平和論と憲法1

中韓の歴史認識を擁護する論者の多くが、護憲勢力・非武装平和論者とダブっていますので、アメリカ占領下で作られた異民族支配体制の恒久化・・日本独立を認めたくない勢力ではないでしょうか?
被占領下で異民族に隷属していた日本民族の姿が一番良かったと言う立場・・アメリカが出て行ってしまったならば、今度は中国または韓国どこでも良いが、どこかの被占領下・被支配下にあるのが望ましいとする勢力でしょうか。
アメリカが占領の置き土産にした歴史認識・・他国の言うとおり、歴史を教えろと言う立場・・自国民族を貶めて異民族に隷属する方が正しいと考える言論人やマスコミを置き土産に養成して行ったので、その遺産・アメリカの露骨な外圧のみならず内圧にも日本民族は苦しむしかありません。
日本が少しでも中韓独自の歴史認識に反論しようとすると、中韓両政府の「戦後体制に対する挑戦だ」と言う主張は、まさに左翼・文化人・マスコミの主張と同根ですし、そう主張すればアメリカが背後で後押ししてくれると言う期待があるからでしょう。
自国の独立・主権を否定し、アメリカの支配力が衰えればその代わりに中韓の主張に唯々諾々と従うべきだ・・そうしないと世界で孤立すると脅すのが、マスコミや文化人です。
中東で言えば英仏の勢力が衰退すれば、この機会に独立するよりは、今度はアメリカに従うべきと主張をしているような勢力です。
日本主権否定論が外国勢力だけではなく、同一民族内で強固な勢力を築いているのが日本の不幸ですし、世界各地での欧米の植民地支配の遺産が、旧植民地諸国だけはなく日本でも根強く根を張っていることが分ります。
中東でのテロ組織「イスラム国」による国境線変更の動きに対して、これを作った欧米が残虐なテロ組織だと非難するのは分りますが、民族宗派を分断し内部対立するように仕組んだ現在の国境線に苦しんでいる筈のアラブ諸国政府自体が、こぞってイスラム国に猛反発しているのは、我が国左翼文化人が護憲勢力・アメリカの作った戦後秩序維持派になっているのと根っこは同じです。
アメリカとしては、自分の強制した憲法が日本民族の利益にあわない(アメリカは日本の利益にならないように憲法を作ったのですからそう言う意見になるのは至極当然の成り行きです)と言う理由で改正されるのを、一日でも先に伸ばした方が良いので、護憲派がアメリカを後ろ盾にしている面では(日本が自衛力を持たない方が有利な)中韓の主張と同様です。
日本民族にとって何をすることが必要かを虚心に議論し、その上で、もしも現行憲法条文が時代に合わず国民にとって不都合と分れば、憲法を改廃出来ること自体が憲法に明記されていることを9月15日に紹介しました。
9月18日「非武装平和論とその帰結2」以来横にそれていましたが、平和論に戻ります。
憲法違反かどうかではなく、現実にどうしたら良いかの議論こそが先決的に重要ですから憲法に書いてあると言って、どうすべきかの議論自体を封殺するのは邪道です。
我々は学校で現実に存在しない教科書問題を解いているのではなく、現実に起きている社会現象をどうすれば良いかの議論が必要です。
尖閣諸島侵略の危機に直面している今の日本にとって大切なことは、先ずはどうしたら日本民族の尊厳・領土主権を維持出来るかが重要であって、その議論の結果なすべきことが決まった場合、その対策をとるのが現行憲法上許されないならば、憲法を変えるかどうかの議論が必要です。
議論の前に「祖国防衛は憲法上許されないから議論の必要がない」と言う意見は学校教材的な空理空論と言うべきです。
教養人と言うのは学校秀才が多いと以前から書いてきましたが、非武装論や集団自衛権アレルギー論はその実例と言えるかも知れません。
ちなみに、もしも憲法が実態にあっていないとなったときには、解釈改憲によって対応をするのは狡いと言う主張があります。
集団自衛権に関する政府見解・閣議決定の変更に対する反対論もこの一種です。

非武装平和論とその帰結2

中韓両国は、日本を敗戦直後の武装解除状態=何をされても文句言えない奴隷状態に永久的におくこと・・真の独立を許さないことを目的にしている米国の占領思想を引き継ぎたい意欲を元々隠してはいません。
韓国は元々大統領自身が「千年の恨み」と公言しているように、日本への報復意欲を隠していません。
中国がまさに尖閣諸島を手始めに、沖縄諸島全部の武力占領への意欲を剥き出しにしているのが昨今の情勢です。
非武装論者は武装すること自体憲法違反だからと言う理由で、どうやって外国の侵略を防ぐかの議論さえさせたくないようですが、このまま思考停止していれば、中韓に好きなように占領されてしまうのを呆然とみているしかなくなります。
中国軍が南西諸島でことを起こせば、そのスキに韓国は壱岐・対馬から九州への侵攻を始めることは必定・・既定路線になっている様子です。
(韓国大統領の頻繁な中国首脳会談をみると)中韓同時侵攻の密約ないし阿吽の呼吸が出来ているとした場合→言わば元寇(朝鮮人・高麗軍と南宋軍の連合でした)の再襲来リスクが迫っている状態ですから、日本は備えを怠る訳に行きません。
大分前から、北の現実的脅威が薄れて来たことによって、韓国軍装備が陸戦よりは海戦(対日侵攻用)中心に代わって来ています。
米軍の韓国軍指揮命令権を韓国軍への返還要求が具体化して来ていましたが、日本侵略に突っ走るには米軍の指揮権があったのでは、都合が悪いので、邪魔をなくしておく遠大な構想だったのかも知れません。
無抵抗平和主義で中韓軍の蹂躙に委ね、西洋歴史の独露によるポーランド分割のように、中韓両国に分割占領されるとどうなるでしょうか?
モンゴル(高麗軍)襲来では対馬等の占領地では一人残らず手のひらに穴を開けられ繋がれて、奴隷として連れ去れたと言われています。
壱岐・対馬からの攻撃軍の主力は高麗軍・朝鮮人でしたが、今の韓国人の方が千年の恨みを教え込まれている分怖い感じです。
アメリカ占領下でも日本人の多くが占領下で米兵や韓国人にレイプされても検挙出来なかったし、統計さえ作れないでヤミに葬られていました。
アメリカの戦後の虚偽宣伝に合わない日本の資料はみんな焼却を命じられていたこと明らかになりつつあります。
中国の占領地では、モンゴルの場合、文字が読めるかどうかの基準で文字の読める人は皆殺しになったことをモンゴルから日本へ帰化した人が自分の親世代を事例にして書いたり講演したりしています。
この海外応用編が、カンボジアでのポルポト派の前代未聞の大虐殺です。
カンボジアの大虐殺の場合、国際注視の状況下で行なわれたために海外で知られていますが、これは中国共産党の指導下であの温和なカンボジア国民がイキナリ大虐殺に走ったのです。
ポルポト派による大虐殺の責任を問う法廷が開かれていますが、本当の責任者はこれを強制した中国共産党幹部です。
ウイグルやチベットの悲惨な状態は言うまでもないことですが、日本が中国の支配下に入ったらアメリカの占領時代よりももっと悲惨な状況が待っていることは明らかです。
日本が占領されれば、元々日本人に対する報復意欲満々の中韓両国ですから、何の恨みもなかった今のチベット族やウイグル族以上の弾圧を受けてしまう・・彼らに過酷な奴隷支配されてしまうことが明らかです。
中韓両国は日本を占領した場合、日本人に対する残虐支配正当性を世界中にアッピールするために、1昨年から頻りに日本に酷い目にあったとアッピールしてきました。
民主党政権成立によって日本侵略が現実日程に登り始めたことから、平行して侵略した場合の日本民族隷属化の下準備行為・世界世論工作を怠りなく始めていることになります。
本当に想像するだけでも恐ろしい思想を持っている国々です。

非武装平和論とその帰結1

仮にアメリカが非武装にした方が戦争を防げると考えて日本の非武装化を強制したならば、アメリカ自身が軍備放棄して範を示せば良いことです。
誠意を示せばソ連が攻めて来ないと言う意見が正しいならば、冷戦当時に逸早くアメリカが武装放棄していれば良かったことになりますし、ソ連崩壊後も今なお何故大量の兵器保有しているかかが疑問となります。
アメリカの平和論は、核兵器保有・・報復能力による相互抑止論であることは明らかですから、この論理の行き着くところ、北朝鮮やインドやイランの核武装を否定する事は出来ませんし、日本だけが非武装で平和を守れると言うならば論理矛盾となります。
世界世論は非武装化が平和を守る方法ではなく、むしろ簡単に侵略されない程度の武力保持こそが、戦争抑止力となって安全を守れると言う意見が支配的です。
アメリカの9・11以降のテロ組織に対する断固たる報復論も、報復的武力行使の威嚇こそが平和を維持出来ると言う意思表示そのものです。
世界世論もオバマの柔弱な態度が中ロの軍事力行使を誘発し、テロの続発を招いていると言う意見が多くその批判に耐え切れずに今回のイスラム国空爆決定に踏み切ったことになります。
以上は単なる意見に留まらず、紛争相手国を抱えながら非武装を実行している現実の国が日本以外には一国もないのが現実・・争いのない厳然たる事実です。
非武装平和論を実行している国は世界のどこにあるでしょうか?
フィリッピン等海上警備が手薄だった国で紛争が現実化すると、巡視艇などの充実強化に進むのが普通であって、危険になって来たから、非武装化しようと言う国は世界中どこにもありません。
世界中どこにも非武装化を実行している国がないのにこれが正しいと言うのは無理があるでしょう。
科学実験ならば、多数の意見と違っても自分独自の意見で実験するのは勝手ですが、平和論は敵のある前提で論じてるのですから、独りよがりで実験していると滅ぼされてしまいます。
化学実験とは違い現実政治論である以上は現実に世界のどこが実際にやっているかこそが重要です。
非武装論者は「日本は戦後70年も平和を謳歌して来たじゃないか」と言うかも知れません。
しかし、これはアメリカの強大な軍事力の庇護があってこそ成り立っていたものであって、アメリカによる防衛なしで完全非武装化で成立していたものではありません。
実際にアメリカさえ黙認すれば、韓国による李承晩ラインの設定=日本漁民の大量拿捕や竹島占領が実際に起きていたのにこれを阻止出来なかったし、未だに平和解決出来ていません。
日本の平和維持はアメリカの出方次第であったことが上記のとおり明らかですし、今国防強化の是非が焦眉の急になって来たのは、中韓による日本侵略意図が明白になって、アメリカ軍の弱体化〜核の傘による平和維持効果が疑われるようになって来たことによるのですから、過去70年間平和を維持出来て来たことを延長した議論は意味がありません。
1週間続いていた晴天が終わり、曇り始めてぽつぽつと雨が降り始めたのに、「今までいい天気だったから、傘を持って出掛けなくて良い」と言うような意見になります。
ここで非武装平和論の予定する結果に戻ります。
いつも書きますが、政治的発言や運動は実現すべき現世利益と深く結びついていることが明らかです。
非武装論の招来する現実的結果は何でしょうか?
戸締まり不要論・・中韓が無法な侵略を始めても抵抗してはいけないことの結果はどうなるでしょうか?
諸国民の公正と信義を信頼して・・と憲法前文には書いていますが、どこに信頼出来る公正な国があるのでしょうか?
慰安婦問題や南京虐殺などありもしないことと分っていても、言えば得だとなれば噓八百をドンドン国費をかけて世界中で宣伝して来る国だらけです。
こう言う噓八百を宣伝する国々が、日本が本当に無施錠・・戸締まりしないで放置していれば泥棒に来ない国でしょうか?

憲法改正の時間軸

多くの国では国家の基礎軸を変えるような憲法改正は、革命的騒乱状態の結果新憲法が制定されています。
フランスでは憲法の大幅な改正の都度第4〜5共和制などと、新国名が出来ていますし、タイでもクーデターの後に新憲法制定ですし、エジプトなども新憲法制定は大騒乱の後です。
騒乱まではないとしても、憲法は重みが違いますので普通の法律改正のように毎年のように簡単に改正が決まるような性質のものではありません。
目の前の緊急事態への対応を問われているときに、5〜10年以上かかる「憲法改正してから考えましょう」と言うのでは、「現実対応するな」と言うのと同じです。
まして非武装平和論者の多くが護憲論者でもあり、憲法改正に必要な手続き法の整備に着手することさえ強硬な反対論者であることが普通ですから、なおさら不可能です。
集団自衛権必要説に表向き賛意を示しながら「憲法改正が先だ」閣議決定変更反対・・(前自民幹事長石破氏のような)意見は、結果的に何も出来ない、何もしないで相手のナスがママに傍観しているのが正しいと言う結果を求めていることになります。
結局本音では「中国の好きにやらせておけば良い」と言う意見を持っていることになります。
政治家は学者ではないので、その言うことのもたらす結果に責任を持つべきですから、石破氏は憲法改正まで何もしない方が良いと言うのは、集団自衛権反対論者と同じ結果を求めていることになります。
彼が集団自衛権の具体化をになう新設の安保法制閣僚就任を辞退したのは、正解と言うか、もしも受諾していれば実質反対論者が政策遂行責任者になって矛盾するところでした。
イラクやアフガンへの派兵について考えれば分りますが、「派兵協力するのに賛成だが先に憲法改正が必要」と言えば、実際にはその間に派兵の必要な時期が終わってしまうことは誰の目にも明らかでした。
だから、憲法改正が先だと言うと間に合わないのが分っているので「日本は非協力だ」とアメリカが怒ってしまうので、憲法改正しないでイラク特別措置法が成立したのです。
現に直ぐに解決しなければならないことが起きているときに、本気で効果的な行動をしようとすれば、憲法改正論では間に合わないことは誰でも分っていることです。
今回の尖閣諸島有事に際して、「憲法改正があるまで対応するな」「議論もするな」と言えば、日本はその間何も出来ないし、いろんな準備すら出来ないので、事実上「中国のやりたいようにやらせろ」と言う意見と同じになります。
非武装平和論=護憲論者・・内容如何にかかわらず憲法改正に反対であると言う勢力が「憲法改正が先に必要」と言うのもおかしな意見ですが、「憲法改正が先に必要」と言いながら「自分たちは内容にかかわらず常に反対ですよ!」となれば、集団自衛権反対論者による集団自衛権議論・必要か否かの議論先送り論・思考停止要求と同じです。
こうした批判・思考停止論が日本を支配するので、中国が戦端を開いても日本は殆ど無抵抗なのですぐに占領出来ると言う意見が、親中韓派文化人を通して中韓に伝っていたようです。
日本が防衛するか否かの議論すらして良いのかと言う入り口段階で小田原評定を続けていれば、思考停止状態に陥っている合間に「迅速に占領してしまえば勝負あり」と中国の方針が決まっていたようです。
まさか集団自衛権閣議決定変更にまで進むとは思わなかったようで、中韓では慌てて判で押したように日本の軍国主義精神の復活化がアジア世界に不信感を呼び起こしていると言う紋切り型の日本批判論を展開していました。
日本のマスコミは、これを大規模に引用して(アジアで孤立したら大変じゃないかと言わんばかりに)援護報道していました。
肝腎の東南アジア諸国が中国の強引な軍事行動に恐怖感を抱いて日本の助けを求めている状態ですから、そう言う国々に対して日本の軍備強化が危険だと言う報道を臆面もなくすること自体が、日本マスコミや中韓の非常識さの世界発露となって恥をかいている状態です。
朝日のでっち上げ慰安婦報道や南京虐殺報道に中韓が便乗していた結果、今になって恥をかきつつあるのと同じです。

平和を守るには?1

軍備が必要としてもアメリカの機嫌を損じてまで必要かとなると、また別の政治判断が必要です。
今回の防衛力強化論は米軍の要請に基づくものですから、その点の配慮が不要になった分、軍備強化必要論者側で意見の分裂要素が1つへりました。
アメリカの意向を窺うかどうかで保守系の分裂がなくなった分、軍備強化勢力が強くなりますので、非武装平和論者は必死になっているように見えます。
このあとで書いて行きますが左翼・文化人勢力は、表向き反米のように見えて実は実質的に日本の独立を認めないアメリカの占領政策持続に頼る立場です。
日本が悪くて戦争になったと言うアメリカの戦後秩序・・占領政策に反しそうなことは、何事もアメリカへの御注進で日本の自立に向けた政策を潰して来たのですが、今度はアメリカの意向によるものですから、そう言う訳に行かなくなったことも大きいでしょう。
アメリカによる日本の再軍備容認〜強化要請論は朝鮮戦争に端を発しているのですが、長期間の休戦によってこれが下火になっていました。
ここ20年近くでは・・日本の軍事的役割分担要請はアメリカの国力低下と相俟って、第一次イラク戦争以来続いているものですが、対イラクやアフガン戦争では遠くのことですから、日本は迷惑ではあるもののアメリカに協力するしかないと言う及び腰の段階でした。
尖閣諸島への中国海艦による領海侵犯が日常的になると、アメリカの圧力によって日本が嫌々ながらの軍備強化論から日本の方から進んでアメリカによる防衛協力を求める必要が出てきました。
今回の軍備強化・対米防衛協力論(集団自衛権=アメリカの対日片務契約から、日本もアメリカを助ける事がある相互関係へ)の高まりは、中国による周辺国(尖閣諸島だけではなくフィリッピンやベトナム等)に対する明からさまな軍事挑発・示威行動に端を発しています。
イラクやアフガン戦争と違って、日本に直接的被害の及ぶ地域になって来たので、アメリカの相互協力の要請に応じる必要性・・これに応じないと尖閣諸島防衛協力をしてくれるかが心配になって来て国論が前向きになってしまいました。
アメリカが日本の尖閣諸島の防衛に協力しないならば、何のための安保条約かと言う意見を私も大分前から書いてきました。
この機会にアメリカが日本防衛に協力する代わりに、アメリカ軍有事のときには防衛協力してくれる相互性を持たせようと主張するのは当然でしょう。
(アメリカ軍は強力ですから実際に日本に助けてもらう可能性は今のところ低いので、アメリカにとっては理念的なものに過ぎません)
集団自衛権を認めることは実際には日本の軍事力強化とは直接の関係がない・・ただアメリカに防衛協力してもらうための誘い水でしかありません。
日本が尖閣諸島有事に際してアメリカの協力を確かなものするためのリップサービスをすることに対して、中韓両政府が日本の軍国主義復活と言う主張をし、日本マスコミが大々的にこれを報じて「大変だ、アジアで孤立する」と騒いでいるのは、実態に反して大げさ過ぎて滑稽そのものでしかありません。
理念的リップサービス→米軍の防衛協力を求めると日本が何故軍国主義化することになるのか理解不能な主張です。
アメリカに協力を求める必要性が生じたのは、中国や韓国から仕掛けて来たことが発端ですから、国内の非武装平和論者もまさか中韓同様の軍国主義復活論を展開出来ません。
そこで、内容の妥当性には触れずに、せいぜい「閣議決定の変更は許されない」と言う形で集団自衛権=米軍の強力を求める必要性有無の議論すらを許さない・国民に対する思考停止を求めるしかないし、他方で、「中韓が疑念を抱くからやめた方が良い」と言う及び腰のマスコミ報道・・親中韓派識者の意見として載せるしか出来ない状態に陥っていました。
そもそも憲法改正が先だと言う議論自体、現実政治向きの議論ではありません。
不都合に気が付くと直ぐに条文の一部を改正出来る一般法律とは違い、・・憲法改正は国民間で大きな議論を重ねるべき論点がいくつもあってこれが煮詰まってから数年〜5年以上かけて行なうものです。
おおきな改正気運が起きてからでも実際に改正が実現するまでに5〜6年以上かかるのが普通ですから、人権や夫婦別姓のように100年単位の修正には向いていますが、目の前の緊急事態に対する対応を求められているのに憲法改正が出来るまで議論も準備もしてはいけないというのは無理があります。

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