行為能力制度3(定型から実質へ)

2〜30年前頃から意思能力に問題があるために資産等を守り人間として尊厳ある待遇を受ける必要がある人の大多数が、認知症患者に変わり後見人を必要とする家族の受け止め方や社会意識も大きく変わりました。
将来生涯単身者が増えて、認知症患者の見守りがどうなるかにもよるでしょうが、この数十年の認知症患者の大多数は、兄弟間の遺産争いの当事者ではなく、多くの場合妻が元気な場合夫であり夫死亡後の場合介護者は子であり被後見人等は母親です。
介護に困っても今は精神病院と違い介護施設が充実している上に、娘を中心とする子らは母子間で兄弟間のような争いが滅多になく、他の兄弟の目もあるので、母親を精神疾患がないのに監禁ために精神病院へ入れる必要がありません。
意思能力に問題がある場合でも、ある程度の能力があるが健全な判断能力に欠ける場合に対する保護は従来準禁治産宣告でしたが、私が弁護士になった頃には、準禁治産者として浪費者のほか瘖唖者などが定型として例示されていましたが、(耳が聞こえなくとも十分な判断力のある方がいます)聾唖というだけで準禁治産の宣告する方式は問題がありすぎたので昭和54年に聾唖者盲人定型をなくしました。
このとき浪費者という実態不明の定義を残したのは実質認定だから良いだろうとなったのでしょうか?
54年改正前の旧条文がネットではなかなか出ませんので自宅にある昭和8年版六法全書によって、引用しておきます。
昭和8年版六法全書民法編です。

民法11条 心神耗弱者、聾者、盲者、浪費者ハ準禁治産者トシテ之ニ保佐人ヲ付スルコトヲ得
このように、明治以来定型が法定されていたのですが、昭和54年に浪費者を残して削除され、

民法第11条
心神耗弱者及ヒ浪費者ハ準禁治産者トシテ之ニ保佐人ヲ附スルコトヲ得

となり、これが平成11年

現行民法(1999年改正2000年施行)

(後見開始の審判)
第七条 精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者については、家庭裁判所は、本人、配偶者、四親等内の親族、未成年後見人、未成年後見監督人、保佐人、保佐監督人、補助人、補助監督人又は検察官の請求により、後見開始の審判をすることができる。
第十一条 精神上の障害により事理を弁識する能力が著しく不十分である者については、家庭裁判所は、本人、配偶者、四親等内の親族、後見人、後見監督人、補助人、補助監督人又は検察官の請求により、保佐開始の審判をすることができる。ただし、第七条に規定する原因がある者については、この限りでない。

平成11年改正後障害や限定行為能力の決め方は、定型障害で能力制限するのではなく、「精神上の障害により事理を弁識する能力が著しく不十分」という原則定義一本になり具体的認定が必要になりました。
明治民法制定時に行為能力不足者も権利能力の主体にするとその権利を失うリスクが高まるのでその保護の必要性があったものの、能力不足の判定能力(科学?)が追いつかないのでまず心神耗弱という原理を掲げた上で、その認定がなくともさしあたり誰も外見でわかる定型的場合を掲げたのでしょう。
それにしても表現がキツすぎました。
例えば禁治産宣告の改正前の漢文式表現では「心神喪失の常況」というのですから、禍々しいことこの上ない「おっソロシイ」表現でした。
今で言えば認知症→認知能力の欠如という意味ですから、我々高齢者は徐々に視力、聴力が落ち結果的に文書に限らずいろんな情報に穴が空くので結果的に判断も誤る・誰もが将来そうなる流れが可視化されます。
認知能力低下といえば高齢化に伴い徐々に身体機能が落ちていくのは仕方ないよね!となりますが、「心神喪失です」と言われるとまるで何の理解もできない廃人のイメージでした。

戦国時代2→大和朝廷の実質消滅1

佐倉市にある歴博で、蔵人頭(今で言えば大蔵大臣?)だったかの官人の1日の流れが出ていましたが、朝早くから摂関家で家人として色々な事務をこなしてから朝廷に出仕し、帰りにはまた藤原氏に顔を出すなど忙しい一日を時間表にしたものを見たことがあります。
(生活費を書いていませんでしたが)朝廷の仕事は名誉職みたいなもので、(その頃には荘園に蚕食されて国税・朝廷収入はほとんどなくなっていたでしょうから)生活費は摂関家の下働きで得ていたような印象でした。
荘園収入が減り最後はほぼ全て途絶えるまで、摂関家でも家人をドンドン減らしていったでしょう。
リストラされた方は、食・職を求めて地方に散らばるしかありません。
大坂の陣までは、徳川家旗本や各地大名は、功績を競うために配下武士・足軽を最大限抱えていましたが、平和な時代が続くと無駄なのでどんどん減らしていきます。
関ヶ原で負けた方の戦闘員の大方が失業状態でしていたので、大坂の陣で大阪方は、この受け皿になって、浪人勢が大規模に雇われて大勢力になって大規模戦争になったものです。
真田幸村を代表として大阪方の名だたる武将(大阪城に詰める譜代の家臣は、実践経験の乏しいものばかり)は皆いわゆる関ヶ原浪人でした。
大坂の陣が終わるとオリンピック景気終了後の現場労働者みたいなもので、浪人が巷に溢れ社会不安の現況になります。
大坂の陣に向けて功績を競うために最大限戦闘員を増やしていた勝った方の幕府方大名も旗本も、まずは平時の常雇体制に戻すのが当然です。
学校教育では、福島正則などの改易が続いた結果失業浪人が増えた結果社会不安になったので、大名の改易を縮小したと習いますが、改易になれば、その分誰かの領地になる・新規採用があるので差し引き本来同じはずです。
「日本経済の低迷と会社更生法(非退場のシステム)4」前後のシリーズで不景気対策として銀行や建設業の倒産を救済しないと失業が増えるから救済が必要という一般的な意見に対して、いかのように主張したことがあります。
「国内建設需要・銀行需要が一定の場合、トータル労働力需要が一定だから淘汰される業者は、技術レベル労務管理等々が劣っているのだからその企業の退出を促すのは良いことだ。
年間100棟建設していた業者が倒産すれば近隣他社がその需要を吸収するために人手不足になり、倒産企業から使える人材を雇用するので、競合他社から声のかからない人材はもともと給与以下の仕事しかしていなかった人の証だ。
こういうダラ漢が居座る企業を税を使って温存する必要がない」
と言う意見をこのコラムで書いたことがあります。
外様大名に限らず越前宰相と言われた徳川一門120万石も改易になっていますが、その土地が外国領土になったのではなく、(旗本が加増されて小大名となるなど)いくつか小藩の領地になってそれぞれ必要な家臣を新規採用しています。その機会に内政に必要な人中心に雇用して武断派の人材が再雇用率が低く時代不適合系は、失業していったと思われます。
島原の乱も由井正雪の乱も・・明治初期の秩父困民党の騒動、各地不平士族の反乱事件も皆新時代に適応できず行き場をなくした浪人が集結したのが騒ぎを大きくした元凶でした。
文治政治の江戸時代が進むと平時向けの戦闘力不要ですので、さらにリストラが進みますがこの頃には俳諧師に始まり各種サービス業が発達したので、(平賀源内のように活躍の場があったり、浮世絵師、落語家等々)受け皿があって各地から江戸に人口が集中するほどになっていたことが知られます。
応仁の乱以降に戻しますと、京にいても食えないので実務能力のある者は散在する荘園のうち一つを選んで自ら領地に住み着き自分で管理するようになる・ある程度実務能力のある荘園領主(と言っても当主ではなく一門の実務経験のあるもの?)もいたようです。
しかしそれは、中央と地方の連絡が取れなくなった初期のこと・「預かり所」に任せてられないので、家宰レベルが自分で赴任して直接監督するようになった程度のことでしょう。
近隣の武士同士で日々夜討ち朝駆けの攻防が繰り返され、武士が砦・城で起居しなければならない時代になると、武士である守護大名でさえ地元密着型守護代から見れば役立たずなので駆逐されて行きます。

在日犯罪率の比較対象2(辛氏実質亡命を契機に4)

都民・常住者は都内から出るのは例外(年間一人平均4〜5日も東京から他府県へ旅行に出るか?)・・原則としてほぼ1年間都内にいる人の犯罪率ですが、観光・会議等で来日した人の平均滞在期間が仮に都内で2〜3日しかないとした人の数と単純比較するのが妥当かということです。
仮に2日しか滞在しない場合、1年中いる人に引き直せば180分の1・・・180人で一人分にカウントし直すべきでしょう。
例えば来日外国人の内で都内に数日間滞在した人が約1300万人で、都民約1300万人と同数としても、数日しかいないグループと1年中いるグループを、同じ性質の集団として犯罪率を比較する意味があるでしょうか?
10年以上もいれば小さな不満が積もり積もって凶悪事件になることがある・・・デズニーランドなど観光地で楽しみホテルに数日泊まって箱根等へ移動していく人が8〜9割の場合、凶悪事件を起こす確率は低いのではないでしょうか?
比較するならば、常住集団同士・・来日外国人同士・・どこの国出身の観光客がトラブルを起こす率が高いかの議論ならば、意味がありますが・・。
しかも、訪日客全員が東京に来るとは限らない・車関係者で言えば、中部地方のトヨタ関連工場に来てそのまま帰るとか、観光客でも近畿地方や九州方面、北陸や北海道方面だけ周遊して帰る人も多いので、都内滞在率・都内滞在期間平均何日か?などの細かな統計を見ないで単純来日外国人の数字で都内人口と比較しても意味がありません。
まして都民・・日本人を分母にして計算する場合、首都圏等からの通勤通学出張者(都内通過人員なども含め)等による昼間人口(新宿等の飲み屋街でもその客の多くを流入人口が占めています)が大きいのが特徴です。
日本人の都内犯罪率が9割近くという場合、1億数千万人を比較するのか都民だけを比較するかも不明な主張ですが、仮に1億数千万を基礎にしている場合、来日外国人何名を基礎にしているかも不明です。
日本人も来日者もみんなが東京にすみ、東京に宿泊していないのは公知の通りですから、全体と全体ならば、東京都に限定して比較する意味がないでしょう。
仮に都内に人口比を言うのであれば、東京の特殊性を無視できません。
一般に言われる「昼間人口」とは、都内就業地や通学地のある統計しやすい人口だけの集計であって、統計していない政府への陳情・事情説明や企業本社への出張や各種会議(私の場合日弁連の会議や東京地裁へ行く場合等)・パーテイーや行事が都内で行われることが多くその数は膨大です。
ですから、都内常住人口比で見ると犯罪率・・交通事故や医療機関受診率、観劇人口デパート購買人口も交通事故も全て多くなるのが当たり前で、常住人口比での比較は意味がありません。
極端な例で言えば千代田区、中央区や赤坂六本木など狭い地域の各種統計をそのまま見れば、人口比でバカに医療受診率が高い(難病率や高額医療受信罹患率が都民に多いとなるのか)、観劇人口比率が高い、外食率(六本木に住む人は毎晩5〜6軒くらい夕食・酒場のはしごをしないと数字が合わないかな?)や犯罪率が高い、デパートなど宝飾品や衣料品購買率が高い(銀座周辺常住者は1日に数回以上デパート等へ行って宝飾品等を買うのか?)、警察官が人口比で多すぎる(デモ警備動員されている機動隊も含めると警察官数も膨大ですが、人口の5〜6割が警察官になっているのか?ガードマンや道路掃除の人も人口比7〜8割?店員は人口比10割を超える?など狭い地域の人口比統計では意味がないことがわかります。
※ 上記比率は、・比喩的直感的比率であって、統計数字をおさえた根拠ある数字割合ではありません。
大都会の場合、流入人口で経済が回っている・ひいては揉め事も交通事故も経済犯罪もその比率で多くなるのですから、常住人口比で犯罪率を見るならば首都圏とか大阪圏などの生活圏規模の常住人口を分母にして広域圏犯罪率で見るべきでしょう。
26日冒頭に書いたように、検挙率を「東京都内に限定」して比較すること自体不合理で、辛氏の主張の仕方は「東京都内の犯罪率が人口比で如何に高いか」の誤解を狙った刷り込み?意図が疑われます。
http://www.metro.tokyo.jp/tosei/hodohappyo/press/2018/03/20/12.html

東京都の昼間人口は、平成27年10月1日現在の国勢調査の結果のうち、総務省統計局から公表された従業地・通学地集計結果等をもとに、東京都の昼間人口、通勤者・通学者の移動状況等をとりまとめたものです。
東京都の昼間人口は1,592万人、常住人口1,352万人、昼夜間人口比率は117.8

以上のように見ていくと辛氏が、

「「凶悪犯の検挙人数は、東京都全体で978人で、来日外国人は109人と全体の11.2%。9割近くは日本人の犯罪だ」[41]」

と言い切るのは、仮に引用数字が正しいとしても、流入人口の多い地域では常住人口で見ると自体に問題がある上に、同じ性質集団同士で比較しない点で論理的な無理があります。
性質の違う母体との比較では論理展開にフェイク主張の問題がないか?(新聞掲載意見とすれば、)朝日新聞がデータ根拠をチェックしたのか、チェックしたとしてもそのデータと結論に関係ない意見であれば一種のフェイク報道で掲載拒否すべきだったのではないでしょうか。
例えばA県の小学3年生とB県の中学生で算数国語やスポーツその他のテストをしてB県の方が点数が良くても、B県民の資質が高いとは言えません。
小学生と中学生の比較では話にならないことはすぐわかることですが、在日批判に対する反論の流れの中で、都内の凶悪事件検挙数をあげて、来日外国人は11%あまりしかいないとアッピールしていますが、比較母集団がはっきりしない上に母集団の性質相違がありすぎて意味不明主張になっています。
来日数は年間何千万人(当時はもっと少ないですが)で、都内人口より多いのに検挙数は1割しかないと誤解させたいのでしょうか?
・・・幾ら何でも無理っぽいので来日外国人と都民とどういう比較をするかを書いていませんが・。
以上いろいろ書いてましたが、結論としてまとめると

① 都内限定の意味不明(広域異動の現在地域限定すると却って分かりにくくなる)
② 検挙数が正しいか?(簡単にアクセスできない)
③ 在日(長期滞在者の)の犯罪率を論じているとした場合に、都内凶悪犯罪検挙数と比較すべきは都内在日朝鮮人数とその検挙数ではないか?
④ 来日外国人という日常聞きなれない母集団をいきなり比較集団かのように出すことが妥当か?
⑤ 都民数と比較すると書いていないが、仮に都民人口との比較を意味するならば、来日外国人も多様なので来日外国人の中でどの母集団と比較するのかを明らかにすべきである
⑥ 仮に都民と来日外国人の比較するとした場合、
a 都民とは常住都民か昼間人口か、統計数字のない観劇や買い物客等の上京人口も加えるか?
b 来日外国人全員と比較するのか?都内で何日以上の宿泊者に限定するのか
・全員東京に来るわけでもない・・東京にきても全員が東京で1年間いるわけがないのに、単純比率をなんとなくイメージさせるのは誤誘導目的ではないか?

以上のように、不確定部分が多すぎて意味不明の言いっ放しの印象です。
母集団をどこまで限定しても母集団の性質が違いすぎるので、比較対象を明瞭化すべきで意味不明の主張で恰も在日の犯罪率が低いかのような結論だけ主張するのはおかしくないか?その主張をメデイアが紹介すること自体問題がないか。

在日犯罪率の比較対象1(辛氏実質亡命を契機に3)

昨日の続きですが、「9割近くは日本人の犯罪だ」という意味は、「人口比で11%は多くない」という意味を含むのでしょう。
とはいえ、「東京都全体で978人」と東京都に限定する意味が不明です。
来日外国人全部と比較するならば日本全国の数値と何故比較しないのでしょうか?
警視庁に入っても平成15年からのデータしかなくて1999年データは不明ですが、仮に正しくとも、都は他県に比較して流入人口が多いので、(このあとで昼間人口などを書きますが・・)検挙された人が都内在住者でない比率も高まります。
出典先の文章全部を読まないと話題の流れが不明ですが、ウイキペデイアの項目が「在日朝鮮人について」となってその中の発言記録のようですから、ウイキペデイア編集者としては「在日の議論をしている中での主張」とする解釈で紹介しているのでしょう。
在日犯罪率と日本人犯罪率を比較するならば都内在住の在日と比較するのが本来でしょう。
講演等を聞いている人は、在日の議論をしている時にいきなり来日外国人の数字に入れ替えた意見を述べられてもかなりの人が(在日と来日では聞いた感じでは似た音です)気がつかないで聞いてしまう巧妙な仕掛けです。
文書で読んでもそもそも来日外国人という熟語を知っている人が何%いるかという疑問があります。
わからないまま、比較するのに必要な専門用語かな?と合理化してしまうのを狙ったのでしょうか?
(相手が専門用語を使うと使われた方は、「自分だけ知らない」と思って前後辻褄を合わせて理解できるように合理化しようとする傾向があります・これを狙っているのは「近代法の法理や憲法を守れ」という難解用語のスローガンです)
ウイキペデイアで引用されている41の数字で見ると「^ a b 朝日新聞2000年4月23日」が出典らしいですが、原典をネット検索(図書館で読むのかな?)できないので、前後の文書不明ですが、もしも在日の汚名を雪ぐ目的の論旨であるならば、関係のない数字を出していることになります。
日本で生まれた外国人等特殊な人以外の外国人は来日した人に決まっているように思われるので、一般国語的には意味不明ですが、「来日外国人」とは、警察庁の犯罪統計の定義らしいです。
https://www.npa.go.jp/sosikihanzai/kokusaisousa/kokusai/H27_rainichi.
資料中の「来日外国人」とは、我が国に存在する外国人のうち、いわゆる定着居住者(永住者、永住者の配偶者等及び特別永住者)、在日米軍関係者及び在留資格不明者を除いた外国人をいう。
いわば定着性のない臨時訪日者の総称でしょうから、いわゆる在日・定着者の犯罪率と置き換えるのは話のすり替えではないでしょうか?
来日外国人は、「その他」ですから、留学生やいわゆる技能実習生や不法就労も含まれるし、国際会議や観光で数日〜1週間程度の予定(営業のために来た人や高度医療を受けるためなど)で臨時に来た人も含まれる多義的概念です。
事実上不法滞在で中長期的滞在者もいるでしょうが、内心目的はわからないので長期目的の永住許可のある人と区分けするために、原則として短期滞在者のグループを来日外国人として区分けしていると見るべきでしょう。
犯罪統計としては、定着予定の人と臨時に来た人とを分類した方が合理的だからと思われます。
せっかく犯罪統計に有用な区別するために考案された分類用語を、辛氏は在日=定着性外国人の犯罪率が高いかどうかを議論するのに敢えて非定着性外国人・・「来日外国人」の犯罪率を持ち出していることになります。
日常的用語としても、なぜ「在日」という日本語が定着しているかといえば、定着している韓国人と単発的に観光等で来日する韓国人と区別するための言葉であることは明らかです。
観光や出張等で単発的に「来日」する朝鮮系の人との揉め事は少ないからです。
ちなみに、訪日外国人数はhttps://www.jnto.go.jp/jpn/statistics/visitor_trends/index.htmlによれば、以下通りです。(ただし、最近5年分入国者数だけの一部引用です)

年別 訪日外客数, 出国日本人数の推移
2012 平成 24年       8,358,105
2013 平成 25年       10,363,904
2014 平成 26年       13,413,467
2015 平成 27年        19,737,409
2016 平成 28年        24,039,700

このように大量流入している短期来日者(非定住者)と常住人口の犯罪率(ウイキペデイアの紹介記事では「人口比」とは書いていませんが・・人口比の発生率を前提にしないと「9割近くは日本人の犯罪だ」というような書き方の意味が分かりません。)と比較する事自体、議論のすり替えでしょう。
しかも凶悪事件限定する意味も不明ですが、凶悪事件・・殺人事件の大方は男女関係のもつれや親族内の事件が圧倒的多数で、しかも不起訴率・・殺人で不起訴になる場合とは、大雑把に言えば精神障害関連が多いのです(育児ノイローゼ・介護疲れでも、一応起訴されて判決で執行猶予というのが一般的です)が高いのが特徴です。
法務省の統計から入ると以下の通りです。
http://www.moj.go.jp/content/001233931.pdf

表12刑法犯の主な罪名別起訴率の推移(殺人のみを引用します)
罪名   平成23年   24年    25年    26年     27年    28年
殺人   37.1    31.8     30.7    34.6      33.4    30.8
(注)「文書偽造」には刑法第2編第17章に規定する全部の罪を,「殺人」には同第
26章に規定する全部の罪を,「強盗」には強盗致死傷及び強盗強姦をそれぞれ含む

殺人事件の7割前後が不起訴になるのですから、いわば7割が「精神病等」起訴できない事件です。
ここで言いたいことは、短期目的・・国際会議や海外旅行に来た外国人で、介護疲れの殺人や、逃げている元愛人を追いかけたり、精神障害者(観光や出張・会議等で来日するか?)による殺人が起きる確率が何%あるか?です。
臨時に来る外国人と常住者との人口比による犯罪率比較をするには無意味なことは、意見を言うために犯罪統計など見て準備する段階で分かり切ったことですから、無意味な比較をあえて持ち出す意図が重要です。
比較するならば、都民人口と10年単位の長期滞在者や在日との比較であるべきでしょう。
このために警察庁では定住者と臨時の来日外国人に大きく分けて統計をしているのではないでしょうか?
この点を措くとしても、都民の数字は出せるとしても都内犯罪と比較すべき「来日外国人」の数字をどうやって算出するのでしょうか?
辛氏の発言が都道府県別犯罪統計を見た数字で正しいとしても、都内常住者と日本全国への来日外国人全員と比較するのか不明・そもそも比較するとすらも書いていません。

日本テロ被害の可能性(辛氏実質亡命を契機に)2

外国政府の挑発に乗って、ヘイトの応酬の果てに暴力行為が発生すると相互の憎悪感情が高まって、冷静な議論を弾き飛ばして一気に強力規制に進み(これを狙った挑発が盛んになる?)、ひいては意見発表の場を奪われた方に不満が溜まる結果、鬱屈が潜行する→いつかマグマがたまり暴発しテロの応酬になってくる事態になり兼ねません。
アフリカ諸国で長年部族間紛争が絶えなかったのは、西欧諸国が植民地支配を容易にするために部族間の不信感や怨恨を煽って紛争の深刻化を誘導してきたからではないでしょうか?
https://www.bbc.com/japanese/45204963

米メディア、報道の自由訴えるキャンペーン実施 トランプ氏の攻撃受け
2018年08月16日
トランプ氏はメディア報道を「フェイクニュース」と揶揄(やゆ)し、ジャーナリストを「国民の敵」だとして攻撃している。
米国の報道機関300社以上が16日、ドナルド・トランプ米大統領によるメディアへの攻撃に対抗し、報道の自由を訴えるキャンペーンを実施する
国連の専門家はトランプ氏の攻撃について、ジャーナリストに対する暴力の危険性を高めていると指摘していた。

メデイア界一致団結してトランプ氏に対する抗議行動があるらしいですが、他方でアメリカ社会の場合、ちょっと名指しされると個人狙撃テロの対象になりかねない・と懸念するおそるべき社社会の現実が報道されています。
そういえば大統領選挙時に児童虐待の巣窟というフェイクニュースに刺激を受けてピザ店だったかを銃撃した事件が報道されていました。
https://kaztaira.wordpress.com/2017/06/30/

「クリントン氏が関わる児童虐待の地下組織」というフェイクニュースを信じた男による「ピザゲート」発砲事件。

日本とアメリカでは、国民レベルが大違いですが、日本でも同じような「暴発の危険がある」というのが、辛氏の「実質亡命」必要性主張根拠でしょうか?
相手の意見が許せない・事実と違うならば、何が違っているかを冷静に反論すれば日本では、国民レベルが高い結果、合理的な方を選ぶので、粗暴表現の言い返しや暴力で抑え込む必要はありません。
反論すらしないで訴訟に持ち込むのも一種の暴力ではないでしょうか?
週刊誌等は訴訟部門が充実しているので弁護士依頼→打ち合わせも日常業務化しているでしょうが、個人が訴訟攻撃にさらされると訴訟対応のために仕事になりませんし個人的には巨額経済負担が生じます。
逆に粗暴過激な根拠のない強硬論は誰も相手にしない・社会から浮き上がる社会ですから、文字通り思想の自由市場で勝負のつく社会です。
中韓の日本批判を見ると大方「自分なら考え、こうすると」いう悪辣な彼らの行動形態を日本に押し付けこういうひどいことしているという批判が多く、それを読むと彼らの思考経路がわかることが多いものです。
辛淑玉氏が「実質亡命」せざるを得なかったのは、暴力の脅しに屈したからなのか、言論戦で支持を失ったので日本に居場所を失った口実なのかの冷静沈着な事実究明が必要でしょう。
そもそも「日本シネ」のような脅迫が、辛淑玉氏に対してあったかどうかの事実確定が先決です。
左翼言論陣はメデイア界支配中にはしきりに「表現の自由市場で勝負すべき」といっていたのにネット発達によって市場独占が崩れて言論戦で負けるようになると、「日本では言論の自由がない」という主張が始まり・なにかというと反論しないでいきなり言論封じのためとみられる訴訟利用行為が目立つようになり、ここ数年では国連調査官まで招いて発表していました。
メデイア界は数年ごとに政権が変わるのでは、じっくりした政策が行われないと長年批判してきたにも拘らず安定政権になると今度は一強支配では息がつまるの大合唱です。
辛淑玉氏の実質亡命論もその一環で「テロが怖いから外国に逃げた」という言い訳に使い世界中で「日本は危険だ」と言いふらす準備でしょうか?
言いふらした以上は、実際に事件が起きるのを期待したくなると厄介です。
辛淑玉氏とは何者でしょうか?
8月24日現在ウイキペデイアによる活動歴と同氏への批判記事

2001年3月5日から3月9日まで国連人種差別撤廃委員会に参加し、その委員会の集まりにおいて、石原慎太郎[誰?]を批判するだけにとどまらず、在日コリアンが日本人によってさまざまな人種差別に遭い被害を受けたと主張した。
その委員会の集まりにおいて、日本の法律が人種差別的に作られていて、日本政府が人種差別をしていると世界に向けて主張した。
その委員会において、日本人は在日コリアン(主に子どもや児童・生徒)に対して暴力を振るう、人種差別的な人たちであると考える人に賛同するロビイストが多くなったため、国連人種差別撤廃委員会は日本を批判する勧告を出した。

ウイキペデイアの辛淑玉氏の上記紹介によると、国外活動で相応のイメージ発信効果を発揮している人物のようです。
この紹介活動歴が事実かどうか不明ですが、過去の実績から見て将来の行動を予測するのが普通ではないでしょうか?
ウイキペデイア記載の辛淑玉氏に対する紹介の続きです。

批判
前田日明(元在日韓国人、1984年に帰化)は、「名前を出して悪いんだけど、辛淑玉さんなんか見てると、情けなくなってくる。差別されたとか、日本は加害者だとか言うだけで、それだけ叫び続けて一生を送るのかなと思うと、とてもおれは共感できない。」と批判した[29]。
鄭大均(在日外国人、韓国系日本人)は、金嬉老事件における辛の発言を引き合いに出して「メディアに登場する在日のなかで、姜尚中と辛淑玉ほど違和感を覚える人間はいない。
辛淑玉に関して言えばその歯に衣着せぬ語り口はいいのだが、思いつきやデタラメが多すぎるのではないか」「在日コリアンの被害者性という現実的であるかもしれないが非現実的であるかもしれない状況に、自己を憑依してものを語る傾向がある」「辛淑玉の一見奔放な語り口が、驚くほど古風な被害者的立場や対抗主義的立場との見事な整合性を維持している」と批判した[30]。
山際澄夫は、朝日新聞で辛が特定秘密保護法は外国人差別を増長させる危険性があると述べたことに対して「あえて言うのもばかばかしいくらいだが、特定秘密保護法は公務員や機密にかかわる職務の人間の秘密漏洩防止が目的であり、外国人差別が目的ではない」と反論し、「『朝日文化人』のデマと妄想」と批判した[31]

慰安婦騒動も国内では大方の勝負がつき、今後どう発展するかは別・・8月4日に書いたように法の成立・・いわゆるヘイト取り組み法ができて・・「否定価値」宣言だけで罰則がなくとも日本の場合、重罰化へなし崩し的に動きやすい法体系の実態がありますが、一応ヘイト取り組み法ができたことがエポックになります。
マスメデイア対抗勢力の攻撃方法が過激な言動もあったのですが、相次ぐ名誉毀損訴訟での敗退によって、攻撃にはルールが必要という知恵がついたのと相まって、ヘイト取り組み法成立によって感情的応酬のステージが終わったように見えます。
この結果、日本では過激表現過激行動をするグループの方が支持を失っていく・落ち着いた議論が中心になって行くでしょう。
辛淑玉氏の具体的言動(言い回し)を知りませんが、上記活動歴やウイキペデイア記載の生い立ちなど見るとなんとなく「激しい主張」で注目を浴びてきたように見えますが、今後「歯に衣着せぬ」というか、ドギツイ系の発言で注目を受けてきた人の出番は減って行くのではないでしょうか?
何回もみのもんた氏の自衛隊批判ツイッターを例に出して(私は彼を知っているわけではなく特に悪感情を持っているわけではないですが、たまたま聞いたことのある名前なので記憶に残っているだけです)気の毒ですが、「ズバリ言い切る」というのは言い換えれば根拠のない意見ということでしょうか?
たとえば明日辛淑玉氏の発言を引用する一部を先取り引用しますが、

「凶悪犯の検挙人数は、東京都全体で978人で、来日外国人は109人と全体の11.2%。9割近くは日本人の犯罪だ」[41]

上記の通り、「言い切れば」切れ味が良いですが、内容を見れば子供でもわかるように論理が無茶苦茶です。
いつ、どの統計によるのかも不明です。
彼女の従前の立場・主張から見れば、「在日の犯罪率が高い」という宣伝に対する反論のような印象ですが、巧妙に在日を来日外国人との比較にすり替えています。

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