豪華クルーズ船対応批判11

検査結果判明後、陽性陰性別の客室変更は、空(から)の別の船に移動するならば簡単ですが、同じ船内移動の場合、例えば、仮に3分の1しか客室は利用されておらず3分の2は空室であった場合、陽性陰性が半々であったとすれば、陽性用の部屋と陰性用の部屋(多分フロワー別?)各3分の1ずつ用意すれば簡単そうですが、実はビルで言えば4階だけ全室空き部屋というものでなく飛び飛びに部屋が空いているのが普通でしょうし、豪華客船=高齢夫婦での乗船が多い特性があって、夫婦で陽性陰性が分かれると単純計算通り行きません。
(乗員を含めた数とすれば、乗員は、各人個室ではないのが普通ですので、これを陽性と陰性に2分すると部屋数2倍必要になります。
もともと3750名→ほぼ満室だったとすれば、以上は机上の空論でしかなく、検査室確保受付の机や検査器具置場、作業机部屋確保からして大変な作業でしょうから、検疫のために乗り込んだ大量職員の休憩場所も必要で、検査後結果出るまで別室隔離する部屋をすぐに用意できないことは想定していたのではないでしょうか?
検体採取後検査機関の施設へ検体輸送しその結果が出るまでの5〜6時間(1検体ごと発送できないので一定数まとめて運ぶのでしょう)あるいは翌日まで、乗客は検査するまでいた船室に戻って待機する仕組みだったと思われます。
検査の番が来るまでもともと同室者は相部屋の人(他人と同室は滅多にないでしょうが)が陽性か陰性か知らないで同室のままで検査順番待ちしていたのですから、
検査後5〜6時間あるいは翌日まで元の部屋で夫婦で待機しても、検査順番が翌日になった場合と差がなく、違和感ない人がほとんどでしょう。
むしろ検体採取と同時に夫婦引き離される方が(夫婦一緒の荷物を2分割するのは難しいし)無理があるように思えます。
この程度の時間誤差は、米国で1ヶ月経過後同じ問題が起きた時に米国では入港させるかどうかさえ決定できず、2〜3日沖合停泊させていたことを考えると検査した結果待ち時間程度は誤差の問題でしょう。
日本でも陽性判明すると(強制入院可能ですぐに下船=入国させて)専用バスで指定病院に搬送していたようです。
そうとすればゾーン分けがないというのは、結果判明前の残留者のゾーン分けの事だったのでしょう。
政府は当然分離努力をしてきたと思いますが、約4000人の食事の供給作業や清掃を休めない・・食事準備と片付け・清掃等の船内要員自体感染者か不明の状況で限られた空間と人材活用の中で短期間の作業工程がどうであったか、手際よかったかどうかでしょう。
米国の場合どのように手際よく分離されていたかの紹介記事が一切出ません。
数少ない専門家で交代要員として派遣されたとすれば、日本全員が未経験作業であるから少しでも多くの参加を得て経験してもらい有益な情報・知見を得る期待で参加を募ったのでしょう。
午前中に乗船して午後には下船しているのですから作業戦力としてどの程度役に立ったか不明ですから・若手に経験させるのは有益・・後日意見を求める予定があったのでしょう。
国家緊急事態下の緊急作業に参加して実務経験をすれば、人材が育って良いのですが、現場で気付いた事を内部提言しないで外部に先に批判意見を発表するのは招待うけた参加者としてのルール違反の印象が強くなります。
批判を受けたからか?日本語の動画を即削除して外国人向け英語での記者会見をしてしまう神経が不思議です。

日本外国特派員協会主催 岩田健太郎氏(神戸大学教授)記者会見 ―「ダイヤモンド・プリンセス号に乗船して」

日本外国特派員協会主催 岩田健太郎氏(神戸大学教授)記者会見 ―「ダイヤモンド・プリンセス号に乗船して」 2020.2.20
全編動画 ※会見は英語で行われました。(55分45秒以降に一部日本語)

記事では記者会見の要旨が出ていません。
朝日新聞が慰安婦騒動では、日本版では訂正記事をしたが海外向けに停止記事だったか謝罪文だったかを出さないと報じらていましたが、岩田氏も日本語のツイッターは削除したが海外向けに記者会見で日本人の多くに理解できない英語で発表していたようです。
現場経験すれば勉強になり色んな意見を思いつく点は彼に限らないと思いますが、自分が気がついたらそれをのちの検討会などで意見発表するのが普通です。
こういうチャンスを与えてくれた一緒に仕事をした仲間内での意見交換をする事もなく、下船直後にツイッターで批判意見を流し、20日に外国人特派員記者会見でほぼ英語で意見を述べた・外国人相手だから当然という主張でしょうが・・結局ツイッターの削除は英語に堪能でない日本人にとっては何を言ってるのか不明になったままということでしょうか?
内容が文字では出ていないのですが、多分削除されたツイッターと同意見だったのでしょう。
NHKその他報道が、日本のクルーズ船対応が海外で評判が悪いというだけで内容のない記事が多いのは、この特派員が打電した受け売り・キャッチボールではないかの疑いで書いています。
事態が落ち着いてから緊急時の緊急政策の点検検証するのは合理的ですが、今まさに緊急処理に着手している時に日本メデイアがどういう批判があるかすら書けない・根拠なく外国で批判があるというキャンペインを張る必要があるのでしょうか?
緊急処理は即時やるべきことで議論している場合ではなく、その瞬間は現場処理部門の実行に一任し実行妨害すべきではありません。
まして国外批判あるいは専門家批判というもののこれといった対案がなくて合理的批判にさえなっていないとすればなおさらです。
大手メデイアが「国外でどういう意見がある」と言えば根拠不要というのでは困ります。
国内で支持されない主張を通すために日本のNGOが国際委員会で日本批判をして置いて、国連委員会でもこんな問題になっている式の政府批判運動のあり方をこのコラムで批判したことがありますが、今回はたまたま同じ企業所属のクルーズ船(規模もほぼ同じかな?)内での感染が起きたことによって米国で特に日本と違った優れた対応をしたわけでないことから、国際世論というものの正体が直ちに暴かれたようです。
日本大手メデイアが提携しているニューヨークタイムズなどに「日本でこういう批判がある」と通報すると同社は日本情報については提携している日本大手メデイアのいう通り信用してそのまま流す運用になっていたような関係が、朝日新聞慰安婦報道が問題になった頃に何かの報道で見た記憶です。
(正確な記憶ないので何で見たかも不明、内容自体も記憶違いかも不明ですので、正確には検証委員会報告書等当時の報道に直接当たってください)
その伝で言えば今回もそうだったのかもしれません。
自社の言いたいことを提携している国外メデイアとキャッチボールして国外でこう言っていると言う式の日本批判は実は自分が言っているというのと同じです。
事件等の説明で「皆が言っている」というのをよく聞くことがありますが、自分が皆に言いふらしていると、聞かされた方はあえて「あんた間違っているよ!」と言わないのが普通で、「そうなの大変ね」とか「ひどい人ね!合い槌を打つと、あの人もこの人もこう言ってたという人がいます。
こういう人とうっかり付き合うと、自分がAの悪口を言っていたのに、よそではあの人も言ってたとすり替えられる危険があって怖い人です。

米国のコロナ禍対応能力5

米国のコロナ禍対応に戻ります。
気候風土の違いや遺伝子的特性や伝播経路の違い等複雑ですから一概に比較しきれないのですが、現実に置かれた似た環境下・クルーズ船対応は一種の実験装置のような環境状況下でしたので、置かれた環境条件(船内構造や人数が米国3500人対日本3711人で、豪華クルーズ船の場合、裕福度と年齢構成健康度がほぼ同じでしょう。
高齢者でもクルーズ船参加するだけの積極性のある一定の健康人である点も同じです。
こういう場合、双方条件差がほぼないので比較検討するには好事例が続いたものです。
政府や受け入れ地域、国の対応の巧拙,総合判断が適切か否かですので、具体的やり方のケチを付けあっても仕方ないので、本来は結果を見るべきでしょう。
5頃から日本政府批判したい勢力から、致死率は日本がアジアでものすごく高いという変な主張が出始めました。
致死率と陽性反応者中の死亡率ですので、検査数を増やせば症状の軽い人を大量検査する→致死率が下がるのは当然です。
体制相違を前提にするより10万人あたりの死亡者数を見るのが検査体制の相違に関係せずに誤差の少ない方法です。
あるいは、コロナで死亡したかどうか微妙な事例の見分け方にもよるので・・健康体でコロナにかかって入院死亡の場合はっきりしますが、もともと糖尿病等の重病患者でいつ死んでもおかしくない人が、最後にコロナにかかって抵抗力なく数日で死亡した場合コロナで死んだのかどうかの意見が分かれるでしょう。
医療インフラの乏しい国では、コロナか普通の肺炎か不明のまま死んでいく人もいるでしょうし、コロナで病院満杯のために一般の病気の治療が遅れてその社会の死亡数全体が上がることもあります。
こういう誤差を無くすには、その国や地域の過去4〜5年の平均死亡数と今年の同月間の死亡数が有意に上がっているかの差=超過死亡数で見るのが、最も正確という意見もあります。
情報統制している国でも、死亡を隠すのは難しいので、その意味でも死亡数統計の比較が分かり良いということです。
そこで「グランドプリンセス号の感染者死者数」が日本寄港のダイヤモンドプリンセスに比べてどうであったかを知りたくて「グランドプリンセス号の感染者死者数」検索しても7月3日現在では当初の報道ばかりで結果・感染数や死者の数字がどうなったかの資料はでません。
米国政府の統計の中には細かい分類が出ているのでしょうが、(日本も厚労省統計の中に、クルーズ船乗客の感染者と死亡者数が出ている)グランドプリンセスに限定せずに米国クルーズ船客・感染・死者数のキーワードで総合的牽策をしてみましたが結果は同じです。
米国公式統計中には、グランドプリンセス関連の感染者,死者数が出ているのでしょうが、(日本を批判してきた手前多分都合が悪いので)米メデイアが報じなくなったし、日本の米国特派員も米国基準を振りかざして、本国日本で散々日本の対応批判していたことから、お粗末な米国対応はバツが悪いから現地で独自の調査していない・現地報道がなければそのままになっているのでしょうか?
米国内統計に入ってクルーズ船・グランドプリンセス号のデータだけ抽出して比較するのがプロの仕事であり日本政府批判者のすることでしょう。
クルーズ船同士の個別データ紹介が全くない以上・国別トータルで見るしかないでしょう。
米国のトータル成績は目を覆うばかりの惨状で連日報道されているので今更紹介するまでもないでしょうが、いまでは常識ですが数年以上経つとどういう状態だったか忘れてしまいますので、念のため現時点での国際比較を記しておきます。
死者数で見れば日本の120倍超の結果です。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html

新型コロナウイルス感染症の現在の状況と厚生労働省の対応について(令和2年9月18日版)
9月18日現在の新型コロナウイルス感染症に関する状況及び厚生労働省の対応についてお知らせします。
国内での新型コロナウイルス感染症の感染者は77,494例、死亡者は1,482名となりました。
また、入院治療等を要する者は6,115名、退院又は療養解除となった者は69,899名となりました。
4.国外の発生状況について
・9月18日15:00現在、日本国外で新型コロナウイルス関連の肺炎と診断されている症例及び死亡例の数は以下のとおり
(表の一部のみコピー)

国・地域 感染者 死亡者
中国 85,255 4,634
香港 4,994 102
マカオ 46 0
日本 77,494 1,482
米国 6,674,411 197,633
カナダ 142,879 9,249
フランス 406,049 31,047
ドイツ 269,048 9,376

以上の通り米国の被害・悪い結果は他国をはるかに超えている・・・こういう適応能力の低い民族の対応ルールを基準に日本の対応を何故メデイアが批判できるのか?
日本企業発展の原動力は現場力にあると言われますが、米国その他リーダーシップ重視社会では現場力が低い感じです。
その分強力な司令塔が必要で、規制が及ばなくなると隙を突いて略奪が始まる社会です。
米国ミネソタ州での黒人殺害に抗議するデモが激しくなり警察力が引くとすぐに各地で略奪が行われたように、少数者・弱者被害に対する抗議行動で、多数の力を頼んで抵抗できないその場の商店に押し入る矛盾行為・・要は日頃の鬱憤晴らしの爆発でしかない現実を現しています。
米国流を称賛する立場では自粛を求めるのではなく政府が必要だと判断するなら責任を持って明確な規制をすべきだ・自粛や忖度に任せるのは、ずるいという主張が圧倒的です。
そうでしょうか?
何事でも権力による規制や命令がない限り、何をしても良いし、しなくても良いという無責任な諸外国とは違います。
自発的健康を管理能力の高い民族の場合、強制するよりは自発的行動を援助する政策の方がスムースです。
強制がない→補償不要はおかしいと言うのですが、損得にはいろんな態様があるので、画一的補償になじまない自粛効果に合わせて、補償する柔軟対応の方が現実的でしょう。
戦国時代の報酬も合戦後の論功行賞やっていたし、今の終身雇用制もそのやり方です。
先に何をくれるかはっきりさせるのが合理的なようですが、今回のコロナのように相手が見えない・対応策すら決まらない段階では無理があります。
自粛は各人の能力環境に応じた柔軟対応ですので、「努力は報われる」とお上を信用して行動する日本人気質に合っています。

民主主義と利害調整力不全1

グランドプリンセス号がCDC命令どおりメキシコ行きの航路変更してサンフランシスコ沖に到着したのに、地元の反対で入港できず、4〜5日時間空費したことを紹介してきました。
4月頃には別のクルーズ船のフロリダ入港を巡って、フロリダ州政府がクルーズ船の入港を認めるとしても、フロリダ州民しか下船させない→州民以外の医療サービス提供拒否態度が紹介されています。
日本でも国策の最たるものである自衛隊基地設置(与那国島の設置)や装備(オスプレイやイージス・アショアなど)に関して地元自治体が同意しないと設置すらできないのが現状です。
たまたま河野防衛大臣によりイージスアショアの非効率性が明らかにされましたが、問題はそういう前向きの議論ではなく、地元の反対はその工事が国家存亡に関わる国策として有用であるか否かの議論に関係なく地元が少しでも負担になることは嫌!という意思表示が貫徹できる点にあります。
地上型迎撃装置の有効論でなく迎撃用に打ち上げたブースターが地元に落下したら怖いという次元の違う反対論でした。
リニアーの愛知県内工事に愛知県が同意しないことが2〜3日前に大ニュースになっていましたが、国家的大事業の場合、辺野古沖移設や自衛隊基地を含めほぼ全て公共工事を伴うので地元自治体が地元に不利益と考えれば拒否できるのが現状です。
日本だけでなく先進諸国では自己中心主義の権化みたいな主張が各地で噴出して、中央政府が利害調整ができなくなる姿が一般化してくると、逆にこのような国家運営に不満を抱く人が増えてきます。
格差問題〜人種差別問題などなどの各場面での対立が米国で目立つのは、民主主義・自己主張の行き過ぎにより、利害調整・社会統合が不可能になっている場面が表面化している姿と見るべきです。
民主主義とは自己(権利)地域・集団主張が先(表現の自由)にあって、意見相違(利害相克・調整)は公開の討議を経て止揚・統合されて行くのを理想とする社会です。
全体がどうなろうともそんなことは考えなくとも良い。
まずは自己(地域や集団)主張して行けば全体としての最適解は「思想の自由市場で(見えざる神の手で)決まっていく」という楽天的考えが基本のようです。
GPS操作を違法とした判例を紹介したことがありますが、弁護活動や最高裁判例も、電子機器のない時代に制定された人権擁護システムが、犯罪者が自由に電子機器や高速移動機関駆使して犯行をできるのに、捜査機関が電子機器を利用すると違法で許されないと言う奇妙な状況になっています。
以前犯人が逃走するのに民家敷地を横切って逃げると、警官がその敷地を横切って追跡すると違法になるのか?という比喩で書いたことがありますが、犯人追跡中は例外にしないとこういう変なことになります。
法制度が社会現実に追いついていない問題が今回のコロナ禍で続々と表面化しました。
従来非公式会話はズームで良いが公式の会議・・株主総会などズームやテレビ会議で開いても違法でないか等の疑問・・不便なことが大量に一挙に現実化しました。
いろんな会議は対面議論が原則ですが、災害等特殊事情下では、テレビ会議等が許されるとか、テレビ会議が許されるのを原則にして、電波不安定や機器の故障等による送受信が途絶した場合の効力は別に定めておけばいいのでしょうが、こうした各種問題点を先送りして来たツケが来たのです。
私の関係する日弁連選管委員会でも毎年のように問題になっていましたが、もしも訴訟になって委員会決議無効になると選挙がどうなる?という大事件になるのが怖くてこれまで先送りして来ました。
法律家には法匪と言う批判的名称がありますが、招来する結果の妥当性など問題にしない・・法令がそうなっている以上はそれを守るべきであるという形式論が普通です。
時代に合わない縛り・規則類は民間が無視しているし、警察も一々刑事事件にしないのでそのまま邪魔になっていないのですが、いざ屁理屈で争う人がいると不都合が表面化します。
結果が不当であれば、憲法や法令変更すべきであって、法律家は現行憲法や法令に違反してればその違法性を指摘すれば良いし、裁判所の職務はそこまでで犯罪捜査がどうあるべきかを判断すべき立場でないということでしょう。
ところがそう言う論者に限って憲法改正の議論すること自体に反対と言い、ちょっとした法令改廃でさえも国会審議に入ることすら反対という姿勢が顕著で政府の揚げ足取りに終始しているのが国会の現状で時代即応の改正が容易でないのが現実です。
原発反対運動や地元知事の不同意も設置稼働規則に適合しているかどうかであって、原発政策がどうあるべきかを裁判しているのではないというのが専門家の意見です。
ところが実際には、原発反対派が結束して全国的に訴訟しているのが現実・・日本中の原発訴訟弁護団はほぼ一つの中核的組織集団が地元別の弁護団を結成している・・地元別に構成員が入れ替わっていますが、中核人員はほぼ共通・・だけの実質全国規模の政治闘争の一環になっているし、与那国島基地設置反対運動や沖縄の普天間基地移転反対なども概ね特定運動家・・常連があちこちで運動しているイメージです。
もともと原発施設等の何がどの規則に違反しているかなど、普通の人に分かるはずもないので、いわゆるプロ運動家が初めっから反対するために規則のどこに違反があるかを見つけ出す方式のように見えます。
静岡県のリニア工事着工反対の根拠・・地下水脈がどうなる?という主張も、常識だけで分かるものではないので、まず反対したくてそういう問題があるかも?と見つけ出したということでしょう。
静岡県の主張は政府の有識者会議で水脈変更があるのか検討することになったようですから、同意しないと言えばいいだけのことを、格好つけでコレが心配と言っているような印象をうけます。

豪華クルーズ船対応批判10(米国の対応4)

岩田氏らが賞賛していたであろうお手本の米国でも、下船決定後寄港先を決めるだけのためにその後さらに4日かかり、3月4日から数えて「10日時点ではまだ1000人以上が船内に取り残されていた。」という状態が記載されています。
また上記を見ると一部検査しただけで検査中止しているのも不思議です。
下船後検査のルール違反を理由に検査を中止したのでしょうか?
なんとなくルール死守が最優先のようで目の前の患者を救い、蔓延を防ぐ検査本来の目的を忘れているのではないでしょうか?
ルールあっても患者を救うという心がないのでしょうか?
これ一つが原因はないでしょうが、米国で感染者や死者が増え続けている原因の一つと言えないことがありません。
ところで3500人以上のほんの一部の検査で終わっている→その他は未検査下船なので、どうやって客を分類したかです。
症状によって、入院組と基地やホテル組みに分離したようですが、外見症状で足りれば、検査不要ですから検査自体はふり向け先についてからそれぞれ検査したように読めます。
そうすると基地やホテルへの移動は症状別に一台または数台のバスに同乗していたとすれば、個室原則の船内隔離と違い狭いバスに数十人乗車させて移動させれば(外見症状が軽い人も検査結果、陽性になった人が一定数いたでしょう)その間に感染するリスクをどう考えていたのか疑問です。
日本の場合全員検査と検査による陰性判定後2週間船内隔離後の下船でしたので、下船後のバス移動は、陰性判明(後2週間経過)者のみの同乗でした。
陰性・陽性の検査もしていないのに米国の場合、下船手続き自体劣悪で文春レポートによれば
「「乗客がまるで牛のように並んで降りる順番を待っていたわ。みな1カ所に集められ」
という状況で日本にくらべて1ヶ月後の事件なのにいざとなれば、入港反対等々総合的対応レベル(民度の低さ)に驚くばかりです。
今回のような未知の災禍に対しては、科学的知見のみでは解決しきれない民族の総合力が問われたように思われます。
特定のこの対応がよかったとか悪かったというような粗探しの逆張りみたいなチェックでは今の所誰も成功していないように見えるのは、民族全体を一つの生き物のように、危機対応の総合力が問われる事態だったからではないでしょうか?
日本の場合外国船なのに横浜寄港に地元が反対せず、すんなり受け入れたばかりか地元病院でコロナ陽性患者を(フィリッピン人か否かの区別せずに)引き受けていました。
日本の場合、自国船籍でないので入港拒否も当然選択肢だったようですが、それをするとその船をどこの国も受け入れないとどうなるかの人道問題の外に他国で受け入れた場合受け入れ拒否した日本は無責任だという批判もありうるし、そもそも乗客の多数が日本人である特性もあり、政治判断として受け入れるしかなかったようです。
文春引用に戻ります。

100万ドル以上の訴訟を起こした夫婦の言い分は?
この夫婦によると、サンフランシスコで乗船する際、体調の良し悪しを確認するための書類に記入を求められただけで、スクリーニング検査は行われなかったという。
また、訴状には「同社はダイヤモンド・プリンセス号での経験を踏まえて、乗客を保護する対策を考案すべきだった」とある。つまりは、「ダイヤモンド・プリンセス号」での教訓が生かされていないことも問題視しているのだ。
下船後、乗客はどんな対応を受けたのか?
隔離中なのに「歩き回る自由」がある
・・・ダイヤモンド・プリンセス号」でも、乗客は、一定時間、デッキに出ることが許され、他の乗客と一定の間隔を開ければ良しとされたが、アメリカのメディアからは、乗客がみなそれを遵守していたかは疑問だという指摘があがっていたからだ。
カリフォルニア州のトラヴィス空軍基地内のアパートに隔離されている乗客は14日間の隔離に入ったが、「まだウイルス検査を受けることができていない」と不満を訴えている。
感染している”乗員19人も船内に留まっている
感染がわかった19人の乗員もまた、他の1000人を超える乗員(多くがフィリピン人だという)とともに、船内隔離されることになったのだ。

日本の場合船長に至るまで一人残らずきっちり面倒見ましたが、米国の場合フィリッピン人中心の乗組員のうち19人の陽性反応が最初から出ているのに船内隔離のままで船内に残っているようです。
引用続きです。

感染している乗員をホテルや基地に収容せず船内隔離する理由について、カーニバル社は「ウイルス検査で陽性だった19人の乗員は、無症状であるから」と話している。

無症状なら安全という論理が正しいのならば、米人客も船内隔離で14日間放置してれば良かったのではなかったのか?
19人の陽性者を船内に残していても、残りの乗員981人に感染が広がらないという論理が不思議です。
フィリッピン人に対してはホテル待遇はもったい プラス米国国費で医療提供したくないということでしょうか?
米国基準は文字には出ていないもののまず人種差別というか、格差待遇意識が基礎にあるような印象です。
これが米国での大規模感染拡大・死者激増や、ミネソタ州での警官による黒人殺害に対する異議申し立て・・全米的騒ぎにつながっているのでしょうか。

豪華クルーズ船対応批判9(米国の対応3)

一応のセオリーをあらかじめ決めていてもいざという場合、環境に合わせて臨機応変にやるしかないことが多いのが実務というものですから、批判するならばルール通りかどうかだけではなく、臨機応変に手順を変える必要があったか、その変更が合理的であったか否かではないでしょうか?
日本のクルーズ船対応批判論にはそうした具体的批判がなくCDCルール違反というだけの形式批判が多かったように見えるのが不思議です。
日本のように検査=陽性が決まった順に下船させ入院させるのではなく、米国の場合陽性が決まった人を寄港地が決まらない理由で船内隔離のまま4日間も放置していたのですから驚きです。
米国の場合3500人全員でなく陽性判明者はわずか21名ですので、米国得意の空輸で簡単に運べたはずです。
昨日紹介記事では陽性判明者21名中19名は乗員でしたが、彼らについては、着岸後も入院させず最後まで船内にとどめていたままらしいのも不思議です。
仮に彼らの入院治療をしない予定であったのであればその他陽性者は2名しかいません。
2名しか出なかった乗客=陽性患者だけでもヘリで地元病院へ何故空輸しないで船内に残したまま船の入港先さえ決められず洋上漂流に委ねていたのか合理性が不明です。
フィリピン人乗員を空輸するのが嫌だったから、まとめて放置したのでしょうか?
文春引用続きです。

なぜ、オークランド港が選ばれたのか?
地元の医療関係者は、ロサンゼルス・タイムズ紙で異を唱えた。
「ウエスト・オークランド地区には、昔から、声高に強く反対しない、低所得のマイノリティー層が居住しているからでしょう。
そんな理由で、オークランド港に寄港を決めたんだと思います」

グランドプリンセス号など豪華客船の寄港などで潤っている華やかな商業港が、いざ感染者が帰ってくるとなると、着岸自体を拒否していて、4〜5日後に近隣の貧しい人が多く住む港にようやく入港着岸できたということです。
米国感染拡大の基礎に大規模格差があると注目され始めましたが、経済格差に伴う一種の不正がいろんな場面で広がっていたようです。
金持ちの声ばかり大きく、貧乏人は声を上げられない社会の鬱屈が、今回のミネソタ州での黒人殺害に対する全国規模の不満の発火点になったのでしょう。
文春レポート引用に戻ります。

約2400人乗客「全員下船」はダイヤモンドの教訓か
無事寄港した「グランド・プリンセス号」だったが、「ダイヤモンド・プリンセス号」とは違い、まず最初に、寄港後、乗客全員を下船させることとなった。これは、乗員乗客を船内で検査し、船内で隔離したために船内感染が発生、697人の感染者と7人の死者(3月13日現在)を出した「ダイヤモンド・プリンセス号」から得た大きな教訓かもしれない。
しかし、CDCは、単に、医療ガイドラインに従っただけとも考えられる。
ニューヨーク・タイムズ紙によれば、医療ガイドラインでは、感染している可能性がある乗客は船内で検査せず、下船させることが推奨されているという。「ダイヤモンド・プリンセス号」は医療ガイドラインを無視して、船内で検査を行ったことが問題だったというのだ。
「グランド・プリンセス号」の場合、医療ガイドラインに従ってか、乗客のウイルス検査を船内ではなく、下船後に搬送される場所で行われることになった。
2400人は「病院」「ホテル」「米軍基地」に振り分け
下船した乗客は体調により、搬送される場所が振り分けられている。
まず、体調が悪い乗客は病院に搬送された。病院で治療を受けて退院した人々は、いくつかのホテルに振り分けられ、14日間の隔離に入ることになる。
感染しているかは不明だが、病院での治療までは必要がない軽い体調不良を見せている24人の乗客は現在ホテルで隔離されている。ホテルは、一般客が宿泊するところからは分離されているので安全だと州知事は説明している。
体調に問題がない乗客は、4つの米軍基地の施設に振り分けられることになった。乗客の大半を占めるカリフォルニア州の住民は州内のトラヴィス空軍基地かミラマー海軍基地に、それ以外の住民はテキサス州の基地とジョージア州の基地に送られて検査を受け、14日間の隔離に入っている。
外国籍の乗客はチャーター機で自国へと送還されることになった
船内では「牛のように並んで順番を待っていた」
下船作業はスムーズに進んでいるとは言えない。寄港2日目の3月10日までに1407人が下船したものの、10日時点ではまだ1000人以上が船内に取り残されていた。
また、下船風景を見た乗客からは感染を恐れる声もあがっている。
「乗客がまるで牛のように並んで降りる順番を待っていたわ。みな1カ所に集められ、体が触れ合っている人もいた。タラップは渋滞状態だった。彼らは、チャーターバスに乗せられて行ったわ。それを見て、とても怖くなった。あれでは感染してしまうわ。あんな風に下船して安全ということなら、なぜ、私たちは5日間も部屋に閉じ込められていたわけ?」

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