16年9月4日に書き始めていた「占領政策と左翼系文化人の伸張1」以来アメリカ政府に対するコミンテルンやユダヤの影響に逸れていましたが、日本の文化人が何故左翼系中心になったかのテーマに戻ります。
左翼系文化人はニッポン民族批判にはアメリカ基準・・言論の自由や人権が・・と騒ぐのですが、国際政治になるとイキナリ旧ソ連や中韓の応援します。
高度技術漏洩防止の必要性や、防衛の必要性になるとイキナリアメリカ軍が使っていた軍国主義国家論が復活すると言うスローガンが出回ります・この二重基準の基礎にはルーズベルトの二重基準・反共国家の指導者でありながら容共体質・によって占領政治が始まったことにあります。
今のトランプ大統領が、個人的にはプーチンや中国の独裁政治・自国中心主義の身勝手な政治に対する賛美する資質を隠していませんが、その分ロシアゲートなどで国民批判を受けて反中・反ロシア政策をとるしかないねじれ現象担っているのと似ています。
アメリカ占領政策初期の政策にはルーズベルトのスターリン贔屓の影響でコミンテルン・今の言葉で言えば「グローバル化」の貫徹)とアメリカ民族主義の本音が混在していたことになります。
以下はルーズベルトと共産主義の関係に関する記事です。
http://ameblo.jp/rekishinavi/entry-11586757334.htmlの引用です。
「ヴエノナ文書とは第二次世界大戦前後の時期にアメリカ政府内部に多数のソ連のスパイが潜入 してことを暴いた文書で、アメリカの情報公開法に基づいて開示されたのですが、江崎氏が研究すればするほど、ルーズヴェルトはソ連やCHINA共産党と通 じていたことが明らかになってきたそうです。」
上記研究の信頼性は分りませんが、(意見には当然反論があり得ます)アメリカ本国では(ルーズベルト死亡後彼が政権に引き入れていた共産主義信奉者の影響が大き過ぎることに懸念が生じ)その後周知のとおりマッカーシー旋風で共産主義者が政権中枢から一掃されますが、それほどまで政権中枢にコミンテルンの細胞?が浸透していたことが分ります。
日本では独立後占領支配権力・・公式にはアメリカは反共陣営筆頭です・・が縮小して行く過程で、左翼系文化人は一旦勢力を張った大学やマスコミでの支配勢力維持のために、アメリカの持ち込んだ思想表現の自由・・これを拡大した大学の自治?をそのまま主張して民族系学者の復帰・浸透を許しませんでした。
大学研究機関、マスコミ界では共産系思想家はそのままとなり、却って自由主義系学者は後ろ盾がなくなり共産主義思想が大学等研究機関での支配勢力になって行く原因になりました。
現在でもNHKの「偏った」報道に対する批判に対して、「報道の自由」と言う偏った?意見で反論しているのがその代表的現れ方で、戦後ずっとこのやり方で学問の自由、大学の自治などで聖域化してやってきました。
この代表的事件がいわゆるポポロ事件でした。
ウイキペデイアからの引用です。
ポポロ劇団は1952年2月20日、東京大学本郷キャンパス法文経25番教室で松川事件をテーマとした演劇『何時(いつ)の日にか』(農民作家・藤田晋助の戯曲、1952年1月発表[1])の上演を行なった。これは大学の許可を得たものであった。上演中に、観客の中に本富士警察署の私服警官4名がいるのを学生が発見し、3名の身柄を拘束して警察手帳を奪い、謝罪文を書かせ、学生らが暴行を加えた。奪った警察手帳は東京大学の決議によって警察に返還されたが、警察手帳のメモから少なくとも1950年7月以降から警察が東大内を張込・尾行をして学生の思想動向等の調査を行っていたことが判明した。私服警官に暴行を加えた2人が暴力行為等処罰ニ関スル法律により起訴された。
最高裁判所大法廷は昭和38年5月22日、原審を破棄し、審理を東京地方裁判所に差戻した。理由として
「大学の学問の自由と自治は、大学が学術の中心として深く真理を探求し、専門の学芸を教授研究することを本質とすることに基づくから、直接には教授その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味すると解される。大学の施設と学生は、これらの自由と自治の効果として、施設が大学当局によつて自治的に管理され、学生も学問の自由と施設の利用を認められるのである」。
しかし、
「本件集会は、真に学問的な研究と発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動であり、かつ公開の集会またはこれに準じるものであつて、大学の学問の自由と自治は、これを享有しないといわなければならない。したがって、本件の集会に警察官が立ち入ったことは、大学の学問の自由と自治を犯すものではない」。
上記の通り事件としては公開の集会だから警官の立ち入りが違法でないとされたものの、前提としての大学自治が保証される判決でしたので、大学側の要請がない限り犯罪行為があっても警察が踏み込めないかのような行き過ぎ・・聖域化が始まり、教授吊るし上げ等のやり放題・以後荒れる大学が生まれる素地になっていきました。
民放の場合には顧客による選別・市場選択権がありますが、国営放送の場合一方的中韓政府主張代弁報道ばかりされたのでは、国民は溜まりません。
この批判不満が漸く進出して来たのが昨今ですが、マスコミ界は報道の自由論で一歩も引きません。
この種の意見は、日弁連の政治運動に対する批判に対しても「弁護士会自治」と言う理論で批判を寄せ付けないのと軌を一にしています。
私が大学を出た頃には経済学と言えば、近代経済学派系よりはマルクス経済学派系の方がマスコミで大事にされていて、隆盛な印象を持つ時代でした。
歴史・・漫画その他一般的ストーリーでも唯物史観が幅を利かしていました。
マルクス経済学者である美濃部氏が共産党から出て都知事を何期かやったのは、その直後頃でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki
革新統一による知事として知られ、政党では日本社会党と日本共産党を支持基盤とする革新知事として1967年(昭和42年)から1979年(昭和54年)の12年間(3期)に渡り、東京都知事を務めた。
どちらの経済論理が正しかったかはソ連の破綻、何千万の餓死者を出していた中国の失敗をみれば明らかですが、間違っていた共産主義理論が、学問組織内では逆に圧倒的優勢だった・・現在もこれが続いていることに学問の自由とは何か?と言う歴史の真理があります。
「◯◯の自由」とは「一旦支配権を握った方が半永久的に専制支配を続ける自由」と読み替えることが可能です。
何回も例に出していますが、大学自治会がどこからも介入を受けない結果、過激派の拠点になっていて、大学自治会のほぼ100%が、一般学生と関係のない政治組織になっていることを想起してみれば分ります。
自治と言うものは活動家が独走を始めると構成員総意を反映しなくなっても是正方法がなくなるリスクが多い・・・実はくせ者です。
スターリンの恐怖政治は、民主的選出方法による筈の共産主義国家で起きたものです。
司法試験受験科目であった政治学言論では、共産主義国家は自由主義国家ではないが、が、民主的選任方法があるから民主主義国家であると言う分類を習いました。
何となく詭弁っポイ説明でしたが、今や北朝鮮や中国等の共産主義国家が民の声を充分に吸い上げている国であると思っている人は皆無に近いでしょう。
こんな詭弁を信じ込んでいまだに中国の肩を持って活動しているのが革新系野党です。