2項対立論者は、何かあると国民が困ってもいないことを過大に宣伝して政府の施策妨害のために批判するのですが、イザと言うとき・・サールスなど患者が発生したときに伝染拡大を防ぐためにその足取り追跡などのためのデータ収集に反対すれば、誰が困るでしょうか?
ベネッセ情報流出に関して書きましたが、本当に困ったのはマスコミに叩かれたベネッセでした。
仮に搭乗者名簿や宿泊名簿が流出しても誰が個人的に困るか?(勤務先や家族に知られたくない愛人との旅行など後ろめたい人でしょう)スーパーなどの防犯カメラで誰が困るかの疑問です。
何か困ったことが起きれば、政府だけが困ると思って喝采するのがこれまでのマスコミの姿勢でしたが、ソモソモ政府だけ困るのか国民全部か?と言う図式設定自体が間違っている・・実態はもっと複雑多岐であると思う国民が圧倒的多数でしょう。
国民主権国家論も(コクミンのためにあるか抑圧ためにあるかの)西洋的2元論によるものですが、少なくとも国民主権国家である以上は、政府は国民のためにあるものですが、革新系論者の各種意見は日本がその段階に至っていない立場のようです。
「人権活動家」と称する人たちが国連に出掛けて行って、報道の自由が抑圧されている少女の性道徳が乱れているから調査に来てくれとか、慰安婦問題を宣伝しているのです。
19世紀西洋で到達した近代社会に達していない中国社会を前提にすれば、国連に出掛けて行って自国政府批判するのは合理的ですが近代法成立よりもずっと以前から、高度な社会に達している日本政府が如何に酷いかを宣伝しても世界中がキョトンとしているのではないでしょうか?
「人権活動家」とは、人類を「万物の霊長」として、どんな残虐なことをしても良いと思っていた西洋人・中国人が「動物愛護」「人としてやって良いこととイケナイことの区別」を知って、自分が目覚めると今度はしたり顔で、イキナリ捕鯨反対をしているグループと同レベルではないでしょうか?
日本民族はフランス革命のずっと前から人権・民意・環境・万物尊重社会だったと言う立場です。
世の中は、シロか黒か、暑い寒いかなどの2択ではなくいろんなバリエーションがあることはこれまで書いている・・私が書かなくとも多くの日本人はそう思って生きて来たでしょう。
何とか集会では、2項対立的議論・・すっきりして分りよいことを大きな声で主張している人は自慢げですが、多くの参加者「そうは言ってもなあ・・・・」と言う顔をしている人が圧倒的多数です。
・・複雑多岐で一言で言い切れない意見を持っている国民性・・意見がないのではなく・・白か黒かのような単純な意見として表現し切れないだけのことですから、高度文明社会では演説的単純表現しきれない、サイレントマジョリテイが重要です。
芸術分野でも西洋では近代に入って漸く写実の必要性に気が付いたようですが、日本人は写楽のクビ絵.北斎の赤富士などが出る江戸時代のもっと昔・・・縄文の昔から、写実をはるかに通り越した土偶を一杯残しています。
アメリカでは交渉力その他総合力がなくとも映画界その他演出のプロの言うとおりに、演説さえ上手にこなせれば、大統領や政治家になれるのは不思議でも何でもありません・・要は国民レベルが低くてその程度の煽動的単純主張しか理解出来ない民度・・単純主張では飽き足らないレベルの人が少ないからです。
それでも国際政治が何とかなっているように見えたのは、その都度損ばかりしていても大金持ち・・資源大国・・産業革命→資源活用の時代が始まってうまくマッチ出来たので、その結果を誤摩化せていたに過ぎません。
支配地拡大縮小の結果から第2次世界大戦を見ればスターリンは東欧諸国を支配下に収め西欧諸国は植民地支配権を失ってスターリンの一人勝ちの結果に終わり、更に世界共産革命を目指す余力まで与えました。
引き続いて始まった朝鮮戦争はソ連に対抗する力を着けそうな中国をアメリカの正面の敵に据える作戦にうまく乗せられ,米中双方が引きずり込まれた上でソ連はあっさり手を引いて米中の消耗戦にさせられてしまいました。
その後ベトナム戦争に始まり現在のシリア混迷に至るまで下手ばかり打っているアメリカですが、それでも底力(資源地生産と資源利用力が近代化レベルにマッチしていた優位性)の勝負で最後はソ連崩壊に追い込みましたが、今では資源開発能力進歩によって(アフリカ諸国もロシアも中国も)世界中が資源国化してきてアメリカは相対的資源利用大国に過ぎなくなって来ました。