GHQ(内部対立)+本国政府+極東委員会1→天皇制存続?

GHQ(内部対立)+本国政府+極東委員会1→天皇制存続?

昨日の資料の続きです。
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/026shoshi.htmlからの引用です

3-4 極東委員会の設置とGHQとの会談
終戦後の日本は事実上米国の単独占領のもとに置かれていたが、1945(昭和20)年12月のモスクワ外相会議の結果、日本占領管理機構としてワシントンに極東委員会が、東京には対日理事会が設置されることとなった。
極東委員会は日本占領管理に関する連合国の最高政策決定機関となり、GHQもその決定に従うことになった。
とくに憲法改正問題に関して米国政府は、極東委員会の合意なくしてGHQに対する指令を発することができなくなった。
翌年1月17日、来日中の極東委員会調査団(来日中は、前身である極東諮問委員会として活動した)はGHQ民政局との会談の席で、憲法問題についての質問を行ったが、民政局側は憲法改正についての検討は行っていないと応じた。同月29日、マッカーサーは同調査団に対し、憲法改正については日本側に示唆を与えたものの、モスクワ宣言によりこの問題は自分の手を離れたと述べた。3-7 憲法改正権限に関するホイットニー・メモ 1946年2月1日
極東委員会が憲法改正の政策決定をする前ならば、GHQに憲法改正の権限があると、マッカーサーに進言したホイットニー民政局長のメモ。
1946(昭和21)年に入り、極東委員会の発足(2月26日)が迫っていたとき、ホイットニーらは、その前身である極東諮問委員会との会談のなかで、彼らが憲法改正問題に強い関心を持っていることを知った。この文書が作成された2月1日は、GHQ草案作成の重要なきっかけとなった、毎日新聞のスクープ記事が掲載された日でもあった。GHQは、独自の憲法草案作成を決断するにあたり、その法的根拠について検討していたのである。
3-28 極東委員会の関与
極東委員会は1946(昭和21)年2月26日にワシントンで第1回会議を開き、その活動を開始した。3月6日に日本政府が行った「憲法改正草案要綱」の突然の発表とマッカーサーの支持声明に対し、同委員会では、マッカーサーが権限を逸脱したとの批判が巻き起こった。
そこで同委員会は3月20日付け文書を発し、憲法案が可決される前にこれを審査する機会が同委員会に与えられるべきであると主張した。4月10日には、憲法改正問題に関する協議のためGHQ係官の派遣をマッカーサーに求めると決定したが、マッカーサーはこれを拒否した。
東京では、対日理事会が4月5日に初会議を行ったが、その席上マッカーサーは、憲法草案は日本国民が広範かつ自由に議論しており、連合国の政策に一致するものになるだろうと主張した。
しかし極東委員会では、米国代表であるマッコイ議長も憲法問題に関してマッカーサーを支持していなかった。
このことは、GHQ憲法問題担当政治顧問として来日した政治学者のケネス・コールグローヴからホイットニー民政局長に伝えられた(4月24日付けホイットニー文書)。
マッコイ議長自身もマッカーサーに対する4月25日付け打電で、新憲法成立以前に極東委員会が審査すべきことを訴えている。しかし日本で多くの知識人と接触し、憲法草案が広く支持されていることを知ったコールグローヴは、マッコイに対し、極東委員会での審査は時間の浪費になると伝え、GHQの立場を擁護した(4月26日付け書簡)。
極東委員会は、4月10日に予定された衆議院総選挙に対しても、国民が憲法問題を考える時間がほとんどないとして、その延期を求めていた。しかし総選挙は予定どおり実施され、きたるべき第90回帝国議会において「帝国憲法改正案」が審議されることは既定路線となっていった。極東委員会は、帝国議会の召集が間近に迫る5月13日、「審議のための充分な時間と機会」、「明治憲法との法的持続性」および「国民の自由意思の表明」が必要であるとする「新憲法採択の諸原則」を決定した。
4-6 極東委員会「日本の新憲法についての基本原則」
1946(昭和21)年7月2日、極東委員会は「日本の新憲法についての基本原則」を決定し、新憲法が盛り込むべき原則を初めて示したが、これは半年前に米国政府がマッカーサーに伝えていた「日本の統治体制の改革」(SWNCC228)を基本としたものであった。同委員会内ではかねてより天皇制に対する強い反発があったが、結局SWNCC228を踏襲して、「天皇制を廃止するか、またはこれをより民主的な方向で改革する」という選択肢を日本国民に与えることで落ち着いた。
マッカーサーは、この基本原則に異議は唱えなかったが、この「指令」を公表すれば、憲法改正に対する日本国民の自発的努力が連合国による強制という性質を帯びることになるとして、公表を抑えさせた。

上記の通り、マッカーサーは極東委員会をうまく手玉にとっていたことが分かります。
マッカーサーが極東委員会をコケにしたのは(ソ連に口出しさせない)本国の意向であったのか、それともマッカーサー個人の意見だったのか断定できませんが、もともと本国の決定機関・・「米国の対外政策の決定機関である国務・陸・海軍3省調整委員会(SWNCC)」は上記の通り「天皇制廃止」意向が強かったのが、マッカーサーの意向を反映して1月7日公式文書の「天皇制を廃止するか、またはこれをより民主的な方向で改革する」という選択肢を日本国民に与えることで落ち着いた。」という中立的な表現に変わったものの、対日政策方針でマッカーサーとの間でぎくしゃくしていたと言われていたように思います。
この1月7日のSWNCC文書発令前にアイゼンハワー参謀総長からマッカーサーとの書簡応答があった資料を1月10日コラムに引用しましたがもう一度ここで引用しておきます。

3-3 マッカーサー、アイゼンハワー陸軍参謀総長宛書簡(天皇の戦犯除外に関して) 1946年1月25日
1945(昭和20)年11月29日、米統合参謀本部はマッカーサーに対し、天皇の戦争犯罪行為の有無につき情報収集するよう命じた。これを受けマッカーサーは、1946年1月25日付けのこの電報で、天皇の犯罪行為の証拠なしと報告した。さらに、マッカーサーは、仮に天皇を起訴すれば日本の情勢に混乱をきたし、占領軍の増員や民間人スタッフの大量派遣が長期間必要となるだろうと述べ、アメリカの負担の面からも天皇の起訴は避けるべきだとの立場を表明している。」

「天皇を戦争犯罪者として裁くべきかの調査命令発出・・元々本国では「天皇の戦争責任を問うべき」とする意見が強かったことが推測され、・・マッカーサーの意見は、この方向を変えるエネルギーになった可能性があります。
この報告書を受けて、戦犯追及意見が下火になり、1月7日のSWNCC228の公式(最終)意見となったのでしょう。

ロシアから中国の脅威へ(中ソ対立)

日本にとってロシアが最大の脅威であった構図が変わったのは、日露戦争後の日本の台頭〜日本が第一次世界大戦後米国の人種差別批判を始めたこと・その他中国での利権争いその他総合的対立激化によって、対日オレンジ計画開始〜アメリカ国内での反日・排日気運の たかまりに乗じコミンテルンの日米離間工作にルーズベルトがまんまとハマって日本攻撃を目ざしたために守るべき相手が米国に臨時的に変わっていたにすぎません。
クリミヤ戦争で敗退後のロシアにとって残された出口としては東方・・草刈場である満州〜中国方面しかなかったのですが、そこに頑張っていた日本が目先の邪魔でしたし、当時の列強では最も孤立させやすい敵でした。
コミンテルンの浸透標的が中国内部呼応・共産党勢力の育成と目先の覇者である日本弱体化をはかるには、日米離間が最有効・・優先テーマだったでしょう。
日本敗戦後再び日米共に主たる敵がソ連に戻って「国防」といえば、北方から攻めてくるソ連が対象で三沢基地をバックにした北海道防衛中心でした。
ソ連崩壊後、この20年あまりロシアは領土拡張どころではなくなったはずなので、(とは言え、ロシアはこの後で紹介しますが、今なお対GDP比で見ると分不相応な軍事費をかけて軍事強国を維持しています・・)この隙をついて今度は中国の対日挑戦が始まりました。
中国は独立以来国内権力確立〜国内生産力近代化に忙しく日本侵略どころではなかった上にようやくある程度落ち着いたところで中ソ対立が始まったので、応援してもらっていたソ連からの脅威に悩まされていました。
当時モンゴル国境から北京までわずか60キロしかないので、ソ連得意の戦車隊が約1〜2時間で北京を蹂躙されるとメデイアでは報道していました。
中ソ対立についてはhttp://www.y-history.net/appendix/wh1603-048.htmlによれば以下の通りです。
「同じ社会主義(マルクス=レーニン主義)を掲げて共産国家建設を目指していたソ連と中国は中ソ友好同盟相互援助条約(1950年締結、1979年消滅)で結ばれた同盟国であったが、1950年代後半から革命観の違い、戦略論の違い、国際政治上の意見の対立などが目立ち始めた。きっかけは1956年のソ連のスターリン批判であり、平和共存路線をとるようになったことであった。中国共産党の毛沢東はスターリン路線の継承する立場からフルシチョフらソ連共産党の転身を修正主義であるとし、また平和共存路線は帝国主義への屈服であるとして受け入れないと姿勢をとった。」
「はじめは理論的な面での論争が主であったが、1958年の中国軍の金門・馬祖島砲撃事件や59年のチベット反乱と中印国境紛争など緊張が高まる中、1960年代からは公然とした非難を互いにぶつけあう対立となった。ソ連は59年、核兵器開発への協力を中止、さらに中ソ技術協定を破棄し技術者の引揚げを通告、対立は決定的となった。
 毛沢東は独自の社会主義建設を目指して「大躍進」運動を開始し、第2次五カ年計画ではソ連の援助なしの工業化をめざした。また1962年のキューバ危機を回避した米ソ両国が、63年に部分的核実験停止条約に合意すると、それに反発して自前の核兵器開発を始め、64年に中国の核実験を成功させた。同年のフルシチョフ失脚後も対立は続き、65年ごろから本格化した文化大革命でも毛沢東はソ連を修正主義として激しく非難した。」
「文化大革命の国内闘争が激しくなり、ソ連の社会主義も硬直した指導部の下で経済の停滞を招き、70年代には米中が接近するという状況となった。76年には毛沢東が死去し、情勢は変化の兆しが見え始めた。79年2月には中越戦争が起き、ソ連はベトナムを支援、再び関係は悪化した。しかし、中国の華国鋒指導部はベトナムから撤退を余儀なくされて指導力を低下させた。同年、50年に締結された中ソ友好同盟相互援助条約も期限切れになり、延長されずに廃棄された。あらたな中ソ関係の模索が始まったが、同年12月、ソ連のアフガニスタン侵攻が起きると、中国はソ連の覇権主義を非難して、翌年のモスクワ=オリンピックをボイコットした。」
これがキッシンジャー訪問による米中和解でソ連の圧力が縮小〜ソ連崩壊ですから、中ソ対立の勝者は米国を味方につけたスターリン主義に固執する中国であったことになります。
ソ連を継承したロシアは今でも軍事力は大きいものの中国にとってはさしたる脅威に感じなくなっている・・中国は文字通り後顧の憂いをなくして安心して南進膨張出来る好機となった上に、中国の改革解放以来国力が飛躍的に大きくなった結果、中国が自信をつけて米国の抑えが効かなくなって来ました。
今回の一連の北朝鮮に対するトランプ氏の脅しが全く効き目がないことを見れば、中ロは実験段階どころか実用化されたもっと大量の核兵器・運搬手段を保っているのですから、今後アメリカの脅しに対してなんの恐れも抱かないでしょう。
強制力を背景にした脅しには、自己の道義に反した要求貫徹のための違法な脅しと定着している国際ルールを守らせるための脅しの二種類があります。
法治国家による裁判を経た執行力の確保と暴力団の実力行使の違いです。
アメリカがイラク侵攻を初めとして違法な実力行使をし過ぎたから・・という道義的分析も可能ですが・・欧米秩序である法の支配が色あせて島田っと見えますし、結果として合法違法を問わずにパックスアメリカーナの強制能力が縮小に向かっていることが明らかです。
核兵器保有国同士では相手の行為が違法であろうとなかろうと互いに手を出せない関係ですから、アメリカが南シナ海で自由航行作戦と言って軍艦を航行させても中国は手を出せない・その代わり今度は中国がアメリカ近海でデモンストレーションをしてもアメリカも手を出せない・お互い嫌がらせ自由の関係になって行きます。
そのうち近海どころか、お互いが相手領海内〜国内に自国軍を無断侵入させ〜上陸させて兵が暴れても、相手国は手出しできなくなる・・無法状態が始まるのでしょうか?
お互い無法状態では困るので一応のルール・・外交官だけは治外法権という節度を設けていますが・・。
個人間で言えば、リヴァイアサンの時代から徐々に強制的な法がなくともお互いを尊重して道を譲りあうようなルールが定着して来たのです。
ライオンその他動物界でも自分の方が相手よりも何割か強いとしても、むやみに闘争していると勝った方の受傷が致命傷ではないまでも、(一部の怪我でもそのウチに化膿するし、骨折でも)走力が落ちて餌を追いかけられないと結果的にすぐ飢え死にしてしまいます。
こういう知恵の結果むやみな争いが起きないように文字のない動物界でも、お互い道を譲り餌の取り合いや水場で狩をしないなどのルールが自然発生的?に生まれています。
北朝鮮が望んでいる核保有国になった場合には、この初歩的・動物界的ルールさえ成立しない状態に戻るのでしょうか?
過去のルールに何でも反対する・日本に北朝鮮の軍人が不法上陸してこれを逮捕すると釈放しないと核兵器をぶち込むと威嚇する・・釈放すると白昼公然と日本人技術者を拉致して北朝鮮に連れて行く・・市場相場の10倍の代金を要求する・・文句を言うならば核爆弾をお見舞いするという脅迫が横行するようになると・・リバイアサンの時代に戻ります。
アメリカは、これを言い立てて・・無秩序状態化阻止のために制裁が必要と主張しているのですが、本当にそうなるかどうかはわかりません。
どうしょうもないライオンもいるでしょうが、それでも全てのライオンに爪や牙を持たせているのが自然界です。
爪や牙があるからといって、ライオン同士でしょっちゅう喧嘩してはいません。
北朝鮮は、今は誰も認めてくれないのでヤケになっているが、核保有国になって一人前扱いしてくれれば自信が出て普通の国になるのでしょうか?
世界中が核兵器保有国になったらどうなるかの実験をしてみるしかないのかもしれません。
バカな人がたまにいて刀を振り回し銃乱射する程度ならば、周囲の被害も局地的でその人個人が自滅するだけでしたが、相手の横暴があまりひどい場合、怒った国が受けて立つ・・間違って核兵器の応酬になれば、全人類がほぼ滅びます。
原発問題で放射能の半減期縮小の研究が進んでいることを紹介したように、核兵器無力化あるいは防御システム化が進む可能性があるでしょうが、ここ30〜40年程度では核兵器から身を守れる人は全体から見れば微々たるものでしょう。
ノアの洪水のような人類の試練が来るのでしょうか?

二項対立と騙し合い社会2(賄賂の基礎1)

政府と国民の関係は長い異民族支配の歴史もあって、中国の場合「上に政策あれば下に対策あり」と言われる社会で政府支配力が弱い・・弱いから専制支配・・強そうなこけ脅しが必要・悪循環ですが歴代王朝の強権政治の裏に徴税率が低いことが知られています。
中国国民はしぶとい・・政府が適当に国民を騙す以上は国民も裏の動きを嗅ぎ取る能力に長けて来ます。
海外旅行熱が衰えないのを見ると政府の苦境とは別に意外に国民の資産保有が高い実態があるように見えますが・・この種の統計は勿論ありませんが、国外へ出掛けて旺盛に消費する姿こそが本当の姿でしょう。
厚い個人資産保有があるからこそ政府がこれを狙って政府主導の投機熱煽り・・株式投機やマンンション投機を誘導して国民の個人保有(ヤミ?)資産吸い上げに躍起になっているように見えます。
このシリーズで書いているように日本以外の国々は政府と国民は二項対立の関係で、互いに騙しあいの社会です。
特に中国地域では異民族支配の方が長かった(不幸な?)関係で?支配者には異民族懐柔の必要性もあったでしょうから、歴代王朝は歴史的に国民からの徴税がうまく行っていません。
この辺中世以降、ローマのお膝元であった関係でイタリア半島では、民族国家形成が遅れていた・・ハップスブルク家、ブルボン家スペイン〜ナポレオンの侵攻など言わば異民族支配が入り乱れていた結果、今でも表向きGDPは低いものの、個々人は豊かに暮らしていると言われるのと似ています。
日本では京都の町衆がその時々に入れ替わるトキの権力としたたかに付き合って来たのと同じです。
清朝が広大な版図を有していたと言っても名目的服従させただけで、マトモニ徴税出来ていなかったと言われています。
二項対立社会ではない・・日本人は政府・マスメデイアが音頭をとらなくとも黙って一定方向へ一致団結シテ行動する社会が出来上がっています。
反日運動が中韓で始まると、メデイアが中韓製品不買運動を煽らなくとも黙って中韓製品と分るだけでスーパーで手に取らない徹底ぶりです。
二年ほど前の町内会のお花見で焼き鳥用串さし肉の段ボールに中国製と書いていたのが目に止まり、「安ければ良いと言うものではない」となって昨年のお花見会からは国産鶏肉に切り替わりました。
現代自動車は日本では年間何十台しか売れない・・スマホでは日本販売のサムスン製品はサムスンの名称さえ表に出すと売れない徹底ぶりです。http://news.livedoor.com/article/detail/10253286/2015年6月20日 9時49分
世界で800万台販売される現代車 昨年の日本での販売台数は73台https://ja.wikipedia.org/wiki/Samsung_Galaxy
端末上のロゴ
2015年3月に発表して日本国内において販売されている Galaxy S6 edgeに『サムスン』のロゴがない。サムスン側は日本でサムスンブランドの露出を控え『Galaxy』のみでの訴求をしている[2]。」
ところが、中韓では政府と人民は「騙しあい抑圧し、抑圧される関係」で信頼関係がありません。
このシリーズで書いている支配・被支配の二項代立構造で古代からやって来た基礎にあるからです。
だからこそ外資導入・・文字どおり外資から資金を吸い取る関係が続いている限り政府と国民はウインウインの関係でしたが、外資が逃げる展開になるとそれをどちらが吐き出すかの対立構造に戻ります。
国外資金が入らなくなるどころか引き上げの方が多くなると政府は国民が「対策」によって溜め込んだお金・・徴税が伝統的に機能していない結果ですが、これを何とかして吸い上げようと必死・・その一環として手始めに汚職の摘発名目で始めたことになります。
ところで、中国では秦始皇帝皇帝が完成した専制支配体制=官僚制は、徴税技術が伴わなかったこともあって、(徴税対象が貨幣ばかりならいくらでも運搬・保管が可能ですが、現物徴収・租庸調では無理があったのは日本古代王朝と同じです)官吏が自給自足?するために収賄で動くのは社会制度に基礎から組み込まれていた不文律の制度です。
政敵でもないの一般公務員・中立的・中間管理職まで「袖の下」収入を摘発すると社会制度の屋台骨が揺らいでしまいます。
何かするには、手数料が必要であり賄賂も公的に必要な手数料の一種といえるとしても、公式手数料の場合、いくら払えば何をして貰えると払う方も予測可能ですし、政府財政の透明性が増します。
すなわち近代合理主義・民主主義社会に於いては、公的手数料がいるならばきちんと公示して公平にとるべきですしその効果も(コピー代いくら払えば紙何枚のコピーが貰える)明示すべきですが、賄賂の場合内容不明・・相場らしいモノがあっても不透明な上に効果も不透明・・相手によって違うなど・・命令の基準が不明な専制支配と一対なった経済版と言えます。
近代貨幣経済社会になると収賄に頼るよりは徴税技術を上げてきちんと給与を払う方が合理的ですが、社会意識がそこまで行かない中国の場合、国際社会の基準にどうやって適応するか産みの苦しみと言うところでしょうか?
賄賂が発達してしまった原因を見ると元々専制支配・中央集権制と関係があります。
古代から中世〜近世までの経済状況では、巨大な官僚組織に給与支給出来るほど貨幣経済が行き渡っていないのですから、無理がありました。
中国地域・・漢民族は交易する市の周辺・中原・・洛陽周辺で発達した古代都市国家から始まったことを何回か書いて来ました。
秦の始皇帝以来の支配者はこの関係・・狭い城内だけで通用する貨幣経済を支配領域全般に及ぼせると誤解していたことになります。
今でもそもそも中国人はシンガポールや香港、上海などの都市国家支配が元々得意な民族ですが、広大な中国全土を支配するのは無理があるのではないかと思われます・・・。
始皇帝の業績と言われる度量衡の統一がありますが、度量衡を統一すれば便利とは言え、生産物がまだ食糧中心の時代・しかも保存期間も限定される時代にこれで膨大な軍人や官僚を養うのは無理があります。
食糧が最重要な時代に富みを如何にためても保存期間の縛りで1〜2年でパーになりますから、長期間の安定した地位を維持出来ません。
日本の領地制だとこれを一所懸命守っている限り金の卵を生む鶏のように何百年も収入が安定します。
一所懸命・・領地を守ることが一族繁栄・永続の基礎ですから、一族の紐帯が大事にされてきた所以です。

政治と信頼1(意思表示の責任)

不確実性とは何か?要は相手が何をするか分らない・・下の者は何をすれば良いか分らない不安・信用出来ないと言うことです。
昔から政治には周辺者の支持が必須ですが、その支持は約束を守る信頼の上に成り立っているモノで、これ形式化・・「見える化」したの中国古代の韓非子・法家の思想であり、西欧近代の法の支配です。
現在で言えばマニュアル化でしょう。
法とは、国家・為政者の支配・命令の意思表示ですが、仮に一方的に制定されたものであっても、この命令に従った者に相応の恩賞を与えたり、処罰出来ない(罪刑法定主義)など君主自身の行動も縛られる・・国民との約束です。
国家が個別国民と個々に約束出来ないので、公布と言う形式で国民全部が拘束される約束・対世効があるのが「法」であり、個別意思表示でも相手方に対して法律効果が出る・・守らねばならないのでこれを法学用語で「法律行為」と言います。
民法
第五章 法律行為
    第一節 総則
(公序良俗)
第九十条  公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。
(任意規定と異なる意思表示)
第九十一条  法律行為の当事者が法令中の公の秩序に関しない規定と異なる意思を表示したときは、その意思に従う。
(任意規定と異なる慣習)
第九十二条  法令中の公の秩序に関しない規定と異なる慣習がある場合において、法律行為の当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるときは、その慣習に従う。」
「法」とは国民が守るべきモノと言う意味であり、個人の意思表示に法律効果があると言うことは、意思表示したことは守るべき義務・責任が生じると言うことです。
企業が消費者の意見を聞かずに一方的に示す(民主的手続がなくとも)約款やレストランのメニューであっても予め示した取引条件・意思表示に企業自身が不特定多数の顧客に対する効果が出る・・縛られるのは「法」と個別「意思表示」の中間的場面です。
一方的命令・・通告であっても実効性を持たせるには、命令・ルール通りにしたことが褒められ、処罰されない・・しょっ中変えない・安定性・信用が重要です。
店舗も定休日や執務時をその都度変えると、せっかく行ってもお休みだったら困るので、客は安心てその店に行けません。
約束は守るが自分に不都合になると朝令暮改では、いつ変えられるか心配で国民や相手は安心出来ません。
議会制民主主義とは君主が勝手に国民に命令・約束出来ない・・側近に諮問していたのを民選の議会で作るようになった内部手続の問題であって、これを経ていない時代でも公布したり命令した途端に国民や官僚に対する約束になる点は同じです。
政治が機能するには、国民が法(政府の約束)に従っていれば大丈夫・政府を信用出来ることが大前提です。
「綸言汗の如し」言われて来た所以です。
これを世界規模に及ぼすと国際合意の重みです。
世界の覇者が法・・過去の国際合意を好き勝手に変更するのでは、民(世界の弱小国)は何を信じてよいか分りません。
アメリカは近年国力の衰えが見えるとは言え、今なお世界最大の強国ですし、アメリカの大統領は世界最高の権力者です。
この最高権力者がアメリカ主導で決めて来た過去の国際合意を自国都合で一方的に変更すると宣言しているのですから、今後アメリカ主導の国際合意をしても彼の気持ち次第で一寸先が見えないとなると、国際合意の価値が減少します。
トランプ氏は、「過去の合意をちゃぶ台返しするが、自分がした合意は守る」と言うのでしょうが、彼の任期は最長でも8年しかありません。
国際合意は長期間の行動指針ですから、大統領が変わる都度変更になるのでは、安心して長期的関係を築けません。
合意だから変更要請を断れば良いかと言うとそうは行かない現実があります。
アメリカの圧倒的影響力があって、高関税や輸入禁止、日米安保ももっと費用負担しないと撤収すると言われれば、日本は拒み切る力を持っていません。
戦前日本がアメリカの不当な要求に次々と屈服・受入れて来たのに対して最後にハルノートを突きつけられて遂に妥協の限界が来て日米戦争になりました。
戦後も自由貿易と言いながら繊維交渉、電気交渉、鉄鋼・半導体・プラザ合意などなどその他全て無理な要求全部受入れて来た歴史です。
日本は無茶な要求されれば、大方飲まざるを得ない弱い関係・・変更交渉に入れば思うままに変更出来る日米の力格差があります。
合意の変更を求めると言うのは一見公平そうですが、力関係に格差がある場合、強い方が言い出すのは一方的変更になり勝ちです。
これを横で見ている韓国がアメリカのように、日韓条約や過去の合意をスキなように反古に出来ると思うようになったように見えます。
韓国の主張や動きを見ると、オブラートで包んでいるアメリカやユダヤ系の本音をそのまま言って来る便利な存在です。
世界中が(3月11日に書いたように中国はかなりの抵抗力がありますが・)一強のアメリカから過去の合意変更を強要されると日本同様に拒み切れない関係ですから、過去の合意を変更したい・アメリカが高関税を掛けると言われるとみんな困ります。
関税を一方的に上げれば報復合戦になるとメデイアは言いますが、日本はとても報復する力を持っていません。
企業で言えば社長が変わる都度、弱い下請けに対して前社長時代の合意を下請けの不利な方向へ変更してくれと言って良いのかと言うことです。
世界最高権力者がこんなことを言い出せば、折角時間をかけて合意してもいつ変更してくれと言って来るか分らない・・権力者への信頼が失われます。
言わば事実上の強制ですから一方的に約束を破るのと結果が変わりません。
政治・権力は支配下の信頼によって成り立っているのですから、横紙破りの一方的なことを宣言すると一見権力誇示で強そうですが、アメリカ自らの世界支配構造をぶちこわす方向へ働くことになります。
国益・・王権維持のために王様は無茶しないのが鉄則です・・勇ましく荒っぽいことを主張すると一見強そうに見えますが、ヤクザがすごむのと同じでそのときの被害者一人に対しては強権を振るえますが、多くの人が眉をひそめる・・結果的に多くの信頼を失う結果になります。
アメリカにとっても長期的には損することですから、アメリカのメデイアは、国益を守るために政権の足を引っ張る方向よりは、政権を軟着陸させる方向へ協力すべきでしょう。
日本にとってもっとも危険な想定・・南シナ海や尖閣諸島問題放任政策への転換は単純レベル・アメリカンファーストの応用編でいえば、トランプ政権にとってあり得る選択肢です。

政府と国民6(2項対立8)

現在最も日本にとって利害のあるトランプ政権・政策実効性に戻ります。
法的には日本のように法令の改正なく、大統領令1つでイキナリ法令同様の効力のある大統領令制度(ただし予算を伴う政策は議会通過しないと実施出来ないのが弱みです)・・単純な仕組みがアメリカの民度に合っていたとしても、入国禁止令のように結局は国内反発を受けて右往左往するのなら、根回しの必要な日本と本当はそんなに変わりません。
無茶をやって結局敗退するより周到な回しの結果成功した方が良い・・これが日本の智恵ですし、周回遅れのアメリカ式粗暴なやり方・・やるだけやって失敗すれば、やり直せば良いと言う粗放生産方式・・政治もそのような乱暴な仕組みになっている社会の未熟さの違いです。
正義とは何か→民族共同体の共有価値であるとFebruary 12, 2017「民族の正義→外国人の政治活動2」前後で書いて来ましたが、少なくとも1対1の力関係で決めて行く価値ではありません。
1対1の露骨な力関係で決めて行くと、分りよいものの力関係は移ろい安く安定性がないことが明らかですから、我が国では長い時間軸で多様な意見を融合した正義を作り上げて来ました。
何事も決定に時間がかかるのはマイナスだとマスコミ宣伝されていますが、拙速よりは結果的に良いことです。
今朝の日経朝刊1面にコンパクトシテイー構想が大々的に出ていますが、これによると1990年代から中心部に立地する場合の補助金や優遇策で中心部誘導を図って来たが、(この優遇策で青森では駅近くにいわゆる箱物が出来たが、今になるとガラガラで重荷になっているなど)約2〜30年掛けてもうまく行かなかったので強行策(この程度を日本では強権的と表現するようです)をやめてもっとソフトな中心部誘導策に切り替えていると出ています。
ソフトだろうが強制だろうが、住民が中心部に移り住んだ方がメリットがあるような社会にしないと無理・・駅から10k前後の民家でも折角建てた家屋敷を棄て駅近くに移るには膨大な資金損失が生じます・・先祖代々の家も築10年の家も、みんなが出て行く以上は誰もその部落の家を買わない・・政策担当者自身が、代わりに新たな人が住むのではコンパクトシテイーになりませんから出た後の家に新たに移って来る人を予定していなかった筈です。
そうすると言わば全財産を棄てて(過疎地〜地方になればなるほど、家屋敷周辺土地だけが頼りの比率が高まります)・中心部に移り住むような人が滅多にいるわけがないでしょう。
中心部の容積率などアップして優遇しても動機づくのは、不動産屋や商業施設だけであって肝腎の住民の移動は限られます。
青森に限らず地方都市駅周辺を見ると、(千葉県で言えば、茂原駅や木更津駅前にソゴウ百貨店が進出しましたがいずれも 約20〜15年ほど前から撤退して空きビル・・1階の一部を市の出張所に使っている)中心部に箱物やデパートが林立してもその後が続かない・・ガラガラの結果に終わったと言えます。
住民が先祖伝来の家屋敷や自分が折角ローンで購入した郊外の家を棄てて(上記のとおり皆が移動するのを期待する政策→買い手がつかない前提)でも、駅周辺に移動するような社会構造にしないと無理があります。
千葉市の場合で見ると私が千葉に引っ越して来たときは郊外に大規模な住宅団地造成が進み完成時頃でしたから、東京から大量に移住して来た時期・・いわゆる(千葉に住みながら都民意識)千葉都民が誕生したときでした。
電車の時間短縮などで都心通勤圏化がその後更に進み、いわゆる首都圏経済化すると千葉都民2世は(核家族基準の新興住宅地で親子二世代同居が難しいこともあってどうせ親の家を出るならば、)通勤に便利な千葉駅〜船橋駅周辺マンションに移り住むようになっています。
千葉駅から歩ける範囲では、マンションやアパートがドンドン建ち直ぐ満室になっているのに、千葉市の住民はそれほど増えていない・・郊外から中心部への移動が多いことを表しています。
千葉駅の改築工事が進むと部分開業に平行して駅から遠い順に駅から約1k弱のパルコ(昨年秋)や三越百貨店(駅から数百メートル)今年3月予定)が閉店して行きます。
市民の購買力が落ちたのではなく、(郊外店舗と市中心部商店街の競争どころか)エキナカ店舗の規模が大きくなる(駅ナカにスーパーまで出来ました)と、中心部立地全国ブランド店舗さえエキナカや駅ビル周辺に負け始めたからです。
このように、社会需要さえあればコンパクト化が自然にしかも急速に進みますが、他方我々世代の多くは退職の結果通勤時間から解放されたこともあって、郊外の家に住んでいます。
私が昔・・千葉に来たばかりの頃に住んでいた郊外団地では殆ど7〜80台世代になっています。
余裕のあるひとは損切りシテでも便利なところへ早く出たい人は脱出しているでしょうから、余裕のある人も郊外が良くて残っているとしても、損切り出来ない人の比率が上がっている筈です。
この状態で今後千葉市のコンパクト化がさらに進むと郊外の家を売りたくとも買う人が減る一方・地価が下がる一方でしょうから、余計しがみつくしかなくなります。
千葉市ほどドラスチックではないとしても、地方の県庁所在地では、千葉のように東京通勤用のマンションが市中心部にドンドンと建たない・・ひいては駅ビルや周辺商業施設だけ先行して作っても活気が出ない点の違いがありますが、原理は同じではないでしょうか?
政府の政策で人が動くのではありませんし、まして中国のように強制立ち退きなど出来るわけがありません。
話題が逸れてしまいましたが、日本では何事も時間がかかるのですが、これは頭の良い人の考える「上からの政策」はどこか無理があるから実施しながら見る必要があると言う長い歴史を経た民族の智恵です。
私自身いろんな会議に出て痛感するのですが、「そんな無理なことを出来るわけがない」と思っても、そのやり方では何となく無理そうと言う程度の思いつきでは、大きな会議でその場で有効な反論が出来ないまま終わってしまう傾向があります。
大学の先生は頭がいいのでドンドン鋭い意見を言いますのでどこか無理そうでも、「なるほど・・」と引き取って、外に御意見がありますか?とやって行くようになり勝ちです。
その場で反論出来る人は滅多にいません。
1対1の膝詰めの非公式の意見交換では、何となく疑問がある程度の・感想でも言い易くしかも相手がそれにヒントを得て、第三の道が何かひらめくようなことがしょっ中あります。
イキナリの公式会議では、この種何となくの直感を発言し難いので形式的・・決まりきった意見の交換協議になり勝ちです。
特に利害代表的公式協議では、予め出身母体の内部協議を経ているので既定路線の言いっぱなしになり易い・いわゆる3人よれば文殊の智恵になりません。
この弊害が100%出ているのが、国会の議論でお互いが相手の意見によってより良い案に止揚する気がないので、言わば主張を国民に見せるためのパフォーマンス・ショーにしかなっていません。

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