憲法と国家(外国に支配されるための憲法?)3

占領軍・民政局は表向き学問の自由保護と称して共産主義と自由主義双方の学問を奨励していましたが、本音は共産主義の応援だったからか?日本では戦後の各種学会では概ねマルクス主義系の経済学者や思想家が主流を占めてきました。
英米的価値観とソ連型価値観(ユダヤ陰謀論で言えばユダヤ系思考・グローバル化目的では共通です)を言う自由はありましたが、日本を含めアラブその他価値観・各地民族教育の必要性を語ることは一切ゆるされず、西欧でさえもうっかり移民反対を言うと極右政党のレッテル貼りされるのが(日本に限らず)メデイア界の世界標準になっています。
日本の国益に関する主張は米国の利益に反しないことを最優先とし、その次にアメリカ軍政終了後の置き土産・監視役としての中韓の利益に反しないことでしたので、ちょっとでも中韓の利益に対立する民族主義的主張をすると中韓から「妄言」として激しく批判され、アメリカからは歴史修正主義者のレッテルを貼られると、その政治家がその失脚し政治生命を失う時代が続きました。
各種学会だけではなく、占領軍による日本メデイア支配の一端については、マンハッタン計画の研究書である以下の論文を読んでいると産軍複合体形成の一環としてメデイア関係の協力関係が偶然出て来ましたので、その一事例としてその部分だけ参考までに紹介しておきましょう。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/hiroshima_nagasaki/why_atomic_bomb_was_used_against_japan/08.htm
(2010.7.18)
トルーマン政権日本への原爆使用に関する一考察
8 対日原爆使用の政策意図  陸軍長官声明から読み取れること
体制に取り込まれる大手メデイア
つまりアメリカの大手メディアは、ほとんどすべて政権と陸軍に協力し、それぞれ応分の利益を得たのである。その代表例が、ニューヨーク・タイムスの科学記者、ウイリアム・L・ローレンスであろう。L・ローレンスはグローブスと親しく、ジャーナリストとして、原爆開発計画では特権的地位にいた。暫定委員会にも出席し、7月16日アラモゴード原爆実験後の政府声明の原稿の下書きもしたし、のちに触れるが「原爆投下直後の大統領声明」の下書きも書いた。
広島への原爆投下の後、ウィルフレッド・グラハム・バーチェットは、9月2日、ミズーリ号上の降伏調印式を抜け出し列車を乗り継いで、広島を訪れた。当時占領軍は厳重な報道管制を敷いて、特に南日本にはジャーナリストの立ち入りを禁止していたから、バーチェットの行動は正確に言えば潜入である。バーチェットはそこで、自分の見たままの広島の惨状を書き、また生存した被爆者が原因不明の病気にかかってバタバタ死んでいく様子を書いた。この原稿は「The Atomic Plague」(原子の伝染病)と題されて、45年9月5日付けのロンドン、デイリー・エクスプレス紙に掲載された。この記事が世界的に大反響を呼ぶ。原爆の悲惨が英語で世界にはじめて報道された瞬間である。バーチェットが検閲を免れたのは彼がモールス信号発信器を携行し、独自に打電できたからだと云われている。
( 以上「トルーマンは何故原爆投下を決断したか?V.投下を推進する勢力」
<http://www.inaco.co.jp/isaac/back/009/009.htm>による。)
この記事が、アメリカ陸軍を慌てさせた。特にアメリカ国民には知られたくないことがバーチェットの記事に詳細に書かれていた。放射線の人体に対する影響である。グローブスは直ちに反撃に出た。アメリカの当時一流ジャーナリズムから30人選りすぐって、アラモゴードの原爆実験場に集め、「実験場には残留放射能はない。」とするデマ報道をさせた。この時の陸軍プレス・リリース(報道陣向けのニュース下書き記事)を書いたのもこのL・ローレンスである。ついでにいうとこの時、グローブズは、マンハッタン計画における自分の片腕、トーマス・ファレルを日本に派遣して、「広島には残留放射能はない。死ぬものは死に絶えた。」というデマ声明を発表させている。占領下とはいえ広島地元の中国新聞を始め日本のマスコミは、この時期ファレルの声明をほぼ無批判に報道した。戦前は軍部に協力し、戦後は占領軍に協力した。なんのことはない、何も変わっていなかったのである。変わったのは親分だけだ。
上記の通り、目の前で原爆症で苦しむ人がゴロゴロしているのを知っている現地広島新聞まで、そのまま報道していたと言うのですから、元祖フェイク報道とでも言うべきでしょうか?
ただし、事実は違うとは書けないので、占領軍の(こんなひどい)声明があったと言う無言の批判・抵抗とも言えますが・・.。
日本では「事実を言えない言論の自由な社会」であったことは確かです。
憲法学者の言う「思想の自由市場論」とは、マスメデイアの多数意見しか報道しない自由であり、メデイアに袋叩きに合うと有力政治家も失脚するし学者も芸人も発表の機会を奪われる・ネット発信が可能になるまでは食べていけない仕組みになっていました。
(アメリカの意向に便乗して批判画策する勢力を国内で育てるのに米国が成功し、各分野でその継承者が主流を占めているからですが・・・)
絵画表現で言えば、白と黒の二色しか使えないのに、自由に絵画表現できて嬉しいと喜んでいたようなものです。
戦後ニッポンの思想支配を(陰謀の有無は別として)結果から見ると以下の通りです。
まず頭脳組織トップの東大総長人事から見て行きましょう。
戦後すぐの12月には総長が変わります。
戦後初代総長の南原繁氏自身も次の矢内原総長も戦前アメリカで人気のあった新渡戸稲造の弟子でキリスト教徒である点では同様であり、米占領軍・民政局の眼鏡にかなったのでしょう。基本的にはキリスト教徒で選別されその上で、共産主義親和学者が優遇されていたことがわかります。
南原繁に関する2月13日現在のウイキペデイアの記述です。
1910年(明治43年)
6月 – 第一高等学校卒業。
7月 – 東京帝国大学法学部政治学科に入学する。入学後、内村鑑三の弟子となり、生涯を通じて無教会主義キリスト教の熱心な信者であった。一高に入学したときの校長は新渡戸稲造であり、影響を受けた。
1945年(昭和20年)
3月 – 東京帝国大学法学部長に就任。高木八尺、田中耕太郎、末延三次、我妻栄、岡義武、鈴木竹雄とともに終戦工作に携わるが失敗に終わり、敗戦を迎える。
12月 – 東京帝国大学総長に就任。
南原氏は、キリストの理論との政治の関係で独自の境地に達していた立派な人らしくその人物研究論もいっぱいあるようですが、ネットであんちょこに検索できる研究が見つかったのでこれの一部を紹介しておきます。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no97_05.pdf
研究ノート〉
宗教ナショナリズムと南原繁
西 田 彰 一
「基督教の神の国とプラトンの国家理念」ではカトリックやヘーゲルの「権力世界」は宗教と政治の一体化した支配的な神政政治の世界として斥けられる一方で、絶対的な神に媒介者なしで結合することで形成される非支配的な神の国は、 理想として高く評価されている42)。つまり、 目指されるべき理想として、原始キリスト教とその系譜に連なるプロテスタントが評価されている。」

上記によると国家を超越した正義のあり方についてキリスト教(特にプロテスタントを理想とする立場)的角度から理解しようと努めていた政治哲学者のようです。
この辺に「国家の存立よりも平和主義」とか、「国家権力を持ってしても侵すべからざる天賦基本的人権」論イメージが現在主流化している淵源がありそうです。
以下彼の哲学思想を見ていきます。

憲法と国家(外国に支配されるための憲法?)2

戦後航空機製造技術者らが飛行機を作れなくなったので、新幹線技術に挑んで成功したことが知られていますが、これでも日本を「自由経済」主義社会の一員と言っていました。
日本で言われている自由とか人権尊重あるいは平和主義と言っても、アメリカの手の平の上にいる限りの自由であって、観音様の手のひらの端まで飛んで帰ってきた孫悟空みたいなものです。
アメリカの手の平から経済力ではみ出しそうになった日本は、プラザ合意以降アメリカの手先・中韓の攻撃に曝されるようになりいわゆる「失われた20年」を経て現在に至っています。
最近の日米関係好転の原因は、日本がアメリカによるジャパンパッシングに懲りて飽くまで「良き同盟国として)アメリカの手のひらから出ないことを明らかにし、他方中国がリーマンショック以降アメリカの主敵として躍り出た結果、攻撃相手が日本から中国に変わっただけのことです。
以下敗戦以降のアメリカによる日本の思想支配について素描します。
今になると常識化していますが、日本を対米戦に追い込んだアメリカのルーズベルト政権は容共主義者の塊・巣窟であったと言われていますが、これも反対の立場によればフェイクニュースに惑わされていることになるのかな?
ルーズベルト急死によりその政策をそのまま引き継いだ副大統領トルーマンは多分その体質をそのまま引き継いでいたと思われますが、本国では隠れ共産主義政権だったので堂々と共産主義浸透教政策をできなかったのですが、米ソ協調の戦後体制を作った直後は、日本占領統治も昨日紹介した連合軍・・主に米ソ共同統治の方向を公然実行できたことになります。
日本占領政策は共同関係である以上は、双方の思想教育を公平に行う体制になったのは結論的に見て当たり前です。
(この辺・以下は私の個人意見であり事実か否かの検証までしていませんが・・)
ただし連合軍の進駐とは言っても、米軍以外は連合軍の体裁を作るため代表を派遣していただけで米軍が実戦力の100%を占めていたので実際の占領政策は現場を握る米国(マッカーサー)の思惑通り進められたことは間違いないでしょう。
戦後すぐの東京裁判でも外形上インドその他連合国も加えましたがストーリーはアメリカ主導でした。
イラク多国籍軍でもアフガンでも主戦力の米国が決めるのを参加国が追認するだけになるのが普通です。
1月13日前後に日本国憲法制定過程で連合軍の形式を重んじて結成された極東委員会をコケにしてGHQ主導で決めてしまった動きを紹介しましたが、日本での赤化政策の遂行もソ連との共同統治に名をかりた当時の米政権の(容共体質)本音がそこにあったと見るべきです。
占領政策を担当する民政局長にホイットニー着任後G2・マッカーサーと対立関係に入っていくイメージが知られていますが、ホイットニーの率いる民政局は着々と日本の教育界やメデイア界→思想界を赤化して行きます。
民政局各個人の思想傾向については性質上公式記録には出てきませんので、周囲の評価に過ぎず客観性がないですが、民政局はいわゆるピンカー達が支配していたことが知られています。
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20110417/1303041243によると以下通りの人物評です。

GHQは民政局(GS)のほかウィロビー少将率いるG2と呼ばれる治安、諜報活動を受け持つ組織があり、この二つは激しく対立していました。
ホイットニーの部下のケーディス大佐はリベラリストであり、ユダヤ人です。ウィロビーはドイツ系米国人でした。こうした関係も二つを対立させる要因となっており、ウィロビーはホイットニーやケーディスらを「ピンカーズ」と呼んで毛嫌いしていました。
ピンカーズは共産主義者という意味です。
GHQ憲法は共産主義者の手によって作られたものです。

アメリカの機密文書公開を根拠に、対日政策がユダヤ系・共産主義者主導であったかのような意見が紹介されていますので以下に引用します。
私は自分でアメリカの公文書そのものを見に行く暇も能力もないし、以下に紹介するブログ発信者自体が何者か不明です。
アメリカの公文書紹介がフェイクかどうかチェックできる人は滅多にいないでしょうが、「フランクフルト学派」の説明その他も概ね普通に見えるものの、フェイクというものは真偽織り交ぜて本当らしく見せるのが普通ですので、「ちょっと見」ではその区別できる人は滅多にいないでしょう。
以下、各自御自分の能力に応じて信じるかどうか決めていただく前提で紹介しておきます。
https://ameblo.jp/gwh28/entry-12125624098.htm

2016-02-06 10:42:00
かまくら保存の会様のフェイスブックより
1990年以降、ワシントンの国立公文書館でCIAの前身にあたるOSSの機密文書が再調査されています。
まだ全部は公開されていないようです。これによると「日本計画」といわれる対外基本戦略が作成されていることがわかっています。このOSSが知識人向けのマルクス主義と言われる「フランクフルト学派」の巣窟になっており、マルクーゼ、ホルクハイマー、E・フロムなどがいます。
このOSSはコミンテルンの方針に従っていたわけでもないこともわかっています。
日本計画は1941年12月の日米開戦直後から準備され、日本の敗北を見越し、日本をいかに軍事的に壊滅させ、以下に戦後の日本社会を攪乱させるかを目的化したものです。天皇を象徴とする方針もこのとき立てられ、伝統の力を利用して、国内を対立させ、軍事力の膨張を抑える方向へと誘導するというものです。これらはマッカーサーにも伝えられています。
・・・OSSの計画は「社会主義は軍国主義の破壊を通して、ブルジョア民主革命を達した後に得られる」という2段階革命論であり、一気に天皇打倒するのではなく、他の改革を待って廃絶させる段階を待つというものです。以前書きましたが、憲法の「国民主権」「天皇は国民の総意に基づく」というのはまず第一段階のことなのです。ソ連が強行に皇室の廃止を求めたのに対してGHQは計画通り遂行していたのです。皇室の数を制限して立ち枯れ作戦も第二段階を意識してのことでしょう。憲法九条も次の革命のときに軍隊がなければ革命を起こしやすいという目的で作成されました。

戦後日本の言論の自由・学問の自由といっても「アメリカの容認する範囲の自由」と言う枠があったのを我々戦後世代は子供の頃から教えられず、素朴に「自由な国だ」と信じ込んでいたキライがあります。
資本主義・自由主義とソ連型の共産主義・国家管理型社会を理想化する二方向教育がゆるされていたので、言論の自由がある社会に見えていただけです。

憲法と国家(外国に支配されるための憲法?)1

民族主義者であろうとなかろうと、憲法や刑法その他の法制度は(憲法などよりずっと下位の身近な道路交通法や自治体の条例でも)その法や条例の効力が及ぶ地域内のために良かれと思って制定するものでしょう。
よその国や他民族のために制定するものではありません。
千葉市の条例や職員向け内規は千葉市民のために制定するものであって、隣接市町村のためにあるのではありません。
商家や大名家の家憲家訓も同じで、自分が創業した商売や政権を滅ぼすために家訓や家憲を制定する人はいません。
社内ルールも自社のために取締役会規則や就業規則あるいは操業マニュアルを作るものであって、他社のために作る会社はありません。
スポーツその他各種クラブにはルールがありますが、その組織やスポーツを維持発展させるためにルールを作るのです。
自社従業員のためにもいろんなルールがありますが、会社を潰してでも守るべきルールがあるとしたら背理です。
国家の場合も憲法で定める「思想信条の自由」は国家のより良き発展を目指すためのものであって、国家を潰す目的の自由があるとは思えません。
内乱の予備陰謀だけで処罰されるのはこの端的な例です。
組織内秩序維持に反した場合、その認定手続に従い拘禁され、有罪認定によって懲役刑にとどまらず生命(死刑)まで奪えるようになっていることがその思想の現れです。
思想信条の重要性といっても生命よりも重要なものがないはずですから、思想信条だけ国家運営から超越できると言う主張は無理があるでしょう。
この論を合理化するには先ず外堀を埋める必要があって、グローバリスとは死刑廃止論にこだわる政治的意味があるのかもしれません。
国家を潰し民族を他民族の支配下に置く「目的」までなくともそういう結果をもたらす思想宣伝の自由があるとは思えません。
日本の憲法学者や思想家の意見を見ると国家存続よりも基本的人権や平和主義の方が優先するかのようなイメージ主張が流布しているような印象です。
印象という意味はずばりの主張をみたことがないからです。
例えば非武装平和論に関する討論番組を見ていると
「中国が日本侵略を開始したらどうするのか?」という趣旨の質問に「そうならないように努力するのが政治の役割だ」と答え、「そういう努力をしても問答無用で領土割譲を要求して実力行使してきたらどうするのか?の質問には「そうならないように努力する」という繰り返しで討論が終わるのが普通です。
強盗や窃盗恐喝殺人等にどう対処するか警察力の強化の議論では、それなりの対処してもその地域での犯罪が増えてきた場合の議論であって、どのような教育をしても善政を敷いても犯罪ゼロにできない現実を前提にした議論です。
同様に戦争の起きない世界が理想としても、実際に強引な要求を通すために武力による威嚇や実力行使が行われる時にどうするかの議論をしているのに「そうならないように努力する」というのではまともな議論をする態度とは思えません。
こういう議論の繰り返しを見ていると次元の違う無責任回答・・「日本民族がどうなっても気にしない」基本姿勢を前提にする印象を受けますが、この理解は私の一方的誤解かもしれませんので「印象」とかいています。
「北朝鮮のように日本に自由に侵入して好き勝手に選んだ日本人を拉致していっても指をくわえて見ているのか?」という質問にも「そうならないように」というだけでは、北朝鮮を大事にすれば良いという程度の意見かな?という推測しかできません。
結局彼らのいう非武装平和論は、「旧中ソ圏に対する友好国になれば良い・・・そうでない限り日本が滅びるかどうかは知ったことではない」という(中ソの)主張を根底にしていることになるのでしょうか?
上記の通り「日本がどうなってもいい」とズバリの意見はないでしょうから、証拠を出せと言われれば出せませんので印象というしかないことになります。
一方でアメリカを中心とする自由主義国家寄りの意見では、思想表現の自由論を筆頭にいわゆる「天賦不可譲の人権」論で国家以前の権利であるかのような(これもそのように誘導しているだけで、はっきりそう言っていないように見えます)主張を展開しています。
日本の戦後思想界はアメリカ系と中ソ系に分かれて争って来たもので、日本の国益を求める意見が脇に追いやられているというよりも、もともと敗戦後そんなことを言える立場でなかったのが今に続いているように見えます。
アメリカ系の金科玉条は基本的人権の尊重・・分けても重視してきたのは思想の自由市場論でした。
これによると「言論の自由は国家発展に寄与する」とも言いますが・・。
以上の経過を受けて、我が国憲法学者・ジャーナリズムは、日本国家存立のためになるかの視点よりは、戦後米ソの意向をの代弁・紹介していれば、一流学者・その道の権威になれる社会だったように見えます。
2018年1月6日に「皇室典範は憲法か?1(天皇観根本変化の有無1)」芦部信喜その他戦後憲法学者を紹介したことがありますが、憲法学界ではアメリカ憲法学・判例紹介をしてきた人たちがわが国憲法学の主流どころかほぼ100%に近いでしょう。
憲法学者による基本的人権論は、メデイア界を実質支配してきたアメリカの論理に従っていました。
すなわち「基本的人権の中でも(政治動向に直結する)表現の自由は、特別・別格であって、「公共の福祉」で安易に規制すべきはなく(といっているかどうか知りませんがそのようなイメージ流布で)アメリカが実質支配する「思想の自由市場」アメリカが許容する範囲内競争の結果事後的に市場で選別されるべきと言う特殊な地位を与えられています。
憲法学者の言う表現の自由とは、アメリカの世界支配思想の範囲内での自由だったように思われます。
日本国憲法と明治憲法の違いは、明治憲法では臣民の義務、法に反しない限度の人権保障であったが、戦後憲法では、憲法の保障に格上げされた点が根本的相違であると習ってきました。
しかし本国米国では、ルーズベルトの容共政権に対する反動で反共・マッカーシズムが吹き荒れると日本でもレッドパージが行われたなどの実例を見ると、米国(という外国の都合)支配に反しない限度の人権保障に変わっただけだったことが証明されています。
どっちみち何かの限界内で人権が認められ制限されるならば、外国の都合の範囲内での人権よりは、自分の属する共同体を守るための範囲内で認められる人権保障の方が合目的ではないでしょか?
日本の各種(憲法に限らず経済学その他多種多様な)学会や報道界では、資本主義だけではなくマルクス経済学や左翼系ジャーナリストが並立していたので、一見学問の自由があるようでしたが、いずれも日本民族のための研究発表の自由ではなく、敗戦直後の政治情勢では、むしろ「日本民族再興を許さない」方向で米ソ両国が一致していたので連合軍は、当初ソ連を含めた共同占領統治体制が表向きの体制でした。
GHQを傘下におく極東委員会設置が1945(昭和20)年12月のモスクワ外相会談で決まったことを、「GHQ(内部対立)+本国政府+極東委員会1→天皇制存続?」January 13, 2018で紹介したことがあります。
この結果、資本主義、共産主義双方の学問が保護されたのは、一時的偶然にすぎません。
再軍備を許さない方針は容共のルーズベルト〜トルーマン政権下では方向性が一致していましたが、朝鮮戦争を契機に後方陣地として日本に協力させるために一定の再軍備が要になったので、完全な丸腰・・非武装平和論の支持勢力が中ソ系人脈に限定されるようになっただけのことです。

表現の自由と外国の影響(中国シャープパワー)2

西欧の大手メデイアが堂々と中国による表現の自由への介入に危機感を募らせて書き、それを日経新聞が大紙面で転載するところまできています。
(日経新聞も内部的には徐々に中国マネーやハニトラに侵蝕されているのかもしれませんが、それでもこれを出せるほどまだ中韓系人脈が弱いのでしょう)
ちなみに英エコノミスト誌の概要は以下の通りです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%88

(The Economist)は、イギリスの週刊新聞で、ロンドンに所在するThe Economist Newspaper Limited から発行されている。新聞ではあるが、外見は雑誌の体裁をとっている。日本の読売新聞と提携している。
発行部数は約160万部(2009年)。その約半分を北米が占める。
主に国際政治と経済を中心に扱い、科学技術、書評、芸術も毎号取り上げる。政治・社会は地域ごとに記事を組んでおり、中国以外のアジア、中国、中東およびアフリカ、米国、米国以外のアメリカ大陸、英国以外のヨーロッパ、英国に分けている。
この雑誌は社会的地位の高い層をターゲットにしており、その中に官僚や大企業で経営に携わる人なども含まれる。発刊の歴史と、鋭い分析からなる記事が情勢に与える影響が大きく、世界でもっとも重要な政治経済紙の一つと見なされている。

その他の大手メデイアはこんな記事を載せる勇気がないどころか、「何処かの国のための報道でないのか?」という疑惑高まりに対して、「日本は報道の自由度が低い」と国際宣伝して反撃に出るほど骨の髄まで?侵蝕されてしまっているとみるべきでしょうか?
それとも日経新聞に先を越されただけでしょうか?
ただ、この転載に怒った中国筋が日経新聞内部工作を劇化させるでしょうから、この種報道を外紙の転載でお茶を濁すのではなく日経自身が日本国内の現実掘り下げ報道ができるのか?今後もいつまでできるか?です。
ところで日本メデイアである以上は、日本言論界に浸透している中韓人脈の影響力・これが日本の言論を歪めている現実があるのかどうかこそが重要ですから、これを直視した調査報道ができないのか?がバロメーターです。
中韓批判は闇世界相手ですから危険が大きいでしょうが、危険の大きい分野に挑戦してこそ勇気ある報道マン・学問の自由であり表現の自由の価値でしょうが、矢も鉄砲も飛んでこない安全な政府批判だけして、(不祥事があると居丈高に吊るし上げて)自分が偉くなったかのように英雄気取りになっているのはおかしなことです。
江戸時代には幕府関連は忠臣蔵を高師直塩谷判官の物語にしたり、鎌倉時代の物語に仕立変えていたような、「外国でこう言われている」とヒトごとのような報道しかできないことに驚きます。
欧州その他は中国にとって遠い国であるのに対し、直近に位置ししかも対立している対日ではもっと激しい標的になっていると想像するのが普通です。
日本人なら肌で感じるほどの日々の報道で変な方向に進んでいるはずの裏で蠢く中韓人脈がどうなっているのか?病根の有無・現実を抉り出すのが日本メデイアの本来の仕事です。
何もできないで、中韓の言いなりのイメージが強すぎて国民がメデイアを信用しなくなると、その反作用で国外・国連等で表現の自由が危機に瀕しているという運動をする人たちの中には、中国のトラップに引っかかっている偉い人たちのごまかしをそのまま信じている純真な人たち・・日本をより良くしたいという本音で頑張っている人もいるでしょう。
彼らが本音で日本を良くするために表現の自由拡大を必要と思い、自分の意見が正しい自信があるならば、国外で日本を批判し、国連勧告等(世界で自由度の順位を下げたと誇らしげに言うのではなく)に頼らず、国内できちっと自説論拠を説明すべきです。
「ダメなものはダメ!」とか、「窮乏を極めて」「軍靴の音がする」「戦争法案反対」「格差社会反対」など根拠ないスローガンだけ言いっ放しでなく、根拠とその効果(反対の場合どうやって国を守るのか)をきちっと説明すべきです。
革新系政党や文化人の従来の主張をそのまま実現した場合、日本にとって不利な結果になるような主張ばかり・「たまたま間違うなら分かるがいつもそう言う結果ばかりとは何なの?」という評価を生み国民の信頼を失ってしまったのです。
何かと言うと、「国民大多数の声を無視して・・」という決まり文句ですが、選挙の結果や世論調査の結果によれば実態無視ですし、そんな根拠のない主張よりは、自分の主張の方がどのように優れているかの説明すべきです。
市民・個人として表現の自由の価値をどうやって測るかといえば、所属社会との関係でいえば、敵対国・敵対競争企業から金をもらったり便宜を図ってもらっていないかの問題は、重要・表現の信頼性に関わるでしょう。
役員でも弁護士でも裁判官でも、利害関係のある人が決定から除外されるのは当然のルールです。
相手企業からお金をもらっている人が、その企業との競争でどうすれば勝てるかの意見を言っても信用できないでしょう。
ところが政党/政治団体の場合外国からの寄付受領禁止の政治資金規正法の縛りがありますが、個人や学者メデイア関係者がどこの組織に属していようと、どこから金をもらっていようとどこの異性と付き合おうとも何らの規制がありません。
自制心に委ねてきたのです。
個人(学者も含めて)は資金・給与を誰からもらってもいいし、マスメデイア・報道機関も法規制上の制限がありません。
それは意見が違ってもお互い国のために良かれと思う意見は、「思想の自由市場」で競争させればいいという市場原理を信じてきたからです。
自由主義経済といってもやりたい放題ではなく証券取引法や独禁法があるように、思想の自由市場も暗黙の合意だけではこれを堂々と破る国が出てくると明文のルールが必要な時代が来ています。
弁護士も相手方と関係がある場合の受任に関する規律があります。
日本の国の産業政策がどうあるべきか、国防に限らず、政治テーマには外国と直接間接の利害対立関係が外国からの資金受け入れを禁止されているのです。
言論の自由も政治や経済、教育文化政策が「カクあるべし」という意見は、長期的には外国との競争力を維持発展させるべきかの意見が中心ですから、その種の意見を公表するには中韓等の明白な敵対競争国との関係をはっきりさせてから意見をいうべきでしょう。
今はまだメデイアや評論家がどこの国の広告を載せて大金をもらっていようとも・・責任者や中堅が、どこ国の人と親しくしていようと問題にされていません。
これを良いことにして中国がいいように浸透工作してメデイアや学会・評論家等を支配している現実がいわゆるシャープパワーです。
これまでこの種の意見は「品のない言論」として、ネット空間だけの議論でしたが(私も遠慮がちに間接表現しか書けませんでした)、今や欧州の大手メデイアがメデイア自身の信用維持・・自己防衛のために意見表明せざるをないほどの差し迫った脅威になって来たことが、エコノミスト誌の記事から推測されます。
規制がないとはいえ、表現の自由の重要性は、「自由な発言が社会を良くするのに資する」というのが核心的利益であって、(言いたいことを言えることは個人の幸福追求権の最たるものでしょうが・・)「自国の権利を害して他国の利益を図るために憲法で保護されている」のではありません。

表現の自由と外国の影響(中国シャープパワー)1

メデイアは批判を受けるようになると開き直って、日本には言論の自由がないという海外宣伝に努めて日本での表現の自由度はアジアでも低レベルに評価されるようになっています。
政府批判すると中国に拉致されてしまう香港、あるいは慰安婦問題の真実発表下歴史学者?が名誉毀損で有罪判決を受ける韓国よりも自由度が低いというのですから、驚きです。
中国に取り込まれて自由な発信ができなくなっている点では日本の状況がかなり悪いかもしれませんが、中国筋によるフェイクニュースが自由自在の日本は、それ自体で自由度の高い国だと思いますが・・。
中国がもっと日本で「自由に発信させろ」と言う意味かもしれませんが・・・。
イメージ的には、フェイク批判を恐れるメデイアが自己防衛のために世界で「日本では表現の自由がない」と悪評をばらまいているというべきではないでしょうか?
NGOその他の形式で日本外部でマイナス評価を植え付ける国外宣伝が流行っています・不良行為で親に叱られると外で親の悪口をいう不良みたいな印象ですが、数年前にヒューマンライトナウのネット報道を紹介しましたが、児童売買春の一方的な・・そういう意見の人からだけ事情聴取して報告書を作り上げる国連調査官の記者会見で大騒ぎになったこともあります。
民主党政権から自民党政権になった頃から、従来型の中韓寄りの言論の支持がなくなった・・国内孤立状態を「表現の自由がない国」という開き直り宣伝になってきたのかな?・目立ち始めました。
反日暴動や慰安婦攻勢その他中韓の出方があまりに露骨になったので、国民の目が覚めて民主党から自民党政権への変更が起きたし、それまでの中韓支持のメデイアの肩身が狭くなったのであって、自民党になったから中韓系有利な言論が支持されなくなったのではありません。(中国と違い日本では国民支持で政権が成立してます)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/02/post-7031.php

2017年2月22日(水)12時09分
日本が低迷する「報道の自由度ランキング」への違和感
<61位(2015年度)、72位(2016年度)と、日本は世界報道自由ランキングの順位を年々下げている。果たして安倍政権のメディアに対する姿勢に原因があるのか、それとも内閣支持率で空気を読むメディアの自己規制に問題があるのか――
・・・・二〇一六年度版で日本の「報道の自由度」は一八〇国中、七二位に下落した。図1に示されているように、二〇一〇年の一一位「良い状況」から年々順位を下げて「問題がある状況」となっている。
二〇一六年五月四日付『朝日新聞』の「天声人語」も、このランキングで中国政府が言論弾圧を行っている香港(六九位)よりも日本の方が低いことに「驚いた」といい、「西欧中心の見方ではないかと思う」と疑念を呈している。
「報道の自由度ランキング」は当該国の専門家へのアンケートによる質的調査と「ジャーナリストに対する暴力の威嚇・行使」のデータを組み合わせて作成される。「専門家」とは報道関係者、弁護士、研究者などであり、彼らが前年比で報道の自由を実感できたか否かが大きなポイントとなる。なるほど、安倍政権のメディア対応は専門家の心証を害するものであろう。

上記を見ると民主党政権の時には、世界11位でスカラ予想外に低いとしてもまあまなところですが、2011年以降日本に生きる日本人にはそんなに変わったように見えないのに、自民党政権になると60何位にいきなり下がるのですから不思議です。
社会の成熟度・・民主的生活習慣が突然の軍事政権化のようなことがない限りそんなに簡単に変わるものではありません。
それが自民党政権になった途端に簡単に自由度が変わるものでしょうか?
偏った報道をしていたメデイアが国民批判にさらされて息苦しくなったので、外で自国の悪口を言いふらしていると言う印象を受けますが?
メデイアと連携して日本を誤った?方向へ誘導しようとする試みがうまくいかない・・国民に相手にされていない危機感が昨日まで紹介してきた立憲主義の主張・・「多数意見が全てでない」という深層意識に訴える通奏底音的主張の必要性が増してきたのでしょうか。
表現の自由を危機感を持って声高に主張するようになった背景事情として、中国による先進国でのメデイア、言論機関や学者研究者等の抱き込み工作が露骨すぎてこれに対する危機感が世界的に盛り上がってきていることを知っておく必要があります。
最近相次ぐ国連/ユネスコでの変な動き・・ありもしない南京大虐殺を事実調査なしで中国の意向通りに簡単に決議してしまうなど・・中国の勝ちすぎが、却って世界的な「健全な表現の自由」危機感盛り上がりになってきました。
12月20日日経朝刊には、英エコノミスト誌の転載形式(これがミソで、欧米主流の危機意識になっていることが分かります)で、「中国の『シャープパワー」に対抗せよ」の大きな見出しで中国による他国の情報操作の脅威を書いています。
世界は今、ここまで危機意識が進んでいるのです。
日本の平和論者が戦争反対=非武装平和と言い張っていても、どうなるものでもない・・中国が日本侵略意図を隠さない現実と同様に人権も個人の勝手と言い張っていれば済む時代ではない他国のシャープパワーから守る必要があることがわかるでしょう。
一部抜粋して引用します。

中国に手口に最初に警告を発したのは、オーストラリアだった。
同国政府は5日、中国がオーストラリアの政界や大学、出版界に介入してるという疑惑から、国内政治家に影響を及ぼそうとする外国の『前例のない高度な』取り組みに対処すべく新法案を提出した。
12日には上院議員が中国から資金を受け取り、同国の肩を持つような発言をしたという疑惑から辞職した。
・・・英国やニュージーランドも同様の警鐘を鳴らし始めている。
10日にはドイツが中国が金を使ってドイツの官僚や政治家を取り込もうとしていると非難した。
・・・ワシントンのシンクタンクは文化や価値観の魅力によるソフトパワーに対して中国の一連の動きをシャープパワーと命名した。・・・独裁国家が自国の方針を飲ませようと強引な手段に出たり海外の世論操作したりするためのものだ。
・・・・中国のシャープパワーは取り入ったのちに抵抗できなくさせる工作活動、嫌がらせ、圧力の3要素を連動させることで、対象者が自分の行動を自制するように追い込んでいく、究極の狙いはターゲットとする人物が最後は、資金や情報へのアクセス権、影響力を失うことを恐れて中国側が頼まずとも自分たちへへつらうように転向させていくことだ。
オーストラリヤニュージーランドでは中国マネーが政治に影響を及ぼしているという疑惑が生じている・・前述のドイツのケースでは政治家や政府高官に人材スカウトやシンクタンクの研究員のふりをして近づき彼らに無料の旅行などを提供し・・・・。
欧米の開かれた民主主義諸国が中国のシャープパワーを無視することは西側にとって危険を意味する。
具体的な措置・・中国に負けない防諜活動の展開と法の整備・・中国に影響されない独立したメデイアの整備・・・介入阻止に最善策になる。」

中国は先進国の言論の自由を悪用して、金その他(いわゆるハニトラは言うに及ばず)の抱き込みによって、先進国のメデイア、学者/研究者政治家評論家、発言力のある人間を片っ端から抱え込んで中国に有利な結果になる主張を言わせて、(抵抗するとこれまでの協力をバラすなどの脅迫を受けて人生の破滅が待っている)これが批判の対象になると「言論の自由を抑圧するな」という開き直りをさせていことが、ネット上ではだいぶ前から出ていましたが、大手新聞が転載形式とはいえ、堂々と記載したのは私の知る限り初めてでしょう。
取り込まれたら最後、文字通り自由な発言が許されなくなる・精神の奴隷状態に追い込まれる脅威です。
数年前に自衛官の自殺事件が起きています。

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