第三者委員会の役割6(個別意見1)

ただし、第三者委員会の中には法律家的手堅いばかりの見解発表に飽き足らない人がいたらしく、個人意見も併記されているのでそこに法律家以外のある程度の本音が出ています。
(法律家に議論を主導してもらうのは、・・余計なことを言わないので経営者・渦中の企業には重宝な存在ですが、それでは国民の本当に知りたいことがうやむやになる・・時間稼ぎじゃないかと言う批判が起きて来るでしょう。)
以下見解中の個人意見部分抜粋です。
15 個別意見
(1) 岡本委員 記事に「角度」をつけ過ぎるな
我々の今回の検証作業に対して、朝日新聞社はまことに誠実に対応した。新しい方向へ レールが敷かれた時の朝日の実行力と効率には並々ならぬものがある。しかしレールが敷 かれていない時には、いかなる指摘を受けても自己正当化を続ける。その保守性にも並々 ならぬものがある。
吉田清治証言を使い続けた責任は重い。しかし、同様に国際的に大きなインパクトを与 えたのは、1992年1月11日の「慰安所 軍関与示す資料」と題して6本の見出しを つけたセンセーショナルなトップ記事だ。数日後の日韓首脳会談にぶつけたこの報道は、 結果としてその後の韓国側の対日非難を一挙に誘うことになった。(同記事の問題点については本報告書をお読みいただきたい)。
当委員会のヒアリングを含め、何人もの朝日社員から「角度をつける」という言葉を聞 いた。「事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞としての方向性をつけて、初め て見出しがつく」と。事実だけでは記事にならないという認識に驚いた。
だから、出来事には朝日新聞の方向性に沿うように「角度」がつけられて報道される。 慰安婦問題だけではない。原発、防衛・日米安保、集団的自衛権、秘密保護、増税、等々。 方向性に合わせるためにはつまみ食いも行われる。(例えば、福島第一原発吉田調書の 報道のように)。なんの問題もない事案でも、あたかも大問題であるように書かれたりも する。(例えば、私が担当した案件なので偶々記憶しているのだが、かつてインド洋に派 遣された自衛艦が外国港に寄港した際、建造した造船会社の技術者が契約どおり船の修理 に赴いた。至極あたりまえのことだ。それを、朝日は1面トップに「派遣自衛艦修理に民 間人」と白抜き見出しを打ち、「政府が、戦闘支援中の自衛隊に民間協力をさせる戦後初のケースとなった」とやった。読者はたじろぐ)。」

(2)北岡委員
現代におけるジャーナリズムの責任
今回の従軍慰安婦報道問題の発端は、まず、粗雑な事実の把握である。
吉田証言が怪しいということは、よく読めば分かることである。従軍慰安婦と挺身 隊との混同も、両者が概念として違うことは千田氏の著書においてすら明らかだし、 支度金等の額も全然違うから、ありえない間違いである。こうした初歩的な誤りを犯 し、しかもそれを長く訂正しなかった責任は大きい。
類似したケースはいわゆる「百人切り」問題である。戦争中の兵士が、勝手に行動 できるのか、「審判」のいないゲームが可能なのか、少し考えれば疑わしい話なのに、 そのまま報道され、相当広く信じられてしまった。

第二の問題は、キャンペーン体質の過剰である。新聞が正しいと信じる目的のため に、その方向で論陣をはることは、一概に否定はできない。従軍慰安婦問題を取り上 げて、国民に知らしめたことは、それなりに評価できる。
しかしそれも程度問題である。1971年9月に中国の林彪副主席が失脚したとき、 世界のメディアの中で朝日新聞だけが林彪健在と言い続けた。そして半年後に、林彪 の失脚は分かっていたが、日中関係の改善に有害なので報道しなかったと述べた。同 様のおごりと独善が、今回の従軍慰安婦報道についても感じられる。
第三に指摘したいのは、物事をもっぱら政府対人民の図式で考える傾向である。
権力に対する監視は、メディアのもっとも重大な役割である。しかし権力は制約すればよいというものではない。権力の行使をがんじがらめにすれば、緊急事態におけ る対応も不十分となる恐れがある。また政府をあまり批判すると、対立する他国を利 して、国民が不利益を受けることもある。権力批判だけでは困るのである
第四に指摘したいのは、過剰な正義の追求である。
従軍慰安婦問題において、朝日は「被害者に寄り添う」ことを重視してきた。これ は重要な点である。
しかし、被害者によりそい、徹底的な正義の実現を主張するだけでは不十分である。 現在の日本国民の大部分は戦後生まれであって、こうした問題に直接責任を負うべき 立場にない。日本に対する過剰な批判は、彼らの反発を招くことになる。またこうし た言説は韓国の期待を膨らませた。その結果、韓国大統領が、世界の首脳に対し、日 本の非を鳴らすという、異例の行動に出ることとなった。それは、さらに日本の一部 の反発を招き、反韓、嫌韓の言説の横行を招いた。こうした偏狭なナショナリズムの 台頭も、日韓の和解の困難化も、春秋の筆法を以てすれば、朝日新聞の慰安婦報道が もたらしたものである。
かつてベルサイユ条約の過酷な対独賠償要求がナチスの台頭をもたらしたように、 過剰な正義の追求は、ときに危険である。正義の追求と同時に、日韓の歴史和解を視 野にいれたバランスのとれたアプローチが必要だった。
第五に、現実的な解決策の提示の欠如である。 アジア女性基金に対して当初取られた否定的な態度は残念なものだった。 日韓基本条約によって、個人補償については解決済みであり、それ以後の個人補償については、韓国政府が対応すべきだというのが日本の立場である。この立場と、人道的見地を両立させるために、政府はアジア女性基金という民間と政府が共同で取り 組む形をとり、国家責任ならぬ公的責任を取ることとしたのである。公的責任という のは、必ずしも悪い方式ではない。ドイツのシーメンス等もこの形であった。これを 否定したことは、韓国の強硬派を勇気づけ、ますます和解を困難にしたのである。
なお、国家補償が最善であるという立場には、疑問もある。すべてを国家の責任に すると、その間で違法行為に従事し、不当な利益を得ていたブローカー等の責任が見 逃されることにつながらないだろうか。
第六は論点のすりかえである。
今年8月5日の報道で朝日新聞は強制連行の証拠はなかったが、慰安婦に対する強制はあり、彼女たちが悲惨な目にあったことが本質だと述べた。それには同感である。 しかし、第1次安倍内閣当時、安倍首相が強制連行はなかったと言う立場を示したとき、これを強く批判したのは朝日新聞ではなかったか。今の立場と、安倍首相が首相として公的に発言した立場、そして河野談話継承という立場とどこが違うのだろうか。
朝日新聞にはこの種の言い抜け、すり替えが少なくない。 たとえば憲法9条について、改正論者の多数は、憲法9条1項の戦争放棄は支持するが、2項の戦力不保持は改正すべきだという人である。朝日新聞は、繰り返しこ うした人々に、「戦争を放棄した9条を改正しようとしている」とレッテルを張って きた。9条2項改正論を、9条全体の改正論と誇張してきたのである。要するに、自らの主張のために、他者の言説を歪曲ないし貶める傾向である。 安倍内閣の安全保障政策についても、世界中で戦争ができるようにする、という趣旨のレッテルが張られている。人命の価値がきわめて高く、財政状況がきわめて悪い 日本で、戦争を好んでするリーダーがいるはずがない。これも他を歪曲する例である。 これらは、議論の仕方として不適切であるのみならず、国論を分裂させ、中道でコンセンサスが出来ることを阻む結果になっていないだろうか。」

植村記者問題6(組織内行動の責任)

第三者委員会見解に引用されている植村記者の書いた記事(記事そのものコピーは資料に出ていません)内容は以下のとおりです。
※要約すると不正確となるので、昨日から煩をかえりみずに「見解」記載のまま引用しています。
以下にあるように見解指摘事実だけみても、「でっち上げ・ねつ造」と評価されるかどうか別としても一定方向へ向けた意図的な不正確記事を書いた印象を受けます。
即ち、単なるミスとしては、強制性を印象づける効果を狙った方向への不正確記載(強制を印象づける方向へは「連行」と書き過ぎていて、連行に矛盾するキーセン関係は書き漏れ?ている・その他問題になっている挺身隊記載など)ですから、意図的→ねつ造と言う主張も成り立つような気がします。
名誉毀損になるかどうかは表現次第ですから、書き過ぎになるかどうかは損害賠償請求された著者がどのような表現をしていたかにもよるでしょうが、「見解」の認定事実によると読者を欺く意図がかなり濃厚な印象をうけます。
記者がソウルから送信したものを本社で文字構成したとすれば、(彼の送信文章全文から編集部で取捨選択して記事にしているとすれば・・)裁判では記者自身がこの記事全部に関与していたか構成・完成まで関与していたかについても、問題になるでしょう。
最後まで関与していなくとも署名入記事にした以上は、彼の責任ではないかと言う別の議論もあり得ます。
以下は第三者委員会「見解」(植村記者関係)の一部引用です。

イ 吉田証言に関する記事以外の状況
a 名乗り出た慰安婦に関する1991年8月11日付記事
1991年8月11日、朝刊(大阪本社版)社会面(27面)に「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」、「思い出すと今も涙」、「韓国の団体聞き取り」 の見出しのもとに、「従軍慰安婦だった女性の録音テープを聞く尹代表(右)ら= 10日、ソウル市で植村隆写す」と説明された写真の付された記事が掲載された。
同記事は、当時大阪社会部に所属していた植村のソウル市からの署名入り記事 で、「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を 強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していること がわかり」、同女性の聞き取り作業を行った挺対協が録音したテープを朝日新聞記者に公開したとして、「女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた」などその内容を紹介するものである。植村は、上記(1) イのとおり、韓国での取材経験から、朝鮮で女性が慰安婦とされた経緯について、 「強制連行」されたという話は聞いていなかった。

b 名乗り出た慰安婦に関する1991年12月25日付記事 金氏を含む元慰安婦、元軍人・軍属やその遺族らは、1991年12月6日、日本政府に対し、戦後補償を求める訴訟を東京地裁に提起した。 1991年12月25日、朝刊(5面)に「かえらぬ青春 恨の半生」、「日本政府を提訴した元従軍慰安婦・金学順さん」、「ウソは許せない 私が生き証人」、 「関与の事実を認めて謝罪を」の見出しのもとに、「弁護士に対して、慰安所での 体験を語る金学順さん=11月25日、ソウル市内で」との説明のある金氏の写真が付された記事が掲載された。
植村は、金氏への面会取材は、写真が撮影された1991年11月25日の一 度だけであり、その際の弁護団による聞き取りの要旨にも金氏がキーセン学校に 通っていたことについては記載がなかったが、上記記事作成時点においては、訴状に記載があったことなどから了知していたという。しかし、植村は、キーセン 学校へ通ったからといって必ず慰安婦になるとは限らず、キーセン学校に通っていたことはさほど重要な事実ではないと考え、特に触れることなく聞き取りの内容をそのまま記載したと言う。」

「見解」要約文書では、以下のとおり記載されています。

「植村は、記事で取り上げる女性は「だまされた」事例であることをテープ聴取により明確に理解していたにもかかわらず、同記事の前文に、「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場 に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人が ソウル市内に生存していることがわかり」と記載した。これは、事実は本人が女子挺身隊 の名で連行されたのではないのに、「女子挺身隊」と「連行」という言葉の持つ一般的なイ メージから、強制的に連行されたという印象を与えるもので、安易かつ不用意な記載であ り、読者の誤解を招くものである。」
以下は見解全文からの引用です。

「なお、1991年8月15日付ハンギョレ新聞等は、金氏がキーセン学校の出身であり、 養父に中国まで連れて行かれたことを報道していた。1991年12月25日付記事が掲 載されたのは、既に元慰安婦などによる日本政府を相手取った訴訟が提起されていた時期 であり、その訴状には本人がキーセン学校に通っていたことが記載されていたことから、 植村も上記記事作成時点までにこれを知っていた。キーセン学校に通っていたからといっ て、金氏が自ら進んで慰安婦になったとか、だまされて慰安婦にされても仕方がなかった とはいえないが、この記事が慰安婦となった経緯に触れていながらキーセン学校のことを 書かなかったことにより、事案の全体像を正確に伝えなかった可能性はある。」

上記によれば、「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、・・・」とあるように「連行」と言う文言が使われているうえに、昨日紹介した一連の記事の日付と比較して頂ければ分るように、植村記事の掲載された1991年夏から年末にかけては朝日新聞がまだ吉田証言(軍による慰安婦狩り)が正しい前提で、政府による謝罪を繰り返し求めている最中だったことが分ります。
植村記事は、吉田証言が事実であるかのように大々的に朝日が報道していた最中に(これを補強する効果を狙った)現地報道記事だったことになります。
詐欺や恐喝グループで言えば、先行者が強迫や欺罔行為をした後でこの情を知っている紳士然とした人が次にやって来て先行者による強迫や欺罔によって畏怖や誤信させられた状態を利用して取引をしても全体として、恐喝や詐欺になるのが一般的法解釈です。
植村記者は朝日の社員ですから、一連の演出効果を期待する作為の一員に入っているとみるのが普通であって彼が「自分は関係ない」とは言えないでしょう。

第三者委員会の役割5(植村記者問題1)

推測にわたる委員会見解までは不要としても、検証努力をどこまでしたか、記録消失・担当者全員行方不明?などによって、どこで分らなくなっているか程度までを調査してこそ、検証したと言えるのではないでしょうか?
この点で第三者委員会見解は、報道と人権委員会よりもメリハリ不足・・会社に不利なことは出来るだけ掘り下げて聞かないようにしている印象を受けてしまいます。
法人の問題検証である筈なのに、第三者委員会では個人である植村記者個人問題(現在は退職しているので、正確には元記者ですが見解同様に以下植村記者と書いて行きます)を何故詳細に取り上げたのか不思議ですが、同記者に対する個人攻撃を押さえ込みたい朝日新聞社の意向を受けて独立のテーマにしたとすれば、(ネットで氾濫しているように)予め結論が見えていたとも言えます。
検証となれば、憶測にわたる批判部分は憶測である以上根拠がないと言う結論になるのが当然ですから、やるまえから結果が分かっていたことになります。
この見解が年末に出ると待ってましたとばかりに植村記者は名誉毀損の訴えを提起したと1月9日に外国人特派員協会で記者会見を開いているのをYouTubeで視聴しました。
聞いていると彼は「私は愛国者です」と言うのですが、何故外国人特派員協会で(国外向けに)真っ先に記者会見を開くのか意味不明です。
原発吉田調書事件では国内向けとは違い、外国向けに「逃亡、公然と命令に反抗した」と言う意味のメッセージしていたことを数日前に紹介しましたが、朝日とその出身者は日本国民相手よりは、外国人向け発表を重視し、(国民の理解を求めるよりは)・・外国からの支持を期待している傾向があることが分ります。
弁護士の戦い方にもよりますが、労使問題等で私に相談に来た場合、うまく切り抜けるか戦うかどちらを選ぶかの基本方針を依頼者と決めるのが普通です。
労使紛争の場合戦ってその会社に居辛くなっても別の会社に行けば済みますが、国民全般相手の場合別の国に行くのは容易ではありません。
発光ダイオードの中村氏の場合、結局米国に移住してしまいましたが・・。
その順序を践んで相談していた場合、国民との和解を求めるならば、憶測にわたる部分は非合理な憶測中心ですから、証拠がないと開き直っているのではなく、丁寧に説明し理解を求める地道な努力をする道を選ぶことになりますが、努力をどのようにしていたかが見えません。
国民にもいろいろあるのですから、批判しているのが非合理な少数者だと言う自信があれば、国民の理解を求める・・国内メデイア向け記者会見をすべきだと思うのですが、何故外国メデイア向け記者会見から始めたのか不思議です。
国内支持者少数と言う前提で、多数国民と対決するつもりだと言う批判が起きるでしょう。
年末から書いているように、司法機関は第三者委員会(は、こうするべきと言う提言も職務範囲ですが)とは違い、法的・争点と意味のあるテーマしか扱いません。
明日書きますが、慰安婦による国家賠償請求訴訟では、条約で解決済みの場合、そこで門前払いですから、本当の慰安婦かどうかの認定をしません。
京都の朝鮮人学校に対する在特会事件でも、マスコミはヘイトスピーチ判決と評価した印象報道ですが、実際にはヘイトスピーチを裁いたのではなく業務妨害の損害を認めただけの事件であると言われています。
(判決文を見ていないで巷間の噂によります)
植村記者関係の新聞記事はコピーが資料として出ていないので、私は第三者委員会見解に書いてある事実しか知らないので何とも言えませんが、植村記者側弁護団は司法に持ち込めば憶測にわたる部分は認定されることはないので、充分勝ち目があると践んだのでしょう。
(昨日書いたように朝日の記事による国際影響の有無も拾い出せる証拠・・引用件数だけからみれば「見解」のような結果になるのは、やる前から結果が見えています)
しかし、国民(個人攻撃している人とその応援団)の怒りの核心は明日以降書いて行くとおり、全体の文脈で日韓を感情的対立のルツボに追い込んでしまった社会・政治責任をどうしてくれるのかと言う感情論ですから、(法的責任を求めていません)テーマ・論点の違う司法の場に持ち込んで「勝った勝った」と宣伝されると朝日新聞同様の「論点すり替えの繰り返し」だと言う批判・・不満を却って強くするリスクがあります。
在特会問題も朝鮮学校は裁判で勝ったでしょうが、裁かれたのは手段の違法性であって、朝鮮人学校の公園使用行為そのものが正当だと認定されたものではありません。
記者会見では「(勤務先への嫌がらせがあって勤務先に迷惑がかかるならば)何故朝日をやめるのか」と言う趣旨の質問があったことに対して、同記者は、直接応えずにはぐらかすような回答をしていたように見えました。
今の勤務先に「やめさせろ」の抗議がある状態が人権問題になっている状態ですが、会社の方針どおりの仕事をした結果(不正取材報道でないならば)、個人攻撃を受けている最中に朝日が解雇するのは無理があるし、朝日にいれば会社が防波堤になる筈で、抗議電話があるからやめてくれとは言えないでしょう・・それなのに彼が何故自発的にやめて他所の会社に新規就職して就職先に迷惑をかけるのか不思議ですから、外国人記者の質問は的を射ています。
このやり取りをみると、(敢えて植村記者問題を別項目にして、会社が調査を委員会に求めていたことから見て)植村記者が会社をやめたことにする(合意の)メリットが会社と記者双方にあったように推測されます。
年末の22日に委員会見解発表して、年明け早々に訴状提出と言うのでは、(弁護士の立場で言えば年末〜正月開けに相談に来て9日までに大弁護団結成して訴状提出までは行きませんから・・)事前にある程度準備しておいて「見解」が出たらこれを踏まえて若干の手直しをして完成させると言う事前準備していた・批判する立場でみれば第三者委員会の検証テーマに決めたときから、見え見えの出来レースと見る人が多いでしょう。
植村記者問題は言わば感情論ですから、そこをどうやって沈静化させるかの工夫が必要で、裁判で勝ってもどうなるものでもないように思われます。

第三者委員会の役割4(朝日新聞慰安婦報道2)

以下はウイキペデイアによる吉田氏の死亡年月日です。

吉田 清治(よしだ せいじ、1913年(大正2年)10月15日 – 2000年(平成12年)7月30日[1][2])は福岡県出身とされる文筆家。

歴史家や他社のでっち上げ指摘後、既に社内で強制連行に関する吉田証言は怪しいと決まっていて軌道修正していた事実が認定されていますが、では吉田氏が生きている段階で何故何十年も事実再確認作業をきちんとしなかったかについても、以下に引用のとおり委員会の調査がオザナリです。
善意解釈すれば、これ以上無理なので、読者の想像に任せますとも読めますが・・。
以下委員会見解の一部です。

「3月上旬、キャップ格の記者が吉田氏への接触を試みたが、電話取材では吉田証言について応答を拒まれ、自宅も訪問したが留守で、結局、吉田証言について話を聞くことはできなかった。」

朝日新聞社の存続を揺るがす大事件に発展している段階での事実再確認のための調査行動としているのに、訪問して留守だったから事実確認を諦めたと言うのではあっさりしすぎて異常です。
普通の取材活動でも、行ってみて相手が不在だった・・それだけで諦めてしまわない・・夜討ち朝駆けを繰り返すのが報道界の常道ではないでしょうか?
元々事実が存在しないのを知って共謀していたから、再度聞くまでもない・・聞きたくない・・「御社の方こそ良く知っているでしょう」と言われるのが怖かったので形だけの調査をしたことにしていたのではないか・・「留守だったことにしよう」(いつ行くので家を空けておいて下さい・・」と言う筋書きにしたのではないかと読む人が多いでしょう。
検証委員会の事実認定を読むと慰安婦問題は既に十分報道して国際問題にすることの目的を達した・・成功しているので、朝日新聞の対応は以後事実確認よりは、今後はどうやって対外的に軌道修正して自社批判を誤摩化して行くかに焦点が移って行ったかのように見えます。
そのころから、本質は強制連行の有無ではなく、広義の強制性・・「女性の人権」だとすり替え主張が始まっています。
検証委員会見解は経過を淡々と書くだけ(死亡しているので調査出来ない・・執筆記者が特定出来ないとか・・こんな不自然なことをそのまま記載して検証作業を終わりにしています)で何も触れていません。
吉田清治氏が死亡して「死人に口無し」となってから、謝罪会見するやり方は原発吉田所長2013年7月9日死亡後の虚報開始と(偶然?)同じですが、担当取材記者らは生きていると思われるのに、検証委員会では何故生きている彼らからもっと突っ込んで聞かないか不明です。
世間が知りたいのは合理的疑問の解明ですから、合理的な憶測を覆す丁寧な検証こそが求められていたと思います。
検証委員会では、「焼却したと聞いた」「留守だった]と言う記者の説明をそのまま書いて、後は世論の判断に委ねようとする謙虚(手堅い?)な姿勢かも知れません。
法律家主導の委員会らしく手堅い書き方になっているのは分りますが、これでは、国民が求めている検証の意義を果たしていない・・激昴した世論沈静化の時間稼ぎのためであったのか?と受け取る人・・不完全燃焼の人が多いのではないでしょうか?
26年12月30日に名誉毀損や日弁連政治活動等に関する判例の射程範囲を紹介しましたが、求められたテーマ以外の余計なことを書かないのが法律家の使命・習性です。
第三者委員会がセンセーショナルに国内対立を煽る必要がないと言う意味では、それぞれ手堅い見解の発表と言うところですが、朝日新聞の誤報道・虚偽報道の検証作業は、裁判そのものではないので、もう少し踏み込んだ意見表明・・焼却したと言うだけで信用したとしたことに「疑問が残る」「執筆者が明らかにならないのは残念だ」程度の表現があっても良いような気がします。
これを逆にやむを得ないと結論付けて正当化表現が目立つのは残念です。
国際社会に対する影響についても、第三者委員会見解では朝日新聞を引用した記事が何本しかないので影響がなかったと言う書き方ですが、こんなことで国民が納得するでしょうか?
影響と言うのはムード的に広がって行くものであって引用記事が少ないから・・と言う論理は、まるで朝日の報道価値を無理に落としている印象です。
朝日が広めてその他のマスメデイアも負けずに追随報道する中で、国際常識になってしまっている以上、一々朝日と言う名称を引用する記事が少ないのは当たり前のことで・・軍による強制連行が常識になってしまうほど影響が大きかったと理解する人の方が多いでしょう。
例えば第三者委員の一人である岡本委員自身が、これまで強制連行を前提にした意見を書いていると報道されていますが、(私は報道機関でもない素人のコラムなのでこれ自体の検証取材までしないで自動的に引用しているだけですが・・)その文書にも朝日新聞を引用していません。
以下はhttp://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11934180595.htmlからの引用です。

 「岡本氏は、1995年7月18日に村山内閣に提出された、「女性のためのアジア平和国民基金」(以下、アジア女性基金)に拠金を呼びかけの「呼びかけ人」の一人なのです。
http://www.kantei.go.jp/jp/murayamasouri/danwa/heiwa-kikin.html
 岡本氏も呼びかけ人として名を連ねた「呼びかけ」は、以下の文章で始まります。

『戦争が終わってから、50年の歳月が流れました。 この戦争は、日本国民にも諸外国、とくにアジア諸国の人々にも、甚大 な惨禍をもたらしました。なかでも、十代の少女までも含む多くの女性を 強制的に「慰安婦」として軍に従わせたことは、女性の根源的な尊厳を踏 みにじる残酷な行為でした。こうした女性の方々が心身に負った深い傷は、 いかに私たちがお詫びしても癒やすことができるものではないでしょう。 しかし、私たちは、なんとか彼女たちの痛みを受け止め、その苦しみが少 しでも緩和されるよう、最大限の力を尽くしたい、そう思います。これは、 これらの方々に耐え難い犠牲を強いた日本が、どうしても今日はたさなければならない義務だと信じます。 (後略)』

後で植村記者に対するバッシング問題で書いて行きますが、このシリーズで書いているように「見出し」等で一旦レッテル貼りが終われば一々引用しなくともイメージが増幅して行くものです。
朝日は事実上軌道修正していたことも認定されていますが、事実上では資料や表現の微妙な変化をくわしく読み込まない一般読者には分らない・・強制連行の印象を埋め込まれたままです。
国際影響を調査した委員会見解は、コオリ砂糖があらかた水に溶けてしまった後で、その砂糖水をのんでいる人は何億人いようとも、のんだ水や残っている資料にコオリ砂糖のかたまりを探しても少ししか見つからないから、砂糖が殆ど入っていなかったと結論付けるような調査報告ですから、これでは納得する人の方が少ないでしょう。

第三者委員会の役割2(朝日新聞慰安婦報道1)

慰安婦報道と池上氏コラム掲載拒否問題については、別の第三者委員会の検証対象になっています。
以下第三者委員会見解の紹介です。
この委員会では慰安婦強連行に関する吉田氏の著書や講演が虚偽であったこと自体については後に吉田氏自身が認めていることなどから、委員会意見は(最高裁判決で言えば法廷意見?)約30年間も訂正・取り消ししなかったことの是非に焦点が当たっています。
発表当初に裏付け取材を一切しないまま発表した経緯とその後修正・取り消しが遅れた経緯・・トップの責任追及的視点・・その後の処理対応が悪い点に力点を置いていて、(どうせやめるに決まっている人に責任を取らせる図式です)国民が知りたい朝日の基本的体質・・日本民族非難目的的報道体質そのものの掘り下げは緩い感じを否めません。
原発吉田調書同様に、事実経過報告とどめて主観的意図の判断は、読者に委ねると言う姿勢でしょうか。
事実羅列の中で注目すべきことは、報道前に吉田氏に面会したところ、慰安婦連行に関する吉田清治氏から根拠になる資料すら「焼却した」などと言う、如何にも怪しい応答されているのに、疑いもせずに独自取材せずに真実であるかのように大規模報道していたことが分りました。
こんな大事件報道をするのに言い出しっぺの調査研究発表者・吉田清治氏が取材時点で取材資料を既に焼却してしまっていることなどあり得ないことですから、検証委員会にはこの点をもっとツッコンで追及して欲しかったと突っ込み不足に不満を抱く人が多いでしょう。
しかし、仮に突っ込んでも「そのころはそう言う判断でした」と言う答えしか却って来ないと言うことも十分想定されます。
以下のとおり重大記事の最初の執筆者さえ分らないと言うこと自体、怪しい朝日新聞の対応ですが、委員会が家捜しすることも出来ないので、これも読者判断と言うことでしょうか。(怪しいと思うかは読者の判断に委ねるのも1方法です)
以下原文からの引用です。

(1)1982年9月2日付記事

(1)吉田証言について
朝日新聞は、同社記者が執筆した1982年9月2日付朝刊紙面に「朝鮮の女性/ 私も連行/元動員指揮者が証言/暴行加え無理やり」の見出しの記事において、同社 として初めて、吉田証言を紹介した。
同記事は、前日の1日に大阪市内で行われた集会において吉田氏が述べた内容を紹介す る。当初この記事の執筆者と目された清田治史は記事掲載の時点では韓国に語学留学中で あって執筆は不可能であることが判明し、当委員会において調査を尽くしたが、執筆者は 判明せず、執筆意図や講演内容の裏付け取材の有無は判明しなかった。
(2)1983年10月19日、同年11月10日及び同年12月24日付記事
これらの記事は、大阪社会部デスクの意向で、ソウル支局ではなく当時大阪社会部管内 の岸和田通信局長をしていた清田により強制連行の全体像を意識した企画として進められた。清田は、吉田氏宅を訪問し数時間にわたりインタビューをした。裏付け資料の有無を 尋ねたが焼却したとのことで確認できなかった。吉田氏の経歴等についても十分な裏付け 取材をせず、証言内容が生々しく詳細であったことから、これを事実と判断し記事を書いた。」

科学発明発表の記者会見で、実験データを全て焼却したので再現出来ないと言う説明をした場合、その論文の価値を認める人が一人もいないでしょう。
こんなずさんな説明で第三者(検証)委員会が「あ、そうですか」と安易に?矛を収めているのでは、何のための検証かと疑問を抱く人が多いのではないでしょうか?
第三者委員会の認定事実によれば、朝日新聞は、「焼却してしまった」と言う吉田氏の不思議な説明で裏付けをとったことにして?日韓関係を揺るがし世界に日本の蛮行を大宣伝する大記事にしたことになります。
これに対する意見書の評価は以下のとおりです。

「吉田証言は、戦時中の朝鮮における行動に関するものであり、取材時点で少なくとも35年以上が経過していたことを考えると、裏付け調査が容易ではない分野におけるものである。すると、吉田氏の講演や韓国における石碑建立という吉田氏の 言動に対応しての報道と見る余地のある1980年代の記事については、その時点では吉田氏の言動のみによって信用性判断を行ったとしてもやむを得ない面もある。
しかし、韓国事情に精通した記者を中心にそのような証言事実はあり得るとの先入観がまず存在し、その先入観が裏付け調査を怠ったことに影響を与えたとすれば、 テーマの重要性に鑑みると、問題である。
そして、吉田証言に関する記事は、事件事故報道ほどの速報性は要求されないこと、裏付け調査がないまま相応の紙面を割いた記事が繰り返し紙面に掲載され、執筆者も複数にわたることを考え合わせると、後年の記事になればなるほど裏付け調 査を怠ったことを指摘せざるを得ない。特に、1991年5月22日及び同年10 月10日付の「女たちの太平洋戦争」の一連の記事は、時期的にも後に位置し、慰安婦問題が社会の関心事となってきている状況下の報道で、朝日新聞自身が「調査 報道」(1994年1月25日付記事参照)と位置付けているにもかかわらず、吉田氏へのインタビュー以外に裏付け調査が行われた事実あるいは行おうとした事実がうかがえないことは、問題である。

上記によれば、当時としては焼却したと言われてそのまま信用して、裏付け取材しなくとも(その後の対応が悪いだけで)「やむを得ない面もある。」と言い切っているのですが、35年前のことではっきりしないならば「朝鮮の女性/ 私も連行/元動員指揮者が証言/暴行加え無理やり」の大見出しで書かなければ良いことです。
新聞記事と言うのは根拠があってこそ書くべきですし、ましてや国家の命運に関わるよう大問題を「根拠が不明だから書いても仕方が無い」と言うのでは、マトモな論理的説明になっていません。
朝日新聞のように世界中に拠点を持たない1個人が現地取材して事実がないと言う報告をしていることから見ても、韓国内の拠点・ソール支局もある大組織の朝日が何故簡単な現地調査をしたり、吉田氏の経歴調査・・主張の時期に主張する職にあったのか、その当時の職ム内容など公式記録にあたるなど、するべきことが一杯あった筈ですが、(委員会も認定しているように急いで発表する必要がないのでゆっくり事実調査してから記事にして良かったことですが)全く調査する気もなかったのを不思議に思うのが普通の国民感情ではないでしょうか?
(これだけ慰安婦報道が大問題になっているサナカの2014年5月20日に発表された原発吉田所長調書事件も肝腎の東電職員一人にも取材しないままの大スクープ?記事でしたが、急ぐ必要もないのに、取材しないで想像で書くのが朝日の基本的体質でしょうか?)
次の段以降の「しかし」付きとは言え、先ず前段で「やむを得ない面もある。」とまで言い切るのは、根拠のない正当化ではないでしょうか?
「やむを得ないかどうか」の検証のために第三者委員会が選任されたと国民は期待していた筈なのに、委員会は35年経過していることだけを根拠に「やむを得ない面もある」と断言しているのでは多くの国民は驚いたのではないでしょうか?
「面もある」と言う半端な表現ではありますが、基本姿勢としては朝日の行動を肯定したことになるのでしょう。
後の文章はその後の行動に力点を置いていて、取材なしでセンセーショナルな記事発表した当初の姿勢に関する国民の疑問に答えていません。

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