昨日紹介した12月29日論文批判の続きです。
正規と非正規、失業中の家庭の消費格差がせいぜい1割の範囲内と言うことは、一生懸命競争した結果の差としてはこの程度で良いと思う人が多いのではないでしょうか?
格差が開き過ぎていると言うマスコミ報道は・・生活格差ではなく所得格差を言っているのであって、欧米の実態と日本の違いを明らかにしない不正確報道・・実態を表していないことになります。
同論文は続けて大阪府で行なった調査では、豊かな層では職探し意欲が高いが、貧困層では、職探し意欲が低いことが明らかになったと書いています。
これが貧困の連鎖になると言いますが、貧困だからそうなのか、親のレベル(DNA)が低過ぎて職探し出来なくて貧困になっている場合、その子も職探し自体無理がある場合が多いのではないか(一般的に親子の能力は遺伝します)と言う普通に起きる疑問に答えていません。
12月29日の論文では、中学生になっても9x9の掛け算さえ出来ない子が増えているなどのいろんな実態報告をしていて、貧困連鎖の深刻化が進んでいる・・これを断ち切る必要性を書いています。
明治以降能力がなくとも大学に行けたり、能力があっても小作人の子が大学へ行けなかったりなどの格差があったが、戦後平等主義が徹底した結果、各分野において能力差による待遇・社会的地位の決定方法が行き渡って来たのは喜ばしいことです。
現在我が国の格差は素質的能力主義が完成に近づいた・・貧困層とその次世代能力差がキレイに一致して来ただけではないかと思うのは、私だけでしょうか?
この辺の実証研究・・常識的な疑問に答えないままで各種補助金の必要性をイキナリ力説しても,専門家の意見と言えるのか疑問です。
9x9も出来ない親が東大に行くような子供を産めるようなことは普通ではないのであって、「東大生には富裕層が多い」としょっ中出て来るマスコミ宣伝のいかがわしさに迎合しているような論文です。
中学生になっても9x9も出来ないような子に対する特殊教育の嵩上げが必要とありますが、膨大な国富・有能な人材を動員してもその効果は知れています。
1月3日に紹介したように同論文では学校外で3時間も勉強しているが、全く勉強しない豊かな層の子よりも成績が悪いと書いています。
出来ない子に親が苦労しているがどうにもならない実態が現れています・・これは貧困と関係がない・・素質の問題です。
公費で課外学習を取り込んでも、巨額費用投入の割に効果は知れているでしょう。
そこまで国民から徴収した税を使うメリットがあるかと言う国民的議論が必要です。
(出来ない子の立場で考えてもできないことを、懲役のように無理に教えられるのは苦痛ですから早く解放して欲しいでしょう)
9x9が出来ない子供は、貧困で勉強する時間がないから出来ないのではなく、(学校外3時間の勉強と言うのは、親が面倒見ているよりは)塾などに通わせて(プロが教えても)いる時間を言うのでしょうから、お金をかけても素質的に無理があるから出来ない子が一杯いることを表しています。
弱者を蹴散らし踏みニジルことしか知らない・・自分の子でさえむちで打つくらいが教育と思って、何千年も来た社会の・・・社会不正義が蔓延しているのが原則の欧米社会で、時々エリートが頭で思いついて騒いでいる・・人権論・・日本社会よりも何周回も遅れた欧米の議論をそのまま持ち込んでも仕方がないと思います・・。
反捕鯨運動の文化的な底の浅さを日本人はみんな知っているように、社会参加率を金科玉条にする欧米の受け売り・・フェミニズムのばかばかしさをこの数日書いてきました。
未だに文化人は、欧米の受け売りをすれば論文になると思っている(あるいは、海外基準で日本は遅れていると書かないと海外で紹介されないのかも知れませんが・・。)のではないでしょうか?
変な意見だなと思っても、「難しいことは私らには分りませんが・・」と言うスタイルで、日本人は相手に恥をかかせないようにこれまでやり過ごしてきましたが・・・。
お偉い人たち・マスコミに任せておくとアメリカが誘導する方向ばかり・・慰安婦騒動になって来たので、お任せ出来なくなって来たのが最近の実情です。
その気になって、マスコミ報道を見るとおかしな報道・論説が一杯です。