政治家と専門家の役割相違2

サンフランシスコ等の入港拒否の住民運動の理由として、入港後乗客が港湾周辺を自由に歩き回るのでは住民が不安を感じるのが当然ですが、非合理な運動だと一蹴して入港→下船を強行するか、住民不安に応えて下船と同時にチャーターしたバスで医療機関や隔離施設一括搬送するなどの手順を示して港周辺の人が心配するような事態が起きないとの説明を丁寧にするか、地元住民の運動を恐れて入港拒否するかは政治家の判断分野dです。
サンフランシスコでは地元州政府が、地元民の声に押されて入港拒否したものの「よそへ行ってくれ」というのではなく、4〜5日経過で漸くすぐ近くの反対の少ない港への寄港を実現できたようです。
感染拡大放置による死者より、不景気拡大による死者の方が多くなるかの判断(ブラジル大統領やトランプ氏はその種の意見のようです)・・その中間のロックダウン方式をとるにしてもどの時点で行うか?どの地域に限定するかどの程度厳しくするかなども政治家の判断領域です。
判断ミスか否かは結果で見るべきで、政治家が政治責任をとることです。
今回の日本政府に対する批判論の基本は専門家(と言っても米国CDCルールに反しているという形式論中心だったように思われます)の立場から現場対応を批判するものだったように見えます。
政治家は結果で評価すべきです。
(これまで書いてきたように例えばNHKニュースはどういう批判かを書かずに「外国で批判が大きい」といい、外国報道機関の方は「日本国内で感染症専門家から批判の声が上がっている」というキャッチボール形式で波紋を広げる方法で、何が批判されているのか?素人には分かりにくい報道の仕方でした。
結局具体的に紹介されていたのは岩田健太郎氏のツイッターと東洋経済のインタビュー記事が基本・・感染症の専門外の官僚が・・これが世界を駆け巡る批判論の根拠になっているらしいということです。
クルーズ船批判論が火を噴いた頃には、「専門知を大切にすべきだ素人集団が決めているのはおかしい」という専門家重視論のイメージでの政権批判報道が多かったような印象でした。
このメデイアの論調に火をつけた?のが岩田氏のツイッターだったように思われます。
直後の3月12日には米国式 統括機関創設を求める学会有志?の共同声明が発表されていたことを6月20日に紹介しました。
世の中専門家の言う通りで良いなら経済政策は経済学者の言う通りで良い筈ですが、そんな主張をする意見は皆無でしょう。
社会運営は一定の論理に支えられながらも利害対立の調整にあるのですから、「実験室の結果で良い」政治など、どの分野にもありません。
新型コロナにかかっているかの判定やその場合の治療方法は専門家に委ねる分野であって政治家は「あいつは嫌いだから、治療するな」と言うことは許されません。
緊急事態宣言の前提事実として、感染がどのくらい進んでいるか、ICUに入った患者の生還率はどのくらいかなどの具体的問題点などは専門家の意見を聞くべきでしょうが、一定の事態が間近に迫っているとしてもロックダウンすべきか日本のように自粛要請で足りるか・・自粛要請にどの程度応じる国民性かの判断は政治家が決める領分です。
自粛を求める産業分野とその効果も専門家が詳しいでしょうが、国民意識のありように合わせて、総合的に見てどの業界を優先するべきかなどは政治家が責任を持って決めていくべきでしょう。
原子力発電やリニアモーターカーの必要性等は科学者が最終決定すべきではなく、政治責任を取れる政治が決めるべきものです。
6月26日リニアモーターカーの工事着工に対して静岡県知事とJR東海とのトップ会談で知事側が工事に必要な準備工事にさえ同意しなかったので、2027年の開通は不可能という報道が出ていました。
問題はトンネル工事によって地下水の流れが変わることに対する反対らしいのですが、その決着は専門家の分析を待つことになったらしいです。
以上を見ると専門家が決めるかのように見えますが、政治家が争点を専門家の決める専門的意見次第と論争の場を限定したことによるものです。
例えば宇宙物理学等では巨大な実験設備があったほうがいいでしょうが、国の経済力から総合して日本が保有する必要があるかは、政治家が決めることです。
PCRの大量検査能力維持、ICUあるいは体外人工呼吸器(クオモ)などの備蓄が多いほうが良いとしてもコロナのような伝染病のために毎年大量のICU設備や訓練された運営要員をどの程度抱え込んでおくのが合理的かは政治が考えることです。
当たり前のことを無視して、メデイアが政権批判していた・・この結果政治妥協の経験のない研究者が決定の矢面に立つような変な結果になって研究者を苦しめていたようです。
神戸大学岩田健太郎教授に関する3月8日現在のウイキペデイアです。

2008年 – 神戸大学大学院医学研究科教授(微生物感染症学講座感染治療学分野)、同大学医学部附属病院感染症内科診療科長[1][2][
2020年2月18日 – 2019新型コロナウイルスの集団感染が発生しているクルーズ客船 ダイヤモンドプリンセスに乗船[4]。自身のYou tubeサイト上にて、「ダイヤモンド・プリンセスはCOVID-19製造機。感染対策は悲惨な状態で、アフリカのそれより悪く、感染対策のプロは意思決定に全く参与できず、素人の厚労省官僚が意思決定をしており、船内から感染者が大量に発生するのは当然と発言したものの、翌20日には乗船に関し助言した医師に事実誤認を指摘され、削除した[5][6

6月16日現在のウイキペデイアでは、箇条書きの経歴部分のみで上記部分は以下の通り変更されています。https://mainichi.jp/articles/20200219/k00/00m/010/097000cには(削除前のツイッターかな?)具体的指摘事実が出ていますので引用しておきます。

岩田氏の説明によると、厚生労働省の協力を得て、災害派遣医療チーム(DMAT)の一員として18日に乗船した。18日夕方に下船後、動画投稿サイトで「ウイルスが全くない安全なグリーンゾーンと、ウイルスがいるかもしれない危ないレッドゾーンが、ぐちゃぐちゃになっていて、どこが危なくて、どこが危なくないのか全く区別がつかない」「熱のある方が自分の部屋から出て、歩いて医務室に行っている」「感染症のプロだったら、あんな環境に行ったら、ものすごく怖くてしょうがない」などと訴えた。

この事実指摘自体は当然で元々客船には感染者と何日か前に感染しているがまだ陽性にならない潜伏中の患者などが入り乱れているから、そういう仕分けのために検疫官が乗り込んでいく過程では、誰が感染者かすらまだ区分けできていない状態です。
そもそも気の利いた企業であれば、香港から横浜に着くまでの間に発症者が出たのであれば、日本の係官が乗船する前に隔離くらいしておくべきだったでしょうが、前夜までパーテイをしていたというのですから多分何もしないで従来通りビュッフェなどで大勢一緒に食事をしていたのでしょうか?
3711人にも及ぶ人数の検査・・検体摂取だけでも瞬時に終わるわけでなく、検体採取を経て順次検査機関へ搬送先では1検体ごとに手作業による培養作業が行われ一定の培養時間経過後プロによる読みとり作業を経て判定していくので(最近ではこのプロセスが自動化されていると言う意見もありますが、当時の説明)その間の未判定期間があります。
検体採取後即時に陽性陰性が判別するわけでなく、その間誰が陽性かも不明です。
しかも結果が一斉に出るわけでなく、陽性者が数人〜10人づつ順次結果が出るつど船内の空室に移動してもらうとしても、最初のうちは未検査の人の方が多いのですからどこの船室の前の廊下が安全かなどの区分けできている訳がないと素人としては思いますが・・。

報道機関の役割(政治家と専門家の役割相違)1

以下に紹介するフロリダの入港拒否の内容を見ると受け入れるとしても、フロリダ州民以外の下船・治療を認めないという自分勝手なものでした。
日本のクルーズ船対応ではそういうことを言わず、世界中の人たちの治療を最後まで見ていました。
日本では、強力指導力発揮する余地がない社会なのに、強力な司令塔設置要求・・低レベル社会で必要な米国基準を持ち込んでその通りやらないと批判すること自体がおかしいのです。
米国内で発生している多くのクルーズ船の結末を、日本メデイア(都合が悪くなったから?)は一切報道していません。
NHKをはじめとして日本メデイアが米国で日本政府が批判されているとして、鬼の首でも取ったように日本政府対応批判キャンペインを張っていたのを6月21日頃のコラムで引用しましたが、メデイアが客観状況の報道でなく政府批判という特定目的をまず設定しその方向でしか報道しない傾向があるように見えるのは問題です。
NHKに言わせれば、批判内容が不明だが、ともかく米国で批判報道が広がっているという客観事実のみを報道しているという言い訳が成り立ちそうです。
この論法は、朝日の慰安婦報道が世界に広まり、それが事実確認無しに既定事実になっていったのと同じ方式です。
報道機関が報道している場合は、それは事実であるかのようなすり替えがある・報道内容の吟味を経ないで大手が一旦流すとそれが事実のように国外メデイアもそのまま報道するあんちょこな姿勢があり、日本メデイアはそれは日本発の報道転載でしかないこと報道せずに「海外で日本やり方が批判されている」と抽象的報道する・・キャッチボールされる仕組みになっている恐ろしさです。
今回は1ヶ月後にほぼ同じ事例が米国で起きたので必然的に比較対照報道された結果、日本に対する誹謗中傷が止みました。
日本国内での安倍政権批判も根拠を失い静かになり続いて検察官定年延長問題に移りました。
その後のクルーズ船の動きや感染結果等が不明なので日付で新しそうな日付のネット記事を探して見るとせいぜい以下のような報道しかありません。
https://news.yahoo.co.jp/byline/abekasumi/20200402-00171007/

まだあったクルーズ船問題!4人死亡、感染者多数?の米ザーンダム号 フロリダから受け入れ拒否
安部かすみ
ニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者

上記によると(転載禁止と書いてあるので引用できませんが)米国籍・米国企業運営のクルーズ船なのに入港反対ということらしいです。
CDCが如何に強力な権限を持っていても、船の入港下船が地元政府反対で洋上漂流になるとどうにもなりません。
この点は6月29日に書いた通り中央政府が強力な権限をCDCに与えてもどうにもならないのが現在の民主主義国家です。
クルーズ船入港を認めるか下船させるか、緊急事態宣言するか、どの程度の外出規制するか等々の決定は専門家が決める領域でなく政治判断であると書いてきましたが、
日本のコロナ対応も専門家と政治家の役割分担の理念そのものの議論が、この1週間で表面化してきました。
https://www.asahi.com/articles/ASN6S7JGBN6SULZU004.html

専門家会議「純粋科学と違う」 自らの役割に苦悩の日々
2020年6月25日 8時00分

新型コロナウイルス対策についての政府の専門家会議のメンバーが24日、組織の見直しを求めた。
権限や責任があいまいなまま、対策や市民の行動変容など積極的な発信をしてきたことに、批判も出ていた。自らを省みた会見のさなか、政府は新たな会議体の立ち上げを発表した。政治と科学の関係はどうあるべきか。他国も模索している。
「感染症対策というのは、実験室の学問や純粋科学とは違う」。24日夕。日本記者クラブ(東京)で会見した専門家会議の尾身茂副座長はそう述べ、新型コロナ対策の難しさの背景を語った。
感染の拡大防止には人々の行動を変えることが必要になる。誰がどうお願いするか。元々医学的見地から助言するのが目的だった専門家会議は、権限と責任に法的根拠はなかったが、積極的な発信を続けた。迅速に対策を伝えないと、国内で感染が爆発的に広まるとの危機感が、メンバーに高まったためだ。
会見で、脇田隆字座長は前のめりになった理由を「(政府の)諮問に答えるだけでなく、対策をとる必要があると考えた」と語った。

専門家はこれまで学問上判明している限度の説明をすれば良いのであって、(諮問に答えるだけ)それを踏まえてどのような対策を取るかは政治家の分野です。
まして日本の場合、国立感染症研究所の所長・文字通りウイルスなどを顕微鏡で覗く実験が本業の人たちであり、行政機関ではありませんので、利害調節的判断=政治決断するのは畑違いすぎて苦悩の日々だったということでしょうか?

船内検査実施と感染症専門家の役割

厚労省としては政治判断が終わりいざ船内実施となれば、具体手順段階ですので(とはいえ船の近ずく2日程度の短期間での国際交渉と妥結などの小刻みな進展ですので、どれについても数時間か半日単位で即決していくしかない超スピード対応でしょう)この段階で感染症専門家のご意見をもらおうと現地参加をお願いし、事後検討会などでの有益意見開陳を求めたかったのではないでしょうか?
現地見学会?参加要請に対し彼は法の重要性(現=入国後検査に応じない場合のリスクの議論を知らないか、軽く見ている結果)設備上無理のある船内検査に踏み切ったことに対する批判的立場で批判材料を仕入れるために見に行った可能性があります。
そもそも彼に関するウィキメデイアでの紹介によると18日午前乗船、夕刻には下船しているというのですから、現場作業応援に行ったにしては時間が短すぎます。
戦力になるには船内配置やスタッフ分担、現状説明を受けるなど事前説明が必須ですが、午前から夕刻まででは説明を聞いて巨大な船内見学して周ってほぼ終わりで検疫手続きに忙殺されている関係者にとっては、説明案内等に時間を取られるばかりです。
専門家に最先端実務勉強チャンスを与えるつもりの見学招待だったのではないでしょうか?
6月13日紹介の岩田氏意見(3月12日インタビュー)を再引用します。

「専門家は結局、少し入っただけだった。日本環境感染学会の専門家も入ったが、結局はすぐ撤退してしまった。
入れ替わり立ち替わり専門家が入っているが、専門家がリーダーシップをとった対策づくりができていなかった。」

厚労省が後学のための専門家招待であれば、実質半日行程で入れ替わり立ち代わり来るのは当然です。
岩田健太郎氏が上陸後の完備した体制で検査をすべきという前提でこのような意見を主張していたとすれば論理一貫性がありますが、日本の法制度では当時強制隔離できる法制度がなかった前提を無視した考え方では、現実無視の意見として誰にも相手にされなかった可能性があります。
岩田氏は検疫官が感染したことを批判論拠にしていますが、隔離その他設備の整った、感染症者を受け入れるために特化したトップクラスの病院でさえ医療従事者や院内感染を100%防げない現実があるのに、上陸後検査より船内の方が安全であるべきという次元の違う論理で非難しているように読めます。
成田空港であれ各地方港湾の入国審査手続き設備陣容は、出先の臨時的施設であって東京横浜等先進地域のトップクラス病院以上の感染症対策が整った入国審査設備があるはずがない・・岩田氏は感染症専門家らしいのでこの実情を知らぬはずがないでしょう。
「二次感染が起きた」ことが、岩田氏の正当化論証のようですが、その後の経過・・長期経過で十分な対応時間があった・厳重な防護服、手袋着用等のマニュアル定着後の一般病院でもあちこちで二次感染が普通化していてこのため医療従事者の家族が差別を受けるのが社会問題になっているほどです。
世界どこも経験のない世界初・3700人ものクルーズ船対応について、何人かの2次感染者が出てもそれが大失敗の証拠にならないでしょう。
コロナ患者受け入れ施設では相応の体制が整っているから指定病院になっているのですが、それでも日本に限らず、医療従事者の感染リスクの高さが世界的問題になっています。
治療施設でもないクルーズ船(文字通り3密環境です)で3750人近くもの大量人員の検査を行うしかないとなれば、完璧でなくとも放置できない一定のリスク覚悟で行うしかないのが原則です。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/05/9-40.php

医療従事者の新型コロナウイルス感染は世界で9万人超=国際看護師協会
2020年5月7日(木)09時56分

以上感染のプロでない私が3月12日付岩田氏のインタビュウ記事を見たところ、クルーズ船内見学後帰路にツイッター発信、その後約2週間経過後なのでその間に起きた米国内グランドプリンセス号の処理があった後で、それと対比しての意見があるか?より具体化した再批判かな?として読んでみると、物足りないように見えます。
彼は米国感染症実務留学経験を持ってCDC基準を金科玉条にして?日本の実情批判しているかのようですが、実務というものは現場状況に応じた限られた設備と準備時間で最善を尽くすべきです。
彼が米国CDC基準に依拠した批判をしているとしても、この後で紹介するように日本の約1ヶ月後(3月4日避難命令〜5日サンフランシスコ沖停泊・入港不許可〜10日頃接岸)に発生した米国クルーズ船では、検査官が乗船して船内検査していました。
要は、現場状況に合わせて柔軟運用すべき基準であり、状況無視して画一基準を踏み外してれば批判し、それを外国人特派員協会で記者会見してしまう神経がおかしいと思います。
4〜5年前に受任した事件で大手企業で働いたことのある労働者が、地元の小企業に再就職していて、元の会社はではこうやっていたのに・・という不満ばかりというか自慢ばかり(書式その他大手そのままのやり方で小企業がやれるわけがないから小企業なのです)で同僚から浮き上がっているという話がありました。
岩田氏のインタビュウ記事は、米国クルーズ船がニュースになった後の3月12日付ですが、米国での実践を踏まえた意見らしいものが見当たりません。
米国の高度医療センターではこうやっていると言う基準をクルーズ船と言う閉鎖空間に3700人もいる極限状況下でしかも時間が迫っている環境・・・完璧でなくとも、先ずは対応するしかない局面でどうすべきかのリアルな場面に当てはめた現実的議論が必要です。
現場状況下での変則対応が適切か、臨機応変の対応が適切だったかの具体的議論が専門家の意見であるべきでしょう。
実務に直結する学問は、米国の最高設備基準に合わない点を批判していれば済むものではありません。

武漢発新型コロナ騒動とWHOの役割

1月24日頃に1100万人口を擁し、中国産業活動の要衝である武漢市の地下鉄やバス等の公共輸送移動停止、空港や高速道路等市内外の交通遮断が実力(軍が立ち並び、)で行われ、翌日には周辺地域人口、(東京で言えば首都圏全域)約4000万人あまりの地域に広げ、その直後には湖北省全域約6000万人(日本国土の約半分という報道が出ていました)規制が広がり、並行して北京や上海も公共輸送機関の全面停止等が始まり、日米韓等の自国民国外脱出用専用機が飛ぶ事態になりました。
こういう事態でもWHOは、まだ出入国を規制する?緊急事態宣言不要という態度をとっていましたが、ついに日本時間1月31日未明にやむなく?緊急事態宣言(規制を含むか私には内容不明)を出したようです。
日々ニュースを見ていても忘れますので、上記記載はうろ覚えの数字や発生月日が不正確ですので正確には、下記に時系列紹介が出ていますの御利用ください。https://honichi.com/news/2020/01/31/coronavirustimeseries/
新型コロナウイルスに関する情報を時系列でご紹介します。
日本から順次救援機が飛んでいますが、第3便帰国者の新型ウイルス感染者数は以下の通りです。
数日前から帰国時無症状者からコロナ菌検出されるようになっているので、実際の感染者数はこの後どんどん増える可能性はありそうです。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200131/k10012266861000.html

チャーター機第3便 日本人149人到着 25人入院
2020年1月31日 22時26分
日本の場合第三便149人帰国で25人入院ですので、この比率を武漢周辺人口にかければ5〜600万以上の患者が発生していてもおかしくないのに公式発表は、上記まとめによれば
1月30日 中国:感染者7,711名、死亡者170名。

にすぎません。
ちなみに底辺層ほど衛生環境が悪いので感染率が高いというのが定説のようですし、合弁企業幹部として出張者中心の日本人比率が現地人より少ないことがあっても多いとは常識的に考えられないところです。
ネット上では診察を求めて病院で列をなして(9時間待ちとか?)並んでいる途中でばったりと倒れても(病院なのに)1人2人運んでもその後救護がないまま放置されている地獄図動画が1週間ほど前から拡散されていましたが、これが実態ではないでしょうか?
こういう危急状態なのにWHOはまだ、渡航禁止するほどではないとして緊急事態宣言の必要を認めていませんでしたが、ついに日本時間1月31日に宣言を「出さざるを得なかった」ようです。
ただし注意警報であり渡航禁止ではないようです。
2月1日のネット報道では中国の村が自衛のために村の入口を封鎖して村民がよそ者が入らないように検問していると動画ニュースが出ている状態ですが、各国や中国国民自身の自衛対応が先行してからのWHO危険宣言では素人目にも異常です。
一般人が危機感を持っていないときにあらかじめ注意喚起したり警告するのがWHOの役目ではないのでしょうか?
逆にWHOが大丈夫とアナウンスし続けたのは、「大丈夫/カラ騒ぎに過ぎない」というお墨付き機能を果たしてしまった不思議さです。
中国で医師が大変なことになっているとグループチャットで議論していたことで拘束されたという報道がありましたが、政府対応が正しいという国際機関のお墨付きが必要だったのでしょうか?
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200130-00000085-mai-cn

中国当局、新型肺炎に警鐘鳴らした医師を「デマ」と摘発 国内から非難の声
1/30(木) 20:12配信
新型コロナウイルスによる肺炎への中国当局の対応が国内で再び激しい非難にさらされている。2019年末に湖北省武漢市で集団感染が発覚した直後、公安当局が「デマを流した」として市民8人を摘発したが、その後の報道などで全員が現地の医師だったことが判明。「デマ」とされた内容も医師同士がグループチャットで事態の深刻さに警鐘を鳴らすものだっただけに「感染拡大は人災」「政府は謝罪せよ」などの声が噴出している。

個人ネット拡散でなく毎日新聞でさえ?上記を報道するようになりました。
以上によると、漫画的ですが、専門家の意見なのにあたかも素人が風評被害を煽っているかのように「市民」を摘発とデマを流したのは拘束した中国当局の方らしいです。
中国当局の言論規制を見ると、WHOの遅すぎると思われる対応は、必死に深刻な事態を隠そうとしている中国による陰陽の圧力があっただろうと推測する人が増えているので、大手日経新聞でさえ2月1日社説で批判する事態になってきました。
WHOには圧力をかけながら中国自身が自国民の交通遮断をせざるを得なくなってる・・・その前から大変な事態になっているから田舎の村まで自衛のためによそ者が村に入るのを阻止する事態になっているのでしょう。
各国が自国飛行機を飛ばして自国民救出に動いたのちに、ようやく日本時間1月31日未明に緊急事態宣言を出しましたが、これはWHO出資比率が米国に次いで2位の中国への遠慮でないか?
WHO事務局長の出身国エチオピアに対する中国の経済援助が巨額になっている圧力によるのではないかの憶測?が広がっています。
2月1日の日経新聞朝刊3ページ・「後手に回った宣言」大見出しには「中国、人・資金で影響力」と出ています・・私は15年ほど前のSARSの時にも中国人事務局長の対応がおかしいなと思っていたのですが、今回は中国人でないのにおかしいなと思っていたら、この記事を読むと金を出すだけでなく、その後も事務局等への中国人材送り込みの影響が大きく事実上事務局支配になっている様子です。)
いざという時のために中国が金を出している以上は、当然の見返りを求めているという図式イメージです。

日本で身分制度があったのか?1

日本の場合、古代から固定した身分差別らしきものがなかった・能力次第の社会でした。
欧米の真似をして江戸時代には士農工商の身分差別があったと図式化して教えてきた・・フランス革命を金科玉条のように崇拝して日本は約百年後の4民平等化だったので、日本社会はその分遅れているというのが、私の習った戦後教育でした。
この数十年ほど江戸時代文物(文化の担い手は庶民であったこと=庶民レベルが高かった)の見直しが進んでいるのは、喜ばしいこととです。
徳川政権を倒した明治政府にとっては前時代を悪く言いたかった気持ちもわかりますが、江戸時代に限らず日本は古来から実力次第でした。
古くは地下人と蔑まれていた武士が実務能力に応じて荘園貴族を押しのけて支配層にのし上がれたし、中世以降武士層がトップに立ったとは言え、その他職業人との身分格差も能力次第で流動的でした。
そもそも平安貴族の源流である藤原氏自体が、古代大和朝廷では蘇我、物部や葛城その他諸豪族の列にさえ加われない中級官僚(祭祀官)でしかなかったのが、(私の見るところ、官僚的能力に秀でていた?)能力だけで頭角をあらしたものです。
氏族制度に関するウイキペデイアの説明です。

氏姓制度の基盤は、血縁集団としての同族にあったが、それが国家の政治制度として編成し直された。その成立時期は、5~6世紀をさかのぼらない。同族のなかの特定の者が、臣、 連、伴造、国造、百八十部(ももあまりやそのとも)、県主などの地位をあたえられ、それに応ずる氏姓を賜ったところに特色がある。各姓は以下のごとくである。
臣(おみ)
葛城氏、平群氏、巨勢氏、春日氏、蘇我氏のように、ヤマト(奈良盆地周辺)の地名を氏の名とし、かつては大王家と並ぶ立場にあり、ヤマト王権においても最高の地位を占めた豪族である。
大伴氏、物部氏、中臣氏、忌部氏、土師氏のように、ヤマト王権での職務を氏の名とし、大王家に従属する官人としての立場にあり、ヤマト王権の成立に重要な役割をはたした豪族である。
伴造(とものみやつこ)
連とも重なり合うが、おもにそのもとでヤマト王権の各部司を分掌した豪族である。弓削氏、矢集氏(やずめ)、服部氏、犬養氏(いぬかい)、舂米氏(つきしね)、倭文氏(しとり)などの氏や秦氏、東漢氏、西文氏(かわちのふみ)などの代表的な帰化人達に与えられた氏がある。連、造(みやつこ)、直(あたい)、公(きみ)などの姓を称した。

上記の通りヤマト王権成立時に、徳川政権でいえば関ヶ原で味方した外様大名クラス・いわば元同輩であった群雄がオミ(臣・・葛城や蘇我氏など)であり、大臣(おおオミ)とはその中の上位者という意味でしょうか?
もっと詳しく言いえば、むかしNHKドラマ、「天と地と」で見た程度の知識ですが、上杉謙信が越後国中の諸豪族をまとめていく過程を当てはめれば、全国的な王権成立の前に足元の大和盆地周辺を統合する過程で服属した諸豪族がオミであり、諸豪族の中でも勢力の大きい豪族を大おみといったのでしょう。
連(むらじ)は、徳川でいえば譜代の臣に当たるものであり、中臣氏もそのグループです。
中臣とは大和王権の内部の臣という意味に読めます。
徳川時代が続くと、外敵と戦う必要が薄れるので外様大名は石高(戦力)が大きくても、日々の政務に関する役職がないお客様になっていたように、ヤマト王権が続きヤマト王権が列島内の外敵と戦う必要が減少すると武力を持った諸豪族の協力必要性が減少するので宮廷官僚の地位が自ずと高まります。
(その後白村江の戦い以降、列島から朝鮮半島に海を渡っていき戦う国策がなくなりました)
徳川家内でも天下取りに貢献した彦根の井伊家のような大大名は飾りとして上位に置かれていただけで実務は10万石前後の中小大名が老中として仕切り、さらにはもっと小身の田沼意次のような側用人政治(実際にはその後数万石の大名に取り立てられて老中首座になりますが)になって行ったのと同じです。
実務官僚?中臣鎌足が大化の改新で頭角を現したのは、こういう流れ(豊臣政権での石田三成も同様でしたが秀吉がすぐに死亡したので明暗が分かれたというべきでしょう)で理解すべきでしょう。
藤原氏は、一旦獲得した政権中枢への距離を位階制度や身分制度によって権力を維持できたのではなく、ひっきりなしの権力危機に見舞われながら、その都度実務能力の高さによってうまくかわすのに成功したので長期政権を維持できたにすぎません。
藤原氏は天智天皇死亡後の壬申の乱では滅ぼされた近江朝廷(天智天皇の子供)に近かったので(上記石田三成と立場が似ています)政権との距離に関して一時危機に瀕しますが、持統朝(も権力機構維持に必要な組織運営能力に秀でた藤原一門登用が必須であったと思われます)以降巧みに権力扶植に成功します。
ところが、すぐに強力な政敵長屋の王が台頭したことにより最大の危機に見舞われますが、長屋の王をうまく陥れますが、直後藤原4兄弟が天然痘だったか?で相次いで没後には、すぐに藤原広嗣の乱(天平 12 (740) 年9月)で、朝敵になりその後も光明子以降権力確立後も恵美押勝の乱(天平宝字8年(764年)9月)やその他しょっ中危機がありながら(4家に分立していたことが安全弁になっていたようです)その都度補充する有能人材を輩出したことで危機をうまく乗り切ってきました。
上記の通り藤原氏は位階制度確立によって家柄だけで貴族社会内での長期政権を維持してきたものではありません。
ところが、官僚期構内の実務能力に秀で宮廷内権謀術数に通じていた強みが、別世界で実力を蓄えた武士層の勃興に対応するには処理能力の限界がきて、ついに保元〜平治の乱では主役が武士に移っていき、王朝政治自体が力を失っていくのと並行して藤原氏自身も天皇家同様の儀式要員に下がっていくのです。
以上、古代から平安時代末までを見ただけでも日本の場合、身分制度が地位を守った歴史がなく実力次第の社会でした。

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