契約・派遣社員(手切れ金9)

我が国では、今でも終身雇用を原則としていることから、必然的に正規社員の中途採用が極端に少ない・・・多分逆方向への転進が狭き門になっているので、非正規雇用が批判の対象になっているのでしょう。
しかし人材の流動化を双方向へ持って行くためには、正規社員の終身雇用慣行を崩して行くことに精力を注ぐべきであって、これを所与の前提として放置したまま非正規雇用を減らす方向へ逆戻りするのは時代錯誤と言うべきです。
非正規雇用規制論者は、パートか正社員の二種類しかなければ、子育て中でしょっ中休む人でも企業は仕方なしに正社員として採用するしかないだろうと言う立場と思えます。
仕方なしに採用する企業もたまにはあるでしょうが、それは余程人手不足の場合・時代にだけ通用する考えで、現在のように労働力過剰で困っている時代では、(1ヶ月きちんと働ける人でさえ失業者が多くて困っているのです)二者択一しかない社会にすると1日5〜6時間でもあるいは月に10日くらいでも働きたい半端な人に対しては就職の機会を100%失わせるリスクの方が高くなります。
比喩的に言えば100万人の半端な時間だけ働ける人がいた場合、そのうち2〜3万人だけ正規・終身雇用で採用されて残り97〜8万人が完全失業してしまうことになりかねません。
ここは感情的な二者択一論ではなく、終身雇用をやめる方向に持って行って中途採用が活発になって正規雇用への転進がスムースに進める方向への努力をする方が合理的です。
身障者雇用制度では一定率の雇用を義務づけていますが、これと似た発想で、職種ごとに一定率まで終身雇用比率を制限して一定率まで10年ごとの定年制を決めるなどして行けば、正規雇用者の中途採用がシステム的になって来るでしょう。
若年定年制論については、February 3, 2011「終身雇用から中短期雇用へ」のコラム前後で連載しました。
夫婦別姓論も同じで、選択も出来るようにしようとするだけで別姓にしなければならないのではないのですが、反対論者は、選択出来ることすら気に入らないのです。
次第に別姓が広がる心配をしているのは、別姓の希望者が多いことを前提にしているのでしょう。
契約や派遣の場合は、労働者の自主選択権が弱くて企業・雇傭側に一方的選択権があるのが(終身雇用制維持が正しいとした場合)問題とされます。
子育てが終わって正規社員になりたいと思ってもその道が少ないのは、派遣制度があるからではなく、実は中途採用の少ない終身雇用制に基礎的問題があると私は考えています。
派遣制度が出来たから正規社員が派遣に切り替わったばかりではなく、元々特定の時間帯で働きたい人たちには、再就職すべき職場がなかったのが派遣や契約社員制度の広がりのお陰で一応働けるようになったプラス面が多いでしょう。
パートの場合、正社員が一日数時間のパートに変更されたのではなく、元々正社員として中途採用される余地のなかった中高年主婦層の働き場が増えたのと同じ面がある筈です。

事前準備5(移転2)

どうせ緊急避難するならば、予め用地取得していた別荘準備形式による集団避難の方が、(例えばコンビニや介護関連など生活利便施設まで用意すれば)現状の体育館や校舎に緊急避難しているよりは生活が楽ですが、一定期間以上・・例えば半年も1年も仕事がないまま生活が出来ません。
事前に避難場所を自治体が用意していても、長期化すると仕事がない問題・収入不安を解決出来ません。
避難しなければならないような放射能汚染が始まれば、3ヶ月や半年では戻れないのが普通でしょう。
コンビニや介護事業所や病院・美容院など住民の避難に一緒にくっついて行った店は当面商売になりますが、基幹産業がついて行けないと客になるべき人たちの収入が続きません。
職場がついて来なくとも良いのは年金や生活保護者や子供のみであって、その他の元気な人ほど困ってしまいます。
避難用地事前取得が役に立つのは、年金生活者等とその関係者だけになります。
(元気な人にとっては再就職先を探すまでの間の緊急避難先として体育館よりはマシと言うだけです)
年金等生活者等だけのための事業所としては、介護や医療関連施設はそのまま移転が必要ですが、その他の理容・美容・食料・生活雑貨関係の需要・雇用は、こうした顧客向けだけに縮小することになります。
元々過疎地ではこの傾向にあったのでそのまま過疎化が進んでいれば均衡していたのですが、原発立地によってなまじ雇用が増えたことによって、元気な人の転出が減少し、14日に紹介したように大熊町の例で言えば人口が逆に1、5倍に増えていたので、長期避難になると減らないで増えた差額分の雇用が問題になってきます。
これに対して予めの本格移転は転居先での就職が前提ですから、原発事故が起きても失業の危険・心配がないどころか、放射能の届かない遠距離で就職してしまった人は福島原発の危険に対する一切の不安がなくなり、完全な不安解消策になります。
不安解消の究極の形は生活基盤全部(別荘形式ではなく)を放射能汚染のらち外に移転してしまうことでしょう。
牧畜や工場・その他の産業では、自治体の用意した用地内に避難したのでは事業継続・維持出来ない事業者の方が多いでしょう。
避難に馴染まない業種(及びそこで働いている人)は自営のために予め移転しておく方が合理的です。
仮に放射能漏れ事故発生までに町民の2〜3割が完全転出してしまい、半分が別荘を建てていてセカンドライフを楽しんでいる時点で、今度のような避難騒ぎが起きたとしたらどうでしょう。
出て行ってしまった人にとっては被害ゼロですから、この割合が大きければ大きいほど(域内人口が少なければ少ないほど)原発被害が少なくて済みます。
元々原発立地は最も人口の少ないところを選んで計画していたことから言えば、原発立地による地域振興策を提案したり、その結果人口が増えたと喜んでいる政府・自治体やマスコミは論理矛盾を犯しているのです。
こうして徐々に完全離村であれ村の用意した用地内の別荘であれ事実上の移転が危機の具体化の前に進んでいれば、イザと言うときの緊急避難者が減少して被害が少なく自治体の対応が楽になります。
大熊町のように原発立地後1、5倍に人口が増やしてからの放射能被害では、損害が1、5倍に拡大することになりますから、政府や自治体による地元振興策・・人口増加政策は誤りで、(人口が増えたのを自慢している場合ではありません)むしろ出て行くのを奨励して人口縮小を図るのが不安対策としては合理的です。
比喩として洪水対策のために広大な遊水池を設定した場合を例にして考えてみましょう。
遊水池予定地内の住民に対して、遊水池造成工事時期に巨額の不安・危険手当を払う外に完成後は堤防内にいる住民に対して「もしもの場合水浸しになる・危険だ」からと言って危険手当・原発交付金を毎年払っていたのと似ています。
自治体は「ここは補助金が一杯貰えて良いところだ」と宣伝して遊水池予定地・・堤防内の住民をどんどん増やす・その土地が発展したと自慢するのは馬鹿げていると言えませんか?
危険なら避難・移転を奨励して少しでも人口を減らす方向へ努力すべきで、そのための費用や補償金を払うべきであって、居座る人を増やすための補償金では意味がありません。

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