感染者増加と人工呼吸器等の必要数(利用者は全国で59名)1

29日日経朝刊3pには、人工呼吸器の数さえ正確に分かっていないのか!という体制不備を強調するイメージ紙面が大きく出ていて、その紙面では大阪府で1000台あると書いているのですが・・・東京都はじめ各地の正確な数字把握すらできていない政府の体制不備を指摘するようです。
少なめに見てもあの病院で何台、この病院で何台などの大づかみの把握ができていても、どこの病院でも必要があって整備しているものですから、常備品の人工呼吸器などを新型コロナ型向けに何台回せるかなどのデータは各病院への正式照会の結果によるしかないでしょう。
公式発表(緻密なデータ収集)には相応の準備がいるのが普通ですから、まだ公式発表する段階にない点を批判しているのでしょうか?
ただ緊急政策発動の決断は、かっちりしたデータが揃うまで決断を先送りするのではなく、(ガセネタ系報道に振り回されるは困りますが、官僚機構による推論の積み上げは、ゼロか全てではなく精度の幅による修正しかないので)この種の大づかみの積み上げ幅のある数字をもとに大事をとって早めに準備に入るなどの直感的判断が重要です。
今日紹介するデータから、過去の累積でなく発表時点で人工呼吸器・ICU利用者や入院者等の具体的データがズバリ出てくるようになりました。
以下を見れば29日時点の人工呼吸器・ICU利用者数はわずか59名に止まっている事実が明らかです。
医療崩壊が起きるかどうかは上記利用数値に関わるのであって、未発症者や軽症者を含めた感染者数と直結しないことが明らかです。
感染者数に占める人工呼吸器・ICU利用者数比率を継続的表にしてその比率が何%平均であったか、直近10日くらいでどのような変化が起きているかをグラフ化してこれを示した上で人工呼吸器不足が近づいていると想定される時に限りmediaや評論家が医療崩壊危機を主張すべきでしょう。
29日報道資料のデータ続きです。

 

(括弧内は前日からの変化)
※1 うち日本国籍の者1007人(これ以外に国籍確認中の者がいる)
※2 うち海外移入が疑われる事例が261例

人口呼吸器またはICU治療中は59名で、前日比1名減です。
上記データを見ると日本全体で人工呼吸器・集中管理室対応患者がまだ59名しかいないことが明記されています。
29日現在1697人の感染者が出ていて呼吸器等の必要な重症者がわずか59名ですから、重症化率が一目瞭然です。
(症状確認中が多くいますが、重症の場合確認不要・日本の場合呼吸器等医療設備不足で入院治療できない状態でないので重症の場合即入院ですから、発症と未発症の境界の人が多いという意味でしょう)
上記によれば感染者の重症化率が急速上昇して来たなどの増加率・過去のデータをもとにした具体的説明をしないまま、アメリカのような人工呼吸器不足の危機が目前に迫っているかのようにメデイアが騒いでいたのは行き過ぎでしょう。

3.国外の発生状況

・海外の国・地域の政府公式発表に基づくと3月31日12:00現在、日本国外で新型コロナウイルス関連の肺炎と診断されている症例及び死亡例の数は以下のとおり。

国・地域 感染者 死亡者
中国 81,518 3,305
香港 682 4
マカオ 39 0
日本 1,953 56
韓国 9,786 162
台湾 306 5
シンガポール 879 3
豪州 4,359 18
米国 160,020 3,008
カナダ 7,437 89
フランス 44,550 3,024
ドイツ 66,711 645

憲法改正3(特別多数と国民投票が必要か?1)

明治憲法は在野の憲法制定運動が奏功したかのように、自由民権運動が大きく教育されてきましたが、政府が憲法の必要性に目覚めて率先して取り組むようになったので、それに触発されて便乗意見が起きた面も否定できないでしょう。
もともと自由民権運動は、征韓論に破れて下野した板垣らによって始まったものであって、西南戦争まで連続する不平氏族の反乱を煽っていた不平勢力に過ぎません。
西南戦争でケリがついて、不平を言っても仕方がない社会になって沈静化していたのですが、昨日書いた通りいろんな法制度ができてくると、法と法の関係や上位規範の必要が出てきたところで、政府がこれに取り組むようになって内部で色んな意見が出ると早速これに飛びついた印象を受けます。
(私個人の偏った印象ですが?)
政府が先に憲法秩序の必要性を検討していて、政府内の大隈重信は早期制定論でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%B0%91%E6%A8%A9%E9%81%8B%E5%8B%95によると自由民権運動は以下の通りです。

1873年(明治6年)、板垣退助は征韓論を主張するが、欧米視察から帰国した岩倉具視らの国際関係を配慮した慎重論に敗れ、新政府は分裂し、板垣は西郷隆盛・後藤象二郎・江藤新平・副島種臣らとともに下野した。(明治六年政変)
経緯 自由民権運動は三つの段階に分けることができる。第一段階は、1874年(明治7年)の民選議員の建白書提出から1877年(明治10年)の西南戦争ごろまで。第二段階は、西南戦争以後、1884・1885年(明治17・8年)ごろまでが、この運動の最盛期である。 第三段階は、条約改正問題を契機として、この条約改正に対する反対運動として、民党が起こしたいわゆる大同団結運動を中心と明治20年前後の運動である
[1私擬憲法
国会期成同盟では国約憲法論を掲げ、その前提として自ら憲法を作ろうと翌1881年(明治14年)までに私案を持ち寄ることを決議した。憲法を考えるグループも生まれ、1881年(明治14年)に交詢社は『私擬憲法案』を編纂・発行し、植木枝盛は私擬憲法『東洋大日本国国憲按』を起草した。1968年(昭和43年)に東京五日市町(現・あきる野市)の農家の土蔵から発見されて有名になった『五日市憲法』は地方における民権運動の高まりと思想的な深化を示している。
「参議・大隈重信は、政府内で国会の早期開設を唱えていたが、1881年(明治14年)に起こった明治十四年の政変で、参議・伊藤博文らによって罷免された。一方、政府は国会開設の必要性を認めるとともに当面の政府批判をかわすため、10年後の国会開設を約した「国会開設の勅諭」を出した。
注2 ただし板垣らの民撰議院設立建白書は当時それほどの先進性はなく、自らを追放に追い込んだ大久保利通ら非征韓派への批判が主体であり、政府における立法機関としての位置づけも不明確であった。むしろ板垣や江藤・後藤らが政権の中枢にあった時期に彼らが却下した宮島誠一郎の『立国憲義』などの方が先進性や体系性において優れており、現在では民撰議院設立建白書の意義をそれほど高く認めない説が有力である。稲田 2009などを参照。

上記の通り不平士族を支持基盤にしている結果でしょうが、国民悲願の不平等条約改正に対する反対運動が活動の中心であったなど、変化に対して何でも反対・国益などどうでもいいような動き・・今の革新系文化人思想家の先祖のようです。
秩父困民党事件(1884年明治17年)10月31日から11月9日)は不正士族・自由民権団が加担したので、過激になったと言われています。
(条約改正反対とは不思議ですが、これを実現するためには外圧・欧米の要求する近代化・法制度の導入→時代不適合の旧士族が困るので反対したのでしょうか?)
この3〜4年革新系がしきりに強調する近代法の法理とか、近代立憲主義とは、絶対君主制打倒によって生まれたばかりの革命政権では、いつまたちょっとした力関係の変化で「王政復古」するかも知れない過渡期にあって革命家がハリネズミのように緊張していた時代の思想です。
革命直後の「近代憲法」と違い、明治憲法の時でさえ、対外関係上君主が自発的に憲法を制定するしかない国際状況下にあって、もはや絶対王政が復活する余地がなかったし、憲法ができる前から天皇親政などできる能力がなかったので、親政の復活など誰も心配しなかったでしょう。
まして日本国憲法では、「現代民主主義国家」になって憲法の改正発議権が政府から国民の意見を代表する議会に移っているのに、国民が自分で選んだ議会の発議→決議に国民が抵抗するために国民の同意を要件にする必要があるという考え方自体非論理的です。
民主主義国家においては、国民代表の議会が憲法も決めるのが普通で、EU加入・離脱や国自体の合併のような最重要事項について議会の都合で自信がないときに国民投票をするのが合理的です。
http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/issue/0584.pdf

諸外国における国民投票制度の概要 国立国会図書館 ISSUE BRIEF N
UMBER 584(2007. 4.26.)
スペインでは、憲法の全面改正ないし特定の条項の改正の場合にのみ国民投票が義務的要件とされ、そうでないときは一院の10分の1の議員の要求により国民投票が行われる(憲法第167、168条)。
スウェーデンでは、基本法2の改正には、国会(一院制)における、総選挙を挟む2回の議決を要するが、第1回の議決の後に3分の1の議員の要求があれば、その総選挙と同時に国民投票が行われる(統治法典第8章第15条)
フランスはこれらとは異なり、国会議員が提出した憲法改正案は国民投票を要するが、政府が提出した場合は、大統領がこれを両院合同会議に付託すれば、国民投票は行われない(憲法第89条)。これまでの事例では、国民投票より両院合同会議による憲法改正の方が多い。
主要国のうち、アメリカ、オランダ、カナダ、ドイツ、ベルギーでは、住民投票は別として、憲法改正の場合も含め国レベルでの国民投票の制度は、憲法上は規定されていない。
フィンランドでは、国民投票についての規定はあるが(憲法第53条)、憲法改正は国会選挙を挟む2回の国会(一院制)の議決で成立しうる(同第73条)。

上記の通り、日本国憲法を事実上主導した米国自体が、憲法改正は国民代表の議会で行なっている(周知の通り修正◯条という付加方式です)ので日本国憲法に限って事実上不可能なほど厳しい要件にしたのは、まさに憲法前文の「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」半永久的従属支配下におく思想の法的表現です。
国民投票をするならば、そもそも、3分の2の国会議決の必要がないでしょう。
国民投票をするのは、重要事項なので議会だけで決めてしまうのに自信がない時・たとえば49対51の僅差の時に「国民の声を聞いてみよう」という時に限るべきではないでしょうか?
そうとすれば、圧倒的多数の場合には不要な気がします。
国会議決を厳重にして即憲法改正にするか、スペインのように10分の1の提案で足りる代わりに国民投票するかどちらかにすべきでしょう。

弁護士会の自治と強制加入制2

入り口・・・戦後弁護士自治を考えるときには、自治などうるさく言わない企業でも採用は自前でやっています・・弁護士になる資格試験も自前で行うべきであったでしょうが、これを怠り強制加入制度だけ?に関心があったように見えます。
採用試験を自前でやるには体制不備・能力がなかったからと思われますが、必要性の意識・心意気さえあれば大学等とタイアップすれば何とかなる点は政府と同じです。
裁判官・検事と同じ試験と言う格上げに魅力を感じたからでしょうか?
資格試験・司法試験→司法修習終了試験・・法曹資格付与までを政府が行う制度ですが、大卒が応募しても企業が雇用する義務がないように弁護士会加入を拒否出来る権利があれば問題がありません。
千葉県弁護士会では登録申請があると常議員会の議決を経て日弁連に進達する仕組みですが、常議員会が有資格者であっても会員数が多くなり過ぎるからと言う理由で拒否出来ないようです。
企業の新人採用のようになんら根拠なく今年は何人までと言う制限が出来れば常議員会で議論の余地がありますが・・何らの裁量権もなく資格の事実確認だけ・資格があれば拒否出来ないならば、何のための審議議事項になっているのか?実際事務局の事前チェックでクリアーしていると言う説明だけで、それ以上踏み込んだ議論は殆どありません。
資格の有無は重要事項だから慎重審議するために形式上常議員会審議事項にしたと言うことでしょうか?
4〜5年前に千葉県では登録するに推薦人が必要と言う会内ルールに反して推薦人不足だったか、なしの申請に対して受理するかどうか事務局で迷った事案がありました。
法律上の要件がある限り拒否出来ない・・応じなければ最後は裁判まで出来る仕組みが出来ています・・最後は裁判所が決めるのですから、自治と言っても実は尻抜けです。
一般のそば屋八百屋・・どこの企業でも、大学でも研究会でも旅行仲間でもどう言う基準で仲間に入れるか・・採用や仲間に加えるかどうかの基準造りはその組織の自由ですが、弁護士会だけは仲間に入って来るのを拒めない一般組織よりも自由がないのに自治があると自慢しているのですから奇妙です。
懲戒権があると言っても弁護士会に限らずどこの企業でも組織である限り、内部規律のための懲戒制度があります。
民間企業内の懲戒との違いは不満があれば裁判して無効確認や損害賠償を求められ点が一見違うようですが、弁護士会の懲戒制度も最終決定権がなく不満があれば最後は高裁に訴えることが出来るので、地裁から始まるか高裁から始まるか程度の違いでしかありません。
政府から直截懲戒されないと言う点が画期的?かも知れませんが、普通の民間企業でも政府がある企業の部長や課長を降格させろと直截命令する権利がない点は変わりません。
民間団体か行政部内の下位組織扱いかの違いです。
弁護士は、戦前まで民間との区別がはっきりしなかったかも知れませんが、今の時代で考えれば民間団体に違いないのですから行政が直截指揮命令出来ないのは当たり前です。
弁護士会が入会を自由に拒否出来ない根拠法を見ておきましょう。
弁護士法
(昭和二十四年六月十日法律第二百五号)
(登録又は登録換えの請求の進達の拒絶)
第十二条  弁護士会は、弁護士会の秩序若しくは信用を害するおそれがある者又は次に掲げる場合に該当し弁護士の職務を行わせることがその適正を欠くおそれがある者について、資格審査会の議決に基づき、登録又は登録換えの請求の進達を拒絶することができる。
一  心身に故障があるとき。
二  第七条第三号に当たる者が、除名、業務禁止、登録の抹消又は免職の処分を受けた日から三年を経過して請求したとき。
2  登録又は登録換えの請求前一年以内に当該弁護士会の地域内において常時勤務を要する公務員であつた者で、その地域内において弁護士の職務を行わせることが特にその適正を欠くおそれがあるものについてもまた前項と同様とする。
3  弁護士会は、前二項の規定により請求の進達を拒絶する場合には、登録又は登録換えを請求した者に、速やかに、その旨及びその理由を書面により通知しなければならない。
4  弁護士会が登録又は登録換えの請求の進達を求められた後三箇月を経てもなお日本弁護士連合会にその進達をしないときは、その登録又は登録換えの請求をした者は、その登録又は登録換えの請求の進達を拒絶されたものとみなし、審査請求をすることができる。
上記のとおり登録拒絶された者は審査請求出来る上に最後は高裁に訴え提起出来る仕組み=上記法定理由がない限り高裁で負ける仕組みですから、企業のように「今年はいらない」と断れません。
資格試験が一杯ありますが、大卒、運転免許、医師、鑑定士などなど・・・資格者全員を企業が雇用する義務はありませんが、強制加入制度になった以上は、有資格者の登録拒否は認められない・・全員加入を認めるべきと言う制度設計になってしまったように思われます。
強制加入制にこだわった結果、却って変な制度を引き込んでしまったのではないでしょうか?
給与を払うわけじゃない・会員にするだけだから良いでしょうと言うことですが、政府がスキなように弁護士を増やして行くとどうなるでしょうか?
政府が合格者数を決めてしまえる・一方的に粗製濫造・合格者を増加されても弁護士会はこれを防ぐスベがありません。
需要無視で無茶苦茶合格者を増やして試験レベルを下げれば、たちまちレベルが下がる上に過当競争になるので、イキオイ不祥事が増え・・弁護士に対する社会の信用が損なわれます。
そこまで行かなくとも、食えない噂が広まれば職業としての人気が下がる・・優秀な人材が応募しなくリスクがあります。
層なると弁護士が反権力の姿勢を維持出来るのでしょうか?
不祥事が起きれば懲戒処分すれば良いと言っても、不祥事が増え過ぎると全体の信用が落ちますし、(犯罪がいくら増えてもドシドシ処罰すれば良いと言うのでは、国民が不安なのと同じです)もっと言えば、違法行為すれすれを規制すれば足りる時代からよりよいサービス競争になって来ると懲戒制度だけでは、国民の期待する品質・・信頼を弁護士会は維持出来ません。
昨日紹介したように、弁護士自治のために弁護士の品質保持のための懲戒制度が必須と頑張ってそのためには全員加入していないと、懲戒の実が上がらないと言うことから、強制加入制度を要求したようですが、国民の信頼・需要は時代によって変わる・・悪いことさえしなければ良いのではなく、今では品質が重要です。
飲食業で言えば食うや食わずのときには、食中毒にさえならなければ良い・保健所の衛生検査・規制で良いのでしょうが、豊かになると食中毒を出さないのは最低レベルの基準であって、よりおいしいか・見た目や店内雰囲気やサービス満足度など多様な基準がより重要になりますが、この差は保健所規制・・強制に馴染みません。
飢えに苦しみ品質よりも量が重要なときに共産主義・規制主義が合理的だったかも知れませんが、よりおいしいものが欲しくなると自由主義社会の方が可能性があります。

子供が必要か?

子供がいても最後には子供に介護してもらう気持ちのないヒトが今ではほぼ100%近いでしょうから、老後子供がいないと困るのは悪い人に騙されないか(必要もないのにリフォーム業者に工事されてしまい高額請求されるなど)変な介護施設や介護者にはまったら誰が助けてくれるのかという外部支援者の問題に行き当たります。
これは法システム整備・・例えば現行の後見人制度は意思能力がなくなった人に対するものですが、そこまで行かなくとも高齢化すると気力がなくなってしまい、法外な請求と分っていても(価値判断力は充分にあるのですが・・・)拒否しきれない「気」が弱くなる程度の高齢者を後見するシステムが今はありません。
これを良いことに高齢者夫婦が悪徳押し売りやリフォーム業者のえじきになっているのです。
あるいは身寄りがいないまま介護者等に委ねると預金その他が自由に処分されてしまっても誰もこれを阻止する方法がありません。
意思能力がしっかりしていても自分で下の世話も出来ない独身者が日頃世話になっている介護者に預金の払い戻しを頼んだ場合、少し不正が分っても口に出して直接言い難いので徐々に不正行為も大きくなって行きます。
かといって、誰も尋ねて来てくれない超高齢独身者の場合、相談する人もいません。
文句言って明日からいきなり来てくれなくなったらどうしようかとかいろんなことが気になるでしょう。
こうした不正やいじめを防ぐためには、第三者によるチェック・・公的機関では形式に流れてしまい効果がないので後見人的(名称が変わるでしょうが・・)個人が随時見回る仕組みが必要です。
孤立した高齢者保護の問題は、April 17, 2011「不正受給防止(超高齢者)」の中段からApril 18, 2011「高齢者の財産管理・保護制度の創設」まで連載しました。
上記のように、子供がいないと困ると思われている事柄の殆どは法制度不備に起因するところが大であって、これが整備されて行けば不安の大部分は解消出来るでしょう。
むしろ、子供がいても役に立たないことがあるどころか、却って密室化するために子供自身が虐待者・・もしくは使い込みするリスクが実際的にはかなり多いのです。
我々が関係する後見でもそうですが、他人の弁護士が10万円でも20万円でも使い込んだら大変なことですが、親族が後見している場合、少しくらい言いだろう式の意識がまかり通り易く不正が蔓延していて(不正・・使い込みやちょっとした虐待ががあっても親子の場合に刑事告訴までは無理があります)裁判所が困っていて後見監督人選任で対処しているのが実情です。
このように子供がどうしても欲しいという合理的意味が減って行くのは必然の傾向になるでしょう。
元々子供が欲しいなどというのは動物の本能ではなく、オスを定着させて、子育てに協力させるための後づけの洗脳によるものですから、無理が出て来る筈です。
小鳥その他老後の世話にならない動物や魚、鳥類が何故子(卵)を産み育てるのかですが、子を産むこととは知らず・・・意識せずに発情期が来れば交尾したくなるように仕組まれている本能によるだけです。
その結果雨が降るかのように天然自然に受精して卵や子供が産まれて来るようにオスもメスもは思っているのではないでしょうか?
子を産みたくて・・積極的意識で交尾しているとは思えません。
ではあらゆる動物や鳥・魚類のメスは何故子を命がけで育てるのかですが、自分の身体から出て来るので、自分の分身のように本能付けられていると思われます。
母子心中などはこの心理の結果と見れば分りよいでしょうし、母はどんなことがあっても未成熟の子供と引き離されるのを拒む習性があるのは自分の身体の一部として理解しているからです。
また我が子を虐待して殺してしまう事件があると、母として考えられない行為だ・・今どきの母親は・・と言って非難ゴー々ですが、母親は他人に子供が少しの怪我でもさせられるのは許せませんが、自分がやることは自傷行為の感覚ですから、母親の本能に反していません。

超高齢者調査が必要か

 

戦前の政府は国民を臣民と言い、(明治憲法では国民の権利義務ではなく「臣民の権利義務」と書いていました)を税金を取ったり徴兵する対象・管理するべき客体であって国民は国家の主体・主権者ではありませんでした。
国家の経営主体は天皇にあって国民はその対象・・今で言えば牧畜業者が牛や豚の頭数を管理しているような関係、「朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ」と言う文言を見ると今風に言えば親の代から大事に可愛がっているペットみたいな扱いです。
第2章は現行憲法では国民の権利義務とあるのですが、明治憲法ではすべて臣民となっています

大日本帝国憲法(明治22年2月11日公布、明治23年11月29日施行)

憲法発布勅語
朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在 及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス
以下中略・・・朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ乃チ明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履践シ茲ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム ・・以下省略
第2章 臣民権利義務

第18条 日本臣民タル要件ハ法律ノ定ムル所ニ依ル
第19条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均シク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得
第20条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス
第21条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ納税ノ義務ヲ有ス
以下省略

戸籍に載っている人が死んでいるのにこれを抹消しなかくとも、死んだ人から税を取れないし徴兵出来ないことは同じですから、(死んだ人が記録に残っているだけでは犯罪を犯さないので、治安上の問題がないし)国家としては何の不都合もないので、生死を調べて歩く必要がありませんでした。
むしろ生きているのに死亡したとして、あるいは勝手に除籍して税や徴兵逃れをされるのは困るので、除籍には厳しく対応して来たのが明治以来の歴史でした。
今でもその精神で運用しているので、死亡届=除籍には医師の死亡診断書等証拠を要求したりして大変です。
日露戦争まで相続税の考えがなかったことを、11/20/03「相続税法 10(相続税の歴史1)」のコラムで紹介しました
相続税が制度化されると政府としては死亡したら税を取れるメリットがあるようになりましたが、実際に行方不明者・・普通は蒸発→どこかの公園で寝たりドヤ街で暮らしている程度ですから、行き倒れの人の死亡で相続税が発生するようなことは殆どあり得なかったでしょう。
政府は費用を掛けて死んだ人を探し出して戸籍を抹消する必要がまるでないまま、現在に至ったのです。
当時の政府は国民に要求するばかりで、国民が恩恵を受けるような今の時代・・社会保障の充実した現在の感覚で国民と国家の関係を考えるとまちがいます。
自分の納めている税金よりも受ける給付の方が多い人が今ではかなりいると思われますが、今の国民は政府に対して社会保障等要求する傾向が強くなる一方ですが、当時の国民と国家の関係はまるで違っていたのです。
個々人の納税額は別として、全体としては、(金持ち貧乏人・法人税や間接税も含めて)総納税額以上の支出を政府が出来ない理屈ですが、赤字国債の発行で可能になっている・・財政赤字の累積分だけ国民の受益の方が大きくなっていることになります。
財政赤字下では平均以下の納税者は、受益の方が大きいのは明らかです。
今になって(最近収まりましたが、このコラムは昨年秋頃の大騒ぎ時に書いてあったものですが間にいろいろ原稿が挟まって今になったものです)超高齢者の死亡が記録されていないのは政府の怠慢だと大騒ぎしていますが、届け出もないのに職権調査するとなれば膨大な人件費がかかります。
将来全部コンピューター化出来れば別ですが、死亡者の登録を消すだけのために過去100年分の戸籍簿を全部コンピューター化するために膨大なコストを掛けるのは無駄ですから、紙記録のままで調査するしかないでしょう。
紙の戸籍簿をにらんで(蒸発したような高齢者は戸籍筆頭者=戸主でないことが殆どですから、表紙だけ見ても分らず中をめくって行って初めて分ります。)その中の生年月日から逆算して今は何歳として、その人の関係者の追跡調査を始めるのには膨大な時間コストがかかります。
しかもこの種調査は一時的に全部やれば終わるのではなく、定期調査しなければまた100歳以上の高齢者が溜まってしまうのですが、そんなことに高額所得の公務員を多数貼付けて巨額の税をつぎ込む必要がありません。
今でもこの抹消のメリット・・戸籍に残っていることによる政府のデメリットが皆無に近いからです。

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