地球温暖化の影響2(気温上昇)

最近の事例で言えば、新潟コシヒカリの味が落ちて戦前頃まではとても稲作適地ではないと思われていた寒冷地の北海道で(品種改良の結果と思っていましたが・・)温暖化北上の結果?米が作れるようになった上に、北海道産のコシヒカリが新潟コシヒカリよりうまくなった?と言われていますが、この程度の変化は悪いことではありません。
同質のものが北海道でもつくれるならば広大な北海道で取れる方が合理的です。
1℃や2℃くらい上がってもタイやベトナム等の東南アジアでコメやフルーツが取れなくなるとは思えませんが・・農産物生産地の北上が進んで仮にその分置き去りにされる地域があっても、戦後農業従事者の比率が減る一方・・50年〜100年後にはもっと減っているでしょうから、失業者が増えるとか人類全体で食糧難に直結するとは限りません。
銘柄価値が下がりコメの単価が下がる新潟で言えば得意のコシヒカリの値段が仮に1割下がるとすれば大変でしょうが、次の得意商品を育てる努力が必要なのは当然のことです。
どんな商売でも同じヒット商品が十年続く方が珍しい時代ですから(今年に入ってスマホブームも収束し、次の芽を企業は探っています)で適応努力成功を前提にしない気象学者の意見がおかしいのです。
まして新潟県全体で農業所得に頼る比率が今よりも下がっていれば(他産業従事者が増えていれば)そのマイナス効果が低くなりますし、仮に現地求人が少なければ就職等で県外に出るように適応していくのが普通で・農業生産減少よりも、地域内外の他産業の動向(景気動向)の方が重要です。
農業内で見ても新潟の気候変化に合わせて別のトロピカルフルーツなどの作物栽培が可能になったりする適応力次第でもあります。
南太平洋の島嶼では産業がないから心配と言えますが、日本でも離島には近代産業がない結果、(魚が取れなくなったからではなく)若者世代から順次本州等に移転していく・・過疎化が進んでいます。
気温1℃程度の気温差がどこの国に立地するかの企業判断に与える影響は微々たるものでしょう。
地球規模の気候変化は民族の枠組みを超えての移動だから大変という点もあるでしょうが、現在でも気温変化に関係なく国際的に出稼ぎと称する下層労働人口移動の激しい時代です。
気候変動を理由にするよりは、より良い職場を求めて世界規模での労働人口の移動がどんどん進む時代(南欧や中東方面からドイツ等への移動・国際移動自由化がどの程度進むかについての予測が必要です)がきているので、100年単位で温度がちょっと変わる程では元々の人口移動傾向に対する寄与度は微々たるものではないでしょうか?
学者は過去のデータが得意ですが、過去数千年〜数万年単位では、農漁業の比重が高くひいては気候変動の影響が大きかったのですが、今や産業の主力が農漁業から遠く離れている現実・移動手段も高度化し冷暖房完備してきたので、暑いか寒いかよりはIT産業に象徴されるように職場のあるところに移動する時代です。
人口問題は気候変化よりも(今でも寒冷地〜乾燥地帯、湿潤地帯などいろんな気候向けにコマツなどのメーカーも工夫しています)産業構造の変化見通しの方が重要です。
1℃上昇の影響が個別地域変化でなく世界全体の食糧生産がどうなるかコソに興味ありますが、その辺については何十度も上がれば別ですが、百年で1℃や2℃上がるくらいならば、全体として植物系が増えるメリットの方が大きいのではないでしょうか?
こういう多角多層的見通しについて、専門外の気象学者が専門的意見であるかのように温度上昇の「リスク」について発言し産業構造のあり方に口出しし、特定産業・再生エネルギー業を補助金を出して優遇し、特定産業・火力発電を抑圧するのに精出すのは・越権性が激しすぎませんか?という疑問です。
億単位や数千年単位で見れば、地球は寒冷期、温暖期の繰り返しが知られていますが、その原因はまだ不明(せいぜい憶測程度・隕石がぶつかってチリが地球を覆ったために氷河期が来たというような俗説が一般的ですが、専門家にはわかっているのかな?)ですし、その巨大な気候変動のリズムをちょっと化石燃料を燃やしたり減らす程度で変えられるのかの説明が全く(これも素人の私が知らないだけかも?)ありません。
「何かを食べている人にはこういう病気が多い」という程度であれば、そいう意見を言い、それに従う人がいてもいなくとも各人の勝手ですが、それを法で禁じたり摂取しなければならないと強制するようになると次元が別になります。
私のような疑問を持つ素人が多いからか?以下のとおり、過去のデータで温暖化と炭酸ガスの増加が連動しているとしても、温暖化したから炭酸ガスが増えたのかどちらが先かの検証が出来ていないという意見が出ています。
ある人がたまたま東京駅についたらお腹がすいたことが数回あったとしても、「東京駅ではなぜかお腹すく」という論理が成立しないのと同じで、どちらが「先だった」とわかってもその先の論理を解明しないとあまり意味のない論争をしている印象です。
というのはそもそも、明日紹介する論文?解説を読むと温暖化や冷却化の原因のほとんどは水蒸気の有無・量であって、炭酸ガスその他の指標は取るに足りない?ようです。
曇った夜は冷え込み(放射冷却)が少ないことを素人でも知っています・この論理で4〜50年ほど前には炭酸ガスが増えると曇りがちになる→直射日光がへって「地球が冷える」という危機感を煽っていたのです。
私は寒さに弱い体質なのでこの煽りには長年ビビっていましたので、もしも本当に温暖化すれば、「暖かくなっていいじゃないか!というのが本心ですが、今更180度真逆の「温暖化する」と言われると「?????」と不信感を持ってしまいます。
予言・・天気予報程度の予想や学問発表は自由ですが、この主張を直接の前提として法で特定産業を禁じたり、国民負担を強制するようになると学問の自由の範囲(原発訴訟の紹介でもこれに権威を認めすぎていることを批判して来ました)を超えてきます。
温暖化に関する予測では気象学者が専門家かもしれませんが、それでも数学のような確かさがなく、手探りでしない点は考古学的あるいは地震学〜火山学的予測同様に50歩100歩のイメージを持つ人方が多いのではないでしょうか?そもそも学問というものは、まだ分からないことが大多数でわかっていることの方が少ないという謙虚さが必要でしょう。
温度が年平均1℃上がれば(上がるとした場合の仮定・・太古から続く氷河期等の繰り返しとどう違うかも私には不明ですが)生態系がどうなるか?
人類移動の傾向はどうか?トータルどのくらい生産が増えるか減るかなどの総合予測に関しては、(気候変動で滅びる種がある代わり未知の種が増えるなど)植物学者や農学者や産業構造の変化・・人口移動などの総合判断です。
専門外の気象学者があらゆる分野の専門家であるかのような推測意見を学問として発表し、これを元に特定産業の抑圧を求める「政治に関与する」のは行き過ぎではないでしょうか。
原発訴訟に関する海渡氏の論文に対する感想の連載中ですが、そこでは、考古学者や地震学者の想像論でも単位発表している限り(そういう意見もあるのかと)害がないのですが、地震や火山学等を金科玉条にしてその学問で未解明=原発停止すべきというのは飛躍がありすぎるというスタンスで書いてきたとおりです。
いろんな学問は経済予測同様に「あてにならないのはあたり前」とした上で、いろんな意見は一応学問の発展に資するから育成しましょうという程度にすべきです。
いろんな意見があって面白いな!という程度、「その意見が気に入らなければそれまで」という気楽さ・・強制力がなく害がないから政治が口を出す必要もない・良い意見か悪い意見かは国民の受け入れ程度・・自由市場によって決まる・・学問の自由の基礎になっています。
子供が無茶言っても寛大に見ていられるのは、影響力が皆無だからです。

地球温暖化の影響1(水位上昇)

気温変化を見ておきましょう。
https://www.env.go.jp/earth/ondanka/stop2008/26-27.pdf

温暖化への疑問にお答えします!
・・・ここ100年程度の温度上昇は0.7度という大きさです・・・

2008年頃作成らしい今後のシュミレーションのグラフが続くのですがうまく取り込めませんので引用省略しますが、グラフによると(本当にそうなるかどうか分かりませんが)これによると2040年ころには、2000年比1℃ほど上がるようなグラフです。
グラフの見間違いがあるかも知れませんので正確性については上記引用先のグラフで確認して下さい。
https://www.env.go.jp/earth/ondanka/stop2008/08-09.pdfはいかにも大変なことになりそうな意見の文章ですが、具体的数字を見ると、以下の通りです。

世界平均海面水位は、21世紀末までに、環境の保全と経済の発展が地球規模で両立する社会(B1シナリオ)では0.18~0.38m、化石エネルギー源を重視しつつ高い経済成長を実現する社会(A1FIシナリオ)では0.26~0.59m、上昇すると予測されています

あちこちが水没すると(私の感想では大げさな扇動的に)言うのですが、最悪シナリオでも100年間で0.26~0.59mしか水位が上昇しないならば、素人的に考えてどうってことがないはずです。
例えば九十九里浜でいえば、波打ち際からマツ林のところまでは急勾配の砂浜が広がっていて、ざっと目にメートル単位の高低差があります。
砂浜がないところは(伊豆半島など)海辺まで岩山等が迫っているのが普通ですから、数十センチの水位上昇があってもその岬等にほとんど影響がないでしょう。
狭い入り江にへばりついた漁村が影響を受けるでしょうが、100年単位の間に小さな入り江から出漁する従事者が減って行く(もともと過疎化進行地域)ので影響を受ける人の比率は大幅に減るでしょう。
都会=多くは低地では数十センチでも大変かもしれませんが、その代わり土地評価(利用効率)が高いので、相応の堤防等のかさ上げコスト負担が可能です。
千葉市でいえば、京葉線千葉港駅から先の埋立地を20年ほどかけて俗称?「宅盤底上げ工事」を行っていて約2メートル(散歩がてら見ていただけで正確な数字は不明ですが)ほど嵩上げ工事をしていました・これが15〜20年ほど前に完成しています。ー
100年で30センチ前後の水位上昇でも津波等の場合の被害は大きい(素人にはわからないと言うのかな?)と言うことでしょうが、それにしても津波の時には、1〜2メートル程度の津波でも押し寄せる力で10数メートルの高さくらいまで遡上しますので、津波の高さが2倍違うと大変なエネルギー差ですが、元々の水位が数十センチ高いとどう言う意味があるか不明です。
100年も期間があればいわゆるゼロメートル地帯でも、道路舗装工事の都度、家やアパート等の建て替えの都度少し土盛りしたら済む程度のことです。
そもそそも江東区等のゼロメートル地帯が有名ですが、この100年間に甚大な水害被害があったでしょうか?
1℃の変化によって仮に少しの場所が水没しても、もともと身近なところでも千葉の関係する東京湾の水位は縄文海進と言われるように関宿の辺りまで海があったりその後干上がったりですし(「上野のお山」といっても当時は陸地部分という程度でしたし、不忍池は当時の海が閉じ込められたように見えます)日本海の水位も上がったり下がったりしていますし、この変動に合わせて人類や動物も植物も住環境を変えていくしかないし、そうしてきたことです。
房総から茨城方面では、見るからに元海底だったかと思えるような真っ平らな陸地が多くなっているのは寒冷化と言うよりは地盤隆起に(逆に北陸方面では地盤沈下の結果勧進帳で有名な安宅の関所跡を訪れると関所跡は海の見える崖の上に史跡としてあるのですが、タクシー運転手さんの説明では、これは後で作ったもので、「本当の関所はあの海のなかです」と教えられたことがあります・・数百メートル沖合の荒波になっているのに「桑田変じて滄海となる」とはこういうことか!と感慨を覚えたものですが)によるものでしょうが、こうした多様な変数の方が影響が大きいのです。
勧進帳の頃からまだ千年足らずですが、このような激しい変化に人々は黙って適応してきました。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/110/5/110_5_650/_pdf

地学雑誌JournalofGeography110(5)650-664 2001
房総半島九十九里浜平野の海浜堆積物から求めた過去6000年間の相対的海水準変動と地震隆起
増田富士雄*藤原治**酒井哲弥*荒谷忠
・・・海浜堆積物の年代は含まれる貝殻などの14C年代値から,分布高度は測量から決めることができる。
この相対的海水準変動を求める新しい方法は堆積物を利用するので,その標高が,すなわち過去の海面高度が正確に決まるという利点がある。ここではこの新しい方法を千葉県九十九里浜平野の真亀川流域で採取された海浜堆積物に適用して,過去6000年間の相対的海水準変動を高精度で復元した成果を示し,その結果から,この地域では1回に40~120cmも急激に隆起した出来事が少なくとも4回はあったことを述べる
・・・・・
2)地盤の隆起時期と隆起量
九十九里浜平野で認められた300年以内,おそらくはもっと短時間に相対的水準が40cmから1.2mも下るという現象は,変化の規模と速度から考えるとユースタシーの変動ではなく,また,堆積相が変わっていないことから考えると堆積物供給量の変動に由来するものではない。
それはテクトニックな地盤隆起が原因と考えられる。こうした考えの背景には,九十九里浜平野が,関東造盆地動の東側の隆起帯,あるいは下末吉期以降の地盤変動としての鹿島一房総隆起帯の一部に位置づけられる(貝塚,1974)ことがある。
・・・・・・・地点01/02問(現在~250年前)での約40cmの隆起は,歴史記録が残っている期間に発生している。この期問,南関東で知られている大きな地殻変動を伴った地震は,1703年の元禄(関東)地震と1923年の大正地震である。どちらの地震でも隆起は房総半島では南部に限られ,九十九里浜平野が隆起した証拠はないとされる(松田ほ
か,1974;宍倉・宮内,2000)。40cmの変動量は解析法からして有意なので,今後,ほかの地震による起の可能性をも含めて検討したい。
・・・・・・以下椿海(現在の干潟)の淡水化現象と隆起の関係を書いていますが省略します。

上記の通り氷河期(温度が下がって)で干上がったのではなく、私が景色を見ての直感通り地盤隆起が原因であることを示す専門家の論文があることがわかりましたが、根拠を示すために検索して初めて専門家の論文があるのを知っただけですが、こんな程度は地元の景色を見ていれば誰でも分かっていることでしょう。
素人の直感力をバカにしてはいけません。

表現の自由と外国の影響(中国シャープパワー)2

西欧の大手メデイアが堂々と中国による表現の自由への介入に危機感を募らせて書き、それを日経新聞が大紙面で転載するところまできています。
(日経新聞も内部的には徐々に中国マネーやハニトラに侵蝕されているのかもしれませんが、それでもこれを出せるほどまだ中韓系人脈が弱いのでしょう)
ちなみに英エコノミスト誌の概要は以下の通りです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%88

(The Economist)は、イギリスの週刊新聞で、ロンドンに所在するThe Economist Newspaper Limited から発行されている。新聞ではあるが、外見は雑誌の体裁をとっている。日本の読売新聞と提携している。
発行部数は約160万部(2009年)。その約半分を北米が占める。
主に国際政治と経済を中心に扱い、科学技術、書評、芸術も毎号取り上げる。政治・社会は地域ごとに記事を組んでおり、中国以外のアジア、中国、中東およびアフリカ、米国、米国以外のアメリカ大陸、英国以外のヨーロッパ、英国に分けている。
この雑誌は社会的地位の高い層をターゲットにしており、その中に官僚や大企業で経営に携わる人なども含まれる。発刊の歴史と、鋭い分析からなる記事が情勢に与える影響が大きく、世界でもっとも重要な政治経済紙の一つと見なされている。

その他の大手メデイアはこんな記事を載せる勇気がないどころか、「何処かの国のための報道でないのか?」という疑惑高まりに対して、「日本は報道の自由度が低い」と国際宣伝して反撃に出るほど骨の髄まで?侵蝕されてしまっているとみるべきでしょうか?
それとも日経新聞に先を越されただけでしょうか?
ただ、この転載に怒った中国筋が日経新聞内部工作を劇化させるでしょうから、この種報道を外紙の転載でお茶を濁すのではなく日経自身が日本国内の現実掘り下げ報道ができるのか?今後もいつまでできるか?です。
ところで日本メデイアである以上は、日本言論界に浸透している中韓人脈の影響力・これが日本の言論を歪めている現実があるのかどうかこそが重要ですから、これを直視した調査報道ができないのか?がバロメーターです。
中韓批判は闇世界相手ですから危険が大きいでしょうが、危険の大きい分野に挑戦してこそ勇気ある報道マン・学問の自由であり表現の自由の価値でしょうが、矢も鉄砲も飛んでこない安全な政府批判だけして、(不祥事があると居丈高に吊るし上げて)自分が偉くなったかのように英雄気取りになっているのはおかしなことです。
江戸時代には幕府関連は忠臣蔵を高師直塩谷判官の物語にしたり、鎌倉時代の物語に仕立変えていたような、「外国でこう言われている」とヒトごとのような報道しかできないことに驚きます。
欧州その他は中国にとって遠い国であるのに対し、直近に位置ししかも対立している対日ではもっと激しい標的になっていると想像するのが普通です。
日本人なら肌で感じるほどの日々の報道で変な方向に進んでいるはずの裏で蠢く中韓人脈がどうなっているのか?病根の有無・現実を抉り出すのが日本メデイアの本来の仕事です。
何もできないで、中韓の言いなりのイメージが強すぎて国民がメデイアを信用しなくなると、その反作用で国外・国連等で表現の自由が危機に瀕しているという運動をする人たちの中には、中国のトラップに引っかかっている偉い人たちのごまかしをそのまま信じている純真な人たち・・日本をより良くしたいという本音で頑張っている人もいるでしょう。
彼らが本音で日本を良くするために表現の自由拡大を必要と思い、自分の意見が正しい自信があるならば、国外で日本を批判し、国連勧告等(世界で自由度の順位を下げたと誇らしげに言うのではなく)に頼らず、国内できちっと自説論拠を説明すべきです。
「ダメなものはダメ!」とか、「窮乏を極めて」「軍靴の音がする」「戦争法案反対」「格差社会反対」など根拠ないスローガンだけ言いっ放しでなく、根拠とその効果(反対の場合どうやって国を守るのか)をきちっと説明すべきです。
革新系政党や文化人の従来の主張をそのまま実現した場合、日本にとって不利な結果になるような主張ばかり・「たまたま間違うなら分かるがいつもそう言う結果ばかりとは何なの?」という評価を生み国民の信頼を失ってしまったのです。
何かと言うと、「国民大多数の声を無視して・・」という決まり文句ですが、選挙の結果や世論調査の結果によれば実態無視ですし、そんな根拠のない主張よりは、自分の主張の方がどのように優れているかの説明すべきです。
市民・個人として表現の自由の価値をどうやって測るかといえば、所属社会との関係でいえば、敵対国・敵対競争企業から金をもらったり便宜を図ってもらっていないかの問題は、重要・表現の信頼性に関わるでしょう。
役員でも弁護士でも裁判官でも、利害関係のある人が決定から除外されるのは当然のルールです。
相手企業からお金をもらっている人が、その企業との競争でどうすれば勝てるかの意見を言っても信用できないでしょう。
ところが政党/政治団体の場合外国からの寄付受領禁止の政治資金規正法の縛りがありますが、個人や学者メデイア関係者がどこの組織に属していようと、どこから金をもらっていようとどこの異性と付き合おうとも何らの規制がありません。
自制心に委ねてきたのです。
個人(学者も含めて)は資金・給与を誰からもらってもいいし、マスメデイア・報道機関も法規制上の制限がありません。
それは意見が違ってもお互い国のために良かれと思う意見は、「思想の自由市場」で競争させればいいという市場原理を信じてきたからです。
自由主義経済といってもやりたい放題ではなく証券取引法や独禁法があるように、思想の自由市場も暗黙の合意だけではこれを堂々と破る国が出てくると明文のルールが必要な時代が来ています。
弁護士も相手方と関係がある場合の受任に関する規律があります。
日本の国の産業政策がどうあるべきか、国防に限らず、政治テーマには外国と直接間接の利害対立関係が外国からの資金受け入れを禁止されているのです。
言論の自由も政治や経済、教育文化政策が「カクあるべし」という意見は、長期的には外国との競争力を維持発展させるべきかの意見が中心ですから、その種の意見を公表するには中韓等の明白な敵対競争国との関係をはっきりさせてから意見をいうべきでしょう。
今はまだメデイアや評論家がどこの国の広告を載せて大金をもらっていようとも・・責任者や中堅が、どこ国の人と親しくしていようと問題にされていません。
これを良いことにして中国がいいように浸透工作してメデイアや学会・評論家等を支配している現実がいわゆるシャープパワーです。
これまでこの種の意見は「品のない言論」として、ネット空間だけの議論でしたが(私も遠慮がちに間接表現しか書けませんでした)、今や欧州の大手メデイアがメデイア自身の信用維持・・自己防衛のために意見表明せざるをないほどの差し迫った脅威になって来たことが、エコノミスト誌の記事から推測されます。
規制がないとはいえ、表現の自由の重要性は、「自由な発言が社会を良くするのに資する」というのが核心的利益であって、(言いたいことを言えることは個人の幸福追求権の最たるものでしょうが・・)「自国の権利を害して他国の利益を図るために憲法で保護されている」のではありません。

表現の自由と外国の影響(中国シャープパワー)1

メデイアは批判を受けるようになると開き直って、日本には言論の自由がないという海外宣伝に努めて日本での表現の自由度はアジアでも低レベルに評価されるようになっています。
政府批判すると中国に拉致されてしまう香港、あるいは慰安婦問題の真実発表下歴史学者?が名誉毀損で有罪判決を受ける韓国よりも自由度が低いというのですから、驚きです。
中国に取り込まれて自由な発信ができなくなっている点では日本の状況がかなり悪いかもしれませんが、中国筋によるフェイクニュースが自由自在の日本は、それ自体で自由度の高い国だと思いますが・・。
中国がもっと日本で「自由に発信させろ」と言う意味かもしれませんが・・・。
イメージ的には、フェイク批判を恐れるメデイアが自己防衛のために世界で「日本では表現の自由がない」と悪評をばらまいているというべきではないでしょうか?
NGOその他の形式で日本外部でマイナス評価を植え付ける国外宣伝が流行っています・不良行為で親に叱られると外で親の悪口をいう不良みたいな印象ですが、数年前にヒューマンライトナウのネット報道を紹介しましたが、児童売買春の一方的な・・そういう意見の人からだけ事情聴取して報告書を作り上げる国連調査官の記者会見で大騒ぎになったこともあります。
民主党政権から自民党政権になった頃から、従来型の中韓寄りの言論の支持がなくなった・・国内孤立状態を「表現の自由がない国」という開き直り宣伝になってきたのかな?・目立ち始めました。
反日暴動や慰安婦攻勢その他中韓の出方があまりに露骨になったので、国民の目が覚めて民主党から自民党政権への変更が起きたし、それまでの中韓支持のメデイアの肩身が狭くなったのであって、自民党になったから中韓系有利な言論が支持されなくなったのではありません。(中国と違い日本では国民支持で政権が成立してます)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/02/post-7031.php

2017年2月22日(水)12時09分
日本が低迷する「報道の自由度ランキング」への違和感
<61位(2015年度)、72位(2016年度)と、日本は世界報道自由ランキングの順位を年々下げている。果たして安倍政権のメディアに対する姿勢に原因があるのか、それとも内閣支持率で空気を読むメディアの自己規制に問題があるのか――
・・・・二〇一六年度版で日本の「報道の自由度」は一八〇国中、七二位に下落した。図1に示されているように、二〇一〇年の一一位「良い状況」から年々順位を下げて「問題がある状況」となっている。
二〇一六年五月四日付『朝日新聞』の「天声人語」も、このランキングで中国政府が言論弾圧を行っている香港(六九位)よりも日本の方が低いことに「驚いた」といい、「西欧中心の見方ではないかと思う」と疑念を呈している。
「報道の自由度ランキング」は当該国の専門家へのアンケートによる質的調査と「ジャーナリストに対する暴力の威嚇・行使」のデータを組み合わせて作成される。「専門家」とは報道関係者、弁護士、研究者などであり、彼らが前年比で報道の自由を実感できたか否かが大きなポイントとなる。なるほど、安倍政権のメディア対応は専門家の心証を害するものであろう。

上記を見ると民主党政権の時には、世界11位でスカラ予想外に低いとしてもまあまなところですが、2011年以降日本に生きる日本人にはそんなに変わったように見えないのに、自民党政権になると60何位にいきなり下がるのですから不思議です。
社会の成熟度・・民主的生活習慣が突然の軍事政権化のようなことがない限りそんなに簡単に変わるものではありません。
それが自民党政権になった途端に簡単に自由度が変わるものでしょうか?
偏った報道をしていたメデイアが国民批判にさらされて息苦しくなったので、外で自国の悪口を言いふらしていると言う印象を受けますが?
メデイアと連携して日本を誤った?方向へ誘導しようとする試みがうまくいかない・・国民に相手にされていない危機感が昨日まで紹介してきた立憲主義の主張・・「多数意見が全てでない」という深層意識に訴える通奏底音的主張の必要性が増してきたのでしょうか。
表現の自由を危機感を持って声高に主張するようになった背景事情として、中国による先進国でのメデイア、言論機関や学者研究者等の抱き込み工作が露骨すぎてこれに対する危機感が世界的に盛り上がってきていることを知っておく必要があります。
最近相次ぐ国連/ユネスコでの変な動き・・ありもしない南京大虐殺を事実調査なしで中国の意向通りに簡単に決議してしまうなど・・中国の勝ちすぎが、却って世界的な「健全な表現の自由」危機感盛り上がりになってきました。
12月20日日経朝刊には、英エコノミスト誌の転載形式(これがミソで、欧米主流の危機意識になっていることが分かります)で、「中国の『シャープパワー」に対抗せよ」の大きな見出しで中国による他国の情報操作の脅威を書いています。
世界は今、ここまで危機意識が進んでいるのです。
日本の平和論者が戦争反対=非武装平和と言い張っていても、どうなるものでもない・・中国が日本侵略意図を隠さない現実と同様に人権も個人の勝手と言い張っていれば済む時代ではない他国のシャープパワーから守る必要があることがわかるでしょう。
一部抜粋して引用します。

中国に手口に最初に警告を発したのは、オーストラリアだった。
同国政府は5日、中国がオーストラリアの政界や大学、出版界に介入してるという疑惑から、国内政治家に影響を及ぼそうとする外国の『前例のない高度な』取り組みに対処すべく新法案を提出した。
12日には上院議員が中国から資金を受け取り、同国の肩を持つような発言をしたという疑惑から辞職した。
・・・英国やニュージーランドも同様の警鐘を鳴らし始めている。
10日にはドイツが中国が金を使ってドイツの官僚や政治家を取り込もうとしていると非難した。
・・・ワシントンのシンクタンクは文化や価値観の魅力によるソフトパワーに対して中国の一連の動きをシャープパワーと命名した。・・・独裁国家が自国の方針を飲ませようと強引な手段に出たり海外の世論操作したりするためのものだ。
・・・・中国のシャープパワーは取り入ったのちに抵抗できなくさせる工作活動、嫌がらせ、圧力の3要素を連動させることで、対象者が自分の行動を自制するように追い込んでいく、究極の狙いはターゲットとする人物が最後は、資金や情報へのアクセス権、影響力を失うことを恐れて中国側が頼まずとも自分たちへへつらうように転向させていくことだ。
オーストラリヤニュージーランドでは中国マネーが政治に影響を及ぼしているという疑惑が生じている・・前述のドイツのケースでは政治家や政府高官に人材スカウトやシンクタンクの研究員のふりをして近づき彼らに無料の旅行などを提供し・・・・。
欧米の開かれた民主主義諸国が中国のシャープパワーを無視することは西側にとって危険を意味する。
具体的な措置・・中国に負けない防諜活動の展開と法の整備・・中国に影響されない独立したメデイアの整備・・・介入阻止に最善策になる。」

中国は先進国の言論の自由を悪用して、金その他(いわゆるハニトラは言うに及ばず)の抱き込みによって、先進国のメデイア、学者/研究者政治家評論家、発言力のある人間を片っ端から抱え込んで中国に有利な結果になる主張を言わせて、(抵抗するとこれまでの協力をバラすなどの脅迫を受けて人生の破滅が待っている)これが批判の対象になると「言論の自由を抑圧するな」という開き直りをさせていことが、ネット上ではだいぶ前から出ていましたが、大手新聞が転載形式とはいえ、堂々と記載したのは私の知る限り初めてでしょう。
取り込まれたら最後、文字通り自由な発言が許されなくなる・精神の奴隷状態に追い込まれる脅威です。
数年前に自衛官の自殺事件が起きています。

稼働停止/廃炉の影響1(反対運動の論理)

蓮舫氏の国会質問〜フェイクニュースなどが挟まりましたが、原子力発電稼働停止や廃止と地域経済の影響に戻ります。
http://blogos.com/article/93288
記事
宇佐美典也
2014年08月27日 20:35
原発が止まった原発の街「柏崎」の現状
先日とある人のご案内で久しぶりに柏崎に行ってきました。柏崎刈羽原発を見学に行った後に諸々観光地ご案内して、帰ってきたのですが、彼の地の厳しい現状を改めて感じました。
まずは柏崎市の現状についてなのですが、近年なかなか厳しい状況が続いておりまして、1995年の10.1万人をピークに人口は減り続けており2014年7月現在では87928人となっております。タダでさえ苦境が会ったところに柏崎刈羽原発の稼働停止も重なり、人口減少のペースがやや加速しています。では柏崎の産業が原発に依存しているかというと決してそうでは無く、ブルボン(菓子)やリケン(自動車部品)といった全国ブランドの会社が今でも柏崎で活躍しています。原発は稼働してしまうと基本的にはスタンドアローンで稼働し続けるので、直接の恩恵を受けているのは実際に雇用されている職員や、地元の建設・メンテナンスメーカーなど一部に限られています。
柏崎における原発の恩恵の多くは間接的なもので <①原発立地 ➡②立地対策交付金、使用済核燃料税、固定資産税、法人市民税などの税収増 ➡③市民に還元>という具合になっています。
では柏崎の税収のいかほどが原発がらみなのかということで同市の平成26年度の予算を見てみますと、歳入の484億円のうち、原発関連交付金が26.0億円、使用済核燃料税が5.7億円、その他市の固定資産税90億円の内の2/3程度(50億〜60億円程度)は東電からのもの思われ、総計で毎年合計で80億円〜90億円程度と思われます。
そう考えると市税156億円の内の約半分、歳入484億円のうちの約15%弱が原発からの収入ということになります。こうみると「原発無しでも柏崎はやっていける」というのは市の財務面では無茶な主張ではありますが、市民の生活面では十分可能な話なのかもしれません。
実際一般の柏崎の市民の方が「原発再稼働に必死」と感じたことはありません。
なお固定資産税は「原発がいつか稼働する見込み」である限りは、赤字でも当面は入ってくるので柏崎刈羽原発の地震・津波対策が進んだ結果固定資産税は皮肉にも近年は増収しています。本来ならこれにプラスα(5億円〜10億円)の法人市民税が入ることになるわけですが、累損が膨らんだ東電からは当面法人税は期待できないため、短期的には柏崎市に取って原発が稼働しようがしまいが税収は変わらないということになりますが、やはり長期的には稼働してもらわないと100億円近い税収減に見舞われることになります。」
上記記事は当面の税収だけを問題にしていて、労働者がいなくなることによる市内業者の売上減や住民税その他の税収減を書いていません。
原発関連労働者がどれだけいるかですが、原発の場合それがある限り稼働してもしなくともそれほどの差がないようにも見えます。
再稼働に反対しているだけならば、固定資産税等は無くならない上に、維持管理用の労働力投入がなくなりません。
原発の運転自体がほぼ自動操業で多くは計器類の監視業務中心・・稼働停止中も維持管理労力は必要ですから労働者の激減もありません。
一般的製造業の場合仮に全自動化していても製造中には原材料の搬入・製品・廃棄物搬出等の動きがありますが、原発の場合ウランの搬入搬出がしょっちゅう必要がない上に製品は送電線によるので、一般製造業のように生産休止か否かによる活動量の差異は殆どありません。
結果的に一旦稼働してまった原発工場の場合、工場がある限り操業してもしていなくとも地元に落ちる金がほぼ同じ=企業にとって稼働してもしなくともランニングコストがあまり変わらないとなれば、稼働停止だけ続けば地元経済にはほとんどマイナス効果がない・・蛇の生殺しのようで電力業界が維持管理コストとばかりかかって疲弊する一方です。
「稼働に同意してほしいならばもっと好条件を出せ」というヤクザみたいな政治手法が可能になっています。
被害救済と言えば聞こえがいいですが、一種の被害者ビジネス・・ゴネ得(いう表現自体も頭から否定的な表現という批判があるかと思いますが)に徹するとその帳尻は電力料金に反映します。
結果的に電力会社が全部倒産しても良いと言えない結果、回り回って国民全部の負担になります。
廃止に決まっても完全廃止までに数十年かかり、その間に廃止に向けた新規労働力投入が増えて逆に活気が出る(福島原発では事故前よりも多くの労働量が投入されている)ので10〜20年は「地域経済・税収には関係がない」しかも反原発運動をしている方が自治体懐柔のため、あのてこの手の好条件提案を期待でき、政府投資を獲得しやすいという戦略でエゴを煽るポピュリズムが地域政治の世界を制しているのでしょう。
「釣った魚に餌をやらないのはあたり前」という論理で中国が進出企業いじめするのと同じ手法です。
一般製造業の場合には、あまりひどい要求をされれば投資資金を無駄にしても撤退する道がありますが、原発の場合今の技術では「稼働反対ならばすぐに撤退します」と言えない・相手の足元を見た卑劣なやり方です。
廃止を決めたら数年で解体撤去出来て跡形もなくなるような技術革新が進めば、先行投資を捨てる覚悟さえ出来ればいいので、原発立地自治体の無茶な主張はその限度内で治ります。
中国による先進国からの進出企業への(知財解放せよ技術移転せよ等の)一見無茶な要求は、世界企業に撤退決意させない限度内で行われていることになります。
16年の新潟知事選は以下の通りです。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/110879/101700460/
2016年10月18日(火)
任期満了に伴う新潟県知事選は10月16日投開票され、無所属で新人の米山隆一氏(共産、自由、社民推薦)が前長岡市長の森民夫氏(自民、公明推薦)らを破り、初当選を果たした。
 東京電力柏崎刈羽原子力発電所の再稼働が主要争点になったうえ、選挙戦の途中から実質的に与野党対決の構図となっていた。」
新潟県民にとってはすぐに撤退されると困るが、稼働停止だけならば地域経済に与える影響が運転中と殆ど変わらないから加津反対を主張する政治家に票が集まる構図です。
電力会社側から見れば稼働停止が続けば、停止中のコストが稼働中とほとんど変わらないで収入だけゼロですから、現地自治体の(「あれをやれこれをやれ」受入れないと同意しないという)無理難題でも受け容れるしかなくなります。
この結果現地では、現地要望を受け容れるための各種大規模補強工事が花盛り・・結果的に特需景気に沸いていることになります。
沖縄県民が基地反対の大義?によって反対運動が過激化する一方になってきたのは、
「いくら過激な主張をしてもアメリカ軍が撤退出来る訳がない」という思惑で反対運動をしてきた結果→冷戦終結に伴い米軍がフィリピンから完全撤退し、日本でも沖縄基地縮小→グアムへの集約化の方向が出てきたので一時大人しくなっていた印象でした。
2010年頃からこれを引き止めるために?北朝鮮が活発化し、中国による沖縄諸島全体への侵略意図を前提にした尖閣諸島に対する攻勢をかけ始めたことによって、今度は日本政府(日本人全体)が沖縄基地縮小どころではない状態・逆に防衛力強化必須化に追い込まれたことによって、俄然反対運動が勢いを持ってきた印象です。

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