外出規制緩和6(抗体保有率・集団免疫)

ある社会でウイルスに強い(発症しにくい)人の比率が100人中1人か、30人か90人か等によって、(自覚症状があってから検査を受ける社会の場合)発症表面化率が違ってきます。
PCR検査をいかに拡大しても、小学校等で(体調不良等特殊事情を除いて)全員もれなく実施する各種ワクチン接種のように国民全員に検査を義務付けるまでにはいかないでしょうから、最大化しても当面希望者全員検査をできるようにするのが限界でしょう。
ウイルス感染に強い・未発症状態の人の比率が上がるか、あるいは元々その比率の高い社会では、感染していても検査を受ける比率が下がります。
検査を受けない感染者が一杯いても統計上の感染率が下がる一方ですが、実はウイルスが社会にウヨウヨしている場合があり得ます。
言い換えれば抗体保持者の多い社会ですので、仮に人口の99%が免疫保持者になれば、集団免疫成就社会という理想社会になるでしょう。
社会の99%が抗体保持者・・感染可能率が1%くらいならば、たまに発症しても「あいつは弱いんだよ!」と例外扱いすれば済み、社会の脅威とならないので、普通の風邪ひきや心臓病、がん患者みたいなものにランク落ちして「疫病」から卒業です。
そこへ行きつくまでの途中・・ウイルスが体内侵入してきても抵抗力が強くて症状は出ないが周囲にウイルスを撒き散らす人・抗体保持者?が3〜40%で6〜7割がすぐ発症する弱い社会では、ニコニコと近づいてきた知り合いが、実は感染しているが未発症かどうか不明で、「うかうか町も歩けないよ!」という期間どうするかです。
上記の仮定例で言えば、10人の元気な人に出会えば、そのうち3〜4人がウイルスを撒き散らす隠れ感染者(または元感染者)の可能性があるということです。
感染しているが未発症の人が、1日平均100人に接触する場合、100人の内一人でも弱い人がいると1日一人の発症する感染者が発生していくことになる。
すぐに発症する弱い人が10人いれば、潜伏期間を経て検査を受けるので弱い人の比率次第で検査を受ける人の数が増減し、表面化する新規感染数も増減します。
1人の人間が1日に平均100人と接触していた社会で1日の接触数を10人に減らせば、感染増加率も10分の1に減ります。
ウイルスに強い人を増やすには相応の感染リスクを経る必要=リスクを負担しますが、会う人を減らすだけならば、リスクがないので古来から世界中がまず取り組んできたのが接触数縮小政策でした。
未知のものには警戒してむやみに近づかないのが動物界の掟です。
伝染性疾患とは伝染しやすい疾患のことですから、伝染=対人距離に比例・・私が戦後に育った子供のころの経験では「避病院」といって結核〜ライ病など治療方法不明の病気は須らく雑木林に囲まれた村里外れの隔離施設に収容するのが基本でした。
これが古代からの基本的知恵です。
古代からといえば、私が戦後疎開先で育った地方の経験では葬送の儀礼は土葬社会でしたので、土葬すべき墓地は人里離れた場所・サンマイ(子供の頃なのでどういう漢字を当てていたか不明)と呼ばれる人里離れた場所にありました。
文字通り「穢れ」を隔離する思想によるものでした。
古代には死に至る病=全て伝染する病原菌の巣窟という恐怖と一体だったからではないでしょうか?
今でもお葬式から帰ると殺菌の儀礼として塩を撒く習慣はこの恐怖に由来します。
現在でも台風が来れば台風と戦うよりは、安全のために「早く家に早く帰りましょう」(一番安全な自宅に篭れ)と呼びかけるのもこの1形態でしょう。
家のいろんなものが飛び散っても嵐の最中に出て行って道路や庭の掃除する人はいないでしょう。
風水害に対する日頃の備え同様に日本民族の元々保有している対ウイルス免疫獲得力の差(経済への影響で言えば、いざという時のための蓄積のある社会・体力差がものを言うように)が新規感染者数に影響するので、検査を受けて初めて分かる新規感染者数の絶対数字自体に意味がなく、その増減を折れ線グラフ化した傾向の読み取りが重要です。
絶対数の必要性は結果としての死亡数・コロナでの死亡かどうか灰色の場合も多い(交通事故死の場合までPCR検査してみたら陽性だったという報道が日本では出ますが、時節柄死亡すればPCR検査する国とそこまでしない国があるので、他国との統計比較には誤差が大きすぎます。
この点は失業率統計でも同じで、失業保険制度との関連で職安に登録した人だけの統計では失業保険制度の使い勝手の悪い社会とそうでない社会の違いが出ますし、例えば、支給期間半年の国と1年間の国では期間の長い国の方が失業率が2倍になります。
日本の場合企業内失業・・政府補助金で解雇を先伸ばす制度もあります。
このように統計の前提たる社会構造の違いが大きく出ますので、何を統計に含めるかで違いが出ます。
中国のGDP統計が信用できないことから国際的には政府発表のGDPより電力消費量の増減からの推計が流行りましたし、電力統計が操作されるようになると物流統計など次々と目先データの変更が必要です。
国別比較の場合にはこのような統計の違いが出るので、コロナ禍による影響を比較するには、結果から見るのが合理的です。
例年の各月の平均死亡数とコロナ禍時期の結果としての死亡数の変化で見比べるのが非科学的なようで実は最も正確でしょう。
同じ検査体制内では統計の変化は意味があるので、政策効果の方向性を決定づける「勢い」を知るには有用です。
例えば、日に千人平均(約1週間〜10日間の移動平均)の新規感染者が出ていたのが900〜800〜数百と漸減し百人以下の80〜70〜50〜20〜10人〜さらに8〜5〜2人と減っていけばある程度傾向が読めます。
抗体を持つ人の比率が上がると新規発症率が下がる関係ですから、対ウイルス治療薬や撲滅策(例えば熱に弱いからこうすればいいという処方が成功しても、治療薬によるのではありません)が不明・未発見の状態である以上は、他方で抗体保持者の比率が上がっていると推測することが可能です。
新規感染がゼロになればその先の傾向をどのように読むべきかは、抗体保持者あるいは免疫力をどう読むかです。
韓国が感染押さえ込み成功したということで、4月下旬に外出制限を緩和しましたのでその後の経過を見ていきます。

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