あいちトリエンナーレ不自由展騒動の得失2(地域エゴ競争1)

米国大統領や中国国家主席の肖像写真を燃やして踏みつけるパフォーマンスに対して政府公共団体が禁止すべきか否かは憲法の問題ですが、補助金を出すか否かはその行為の芸術性の有無が基準ではなく、国際関係等考慮して行うべき政策決定というべきです。
地方自治体もその展示行動が友好都市や国際関係上とどういう結果になるか、地元交通妨害になる程度などの具体的判断すべきで、芸術活動か否かを持ち込む余地がないでしょう。
グランデール市その他の自治体が慰安婦像を公立公園に設置許可するかどうかは政治判断ですので、自治体の法的手続きに違法があるなら別ですが、適法に判断された以上自治権の範囲ですので、日本人グループが司法に訴えたのは手法の間違いです。
個人が自宅にどういう銅像を設置するのが自由なのと同じです。
ただ、銅像設置や自分の親の写真を踏みつけられる映像やパフォーマンスを芸術として補助する自治体や個人に対して不満を持つ人や相手方自治体や国がどういう報復をするかも被害感情を持つ個人や国等の政治判断です。
グランデール市は日本との関係悪化しても良いという政治判断で慰安婦像設置を決めた以上は、大阪市がグランデール市との姉妹都市関係を絶ったのは合理的行動でした。
日本大使館前の慰安婦像設置が相応の報復覚悟の政治行為ですので、日本も相応の報復すべきかも政治判断です。
そもそも芸術や政治活動であれば何をするのも自由なのではなく、名誉毀損すれば処罰を受けるし、通行妨害すればその規制を受けるのは政治活動や表現の自由・憲法論とは関係がありません。
市議会議員が、同一選挙区でしのぎを削る政敵のポスターを日頃挨拶を交わしている近所の家に掲示していれば、興ざめになるのが普通です。
また、政治主張の芸術活動をすれば反対勢力の不興を買うのを覚悟の行動であるべきでしょう。
「芸術を名乗りさえすれば何をしようと勝手だ!」と言わんかのような津田監督側の主張を国民多くが支持したのでしょうか?
不自由展からまだ約1年なので不自由展の騒動が今後の日本の芸術に対する政府公共団体関与にどのような影響が生じるか、旗振り役になった津田氏がどういう立場になるか不明ですが・・。
大村知事と河村市長の確執ではどちらに軍配があがるでしょうか?
政治家は選挙次第ですが、一方は市長選で他方は県知事選で政治次元と選挙時期の違いがあるので選挙テーマもズレる上に、共に自民党推薦?知事、市長ですので、任期満了選挙になると不自由展に対する民意がストレートに出ない選挙になりそうです。
不自由展をテーマにした大村知事に対するリコール運動があるので、リコールによる選挙であれば、テーマが絞られ愛知県民の不自由展挙行に対する賛否がはっきりする良いチャンスのようですが、その場合でも保守系支持層が対立候補の革新系候補に投票するわけに行かず自民党系知事を保守系が推すしかない選挙になって争点と選挙の結果が分かり難くなります。
自民系の知事が超革新的?主張を後押して巨額予算で応援した場合、自民党内保守系では許せないと強く思う人が、かえって、革新系知事候補に投票したくない人が多いでしょうから、選挙は複雑です。
大村氏に変わる保守系候補の準備に十分な時間がないことから、信任投票的リコール選挙はかえって大村氏に有利でしょう。
不自由展をテーマにするまでは大村知事の名前も知らなかったので、今日初めてウイキペデイアで経歴を見ると意外に複雑な行動をとる持ち主で、今回の「とんがった企画期待」発言はその延長上にあることがわかりました。
もともと農水官僚〜自民党橋本派に属した経歴程度しか知らないので保守系そのものかと思うと、橋本派ないに属しながら、対抗馬の小泉氏を応援したり、小泉政権では功労者として優遇されたようですが、小泉政権後の保守混乱時(民主党政権時?)には、愛知県連を敵に回して(当然革新系の応援を受けたのでしょう)突如立候補して県連からの訴えで自民党から除名処分を受けるなど保守系の枠を飛び出したトンガリ系行動力のある人のようです。
結果的に左右両翼の支持をて圧倒得手支持力を誇る独自勢力圏を築いているので、そのうち自民党との相乗り候補になって現在に至るようです。
(安倍総理辞任劇以前からメデイアの行う場外人気・・「総理になって欲しい人の国民人気度ではいつも石破氏ほぼ毎回がトップでしたが、肌感覚とこんなにずれた発表程メデイアの信用を落としている発表が少ないのではないでしょうか?
メデイアの基本主張・「永田町の感覚が国民感覚といかにずれているか!」という洗脳をしたいようですが、いろんな世論調査の偏り以上に、国民感覚と違った自民党内異端派を「よいしょ」する記事ばかりでは、国民感覚とずれていのは大手メデイアではないのか?と思う人の方が多いでしょう。
内閣や党支持率の場合、直後の総選挙結果とあまり違う結果が続いているので、メデイアの世論調査をどうせフェイクだろうと思う人が増えてきましたが、総裁選の場合、永田町の感覚が国民とずれていると言い張ってれば論証する方法がないのをいいことに電波独占している方が言い張っていつも終わりです。
中韓勢力得意の日本人は良いが、安倍政権だけが悪いという主張方法と同じです。
革新系は自民党との真っ向勝負では勝てないので、自民党内の異端的トンガリ系を囃しメデイアとの連携で国民人気を演出する傾向がありますので、大村氏はこれに便乗してウイングを左に広げるのに成功していて、県知事として圧倒的支持率を誇るようです。
不自由展実行はこの傾向をさらに強めたということでしょう。
トルコやイラン等々の地域大国も日本の自治体も同じですが、世界全体あるいは国全体のための政治など気にしないどころか、地域や自治体内の地位確立には全体に反する尖った主張をして地元の喝采を浴びる政治手法が成功する傾向があります。
愛知県(尾張徳川家)は徳川宗家後継争いで吉宗に負けた時から、反中央意識の強い気風が育ち現在に至っていることを総合すると(本当は尾張徳川家の個人的怨念でしかなく民族的被害を受けていないのですが、これを地元政治家は煽る材料しているのでしょうか?)大村知事の尖ったパフォーマンスを喝采する地域素地があるとも言えるでしょう。
愛知県知事としての支持層を広げるには、日本全体で総スカンを食うか否かではなく反中央姿勢をアップし(自民党本部から除名処分を受けるなど)地元支持を広げる戦略が成功しているように見えます。
彼は日本ー愛知の会代表のようです。

あいちトリエンナーレ不自由展騒動の得失1

8月29日書いたように、弱小政治集団ほど補助金制度のメリット率が高くなります。
少数数意見保護というのも民主国家において重要ですので、その程度をどうするかでしょうが。
暴力行為を繰り返す過激派集団も少数意見に違いないですが、彼らが自己主張(内ゲバの必要性など)を演劇風に仕立てれば、その公演を国公費で何億円も補助して宣伝する必要があるかも重要です。
その限界をどうするかよくわかりませんし、解散→新設立を繰り返せば過去の刑事件歴が関係なくなるのかなど規制する基準を設けるには複雑すぎて現場では運用に困るでしょう。
どういう集団か?ではなく企画テーマと運用実績(提出企画と違い実際には政治活動中心だった・あるいは〇〇展前半は作品展であるが、後半は政治主張の展示ばかりなど)でみるしかないのでしょう。
政党交付金制度も政党要件を満たした政治集団限定補助金制度ですが、これは国会議員何名以上・得票率何%以上などの数値的絞りがあり客観性があります。
国政選挙立候補者の無料政見放送枠制度も、客観的絞りがあります。
政党政派による差がなく政治活動全般=公平にどの程度まで補助金を出すかどうかは立法府の裁量であると言えるとしても、それと現場判断の単純可視化をどうするかです。
愛知の不自由展までは政治活動の自粛程度・阿吽の判断でなんとかなってきましたが、不自由展を強行したことで、(もともと委嘱状交付時に尖った企画期待発言をしていた大村知事は、世間を騒がせることは予定通りの結果だったでしょうが)パンドラの箱を意図的に開けてしまったように見えます。
自粛でなく禁止制度を明記すると境界の明確化が求められる現場は困るので、結果的に自由化するしかないのでしょうか?
左翼系少数派はこれを狙ったとも言えそうです。
この場合も政治活動のための補助金を出せない制度自体が検閲にあたらないでしょうが、政治目的かどうかの判定訴訟頻発を前提にするような制度は政策妥当性の問題です。
実際現在の制度.政党交付金制度や立候補者限定の無料放送、あるいは公職選挙期間限定の立候補者のポスター掲示の公園利用などに対する規制に対して憲法違反論を聞いたことがありません。
何でも反対→何で憲法論に持っていく運動論が大手メデイアお抱え?文化人(形式上外注ですが)では主流ですが、上記例で見ればわかるように利用基準を明確化すれば済むことです。
違法でない限りどういう商売方法を選ぶかは経営の自由判断ですし、芸術発表も同様ですが、それは市場淘汰のリスクをとるから平衡・バランスが取れています。
一部または全部公的補助の場合、補助比率に比例して市場淘汰のチェックが効かないので公的選択が必要です。
巨額公費を伴う政治選択は基本的に民意によるのが原則であるべきです。
公的施設利用・使用料低廉メリット程度の場合は、補助によるメリットが低いので利用許可基準が公平(申し込み順が一般的)である限り問題が少ないのですが、愛知県の不自由展の場合、一般申し込みにせず優先利用権を設けている(と想定されます)点で不公平ですし、制作費まで補助したようですし、公費による?大々的宣伝や街路展示許可などの便益提供など、受けるメリットが巨大だった点が特に問題でしょう。
ウイキペデイアには、第1回目の予算が出ていますが、愛知県予算だけでも巨大な資金投入です。
数字だけ再引用しますが(リーマンショックによる3割減でも)

「2009年3月6日、愛知県議会は総事業費を従来から3割削減した13億8000万円」

19年のトリエンナーレでは、その後の景気回復もあって総予算はもっと膨らんだでしょうし、文化庁の補助金も出るし、名古屋市の分担金も出ています。
思想の自由市場論→完全自由化はこの点で破綻しています。
どういう作品に補助金まで出すかの基準を芸術監督に委ねるとすれば、監督を自分の主張したい政治団体内の誰かを選べば良いことになります。
そんな身勝手なことで公費を出すのは無理があるので、施設低廉利用メリット(音楽でも落語でも早いもの順の予約制度で大したメリットでは無い)を超える補助金制度は無理が出てくるでしょう。
制度というものは、保険制度であれ生活保護であれ、全て悪用・濫用しない信用でなり立っているのですが、それでも医療必要性は専門家である第三者医師が判断するし、生活保護必要性をも自己申告が契機になるとはいえ、保護適格の有無は福祉事務所調査によっています。
革新系政党や弁護士会等では、生活保護の窓口調査制度を水際作戦と称して「弱者切捨てを許すな!」の批判が多いのは、自己申告でフリーパスすべきという主張なのでしょうか?
そこまで言わないとすれば、失業保険支給基準同様に基準がどうあるべきかは、政治が決めるべき分野です。
今回の不自由展論争ではその基準判断を芸術監督に委ねるべきという主張が目立ちました。
芸術監督自体は主催側決めた内部職であり、津田監督は芸術家でない政治色の濃いジャーナリストであることを紹介してきました。
お手盛りの監督の自由裁量内容に白紙で巨額補助すべきというのでは、生活保護を自己申告通りフリーパスにしろというのと似ています。
不自由展の全国的話題提供により、芸術監督として論壇顧問先の朝日新聞の基本姿勢かな?そのままに政治的企画をした津田大介氏の評価がその筋では上がったとも言えるし、芸術(と称して?)を政治利用したジャーナリストの(プラスマイナス両面)イメージが国民一般に定着した面があるでしょう。
昭和天皇の写真拡大したパネルに竹槍を突き刺したプラカードを掲げてデモ行進する反転連デモが一時はやりましたが、眉をひそめる人の方が圧倒的に多いらしく次第に姿を消すようになっていたのは、まさに自由市場の良いところでしょう。
自由市場で敗退したグループがこれを表現の不自由とでも言うかのような展開ですが、こういう主張を国公費補助で行うべき芸術かどうかです。

対外紛争の得失2

出費のあるところに人材投入も必要ですので、国家発展のための人材が後ろ向きに使われてしまう損失があります。
「日中の制裁合戦4(バブル崩壊1)」Published May 3, 2014に紹介しましたが、中国や韓国では大卒が何百万人と就職出来ない状態で、どうせ失業者が一杯ですから不満を持たせないために情報統制のためのネットチェックや反日宣伝用のナンセンス映画を作らせている・・治安要員を増やし軍事要員を増やすのならば、有用な人材のロスにはなりません。
対外緊張を煽れば失政誤摩化しのためになるだけではなく、不満分子予備軍を失業対策事業に使い且つ治安対策要員になるとすれば、中国得意の1石2鳥〜3鳥4鳥政策になります。
中国基準では大成功の政策・・目出たしめでたしと言うところです。
しかし、良いこと尽くめは逆回転すると悪いこと尽くめに転換するリスクがあります。
失業対策で軍備拡張ばかりしていると軍事部門の暴発を防げなくなるのもその一例です。
上記のように自画自賛しているのは内部的には勝手ですが、反日方針転換しようとしても教育宣伝の成果で国民が反発するので変更できなくなっているように、失業対策で軍部を煽り過ぎたので対外紛争拡大傾向を政府が阻止できなくなって、政府が自分の手足を縛られるようになります。
中国の尖閣諸島での漁船体当たり事件や反日暴動も政府自身が合理的判断でやったというよりも、長年反日教育やいかに中華帝国が素晴らしいか・・「小日本」と蔑称を使って見下して来た手前・・行きがかり上やらざるを得なかったような面があります。
今後周辺と仲良くした方が良いと思っても、長年周辺民族を根拠なく見下して来た結果、どうにもなりません。
根拠なく威張り散らして相手を見下していてうまく行く訳がないので、今後アジア諸国では中国(韓国も何故か威張り散らすのが好きですので、同じ結果が待っている筈です)の孤立化が進むでしょう。
最近まで日本の何十分1の低レベル生活をしていて、今でもまだ賃金水準が10分1〜8分の1程度でしょう・・その低水準の中国が「小日本」と見下して国内宣伝して来た勢いで、反日暴動に走ってしまったもののその結果日本からの投資が激減したことなど、ボデーに利いて来る経済損失が中国には大きかったはずです。
5月17日日経朝刊7ページ左下のダイジェスト欄では「中国商務省発表によると、今年の1〜4月期の日本からの投資は前年同期比46、8%減と出ています。
(昨年も前年比4〜5割減だったように記憶しているので、減少後の昨年比更に46%減では大変な減りようです)
ただし総合では従来より増加率が減少したとは言え、なお前年同期比5%増というのですから、日本からの減少分をどこかが穴埋めしているかのように一見見えます。
日本の投資が減っても大したことがないと言う意味を含めた政府発表でしょう。
しかし、(中国政府発表は殆ど信用出来ない点をおいたとしても)仮に政府発表どおりとしても、日中紛争前には年率何割という増加率だったのが、一応プラスとは言え5%台しか増加しなくなっているのは、日本からの投資が減った分が殆どそのまま増加率の減少になっていると見ることが可能です。
ドイツ等からの投資が増えていて日本が取って代わられてしまうかのように、マスコミが大騒ぎして早く日本が悪かったと謝罪して仲直りしろと言わんばかりですが、実は大した穴埋めになっていないことが、この結果明らかです。
日本の投資減少後も同じ総合で増加率を維持していれば、他の国が日本の投資減少分の穴埋めしたことになりますが、増加率が大幅減少ということは他国による穴埋めが日本の減少分を埋め切れていないことを表しています。
まして上記はいつでも最低限プラス成長を主張するしかない・・原則に忠実な中国政府発表ですので、実際には増加率がマイナスに転じている可能性があります。
貿易黒字数字が相手国の数字とあわないと言われれば、輸入代金を装ったヤミ資金流入であって統計自体インチキではないと言い訳し、次に貿易黒字が減るとヤミ資金の規制強化の結果だ(競争力衰退ではない)と言うのですが、(結果的にヤミ資金であれ何であれ、資金流入が減ったことになります)その都度都合に合わせてやりくりして発表してしまう国です。
実際には株式市場や元相場の軟調が資金流入が減少に転じていることを裏付けています・・政府発表どおり5%増か否かの真相は藪の中です。

対外紛争の得失1

日本人も怒り出して感情的になって来たので、あまりに厚かましい要求を悪びれず繰り返すには、背後でアメリカが唆しているからではないかという国民意識・感情論が高まって来ました。
韓国の李前大統領も(胡錦涛同様に)就任時には前向きの日韓関係を唱えていましたが、結局反日発言に先祖返りしました。
中韓両政府は反日運動をやめるしかないと分ってもやめられない・・日本叩きをエスカレートするしかなくなるほど、反日教育の効果が出てしまった上に、この間に国内矛盾の累積激化が進んでいた・・失政続きと言うこともあって、日本叩きをやめると逆に政権が持たない状況に陥っています。
そこで、やむなく世界中で日本批判の宣伝に邁進するしかなくなったと見るべきでしょう。
この悪宣伝が長期的には、(他人の陰口を吹聴している人物が結果的に良い評価をもたらすことはどこの世界でもあり得ません)両国のマイナス評価に更に結びつくことが分っていても(本当に分らないのかな?)やめられない程国内で追いつめられているからでしょう。
そもそも、人民の不満は不満として直視して抜本的解決しない限り、反日煽動やフィリッピン・ベトナムと領海紛争を起こして一時的に国民の目をそらしても、意味がないことは中国政府も分かっている筈です。
対外紛争にうつつを抜かして内政をおろそかにしていると却って不満が蓄積するばかりですから、次から次へと永久的に対外紛争を増やすしかないとしても、そればかりやっている訳には行きません。
しかも、紛争を起こせばどんな小国相手でも、交流停止・縮小によるそれなりのマイナスを受けます・・。
100対1の国力差があってもやはり100分の1の被害を受けます。
中国全体では対ベトナム貿易が仮に100分の1でもベトナム進出企業にとっては本国工場とあわせても2分の1だったり3分の1の被害になります。
例えば新日鉄がインドに製鉄工場を建てるとした場合、新日鉄にとってその工場資産は全体の3分の1〜4分の1だったりします。
中越紛争ではベトナム進出中国企業にとっては折角投資したベトナムでの事業が出来なくなって大損ですから、その業界にとっては死活問題で不満が増えます。
対外紛争で気をそらしても内部的に何も解決していないし、その都度内政に注ぐべきエネルギーを対外工作に注がざるを得ない分人材的にマイナスです。
しかも紛争を起こせば上記のとおり相手が小さくとも一定の損をする以上は、矛盾が累積して元々の不満が嵩じて行くばかりですから、これを繰り返して行くうちに次第に政権に対するマグマが溜まって行きます。
不満の蓄積に比例して対外紛争をその都度大規模化・エスカレートしないと目をそらせなくなるでしょうが、際限ない大規模化はあり得ないので(ねずみ講みたいなもので)いつかはこの(対外注目)方式は行き詰まります。
国内矛盾解解決のために必要な施策を展開するには、必ず特定分野への国費投入が必要です。
(たとえば家庭介護だけでは無理になれば介護士の養成や介護事業所その他の分野への公費導入が要請されますし、農政改革するにはそれなりの予算措置が必要です)
対外紛争で目をそらすやり方は、矛盾解決のために国内に使うべき国費を対外紛争に出費する分だけ国内投資が減少します。
国民の目をそらす効果だけではなく予算措置も思考力も皆そちらに向いてしまい、矛盾解決のための智恵の創出も妨げられます。
韓国では世界中に慰安婦問題宣伝強化のためのロビー活動等かなり無駄な国費投入を続けています。
勿論中国も全国民相手に南京事件の宣伝をしたり映画を作ったり無駄な出費に追われています。
z子供も内容のない無駄な勉強や見学に動員されて無駄な時間を取られます。
歴史教育というのは生きて行くための人類の智恵を学ぶためにあるのですが、日本憎しの怨念ばかり植え付けられて子供にとって何のプラスにもなりません。

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