旧社会党〜社民党が支持を失って消滅の場合、どういう遺産が残るのでしょうか?
もともと困っている国民の具体的救済・・地道な運動よりは中ソの代弁者役で国策反対、妨害でやってきた(外部から見ればそう見えるというだけで、内部的には日本国民のためにやってきたつもりかもしれませんが・・)政党ですので、バックが中ソから中韓に変わっただけで、中韓による対日攻勢の意欲が続く限り日本国内で分裂を煽る役割がなくなることがないし資金パイプもなくならないのでしょうか?
沖縄県民や野党が基地反対闘争をつづけていれば、仮想敵国にとっては日米両国軍の弱体化に有効な内訌ですので、なんとか盛り上げたいところです。
米ソ対決盛んな時には、ソ連が社会党へ資金提供していたことが秘密文書開示によって明らかになったことを紹介しました。
基地反対あるいは国策なんでも反対集団がいれば、日本弱体化を狙う国にとっては運動集団への間接資金供給は軍事費としてみれば安上がりなので、資金供給の誘惑が大きいでしょうし、複雑な経路利用して資金入手パイプができれば弱小野党にとっては食いはぐれのない安定的資金源になりそうです。
終わりのない闘争こそが「食いはぐれのない道」ということでしょうか。
ここで沖縄基地返還交渉と基地移転反対運動を振り返ってみます。
篠原章氏はどういう人かまったく不明ですが、福島瑞穂氏の検索で上記沖縄タイムズの記事と続けて出てきたので引用します。
http://www.jfss.gr.jp/home/index/article/id/230
【JFSSレポート vol.43】
無法地帯と化した沖縄・高江からの報告―「反日」に転換した基地反対運動 ―
経済学博士・評論家 篠原 章
沖縄県東村(ひがしそん)の北部に高江という字(あざ)がある。隣村の国頭村(くにがみそん)安波(あは)区と境界を接する高江区は、6つある東村の行政区のうち、住民登録約150人と、最も人口の少ない静かな集落である。メディアなどで報じられてきたように、その高江区がいま、米軍基地を巡って騒乱の只中にある。
普天間飛行場の辺野古移設と同様、問題の出発点は「基地返還」にある。基地返還によって沖縄の負担を減らそうという日米両政府の計画を受け入れまいとする基地反対派が、激しい抗議運動を展開しているのだ。在日米軍は、1996年の「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)最終報告」(日米合意)に基づき、東村と国頭村に跨る海兵隊の北部訓練場約8000ヘクタールのうち、北半分の約4000ヘクタールを返還することになっている。
但し、この返還には、返還区域内にある6つの演習用ヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)を、非返還区域内に移設するという条件が付されていた。うち2つ(N4地区2箇所)が東村高江区内に、残り4つ(N1地区2箇所、G地区・H地区各1箇所)が国頭村安波区内に移設される予定だった。
この移設計画には、沖縄平和運動センターなどの反戦平和団体とその支援者、社民党、共産党などの政党や政治団体、地元住民の一部が反対し、工事用資材搬入口の車両による封鎖や座り込みなどで、再三再四工事を妨害した。「住環境と自然環境の破壊」が表向きの反対理由だったが、実質的には、米軍基地や日米安保体制そのものへの反対と見てよい。彼らは、部分返還ではなく全面返還を求めているが、米軍にとって唯一のジャングル訓練センターを含む北部訓練場が、全面的に返還される可能性は極めて少ない。無理を承知で全面返還を要求しているのだから、彼らの目的は「返還」ではなく「反対」にある。
激しい抗議運動の結果、2002年迄に返還される計画は、14年以上も遅延することになった。
中ソを含めた全面講和以外独立反対・・実現可能性のない条件を掲げて闘争(まともな交渉の場合、条件とは常識的に実現可能な条件であるべきですからこれを自分で闘争というのでしょう)していたことの焼き直し運動を今だにしているかのようです。
もともと解決する気持がなく半永久的に反対し、事業の妨害を目的とする集団を相手に話し合いしても無駄ということでしょうか?