天皇観が根本変化したか4(人間宣言と民族の心)

天皇周辺にどういう人物がいて起案したか(私には)不明ですが、仁徳天皇の「民の竈」の故事にもあるように、皇室の伝統的精神でしょうか・戦火による国民の艱難辛苦をいたわる気持ちが敗戦の詔勅にも多く書かれていますが、国民の安否を気遣う精神に貫かれた名文ですので、この機会に全文を紹介しておきます。
この詔勅を読むとこの詔勅が示した基本方針が昭和天皇以来平成天皇へと国民から敬愛されてきた全国巡行・慰霊の旅や災害に対する共感の表明などの行動規範の基礎になっていると思われますし、戦後70年の国民の精神・行動規範となってきた・・・これこそが実質的意味の憲法精神になっていたように思われます。
この詔勅は明治維新の当初に新政権の心意気として公布された「五箇条の御誓文」の引用から始まっているように、新たな戦後精神は「かくあるべし」という宣言でもあったでしょう。

(「五箇条の御誓文)は「叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。」

と冒頭に記し

「一年ノ計ハ年頭ニ在リ、朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。(こいねがう」

と最後に結んでいます。
そして日本民族は天皇陛下を筆頭にして一致団結して戦後70年かけて汚名を雪ぎ現在の栄誉ある地位を築く努力をしてきました。
韓国や中国の慰安婦や南京大虐殺の主張はこの努力を無にし、事実無根のフィクションによって汚名を世界に広げようとするものであり、国内でこれに呼応して文学作品の自由・報道の自由と称して(日本を貶める国に迎合して)民族の汚名を広げようとする勢力があるのは誠に遺憾です。
同じく国会図書館資料からです。
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/056shoshi.html

3-1 天皇「人間宣言」
1946(昭和21)年1月1日に発せられた詔書。このなかで昭和天皇は、天皇を現御神(アキツミカミ)とするのは架空の観念であると述べ、自らの神性を否定した。これは、後に、天皇の地位に根本的な変更がもたらされる布石ともなった。同日、マッカーサーはこの詔書に対する声明を発表し、天皇が日本国民の民主化に指導的役割を果たしたと高く評価した。
詔書
茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初国是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、
一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民拳ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。
大小都市ノ蒙リタル戦禍、罹災者ノ艱苦、産業ノ停頓、食糧ノ不足、失業者増加ノ趨勢等ハ真ニ心ヲ痛マシムルモノアリ。然リト雖モ、我国民ガ現在ノ試煉ニ直面シ、且徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結束ヲ全ウセバ、独リ我国ノミナラズ全人類ノ為ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。
夫レ家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心トハ我国ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ実ニ此ノ心ヲ拡充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、献身的努カヲ効スベキノ秋ナリ。
惟フニ長キニ亘レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰へ、為ニ思想混乱ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。
然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。
朕ノ政府ハ国民ノ試煉ト苦難トヲ緩和センガ為、アラユル施策ト経営トニ万全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我国民ガ時艱ニ蹶起シ、当面ノ困苦克服ノ為ニ、又産業及文運振興ノ為ニ勇往センコトヲ希念ス。我国民ガ其ノ公民生活ニ於テ団結シ、相倚リ相扶ケ、寛容相許スノ気風ヲ作興スルニ於テハ、能ク我至高ノ伝統ニ恥ヂザル真価ヲ発揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ実ニ我国民ガ人類ノ福祉ト向上トノ為、絶大ナル貢献ヲ為ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。
一年ノ計ハ年頭ニ在リ、朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。
御名 御璽
昭和二十一年一月一日
以下省略

この詔勅は五箇条の御誓文から説き起こし、「叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。」
「旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民拳ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。」としてこの時点ですで平和主義の宣言をしています。

「蒙リタル戦禍、罹災者ノ艱苦・・真ニ心ヲ痛マシムルモノアリ。然リト雖モ、我国民ガ現在ノ試煉ニ直面シ、且徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結束ヲ全ウセバ、独リ我国ノミナラズ全人類ノ為ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。」

と国民をいたわりながら鼓舞し、

「朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚(よろこびと悲しみ・稲垣注)ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。」
これが有名な人間宣言部分ですが、ここにも天皇の存立基盤は「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、」と国民の信頼の上にあることを天皇自身が宣言しているのです。

なぜ、政府・政府に重用されている学者が「爾臣民其レ克ク朕カ(が)意ヲ体(たい)セヨ」・・意を体した憲法改正案を作れなかったのでしょうか?
終戦の詔勅の一部引用です。
国民を思い案ずる心は一貫しています。
これがマッカーサーとの会談でそのまま吐露されて彼の心を打ったのでしょう。
http://ironna.jp/article/1855

朕(ちん)深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑(かんが)ミ 非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ 茲(ここ)ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民(しんみん)ニ告ク(ぐ)
・・・・
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対し遺憾ノ意ヲ表セサ(ざ)ルヲ得ス(ず) 帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ(じ)非命ニ斃(たお)レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ(ば)五(ご)内(ない)為(ため)ニ裂ク 且(かつ)戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙(こうむ)リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫(しん)念(ねん)スル所ナリ 惟(おも)フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固(もと)ヨリ尋常ニアラス 爾臣民ノ衷情(ちゆうじよう)モ朕善ク之ヲ知ル 然レト(ど)モ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所堪(た)ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ(び)難キヲ忍ヒ(び) 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
・・・朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ 忠良ナル爾臣民ノ赤誠(せきせい)ニ信倚(しんい)シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ 若(も)シ夫(そ)レ情ノ激スル所濫(みだり)ニ事端(じたん)ヲ滋(しげ)クシ或ハ同胞排擠(はいせい)互ニ時局ヲ乱(みだ)リ 為ニ大道(だいどう)ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ(が)如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜(よろ)シク挙国一家子孫相伝へ 確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ(じ) 任(にん)重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ 総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運(しんうん)ニ後(おく)レサ(ざ)ラムコトヲ期スヘ(べ)シ 爾臣民其レ克ク朕カ(が)意ヲ体(たい)セヨ

御名 御璽
昭和二十年八月十四日

耐え難きを耐え忍び難きを耐え・・「我国民ガ其ノ公民生活ニ於テ団結シ、相倚リ相扶ケ、寛容相許スノ気風ヲ作興スルニ於テハ、能ク我至高ノ伝統ニ恥ヂザル真価ヲ発揮スルニ至ラン。」
「朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。」
終戦と年頭の詔勅を合わせて読むと、概ね結束(心を一にして)して石油危機〜円高危機〜大震災その他難局に当たってきました。
これが鮮やかに出たのが東北大震災で発揮された「絆」でした。
戦後70年に及ぶ雌伏のときを経て、今まさに世界の尊敬を受けられる民族になり、昭和天皇陛下の御期待に応えられるようになったことを誇りに思う国民が多いでしょう。
国連等で日本民族が道義的に如何に劣っているかを訴えるための活動をしているかのように誤解を受けそうな組織もあります。
もちろん完全無欠の人や民族はないので、海外の良い点を取り入れる謙虚な姿勢は常に必要ですし、成績トップクラスでもなお努力して高みを目指すために「この点まだまだ改良の余地があると言う意見や努力も必要です。
しかし、それは国内で主張し自分で努力すればいいことです。
海外活動家の真意は誰にもわかりませんしわかる方法もありません。
絆で結ばれているはずの日本民族にも、もちろん一定の例外がいます。
規格外の人が生き易くするのも民族の発展のために必要なことですが、それと自民族を国外で中傷するのを目的に行動して良いかは別問題です。

自治体の意思決定5(沖縄の心2)

非武装平和論の本家・社会党思想を継承している社民党が沖縄での反基地闘争に力をいれる→これに沖縄県民が頼って本土に対する不満拡大をテコにする・・相互依存関係になっているとすれば長期的には沖縄の不幸です。
ただし沖縄県民は「自分たちは日本人ではない・中国人になりたい」と言うならばそれも「あり」ですから24日に書いたように、「国策に協力する気があるのかないのか」真意をきちっと聞く選挙をした方が良いでしょう。
真意がはっきりしたらイギリスのEUからの離脱同様に冷静な交渉相手としてやって行くべきです。
ところで防衛ライン・・通商路確保と言うものはどこまで行ってもキリがない・・沖縄を守っても台湾が中国領になっても、フィリッピンが中国と同盟を組んでも同じですし、シンガポールやインドネシアでも通商路が阻害されてしまう点は同じです。
尖閣諸島があり、沖縄があるから、尖閣諸島や沖縄がなくなると困ると思っているだけでしょう。
大阪府警警察官よる「土人発言」に関連した記事を見ていると女優の吉永小百合が、海兵隊を東京に持って来れば良いと言う趣旨の対談発言をしていることが分りました。eadlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160821-00058457-okinawat-oki「吉永小百合さん「海兵隊を東京に持ってきたら・・・」
沖縄タイムス 8月21日(日)11時40分配信
女優の吉永小百合さん(71)が9日発売の週刊誌「女性自身」(23、30日合併号)で、沖縄県東村高江周辺のヘリパッド建設に住民らが反対していることに触れ「そんなに必要なら海兵隊を東京に持ってきたらどうかと思うくらい、申し訳ない気持ちがある」
上記の記事は「言ってみれば・・」と言う程度の意見でしょうが、軍事基地は場所適性こそが100%の存在価値である前提を見事に反語的に言い表しています。
商品製造には生産地と消費地の選択肢がありますが、軍事基地を首都に持って来れば良い・・離島や国境周辺に要らないという発想を見ると・その立ち位置の偏頗性に驚くばかりです。
首都駐在軍隊が辺境の領土・領海を守れる訳がないのですから、沖縄基地に関する限り(何でも)反対闘争をしている人たちの本音は、非武装平和論の貫徹・軍事基地不要論を前提にしていることを見事に言い表しています。
非武装論貫徹・・自衛隊=国防の必要性については国政の場で、既に決まっている・・民進党でさえ自衛隊違憲論を出していません。https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/edit#heading=h.3ggacz464341
2016.6.27 11:00「自衛隊=違憲」の共産党と統一戦線を張る民進党はどう弁明するのか?
と今夏の参議院選挙では批判されていて、自民党は政策の違う野党連合は「野合」であると批判していました。
上記吉永小百合の意見は、国政の場で民進党でさえ自衛隊違憲論を封印しているテーマについて、地方自治にかこつけて蒸し返すために基地移転や武器配備に関連して「沖縄住民のため」と言う衣をまとって悪用している過ぎない本音が現れています。
あるいは、この思想に沖縄県民が頼っているのか?
土人発言直前に本土から応援にはいっていたシバキ隊男組隊長が逮捕されたと報道されていますが、地元メデイアが社民党系報道に偏っていると言われている外、実際に多くの本土人が応援に入って来てこれを地元メデイアが大大報道すると、本土の人が圧倒的多数?で支持してくれているのか!と沖縄県民が誤解してしまっているのではないでしょうか?
一億数千万の人口での内、2%前後の支持者でも数百万も人います・そのまた1%でも数万人ですから、活動家率の高い組織の場合、500や1000人の応援者を来てくれたのを見て、沖縄県人が本土から圧倒的多数の支持を得ていると誤解しているとすれば不思議ですが、集団自衛権反対の国会周辺の数千〜1万のデモ動員を誇って「国民の圧倒的多数の意思表示」と表現しているのがマスコミであり文化人ですから、沖縄人の多くが自己暗示集団に入ってしまったのかも知れません。
日本全国では直近選挙では100人に2人前後しか支持されていない(沖縄を除けばもっと少ない)ような政党(社民党)に沖縄県民が頼り切るのは危険ではないかの心配がないのでしょうか?
日米関係で言えば、アメリカの2%政党に頼ってアメリカの草の根では支持されていると誤解して強気で対米交渉する危険を考えれば分ることです。
基地縮小のための工事?ヘリパッド反対のように「何でも反対」になって来ると、日本全国が「沖縄県民が日本の防衛に協力する気があるのないのかはっきりさせた方が良い」と言う意見が増えて来るでしょうから、そこまで行ってしまうと沖縄県人にとっても得がないように思えますが・・。
韓国が日本の偏ったマスコミ報道を・・日本人の心と信じて慰安婦騒動を中韓連携で仕掛けた結果、嫌韓感情を引き出してしまい、「ごめんなさい」と日米同盟に戻って来て(政府間では大人の関係ですから日韓合意して)も日本人は韓国や中国人の本音を見てしまいました。
心底からの友好感情を取り戻すには1000年単位の時間軸が必要になるでしょう。
沖縄県民もそこまで行かないと気が付かないのでしょうか?
沖縄の反基地闘争激化を煽ってこれを利用している政党(慰安婦騒動の日本側中心人物は福島瑞穂もと党首と言われていますし、いま沖縄で頑張って応援しているのも同議員です)にとっては、場所を選べない自衛隊基地に関しては、2〜6%政党でも1自治体さえ押さえれば国政の重要決定を反古にしてしまえる・・メリットがあります。
沖縄がいやがってるならば北海道に持って行くかと言う選択肢がないからです。
http://www.pref.okinawa.jp/toukeika/so/topics/topics_385.pdf
で平成21年10月1日国勢調査に基づくデータが出ています。
これによると沖縄県への転入増加率が全国1位と出ています。
大都会経済圏に属さない地方圏では普通転出が増えるのが普通で、転入率が増えているのは異常と思われますが・・。
原因・・有意性までは分りません。

自治体の意思決定4(沖縄の心1)

地方自体を押さえれば、特定自治体内立地の国家政策阻止出来る・・その自治体が反対するとその自治体で立地予定の国政を実行出来ない場合・・基地設置など・・結果的に国政を左右出来ることになってきます。
23日に、日本の場合、選挙区単位は地区区分の結果に過ぎないことから、国政レベルの支持率が選挙区によって、それほど大きな差が出ないと書いてきました。
総務省のデータで第19回(2001 年(平成13年)7月29日)参議院選挙比例代表の政党別得票率が以下に出ています。http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/data/sangiin19/sangiin19_3_5.html
表は膨大なので引用しきれませんので関心のある方は直截アクセスして下さい。
上記によると自民党の全国平均得票率は38.57で首都圏が概ね36%前後その他大都会周辺以外は40%台ですが、沖縄だけが23.23 %に沈んでいます。
他方社民党の全国得票率が6.63%で秋田、富山大分で10%台の外は、概ね平均値に近いのですが、沖縄では何と34.57%で、自民党さえ凌いでダントツ首位です。
上記は15年も前のデータで古過ぎますが、ちなみに今夏実施の参院選挙の社民党の全国得票率はhttp://www.asahi.com/senkyo/senkyo2016/bunseki/によれば、
  自民得票率35.91%(全国)社民得票率2.74%(全国)
で、15年前(小泉政権の郵政解散?)と自民党はほとんど変わらず、社民党が約4割に減っています。
朝日の記事には県別得票率が載っていないので沖縄での得票率が分りませんが、沖縄小選挙区では自民党現職が落選して野党系が無所属で当選する逆転現象が起きています。
沖縄が全国平均的民意分布とは元々離れていたのが、この15年間でさらに大きく開いて来た様子が見えると共に、これが沖縄の反基地闘争がここへ来て激しくなって来た原因と思われます。
沖縄基地反対闘争が何故激しくなるかと言えば、ソ連崩壊後北方の脅威が減って他方で中国の脅威が増して来た・・沖縄米軍・自衛隊基地の重要性が増したことによるものと思われます。
重要性が増したとき・イザと言うときに不断怠けていた人もこのときとばかりに(不断お役に立っていないのでこんなときくらい頑張らせて下さいと言う言い方で)「頑張ります」と言うのが日本人の普通の行動です。
重要性が増す・イザとなると困っている人の足下を見て反対する人が増えて来たように見える・・沖縄県人の精神構造が分りかねている人が多いのではないでしょうか?
日本の足下を見ているのではなく、「長年にわたる我慢の限界が来たのであるから、沖縄県民の苦労を思いやらねばならない」と言う常識・・というからには大勢(マスコミ)の意見でもあるでしょう。
ただ、米兵関連の飲酒運転事故など起きるとマスコミが大騒ぎして沖縄県民が如何に米軍基地の所為で困っているかを宣伝していますが、疑問に思うのは、沖縄県全体の飲酒運転事故発生率に比較して米兵の違反の方が多いのか、あるいは性犯罪率が米兵の方が高いのかなどの客観データをマスコミが一切報道しないことです。

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062600039&g=soc米軍また飲酒運転=軍属の男逮捕、酒気帯び容疑-沖縄
沖縄県沖縄市の市道を酒気帯び状態で運転したとして、県警沖縄署は26日、道交法違反(酒気帯び運転)容疑で、米空軍嘉手納基地の軍属シェイクイーン・フランシス容疑者(24)=同市胡屋=を現行犯逮捕した。「前日に飲んだだけだ」と容疑を否認している。」
上記記事によると、米兵そのものではなく、基地関連米国人労働者の「酒気帯び運転」・・飲酒運転にも至らない最も軽微な違反・・当然交通事故に至っていない検知で発覚した程度の罪です。
日本中どこでも大量に発生している酒気帯び検挙(・・実はこの程度では普通は切符を切る程度でしょうが、逮捕するばかりかマスコミ発表するコト自体、オカシナ印象です)だけでこんなに大規模なニュースを流すと却ってマスコミの公平性に対する信頼感を喪失すると思うのは私だけでしょうか?
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/62/nfm/n62_2_1_3_1_2.html
犯罪白書によると平成26年の道路交通法違反総数33万件あまりで「飲酒・酒気帯び」比率は総数の8、2%と出ています。
すなわち全国で1年間に26000件前後あって、その中で酒気帯びは「飲酒」に足らない軽微なものです。
これを365で割ると1日平均63件発生している(県単位では毎日1件以上ある)事件?です。
特に沖縄は飲酒事故が全国平均より突出して多いことが知られています。
https://ken-min.jp/rank/840
2013年の飲酒運転事故率の都道府県ランキング(単位は「%」)です。出典は警察庁。
・・・1位は沖縄県だが、沖縄県の飲酒運転に関する状況は、飲酒絡みの人身事故や死亡事故が全国1位が続いている・・・全体的にルールを守るという規範意識がかなり弱まっているからではないでしょうか。沖縄県で多い耐震強度の問題や産地偽装問題なども実は同根の問題だと思われる。」

その上米兵そのものではなく、基地関連従業員の犯罪(酒気帯)まで言い出したら、日本中にいる中国人・在日などの犯罪と何故区別するのか意味不明です。
軍属の定義はウイキペデイアによれば以下のとおりです。
「具体的に「軍属」と規定されているのは、以下の身分の者である。
教育や行政分野の米国国家公務員(general schedule)
軍に雇用されている米国の文民(civilian employee)
軍と契約している民間会社に雇用されている米国の文民(contractor)

もしも基地がある為に外国人犯罪が多いと言うならば、日本全体の外国人犯罪と比較して沖縄で突出して多いデータ開示して説明するのが本筋であって、(逆に在日に限って凶悪犯でも本名を公表しない運用です)これをしないのでは、ムードだけ煽っているのではないかの疑問が起きるのは当然です。
報道の中立性に関する疑問を持つ人が増えて来た結果・・沖縄県民が本土の人以上の苦労があったとしても,あまり信用されない・・対中紛争が激化しているときに何故基地反対闘争が激化するのかの疑問が高まっていることは確かです。
先の大戦終結時に日ソ不可侵条約・・戦争当事国でないソ連に対して対英米戦終結交渉に関して仲介を頼んでいたところ、日本の弱みにつけんで逆に満州侵攻をして来ましたし北方領土をかすめ取りました。
そして11、3・11大震災が起きると中韓と語らってイキナリ列島周回の威嚇飛行を開始しました。
3.11大震災にかこつけて中国(尖閣水域侵犯)ロシア、韓国大統領は竹島上陸と天皇侮辱発言や慰安婦騒動を起こしましたが、このときにアメリカはともだち作戦を実施しました。
困ったときのこの違いが、日本人に植え付けた心理効果は大きかったでしょう。
日本人としては大きな震災に遭ったとは思っても、それは普通の災害の延長意識で、国がダメになるような意識まではなかった・・兎も角頑張ろうと言う意識だけでした。
外国(特に韓国ではその後の行動からして「もう日本はダメだ」と小躍りして喜んだ姿が目に浮かびます)では、そうは思っていなかったのです。
日本が復興のために外国投資を引き上げる連想から国際為替市場で円相場が上がりましたが、日本にとっては懐が大きいのでその程度の被害では外国から資金を引き上げなくとも手元資金で賄える程度の損害でしかありませんでした。
このように外国と国内では大震災に対する意識・・評価が大きく違っていた結果、(謙譲の美徳もあって日本の実力が正確に知られていないことが分かります・・GDPなども誇大に宣伝する国と小さめに言う日本の違い)却ってイザというときの外国(ドイツも含めて)の出方がはっきりした良いチャンスでした。
沖縄県民が社民党や地元紙の煽りにまんまと乗っているように見える状態を、韓国の慰安婦騒動激化と重ねて理解している人が多くなっているのではないでしょう?
社民党の立場で言えば、国政で決着がついてしまった非武装平和論の実質的実現を目指すチャンス・・国政の議論で負けても実際に基地を機能させなければ良い・・としていることになります。
非武装論の現実的効果・例えばフィリッピンには軍事力と言えるほどのモノがない・・殆ど非武装に近いので、中国に白昼公然やりたい放題されても手も足も出ませんでしたが、これが非武装論が目指す実利・現実です。
いま、日本防衛の焦点は中国による尖閣諸島や沖縄諸島に対する公然たる領有意図表明にどのように対応すべきかと言うことですが、沖縄にある軍事基地機能を無効化すれば、非武装論を実現出来るから、中国は「待ってました」と遠慮なく侵入して来るでしょう。
社民党の非武装論の期待する結果は、(沖縄が元々中国の領土だったと言うならば渡せば良い・)「中国のやりたいようにさせるべし・・国際司法裁判所に訴えるべし・・結果が出ても何も言わない方が良い」と言う意見になるのでしょうか?
フィリッピンのドウテルテ大統領のこれまでの動きを見る限りは、中国の強引な公海埋め立て→軍事基地化に対する日米の反対を利用して中国と有利に交渉して援助を引き出す・・埋め立てに対しては何も言わない→(折角応援した)日米が不快感を示すと「もっと中国寄りになるぞ!と言う動きで、さらに日米の援助を引き出そうとする浅はかな魂胆のように見えます。
(私の浅はかな邪推に過ぎませんが、26日同大統領が来日・首脳会談するので、安倍総理がどう捌くかが見モノですが・・・)
韓国が中国寄りに動いてから日米同盟に戻って来ましたが、両天秤外交の結果、アメリカから何か良いものを引き出せたでしょうか?
日米から「韓国人は信用出来ない」と言う悪印象を残しただけのことでしょう。
沖縄の反基地闘争が続くとそのうち、「沖縄人が本心から中国支配下の方が良いと思っているならばそれも仕方がない」と思う日本人が多くなって行くのではないでしょうか?

道義違反と慈悲の心

アメリカもあちこちの組織が日本に対する絶大な信用によって運営されるようになると面白くないから自分から出て行くか仲間に残り、あるいは新たに入るしかなくなります。
日本の助力が必要になって来ると虚構の歴史観・・日本人が非人道行為をして来たと言う意見を裏で言い続けることが可能か・自分が悪かったと謝らなくて済ませられるのかの疑問です。
まして資源販売程度しか収入源がない上に、世界的に元々孤立しているロシアにおいてオヤ!と言うところです。
日本人は声高に相手に「謝れ」とまで言いませんが、安倍総理はワザワザロシアでプーチン氏と合う予定らしいですが、相手が孤立して弱っているときでさえ、ここまでサービスするから相手が誤解してしまいます。
日本は「相手が困っているときに、過去のことを言わないで観音様の慈悲の精神で対する」のが普通です。
年末に日韓合意した内容では、韓国の謝罪がない限りこれまでの悪質な行為を許せないと思っている日本国民が圧倒的多数(・・アメリカに強制されたと怒っている人が多いでしょう)ですが、面と向かっての合意では、あまり相手の顔を潰さない・・内心反省しているようだから文書で反省しているとまで書かせて恥をかかせなくても今後やらないと言う気持ち程度で良いよ!」と言うのも日本人の心です。
しかし、内心許していないので、(今後反省の態度を示さないで)日本が謝罪を要求しないことを奇貨として相手が良い気になるならば、韓国への技術支援その他の協力は進められないことになりますが、将来対アメリカやロシアでも「日本がはっきりと謝れと言わない」ことを良いことにして,今度は少女像なら良いだろうとか大きな態度を続けて行けるのか?の疑問で書いています。
弱いと見れば徹底的に相手をやっつけることしか知らない世界では、困っているときにも(天安門事件で困っているときに救いの手を差し伸べました)仕返しすら出来ない「日本の弱さ」と誤解してしまった結果、中韓はここまでやってしまったに過ぎない面があるでしょう。
アメリカもロシアも日本人が怒らない限り日本人の本心を理解しないまま、「相手が喜ぶから友人の家にただで泊めてもらい御馳走になる権利がある」と厚かましく無神経なままになるのでしょうか?
現在トルコであれメキシコであれ、いろんな中小国の日本詣で・・日本とは昔からこんなに親しいとか、遭難したときに助けてくれた美談とか古い話を掘り起こして来くる・・ラブコールが引きも切らない状態になっています。
東南アジア諸国では、日本軍が支配したときには、地元振興の産業育成や教育ばかりではなく、日本兵が如何に独立戦争に手を貸してくれたかの美談が盛んに出てきて顕彰する動きが出てました。
このような世界情勢の中で、アメリカの作った虚構の歴史・アメリカによるフィリッピン空爆で大量の犠牲者が出たのを日本兵の虐殺だったと強制して来たことや、(韓国の慰安婦は米兵相手だったことも知られています)インドシナ半島ではフランスの植民地支配の牢獄が日本の弾圧だったと噓を教えるなど・・アメリカの強制して来た虚構だらけの歴史がほころび始めています。
中韓を除くアジア諸国で本当の発言が出て来ると、行く行くは第二次世界大戦は何の戦争であったか・・欧米の植民地支配を維持するためのアメリカの参戦であったことは客観的に明らかになります。
こう言う時代が来ると、居場所がなくなり面白くないのでモンロー主義のように引き蘢ってしまうか、(アメリカ大統領選挙候補のトランプ氏はどちらかと言うとこの主張です)潔く謝るか、真実や正義を問題にしない中韓と組んで最後まで日本批判を続けるかの選択になります。
極東軍事裁判が正しいと主張し続けるためには、南京大虐殺があったか否かは中国と手を組めば良いだけで他国には分らないことですから、最後まで手放さないカードになる選択肢があります。
真実や正義に関心がなく自国利益・対日交渉材料として使いたい中国と韓国だけが、アメリカのでっち上げ歴史認識に関しては、唯一最後までの同盟国であり続けるでしょうが、中韓は利益で動く国ですから日本の国力・世界での地位・信用が上がって来るとどちらに着くかは分りません。
中韓はアメリカの使嗾に応じて反日運動に励んだ結果、莫大な経済損失を被っています。
中国が素材産業や低賃金に頼る生産や公害無頓着生産からレベルアップするには、日本の協力が必須ですがこれが思うように行かなくなっています。
韓国も中国の追い上げを受けて更なるベルアップには、日本企業の協力が必須である点は同じです。
技術移転は盗めば良いとは言え、手取り足取り教えてくれる職人のスカウトが、うまく行きません・・嫌韓嫌中感情が激しいと韓国企業に土日にアルバイトに出掛けてこっそり教えて小遣い稼ぎする「非国民」?は少なくなります。
このためにサムスンが日本国内に来研究所(技術窃取拠点?)を設けると言う報道が昨年出ていました。
慈悲の心で許してやってることを日本人が弱いからどんな悪どいことしても良いと錯覚するにしても度を過ごしています。
「仏の顔も三度まで・・」と言うように、さすがに日本人の多くが怒り始めたのが、今回の慰安婦騒動です。
嫌中韓感情の高まりに、中韓両国が参って来たのが現状です。

生活保護受給者増と窓口強化(感謝の心4)

生活保護受給者増加論に戻ります。
これまで書いて来たように日本経済が悪化している結果、庶民が困っている→生活保護受給者が増えていると言う主張(があるとすれば)に根拠がないことが明らかです。
戦後の混乱期よりも,生活保護受給者が仮に増えているとした場合、日本の生活水準が当時よりも落ちていると考える人は、一人もいないでしょう。
医療機関受診者が多い・・病院での診察待ちが多いからと言って、戦後直後よりも今の方が、大勢病気に苦しんでいる大変な時代だと言う人もいないでしょう。
若い女性が男性よりも健康不安をアンケーとで答える人が多いとしても男性よりも実際には長生きしているし・・、相対的な意識変化の問題です。
洋服が多く売れるから着るものなくて、衣類不足に困っている人が多いとは言えませんし、人気飲食店で列をなしていると飢えに苦しんでいる人が多いことにはなりません。
クルマが昔、年間10万台しか売れず、今、年間400万台売れている場合、昔の方がクルマが行き渡っていたので10万台しか売れなかった・今はクルマを持っている人が少ないから多く売れると言う人がはいません。
生活保護請求者が増えたのは生活が以前より苦しくなったのではなく、遠慮する人が減って権利意識が高まった結果と言うべきでしょう。
生活保護受給が恥ずかしい意識より、権利意識の方が強くなって来て、生活保護請求する人が増えて来るとこれに便乗申請する人も増えて来ます。
大阪では、入国した直後の中国人が大挙生活保護申請した件では、ネットで大騒ぎになった結果、大方が取り下げたと報道されています。
便乗行為・・これを専門に申請援助する商売が増えて来ると、申請があれば自動的に認めるようなやり方を改めて、働く気があるのか援助者がいないのかなど濫用にわたらないかの状況審査を厳しくする窓口規制強化自体を批判するのはおかしいことです。
いろんな取締法規制定の場合、制定後10年程度社会認知を受け定着するまでは、法執行を緩やかにして処罰規定があっても取締をせず処罰しない運用が普通です。
そう言うことを法に書いていないのですが、殆どの法規制はそう言う暗黙の決まり事として運用しています。
極端なことを言えば、法律施行の翌日に違反があるとイキナリ逮捕するようなことはしません。
せいぜい、基準が変わったので今後気を付けて下さいと言う注意程度で終わりでしょう。
消費税導入時も何年間か柔軟対応すると言う申し合わせか国会の付帯決議ががあったように思いますし、帳簿処理能力の低い年間売上高何千万以下の小規模事業者に対しては、別枠の基準を作っていました。
生活保護基準・運用に関してもトキの政治動向に・・世論の動きに応じて法の基準はリアルタイムに変更出来ませんので・・大災害があると緩めに運用したり法改正までの間、運用基準に差が出るのは当然です。
リアルタイムでの法改正は不可能ですから、日々〜半年単位で世論動向に従って柔軟対応するのは、民意に従う民主主義国家として却って健全な行為です。
窓口対応が国民意思動向に反している場合は民主主義精神違反ですが、国民動向そのままの場合には、国会決議がないと言う形式違反であって真の意味の国民主権・意思に反していることにはなりません。
緊急事態で上司の決裁を得る暇がなくて部下が専決した場合、あとで上司から、「良くやってくれた」とほめられるか、間違っていると叱られるかの違いに似ています。
刑事件の場合、処罰の必要性が分って国会上程中でも、まだ処罰法が出来ないうちに先取りして処罰するのは罪刑法定主義に反して違反ですが、民事ではそうとは限りません。
この窓口運用基準のサジ加減が濫用事例の増加により、従来基準より厳しくなったことが法(または内規)の範囲内の修正変化か、法基準を逸脱しているかどうかは、最終的に裁判で決着することになります。
権利と恩恵のテーマに戻ると、国会通過・法(個人企業であれば経営者が許可した場合)になれば、その受給は権利であることは法形式的にはそのとおりですが、権利の始まりが、みんなの好意・善意で決めた技術的な概念に過ぎないと言うことを無視出来ません。
あまり権利、権利と言い募り、周辺事例の請求が増えると税負担する方がイヤになって、世論動向がもう少し制限すべきと言う方向になります。
保険のばあい、相互扶助の精神で成り立っていますから、怪我や病気で働けずしかも医療費がかかる可哀相な場合、健康な人の持ち寄った保険金で低廉な価格で医療サービスを受けられるに過ぎません。
言わば・・保険や社会保障制度は助け合い精神で維持出来ているのですから、不当に制度利用するようなこと(乱診乱療)が続いた場合、保険制度の信頼が崩れます。
そう言う意味では本来の権利とは違った脆弱なものですから、感謝の気持ちがなく一方的権利主張が増えて来ると、「そうだ!難民しよう」と言うような批判的意見も増えて行きます。
ドイツ等で難民が過大な「権利」主張を始めると、元々の国民の反発が広がり始めたのは当然です。
日本では、自分を弱者と言う範疇に入れると無茶な主張しても良いかのような風潮・・言葉狩りに始まって・最近強まってきました。
行き過ぎた要求に対する批判をすると、人道に反すると言って報道界で袋だたきに遭う・・非人間扱いされて抹殺されてしまう・・言論封殺が続いてきました。
日本だけではないのかな?マスコミ・文化人?の行き過ぎたキャンペイン→言論封殺に対する反動が世界中で始まっています。
在日朝鮮人に対する行き過ぎた優遇批判が活発になったのも、(行き過ぎた優遇かどうかは知りませんが・・聖域にせずに議論の対象にすることは、民主国家においては良いことです)その流れの一環と言えます。
西欧で発達した難民に対する対応も、人道主義かどうかと言う観念よりは現実に即した冷静な議論が出来るようになるでしょう。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC