第三者委員会の役割8(個別意見3)

第三者委員会は国民の本来の期待(昨日書いたように合理的期待と言えないかも知れませんが・・)をはぐらかすための役割を見事に果たした・・国民の期待に反して社内手続を延々と記載していて筋違いの検証をしていたに過ぎませんから、(低レベル?)フラストレーション解消に殆ど役立っていません。
公式見解だけでは、このフラストレーションが収まらないのが分っていて、今回は昨日紹介したように異例の委員個人の補足意見発表があったのが、新機軸と言え・ある程度評価出来ます。
こんな形式調査とりまとめでは国民が納得しないと言う強い個人意見があって、委員会見解読者を冷静合理的国民を前提とする法律家としては、これ以上踏み込んだ意見は書けないので、「どうしても・・」と言うならば、個人意見を別に書いたらどうですかと言う流れがあったのでしょうか。
岡本委員個人意見にあるように「角度をつける」から朝日のような大失態になるのですが、そうなると「朝日の角度はどう言う角度か」と言う疑問が起きます。
角度の傾向については、北岡委員の個人意見が参考になります。
林彪事件を例に書いていますが、中国に不利なことは、(朝日の押し進める立場を主張するためには、)事実を隠蔽する(逆から言えば中国有利にするためには虚偽報道もすると姿勢と紙一重です)ことを朝日新聞が明白に正当化していることが北岡意見書で明らかにされています。
ここまで来れば、報道機関と言えるのか疑問です。
北岡委員の個人意見よりますと、元々朝日新聞は自己主張正当化のために既に取材しているので存在している事実でも否定し続けることが正しいとする社内教育をしていることになります。
社の方針に合致しないときには「あることをない」と報道することの正当化が行なわれて来たとすれば、裏返しに存在しないことでも社の方針貫徹のためには「存在する」と報道する勇み足に繋がるのは紙一重・・暗黙のうちの奨励しているようなものです。
委員会見解では吉田調書報道の虚偽性が分った後の対応が悪かったと強調していて何故虚偽意見に(裏付け取材しないで)あっさり乗ったかを書いていませんが、委員会の事実認定経過だけを見ても、朝日の社内対応は「国民に如何に対応するか、どの程度で誤摩化すことが可能か」の対処方針の検討に努力して来たことばかりが伝わって来ますが、「真実を追究しよう」とする姿勢が殆ど伝わって来ません。
原発吉田調書事件では、産経が入手するまで(どうせ非公開だから、誰も具体的反論が出来ないだろうと言う読みで?)社内では誰も調書自体を読もうともせずにいたことを、2015-1-6「マスコミの情報操作6(「報道と人権委員会」朝日新聞吉田調書1)」に書きました。
報道の使命は権力に屈せずに真実を報道するところにあって、そのためにこそ報道の自由が尊重されるのですが、朝日新聞は、真実報道の使命を捨て置いて真実よりは自己主張=「角度」を貫徹するためにどう利用するかの関心・・政治団体同様の役割になっている・・報道の自由と言う名で権利濫用しているような印象です。
朝日新聞の検証委員の岡本氏の個人意見で明らかにされた「角度をつける」社風・体質こそ恐るべしです。
「角度」万能になると、恣意的虚偽・誇大報道の連続発生は当然の帰結であり、たまたま国益に大きく絡んだ結果国民の反発によって裏付け調査する人が出て来て事実誤認が判明したのですが、こう言うことが可能なのは、偶然判明した大事件だけです。
国民的関心を集めない雑多な報道では、やらせに類する虚偽報道体質・・この周辺の虚偽とまで言えないまでも、どちらでも言えることは出来るだけ角度をつけて一定方向への誘導する目的報道が蔓延していると見るべきでしょう。
これがマスコミによる情報操作の危険性です。
元々「角度をつける」特定方向に向けた報道をしたい意欲が先にあったので、(でっち上げとは知らなかったとしても)十分な裏付け取材する必要もないし、(裏付け取材すると虚偽性が分りそうなので、敢えてしなかった?)社内で多角的検討もしないで待ってましたとばかりに、飛びついたのだろうと穿った見方をする人が多くなります。
「角度」はどのようにして決まって行ったかこそ、検証するべき重要テーマだったのではないでしょうか?
慰安婦報道や吉田調書事件で世論が知りたがっているのは、植村氏など特定個人に責任があるかどうかではありません。
マスコミ界全体の角度付け傾向に対して、どのように国民が不満表明して良いか分らないために、目に見える個人が攻撃対象になっているに過ぎない面があります・・。
マスコミ界は個人問題に矮小化・・スケープゴート化すれば、当面の火の粉を振り払えるメリットがあります。
右翼が・・暴発してくれて刑事事件化してくれれば、暴力は許されないと言う大キャンペインで(在特会で言えばヘイトスピーチ批判にすり替えた批判が盛んです)世論批判を逆転させられるので、それで問題収束が図れると期待していたのでしょうが、意外に暴発しない・・右翼と言っても跳ねっ返りは少なくなりましたので待ち切れなくなって、植村記者からの民事訴訟提起・大々的記者会見となったと思われます。
いずれにせよ焦点を個人攻撃にずらして行くのが、マスコミ界の戦略のように見えます。

 第三者委員会の役割7(個別意見2)

最近はやっている第三者委員会と言うのは、厳しい追及逃れの時間稼ぎと自己の選任した第三者委員が悪いようにはしないだろうと言う期待があるように見えます。
「第三者委員会で検証して頂きますので、・・」といって記者会見での追及逃れです。
木村社長は何も言わないまま、検証期間中に自発的退任してしまいました。
朝日の取り消し発表が遅れた・・内部意思決定過程中心に検証したようになっているのが不思議ですが、もしかしたら・・どうせやめるつもりだから「自分の責任に集中させてくれ」と以心伝心で頼んであったかのようです。
原発吉田調書と慰安婦報道に共通している・・国民が知りたがっている「裏付けがはっきりしない段階で何故大々的報道したのか」については、まるでヤミの中にしたままで終わりです。
事実を淡々と認定すれば後は国民が考えれば良いことであって、刑事事件と違って故意や悪意まで認定する必要がない・・と言うことでしょう。
数日前のマクドナルドの異物混入騒ぎで、社長が記者会見に出ないのは何故だと言う主張がマスコミに出ていますが、((圧倒的にこう言う風潮です)誰が事実説明しても同じですが、「社長が出るべき」だと言うマスコミ要求は「社一丸の姿勢が見えない」と言うのが表向きの理由でしょう。
しかし、記者会見の模様をみていると本音は「何故こうなったのだ」と聞いても仕方がないことを延々と追及して社長に「申し訳ございません」と何回も謝罪させる・・吊るし上げている状況を視聴者に見せたいと言う非合理な欲求迎合が大部分を占めているように思われます。
社長が出ても自分から「日本国民を貶めたいと思ってやらせました」と言う訳がないのですから、結果的に庶民の鬱憤晴らしを煽っている・・吊るし上げ文化・・公開処刑のような感じで、言わばマスコミによる原始社会帰りの風潮を煽って来ただけかも知れません。
マスコミに言わせれば庶民の鬱憤拡散のためにやっているのであって、マスコミの責任ではない・・国民レベルが低いだけだと言うのでしょうか?
マスコミは、庶民大衆を相手にしているので、庶民向けに煽るだけ煽ってしまう傾向があるので、その沈静化のためには逆に大掛かりな吊るし上げ劇が必要になっていると言うことでしょう。
このような吊るし上げ劇を率先して煽って厳しい追及をして来た方法の確立こそ朝日の功績?でしたが、自分のことになると第三者委員会に逃げてしまって社長が直接謝ることもしないのが卑怯だと言われています。
こんなことを大々的にり返すのは、社会のありようとして恥ずかしいことですから、「武士の情け」で「そこまでは問いつめない」と言うのが本来の日本社会のありようです。
国民は第三者委員会の目くらましにうまく騙されたからではなく、国民レベルの矜持としてこれを受入れるのが正しい道です。
小保方氏のスタップ細胞再現検証作業でも、誰がES細胞を混入させたかの証拠までは分らないと言うだけで、小保方氏による故意混入までは認定していません。
(検証委員会の目的は犯人探しではなく、繰り返し実験しても再現出来ないとが分れば良いだけですから・・)
日弁連の政治活動に関する高裁判例や名誉毀損判例等で年末に紹介したとおり、規制しなければならない程の「違法ではない」と言うだけであって、好ましいと認定した訳ではありませんが、勝った方は裁判でお墨付きを得たかのように振る舞います。
朝日新聞の第三者委員会は国内対立を煽る目的ではない・・朝日が資料がはっきりしない中で特定政治日程にぶっつけた目的は何か?ついては、そこまで踏み込まないことになるのは依頼した段階で結果が分かっていたことになります。
国際的影響は分らないと言う見解があって、分らないから影響がなかったと言う朝日新聞の受け止め方です。
そもそも「国際的影響を証拠を持って論じよ」とならば一々朝日新聞を引用した記事は少ないのが当たり前ですから、そんな証拠はちょっとしかないのは当然です。
太平洋のど真ん中に落ちたダイヤの指輪を1年間かけて探しても見つからないから、落ちていないと結論付けるような調査です。
引用記事が何本しかないから影響はほとんどなかったと言う委員会見解は、子供騙しの結論を導くためになれ合いでやったような代物と評価されても仕方がないでしょう。

第三者委員会の役割6(個別意見1)

ただし、第三者委員会の中には法律家的手堅いばかりの見解発表に飽き足らない人がいたらしく、個人意見も併記されているのでそこに法律家以外のある程度の本音が出ています。
(法律家に議論を主導してもらうのは、・・余計なことを言わないので経営者・渦中の企業には重宝な存在ですが、それでは国民の本当に知りたいことがうやむやになる・・時間稼ぎじゃないかと言う批判が起きて来るでしょう。)
以下見解中の個人意見部分抜粋です。
15 個別意見
(1) 岡本委員 記事に「角度」をつけ過ぎるな
我々の今回の検証作業に対して、朝日新聞社はまことに誠実に対応した。新しい方向へ レールが敷かれた時の朝日の実行力と効率には並々ならぬものがある。しかしレールが敷 かれていない時には、いかなる指摘を受けても自己正当化を続ける。その保守性にも並々 ならぬものがある。
吉田清治証言を使い続けた責任は重い。しかし、同様に国際的に大きなインパクトを与 えたのは、1992年1月11日の「慰安所 軍関与示す資料」と題して6本の見出しを つけたセンセーショナルなトップ記事だ。数日後の日韓首脳会談にぶつけたこの報道は、 結果としてその後の韓国側の対日非難を一挙に誘うことになった。(同記事の問題点については本報告書をお読みいただきたい)。
当委員会のヒアリングを含め、何人もの朝日社員から「角度をつける」という言葉を聞 いた。「事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞としての方向性をつけて、初め て見出しがつく」と。事実だけでは記事にならないという認識に驚いた。
だから、出来事には朝日新聞の方向性に沿うように「角度」がつけられて報道される。 慰安婦問題だけではない。原発、防衛・日米安保、集団的自衛権、秘密保護、増税、等々。 方向性に合わせるためにはつまみ食いも行われる。(例えば、福島第一原発吉田調書の 報道のように)。なんの問題もない事案でも、あたかも大問題であるように書かれたりも する。(例えば、私が担当した案件なので偶々記憶しているのだが、かつてインド洋に派 遣された自衛艦が外国港に寄港した際、建造した造船会社の技術者が契約どおり船の修理 に赴いた。至極あたりまえのことだ。それを、朝日は1面トップに「派遣自衛艦修理に民 間人」と白抜き見出しを打ち、「政府が、戦闘支援中の自衛隊に民間協力をさせる戦後初のケースとなった」とやった。読者はたじろぐ)。」

(2)北岡委員
現代におけるジャーナリズムの責任
今回の従軍慰安婦報道問題の発端は、まず、粗雑な事実の把握である。
吉田証言が怪しいということは、よく読めば分かることである。従軍慰安婦と挺身 隊との混同も、両者が概念として違うことは千田氏の著書においてすら明らかだし、 支度金等の額も全然違うから、ありえない間違いである。こうした初歩的な誤りを犯 し、しかもそれを長く訂正しなかった責任は大きい。
類似したケースはいわゆる「百人切り」問題である。戦争中の兵士が、勝手に行動 できるのか、「審判」のいないゲームが可能なのか、少し考えれば疑わしい話なのに、 そのまま報道され、相当広く信じられてしまった。

第二の問題は、キャンペーン体質の過剰である。新聞が正しいと信じる目的のため に、その方向で論陣をはることは、一概に否定はできない。従軍慰安婦問題を取り上 げて、国民に知らしめたことは、それなりに評価できる。
しかしそれも程度問題である。1971年9月に中国の林彪副主席が失脚したとき、 世界のメディアの中で朝日新聞だけが林彪健在と言い続けた。そして半年後に、林彪 の失脚は分かっていたが、日中関係の改善に有害なので報道しなかったと述べた。同 様のおごりと独善が、今回の従軍慰安婦報道についても感じられる。
第三に指摘したいのは、物事をもっぱら政府対人民の図式で考える傾向である。
権力に対する監視は、メディアのもっとも重大な役割である。しかし権力は制約すればよいというものではない。権力の行使をがんじがらめにすれば、緊急事態におけ る対応も不十分となる恐れがある。また政府をあまり批判すると、対立する他国を利 して、国民が不利益を受けることもある。権力批判だけでは困るのである
第四に指摘したいのは、過剰な正義の追求である。
従軍慰安婦問題において、朝日は「被害者に寄り添う」ことを重視してきた。これ は重要な点である。
しかし、被害者によりそい、徹底的な正義の実現を主張するだけでは不十分である。 現在の日本国民の大部分は戦後生まれであって、こうした問題に直接責任を負うべき 立場にない。日本に対する過剰な批判は、彼らの反発を招くことになる。またこうし た言説は韓国の期待を膨らませた。その結果、韓国大統領が、世界の首脳に対し、日 本の非を鳴らすという、異例の行動に出ることとなった。それは、さらに日本の一部 の反発を招き、反韓、嫌韓の言説の横行を招いた。こうした偏狭なナショナリズムの 台頭も、日韓の和解の困難化も、春秋の筆法を以てすれば、朝日新聞の慰安婦報道が もたらしたものである。
かつてベルサイユ条約の過酷な対独賠償要求がナチスの台頭をもたらしたように、 過剰な正義の追求は、ときに危険である。正義の追求と同時に、日韓の歴史和解を視 野にいれたバランスのとれたアプローチが必要だった。
第五に、現実的な解決策の提示の欠如である。 アジア女性基金に対して当初取られた否定的な態度は残念なものだった。 日韓基本条約によって、個人補償については解決済みであり、それ以後の個人補償については、韓国政府が対応すべきだというのが日本の立場である。この立場と、人道的見地を両立させるために、政府はアジア女性基金という民間と政府が共同で取り 組む形をとり、国家責任ならぬ公的責任を取ることとしたのである。公的責任という のは、必ずしも悪い方式ではない。ドイツのシーメンス等もこの形であった。これを 否定したことは、韓国の強硬派を勇気づけ、ますます和解を困難にしたのである。
なお、国家補償が最善であるという立場には、疑問もある。すべてを国家の責任に すると、その間で違法行為に従事し、不当な利益を得ていたブローカー等の責任が見 逃されることにつながらないだろうか。
第六は論点のすりかえである。
今年8月5日の報道で朝日新聞は強制連行の証拠はなかったが、慰安婦に対する強制はあり、彼女たちが悲惨な目にあったことが本質だと述べた。それには同感である。 しかし、第1次安倍内閣当時、安倍首相が強制連行はなかったと言う立場を示したとき、これを強く批判したのは朝日新聞ではなかったか。今の立場と、安倍首相が首相として公的に発言した立場、そして河野談話継承という立場とどこが違うのだろうか。
朝日新聞にはこの種の言い抜け、すり替えが少なくない。 たとえば憲法9条について、改正論者の多数は、憲法9条1項の戦争放棄は支持するが、2項の戦力不保持は改正すべきだという人である。朝日新聞は、繰り返しこ うした人々に、「戦争を放棄した9条を改正しようとしている」とレッテルを張って きた。9条2項改正論を、9条全体の改正論と誇張してきたのである。要するに、自らの主張のために、他者の言説を歪曲ないし貶める傾向である。 安倍内閣の安全保障政策についても、世界中で戦争ができるようにする、という趣旨のレッテルが張られている。人命の価値がきわめて高く、財政状況がきわめて悪い 日本で、戦争を好んでするリーダーがいるはずがない。これも他を歪曲する例である。 これらは、議論の仕方として不適切であるのみならず、国論を分裂させ、中道でコンセンサスが出来ることを阻む結果になっていないだろうか。」

第三者委員会の役割5(植村記者問題1)

推測にわたる委員会見解までは不要としても、検証努力をどこまでしたか、記録消失・担当者全員行方不明?などによって、どこで分らなくなっているか程度までを調査してこそ、検証したと言えるのではないでしょうか?
この点で第三者委員会見解は、報道と人権委員会よりもメリハリ不足・・会社に不利なことは出来るだけ掘り下げて聞かないようにしている印象を受けてしまいます。
法人の問題検証である筈なのに、第三者委員会では個人である植村記者個人問題(現在は退職しているので、正確には元記者ですが見解同様に以下植村記者と書いて行きます)を何故詳細に取り上げたのか不思議ですが、同記者に対する個人攻撃を押さえ込みたい朝日新聞社の意向を受けて独立のテーマにしたとすれば、(ネットで氾濫しているように)予め結論が見えていたとも言えます。
検証となれば、憶測にわたる批判部分は憶測である以上根拠がないと言う結論になるのが当然ですから、やるまえから結果が分かっていたことになります。
この見解が年末に出ると待ってましたとばかりに植村記者は名誉毀損の訴えを提起したと1月9日に外国人特派員協会で記者会見を開いているのをYouTubeで視聴しました。
聞いていると彼は「私は愛国者です」と言うのですが、何故外国人特派員協会で(国外向けに)真っ先に記者会見を開くのか意味不明です。
原発吉田調書事件では国内向けとは違い、外国向けに「逃亡、公然と命令に反抗した」と言う意味のメッセージしていたことを数日前に紹介しましたが、朝日とその出身者は日本国民相手よりは、外国人向け発表を重視し、(国民の理解を求めるよりは)・・外国からの支持を期待している傾向があることが分ります。
弁護士の戦い方にもよりますが、労使問題等で私に相談に来た場合、うまく切り抜けるか戦うかどちらを選ぶかの基本方針を依頼者と決めるのが普通です。
労使紛争の場合戦ってその会社に居辛くなっても別の会社に行けば済みますが、国民全般相手の場合別の国に行くのは容易ではありません。
発光ダイオードの中村氏の場合、結局米国に移住してしまいましたが・・。
その順序を践んで相談していた場合、国民との和解を求めるならば、憶測にわたる部分は非合理な憶測中心ですから、証拠がないと開き直っているのではなく、丁寧に説明し理解を求める地道な努力をする道を選ぶことになりますが、努力をどのようにしていたかが見えません。
国民にもいろいろあるのですから、批判しているのが非合理な少数者だと言う自信があれば、国民の理解を求める・・国内メデイア向け記者会見をすべきだと思うのですが、何故外国メデイア向け記者会見から始めたのか不思議です。
国内支持者少数と言う前提で、多数国民と対決するつもりだと言う批判が起きるでしょう。
年末から書いているように、司法機関は第三者委員会(は、こうするべきと言う提言も職務範囲ですが)とは違い、法的・争点と意味のあるテーマしか扱いません。
明日書きますが、慰安婦による国家賠償請求訴訟では、条約で解決済みの場合、そこで門前払いですから、本当の慰安婦かどうかの認定をしません。
京都の朝鮮人学校に対する在特会事件でも、マスコミはヘイトスピーチ判決と評価した印象報道ですが、実際にはヘイトスピーチを裁いたのではなく業務妨害の損害を認めただけの事件であると言われています。
(判決文を見ていないで巷間の噂によります)
植村記者関係の新聞記事はコピーが資料として出ていないので、私は第三者委員会見解に書いてある事実しか知らないので何とも言えませんが、植村記者側弁護団は司法に持ち込めば憶測にわたる部分は認定されることはないので、充分勝ち目があると践んだのでしょう。
(昨日書いたように朝日の記事による国際影響の有無も拾い出せる証拠・・引用件数だけからみれば「見解」のような結果になるのは、やる前から結果が見えています)
しかし、国民(個人攻撃している人とその応援団)の怒りの核心は明日以降書いて行くとおり、全体の文脈で日韓を感情的対立のルツボに追い込んでしまった社会・政治責任をどうしてくれるのかと言う感情論ですから、(法的責任を求めていません)テーマ・論点の違う司法の場に持ち込んで「勝った勝った」と宣伝されると朝日新聞同様の「論点すり替えの繰り返し」だと言う批判・・不満を却って強くするリスクがあります。
在特会問題も朝鮮学校は裁判で勝ったでしょうが、裁かれたのは手段の違法性であって、朝鮮人学校の公園使用行為そのものが正当だと認定されたものではありません。
記者会見では「(勤務先への嫌がらせがあって勤務先に迷惑がかかるならば)何故朝日をやめるのか」と言う趣旨の質問があったことに対して、同記者は、直接応えずにはぐらかすような回答をしていたように見えました。
今の勤務先に「やめさせろ」の抗議がある状態が人権問題になっている状態ですが、会社の方針どおりの仕事をした結果(不正取材報道でないならば)、個人攻撃を受けている最中に朝日が解雇するのは無理があるし、朝日にいれば会社が防波堤になる筈で、抗議電話があるからやめてくれとは言えないでしょう・・それなのに彼が何故自発的にやめて他所の会社に新規就職して就職先に迷惑をかけるのか不思議ですから、外国人記者の質問は的を射ています。
このやり取りをみると、(敢えて植村記者問題を別項目にして、会社が調査を委員会に求めていたことから見て)植村記者が会社をやめたことにする(合意の)メリットが会社と記者双方にあったように推測されます。
年末の22日に委員会見解発表して、年明け早々に訴状提出と言うのでは、(弁護士の立場で言えば年末〜正月開けに相談に来て9日までに大弁護団結成して訴状提出までは行きませんから・・)事前にある程度準備しておいて「見解」が出たらこれを踏まえて若干の手直しをして完成させると言う事前準備していた・批判する立場でみれば第三者委員会の検証テーマに決めたときから、見え見えの出来レースと見る人が多いでしょう。
植村記者問題は言わば感情論ですから、そこをどうやって沈静化させるかの工夫が必要で、裁判で勝ってもどうなるものでもないように思われます。

第三者委員会の役割4(朝日新聞慰安婦報道2)

以下はウイキペデイアによる吉田氏の死亡年月日です。

吉田 清治(よしだ せいじ、1913年(大正2年)10月15日 – 2000年(平成12年)7月30日[1][2])は福岡県出身とされる文筆家。

歴史家や他社のでっち上げ指摘後、既に社内で強制連行に関する吉田証言は怪しいと決まっていて軌道修正していた事実が認定されていますが、では吉田氏が生きている段階で何故何十年も事実再確認作業をきちんとしなかったかについても、以下に引用のとおり委員会の調査がオザナリです。
善意解釈すれば、これ以上無理なので、読者の想像に任せますとも読めますが・・。
以下委員会見解の一部です。

「3月上旬、キャップ格の記者が吉田氏への接触を試みたが、電話取材では吉田証言について応答を拒まれ、自宅も訪問したが留守で、結局、吉田証言について話を聞くことはできなかった。」

朝日新聞社の存続を揺るがす大事件に発展している段階での事実再確認のための調査行動としているのに、訪問して留守だったから事実確認を諦めたと言うのではあっさりしすぎて異常です。
普通の取材活動でも、行ってみて相手が不在だった・・それだけで諦めてしまわない・・夜討ち朝駆けを繰り返すのが報道界の常道ではないでしょうか?
元々事実が存在しないのを知って共謀していたから、再度聞くまでもない・・聞きたくない・・「御社の方こそ良く知っているでしょう」と言われるのが怖かったので形だけの調査をしたことにしていたのではないか・・「留守だったことにしよう」(いつ行くので家を空けておいて下さい・・」と言う筋書きにしたのではないかと読む人が多いでしょう。
検証委員会の事実認定を読むと慰安婦問題は既に十分報道して国際問題にすることの目的を達した・・成功しているので、朝日新聞の対応は以後事実確認よりは、今後はどうやって対外的に軌道修正して自社批判を誤摩化して行くかに焦点が移って行ったかのように見えます。
そのころから、本質は強制連行の有無ではなく、広義の強制性・・「女性の人権」だとすり替え主張が始まっています。
検証委員会見解は経過を淡々と書くだけ(死亡しているので調査出来ない・・執筆記者が特定出来ないとか・・こんな不自然なことをそのまま記載して検証作業を終わりにしています)で何も触れていません。
吉田清治氏が死亡して「死人に口無し」となってから、謝罪会見するやり方は原発吉田所長2013年7月9日死亡後の虚報開始と(偶然?)同じですが、担当取材記者らは生きていると思われるのに、検証委員会では何故生きている彼らからもっと突っ込んで聞かないか不明です。
世間が知りたいのは合理的疑問の解明ですから、合理的な憶測を覆す丁寧な検証こそが求められていたと思います。
検証委員会では、「焼却したと聞いた」「留守だった]と言う記者の説明をそのまま書いて、後は世論の判断に委ねようとする謙虚(手堅い?)な姿勢かも知れません。
法律家主導の委員会らしく手堅い書き方になっているのは分りますが、これでは、国民が求めている検証の意義を果たしていない・・激昴した世論沈静化の時間稼ぎのためであったのか?と受け取る人・・不完全燃焼の人が多いのではないでしょうか?
26年12月30日に名誉毀損や日弁連政治活動等に関する判例の射程範囲を紹介しましたが、求められたテーマ以外の余計なことを書かないのが法律家の使命・習性です。
第三者委員会がセンセーショナルに国内対立を煽る必要がないと言う意味では、それぞれ手堅い見解の発表と言うところですが、朝日新聞の誤報道・虚偽報道の検証作業は、裁判そのものではないので、もう少し踏み込んだ意見表明・・焼却したと言うだけで信用したとしたことに「疑問が残る」「執筆者が明らかにならないのは残念だ」程度の表現があっても良いような気がします。
これを逆にやむを得ないと結論付けて正当化表現が目立つのは残念です。
国際社会に対する影響についても、第三者委員会見解では朝日新聞を引用した記事が何本しかないので影響がなかったと言う書き方ですが、こんなことで国民が納得するでしょうか?
影響と言うのはムード的に広がって行くものであって引用記事が少ないから・・と言う論理は、まるで朝日の報道価値を無理に落としている印象です。
朝日が広めてその他のマスメデイアも負けずに追随報道する中で、国際常識になってしまっている以上、一々朝日と言う名称を引用する記事が少ないのは当たり前のことで・・軍による強制連行が常識になってしまうほど影響が大きかったと理解する人の方が多いでしょう。
例えば第三者委員の一人である岡本委員自身が、これまで強制連行を前提にした意見を書いていると報道されていますが、(私は報道機関でもない素人のコラムなのでこれ自体の検証取材までしないで自動的に引用しているだけですが・・)その文書にも朝日新聞を引用していません。
以下はhttp://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11934180595.htmlからの引用です。

 「岡本氏は、1995年7月18日に村山内閣に提出された、「女性のためのアジア平和国民基金」(以下、アジア女性基金)に拠金を呼びかけの「呼びかけ人」の一人なのです。
http://www.kantei.go.jp/jp/murayamasouri/danwa/heiwa-kikin.html
 岡本氏も呼びかけ人として名を連ねた「呼びかけ」は、以下の文章で始まります。

『戦争が終わってから、50年の歳月が流れました。 この戦争は、日本国民にも諸外国、とくにアジア諸国の人々にも、甚大 な惨禍をもたらしました。なかでも、十代の少女までも含む多くの女性を 強制的に「慰安婦」として軍に従わせたことは、女性の根源的な尊厳を踏 みにじる残酷な行為でした。こうした女性の方々が心身に負った深い傷は、 いかに私たちがお詫びしても癒やすことができるものではないでしょう。 しかし、私たちは、なんとか彼女たちの痛みを受け止め、その苦しみが少 しでも緩和されるよう、最大限の力を尽くしたい、そう思います。これは、 これらの方々に耐え難い犠牲を強いた日本が、どうしても今日はたさなければならない義務だと信じます。 (後略)』

後で植村記者に対するバッシング問題で書いて行きますが、このシリーズで書いているように「見出し」等で一旦レッテル貼りが終われば一々引用しなくともイメージが増幅して行くものです。
朝日は事実上軌道修正していたことも認定されていますが、事実上では資料や表現の微妙な変化をくわしく読み込まない一般読者には分らない・・強制連行の印象を埋め込まれたままです。
国際影響を調査した委員会見解は、コオリ砂糖があらかた水に溶けてしまった後で、その砂糖水をのんでいる人は何億人いようとも、のんだ水や残っている資料にコオリ砂糖のかたまりを探しても少ししか見つからないから、砂糖が殆ど入っていなかったと結論付けるような調査報告ですから、これでは納得する人の方が少ないでしょう。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC