差異化社会6と多様な生き方5

親は「子供のため」と言うのでしょうが、悪く言えば奴隷労働にマンツーマンの監視がつくような悪循環です。
マンツーマン教育が効力を発揮するのは,浅田真央や羽生弓弦君のようなスケート選手あるいは音楽教育その他、全て一定レベル以上の飛び抜けて優秀な生徒の場合です。
平均授業について行けない子は、その分野に向いていないことが多いのですから、目一杯の訓練を受けるのは苦痛を倍加するだけです。
私自身の例で言うと、いろんな能力が生まれつき低いことは子供のころから十二分知っていましたので、不向きなことを人の2倍練習しても意味がない・・苦痛になるだけであると痛感しています。
たまたま日経朝刊には1月1日から小倉桂の「私の履歴書」が始まっています。
小倉桂の1月6〜7日の記載にも出て来ますが、個人教育・特訓は却って苦痛だけです・・彼の場合素質があったのに気が付かずに遊んでいただけですから、この特訓の成果が後に出て来たようですが、元々の素質のない子供の場合地獄の特訓で終わるのが普通です。
私の子供の頃には普通科中心ではなく、農業高や商業高校などが一定の評価を受けていたような記憶ですが、いつの間にか普通高校全盛時代になってしまいました。
この数十年各種専門学校が発達していますが、いずれも高卒を対象にしています・・社会全体のレベルアップの必要性も分りますが、高卒程度のレベルに専門性をつける程度が適当なレベルの子供もいるでしょうし、中卒程度が限界の子供を放置してぐれさせるよりは、そのレベルに応じた専門教育を施せばある程度何とかなるレベルの子供もいるでしょう・・。
どんなに勉強させても、知育方面での基礎能力がなくてついて行けない中学を出ても9x9が出来ない子供もいるのですから、高卒に限定せずにそれぞれのレベルに応じて少しでも現場作業レベルを上げるための訓練設備が必要です。
私が知っている事例では、授業だとサボってばかりいる子が、アルバイトやペンキ屋や鳶職・中古車修理見習いなどならば、よく働く子が一杯います。
私が弁護士業務上で見て来た少年事件や私自身の経験によると、人には向き不向きがあるのですから、能力方向に合わないことを強制しない方が良いのが第1の印象です。
これ以上勉強したくない子を夜遅くまで予備校へ行かせても、(親はこれだけあなたにお金をかけているのに・・と恩を着せても)子供が可愛いそうです。
子供は自分の向き不向きを子供自身が小さいころから一番良く知っています。
親は子供がちょっと音楽やスポーツが出来ると直ぐに一流プロになるかも!と夢を抱きますが、(これ自体親のありがたいところですが・・)子供自身は練習仲間との実力差を良く知っていて、自分の限界も良く知っています。
運動に限らず子供自身が同級生に比べて自分がどの程度よく出来ないか・・塾に行っても友人より出来るようにならないことも良く知っているのです。
親は、塾へ行きさえすれば友人より良く出来るようなると期待しているの(かな?出来るだけのことはしてやったと言うアリバイ証明意識もあるように見えます)ですが、結果は行かないときと変わりません。
子供自身は、クラスメイトより出来ない結果をそのまま受入れる能力があって、別の道に進めば能力が低ければ低いなりに生活の場が決まるのですが、親がありのまま受入れられないからややこしいことになっているように見える事件が結構あります。
私自身いろんな分野で人並みの能力を持ち合わせていないことを子供のころから良く知っているのですが、もしもこれを是正するために◯◯に行かせられて特訓を受けた場合を考えると、その時間は苦痛であっただけで何の役にも立たなかったに違いありません。
タマタマ戦後で、みんな食べるのに忙しい時代だったので周りにそんな余裕が無かったので放っといてくれたので助かりましたが・・。
自分に合わないスポーツの特訓でなく、勉強だっていやな子が強制されるのは、イヤなことに違いないし教育成果としては多分何の効果も生まないで、逆に子供のやりたいことをやらせない・・虐待効果を生み出しているように思えます。
これに対する不適合の限界・・反抗が、不良行為誘発の大きな原因になっているように見えました。
言わば、子供が自分の能力限界を悟っているのに親が覚っていない・悟りたくないミスマッチを放置するのは問題です。

差異化社会5と多様な生き方4

思うに,本来知育基準向きの才能ではなかった・・結果的に途中から縁を切って、その他の道で活躍して来た人でも、どこか学校教育的価値観が最高で自分はタマタマ野球・サッカーでで何とかなっているけど・・などと自分を本心では駄目な人間だと思い込まされて来たからではないでしょうか?
洗脳されてしまった内心の価値観が子供が生まれると子供に対する期待になって、何とか挽回して欲しいと言う欲求に駆り立てるのかも知れません。
子供がいやがると「お父さんの頃には中卒でも今は親方をやっているけれども、これからは「高校も出ないで将来どうするの!」と説得し続けるので、子供は仕方なしに、進学?に同意するのですが、向いていないことはどうにもなりません。
お父さんはトビの親方などやっていて自分なりに満足しているし、お父さんが自分の子供の頃にイヤな授業が終わると嬉々として遊んでいたことも経験しています。
「子供がいやがっているのに・・」うっかり口を挟むと「だからあんたみたいになっているのよ・・」「これからは高校くらい出ていないでどうするのよ!」と噛み付かれるのが落ちですから、黙ってみているしかないようです。
これからの社会では、現場系でも一定の機器操作が必須で高卒〜短大卒程度のレベルが必要なのと、子供の能力(素質)が高度化しているかは別問題ですから、これからの社会のあり方に関する母親の心配・見通しが正しいとしても、我が子の能力(素質)無視で要求している点に無理があります。
企業で言えば、高度機器導入によってその操作能力、あるいは海外展開によって英会話能力必須となって、社員教育をしてもついて行けない人材が出るのは仕方のないことです。 
企業の場合勧奨退職や子会社への転籍などで選別して企業の必要とする人材に純化して行けますが、国家や家庭の場合、国民を振り落とす訳に行きません。
そこで社会保障の充実策となるのですが、振り落としてしまった人を生活保護・経済支援だけと言うのでは・ストレス社会になってしまい、社会の安定が保てませんし、国民も不幸です。
世上中間層からの脱落の増加・・中間層縮小を問題視している意見が多いですが、問題視して格差拡大とか非正規雇用拡大批判・・社会不満を煽るだけで解決出来ません。
社会が高度化して来ると最下層職務の底上げがあるように中間層職務も徐々に高度化して行きます。
そうなると職務の高度化について行けない・・中間層内の最下層から順に就いて行けない層の脱落が始まるのは当然のことです。
従来中間層に厚みがあったのは、特にホワイトカラーでは勤務評定基準がはっきりせずに職務内容に農業社会同様の緩やかなハバがあったからです。
中間管理職でもボヤーッとしていると課長クラス間競争に負けてしまう時代が来たので、比喩的に言えば昔は課長クラスの能力差が1センチしかなかったとすれば、今は10センチも上下差が出て来る・・勢い能力差がはっきりして来た時代です。
最下層と言うか現場系に戻りますと,従来中卒程度で出来た仕事が高卒程度のレベルがないとやって行けない時代が来ています。
家電量販店に行けば商品知識の豊富さに驚きますし、コンビニ店員でも商品配置を聞かれれば直ぐ応答し、各種機器利用に戸惑っていると直ぐに手伝ってくれます。
ただボヤーッと店番していた昔とは格段の違いです。
・・今世間を騒がせているマンション杭打ち工事・・東京駅の建て替え工事で言えば、元の東京駅の基礎は「松の杭」を人力で打ち込んでいた程度だったのが、今は、住居用のマンションでさえ、コンピューター処理でグラフや地耐力計算をしながらやる仕事になっていることが分ります。
昔から「土方」と言う言葉があるように、体力仕事だった基礎工事でさえこれですから、多くの母親が子供の高学歴化に必死になるのは分りますが、知能指数◯◯程度の場合必死に尻を叩いて勉強させても勉強時間さえ増やせば能力が上がる訳ではないので、子供がいじけるだけです。
中学で9x9の掛け算が出来なかった子供が無理に底辺高校に入れられても高校に行くとなおさら授業について行けないので、早く現場労働見習いなどで自分の能力に応じたことをしたいのに、嫌々高校へ通っている・・そのうち不良になって行くパターンです。
こう言う場合,授業が分らないなら予備校へ・さらにはマンツーマン塾へ行かせてやれば良いと言うのでは、子供にとっては地獄です。
学校の授業だけでも苦痛で、早く放課後になるのを楽しみにしているのに、帰ると塾に行け・・集団授業ならまだ息を抜けますが、お金をかけてあげるからマンツーマンで頑張りなさいと言うのでは、息を抜けません・・.

差異化社会4と多様な生き方3

従来型画一生産での国際競争においても、女性の視点が必要ですから、日本文化伝承が必要と言う立場でも、女性が一定数参加して頂くのは合理的です。
ですから、女性がみんながみんな従来型大量生産に参加させるために保育園など拡大するのに反対ということと、女性が一定数従来型生産方式へ参加したり、その一端である既存体制である指導者・・政治家や企業役員等への進出などへの参加を否定しているものではありません。
欧米あるいは中国的価値観バカリではなく(米中や西欧等の価値観は基礎が同じであることを年末に連載してきました)日本的価値観・・細やかなものを作って行く人や、変ったものを大事にする価値観が社会全体の主流になるほどの人数がいらないとしても、これを大事にする女性や好事家をバカにしない・・光を当てる必要性を書いています。
・・補助金や生活保護を拡充する即物的対策ではストレスをなくせない・むしろ彼らが誰も大して利用してなくとも、大事にしている気持ち・・やっていることを尊敬する心・・誇りを持たせる社会のゆとりの必要性を書いているだけです。
このゆとりが結果的に多様な文化を生み、次世代に光るものを日本から発信して行く種になるし、格差意識・ストレスを緩める効果があると思われます。
日本文化継承にこだわると、国家衰亡の道か?と言うとそうではありません。
明治維新以降バブル崩壊までは、外来の大量生産に向けた文化の取り入れは急務でしたが、今になるとむしろ基礎になる細かな作業を厭わない・幼児などを大事にする精神文化がなお生き残って来たこそが重要になっています。
細かな末端道具類を作る技術や行儀作法・結果を賞讃する社会では、いろんなものが生まれて来る・・これを愛でる文化は結果的に・・多様な価値観が賞讃される社会になり易いのです。
変なものを珍重する文化・・多数・少数の比較で言えば少数者の作品を大事にする文化であり・これが古代からの弱者・敗者を大事にして行く合議制の基礎です。
陶磁器でも中国や朝鮮半島では、型に決まったもの以外は相手にされないが、日本では変わった形が生まれると珍重され高く売れる・・この結果超高級品は日本に輸出される習慣が、何世紀も続いてきた結果、良いものは日本にしかない状態になっています。
日本では、織部焼きなどの変形ものが珍重され傑作が残ってきました。
「ひょうげもの」を珍重する文化と俳諧や、落語や川柳・狂歌・落首が生まれる土壌には、共通性があると思われます。
今の酷い中国をしらない2〜30年前に、漢文程度の知識しかなく中国文化に憧れていたときに、台湾の故宮博物院に行き3〜4日家族で通ったことがありましたが、清王朝の傑作と言っても象牙を精密に彫刻したり、石造りの桃ノ木などバカリで、作品が田舎臭・・泥臭さには、驚いた記憶があります。
中韓では儒教の影響で、からだを動かす労働を卑しむ価値観・・手を組んでいる身分が尊ばれる傾向が強い点が、下積みの物造りに優秀な人材が行かない・・勤勉に働く意欲を阻害していると言われます。
これがポスト産業資本主義への移行に赤信号がともっていると言われる所以です。
イタリアも「ママン」の影響力の強い社会であることが知られていて、だからこそ大量生産競争では負けて来たものの、高級車その他職人芸の技術が伝承されていると言われています。
そのイタリア料理では、黙々と働く日本人が誰もやりたがらない下働きばかり押しつけられている間に、いつの間にか日本人シェフがイタリア料理を支えるようになっていると言われているのもてを動かす作業「下積み仕事」をいやがらない・バカにしない国民性を表しています。
多様な生き方を認める社会に方向転換して行くとすれば、日本は最も適応性のある社会だと思っています。
ポスト産業資本主義社会が差異化社会であり、選別から落ちこぼれる人が輩出する絶望社会化が始まっていると言うのも1つの意見ですが、逆に多様な生き方を認める必要に迫られる社会だとすれば,これまで画一社会で息苦しく感じていた多くの人が解放される可能性を持つ社会でもある訳です。
現場系の親が、親は自分が駄目だった?分・・「子供だけは何とか高校くらい出してやりたい」と無理に高校に入れたがる親が一杯います。
自分が子供の頃に勉強がイヤだったのに、子供なら大丈夫と決めつけるのが不思議ですが・・・。

差異化社会3と多様な生き方2 

子供は自分のことを自分で一番良く知っているので、自分の能力にあったことをするのを厭いません・・どんな下働きでも、人は自分のレベルにあっているグループ内で自分の居場所を見つけて喜んで生活するものです。
私の少年事件処理の経験から言えば、子供自身が中学の授業が分っていないので、高校に行くのも無理・・自分の能力はこんなものと自分で良く分っているのが普通です。
知育教育には向いていない子供でも、何か役に立ちたい意欲を充分に持っているのが、諸外国との大きな違いです。
これは昔から、いろんな生き方を認めて尊敬して来た我が国社会の伝統が生き残っているからです。
November 22, 2015「民度と政体と4(新興国3)」で「分際を知る」テーマで分際を知る必要性を書いたことがあります。
「分際を知る」とは能力限界を知ってこれを受入れてじたばたしない能力であり、周囲もこれを尊重する社会です。
我が国では古来から、万物に神宿る精神で、些事・・何をするにも細かな儀礼様式を重んじ、身の回りの細かな道具類も大切にして「◯◯塚」などを作って供養します。
ましてや(刀鍛冶等名刀や伝統工芸品を作る人だけではなく)日用品でもどんな物造りに関しても、その道に精進している職人等を尊敬する精神でやってきました。
針塚その他の身近な道具でさえ神様扱いして来たことでも分るでしょうし、今でも日経新聞最終裏面で約1面を使って、しょっちゅうどうでも良いもの集めたり来歴を調べたり、保存運動・編纂している人の記事が大きく取り上げられて賞讃されている社会です。
1月4日の日経朝刊にも絵双六に関する市井の研究家が掲載されていて、今朝の朝刊にはけんかカルタの保存運動している人が紹介されていますが、こうした掲載が何十年もほぼ毎日続いているのは、これを賞讃する社会意識があるからです。
日本は古代から、八百万の神々を祭り、多種多様な価値を認める社会ですから、西洋式学校教育の画一的価値基準で落ちこぼれたからといってそれは職業向け能力の1つに過ぎないのであるから、そんなにがっかりする必要はありませんし早く別の道に進ませるべきです。
西洋伝来の画一的学校教育に馴染まない子供を一刻も早く解き放ってやることこそが必要です。
日本は分際(素質の方向性)に応じて生きて行くのが、難しい社会ではないし、みんながそれを望んでいるのです。
一応定年まで勤め上げた人の中にも、明治以降のさばっている知育基準の画一社会に不適合な人も一杯いて、何とかノイローゼにならずに定年まで持ちこたえていた人・・漸く解放されたと思っている人がかなりいる筈です・・。
そう言う人は定年後、まだ気力・体力があるからもっと画一社会で働けと言われても、もう懲り懲りでしょう。
気力の残っている人は、これから第2の人生をやる人もいますが・・・多分懲り懲りしていたが、体力・気力が余っていた人だと思います。
私の場合、能力が偏っている・・画一社会向きではないのに、未だに現役を続けていられるのは、タマタマ、個性的に生きて行き易い職業についているからに過ぎません。
明治以降西洋流の画一基準・・鋳型に押し込めるような窮屈な教育によって国民を一定方向へ向けたのは,折から勃興して来た産業構造・・画一生産力が国家の命運を決める時代・・労働者向け社会化にはある程度成功したとは思います。
1月3日書いたようにポスト産業資本主義(差異化)社会になってくると、単線的能力差が進むばかりでは、差を付けられた人のストレスが増すばかりです。各社会批判→唯物津論的対応・・高校授業無償化・精神科医を増やすばかりでは解決出来ませんので、個々の自由な生き方を広げて複線的・違った価値基準での挑戦機会を増やして行くことが個人の幸せばかりか社会発展のためにも必要です。
そして日本社会こそが、古代から多様な価値・生き方を認めて来た社会であり、この精神が明治以降圧迫されていた結果、文化伝承作業が定年後の慰みや、画一価値社会に絡めとられてない健全な女性の営みによって、日陰で脈々と受け継がれてきました。
これを無職女性の暇つぶしの余技や老後の慰みとバカにしないで、古来からの日本のアイデンテイーを守る大切な価値観であると認め、その復権・・古くて新しい価値観の時代こそ作って行くべきです。
私が、従来から女性の復権は男性の真似をして「朝早くから夜遅くまで外で働くことはない」「競争して勝つことではない」と繰り返し書いてきましたが、違った能力をゆったりと受け止める女性の子育ての生き方こそ日本文化の正当な継承者として尊敬すべきですし、保育所に乳幼児を預けてしまい、最重要な子供に対する文化継承作業を断ち切る政策運動に反対し続けている所以です。
ただし、高級品が売れる社会になったとしても、アップル製品等見れば分るように産業革命の延長上の大量供給品に頼る必要がなくなる訳ではありません。
効率生産・大量供給による時間や資金のゆとりがあってこそ、隠れ家的ホテル,レストランその他上質文化を楽しむゆとりを生むのですから、効率的大量生産組織や人員が不要にはならず、衣食足りて礼節を知ると言うようにむしろ文化の両輪と言うべきでしょう。

差異化社会2と多様な価値観の復権1

高齢者が自己の能力減退を見定めて生きているように、若者(中高年)も自分の将来の到達点を見定めて、老人並みに達観する能力を磨くことも重要です。
とは言うものの、若いときの特権で能力以上の遠大な夢があってこそ・・一見無謀な挑戦が成功することがあって、社会活力の源になるのであって「俺の将来こんなもの・・」と中学・高校時代から全員諦めている社会がどうなるかの心配もあります。
大方の若者が自分の能力に応じた選択して、たまに元気な若者が、夢に挑戦出来る社会・・・失敗すれば気を取り直して、別の方向へ転換出来るシステムが理想的かも知れません。
フランスその他の移民社会では、アラブ・アフリカ系移民2〜3世が将来の展望なく成人になって行く・・テロ予備軍になるリスクが、今になって重大問題になっています。
独仏等のアラブ系移民2〜3世のテロ予備軍は、本来能力(素質)がある子供もいるのに,移民したばかりの経済格差や言葉の壁などの外部要因でマトモな教育を受けられないことによる絶望的状況・・格差拡大・固定です。
難民の場合有能な人も交じっていますので、政策次第で何とかなる人もいますが、初めから現場労働目的で入って来る階層の場合、千年単位の文化継承が違う上に形式的知能指数基準でもいわゆる落ちこぼれ系中心になります。
代々の日本人でも社会の高度化について行けない人材が下から順に増える一方でこれをどうするかの問題に直面しているのに、日本語の通じない・家庭教育の習慣のない親に育てられた異民族2世の場合なお大変なことになります。
少年事件では(外国人)親が風俗系で働いていて朝方まで帰って来ない・・すぐに寝てしまうので弁護士の方から連絡出来るのは出勤直前の夕方しかない親がいます・・。
審判の結果自宅に帰れることになっても、親は寝ていて迎えに来られないと言う子もいて、その間事務所にいなさいと言うこともあります。
日本人の場合子供が事件を起こした審判となれば万難を排して親が出席するのが100%ですが、・朝起きられないからと言って、審判に立ち会いもしない・・行っても結果は同じと言えば同じ・・文化の違いに驚きますが、それは別として・・親が夕方からいない子供の家庭教育はどうなっていたのか?
最近学級に移民2世向け会話出来る教員配置の必要性などが言われていますが、社会にとって大変な負担になる割に大して効果のないことが明らかです。
私はこう言う結果になるのが分っているから、低賃金労働者受け入れの移民はやめた方が良いと言う意見を、古くは13年前の01/05/03「外国人労働力移入 2(人口減少賛成)」前後の連載で書いたのを手始めに、11/10/05「市場競争と脱落者のケア2(フランスの移民の暴動)」その他で繰り返し返し書いてきました。
目先労賃の安い労働力を利用すると、次の世代で膨大な負担と社会不安を引き起こし、大きな付け払うことになります。
独仏の移民政策の失敗・・目先の低賃金労働者確保目的でも移民導入政策間違っていたこと・・日本が人手不足代替のロボット大国になった成功を論じるべきで、ここまではっきりした段階で(独仏の移民受け入れ失敗→テロの恐怖に怯えているのを無視して)日本の難民受け入れが少ないとか、移民受入れ拡大主張を展開するおかしさには驚くばかりです。
ただし、日本では、偏差値その他で早くからスライスされ過ぎているので、早くから現実に目覚める・・夢を失った若者の続出は、(独仏等の移民2〜3世のように直ちにテロ予備軍にはならないでしょうが、)能力の低い若者が早くから閉塞感を抱くのをどうやってケアするかを検討する必要がある事は確かです。
人間に能力差がある限り優勝劣敗が起きるのは不可避ですが、これをいつどの時点で知るか,転換の容易さやどんな職業も尊敬する社会か否かによって、達観出来るか自暴自棄になるか、精神科医の世話になるか,原理主義宗教・テロ組織に入るかが分かれます。
自分の能力限界や適した方向性を早く知った方が不適性な方向へ間違って進まないで済むし、無駄な努力をしなくて良いので、1面では合理的です。
40歳まで挑戦し続けてやっぱり無理だったと諦めるのと、10台で諦める・・自分の限界を知るのとでは、効率性や衝撃度が大違いです。
教育界が多様な人材が必要と教研集会などのテーマにしながら、画一基準で選別教育していることについて、02/05/07「多様な人材の生きていける社会へ1」以下で批判した・・その他でも折に触れて批判してきました。
唯一神を基本とする社会・・画一的価値観の西洋から導入された学校基準に毒された(知育偏重基準のより上位を目指す)無理な挑戦にこだわらないで、出来れば早く方向転換した方が良い人が一杯いる筈ですので、早めに進路選択を決めた方が良いのは確かです。
進路選択が仮に早く決まるとしても、自分は東大や超1流大学は無理で、そこそこの大学しか行けないと分っても、その程度のことで人生に絶望し、自暴自棄になる人は少ない事は誰でも分ります。
ここで強調したいことは、偏差値基準の単線的上下格差を固定する進路選択ではなく、偏差値最低レベルの高校でさえもついて行けない子供でも、多様な価値観・・植木職人やトビ、ペンキ、基礎工事等々・・小さなものを終日根気よく磨き上げるのが好きな子供もいることです。
従来型ルートから外れてもアップルで有名なジョブスのように大成功する人がいる・・こう言う可能性を言うのではありません。
ジョブズの場合は、従来型単線的価値観の達成を前提にその目標に達するための別ルートに過ぎません・・。
私の言うのは到達点自体の多様性です・・路地の片隅の居職人のママまで、最後までこつこつとやって一生終わって行くことで満足する人が一杯いる・・日本では昔からこう言う生き方を尊敬する社会です。
日本古来からの伝統である多様な社会・・あらゆるものに神宿る・・多神教の社会を取り戻そうと言う意見です。
大きな神社も、寒村の祠も大切にする・・いろんな道具や物品・生き物まで◯◯の神様△の神様としてそれぞれ大切にお祭りする社会です。

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