勤務先周辺で好きなところに寝泊まりしている男が増えると、いわゆる住所不定のヒトが多くなります。
江戸時代の宗門人別帳制度以来、政府は定住場所を前提に領民→国民管理をして来たので、政府は住所不定では困るので、「住所不定」と言えば、それだけでアウトロウ・・よほどの悪人であるかのような感じがするように教育されていますが、今後は個人識別番号制になって行けばその前提自体変ってきます。
今でもまだ人の特定には「どこの誰それ」と言いますが、実際にはヒトの細かい住所など誰も気にしていないで、電話番号くらいしか知らない・・記憶していないのが普通です。
何十年来の交際をしている関係でも友人・会社同僚の家に住所録など見ないで尋ねて行けるヒトは滅多にいないのではないでしょうか?
せいぜい「あいつは千葉あるいは浦和から来ていると言ったが・・あるいはどこそこの駅ので降りていたのを知っている・・その先バスに乗るのかどうかも知らない程度のヒトが普通です。
名刺を貰っても東京から来たか船橋から来たヒトか程度をちらっと見るだけで、何丁目何番地まで関心がないのが普通です。
今ではせいぜいどこの会社のどう言う係(担当)のヒトかに関心ある要素になっているだけでしょう。
実際的には、既に住所番地の機能はかなり低下しています。
住民票や戸籍簿の機能の低下・・今後は個人識別番号制に移行して行くべきではないかという意見を、 April 19, 2011「住民登録制度不備と家の制度8」で書きました。
今後は所属組織と個人識別番号だけで国民(経済活動)の管理可能・・政治が出来る筈です。
住所不定が問題ではなく所属組織のないヒト・無職の人だけが、収入がないし特定し難いので、悪事を働き易いことと把握が出来ないことで問題なのです。
その内携帯その他の所持品で位置情報が出る時代になるので、特定の法的範囲(人権保障の関係で絞りが必要ですが・・・)ではピンポイントの所在確認も可能になります。
勤務先・所属組織で特定する時代が来れば江戸時代の武士が江戸にいる場合、その武士は薩摩屋敷にいるとか京極屋敷にいる程度の管理で十分だったのと似てきます。
個々人が定住していなくとも企業組織単位で管理して税もその単位で源泉徴収や消費税徴収してけば良いのであって、個人の住所単位で課税する必要がありません。
今後間接税・・消費税中心にして行けば浮浪者であろうと消費する都度税が徴収出来るので、消費税を納める企業さえ管理していればたります。
今のところ企業・組織(個人事業でも同じです)は事務所や店舗・工場・倉庫など設備が必要なので、(モンゴル族のパオみたいに移動が激しくなるにしても、常に一定の備品設備設置が必要なのでなお殆どの場合組織体の所在を基礎として把握が可能です。
個人識別制になると引っ越すたびに住民登録の届け出がいらないし、これを受け付けたり管理する膨大な役所の人員が不要になるでしょう。
いろんな契約書にも住所番地を書く代わりに識別番号を書くようになります。
選挙も住所区域・・選挙区で行うのではなく、識別番号で投票用紙をネット上で受け取るだけになれば現在のような1票の格差が問題になりません。
憲法では国会議員は地域代表ではなく全国民の代表であることになっているのですが・・・選挙区制のために結果的に実質的地域代表になってしまっているのですが、これがネット投票になって全国が1区になると簡単に得票順に当落が決まります。
どこかの選挙区代表として選ぶ必要すらないので、名実共に全国民の代表になって、地元への利益誘導政治は完全になくなります。
憲法
第41条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
第42条 国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。
第43条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
コンピューターで投票すれば、小学校で大勢の役人が張り付いていなくともいいし、日本中あるいは世界のどこにいても投票出来るし、どこかの投票所に集中する心配もなく、コストがものすごく安くなるでしょう。
コンピューターを使えないヒトはどうする式の反論が直ぐ予想されますが、そんなことを言い出せば、選挙制度が始まった頃には文字を書けないヒトが一杯いたのに、字を書けないヒトはどうするという選挙制度反対論がなかったのと同じです。
我が国は何事も変革の遅い国ですから、識別番号制に移行するのは早くても数十年以上、遅ければ50年以上先でしょうから、その頃にネットを駆使出来ないヒトは今で言うと文字を読めないヒトよりも少ないのではないでしょうか?