◯◯市△町として残っていました。
都市化したところでは◯◯何丁目の◯◯の地名で残っています。
最近の例で言えば、仙台と合併した和泉市が泉区になり、浦和や大宮市が合併して浦和区や大宮区になったようなものと言えば良いでしょうか?
何故大字小字と言うようになったかについてですが、私の素人推測では、上記のように併合を繰り返しているうちに大小の区別がついたものですが、他方明治の初め頃には毛筆で書いていたので、太字で書くか細字で書くかの区別もできて簡単だったことで始まったものと思います。
大字小字に関しては後にムラと邑の違い、集落の単位などで、もう一度書きます。
地と地番の関係に戻りますと、もしかしたら、法律上の慣用的表現は、地番などない時代が長かったので「地」概念が先に発達したものを、今でも使っているだけかもしれません。

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