小川榮太郎氏の朝日新聞への挑戦は、ネット社会でなければ朝日新聞に有利な報道の洪水で小川氏の言い分が世間に知られないまま収束し、報道界で抹殺され彼の仕事がなくなっていたと思われます。
フリージャーナリストとすれば、大手の意見に楯突くのは元はと言えば死活問題でした。
大手メデイア4〜5社の寡占市場では、寡占意見に逆らえる自由な市場でなかったのです。
小川氏の行動を見ればいろんな意見が飛び交う・・文字通り思想の自由市場が始まったようです。
素人が参加するようになると慣れていない分当面マナー違反が増えるでしょうが、それは別に事案に応じて対処して行けば済むことで先ずは自由な市場が開かれていることが重要です。
ネット社会の今では彼の言い分がネットに出回っているのに、何故か言論市場支配者とも言うべき朝日の主張がネット上で見当たらないことを2月13日に書きました。
「自由市場」で根拠のない誹謗中傷に開かれた反論しているとかえって話題性が高まり拡散するのを嫌ったのでしょうか。
市場は「事実無根の批判」かどうかを知りたいのですが、訴訟は法的には公開の口頭弁論で行うのですが、実務運用は密室での弁論準備手続で進む・・・部外者は入れません・・のが普通ですので、詳細が公開されるのは準備手続きが終わってから口頭弁論に移りそこで法的には公開されますが、そこで一般人が期待する口頭弁論→演説をするのではなく、「準備手続きで提出済みの準備書面1〜5記載の通り陳述」するという数秒〜1分以内の発言で終わるのが普通です。
ですから、一般傍聴人は判決時に判決文を関係者からもらうまでお互いどういう主張をしてきたのか内容不明・・本来の意味の公開討論が先送りになります。
13日に省略して引用しませんでしたが、小川氏の主張では事件が終わるのは5年くらい先になると書いていた記憶ですが、その間に森カケ騒動が終わってしまえば、朝日の煽りが仮に事実無根であっても世論への影響力で政治が決まってしまった後では取り返しがつきません。
朝日新聞は「訴訟にしたので一々私的(訴訟外)反論の必要がない」と言うスタンスなのでしょうが、いかにも「臭いものにフタ式」の行動です。
一般言論市場で支持者が多い自信があれば、訴訟をするのとは別に言論市場で公開討論に応じればいいことでしょうが・・。.
13日に一部引用した小川氏の他の部分では裁判があるとそのつどその進行状況・朝日の具体的主張をネット公開すると書いていますので、これを実行すればこの戦略が通用しなくなりました。
逆に小川氏がこの公開約束を怠るようになれば、小川氏が追い込まれている・みっともないので公開したくないのかな?と外野は推測することになります。
言論の自由・思想の自由市場論を主張してきたアメリカの場合、中国のように首脳の意向に反すると言う単純基準で即時削除や報道規制できません。
中国では政府トップの意向が瞬時に変わっても構わないので・・昨日紹介したように末端が昨日までの基準で発表すると「今朝の意見は違うんだ」とお叱りを受けて大変です・・そこで上の意向を汲むために汲々とする・・社会が生まれます。
中国の皇帝・今で言えば習近平氏が昨日までの意見と違うことを言えば、昨日までの意見と矛盾しようがしまいが、官僚→人民は即時に従うしかない仕組みです。
また話題が逸れますが、韓国では気楽に日韓合意破棄する傾向があって「1人前の人間のすることではない」と思う日本人が多いと思いますが、中韓では古代から権力者になれば昨日までの命令・・「国民はその命令に従っている限り処罰されない」という意味で一種の契約ですが、これを根拠なく(国民の知らぬ間に)瞬時に変更できる社会を日本統治下に入るまで続けてきた経験によるものです。
国民間では昨日の約束は今日も有効でなければ社会生活がなりたたないでしょうが、権力者になれば無茶が通る社会だったことになります。
この伝統意識が最高権力者・大統領になると何でもできるかのような振る舞いをし国民もそれを今でも期待している社会です。
例えば文政権の政権公約・公務員を増やして失業問題を解決する、あるいは最低賃金引き上げ約束などに期待しますが、現実政治経済はそんな甘いものではないので選挙時の大きな期待がすぐにしぼむことの繰り返しでした。
歴代大統領就任後公約で煽った期待を実現できないことへの失望が、大統領退任後例外なく刑事責任追及に発展する・・極端に振れる原因です。
非常識な期待をする選挙民のレベルが問題ですが、千年単位で培った専制権力への憧れがあるからでしょう。
これが国際関係でも最高権力者は国際合意をいつでも破棄変更できるかのように国民が期待する体質につながります。
対等相手国が、韓国の新権力者の意向に迎合する余地がないので、(朴槿恵の慰安婦騒動拡大が期待を裏切って)ここでも国民期待を裏切ります。
欧米的学問ではこのような思いつき的政治を東洋的専制支配.家産官僚制と表現してきましたが、中国的ルールを世界に広げると昨秋の党大会で習近平が開き直り公言したのは「このやり方の方が良い」という開き直り主張でしょう。
表現の自由に関しては、この規制のために人海戦術に頼ってきたモグラ叩き方式でも、コンピューターの高度化で政府方針に反する・キーワード入力すれば、反政府傾向の発信を瞬時に検索できるソフトが発達してきたようです。
思想教育を欧米と違い露骨に厳しくやる上に、それプラスモグラ叩き方式との両面作戦が効果的・・優勢になったと言うのが、中国の主張でしょう。
現在の国際戦争は裸の武力を滅多に使えないので、戦争の前哨戦・・最前線が思想攻勢やサイバー空間の浸透競争に移っているのですが、中国はもともと言論の自由など認めていないので侵入防壁が鉄壁の備えなのに、自由主義国では(時代遅れの?)言論の自由原則のために自国への浸透に対する防護壁がないままとなっています。
これを経済面でいえば、先進国の解放主義に乗じて中国は自由奔放に欧米や日本に進出する一方で、自国への進出には合弁しか認めず、その合弁比率規制をもうけるのみならず、進出企業には高度知財提供を義務つけるなど一方的な関係になっていることに対する(先進国共通の怒りが蓄積してきた・)これをアメリカが端的に表明したのがトランプ氏のちゃぶ台返し的発言です。
トランプ氏は過激に国益重視と言いますが、要はこれまでの国際合意は守らない国相手に自分だけルールを守る仕組みだから公正なルールではないからゼロベースで見直したいということでしょう。
2月4日からのフェイクシリーズで書いてきたように、日本を含むアメリカ陣営ではフェイクか否かのまどろっこしい議論をしている内にアメリカ支配下の言論界は中国やロシアの工作員に乗っ取られてしまうかもしれません。
ところで憲法その他の学問は、何のためにあるでしょうか?
とりわけ憲法は「その国家」のあり方を決めるものであり、その方向性を決めるものです。
「その国家」とは憲法を制定した国家のことであり、外国・異民族のための制度ではありません。
そう言うと偏頗な「民族主義者」とか時代錯誤という批判が普通に想定されること自体が、わが国思想市場の異常性を示しています。