事前規制と事後審査2

行政で言えば、裁量行為を自由にやらせていてその後にその違法(裁量権の逸脱)を主張して争うことが出来るのが行政訴訟システムです。
実際には(元々裁量の幅があるのですから、これの逸脱までを主張立証しなければなりません)法的にとても困難なことです。
後から争うよりは、行政決定段階で意見を言える・・あるいは民意を反映出来る方が合理的です。
選挙の洗礼を受けていないので、国民代表とは法的に言えませんが、中立的な学識経験者の参加による審議会や審査会が発達し、最近では弁護士が企業や行政庁内部に任用される例が増えてきました。
ある程度原案・・叩き台が出来上がってから審査会・審議会にかかわるよりもその前の段階で弁護士のリーガルセンスを取り込もうとするもので、実質的民意吸収促進策と言えます。
審議会政治よりは更に先に進んだ制度の始まりと言えるでしょう。
今夏修習同期の弁護士から届いた暑中見舞い状を見るとそれまで勤めていた何かの審議会委員を辞めて今は政府の特許関係の規則制定委員として頑張ってると書いてありました。
私も平成の初めころに千葉市で始めて制定する個人情報保護条例制定作業・・条文作成作業に参加したことがあります。
いろんな規則が出来上がる前に草案作成段階で参画して行く方が効率的で且つ合理的です。
各種世界標準の作成でも何でもそうですし、24日ころに参加を始めたばかりのTPP交渉を見ても分るように、あらかた出来上がってから交渉参加するのはとても不利なことです。
我が国の国民レベルが高いので、昔から権限が国司から郡司へ、守護大名から守護代へ、大名から家老クラスへ家老から下級武士へと権力が移り、官庁では局長などよりも課長クラスが最も実務に精通するようになって、次第に権限が下に移って行くことの繰り返しでした。
議会さえ出来れば民主化が完成していると考えるのは、下位階層に順次権限が移って行く習慣のない欧米流の意識です。
我が国の場合、江戸時代から庶民は寺子屋で既に勉強していたように全て庶民まで巻き込んだ意識の高い国ですから、「代表さえ選べば事足れり」という遅れた社会では元々ありません。
議会による会議は形骸化して行って、ドンドン下位組織に移って行く過程が日本政治の現状であり、我が国の庶民レベルの高さから言っても妥当な展開です。
こうした視点から見れば、議会審議の前に審議会等で練り上げられて事実上法案が決まっている状態が、数十年前から続いていましたが、今では審議会にかける前の草案作成段階からプロが参画して行く時代です。
明治以来の基礎法である民法大改正作業については、言い出しっぺ?の内田東大教授がわざわざ辞任して参与かなにかに就職し直して草案作成作業に集中している例がその象徴と言えます。
こうした動きは議会軽視という原理論で解決出来るものではなく、現憲法や法制度が社会進行の実態に数十年前から追い越されてしまっているのに、制度変更が追いつかない結果,実務を担当しているいる社会の方で困ってしまって、実態に合わせて変化し続けていることによるのです。
私はいろいろな審議会等委員会に出ていますが、私の関与している委員会では固定資産評価審査委員会が唯一地方税法に明文で置かれている独立委員会で、その他殆どは直接的な法によるものではなく、行政府が内部機関として自発的に設定(勿論それなりの法律上の順次の委任関係等の根拠がありますが・・・)したものが殆どです。
律令制ではどうにもならなくなって、令外の官として発達した検非違使庁や幕府のようなものでしょうか?
基本的な法制度・枠組みが社会の実態から数十年単位で遅れてしまっているので、こういうことになっているのです。
法制度・パラダイム変革の遅れを正すのが筋なのにこれをせずに、選挙で選ばれた議会の議論が形式化している・・審議会等で事実上全部決めてしまうのは、民主主義を形骸化する鬼っ子だと批判するのは形式的な議論に自己陶酔していることになります。

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