教育の中立と休校協力1(米山意見)

昨日紹介した意見・批判一色のメデイア論調に便乗して根拠ない要請など応じる必要もないだろうと言う意見を格好良く思う自治体がある程度出て来たのしょう。
国民の多く・大企業がクラスターになった場合の企業信用への悪影響を恐れてプロ野球であれ相撲であれ、デイズニーランドであれ、かなりの事業体が自粛協力していますが、中には公立学校(経営責任がない公立だからやれることか?)でさえ協力しないところが出ていました。
3月11日「インフルエンザ特措法2と私権制限1」では政府の休校要請に応じない自治体意見を引用しました。
(自治体首長の場合、地元利益さえ守れば日本全体に患者を広げるクラスターになっても気にしない?のかなという感想を上記に書いています)
もともとこのテーマは2月から私権制限と精神病の強制処置に関するテーマを書いていた続きで、たまたま社会の重大関心になっている新型インフルエンザ特措法と私権制限のテーマに移ってきたものです。
(もうすぐ精神障害と人権のテーマに戻ります。)
インフルエンザ特別措置法では諸外国のように強制権がない・・強制措置に至らない休校要請の場合、応じる自治体と応じない自治体がある紹介で・・3月11日のテーマに入り、こういう意見は昨日引用した米山氏意見が基礎になっているかな?という意味で連載のつもりで書いていたのですが、その後いろんなテーマが割り込んでしまって分断されて約1ヶ月経過していますので、できれば3月11日引用の休校に応じない教育委員会意見も読み直してください。
自治体には自治権がある・政党や企業にはそれぞれ自主権があることと、社会共同体利益のためにどのように対応すべきかは別問題です。
国家主権があることと国際協調しなくて良いかは別問題ですし、個々人に人権があることと、世間付き合い(自主性をある程度犠牲にする選択)が不要かは別問題です。
帰り道で「飲んで行こうか?」と誘われて「俺の勝手でしょう」と言い切る人がどれだけいるかですし、企業が既存法令に反しない限り企業活動の自由があるのですが、社会生活上法令に反しなければ商売がなり立つものでないのも自明です。
社会の一員としてみんなギリギリの接点を求めて遊びに行くかどうかの自粛行動を決めているのであり、教育の中立性違反だ御託を述べれば通じるものではありません。
3月17日時点の世論調査です。
https://resemom.jp/article/2020/03/17/55366.html

一斉休校は「賛成」42%、時期は「春休みまで」最多
新型コロナウイルス感染症対策として、安倍晋三首相が進めた「学校一斉休校」は、「賛成」42%、「反対」29%と、一定の支持と理解を得ていることが2020年3月16日、日本マーケティングリサーチ機構が実施したインターネット緊急世論調査の結果から明らかになった。

上記の通り、見出しは42%賛成→一見反対の方が多いように見えますが、記事内容を見ると逆に反対派意見はわずか29%でした。
当時のメデイア論調は安倍政権は迷走している・・無能ぶりを発揮・いかに迷惑な要請か!という意見の洪水でした。
昨日紹介した米山氏意見に戻ります。
弁護士は実務家ですので、具体的事実関係のもとにおいて利益衡量でどちらに分があるかで勝負すべき職業であり政治理念で勝負すべき職業ではありません。
特定系弁護士は憲法違反とか近代法の理念違反などの観念論を大上段に振り回す傾向が強いと言われるのを聞いたことありますが、昨日紹介した前新潟県知事・弁護士米山氏の主張はまさにこれを彷彿させるものです。
観念論で生きている人が、地元利害調整の求められる知事になっているのか?という驚きで3月11日のコラムに続いて原稿を書いておいたものですが、コロナ対応の巧拙のテーマから話題が横にそれていました。
政治というのものは、「あちら立てればこちら立たず」の利害調整が本質ですが、(それも現実政治は二択ではなく無数の利害関係者が入り乱れる複雑なものです)二択基準どころか理念だけで県の政治ができる現実があったとすれば驚きです。

特措法と緊急事態宣言(必要性1)

これまで見てきたように現在のインフルエンザ特措法システムでは、(改正後でも)緊急事態宣言発令を迅速化したところで、強制できない、要請(お願い)→指示しかできない・イベント会場を実力で封鎖できないのが基本原理ですから、宣言迅速化だけで直ちに私権制限効果が出る法律ではありません。
なぜ緊急事態宣言だけでも迅速に出した方が良いという議論になるかというと、緊急事態なので・という自粛要請よりは、正式宣言が出ている方が、多方面で自粛要請し易いという事実上の効果を狙ったものでしょう。
しかし安倍総理の記者会見発言一部を5月3日に紹介しましたが、真に緊急事態である以上は、上らの命令による強制力に頼るのでは実はうまくいきません。
今回緊急事態宣言が出ていないことを3月中旬頃の改正論議のニュースで始めて知ったのですが、中には、宣言も出ていないのに総理の一存での自粛要請が浮き上がっているかのような・この種の総理批判記事ニュースが圧倒的だった理由がここにあったことがわかりました。
緊急事態宣言制度があるのに、それを使わないで休校要請するのは脱法行為ではないか?
緊急事態でないのに、なぜ要請するのかという揚げ足取りというか、脱法行為の不信感を利用したものでしょうか?
周囲が反対しているのに安倍総理が独断専行で断行したかのような意見を新聞等も遠慮がちに書いていた記憶です。
周囲がまだ緊急事態宣言する段階でないと反対していたらしいのですが・・。
ネット検索してみると以下のような意見が出て来ました。
以下は長くなるので部分引用です。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00002/030201117/

「小中高休校」の賭けに出た安倍首相、異例の政治決断の舞台裏
安藤 毅 日経ビジネス編集委員  2020年3月2日
「よく見えない、よく分からない敵との戦いは、容易なものではない。率直に言って、政府の力だけでこの戦いに勝利することはできない。終息に向けては、一人ひとりの国民のみなさんの理解と協力が欠かせない」
2月29日、新型コロナウイルスの感染拡大問題を巡り、初の記者会見を行った安倍晋三首相。さらなる感染拡大の防止に向け、危機感を鮮明にしつつこく訴えた。
政府の専門家会議では全国での一斉休校が感染防止に現時点でどれだけ効果があるかを検討していない。政府内や与党との調整や事前の準備がほとんど行われない中、安倍首相が文字通りトップダウンで決断した。「側近の今井尚哉首相補佐官の進言が首相の背中を押した」と複数の政府関係者は漏らす。
政府の対応を巡っては、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」で感染が拡大した問題などに国内外で政府への批判が広がった。政府が早急に中国からの入国制限を行わなかったことなどに対し、首相の支持基盤である保守層の一部からもネット上などで厳しい指摘が相次ぎ、首相は焦りの色を濃くしていた。各種世論調査で内閣支持率の下落が顕著となる中、「悩んだ末、首相は賭けに出た」と周辺は明かす。
突然の休校要請、政権内で冷ややかな見方も
特に休校要請の決断に関しては、政府の対応に一貫性や戦略性が欠けた分、積み上げてきた安定政権への信頼が急激に揺さぶられる事態となっている。自民のベテラン議員は今後への影響を危惧してこう漏らす。
「首相は森友学園、加計学園を巡る問題や、桜を見る会などで批判を浴びてきたが、これらと違って今回は有権者の生活に直結する問題だ。今後の展開次第では、首相、そして自民党に大打撃となるかもしれない」

以上はもって回った言い方で、反安倍論調とは必ずしも言えませんが、以下は立ち位置が明確です。
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020022900005.html

新型コロナウイルス対策で臨時休校を要請した安倍首相の支離滅裂
何の準備もなく唐突に始まった「超巨大国家プロジェクト」はおかしいところだらけ
米山隆一 前新潟県知事。弁護士・医学博士
法的根拠のない首相の「越権行為」
学校の休校は、原則として同法に基づき、教育委員会が決定し、その予算執行は各自治体の首長が行うもので、総理といえどもこれについて一切の権限を有しません。
・・・総理の今回の「要請」は、公教育の独立性を確保するために定められた教育委員会に関する法の趣旨を真っ向から否定するもので、日本の法秩序を大きく害するものと言わざるを得ません。
「首相の責任」「現場の責任」が二転三転
引用略
「児童における全国的な感染症の流行」は存在しない
引用略

緊急事態宣言と厚労省データ令和2年4月6日版

4月6日22時過ぎ検索した厚労省データです。

(令和2年4月6日版)
4月6日現在の状況及び厚生労働省の対応についてお知らせします。(4月6日正午までの各国機関やWHO等から発表された内容を踏まえ、4月3日日報から下線部分を更新しました。)
国内で今般の新型コロナウイルスに関連した感染症の感染者は3,654例となりました。
内訳は、患者2,429例、無症状病原体保有者340例、陽性確定例(症状有無確認中)885例となります。国内の死亡者は73名です。
また、国内での退院者は8名増加し、592名となりました。

上記中の表の引用省略しますが、人工呼吸器ICU利用等の重症者は、まだ79名に過ぎずニュースの危機感の激しさとはだいぶ違っています。
厚労省発表は前日正午現在であり即時性のあるニュースとは12時間の時間差しかないように見えますが、数字の開きが大きすぎるのが一見不思議です。
正午現在とは言っても都道府県からの報告が正午までに届いた分をデータ化したという区切りですから、発生時間の意味ではありません。
病院や保健所等現場に張り付いている現場速報に比べると2〜3日の遅れがあるのかもしれません。
検査現場→保健所集計→終業直前までのデータを県へ報告→県は翌日出勤後前夜24時までの着信記録チェック・集計•記録化→正午までに厚労省へ報告の流れを想定した場合、厚労省6日正午の記録とは、5日夕方までの検査記録であり、入退院記録や死亡記録は保健所が一線現場ではなく各地病院が現場ですので、県が集計するまでには更に多く組織が介在するので感染者数把握に比べて1〜数日以上の誤差が生じるのでしょう
入退院数や死亡数などは多忙な病院が日々文書化して報告しきれない・平常時で言えば数ヶ月遅れで数ヶ月前の数字を送付する程度が限界でしょう。
非常時にはメデイアが各地現場に記者を貼り付けて時々刻々の入退院数などの聞き取り把握の方が速報性に優れます。
緊急時の政治決定には少しくらい現場の聞き間違いがあっても大方の方向性把握が重要で、それを寸秒も早く取り入れた方が有利です。
一定期間経過後の検討資料としての正確性では厚労省公式統計が優れているのですが、速報性に欠ける点で緊急時のメデイアの果たす役割は大きいものがあります。
学者はデータの正確性が検証された1年後の議論には向いていますが、戦場指揮官で言えば目の前で動いている戦闘現場の勢いを瞬時把握能力次第でしょうし、経営者は現場重視論は、生産現場の流れ・・士気の高さなどの直感的把握力に秀でているからこそできることです。
医療機関現場ではその場の処理に追われていて、報告書作成はおまけの仕事ですから時間がかかりますが、ICU入り口に詰めかているメデイアがその場から本社に〇〇院で1名新規入室または死亡1名、年齢70代男性その他不明という程度の速報を打てば深夜11時50分の動きがそのまま前日締め切り前の情報として翌朝報道できます。
以上の通り速報性に欠ける前提ですが、厚労省発表に戻ります。
千葉県に関しては厚労省4月5日公表分・・船橋市:感染者8例柏市:感染者1例千葉市:感染者1例ですので、千葉県に限ればかなり落ち着いたのかな?
地方の場合人の往来が限定されているので、一人の患者が出ると過去1週間の接触者の割だしが容易ですが大都会の場合、満員電車に乗ったりデパートに行ったりしていると接触者割り出し不可能で、標的を定めた個別検査が限界になります。
一旦クラスター発生すると、その接触者割り出しなどに時間がかかりうまく行っても鎮静化まで3週間程度かかりますので、その間に次々感染者が広がりこれがが新たなクラスター発生源となる外、電車などでの感染が広がると終わりのない戦いになって行きます。
この段階になると諸外国のように一律の外出禁止令類似の状況が必要な事態になるのでしょうか。
そこまで行くかどうかの瀬戸際状態が現在東京の状況です。
昨日日経新聞夕刊では、「緊急事態発令へ」という見出しが一面に大きく出ています。
昨日日経新聞夕刊では、「緊急事態発令へ」という見出しが一面に大きく出ていて、その後はそのための手続きを踏んでいく過程に入ったようです。
明日何があるかもしれない進行中の現状を前提にすると諸外国との新型コロナ対策の政策優劣の比較は収束後に行うべきで、進行状態では今順調でも(水面下で進んでいる感染拡大がある日顕在化する)明日何が起きるか不明で意味がない印象です。
このように明日をも知れない諸外国との政策優劣の比較はパンデミック収束後に行うべきで、進行状態では今順調でも(水面下で進んでいる感染拡大がある日顕在化する)明日何が起きるか不明で意味がない印象です。
(後で1ヶ月〜数週間以上前から感染が起きていたことがわかる・・台東区の大規模病院の感染拡大は、ダイヤモンドプリンセス号・クルーズ船検疫に参加していた医師が感染源だった可能性が報道されています)
1年ほど後からの評価では、国全体の統計でグラフの山の高さの比較が重要ですし、特定地域で言えば大邱市のグラフの高さに対し名古屋か大阪市等の山の高さの比較です。
死者のピークを見るには感染者発見〜入院等から遅れる指数ですので、日々の感染発見数との比較では意味がないし、それが2週間の遅行指数なのか3週間なのかなども正確に決まるのは、収束後1年ほど経過後の精査によるべきでしょう。前夜まで普通に食べていたし症状皆無の高齢者が一夜明けて急変死亡した名古屋市の3月8日頃の事例のように、日本やイタリアのような超高齢社会ではそれほどのタイムラグがないのかな?本当は超高齢社会では死亡率の意味も違うのでしょうが・・。
細かく言えば、乳幼児の場合悪化が急激でしょうし、75歳以上と以下・中高年と30台以下などの分類、あるいは基礎疾患のあった人ない人の差など細かく見ていくべきでしょう。
中国武漢市データでは肝炎心疾患などの持病悪化がほとんどでそういう重症持病のない人が、コロナ型ウイルスに感染しただけの死亡例が1、4%しかないようですから、政策の有効度を見るには人口比死亡率と言うより75歳以上人口比の死亡率が重要かもしれません。

米国占領政策2→乱闘国会

イラク侵攻の際にありもしない大量殺戮兵器を主張して正当性強調したのと同じレトリックで米国政府は対日戦争正当性を訴えるため奴隷状態にある朝鮮民族の解放戦争という宣伝を行ってきたのです。
西欧の植民地との比較では格段の厚遇でしたし、朝鮮神自身が自発的に対米戦に参加していたのです。
例えば以下の通りです。
https://cocolo-journal.com/archives/14333#toc4

朝鮮半島では、大日本帝国陸軍が清国軍を打ち破ったときの「軍旗」が旭日旗だったため、
中国から朝鮮独立を認めさせた“象徴旗”として称えられていました。
『アサヒグラフ』1938年10月19日号の朝鮮人特別志願兵の特集ページでは、
旭日旗を掲げて行進する4300名の「朝鮮聯合青年団」の写真が掲載されています。
当時、朝鮮人にとって50倍前後の倍率の志願兵に選抜されることは、大変な名誉でした。
志願兵に採用されなかった全朝鮮の若者15万人は「朝鮮聯合青年団」を組織しました。

こんな欧米植民地があったでしょうか?
このような偏った刷り込みを前提に朝鮮半島に上陸し、占領政策を遂行するにあたっては必然的に日本統治実績をけなし、良い面を米軍支配の実績にすり替えるしかなかったでしょう。
これが戦後朝鮮人の反日意識形成→反日運動の源流です。
慰安婦問題の具体的証言では、ジープに乗せられ、ドラム缶がどうのなど米軍支配下の出来事だったことが明白になっていますが、それでもこれが日本軍の悪事として世界に流布されてきました。
米軍に対する不満であれ、自国政府に対する不満であれ、韓国国民は反日を唱えれば全て許されるように思い込んで70年以上経過したことになります。
ところで26日にヤルタ会談の一部を紹介したように米国や連合軍軍自体、日本軍・日本政府要員撤退後、朝鮮民族による自主政府樹立までの手助け・・いわゆる自立にまだ無理のある民族としての国際評価を前提に米国が太平洋諸島の信託統治領同様に保護者になる・・国連概念の信託統治としての関与予定でした。
一人前になるまでの短期占領政治の予定が、朝鮮戦争勃発→休戦状態で固定されてしまったので国連軍としての米軍駐留が今に至るまで続いている結果、長期的に米国宣伝(日本統治配が如何にひどかったかの刷り込み教育)の直接的影響下におかれました。
74年といえば2世代以上に渡って日本人がいかに人道上ひどいことを朝鮮人に対して行ってきたか、道徳のない民族であるかの虚偽教育を生まれたときから受け続けてきたのですから、おそるべき隣国が誕生していることになります。
昭和60年大頃まであっ本当のことを知っている世代がいたので、学校教育や目でアイデアが煽っても親世代は冷めたところがありましたが、平成に入ると、日本統治を経験した世代がいなくなり、学校教育やメデイアの流し続ける反日宣伝を盲目的に受け入れる・・日本を憎む世代ばかりになってきたようです。
これが慰安婦その他何でもでっち上げては「そのくらいの仕返しをしないと気がすまない」という気分になってきた素地ではないでしょうか?
朝鮮半島の南半分・大韓民国は建国以来米国の唱える大戦の大義?に縛られて日本支配の道義否定を国是のようにして始まった結果、占領政治では日本支配時代との違いを鮮明にするためにもっと目に見える改革・成果が必要となりました。
日本の統治方法はいきなりの制度変更ではなく、教育制度の一般化によってヤンパンの特別権力維持の源泉・・ヤンパンの文化独占を打破してヤンパンの文化的優位性を崩していったのですが、米国はもともとこういうじっくりした政治は苦手である上に、対日戦争の名分として日本の朝鮮統治を批判して来た手前、早期に目に見える成果が必要でした。
そこで(今の投資ファンド同様に短期成果を求める傾向がもともとある上に)日本を戦争に引きずり込んだ戦争の正しさを証明するためにもドラスチックな改革の必要性があり、地道な時間のかかる自発的発展を待ってられなくなり、結果的に強権的改革が多くなった・韓国国会では何か法案を通すためには、日常的に乱闘→強行採決になっていった原因の一つと思われます。
https://www.sankei.com/politics/news/150629/plt1506290039-n1.html

世界を震撼させてきた韓国・武闘派国会。ただここ数年は、暴力沙汰はほとんど沈静化している。
実は「国会先進化法」と呼ばれる法律が2012年5月に成立している。時期的には、先に紹介した「催涙弾事件」の後ということになる。
法律では「与野党間で意見の食い違いがある法案を本会議に上程する場合、在籍議員の5分の3以上が賛成しなければならない」と規定されている。乱闘につながりがちな対決法案の緊急上程、強行採決を防ぐ措置なのだろう。
ただ、暴力こそは影を潜めたものの、あまりに高いハードルであるため、今度は肝心の法案処理がままならなくなった。2014年の7月国会で法案処理にいたった案件はゼロ。続く9月国会で90本余りの法案を一気に成立させるという荒業を繰り出さざるを得なかった。

上記のように乱闘国会が常態化していたので今度5分の3の特別多数制度にするしかなかったので、そうしてみるとどんな法案も通らなくなったというのですから、ほぼ漫画状態です。
工場のように先進設備を導入すれば、ちょっと機械操作を練習すればすぐに製品になって出てくるのとは違って、社会制度というのは制度・器だけは真似できても運営は人民の能力次第です。
国会も労組も同じ人民の能力にかかるものですから、乱闘国会同様に韓国では労働運動の激しさも有名ですが、韓国社会は何事も妥協して決めていく経験がないまま現在に至っている状態です。
民主社会では労組のあり方も重要な要素です。
韓国労働運動については報道を通じたイメージしか知らなかったのですが、ネットでは以下の論説が出ていますのでこれを明日以降一部引用して行きます。
以下紹介する韓国の激しすぎる労働争議関連の論考には米占領軍は占領当初政策方針として「1945年10月30日に軍政法令第19号の国家緊急事態宣言の中で『過去40年間存続してきた絶対的奴隷状態から労働者を救出しなければならない』と強調し」

たと紹介されています。

カイロ宣言と米国朝鮮政策1(日本道義否定)

朝鮮半島の北半分がソ連圏に入ったので北の朝鮮人は、古代価値観を基本にして生きているソ連・ロシア民族支配をすんなり受け入れて安心したでしょうが、日々食うのに忙しい・・人口の90%以上を占める庶民にとって政治意見を言えないことや表現の自由の制限など日常何の不自由も感じないことを24〜25日に書いてきました。
表現の自由にこだわる芸術家でも普通の芸術活動である限り・同時代の緊迫した時代精神気分を表しているなどの評価を後世に受けるとしても、その程度のことで表現が規制されるとは考えにくく、99、99%の芸術家は政治などに関係なく、創作活動を自由にできてきたと思われます。
明治以降の漱石、島崎藤村の詩集などの文壇、日本画に表現の自由による制約を見る人は少ないでしょう。
江戸時代に世界に冠たる文化発達繚乱したのは、西洋近代の権力分立・人権思想の有無と関係なかったのです。
そもそも芸術家自体人口の1%もいないでしょう。
アメリカ占領下に入った南半分(現韓国)は、微温的な日本統治という緩衝装置がなくなり欧米価値観ストレートな政治文化の浸透に見舞われたことになります。
米国の中南米、南ベトナムその他各地支配・指導は、現地民族ごとの微妙な気持ちの汲み取り能力に欠けた・いわゆる投票箱民主主義・あんちょこな民主主義の押し付けが国情に合わない結果、多くの国で失敗の連続でした。
米国の対日戦争の大義として朝鮮民族の日本隷属からの解放を宣伝してきた米国としては、朝鮮占領政策では日本が進めていた以上の急速な近代化を目ざす必要に迫られていたことは、推測に難くありません。
朝鮮族の対日不満の源泉は旧特権階層の権益剥奪と教育の機会均等・四民平等・を徹底すれば国民大多数のストレス社会化が進みます。
自由競争社会化すればするほど、底辺層の方が富士の裾野のように最大多数になるのが原理です。
日本の場合文明開化によって新たな職域が量産され、失業した武士の多くを吸収しましたし、産業構造変化までひと世代程度の期間余裕があったので、紡績〜繊維から家電組み立てなどの構造変化も1世代以上の時間軸があり次世代がうまく適応できてきました。
新興国の場合工場設備丸ごと導入パターンですから、最新技術導入があんちょこな分に比例して産業構造・主役が変わって行く構造変化が5〜6年サイクルでくるので、日本に追いつくスピードは自慢でしょうが、それに比例してどんどん振り落とされ置いていかれる人が増えてストレス過多社会になって行きます。
ルーズベルト政権は対日開戦の大義名分として日本の朝鮮人民に対する過酷な植民地支配〜中国での南京虐殺などを国内外で大宣伝してきました。
対日開戦を奴隷状態にある悲惨な朝鮮人民解放戦と位置付けてきたのです。
フセインが大量破壊兵器を隠していると称してイラク侵攻を正当化したのと同じ手口です。
競争社会に対する不満を吸収する方向で米軍支配による「日本支配がひどかった」という反日宣伝が不満に火をつける形で、ガス抜きしていく効果を発揮していたと思われます。
アメリカの対日プロパガンダの公式記録がカイロ宣言に出ています。
1943年に出された連合国のカイロ宣言の一部・対朝鮮関連部分のみ紹介します。
カイロ宣言に関するウイキペデイアの記事からです。

対日方針を協議するため1943年(昭和18年)11月22日からエジプトのカイロで開催されたフランクリン・ルーズベルト米大統領、ウィンストン・チャーチル英首相、蒋介石国民政府主席による首脳会談を受けて、12月1日に発表された「カイロ宣言」。
以下はカイロ宣言の日本語訳[1]。
「ローズヴェルト」大統領、蒋介石大元帥及「チャーチル」総理大臣ハ、各自ノ軍事及外交顧問ト共ニ北「アフリカ」ニ於テ会議ヲ終了シ左ノ一般的声明ヲ発セラレタリ。
各軍事使節ハ日本国ニ対スル将来ノ軍事行動ヲ協定セリ。
日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ
前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス

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