姥捨てか子棄てか?

農業社会では隠居するとその瞬間から手元不如意で食事の時間に呼んで貰って一緒に食べられるだけで、自分独自のお金を使うことも出来ない肩身の狭い状態に陥るので、それだけでも悲惨ですが、その内に体が弱って自分の身の回りのことすら出来なくなってくると元気な次男坊の部屋住みよりは悲惨だった筈です。
古代には宮廷の官女でさえ病気すると川原に打ち捨てられる習慣であったことを書きましたが、姥捨て山は元気なうちに山奥に捨てに行く話です。
低い川でなく高地の山奥が舞台になっているのはどちらかと言えば、山里の話が多いからだと思いますが、まだ元気なうちに捨てに行くのですから人里近くの川に捨ててくる訳に行かなかったからでしょう。
子供の頃に増え過ぎた子猫を捨てに行くことが近所で多かったものですが、この場合帰って来られないほど遠くに捨てに行くのが習わしでした。
江戸時代になると、江戸に流れて来た身元不明の独り者は別として田舎で一戸を構えている農民の場合、病気した場合寝かせておくだけのことなら数日や1週間くらい(その頃は直ぐに死んだのです)は何ともなかったでしょうが、むしろ元気で長生きされる方が大変だったのです。
ところで、西洋での子棄ての話・・ヘンデルとグレーテル・・お菓子の家が有名ですが、我が国では逆に高齢者の姥捨てがあちこちで行われていたようです。
我が国では今でも高齢者対策が社会問題ですが、あちらでは昔から庶民の高齢者がいつまでも生きている社会ではなかったのかもしれません・・・・。
今の日本は世界トップクラスの長寿国ですが、今に始まったことではなく昔から放っておくと長生きし過ぎる傾向のある国だったのかもしれません。
ところで姨捨山と何故言うのでしょうか?
信州にこの名の山があることからこの漢字が有名ですが、一見漢字が似ていますが年取った女性一般と言うならば本来は姥捨山です。
年取った女性がその対象になることが多かったからこの漢字で良いのでしょうが、部落によっては70歳以上の高齢者を(男女を問わずに)一律に捨てる掟もあったようです。
今で言えば、100歳以上生きているような印象だったのでしょう。
赤ちゃん間引きの高齢者版ですが、あまり長生きされると養いきれない現実があったのは今の年金制度の破綻と本質が変わりません。

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