マスコミの信用失墜12(ネットの発達2)

国内では、政府発表が(車や薬品の)メーカー的役割でマスコミが系列(車や薬品化粧品)販売会社のような存在になっていて、政府や大手の公式発表しか報道しないのに対して、週刊誌やネット発信者は独立系販売会社の役割と言えるでしょうか?
マスコミから手当をもらわずに・・自己費用で直接政府統計に迫って・・あるいは自分で中国・インド等へ出張して調査報告をするなどの事例が増えてきました。
私のように誰かが統計その他の資料をネットに掲載してくれたのを見て、あるいは出張に基づくネット記事を書いているのを元にして、(受売り的に)自分の意見を書くような人も増えてきました。
少年犯罪や一般犯罪が減っていることも、弁護士として時々配信されるデータで知っていましたが,紙媒体のときには何かを書こうとすると大分前に読んだ資料を探し出して確認しなければ書けなかったのが、ネットで直ぐにサーチできるので仕事を終えてからの就寝前の短時間で意見を書き易くなりました。
彼らの個人的情報収集による報告記事は並行輸入業者みたいなものですから、(組織による多角度からの入念なチェックがないので)政府発表や大手マスコミに比べて信用性が低い(偽物や誤解・思い込みも混じります)とは言えますが、中国の統計に明らかなように政府発表なら正しいと言えないからこそ、これを暴露するべきマスコミの存在意義があるのです。
アメリカの記者が次々と中国でビザ・記者証更新が拒否される事態が起きていますが、幸い?にして、最も敵対している筈の日本人記者に対する拒否事件は全く起きていません。
これだけ中国のPM2・5の公害が騒がれているのに、日本マスコミの報道は中国政府発表による公表数値だけで、独自に現地で計った数値や現地取材の報道を寡聞にしてみたことがありません。
アメリカの場合、何年も前から大使館敷地内で独自に測定していたことが知られれていますが、日本大使館はこれだけ中国と敵対していても中国に遠慮してそれすら出来ない//マスコミも独自取材・調査をしないままです。
自分で独自測定しないまでもアメリカ大使館での測定情報くらい平行報道しても良いのではないでしょうか?
中国政府発表しか報道しないのならば、新華社の下請けと変わりません・・マスコミの存在意義はないでしょう。
日本のマスコミ人は中国政府発表どおりの内容しか日本へ記事配信しないから中国政府に気に入られているように見えます。
学会で干されていたような独特な意見を持っている人のネット発信も増えてきましたが、ネット発信の多くが私のようなアマチュアではないでしょうか?
学問の自由と言っても、学会の主流に反する意見は排除されて食うのにも困るような傾向があることもネットの発達で次第に明らかになってきました。
これでは学問の自由を主張している有名人が、(自分や主流的意見に反する学者を排斥して食えなくしているのですから、)自分で矛盾したことをしていることになります。
学問研究の自由と言っても予算がつかないと何も出来ないことを、最近ではSeptember 14, 2011「原発のコスト15(問答無用1)」で書いたことがあります。
マスコミが言論表現の自由を主張しながら、マスコミ各社の意見に会わない人を徹底的にマスコミが干すのも同じです。
アマチュアは・・本業を別に持っているので自分で直接調査できませんので,ナマの政府発表統計その他の人のデータ発表によっているので、(自分で直接現地調査出来る人は稀です)メーカー出庫に当たる政府自体がいい加減な統計情報を出すとかなり大きなダメージを受けます。
ところで現在は仮にきちんと政府から資料が出ていても(正しいとしても)、大手出版社が取り次がないと店頭に本が並ばないような関係です。
(書籍に関しては、自費出版が簡単になったり大手出版社が取り次がなくともネット販売できるので、地方発の中小出版も全国に販路を持てるようになったので息を吹き返して来たようです)
大手出版社に当たるマスコミが勝手に取捨選択して国民に伝えるので、データ自体改ざんしていなくともマスコミに都合の良いデータしか国民が知ることが出来ませんでした。
(組織暴力団幹部氏名がアメリカで発表されているのに、NHKでは敢えて氏名部分のみを抜いて報道していることを1月4日に書きました)

マスコミの信用失墜11とネットの発達1

中立を標榜するマスコミの問題に戻ります。
1月12日に書いたマスコミの中立性・品位保持と1月18日「マスコミの信用失墜10(都政と原発政策)」の続きです。
大手マスコミは権威に裏付けられた報道しかしない習慣に堕している・・その結果、怪しい程度の嗅覚で迫るにはネットや週刊誌等大手マスコミ以外の媒体に頼るしかありません。
品位を問題にしない・・中立でもないネットが部分を拡大しているかも知れませんが、そのリスクを承知の上で、本来の報道機関的役割に転化して来たのです。
民主主義国家における報道の必須性は、ある程度リスクを冒しても真実報道に迫るところにあるのですが、政府や業界の作ったガイドラインに従っていれば身の安全が確保出来るでしょうが、新たな視点での切り込みが出来ません。
その時代のお行儀・品位とすれすれすれ・・権威のある裏が取れていない報道をすると、場合によっては刑事事件の被告人にもなります・・。
危険な戦場で取材し報道する報道カメラマンも命の危険を冒してやりますが,国内報道もある程度危険を冒すリスクをとらないと迫真の報道にはならないでしょう。
品位という自己規制に縛られて、安全地帯内で権威のあるところばかり取材し(警察発表をそのまま流したり,記者会見での発表ばかり)報道しているのでは、その時々の権力の不都合には迫れません。
裸の王様の故事がありますが、「俺は汚職しているが報道できるものならしてみろと言う開き直りに対して)このようにはっきりしている場合だけならば勇気さえあれば報道出来ますが、汚職その他不正行為ははっきりした証拠を見せてくれることがないのが普通ですし(不正行為を裸の王様のように堂々と公表してやる人はいないでしょう)はっきりしないことを自己のリスクで果敢に迫ることこそが報道の社会的価値です。
失敗すれば名誉毀損のリスクもあります。
戦乱地域等の現地取材は命を賭けたフリーカメラマン等に頼っていて、大手マスコミの正規社員は全く関与していないと言われていますが、正規社員はいつも安全ばかり・・自己責任をとらないことに終始していることが危険な現場取材を下請けに任していることに繋がっているのではないでしょうか?
責任逃れのために警察発表や記者クラブ等での公式記者会見に依拠した報道ばかりしているマスコミになれば、行儀はいいでしょうが、こんなことのために新聞だけ消費税免税を!言論の自由を!と言われても、国民にはピンと来ません。
週刊誌等マスメデイア以外の報道が、結果的に日本政治に大きな役割を果たして来たことは田中角栄失脚/リクルート事件その他の歴史を見れば明らかです。
逆から見れば、マスコミは行儀の悪い週刊誌報道の尻馬に乗って事件を大きくしたことはありますが、マスコミ発で大きな政治変動が起きたことは一回もないと思いますが、如何でしょうか?
昔から新興宗教や報道の価値は、品位を多少害する程度で政府に睨まれ、ときには名誉毀損等で訴えられるくらいの根拠のない憶測記事等に挑戦している中から権力者の隠している不都合を暴き出して来たから報道の自由・価値が認めれているのです。
マスコミが品位を言い出して、政府発表またはこれに類する権威のある資料しか報道しなくなった瞬間に、マスコミは体制内機関と化してしまったことになります。
例えば中国の統計がいい加減で信用出来ないというのがネット上では一般的ですが、大手マスコミはそう言うコメントが出来ず中国政府発表のとおりに如何にも世界第二の経済大国になったと中国の宣伝のとおり受け売りをしています。
きわどい記事を書いている週刊誌がしょっ中訴えられていますが、社会から見ればその内1%でも社会の暗部に迫る真実があれば存在価値があります。
全て80%の出来で,毒にも薬にもならない報道ばかりよりは、99%駄目でも1%でも光るものがあれば報道の価値があるでしょう。
発明発見の仕組みは、ともかく実験してみて失敗の方が多くても多数の失敗から大発見が生まれることに賭けて挑戦し続けることにあります。
失敗のリスクを強調して政府発表や警察発表等安全な報道ばかりでは、個人の生き方としてはミスがなくて順調に出世して行きますが、社会の発展に資することにはなりません。
政府記者会見や警察発表や確かな情報の受け売りばかりになると、失敗を恐れて新たな実験をしない・・他人の発表した新規発明の検証実験ばかりしている研究所のようなものです。
リスクをものともせずに、真実と信じる報道に徹する(身の安全ばかりに関心のあるマスメデイアではなく)きわどい報道に徹する週刊誌等・・フリーのジャーナリストの存在こそが、現在民主主義に必須の報道の使命を果たして来たと言えます。

マスコミの信用失墜10(都政と原発政策)

ここでは、マスコミの行き過ぎた過去の思想誘導行為が中韓寄り過ぎるとネットで批判されると、今度は現政権にすり寄っているだけで、思想誘導したい性向が改まらない問題点を書いています。
原発をテーマに立候補するのはおかしいとマスコミが一斉に批判していますが、都の政策が国政に与える関係が大きい・・逆にインパクトがあるからこそ、黙っていられなくなって都政に原発が関係ないと言うマスコミ総出の大反発と見えます。
都知事選で原発が良いかどうか、これをテーマに立候補するのが良いかは、マスコミが決める事ではなく都民が選挙で決める事です。
1票の格差を言われて久しいですが、国政で意見を言えと言われても国政選挙では都民の声は比率的に低く抑えられている面を無視した意見です。
排ガス規制の例を挙げましたが、全体の流れを指導する有効な仕組みが都の巨大さです。
民意反映は選挙によるばかりではなく、指導的立場のグループによる先行政治の影響力も無視出来ません。
アメリカの事実上の指導力発揮の御陰で、世界的に民主化が進み女性の地位向上などいろんな分野で前進があった面を否定出来ません。
(アメリカに都合の良い政治もあって反発がありますが、それとは別に国連総会で1国1票の理念論ばかりでは前に進まない事が多いのが実態です。このためにG7などが必要になっています)
原発政策の可否にとって、当面巨額貿易赤字が発生しているので国民が不安に思っているのは確かですが、要は短期ではなく長期的にはどちらが経済パフォーマンスが良いかが問題です。
その他に科学技術の維持発展・安全保障の問題も重要である事を以前書きましたが、都民の選択はどちらかと言えば経済と生活の安全でしょう。
原発事故に伴う生活の安全(放射能リスク)・安定供給となれば、都民だって全く無関係な立場ではありません。
中国のように将来を無視して公害防止に資金を投じないで公害だらけの国にしているのと危険対策費や廃炉費用等を積み立てないで、目先の低料金設定をしているのとはやっていることは同じです。
経済パフォーマンスが同じならば、危険性が高い原発よりはその他電力の方が良いに決まっています。
(火力発電所の大事故があっても都民が一斉に避難するような事態は起きません)
以前から書いていますが、貿易赤字が円安を導いている有利な効果も大きいのです。
現在は僅かに福島一カ所の東電の事故処理だけのためにさえ、どれだけの巨費がかかるのかすら見えていない・・全部の原発廃炉費用がどうなるか、この間の地元対策費・・利益誘導型公共工事の大判振る舞い・・緊急時避難場所の手当、テロ対策警備費・規制委委員会等運営経費等の国費投入のコストなど全部含めて本当に火力その他に比べて安いのかが国民に見えません。
結果から見てはっきりしている事は、東電が自前資金で一カ所の事故処理でさえ解決出来ない・・政府資金投入しないと除染・廃炉その他解決出来ないという事が明らかになっていますが、これは電気料金ではコスト的に賄えていない・・コストに見合った電気料金設定が出来ていない事を証明しています。
原発がないと貿易赤字になるという脅しは、運送屋で言えば「当社は車の修理や事故処理・賠償は政府がやってくれるので他社より運賃が安いでしすよ!」と宣伝しているようなものです。
地元対策費を含めて巨額なコスト負担を政府・・税金に頼りながら、(総合計のマスコミ発表が一切しないで)火力より電気代が安いと言っても普通の人は信用出来ないのではないでしょうか?
ただ都民が経済パフォーマンス以外の要素を重視する(近い将来廃炉技術が確立する事に期待したり・・将来の核兵器保持の手段を残しておくなど)かも都民の勝手です。
選挙はそのためにあるのですから、マスコミが原発問題を都政のテーマにするのがおかしいと宣伝するのは行き過ぎです。
自衛隊元幕僚長であった田母神氏も立候補表明していてそれなりに人気があるようですが、彼は国際政治における保守的主張で大人気になっている人物です。
彼自身も保育所増設やその他都政の細々したことに何らかの経綸抱負を語っているのではありません。
保守か革新かは都政に関係ないとマスコミが決めつけることではなく、どう言うテーマで都民に訴えて選挙するかは候補者の勝手です。
都民だけはなく日本中で石原氏の右翼的発言に溜飲を下げた国民が多かったことを忘れては行けません。
国政でない分、アメリカに遠慮せずに自由に発言出来た効能も否定出来ません。

マスコミの信用失墜9とネットの役割2

品位を問題にしない・・中立でもないネットウヨが中国等の不都合な僅かな部分を拡大しているかも知れませんが、そのリスクを承知の上でネット受信者が見るし、これこそが本来の報道機関的役割に転化して来たのです。
民主主義国家における報道の必須性は政府ににらまれても真実報道に徹するところにあるのですが、そのためにはある程度その時代のお行儀・品位とすれすれすれでも実態に迫るほどの覚悟が必要です。
品位という自己規制に縛られて安全地帯内で・・政府発表・警察発表や学会やその他権威のある決まりきったところばかり取材し報道しているのでは、確かに誤報しても責任がないので気楽ですが、その時々の権力や支配的意見しか国民に知らせられません。
これでは一種の政府公報機関化・・広報機関を民営化したようなものになります。
年末の総理靖国参拝問題で見ると、アメリカ大使館の「失望」声明報道が目立ちました。
大使館の声明そのものですから、報道しても誰からも文句を言われないでしょう。
ただ前後の文脈・・精々数行程度の文章を報道せずに、その中の「失望」という一単語のみを取り出して大げさに報道したのはやはり一方的だったと思われれます。
今や大多数の国民が英文原文を読めるのですから、数行程度の英文自体併記するくらいのサービスがあっても良い感じです。
今でも中韓との対立に関してはアメリカの意向を無視出来ませんが、逆に最近オバマ政権の外交音痴ぶり・・能力不足が取りざたされていて、政策発言に自信がなくなっているので、アメリカ政府の方が日本の強烈な拒否反応に左右される時代にもなっています。
マスコミが大きく報道するについては・・アメリカも大反対している・総理の靖国参拝は大問題だという方向性ばかりではなく、大使館声明の持つ政治的意味の掘り下げこそが必要だったのではないでしょうか?
オバマ政権は中東諸国では同盟国の信頼を裏切る・・はしごを外すような発言や行動を次々としていてパートナーとしての信頼を失いつつあるのは今や世界の常識ですが、それで良いのか・・はしごを外す国に日本まで加えるのかという国内批判に耐えられなくなりつつあります。
アメリカの場当たり政策に世界中の同盟国は、本当について行っていいのか?と不信感を抱き始めています。
同盟国に不信感をあおると世界中でアメリカの世界戦略は早晩行き行き詰まるしかありません。
いろんな交渉ごとでもアメリカの肩を持てばその見返りが何かあると言う思惑で、アメリカの味方をして発言してくれるのですが、後の見返り期待がその都度反古になるようなことが続くと、どこもアメリカの味方をしなくなります。
TPPの交渉が進まなくなっているのもアメリカの指導力・・信頼喪失が大きく影を落としています。
最も強固な関係が軍事同盟ですがこの生命線の約束さえもマトモに守らないとなれば全ての分野で大きく信用を失うでしょう。
まして中東諸国とは違い、(中国のGDP発表は当てにならないので実質)日本は世界第2位の大国ですし、アメリカは多方面で日本の補完を受ける必要がある点では、面倒な持ち出しばかりのシリア・エジプト・イラクやアフガンなどとは意味が違います。
中韓の肩を持って日本を怒らせてしまうメリットとして何を考えて余計な声明を出したのかまるで非合理な展開です。
アメリカは自分のでっち上げた東京裁判の正統性にこだわり過ぎると、アメリカ自身が日本人の怒りを呼び覚まして占領政治自体が問題化して来て日本国民の恨みを買う展開になってきました。
韓国の言う近現代の歴史認識が日本で始まりつつあります。
出来れば戦勝に乗じてやり過ぎだった占領政治や東京裁判については、掘り起こして大問題化したくない・・そっとしておきたい・避けて通るのがアメリカの客観的な立場・国益と言うべきです。
戦犯問題→原爆投下責任等を再議論してどちらが悪いんだと言い合い、占領政治を掘り起こしても、アメリカにとっては何のトクもないでしょう。
1年以上にわたる反日宣伝に行き詰まっている韓国では、矛を収めて日本とヨリを戻そうとして水面下で動き始めていました。
中国経済も行き詰まっていて再度反日暴動を起こす体力がありません。
このときに、アメリカ大使館が敢えて声明を出す・・中韓をもう一度元気づける意味は何か?ということです。

マスコミの信用失墜8とネットの役割

マスコミは第4の権力と言われていたように、洪水のように大量に一方的に発信するマスコミの影響力が巨大だったことから、彼らはこれと言った権力根拠・正統性もない・・広告収入に支えられている関係で市場原理による外は、民主的信任を全く得ていないのに権力保持者のように錯覚してしまった事によると思われます。
これを支えていたのは大衆社会・・テレビの垂れ流し報道を無批判・受動的に受け入れるマス社会でした。
これに対してネット社会では発信者が巨大資本を要しないことから多種多様な参加が可能になって寡占ではなくなり、他方で受け手は自分で考える読者・視聴者で成り立っていて、場合によっては自分で発信者に転化出来る点も大きな違いです。
マスコミが政治決定権がないのに第4の権力として政治権力を事実上行使していたのは、歴史で見れば、江戸時代の側用人や中国の歴代王朝の宦官等・・言わば権力の簒奪者と言うべき立場です。
これを可能にしていたのは、情報の寡占ないし独占(上様の本音は側用人しか分らない)だったのです。
ホンの少ししかないマスコミ業界で馴れ合って一定方向の宣伝をすると、一定方向ばかり賛美またはパッシングの報道になります。
芸能人の虚像がマスコミがこぞって作れるし、落ち目になるとパッシングが一斉に始まります。
4〜50年ほど前からマスコミで作り上げる芸能人のスター虚像が言われるようになっていましたが、政治の分野までマスコミが侵蝕していたことになります。
政府による許認可不要な私のような個人ブログがいくらでも発信出来るようになって来ると、マスコミ支配・虚像の捏造が崩れて来ます。
(ネットは手軽な分大手企業による・・同僚先輩によるチェック・フィルターがないので一方的思い込み意見も多くなりますが、そのつもりで読めば良いことですし、間違っていても多面的な意見が各方面から出て来ることによって自然淘汰されます。)
ネット意見の場合は、マスコミのように洪水的に押し付けませんので、読者が読んでも聞いても信用しないか、論理的ではないと思えば読み飛ばせば良いことですし、気に入らなければ二度と読まない選択肢もあります。
マスコミの場合垂れ流し的報道をすることと、公共電波を寡占しているので嫌なら聞かない・見ないという選択肢がありません。
フジテレビが、洪水的韓流礼賛報道に対する批判に対して「嫌なら見なければ良いだろう」と発言したと批判されていますが、事実とすればマスメデイアの場合、公共電波の寡占をしているのでそのような主張・・報道姿勢自体が、個人のネット意見と一緒くたにした不当な姿勢となります。
炊事洗濯しながらバックミュージックのようにマスコミ報道が垂れ流されている状況では、マスコミが繰り返し報道することが世間の常識のような洗脳効果が生じる危険があり、また受動的視聴者が多いことからもより一層その危険性が増します。
ただ報道前提になる資料等が出口で秘密になる・・資料の公開がない・・あるいは資料自体が中国政府発表のようにデタラメになるとマスコミに限らず誰もが前提事実の誤解が起きるので個人のネット発信も不十分または制約を受けてしまいます。
国内報道はマスコミが好きなように一定方向へ国民を誘導するために取捨選択して報道する弊害が強まっているのとは逆に、外国政府発表に関してはそのまま報道する傾向があるので、中国などはこの傾向を利用して好きなように改ざんして発表をすれば、日本のマスコミがそのまま直ぐにもアメリカを中国が追い越しそうだとか、大成功している・・大躍進中と宣伝してくれるのでうまく利用してきました。
これを今のネット社会では現地からの具体的報道でゴーストタウンを作っている・・鉄鋼の在庫の山がある・・中国の新幹線は乗ってる人が少ないとかいろいろと政府発表の誤摩化しを教えてくれる役割をしています。
マスコミは外国政府発表に対しては(品位を害する?のでまさか嘘っぽいとも書けないので)公式発表中心ですから、外国政府広報機関と化していて、他方で国内では中韓に都合の悪い政府発表は報道しない検閲機関と化している結果、米中韓の手先みたいだと言われるようになってきました。

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