反日教育2(親日意識1)

中国が経済停滞して仮に腰が低くなれば、アメリカ(背後の西洋白人国家)は再び日本叩きに復帰するリスクがあります。
(中国も韓国・北朝鮮同様に困れば困るほど却って居丈高・・強硬姿勢になる傾向があるので、当面低姿勢になる心配がないと思いますが・・・その代わりに軍が暴発する危険もあります。)
このように考えて行くと中国がドンドン自信を持ってアメリカに挑戦を続けてもらい、日本人は「日本は本当はすごいぞ!と言う宣伝を出来るだけしない方が良いのです。
安倍総理が世界をまたに掛けた外交戦略があまりにも見事に成功して中国が孤立するようになると、アメリカは日本に対する生来の警戒心が再び頭をもたげて来るのではないか、と私は心配しています。
中国包囲網はほどほどの成功に抑えて「中国の力を侮れないぞ!とずっとアメリカに思わせておく方が良いでしょう。
アメリカは従来から日本が東南アジア等で、少しでも主導権を握りそうになるとつぶしにかかって来た歴史があります。
安倍政権はそれなりにアメリカ根回ししてやっていることとは思いますが、結果があまりに良すぎるとアメリカは日本に対する警戒感に再び目覚めるでしょう。
失われた20年とかいって「日本は駄目だ駄目だ」と宣伝するマスコミを自虐史観と批判している人がいますが、(自信を失わせるのは困りますが・・)誰に聞かれても中韓のように威張らずに
  「まあボチボチですな・・」
と言う程度が、日本人の昔からの智恵ではないでしょうか?
日本のあちこちの良いところを紹介するユーチューブが多いですが、日本人だけがおいしいと食べているおいしいものを世界中の人が食べるようになる必要はない(日本人が食べられなくなる)し、静かな良いところに大挙して押し掛けて大声で騒ぎ、ゴミだらけにして貰う必要がないのと同じです。
外国人の入園料・拝観料など当てにしないで、国民が自分達の良い物を自分たちで費用負担して維持して行くべきです。
中韓両政府は日本とは近隣関係のために草の根の交流が多く、どんなに日本に対する悪教育をしていても日本に比べて自分たちの政治がうまく行ってないことが、国民に知れ渡っています。
これが政権維持にとって脅威なので、日本批判を繰り返さざるを得ない状態に追い込まれているのです。
・・韓国では日本の文化に負けることを極度に恐れて、最近まで日本の文化作品本の販売・映画などの上映が禁止されていたことだけ見ても分るでしょう。
エログロや暴力シーンがいけないと言うのはなく、道徳心が高く豊かな精神な生活している日本の状態を国民に知られるのが怖かったのです。
古いことでうろ覚えになったので、2013年7月1日現在のウイキペデイアによれば以下のとおりです。

「かつて韓国では、自国の地上波テレビにおける日本のドラマ・映画、日本語の歌の放映が、法律で禁止ないし強く制限されていた[4]。
1987年、韓国は万国著作権条約に加盟。以降、日本からの書籍の版権輸入が本格化した。また、1992年には、ソウルで開催されたアジア太平洋映画祭で『遠き落日』『大誘拐』など4本を一般公開した。(日本映画として戦後初)[5]。
1998年(平成10年)10月に金大中大統領が来日し、「日本の大衆文化解禁の方針」を表明。以降、日本の大衆文化を順次受け入れ始めた。
2004年(平成16年)にはケーブルテレビなど有料放送においてのみ、年齢制限付きで日本のドラマ放映は解禁され、また最近は日本のドラマのリメイクや日本の小説・漫画を原作としてドラマの製作も行われてはいる。
しかし、地上波テレビ放送においては、現在も「国民情緒に配慮し」日本のドラマやバラエティ番組放送は規制され[6]、日本語の歌の放映は放送局側が録画放送だけに限ってきた。」

同胞意識5と次世代(年金赤字)1

マスコミ界の凋落から分け隔てなく人や動物等を愛する日本と諸外国との大きな違いに話題を戻します。
日本以外の国では、自己が政権維持発展のために、領域内の人間を都合良く利用出来るかどうかが政策基準になります。
(世界中の政府が貧富の格差を問題にしているのも、政権維持を図るために格差を気にする必要があるために気にしているのであって、同胞意識によるものではありません)
領域内の人民を守るとか人民のための政治などのレトリックは、政権維持の方便として必要になっているに過ぎません。
中韓に限らずほぼ世界中の国(もしかしてドイツ農民は例外かも?)では、個々の農民・庶民は、ただ政治に翻弄されて生きて来た経験しかなく、国民自身が主体的にしたたかに生きてきた結果、同胞意識の強くなっている我が国と根本的に違います。
高校大学のクラブ活動でも文化祭の準備でもお祭り何でもそうですが、(弁護士会では各種委員会活動など)主体的に準備・参加すると、一体感が高まる傾向があります。
我が国では構成員である国民がいろんな場面で主体的人格として待遇されて来たことが同胞意識・国民や郷土一体感が強固になって来た所以でしょう。
強固な同胞一体感が、犯罪率を引き下げ、住み易い社会・・美しい日本列島を作る意欲の高さになっている下地です。
我が国の場合、非正規雇用の増加で若者が困っていることが現在社会の心配事ですが、諸外国とは違い、親世代が豊かで全体としては豊かなのですから、若者の問題というよりは所得分配や高齢者と若者の世代間ワークシェアーの問題を怠っていることに原因があります。
技術革新による国際競争力の回復は本来民間がやるべきことですが、世代間の所得再配分こそ政治の出番です。
年金赤字問題は「世代間扶養が前提」などと全く噴飯もののイデオロギーをマスコミが宣伝していますが、自分でかけている民間の年金保険でも何でもそうですが、誰でも自分の積立金の合計と支給額を天秤にかけて加入の是非を考えるものです。
払う段になって後の加入者が払う予定だったので、後の加入者が少なければあるいは支払が少なければそれだけしか払いませんなどと言ったら、民間年金保険は成り立ちません。
保険(生命保険/年金契約にかかわらず)に任意で加入する場合、その後の加入者の増減によって自分の受給額が増減するなどと考える人は100%いません。
年金の場合定期預金同様の発想で元金以上払ってくれる気持ちで加入している人が現実です。
生命保険等の満期が来てから、「あなたの掛け金は使ってしまいました、その後の
掛け金で払おうと思ったらその後掛け金する客が少なくて払えません」と言ったらどうでしょう?
言わば政府が掛け金を先食いして自転車操業をしていたことになります。
建設業で言えば今の仕事の代金は次の仕事が受注出来るかどうかによりますと言われたら職人や下請け業者・納品業者も受注・納品を拒否するでしょう。
公的年金も強制とは言え国民の気持ちを無視出来ない点は同様で、加入者は自分が何年間掛ければいくら貰えると大雑把な計算して支払って来たのが真実であって、3〜40年経って払う段になってイキナリ後の加入者数や納付額次第であなたの掛け金合計額とは関係ありませんと言われたのでは詐欺そのものです。
これに対する疑義を全く受け付けない・・何か言うと「あなたは何も知らない・・」前から決まっているのだとバカにしたような議論にしてしまったのは、責任逃れをしたい官僚の振り付けをそのまま宣伝しているマスコミや受け売り学者の責任です。
昨日書いたばかりですが、まさに裸の王様の寓話そのものでまやかしも良いところです。
殆どの人はマスコミや学者にこぞってこのように言われると、反論するとそんなことも知らないのか?と自分が馬鹿にされるのが怖くて誰もが黙ってしまう傾向があります。
あるいはおかしいと言うと「あなたは何も知らないがこう言う制度らしいよ」と自慢げに説明する人まで出てきます。
私のようにバカ扱いされても構わない人だけが「どこかおかしいぞ!」と言い出すのがやっとです。

中間層・蓄積の重要性8(同胞意識5)

ちなみに武士の出現以前にも、武士に守ってもらうべき需要・・自作農があちこちに存在していたこと・もっと古くは荘園への名義だけの寄付が流行ったのも自作農地を守るためのものでした。
水田耕作の我が国では、水路の維持管理の必要性からムラ社会は一心同体の紐帯で結ばれて来たことを書いたことがあります。
ムラの代表者は自己保身のためではなく、むしろ自己を犠牲にしてもムラ人が全員一族・同胞のつもりですから、全構成員のために政治をすることに千年単位で親しんできました。
戦国武将が自分が腹を切っても城兵全員の助命を開城の条件にしていたし、農民一揆でも代表者・・庄屋クラスが処刑されること・自己犠牲を前提にしてムラのために頑張って来たことが、その象徴です。
莊屋クラスが自己保身・・私腹を肥やして農民から抗議されるような事件は全く起きていません。
中国だけはなく、朝鮮半島でも初の統一支配政権となった李氏朝鮮の支配下で、両班以外は人間扱いされない(文字も知らない)ままで近代に至り、日本支配になって漸く平等を前提に全員が教育を受けられるようになったに過ぎません。
総督府の時代に一般人対象に教育を始めたのですが、イキナリ漢字を教えるのは無理があったことから、総督府の勧めで現在のハングル文字(表音文字ですので言わば平仮名だけしか理解出来ない状態が、今も続いています)の普及を奨励したのが文字教育の始まりです。
我が国では名目的な律令体制を導入しましたが、班田収授法・・すなわち国有農地方式は根付かなかったことを01/15/06「三世一身法と墾田永年私財法1(法か律か?)」前後で連載しました。
中国や朝鮮の地域では(中国では辛亥革命まで)律令体制をそのまま敷いてきましたので、自作農・・自分の農地と言う観念自体が育たなかったでしょう。
だからこそ食えなくなれば簡単に流民化するし、共産革命・・集団・国営農場化が簡単に出来た面があることを、03/04/06「商から農への転換9・・・中国の場合1」等で書いたことがあります。
中韓両国の地域では異民族支配の繰り返しこれとセットの専制君主制・王朝下で何千年も来たので、日本のような国民(同胞)という概念もなく、単に支配領域内に住んでいる人間と言うだけで言わば支配対象・物みたいな客体でしかありません。
(この点日本人は他所の国の人を「その国民(同胞)」と日本的理解で考えると間違うことをこのあとで書いて行きます)
中国政府にとっては中国国内にいる人間も領域外にいる人間も、全て将棋の駒みたいな政権維持の対象・材料にしか過ぎず、(中国では異民族支配が繰り返された経験があるので、)領域外にいる人間も領域内にいる人間も将棋の駒のように取れば自分で使えるコマ・・工場経営で言えば原材料的対象として考えているので、都合によってどのように切り刻もうと自由自在ではないでしょうか。
領域内の国民も政権に反抗するならば、国境の外にいる外国人よりも政権維持にとって危険ですから、死刑・臓器摘出を含めて徹底的に押さえ込む・・恐怖政治でやって行くのが今でも中国風の政治です。
文化大革命当時に流行った下放政策も根は同じです。
国民の方も都合が悪ければ流民化したり、外国籍をとったりすることに抵抗がありません。
日本人の場合同胞どころか身近な動物まで家族のように可愛がり、大切にする社会です。
勿論庭に植えた草木もこよなく大事にしますし、針供養で知られるように身近な道具類にさえも魂を認めて大事にします。
まして同じ人間同士では、ネットその他では観念的に韓国や中国批判論が盛んですが、実際に身近にいる外国人を差別したり貶めたりする気持ちが(内心でも)基本的にありません。
中韓でいくらいろんなことがあっても、ネット騒いでいても、具体的に身近な中韓の人に対して罵詈雑言を浴びせるような人は(礼儀上黙ってるというだけではなく内心でも目の前にいる人には皆平等に接する気持ちが基本で)皆無と言っていいのではないでしょうか?
内心で異民族を侮蔑し、憎悪しながら理性の力で、博愛・動物愛護などと主張している欧米とは順序が違います。

同胞意識5と統治対象2

中国では政府に反対する者は皆殺しにしても、あるいは非合法に収容しては臓器摘出してこれを売却商品にするなど何でもする政府ですが、ここまでやると怖くて抵抗出来ないし、政権に抵抗するのは命がけ・・反政府運動に参加する以上は先鋭化して行くのが普通です。
2013-1-27「 暴動と政権維持1(同胞意識2)」以下で書いたように、近代国家では政府軍の軍備は、寄せ集めの武器に頼る反政府軍や素手の暴動群衆に対して圧倒的に強大ですから、外国の介入がない限り、反政府運動はまともに戦ったのでは勝ち抜く見込みがありません。
中国のような大国では外国軍の介入が殆ど期待出来ないので、どんな圧政・臓器摘出されても国民は従うしかありません。
中国では古代から「苛政はトラよりも猛し」と言われて来た所以です。

「孔子過泰山側。有婦人哭於墓者而哀。夫子式而聽之、使子路問之曰、子之哭也、壹似重有憂者。」
「而曰、然。昔者吾舅死於虎、吾夫又死焉、今吾子又死焉。夫子曰、何爲不去也。曰、無苛政。夫子曰、小子識之、苛政猛於虎也。」

苛政とは重税を意味したものと学校で習った記憶ですが、今様に言えば不公正、不合理な制度や非民主的過酷な弾圧などが苛政にあたるでしょう。
圧政・・すなわち正義に反する政治の強制が許される政治体制・・装備の優勢と国民に対する呵責ない弾圧を躊躇しないで実行出来る国では、政権が倒れない代わりに個々人の道徳観が蝕まれますので、犯罪多発・道徳の頽廃した社会が継続する原因になります。
特権層が日本のお金持ちの10〜100倍の収入があって厳重な警備で生活したり家族を海外に逃がしたりするのと、日本のように使用人ゼロでも気楽に自宅近くを散歩出来るのとどちらが良いかの問題です。
政府が政権維持のためには道徳も何も要らないと言う姿勢ですと、国民も毒になる物をミルクや食品等に混ぜるなど、金儲けのためなら食品産業に限らず何でもやるという姿勢が顕著になります。
日本では野球でも何でも有名人が行儀悪いと青少年に与える影響が大きいからという理由での締め付けが厳しいですが、(ジヤィアンツの王選手が試合中にしきりにつばを吐くシーン映像が行儀悪い・・少年に悪影響だ嫌われていたことを想起して下さい)政府自身が政権維持のために人倫の道に反していろんなことをすれば、国民に与える道徳的影響は半端ではありません。
ところで、中国や韓国国民が非道得的行動原理になる理由については、政府の国民に対する政権維持のためにする呵責ない圧政の外に、「貧すれば貪する」と言う原理も加えて作用しているでしょう。
中国や韓国と我が国の本質的民度差は、中国や朝鮮では民衆の極端な貧しさ・・庶民層ではちょっとした凶作等があればたちまち餓死に直結するような極貧状態が古代から続いている・・庶民がマトモな蓄積を出来ない状態で何千年も来たことも関係あるのかも知れません。
中間層と言うと世上ホワイトカラーの出現・・高度成長期以降のことを想定している人が多いと思いますが、我が国では実は古代から中間層が存在していたことを軽視してはなりません。
我が国では、平安の昔から、武士層という中間層と安定した自営農民中心社会だったのに対し、古代から中間層が育ったことのない中韓社会との違いです。
安定した中間層の存在が早くから庶民文化・BC級グルメの発達した基盤でもありますし、日本と中韓の違いだけはなく世界中の諸外国との大きな違いになっています。
何でも西洋にあるものに日本をあわせようとする(日本の実態を知らないまま)学者が多いので、(士農工商と階級社会関係の違いについては「最先端社会に生きる3」January 14, 2013で書いたばかりです)我が国では昔から地主小作関係や農奴的身分があったかのような書き方で教育されて来ました。
いろんな歴史漫画でも長者ドンの息子と結婚出来て目出たし目でたし・・あるいはとんちの利く小僧が長者ドンをへこますような筋書きが多く見られます。
しかし、地主小作関係が発達したのは明治の地租改正・金納制による自営農民の没落によるものであったことを、04/10/04「イギリスの囲い込みと我が国の自作農崩壊との違・・・農村の窮乏化政策」04/09/04「地租改正と農地売買の自由化3(大地主の誕生と小作農の出現=窮乏化)」その他で連載しています。

 同胞意識4と統治対象1

マスメデイアだけではなくネット通信の発達によって、さすがの中国も言論弾圧が出来なくなるだろうという報道が5〜10年前から普通でした。
しかし、中国では膨大な人口と膨大な失業者・アリ族の存在を逆利用して彼らを低廉な(5毛?)報酬での検閲要員に取り込んで、徹底した人海戦術でこれをチェックして即時抹消して押さえ込み、他方で積極的に政府に都合の良い政策方向の宣伝や反日ブログ等の書き込みなどをさせて世論誘導にあらかた成功しています。
ネットの発達が言論の自由拡大に中国ではあまり効果がなく、逆にネットの発達が英米支配の先進国(特に日本では)のまやかしの言論の自由が告発される時代になって来ていることを、2012年12月20日「米英系マスコミ支配2とマスコミの限界」あたりから正月のコラムまで書きました。
日本の感覚ですと「政府がそこまでやらなければ政権維持出来ないならばもう終わりだ」と思うのが普通ですが、「そこまでやるか!」と言う野蛮なことを臆面もなくやり続けて来たのが古代から今に続く中国政府です。
王朝は毎回倒れているし、共産党政権と清朝には政権としても民族(満州族と漢民族)としても連続性がないのですが、目的達成のためには手段を選ばない点では、そこに住んでいる人・政府構成員のDNAが大きな意味を持っています。
歴代政権が政権維持のためには手段を選ばない価値観で来たので、上が上なら下も下ということで、そこにいる住民自身も金儲けその多目的達成のためには手段を選ばない価値観になるのは当然です。
人体に毒であることが分っていてもミルクに毒物を混ぜて安く仕上げようとするような事件が続出していますが、そこには商道徳などかけらもありません。
上から下まで目的(政権維持・金儲け)達成のためには手段を選ばない価値観で何千年も来たからです。
中国や韓国では、政府(これを構成する官僚や軍・国民を含めて)にとってわが国で言うところの「国民(同胞)」という意識がないのではないか?と言う意見をこの後で書いて行きます。
異民族支配が多かった中国地域の道徳観では、共同体・同胞としての国民一般という概念がなく、利益を守るべき共同体は飽くまで一族意識の範囲内だけです。
韓国や朝鮮でも古代から異民族の入れ替わりが続いたことから、一族・本貫重視である点は同じです。
今の中国では共青団出身とか太子党などと日本のマスコミが如何にも利害対立集団の如く囃立てていますが、共産党大幹部の家柄・太子党一族か、共産党組織の中堅下部組織からから這い上がって来たかの違いだけで、共産党内部の覇権争いに過ぎず、その他一般は統治の対象でしかありません。
王朝時代の王族と高級官僚(宦官)による争いの蒸し返しに過ぎないと言えるでしょう。
中国でのジニ係数が破滅的数字に達しているとタマに報道されていますが、この係数自体まるで当てなりません。
もともと中国の統計数字がいい加減であるだけではなく、天文学的蓄財をしている共産党幹部や政府高官の収入は表向き小さく、中国の巨額収入層は賄賂等不正蓄財によるものですから、統計に出る筈がありません。
これらを統計に含めないでも相対的貧困層の比率が危機的状態とすれば、実態はもっと深刻・大変な事態です。
統計数字だけでも政権維持出来なくなる程の格差であるという論評が一般的ですが、欧米や日本んマスコミの期待にかかわらず中国が天文学的格差下で政権維持出来ているのは、徹底的強圧政治が可能・・躊躇しないことによります。
チベット僧の焼身自殺などがいくらあっても、中国政府にとって諸外国からの批判(外国介入の一種です)さえなければ、「そんなことくらいしか抵抗出来ないの?」と却って安心材料になるくらいでしょう。
尖閣諸島問題で中国の侵略が始まった場合、これに抗議して日本国内でいくら焼身自殺が相次いでも中国は、日本軍が抵抗出来ないからそんなことしているのだと安心するだけです。
中国政府にとって、国民が焼身自殺しても騒乱を起こしても同胞としての痛みを感じるのでなく騒乱軍に政府軍が負けるか否か・・政権維持出来るか否かだけが基準になっていると考えられます。
モンゴル軍が中央アジアを次々と侵略をしているときに、被征服民の何十人〜何百人が絶望して自殺しても侵略軍は何にも感じない・・無駄な抵抗にすらならなかった筈と言えば分りよいでしょう。
中国政府にとっては国民はそのような対象でしょう。
商人も製品によって顧客が毒物で死亡したり病気になっても、一族でない限り痛みを感じるのではなく商売を続けられるかどうかだけ(取り締まりだけ)が基準になります。
日本の場合でも、何か重大自体があれば結果として政権維持・顧客維持に関係しますから結果だけ見れば似たようなものですが、先ず同胞として痛みの共有から入って行く点が大きな違いです。

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