地続きの領域拡張と内部に抱える先住民絶滅作戦が終わると域外への膨張政策が始まります。
ウイキペデイアの整理では帝国主義時代の項目になっていますが、この時に始まったのではなく独立の成り立ちにそのDNAが仕組まれていたという視点で私はこのシリーズを書いています。
ウイキペデイアによるアメリカ合衆国の歴史からの引用続きです。
帝国主義時代 (1890年〜1918年)[編集]
西部開拓時代の終結によって、アメリカ人は更なるフロンティアを海外へ求め、「外に目を向けなければならない」という意識が起こった。
1889年にパン・アメリカ会議が開催され、この力がアメリカのラテンアメリカ進出を促した。
とはいえ、モンロー主義に基づくアメリカ合衆国の伝統的な外交政策は引き続き重視されていたため、植民地獲得については消極的であり、もっぱら棍棒外交やドル外交に基づいた経済的進出を狙いとしていた。
1898年にハワイ王国をなし崩し的に併合、領土を太平洋上まで拡大した。さらに同年、スペイン領キューバの独立戦争に便乗し、軍船「メイン号」爆発事件を契機として、スペインとの間で米西戦争を起こした。この開戦には、当時普及していた新聞が大きな役割を果たした。
すなわち、米国民の反スペイン感情を煽動する報道を繰り返し行った。これは新聞によって煽動された大衆が戦争を要求した最初の例であり、米国政府はこの情報戦略を積極的に利用し、後の戦争のほとんどに活用された。
米西戦争とそれに続く米比戦争に勝利すると、中米の多くの国からスペイン勢力を駆逐して経済植民地(バナナ共和国)とし、プラット修正条項によってキューバを保護国に、プエルトリコやフィリピン、グアム島などを植民地化した。
さらに、西欧列強と日本によって中国分割が進もうとしているときに、1899年と1900年に清の門戸開放・機会平等・領土保全の三原則を提唱し、中国市場への進出を狙った。
カリブ海地域を勢力圏にするために、カリブ海政策を推し進め、これらの地域で反乱などが起こるたびに武力干渉した(棍棒外交)。また、国内東西物流の安定を目的としたシーレーンの確保を目的に、パナマ運河建設権を買収し、2万人以上の死者と長期間の工事を経て、果ては工兵まで投入して完成させた。さらにコロンビアから分離独立させたパナマから運河地帯の永久租借権を獲得した。
以下略
第二次世界大戦後は、日本の南太平洋にあった信託統治領を支配下に組み込み、現在に至っています。
戦後は世界の覇者として君臨するようになると露骨な領土拡張政策は限界を迎え、余剰人口吸収装置としてのアメリカの魅力が次第に薄れ始めました。
直接的領土拡張は第二次世界大戦まで続き、戦後は直接の領土拡張欲を捨てたように見えますが、戦後は植民支配時代時代の終焉を巧みに利用して西欧諸国の植民地支配の後釜に入り込み・・中東での石油利権をめぐり英仏を追い出して中東への事実上支配を強めるなど、中南米に対する棍棒外交の世界版として世界に張り巡らした軍事基地を背景にしたCIAによる政権転覆活動などによって世界を事実上支配してきたことは周知の通りです。
この力が弱まってくると最近では金融取引停止の脅迫で支配完徹手段としています。
以上見てきたように米国は独立戦争の当初から、実態は支配地拡張・21世紀に入ってからはグローバリズムに名を借りた世界支配に邁進してきた歴史でした。
中国の台頭によりグローバリズムによる覇者の地位が危うくなり始めると逆にグローバリズム反対・・アメリカンファーストと称し、内部分配がテーマになってきました。
内部分配はあちら立てればこちら立たずの矛盾が1体1の矛盾どころか、8対8程度の複雑なパズルを解く必要に迫られます。
この困難に逢着したのがシリアとIS関係・スンニ派とシーア派、トルコとクルド族、イスラエルとアラブ諸国等々利害錯綜で、単純思考の米国民度・政治経験レベルでは、解決不能の迷路に追い込まれてしまったのです。
これまでは反ソ連、反共産主義とか、悪の枢軸とか単純仕分けで攻撃していれば良かったのですが、ソ連崩壊後単純図式が当てはまらなくなり、中国の台頭で米国の将来性も?になってきました。
もともと拡張主義の旗印のもとに連合を組むメリットを享受してきたのですが、米国民が武力経済力等々の侵略の象徴である星条旗の旗印のもとに結集するメリットを感じなくなるとどうなるか?です。
米国は何かというと星条旗の元に団結を誇示するパターンが目立ち、これしか一体化の道具がないのは、以上見てきた通り、独立の始まりから支配地拡張戦争のために団結してきた歴史によります。
単純化すれば、量の勝負・・3〜40年前の日本では地方に行くと旅館ホテル等では量の勝負で食べきれない料理を出す・・と言われた時代でしたが、米国産業界は黒人奴隷に始まり低賃金労働者の大量仕入れ・移民導入で先進国との競争に参入したので叩き上げ熟練職人が育っていないので中下級品しか作れない弱点がありました。
この弱点克服のために、製造工程を分解して流れ作業化することにより熟練工不足のハンデイを克服に成功して世界の経済・軍事大国にのし上がったものです。
ベルトコンベヤー方式に馴染む・適応の進む産業分野から世界のシェアーを奪っていったのですが、原則として規格品製造になる結果、個性や品質で競う能力が低いままになります。
非熟練工でもそこそこのものを大量に安くに作れるようになる生産方式の発明により、米国が熟練工の多い欧州より多量に安く作れて有利になった点は、米国よりもさらなる後進国に対しても参入チャンスを与えたことになります。