表現の自由市場論8(補助対象審査の矛盾1)

愛知トリエンナーレ「不自由展」の場合、市場評価されない不満を通り越して「公的補助せよ!」というもので、内部自治侵害に対する抗議ではなく市場で評価されないことに対する逆ギレです。
ゴッホだって生前は現在ほど評価が高くないというだけであって、公的支援なくとも現在に作品が残っているのは彼の理解者や友人も盟友もいたからです。
ゴッホの真実については、以下に詳しく紹介されています。
https://www.asuka-g.co.jp/column/1903/010913.html
要は、ゴッホの才能を見抜いた辣腕の画商であった辣腕の弟テオが月極固定額(生活供給)で作品を買い受け、毎月送金していた・弟が面倒見ていたのではないらしいのです。

ゴッホは描いた絵をテオに送る代償に、毎月150フランを受け取り始めました。これは現在のお金で言うと毎月15万~23万円の報酬を得ていたとみることができます。
この援助というには決して少なくはない金額から、もうひとつ深い関係性が見えてきます。兄弟はただの家族愛だけでつながっていたわけではなかったのです。

テオはこのころパリでは名うての画商でした。兄のただならぬ画才を見抜いていました。そして、ゴッホの生活を支援する代わりに、ゴッホの作品を独占的に扱う契約をした‐それが真相だと、この本では説明しています。
以下省略

独占供給契約で名画を囲い込み、名をあげてから、売り出そうとしていた矢先にゴッホが自殺しいざ儲けようとしていた肝心の画商の弟も半年後死んでしまったので生前市場に出るとがなかったに過ぎないようです。
学問の自由とか創作の自由というのは、権力による迫害さえなければ、ベストセラーにならなくとも一部の支援者や気に入って買ってくれる友人がつくものです。
細々とした創作で良いことではないでしょうか。
千葉市美術館関係で言えば、田村一村の作品を収集していますが、見ると千葉在住時の作品には素人の私から見れば普通の絵描き程度のようでしたが、奄美諸島に移住してからは別人のような作品に変化しています。
千葉在住時高く評価されなかったのは、(素人目には)当然のように見えますが、それでもこれを支持する人 (彼の場合千葉在住の姉だったかな?)もいて画家専業で(ある程度売れたのでしょう・個人蔵の作品も出品されている)生きていけたのです。
千葉在住時に自分をもっと高評価しないのはけしからん!と抗議行動したり、補助金を出すべきと政治運動して世論が支持したでしょうか?
日本が民主国家か文化国家かの問題ではないでしょう。
愛知トリエンナーレ「表現の不自由展」は、(市場評価の低い作品制作への現在補助金要求である点で)現時点自由市場評価主義と矛盾し対立するものですが、ゴッホ作品死後の評価を引き合いに出す論評は、(ゴッホの場合約50〜百年後?)時間差ズレを無視した意見です。
すなわち出品審査基準は現役プロ・現在自由市場で高評価を得ている者(審査員)の価値観によるので、現役が時間差を克服できるわけがない以上は、結果的に時間差審査専門家と言えないはずです。
現役売れっ子・時流に乗っている美術界大物・審査委員が将来を見通すプロでないことがゴッホを例にして証明されている以上、ゴッホのような大物が評価されないことがあることから「芸術の分からない素人は黙ってろ」と言う主張が成り立つでしょうか?
自分が特別な「目利き」という証明をしない限り現役界の大物というだけでは、俺たち「現役のプロに任せろ!」という資格がないでしょう。
不自由展で審査委員らが評価しているのは作品の現在評価であり、専門グループ内では高評価しているが自由市場で評価されない不満を社会にぶっつけたものと理解すれば一貫性がありそうです。
ネット報道で知る限りですが、内容を見ると日韓対立の原点ともいうべき慰安婦像の設置や昭和天皇写真の拡大パネル?を燃やすなど過激な?政治主張であり、これが「自由市場」では芸術でないとして評価されないのを専門家が「芸術作品」というのだから「公費負担で行え」という点の根拠としているのは、ゴッホの比喩とは何の関係もない筈です。
芸術家や学者等は思想の自由市場論を基本としながら、内容審査は自分らに任せろという主張は内部序列をどうするかの範囲内なら一理ありますが、公費補助対象を決める基準になると、「審査員の評価の方が市場より確かだ!」という主張にすり替わっているようになります。
この矛盾をぼかすために市場評価されない作品に補助金を出すために生前市場評価されなかったゴッホを持ち出しているように見えます。
ゴッホに関して一般に流布している美談は、ゴッホを美化するために作り上げられた美談・・もしかしたら自由市場評価もトキには間違うから目利きの審査が必要という二重基準を設けるための深謀遠慮と結合した虚構だったのかもしれません。
日本では有能な人材は最後まで埋もれっ放しの事例は考えにくい社会と8月16日に書きましたが、西欧だって本当は自由市場が賢いのですが、その上をいく目の利く商人である弟が独占的巨利を貪るために公開売出し時期を待っていたに過ぎないようです。

在日犯罪率の比較対象2(辛氏実質亡命を契機に4)

都民・常住者は都内から出るのは例外(年間一人平均4〜5日も東京から他府県へ旅行に出るか?)・・原則としてほぼ1年間都内にいる人の犯罪率ですが、観光・会議等で来日した人の平均滞在期間が仮に都内で2〜3日しかないとした人の数と単純比較するのが妥当かということです。
仮に2日しか滞在しない場合、1年中いる人に引き直せば180分の1・・・180人で一人分にカウントし直すべきでしょう。
例えば来日外国人の内で都内に数日間滞在した人が約1300万人で、都民約1300万人と同数としても、数日しかいないグループと1年中いるグループを、同じ性質の集団として犯罪率を比較する意味があるでしょうか?
10年以上もいれば小さな不満が積もり積もって凶悪事件になることがある・・・デズニーランドなど観光地で楽しみホテルに数日泊まって箱根等へ移動していく人が8〜9割の場合、凶悪事件を起こす確率は低いのではないでしょうか?
比較するならば、常住集団同士・・来日外国人同士・・どこの国出身の観光客がトラブルを起こす率が高いかの議論ならば、意味がありますが・・。
しかも、訪日客全員が東京に来るとは限らない・車関係者で言えば、中部地方のトヨタ関連工場に来てそのまま帰るとか、観光客でも近畿地方や九州方面、北陸や北海道方面だけ周遊して帰る人も多いので、都内滞在率・都内滞在期間平均何日か?などの細かな統計を見ないで単純来日外国人の数字で都内人口と比較しても意味がありません。
まして都民・・日本人を分母にして計算する場合、首都圏等からの通勤通学出張者(都内通過人員なども含め)等による昼間人口(新宿等の飲み屋街でもその客の多くを流入人口が占めています)が大きいのが特徴です。
日本人の都内犯罪率が9割近くという場合、1億数千万人を比較するのか都民だけを比較するかも不明な主張ですが、仮に1億数千万を基礎にしている場合、来日外国人何名を基礎にしているかも不明です。
日本人も来日者もみんなが東京にすみ、東京に宿泊していないのは公知の通りですから、全体と全体ならば、東京都に限定して比較する意味がないでしょう。
仮に都内に人口比を言うのであれば、東京の特殊性を無視できません。
一般に言われる「昼間人口」とは、都内就業地や通学地のある統計しやすい人口だけの集計であって、統計していない政府への陳情・事情説明や企業本社への出張や各種会議(私の場合日弁連の会議や東京地裁へ行く場合等)・パーテイーや行事が都内で行われることが多くその数は膨大です。
ですから、都内常住人口比で見ると犯罪率・・交通事故や医療機関受診率、観劇人口デパート購買人口も交通事故も全て多くなるのが当たり前で、常住人口比での比較は意味がありません。
極端な例で言えば千代田区、中央区や赤坂六本木など狭い地域の各種統計をそのまま見れば、人口比でバカに医療受診率が高い(難病率や高額医療受信罹患率が都民に多いとなるのか)、観劇人口比率が高い、外食率(六本木に住む人は毎晩5〜6軒くらい夕食・酒場のはしごをしないと数字が合わないかな?)や犯罪率が高い、デパートなど宝飾品や衣料品購買率が高い(銀座周辺常住者は1日に数回以上デパート等へ行って宝飾品等を買うのか?)、警察官が人口比で多すぎる(デモ警備動員されている機動隊も含めると警察官数も膨大ですが、人口の5〜6割が警察官になっているのか?ガードマンや道路掃除の人も人口比7〜8割?店員は人口比10割を超える?など狭い地域の人口比統計では意味がないことがわかります。
※ 上記比率は、・比喩的直感的比率であって、統計数字をおさえた根拠ある数字割合ではありません。
大都会の場合、流入人口で経済が回っている・ひいては揉め事も交通事故も経済犯罪もその比率で多くなるのですから、常住人口比で犯罪率を見るならば首都圏とか大阪圏などの生活圏規模の常住人口を分母にして広域圏犯罪率で見るべきでしょう。
26日冒頭に書いたように、検挙率を「東京都内に限定」して比較すること自体不合理で、辛氏の主張の仕方は「東京都内の犯罪率が人口比で如何に高いか」の誤解を狙った刷り込み?意図が疑われます。
http://www.metro.tokyo.jp/tosei/hodohappyo/press/2018/03/20/12.html

東京都の昼間人口は、平成27年10月1日現在の国勢調査の結果のうち、総務省統計局から公表された従業地・通学地集計結果等をもとに、東京都の昼間人口、通勤者・通学者の移動状況等をとりまとめたものです。
東京都の昼間人口は1,592万人、常住人口1,352万人、昼夜間人口比率は117.8

以上のように見ていくと辛氏が、

「「凶悪犯の検挙人数は、東京都全体で978人で、来日外国人は109人と全体の11.2%。9割近くは日本人の犯罪だ」[41]」

と言い切るのは、仮に引用数字が正しいとしても、流入人口の多い地域では常住人口で見ると自体に問題がある上に、同じ性質集団同士で比較しない点で論理的な無理があります。
性質の違う母体との比較では論理展開にフェイク主張の問題がないか?(新聞掲載意見とすれば、)朝日新聞がデータ根拠をチェックしたのか、チェックしたとしてもそのデータと結論に関係ない意見であれば一種のフェイク報道で掲載拒否すべきだったのではないでしょうか。
例えばA県の小学3年生とB県の中学生で算数国語やスポーツその他のテストをしてB県の方が点数が良くても、B県民の資質が高いとは言えません。
小学生と中学生の比較では話にならないことはすぐわかることですが、在日批判に対する反論の流れの中で、都内の凶悪事件検挙数をあげて、来日外国人は11%あまりしかいないとアッピールしていますが、比較母集団がはっきりしない上に母集団の性質相違がありすぎて意味不明主張になっています。
来日数は年間何千万人(当時はもっと少ないですが)で、都内人口より多いのに検挙数は1割しかないと誤解させたいのでしょうか?
・・・幾ら何でも無理っぽいので来日外国人と都民とどういう比較をするかを書いていませんが・。
以上いろいろ書いてましたが、結論としてまとめると

① 都内限定の意味不明(広域異動の現在地域限定すると却って分かりにくくなる)
② 検挙数が正しいか?(簡単にアクセスできない)
③ 在日(長期滞在者の)の犯罪率を論じているとした場合に、都内凶悪犯罪検挙数と比較すべきは都内在日朝鮮人数とその検挙数ではないか?
④ 来日外国人という日常聞きなれない母集団をいきなり比較集団かのように出すことが妥当か?
⑤ 都民数と比較すると書いていないが、仮に都民人口との比較を意味するならば、来日外国人も多様なので来日外国人の中でどの母集団と比較するのかを明らかにすべきである
⑥ 仮に都民と来日外国人の比較するとした場合、
a 都民とは常住都民か昼間人口か、統計数字のない観劇や買い物客等の上京人口も加えるか?
b 来日外国人全員と比較するのか?都内で何日以上の宿泊者に限定するのか
・全員東京に来るわけでもない・・東京にきても全員が東京で1年間いるわけがないのに、単純比率をなんとなくイメージさせるのは誤誘導目的ではないか?

以上のように、不確定部分が多すぎて意味不明の言いっ放しの印象です。
母集団をどこまで限定しても母集団の性質が違いすぎるので、比較対象を明瞭化すべきで意味不明の主張で恰も在日の犯罪率が低いかのような結論だけ主張するのはおかしくないか?その主張をメデイアが紹介すること自体問題がないか。

在日犯罪率の比較対象1(辛氏実質亡命を契機に3)

昨日の続きですが、「9割近くは日本人の犯罪だ」という意味は、「人口比で11%は多くない」という意味を含むのでしょう。
とはいえ、「東京都全体で978人」と東京都に限定する意味が不明です。
来日外国人全部と比較するならば日本全国の数値と何故比較しないのでしょうか?
警視庁に入っても平成15年からのデータしかなくて1999年データは不明ですが、仮に正しくとも、都は他県に比較して流入人口が多いので、(このあとで昼間人口などを書きますが・・)検挙された人が都内在住者でない比率も高まります。
出典先の文章全部を読まないと話題の流れが不明ですが、ウイキペデイアの項目が「在日朝鮮人について」となってその中の発言記録のようですから、ウイキペデイア編集者としては「在日の議論をしている中での主張」とする解釈で紹介しているのでしょう。
在日犯罪率と日本人犯罪率を比較するならば都内在住の在日と比較するのが本来でしょう。
講演等を聞いている人は、在日の議論をしている時にいきなり来日外国人の数字に入れ替えた意見を述べられてもかなりの人が(在日と来日では聞いた感じでは似た音です)気がつかないで聞いてしまう巧妙な仕掛けです。
文書で読んでもそもそも来日外国人という熟語を知っている人が何%いるかという疑問があります。
わからないまま、比較するのに必要な専門用語かな?と合理化してしまうのを狙ったのでしょうか?
(相手が専門用語を使うと使われた方は、「自分だけ知らない」と思って前後辻褄を合わせて理解できるように合理化しようとする傾向があります・これを狙っているのは「近代法の法理や憲法を守れ」という難解用語のスローガンです)
ウイキペデイアで引用されている41の数字で見ると「^ a b 朝日新聞2000年4月23日」が出典らしいですが、原典をネット検索(図書館で読むのかな?)できないので、前後の文書不明ですが、もしも在日の汚名を雪ぐ目的の論旨であるならば、関係のない数字を出していることになります。
日本で生まれた外国人等特殊な人以外の外国人は来日した人に決まっているように思われるので、一般国語的には意味不明ですが、「来日外国人」とは、警察庁の犯罪統計の定義らしいです。
https://www.npa.go.jp/sosikihanzai/kokusaisousa/kokusai/H27_rainichi.
資料中の「来日外国人」とは、我が国に存在する外国人のうち、いわゆる定着居住者(永住者、永住者の配偶者等及び特別永住者)、在日米軍関係者及び在留資格不明者を除いた外国人をいう。
いわば定着性のない臨時訪日者の総称でしょうから、いわゆる在日・定着者の犯罪率と置き換えるのは話のすり替えではないでしょうか?
来日外国人は、「その他」ですから、留学生やいわゆる技能実習生や不法就労も含まれるし、国際会議や観光で数日〜1週間程度の予定(営業のために来た人や高度医療を受けるためなど)で臨時に来た人も含まれる多義的概念です。
事実上不法滞在で中長期的滞在者もいるでしょうが、内心目的はわからないので長期目的の永住許可のある人と区分けするために、原則として短期滞在者のグループを来日外国人として区分けしていると見るべきでしょう。
犯罪統計としては、定着予定の人と臨時に来た人とを分類した方が合理的だからと思われます。
せっかく犯罪統計に有用な区別するために考案された分類用語を、辛氏は在日=定着性外国人の犯罪率が高いかどうかを議論するのに敢えて非定着性外国人・・「来日外国人」の犯罪率を持ち出していることになります。
日常的用語としても、なぜ「在日」という日本語が定着しているかといえば、定着している韓国人と単発的に観光等で来日する韓国人と区別するための言葉であることは明らかです。
観光や出張等で単発的に「来日」する朝鮮系の人との揉め事は少ないからです。
ちなみに、訪日外国人数はhttps://www.jnto.go.jp/jpn/statistics/visitor_trends/index.htmlによれば、以下通りです。(ただし、最近5年分入国者数だけの一部引用です)

年別 訪日外客数, 出国日本人数の推移
2012 平成 24年       8,358,105
2013 平成 25年       10,363,904
2014 平成 26年       13,413,467
2015 平成 27年        19,737,409
2016 平成 28年        24,039,700

このように大量流入している短期来日者(非定住者)と常住人口の犯罪率(ウイキペデイアの紹介記事では「人口比」とは書いていませんが・・人口比の発生率を前提にしないと「9割近くは日本人の犯罪だ」というような書き方の意味が分かりません。)と比較する事自体、議論のすり替えでしょう。
しかも凶悪事件限定する意味も不明ですが、凶悪事件・・殺人事件の大方は男女関係のもつれや親族内の事件が圧倒的多数で、しかも不起訴率・・殺人で不起訴になる場合とは、大雑把に言えば精神障害関連が多いのです(育児ノイローゼ・介護疲れでも、一応起訴されて判決で執行猶予というのが一般的です)が高いのが特徴です。
法務省の統計から入ると以下の通りです。
http://www.moj.go.jp/content/001233931.pdf

表12刑法犯の主な罪名別起訴率の推移(殺人のみを引用します)
罪名   平成23年   24年    25年    26年     27年    28年
殺人   37.1    31.8     30.7    34.6      33.4    30.8
(注)「文書偽造」には刑法第2編第17章に規定する全部の罪を,「殺人」には同第
26章に規定する全部の罪を,「強盗」には強盗致死傷及び強盗強姦をそれぞれ含む

殺人事件の7割前後が不起訴になるのですから、いわば7割が「精神病等」起訴できない事件です。
ここで言いたいことは、短期目的・・国際会議や海外旅行に来た外国人で、介護疲れの殺人や、逃げている元愛人を追いかけたり、精神障害者(観光や出張・会議等で来日するか?)による殺人が起きる確率が何%あるか?です。
臨時に来る外国人と常住者との人口比による犯罪率比較をするには無意味なことは、意見を言うために犯罪統計など見て準備する段階で分かり切ったことですから、無意味な比較をあえて持ち出す意図が重要です。
比較するならば、都民人口と10年単位の長期滞在者や在日との比較であるべきでしょう。
このために警察庁では定住者と臨時の来日外国人に大きく分けて統計をしているのではないでしょうか?
この点を措くとしても、都民の数字は出せるとしても都内犯罪と比較すべき「来日外国人」の数字をどうやって算出するのでしょうか?
辛氏の発言が都道府県別犯罪統計を見た数字で正しいとしても、都内常住者と日本全国への来日外国人全員と比較するのか不明・そもそも比較するとすらも書いていません。

同胞意識5と統治対象2

中国では政府に反対する者は皆殺しにしても、あるいは非合法に収容しては臓器摘出してこれを売却商品にするなど何でもする政府ですが、ここまでやると怖くて抵抗出来ないし、政権に抵抗するのは命がけ・・反政府運動に参加する以上は先鋭化して行くのが普通です。
2013-1-27「 暴動と政権維持1(同胞意識2)」以下で書いたように、近代国家では政府軍の軍備は、寄せ集めの武器に頼る反政府軍や素手の暴動群衆に対して圧倒的に強大ですから、外国の介入がない限り、反政府運動はまともに戦ったのでは勝ち抜く見込みがありません。
中国のような大国では外国軍の介入が殆ど期待出来ないので、どんな圧政・臓器摘出されても国民は従うしかありません。
中国では古代から「苛政はトラよりも猛し」と言われて来た所以です。

「孔子過泰山側。有婦人哭於墓者而哀。夫子式而聽之、使子路問之曰、子之哭也、壹似重有憂者。」
「而曰、然。昔者吾舅死於虎、吾夫又死焉、今吾子又死焉。夫子曰、何爲不去也。曰、無苛政。夫子曰、小子識之、苛政猛於虎也。」

苛政とは重税を意味したものと学校で習った記憶ですが、今様に言えば不公正、不合理な制度や非民主的過酷な弾圧などが苛政にあたるでしょう。
圧政・・すなわち正義に反する政治の強制が許される政治体制・・装備の優勢と国民に対する呵責ない弾圧を躊躇しないで実行出来る国では、政権が倒れない代わりに個々人の道徳観が蝕まれますので、犯罪多発・道徳の頽廃した社会が継続する原因になります。
特権層が日本のお金持ちの10〜100倍の収入があって厳重な警備で生活したり家族を海外に逃がしたりするのと、日本のように使用人ゼロでも気楽に自宅近くを散歩出来るのとどちらが良いかの問題です。
政府が政権維持のためには道徳も何も要らないと言う姿勢ですと、国民も毒になる物をミルクや食品等に混ぜるなど、金儲けのためなら食品産業に限らず何でもやるという姿勢が顕著になります。
日本では野球でも何でも有名人が行儀悪いと青少年に与える影響が大きいからという理由での締め付けが厳しいですが、(ジヤィアンツの王選手が試合中にしきりにつばを吐くシーン映像が行儀悪い・・少年に悪影響だ嫌われていたことを想起して下さい)政府自身が政権維持のために人倫の道に反していろんなことをすれば、国民に与える道徳的影響は半端ではありません。
ところで、中国や韓国国民が非道得的行動原理になる理由については、政府の国民に対する政権維持のためにする呵責ない圧政の外に、「貧すれば貪する」と言う原理も加えて作用しているでしょう。
中国や韓国と我が国の本質的民度差は、中国や朝鮮では民衆の極端な貧しさ・・庶民層ではちょっとした凶作等があればたちまち餓死に直結するような極貧状態が古代から続いている・・庶民がマトモな蓄積を出来ない状態で何千年も来たことも関係あるのかも知れません。
中間層と言うと世上ホワイトカラーの出現・・高度成長期以降のことを想定している人が多いと思いますが、我が国では実は古代から中間層が存在していたことを軽視してはなりません。
我が国では、平安の昔から、武士層という中間層と安定した自営農民中心社会だったのに対し、古代から中間層が育ったことのない中韓社会との違いです。
安定した中間層の存在が早くから庶民文化・BC級グルメの発達した基盤でもありますし、日本と中韓の違いだけはなく世界中の諸外国との大きな違いになっています。
何でも西洋にあるものに日本をあわせようとする(日本の実態を知らないまま)学者が多いので、(士農工商と階級社会関係の違いについては「最先端社会に生きる3」January 14, 2013で書いたばかりです)我が国では昔から地主小作関係や農奴的身分があったかのような書き方で教育されて来ました。
いろんな歴史漫画でも長者ドンの息子と結婚出来て目出たし目でたし・・あるいはとんちの利く小僧が長者ドンをへこますような筋書きが多く見られます。
しかし、地主小作関係が発達したのは明治の地租改正・金納制による自営農民の没落によるものであったことを、04/10/04「イギリスの囲い込みと我が国の自作農崩壊との違・・・農村の窮乏化政策」04/09/04「地租改正と農地売買の自由化3(大地主の誕生と小作農の出現=窮乏化)」その他で連載しています。

 同胞意識4と統治対象1

マスメデイアだけではなくネット通信の発達によって、さすがの中国も言論弾圧が出来なくなるだろうという報道が5〜10年前から普通でした。
しかし、中国では膨大な人口と膨大な失業者・アリ族の存在を逆利用して彼らを低廉な(5毛?)報酬での検閲要員に取り込んで、徹底した人海戦術でこれをチェックして即時抹消して押さえ込み、他方で積極的に政府に都合の良い政策方向の宣伝や反日ブログ等の書き込みなどをさせて世論誘導にあらかた成功しています。
ネットの発達が言論の自由拡大に中国ではあまり効果がなく、逆にネットの発達が英米支配の先進国(特に日本では)のまやかしの言論の自由が告発される時代になって来ていることを、2012年12月20日「米英系マスコミ支配2とマスコミの限界」あたりから正月のコラムまで書きました。
日本の感覚ですと「政府がそこまでやらなければ政権維持出来ないならばもう終わりだ」と思うのが普通ですが、「そこまでやるか!」と言う野蛮なことを臆面もなくやり続けて来たのが古代から今に続く中国政府です。
王朝は毎回倒れているし、共産党政権と清朝には政権としても民族(満州族と漢民族)としても連続性がないのですが、目的達成のためには手段を選ばない点では、そこに住んでいる人・政府構成員のDNAが大きな意味を持っています。
歴代政権が政権維持のためには手段を選ばない価値観で来たので、上が上なら下も下ということで、そこにいる住民自身も金儲けその多目的達成のためには手段を選ばない価値観になるのは当然です。
人体に毒であることが分っていてもミルクに毒物を混ぜて安く仕上げようとするような事件が続出していますが、そこには商道徳などかけらもありません。
上から下まで目的(政権維持・金儲け)達成のためには手段を選ばない価値観で何千年も来たからです。
中国や韓国では、政府(これを構成する官僚や軍・国民を含めて)にとってわが国で言うところの「国民(同胞)」という意識がないのではないか?と言う意見をこの後で書いて行きます。
異民族支配が多かった中国地域の道徳観では、共同体・同胞としての国民一般という概念がなく、利益を守るべき共同体は飽くまで一族意識の範囲内だけです。
韓国や朝鮮でも古代から異民族の入れ替わりが続いたことから、一族・本貫重視である点は同じです。
今の中国では共青団出身とか太子党などと日本のマスコミが如何にも利害対立集団の如く囃立てていますが、共産党大幹部の家柄・太子党一族か、共産党組織の中堅下部組織からから這い上がって来たかの違いだけで、共産党内部の覇権争いに過ぎず、その他一般は統治の対象でしかありません。
王朝時代の王族と高級官僚(宦官)による争いの蒸し返しに過ぎないと言えるでしょう。
中国でのジニ係数が破滅的数字に達しているとタマに報道されていますが、この係数自体まるで当てなりません。
もともと中国の統計数字がいい加減であるだけではなく、天文学的蓄財をしている共産党幹部や政府高官の収入は表向き小さく、中国の巨額収入層は賄賂等不正蓄財によるものですから、統計に出る筈がありません。
これらを統計に含めないでも相対的貧困層の比率が危機的状態とすれば、実態はもっと深刻・大変な事態です。
統計数字だけでも政権維持出来なくなる程の格差であるという論評が一般的ですが、欧米や日本んマスコミの期待にかかわらず中国が天文学的格差下で政権維持出来ているのは、徹底的強圧政治が可能・・躊躇しないことによります。
チベット僧の焼身自殺などがいくらあっても、中国政府にとって諸外国からの批判(外国介入の一種です)さえなければ、「そんなことくらいしか抵抗出来ないの?」と却って安心材料になるくらいでしょう。
尖閣諸島問題で中国の侵略が始まった場合、これに抗議して日本国内でいくら焼身自殺が相次いでも中国は、日本軍が抵抗出来ないからそんなことしているのだと安心するだけです。
中国政府にとって、国民が焼身自殺しても騒乱を起こしても同胞としての痛みを感じるのでなく騒乱軍に政府軍が負けるか否か・・政権維持出来るか否かだけが基準になっていると考えられます。
モンゴル軍が中央アジアを次々と侵略をしているときに、被征服民の何十人〜何百人が絶望して自殺しても侵略軍は何にも感じない・・無駄な抵抗にすらならなかった筈と言えば分りよいでしょう。
中国政府にとっては国民はそのような対象でしょう。
商人も製品によって顧客が毒物で死亡したり病気になっても、一族でない限り痛みを感じるのではなく商売を続けられるかどうかだけ(取り締まりだけ)が基準になります。
日本の場合でも、何か重大自体があれば結果として政権維持・顧客維持に関係しますから結果だけ見れば似たようなものですが、先ず同胞として痛みの共有から入って行く点が大きな違いです。

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