専門家の責任4

元のテーマ・精神障害者に対する強制隔離の問題点に戻ります。
精神医学の基礎的本(法律家が必要とする程度の基本書のレベルですが)を読むとエピソードと称していろんな病名診断の事例紹介が出てきます(素人には分かりよくてありがたいです)が、患者自身が語るのは一応の信用性のある病状説明でしょうが、患者自身が語ることの裏付けとして周辺が語るのを利用する場合は補強証拠としてならば有用です。
しかし、周辺の人が過去にこのような異常なことがあったと語るエピソードを患者が言わないか否定しているにもかかわらず本当にあったことと決めつけて・あるいは誘導的質問で迎合的同意を取り付けたり患者が自分のしたことを忘れている証拠に使えるかは慎重であるべきです。
経験による総合判断程度の精神病の診断では、周辺関係者の共謀による場合には口裏合わせのからくりを見破る能力にかかる率が高いので、隔離する判断の客観性担保は複数医師による診断に求めるだけでは、抜本的信用回復にはなりません。
宇都宮精神病院事件のウイキペデアイアを紹介しましたが、内科や産婦人科等の医師が一定の講習を受けさえすれば、ある日精神科医になれるのでは、複数の医師による診断制度といっても技術担保というより2人がそろって悪いことをしないだろうという程度の人格期待にしかなりません。
内科医から心臓外科や脳外科医になるのはちょっとした何時間の講習何回受講程度では無理があるのは明白ですが、内科医から精神科医になるのが簡単なのは、そもそも専門家と言えるスキルが必要とされていないからでないかとうがった見方もできます。
宇都宮病院事件に関するウイキペデイアの再引用です。

精神科医の人数は病床の増加に見合ったものではなく、実際のところ増加した精神科病院に勤務する医師の殆どは、内科医や産婦人科医からの転進であった。精神科病院は、内科や産婦人科よりも利益率のよい事業のため、医師たちは診療科を精神科に変更したのである。宇都宮病院もこの時期(1961年)に、内科から精神科へ事業を変更している[6]

これに加えて、こういう症状・・エピソードがあればという一般向け解説書が出回っていると、隔離を計画的に画策する方は、そういう口裏合わせをすることが容易です。
関係者の経過説明の信用性判断を基本としての診断が科学と言えるかどうか怪しい医学基礎知識の上に加味して決めるのであれば、こういう判断には医師以外の関与が必須でしょう。
しかし毎回の診断に第三者関与を求めるのは物理的に無理があるので、圧倒的多数の第一次診断は従来通りとなります。
宇都宮精神病院事件を契機に患者の外部への不服申し立て方法が整備され、不服があれば審査会が設置されるようになっていきましたが、精神医学自体がはっきりしないエピソードに頼る以上(素人の私に理解不能なだけかもしれませんが)問題が起きてから審査する制度に頼るしかないのが、現状というべきでしょう。
審査委員の構成も累次の改正によって、福祉に経験のある人が加わるなど多様化するようになっています。
とは言え、精神科医の多くは、この未知の領域で苦しむ患者を救うための崇高な理念で正解を目指して少しでも良いから徐々にわかる範囲を広げようと努力していること自体は非常に尊敬すべき立派なことです。
こういう医師が大多数であるものの、(私の知っている限りそれぞれ真摯に患者に向き合っている人ばかりでしたが)たまに宇都宮病院のように金儲け目的で始めると、匂いがするのか?そういう目的の邪悪な人が利用するようになる・・一般人に匂いがするようになっても監督機関に匂いがしないのか?
ある程度怪しい噂が監督官庁に入っても警察と違って内偵能力などないし、ブレーキが効きにくくなるのが困ったものです。
精神医学ではいまだに群盲象を撫でるような努力が続いている(素人には見える)のですが、それでも発達障害その他多くの分類ができるように発展してきただけでも大きな進歩のように見えます。
地震や火山噴火予知などもこれが学問と言えるかどうか不明と言えるほど未知の分野がほとんどのようですが、それでも地震予知学の救いは地震発生のメカニズムの全体が不明でも議論前提の各種データ自体は科学的数字のデータ中心なので、見るからに科学っぽい点がまるで訳のわからない精神障害の研究より、やっている学者にとっては救いがあるでしょう。
予測不能の変数が多すぎて、いつも予測を外す経済学者の論説も同じで結果だけ見ると無駄な議論だと乱暴に?切り捨てることも可能ですが、今は直ちに成果に結びつかなくとも地道に研究していくことがそれなりに有用です。
宇宙の神秘について、古代エジプトやギリシャ人が数学的に色々研究していたことがその当時の成果に直結しなかったにしても、その頃からの連続した研究成果(たとえば地動説や万有引力の法則→相対性理論・結局何もわからない=不可知主義の台頭?→「無知の知の自覚」がモテはやされたり)が現在のいろんな科学発展に資していることは明らかですし、人工衛星等の実用化の基礎になっていることでしょう。
米中対立が一時休戦で今年になれば中国経済が持ち直し世界経済も拡大という予測が一般的でしたが、今回の新型ウイルス事件で全部吹き飛びました・・結果だけ見れば学問と言っても皆そんな程度のものです。
結果がわからないといえば、新型コロナウイルスや精神病に限らず全ての学問は同じですが、地震学で言えば一応の論理があるので一歩一歩地球の仕組み解明に近づいていくように思えるのですが、精神病の場合まるで手がかりさえない・・素人にはそのように見える点で、学問というよりともかく困ったものに近づかない程度の社会合意しかないイメージです。
ただし、いろんな委員会で出会う精神科医あるいは一般医師と話していると頭が良い感じで、こう言う優秀そうな人たちが取り組んでいる以上は、(素人に理解困難なだけで)学問的にも科学的批判に耐える合理的な議論をし、研究してくれているのでしょう!と言う個人的信頼感を持ちたくなります。
要は地震等は一般人の関心が高いので新聞等の解説記事が多いので、まだ全体の仕組みが分からないなりに地道な研究が進んでいるのだ!という理解が進み易いのに対し、医療の方は庶民に身近になっているで分、逆に忙しすぎて丁寧な説明をする時間がない・・3分診療になってしまう関係でしょうか。
その結果、心療内科や精神科に関係すると「この頃眠れなくて」というと何か心配事ありますか?勤務先でこういうことがあってなどと、説明するとあんちょこに安定剤、睡眠導入剤等を処方されて終わりの印象です。
本当に眠れないのか眠れないように思っているだけか?勤務先で嫌な思いをしているというが本当かなどのチェックなど一切しないし、する方法もないでしょうから、信じて治療するしかないのでしょうが?
プロの目から見れば瞬時に信用性がわかるからでしょうか?
(ただし、私の少しの経験を一般化するのは間違いの元ですので、そのように理解してお読み下さい)

婚姻率の低下(家庭の消滅)10

家事育児協力は妻からの超過?サービスに対する対価として我慢出来るとしても、妻のサービス低下が許容範囲(ヒトによって許容限度は違いますが・・)を越えると離婚に結びつきます。
女性から見ても自分のサービスが超過していると思うと不満がたまりますので、双方に不満がたまってしまった結果がいわゆる性格の不一致と言う離婚原因です。
今は男女に経済格差があるので、男性側から性格の不一致を理由にする離婚請求は難しいので、(労働契約で言えば従業員がやめるのは「別に・・・」という一身上の都合だけで充分ですが、雇用者側で解雇するには合理的な理由が必要です)実力行使として家に帰るのが遅くなる(労働契約で言えば窓際族にするなどいやがらせ・・これもパワハラとして訴えられそうですが・・)・・あるいは不貞行為となって、女性から離婚請求を受けるのが普通です。
離婚後妻から何のサービスも受けなくなったのに、(陰で悪口を言われながら、)子供との関係が切れた後まで養育料支払義務・・経済支援だけを強制されると動物的意識と乖離し過ぎて無理が出て来ます。
離婚後も・・即ち高齢化してから子供が父親の面倒をも見てくれるならせっせと養育料を支払う気になるでしょうが、今は同居していても当てにならない・・介護は他人に頼むしかない時代です。
離婚の場合、母親は分かれた父親のことを悪く言う傾向があるのは否定出来ないでしょうから、老後あてに出来ない確率が普通の父親よりも高まります。
親孝行が強調され実際に守られていた儒教道徳時代は、世襲財産に頼るしか生きて行く方法のない農業中心時代と一致していました。
世襲財産(地位を受け継げば一生食うに困らないもの)などまるでない現在社会で離婚別居後も父親である限り子供に対して親孝行せよと言っても意味がないでしょうし、母親も子供も受け継ぐべき地位もない父親を大事にするモメントがない・・・他方で、父親の方も離婚後嫌われている子に対する仕送りに精を出す意欲がわかなくなるでしょう。
今のところ、夫の方が年金額が多いので何とかなっていますが、年金分割制度の創設によって年金額も夫婦対等化してきましたし、うっかりすると逆転する夫婦も出てくるでしょうから、こうなってくると、高齢の夫婦間でも離婚が簡単に選択される時代が来るかも知れません。
実際、1週間ほど前に相談に来た離婚事件では、子供がやっと大学に入って家を出て行ったので、我慢していた離婚に踏み切ることにしたということでした。
若いときの離婚では男性は離婚後も養育義務をほぼ一生負担するだけではなく、子供が育ち上がった後の定年になると追い出されるリスクもあるので出来るだけ若いときから仲良くする智恵がつく・・幸せなカップルも多く誕生するでしょうが、他方でこの努力を放棄して初めっから一人でいる方を選択する男が多くなる可能性を否定出来ません。
子育てに関する社会的受け皿未発達の分を補うために、子育て義務を離婚した夫にまで強制して行くと、離婚リスクに備えてセックスだけただ乗りをして子供を産むのを嫌がるようになる男がかなり増えるのは自然の勢いでしょうが、これに対して雌の方はどのように態度を変えるべきでしょうか?
(別途草食系と言う性欲のあまりない傾向の若者が増えていますが、これは人類が増え過ぎたことに対する適合現象・・一種の進化でしょうし、この系列はセックスも不要ないし欲求が減衰しているでしょう。)
子供を産むか産まないかの自由は女性にあるとする(中ピ連など)主張が長年ありましたが、これはオスはいつも性欲があることを前提に女性の気持ち次第で好きなだけ子供を生めることを前提にした議論・・拒否権を持たせろと言う意見でした。
これからは避妊しない限り男がセックスに応じないと言う逆の時代が来るかも知れません。
女性の方で子供をほしがらない男とは結婚しない・・あるいはただ乗りを許さないとなれば、性産業・・またはフリーセックスが隆盛になるだけで、結婚自体が先細りになるしかありません。

婚姻率の低下(家庭の消滅)9

ライオンは子供を育てている間セックスしませんので、(子を産むための行為とすれば当たり前ですが・・・)後から群れに入った雄の場合既存の子供ライオンをかみ殺すことが最初の仕事らしいです。
自分の子供が噛み殺されて悲しくないのか腹が立たないのか知りませんが、子供がかみ殺されて初めて雌にとっては子供が必要になるのでその雄ライオンと交尾するらしいのです。
こうして見るとオスの入れ替わり戦は、メスにとっては自分達の子供の命を守れるほど今までのオスが強いかどうかを見ているのであって、守れないなら自分の子供を外敵から守れるもっと強いオスをガードマンに採用する就職試験のようなものかもしれません。
04/09/10「再婚4と子供の運命3(ライオンの場合2)」前後のコラムでメスが、自分たちの子をかみ殺してしまう外敵である挑戦者に対して、何故みんなで立ち向かわないのか不思議だと書きましたが、もっと強い用心棒かどうかを見定めている・採用試験だとすれば合点が行きます。
それにしても今までのガードマンであったオスが負けると自分の子供が殺されるのですから、自分の子供を守るためにより強いガードマンを求めての交代戦をしているとは言えません。
育ち上がった子供・・オスはムレからでてしまっているし、育ち上がって残っている娘の方は新たなガードマンと交尾出来るようになるので、出遅れた小さな子供だけがかみ殺される関係です。
04/09/10「再婚4と子供の運命3(ライオンの場合2)」前後のコラムで書いたように、いつまでも年老いたオスがムレにいると成長した次世代のメスが交尾出来ない問題があって、支障があるので新陳代謝のための若いオスとの世代交代戦と位置づけるのが正確でしょうか。
人間の雄も元は女性集団の居候から始まったものでしょうが、いつまでもライオンのように養ってもらっているのではなく、逆に名目上の支配者・農業収入の名宛人になって行きましたから、名目上メスや子供を養う関係・主宰者になってしまったのですから家のいろんな仕事をするのは当然の義務であってサービスではありません。
しかし、本来ウロウロしたい本能を押さえて毎日家に帰って来てあるいはその周辺にいて家の管理をすること自体が(本能から言えば)大きなサービスです。
今度の「日曜日は家庭サービスで終わった」という表現が昭和50年代ころに多かったのですが・・女性にはこの表現は不評で直ぐに消えてしまったようですが・・言い得て妙ではありませんか?
映画「寅さん」のように出来れば放浪したいのがオスの本性ですが(・・その郷愁があってこそ、この映画シリーズが長く続いたのでしょう。)、毎日家に帰るように習性化し、休みの日も家事育児に精を出すようにした・・オスを飼い馴らしたのは、女性による濃厚なサービスが成功したことによるものでしょう。
今でも男ヤモメにはウジが湧くとか、奥さんが先になくなると男は直ぐに死ぬとか如何に女性サービスが必須であるかの教訓がたくさん流布しています。
文化が高度化して来ると(文化の担い手は女性が中心ですから・・)単に家に帰って来て餌を運ぶだけの夫に対する対価としては、サービスとのバランスが崩れて来た・・サービス超過になって来たので、女性の不満・熟年離婚に結びつくようになります。
子育て期間の長期化に合わせて女性が進化して濃厚サービスに徹していたのですから、子育て中はまだ均衡していた・・我慢出来るとしても、子育てが終わった後も同じサービスを求める・あるいはサービスをしている期間が長すぎる=長寿時代になると不均衡になり、不満がたまってきます。
オスの方からすれば、結婚前は母親から大事にされているので、(息子は夫が妻に対するほど気を使わないでも何でも母がやってくれます)結婚してからの方が却って母親よりもサービスが低下しているような感じを受けるのが普通です。
男性にとっては結婚したからと言って、・・(地方から出て来た一人住まいを除けば・・)それほどサービスを受けた感覚がないのですが、子育て中だから仕方ないとしてある程度不満を持ちながらだったことになります。
しかも現役中は夜遅く帰ってマトモなサービスを受けていないけれども子供が小さいし手が回らないのだろうとがまんしていて、子供が育ったし漸く定年になったのでこれから目一杯サービスを受けようと期待しているのですから、まるでアンバランスな関係です。
女性の恒常的な不満が基礎にあって、(特に共働きでは)単に餌を運ぶだけでは不均衡になって家事や子育て協力を求められるようになったのでしょう。
(夫の収入は定年後年金だけになると約半分になりますから貢献度が半分に下がります)

婚姻率の低下(家庭の消滅)7

専門家同士の結婚でもよほど女性の方が実質レベルが高くて、仕事を余裕でこなしてその上に文化・教養面で多くのものを持っている・夫のレベルより高ければ男性はその恩恵を受けるので問題がありませんが、その場合、女性の方が不満になるでしょう。
男女同等レベルまたは女性の方がアップアップ(劣っている)の場合、家に帰ると仕事処理に余裕のある男性の方が、家事分担時間が多くなり、いろいろな処世術を身につけてしまいセンス・文化面でも逆転夫婦が出来てきます。
今でもそういう夫婦が結構いますが、仮に四分六くらいで男性が素質で優っていても、専業主婦の場合女性は長年文化面専業で訓練を受け生きて来た強みと時間がある(一日中家にいる)ので表面上逆転可能ですから、外見で大きな差が見えるのはかなり素質差のある夫婦に限られます。
これがどちらもお受験一筋で来たうえにどちらも遅くまで仕事で目一杯の専門職同士の場合、女性だからと言って特段の文化訓練を受けていないし、結婚後は子育てなどに忙しくこれに割く時間もないので素質差がモロに出てしまいます。
この時代が続くと男性は何の恩恵を受けるために結婚して(窮屈な生活をして)いるかと疑問になるのは時間の問題です。
医師の場合分り良いですが、手術後の症状管理のために昼夜なく病院から出たり入ったりしなくてはならず、家庭維持どころか自分が生きて行くのがやっとと言えるほどハードな勤務ぶりになっているのは周知の通りです。
極限まで睡眠時間を削って夫婦でこれをやっていると家庭が何のためにあるのかとなるのは時間の問題でしょう。
30年ほど前に千葉大女医殺人事件が世間を騒がせましたが、(今でもウイキペデイアに出ています)新聞報道によると夜中の2〜3時頃に妻が医局に用があると言って家を出た後どうのこうのと言う夫の言い訳・顛末でした。
夫婦関係維持に危険があるので女性医師の場合、(医師である夫の収入だけで十分豊かに生活出来ることもあって)殆ど家庭に入ってしまう結果になっているのでしょう。
法律家夫婦の場合、家庭に入ってしまう女性が殆どいないのは、夜中まで不規則勤務をする必要がないので何とかなっているのかもしれません。
まして(女性の)人権擁護・拡張を理想としてせっかく法律家になったのに、法律家になった途端に家庭に入ってしまうのでは本来の職業意識・使命感(実質的男女平等の実現)とも合いませんし・・・。
子供を夫に預けて働きに出ても「男も子供が欲しい筈だから良いのじゃないか」と安易に考えるヒトがいると思いますが、この刷り込みは動物の本能に基づくものではなく、女性による洗脳効果によるもの(メッキに過ぎません)に加えて昔は家の跡継ぎが必要と言う道徳がこれを後押ししていましたが、今ではそんな押しつけは効きません。
子供がいないと老後困るでしょうと言われても、結婚している男性は一般的には妻に介護してもらえますし、(この後で書きますが現に結婚しても子供を産むのをいやがる夫が出て来ています)今では独身のまま高齢者になってもそれなりの介護施設が発達していますし、今後益々発達するでしょう。
親がいつまでも元気なので、独身のまま親元にいれば今では50代までは親が身の回りの世話(炊事洗濯・家の修理その他近所付き合い)をしてくれるので、(経済的にも給与のうち5〜6万円程度食費としていれれば良いので、後は使い放題です)男女共に気楽な人生になっています。
親がいなくなって一人では不便だとなってからの結婚では、最早年齢的に子供を産むことが出来ませんし、お互いに異性に対する魅力をあまり感じなくなっているので結婚率も下がり、殆どが独身のままになるでしょう。
こういうヒトが増えてくれば、高齢独身者の介護設備やシステムが整備されて行くようになるのは時間の問題ですから、独身のままでも老後の心配はそれほどでもありません。

婚姻率の低下(家庭の消滅)6

庶民も明治以降男女共に貨幣経済化に組み入れられ・・通勤して働く時代の到来によって、女性は出産子育て中は退職せざるを得なくなって無収入状態に陥って夫の給与収入に頼るしかなくなったので、(武士に限らず)庶民も(武士の妻のように子育てに専念出来て楽が出来るようになった・・3食昼寝付きと揶揄されていましたが・・)その分家庭内の地位が低下し、まさに男尊女卑の思想が庶民にまで妥当する時代が明治以降昭和50年代頃まで続きました。
これに気づいたのは中ピ連の活動家と言うところでしょうか?
彼女らは妊娠に対する女性の意思を大事にせよと(主張・暴れる)だけで、女性の職場確保の建設的主張まで行かなかったので尻すぼみになってしまったのです。
中ピ連の運動については、07/03/10「両性の平等と社会基盤」で紹介しています。
ここ数十年来保育所等の発達に連れて独身を貫く女傑・高学歴専門職種に限らず、一般女性が結婚しても生涯働き続けられる時代が来て、結婚後の女性も無収入・低賃金ではなくなり、他方で男女賃金格差が縮小して来ると様相が変わってきます。
農業や商売のようにどんぶり勘定による一家としての収入の場合、管理権をどちらが握るかで(腕力・武力を背景にしているかどうかは別として)支配服従関係が確立しますが、最近の高学歴化・あるいはパートその他で外に出て生涯働き続けるようになると妻が独自収入を獲得します。
現在の共働きでは、(農作業と違い)夫婦別建て給与(個人経営の弁護士の場合も夫婦同じ事務所でないのが普通ですので、それぞれ別の収入が原則です)収入になっている結果、却って江戸時代までの男性の家計管理権限を失わせてしまいそれぞれ独立の財布を持つようになりつつあります。
個別収入化は、江戸時代まで女性が実質的収入主体でありながらも(特に明治初期の養蚕などは女性労力100%の時代です)夫に管理されていた江戸時代よりは、却って名実共に女性の自立・自己管理権を後押しする結果になって行きます。
子を生むかどうかに拘らず女性が夫の経済力に頼らないで生きて行けるようになれば、結婚しない自由・子を産むか生まないかの選択の自由を手に入れることになります。
女性の収入が男子平均より低くて、一人で生活して行けないことはこの場合問題ではありません。
この後に書いて行きますが、男性も末端職種(非正規雇用とその周辺)では賃金の低下傾向があって、親と同居以外は複数でないと生活が出来ない点は同じですから、女性同士、男性同士あるいは男女混合のルームシェアー、あるいは賄い付きワンルームマンションの問題になって来ます。
女性一人では収入がなくて生きて行けないことを前提にした「子を産まなければ養ってもらえない・・・・」「お嫁の貰い手がない」と言う殺し文句が通用しない時代到来です。
独自収入の獲得によって女性の選択肢が広がり地位(自主選択権)が向上するのですが、高学歴獲得で経済力を付けながらも子を産むことにした場合、伴侶にとっては子育てに長期間協力する代償は何か?となってきます。
女性は、生まれつき女性であること自体によって男性には魅力的ですが、子供が育ち上がるまで30年前後の長期間経過でもその魅力を維持出来るかは別問題です。
妻が専門職で夫を主夫にして女性が養っている場合は、男女逆転しているだけですからメスに養ってもらっているライオン同様で従来の夫婦の枠組みで問題がないでしょう。
実際には夫婦共に専門職のカップルに多いのですが、(芸能人同士、教員同士・医師同士・薬剤師同士あるいは法律家同士など・・)どちらも自分の専門職業の準備等に忙しくしていて相手をかまっている暇がない場合、子育ての押し付け合いになってくると、(妻の母が殆どを見てくれるとしても・・)オスにとっては何のために一緒にいる必要があるのかの疑問がわいて来るでしょう。
オスも明治以降の教育(古くは江戸時代からの勤勉革命の成果)によって働き者になっていて、今では縄文時代のオスみたいにメスに寄生して養ってもらわなくとも、メス同様に自分の独自給与がありますので、食わしてもらうためにメス集団に居候している必要性がありません。
「何の因果で毎日家に帰らねばならないのか?」と古代から放浪を本質とするオスにとって封印されていた疑問(本能)が湧いて来て先祖帰りするヒトが増えて来てもおかしくありません。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC