外国人の政治活動2(民族教育1)

日本でも諸外国でも、いろんな国に〇〇商工会などの国内県人会的相互扶助的組織がありますが、民団や朝鮮総連のようによその国での政治活動を主目的にした組織を維持している国や民族があるのでしょうか?
諸外国での日本人学校は子供小学校4〜5年で帰国した場合のカルチャーショック・・帰国時にスムースに日本の教育過程に馴染ませるためのウオーミングアップ目的であって、帰国予定もない自国出身者に対する民族教育目的で小中学校などを設置している民族があるでしょうか?
ただし以上の感想はメデイアを通じた印象操作?的情報(の受け売り)によるもので、独自の見解を述べるほどの事実認識がないので朝鮮人学校で検索してみたらすぐに以下の2件の論文が見つかりましたので、紹介しておきます。
ただし、学者の論文とはいえ、朝鮮関係になるとこれまで別のテーマで引用した論文も全てそうですが、在日か帰化人か不明ですが、氏名の印象からするとルーツ的には朝鮮人系学者の論文しか見当たらないのには今更ながら驚きます。
日本社会における朝鮮系民族の歴史を見るには、敗戦を一つのエポックにする思考自体おかしくないとしても、日本人の多くにとっては敗戦の日ですが、朝鮮人にとっては「解放」後何年というような書き出しになるようです。
例えば後に引用する韓東賢氏論文の一部を抽出します。

2.1. 誕生と模索,放置と消極的容認
1945年8 月の「解放」時,日本には約200万人の在日朝鮮人がいた。不安定な状況のなかで様子を見つつも当初,その多くは帰国を目指した。だが,一緒に帰国するにも日本で生まれ育った子どもたちは日本語しかできず,また皇民化教育や差別を通じて被支配民族としてのスティグマや屈折を内面化していた。
子どもたちの朝鮮語習得と,またそうした状態からの脱却を願う在日朝鮮人のニーズが,朝鮮学校を生んだ<

韓国や朝鮮の学者が韓国内で発表した論文を日本語翻訳しているなら別ですが、在日・日本社会の仲間として受け入れられて京都大学やその他一流研究機関の研究者・・一般日本人でも京都大学等の学者といえば大成功者でしょう・・として生きている在日研究者?が、そういう意識で堂々と論文発表するのか?と驚かされます。
立場によれば「解放の日」と賞賛するのも勝手でしょうが、日本人にとっても「戦争に負けて大変ったなったけれども、結果的に良かった」という言い方があってもいいでしょうが、日本で職を得ている韓国朝鮮系学者にそういう視点で論文発表されても日本国内へ影響力は限定されるでしょう。
学問表現の自由は国家社会のためではなく「自己実現のためにある」という憲法学の主流に対する疑問の続きですが、政府=国民の税を使って行う学問というものはその社会のためになろうがなるまいが「自己実現すればいい」というものではなく、日本国内(日本社会から資金を得て)で研究発表する以上は、「より良い日本社会にする」かの視点での研究発表が欲しいものです。
日本に住んでいる以上日本社会を良くしたいと思って研究しているのでしょうが、頭から「解放記念日」と始められると読んでいる方は日本批判のための研究発表かと誤解してしまうので、その分だけでも損でしょう。
ところで、研究というものは、引用資料さえ捏造でなければどういうう立場で研究しても同じではなく、どういう立場で意見を書くかによって、都合の良い資料を収集したくなるものです。
どう言う意識で研究していても引用資料自体は正しいのでしょうが、研究者は自己意識の求めたい資料を探すし、自己意見に都合よく解釈する傾向がありますから、その反対資料への目配りも偏りがちになるでしょう。
歴史で言えば、矛盾した資料は山ほどあるので、そのうちどの資料を引用するかによって結論が違ってくるのはよく知られている通りです。
あるいは、政治家の公式発言を前後の動きから真意を読み解くのも普通に行われていますが、読み解く立場によっても政治家の発言に対する解釈が180度変わることがあります。
科学者の発明発見も、無意味に行うのではなく、「こうしたらこうなるのではないか?」というひらめきというか方向性に基づいてそれに向けて集中実験し、民俗学でも一定の方向性があって、古老から聞いて歩いたり現地調査・収集して歩くものでしょう。
ですから、学者が初めから特定の政治的立場で研究するのでは、結論に対する信用性をハナから失う点を気にすべきではないでしょうか?
いろんな立場(特に少数意見)による研究が必要ですが、逆の多数を占める日本人側からの研究が皆無ではないまでも、ほとんど表に出てこない・特定立場の集団による研究ばかりでは危うい感じです。
今春以来のアメリカの北朝鮮危機対応でも驚いたのですが、米国の北朝鮮専門家として出てくるのは、なんと朝鮮人系氏名の人が多いことに驚いていたのですが、北朝鮮を研究対象にしたい学生などアメリカにいない・・市場競争がそうさせるのでしょう。
大国の方は小国の正確な情報を知らなくともそれほど困らないので知る機会が少ない・・弱い方が大国研究に精出すのも市場原理でしょうし、大国に入り込み易い仕組みが出来上がっているようです。
これでは日本に限らず大国の方が相手の手の内を知る機会少ない・北朝鮮との国際交渉で、大国の方(片手間ですし、人材も有能な順に米国など先進国の専門家になりたがります)が毎回北(の方は有能な順に米国中国など大国順に集められます)に翻弄されてきた原因(大国のビリレベルと小国トップレベルとの交渉)もわかります。
大国では「ビリの人材」でさえも北朝鮮の専門家になりたがらない結果、北朝鮮専門家といえば北出身者任せになってしまったようです。
日本で韓国研究の専門家志望のネイテイブ日本人学生は滅多にいないでしょうから、人材も集まりません・多分在日か元韓国人がその分野の主流でしょう。
一旦学会主流を韓国系人脈が抑えると、主流に反して「中立的方向からの見直しをしたい」と言っても干されるばかりになってしまう・たぶん博士論文が通らないし、教授等への昇進の道が閉ざされるので、自己満足的議論がはびこる→ 韓国人のサロン化し国民意識から遊離していきます。
弁護士会でも、一旦政治一定方向が決まるとその方向に反対する人が出難い結果、似たような傾向が出ている批判がありますが、意見が合わないからといって就職に困らない限り弁護士志望は減りませんが、学者の道は教授を頂点とするピラミッド型支配ですから、思想的が合わないと大学院段階で干されて終わりですから「解放記念日」から始まる研究では日本人の専攻希望は皆無になっているでしょう。
逆からいえば、(日本国内に反論すべき学者がいない結果、)韓国等では韓国系学者の一方的視点による意見が、日本国内世論(サイレントマジョリティーを理解し損ねる)と思い違いして行動するので、余計サイレントマジョリテイに嫌われるリスクも起きてきます。
朝日等のマスメデイア界に食い込めば日本世論を支配できると誤解したのと同じような流れです。
本日現在のウイキペデイアの記事です

韓 東賢(はん とんひょん、한 동현、女性、1968年 – )は、在日朝鮮人の社会学者、日本映画大学准教授。比較文明学修士。専門はナショナリズムとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティの問題など。主な分野は在日外国人問題とその周辺、とくに朝鮮学校とそのコミュニティの在日朝鮮人。
経歴 東京都生まれ。朝鮮大学校卒業後、朝鮮新報での記者生活を経て、立教大学大学院文学研究科、東京大学大学院総合文化研究科に在籍したのち、現職。

ヘイトスピーチ7(外国人の政治活動1)

集会場所使用許可権を握る自治体の姿勢次第で、日本社会は相互不信社会に導いてしまうリスクがあります。
反捕鯨団体員に対する和歌山県の太地町のクジラ博物入館拒否事件を7月17日に紹介しましたが、実は自治体がこの種騒動の最前線にいるのです。
戦後ずっと、在日犯罪の場合だけ氏名を公表しないなどの過保護・・過敏すぎる配慮に対する国民不満が溜まった結果「在日特権」許すなという過激運動の培養源になったと思われますが、今度はこの法律を利用して韓国系に都合の悪い意見に対して「ヘイト」と大量攻撃さえすれば、短期間相手の主張を自動停止させられる別の特権・これを恐れて事実上中韓批判を控えるような萎縮効果→事実上特権付与されたことにならないかの疑問が生じます。
これまで以上にもっと有利な保護を与えるようになると不満がさらに蓄積されていく・こういう悪循環を阻止するには、双方自粛する理性が必要ですが、韓国または政府に関係ない民間団体名による対日攻撃の出方によって国民感情が揺れ動く面があるのは否定しきれません。
感情というのは一方だけの現象ではなく相手の挑発等に左右されることです。
相手国や相手国民間集団のどんなひどい挑発があっても、他方が感情的表現をしたら刑事処罰あるいは何らかの不利益処分というのでは片手落ちでしょう。
一般刑事事件で言えば、挑発があっても言い返すのを超えて手を出した方が犯罪者という基準ですが、「ヘイト禁止論では相手の挑発の有無にかかわらず」同程度の激しい言葉で言い返すことだけでも違反」となれば、「日本人だけ黙って我慢しろ」となって片手落ちのような気がする人が多いでしょう。
とはいうものの日本を挑発している相手方は外国政府または外国政府の別働隊の民間人であり、日本国内で仕返しされるのは日本にいる(そういう運動に関係のない)「在日外国人」であるというズレを無視できません。
外国での反日行為ならこの「ズレ」を無視した「反感を感じること自体に無理がある」というのは分かり良いのですが、日本国内で在日外国人ABC〜Nが激しい憎悪表現で排日運動やテロ行為を連続した場合に、(靖国神社では天皇の肖像写真に竹槍を突き刺してデモしている写真が出回っていましたし、沖縄基地反対運動家ではハングル表示の看板類が目立ち、外国語が飛び交っているとも言われます)「あれは在日のほんの一部であって多くの在日は親日的だ」というだけで納得する人が多数を占めるでしょうか?
もしも短期ビザで政治活動目的に来た特殊活動家による行為であって長期居住している在日に関係ない・・親世代から日本にいる本来の在日にはそんなことをしたい人はいないのでしょうが、日本人には短期ビザできて政治運動している人との区別がつきません。
特定民族出身者のテロや反日発言が続くとその集団員を色目で見たくなるのが自然の感情であり、「そんなに日本が嫌いなら出て行ってくれ」という気持ちが生じ易いでしょう。
中国の反日攻撃が激しい時期に京都嵐山付近を旅行した時に、普段観光地では、中国語程度しか見分けがつかず「中国人はうるさくて観光が台無しだ」程度の印象でしたが、その時には台湾の旗だったか掲げて台湾人であり、中国本土人ではないことをアッピールしていたので「台湾人だったのか!」といきなり親近感に切り替わった光景を思い出します。
在日にも、そういう知恵があれば双方にとって良い方向へ動くでしょうが、反日攻撃を過激化する一方で「反撃するな!ヘイト禁止しろ」という逆方向に注力すると民族和解が難しくなりそうです。
これを感情的意見と批判し集会場利用不許可・抑圧→処罰することで物事が解決するほど社会が甘くありません。
仮にもヘイトを理由に刑事処罰まで進むような制度が作られるようになると、却って国民感情が激化する事態がおきかねません。
色々考えると少数者に対して「出ていけ!」論は1線を超えた表現だから「排除目的扇動」だけ規制するのが合理的に見えますが、その場合でも相手の出方にもよります。「売り言葉に買い言葉」という場合もあるので、難しい問題であることがわかります。
そもそも表現の自由は政府成立前の基本的人権と言いますが、在日外国人が日本政治に口出す表現の自由があるのでしょうか?
自由の有無というよりは、よそから転居してきたばかりのものは、古くからの集落の重要決定に口出ししないで遠慮するのが普通の知恵です。
私の意見・・自由な発想が結果的にその国家・社会の発展に資するから、言論思想の自由市場が望ましいのであって、国家社会秩序を破壊し他国に支配されるように画策する自由があり得るかの関心です。
主権国家は自国内の政治について外国人に干渉される謂われがないので、外国人が適法に入国していても日本国内政治に介入する権利をあたえる必要がない・参政権を付与する必要がないはずです。
大げさな憲法論以前に、サークルに始まって各種組織は自治が原則で、会構成員でないものが会の運営に口出しする権利があるという意見は例外(例えば所属先の定める法令違反・・違法行為があれば権力チェックが入りますが、それは国を含めた上部機関との秩序相克です・・組織トップ関係者の違法行為に関して組織トップや関与者が処罰されたり組織業務停止などの処分を受けた場合でも会内運営自体は、善後策をどうするかを含めて自分たちで決めること)でしょう。
言論の自由は外国人にも原則付与されるとしても、国内政治に関する政治意見を主張しデモ行進などする権利を付与することが、憲法上の要請とは思えません。
とはいえ、仮に政治活動しないことが入国要件になっていないならば、政府が靖国神社や沖縄基地反対闘争などの政治運動に対して、短期滞在外国人が行なっている場合に、それを禁止抑圧する方法がありません。
この場合でも過激な反日政治活動している彼らは非居住者であり、長期居住の在日とは違うことが分かれば・関係のない人に不満が向かうのは合理的でないので、「ある程度」解決します。
反捕鯨活動家が日本に来て何か騒いでも在日豪州人一般に反感が向かわないように・・。
沖縄基地闘争でハングル文字があるということは、逆に親世代からの韓国人でないことが推測されます。
以下に書くように民主国家においては外国人の政治運動自体を取り締まる方法がない・状況下で、短期ビザで来た外国人が日本人に敏感な分野で激しい政治運動している場合には、その旨区分けして分かるようにメデイアが報道すれば、親世代から居住している在日に批判が集まることはないでしょう。
前から書いていますが、情報をきちんと出した方が却って在日のためにも良いのです。
在日団体の行動は、自己防衛に過敏過ぎる結果?長期的に自分の立場を悪くするようなことばかりしているのが、日韓双方にとって不幸です。
外国人の政治活動の自由権ですが、以下にみる通り結論から言うと憲法上の権利ではないが、公職選挙法や政治資金規正法等の具体的法令違反がない限り違法ではないが、在留更新拒否の裁量事由にはされるという灰色的身分です。
普通の人々・・個々人の生き方としても政治に関わらないのが生きる知恵ですから、よそ者がわざわざ政治の争いに首を突っ込んで政敵を作る必要がないといえば言えるでしょう。
「郷に入り手は郷に従え」と古来から言われるように地域社会にうまく溶け込む知恵・工夫が必要です。

労働分配率低下論3と外国人労働力

省力化努力・工夫努力の成果を結果的に批判することになる労働分配率低下論のメデイア上でのフィーバーは、日本社会の停滞縮小を目指す悪意によるものではないとすれば、「外国人を入れれば(個々の人件費が低くともトータルの労働分配率が上がるし省力投資を阻止できるので?)労働分配率が上がるじゃないか?」という意見に誘導する立場でしょうか?
EU諸国は省エネ努力を怠り外国人移民受け入れにより、どんどん(低賃金)労働力を取り込んだので日本にくらべてロボットや省力化投資が遅れ(労働分配率は下がらなかったでしょうが)今になってそのツケに苦しんでいます。
アメリカも伝統的に移民受け入れ=新規労働力増加政策でしたが、ついに移民規制をトランプ政権が公言するしかなくなりました。
トランプ氏の発言が過激なのでメデイアが批判していますが、労働力を引き入れる事による生産増加政策は中国の人海戦術に見習っているだけで将来性ないのですから、選別受け入れをするというならば、トランプ氏の方が正しいでしょう。
この辺の意見は、EU低迷の原因としてだいぶ前に書きました。
日本は中国の低賃金攻勢に耐えてその間必死に省エネに取り組んできたので、対中人件費格差を維持したままでも(欧米がやってきた中国に負けないように安い労働力輸入に頼らずに)いろんなロボット産業が発達しこの種機械の輸出によって、巨大な国際収支黒字が続き今の豊かな生活があるのです。
「外国人を入れろ」という議論の支持者は、企業の省力化努力・投資を敵視し(日本の国際競争力低下を狙う国のために主張でもしているかのような印象を受ける人が多いですが・・・)人件費・労働分配率アップを狙う意見は外国人労働力受けれ勢力の応援でもあるでしょうか?
メデイアで「労働分配率が下がっている」→上げろというイメージ報道があると、それとなく給与が下がっているかのようなイメージが定着し、給与アップ要求のようなイメージなので大衆受けしますが、労働分配率アップ論の目指す結果は逆です。
外国人労働力移入論で安い労働力・・日本人並み給与支払いが要求されることによって、表向き安い人件費ではないようですが、結果的に不足分の人数を投入することによって人件費単価アップを抑制する主張になります。
繰り返しですが、労働分配率論アップ論は人件費単価引き上げ論でないことに注意する必要があります。
労働分配率論は、収益に対するトータル人件費率論ですから.設備投資が増えれば収益やコストに占める人件費率=労働分配率が下がります。
設備投資の中でも省力化投資をして人手を増やさずに少しくらい人件費単価を上げても、総コスト・収益構造に占める人件費率低下・労働分配率の低下が大きくなります。
労働分配率を上げるには、低賃金でも労働者の数を増やして省力化投資比率を減らせば労働分配率が上がることに気をつける必要があります。
近代産業革命以降のトレンドは設備投資を増やして人件費率〜労働分配率を下げていき、その結果一人当たり所得を上げる事による個々人の生活水準を引き上げるというものです。
中国のように人口だけ増やして総生産量を増やしても個人は貧しいままです。
その中国でさえチャイナプラスワンの動きに驚いて、産業効率アップの必要性に迫られて日本のロボット産業は引き合いが多く活況を呈している原因ですし、ここ数年の中国の対日擦り寄り再開の基礎構造です。
この点で12月15日のコラムで紹介した労働分配率に対する以下の考え方には疑問を持っています。
「労働分配率とは、「付加価値額」に占める「人件費」を知ることです。これによって、会社に占める適正な人件費を知ることができます。」
上記によると先験的に不動の適正分配率があるかのような解説ですが、省力化投資オートメ化進展にともない収益・コストにしめる人件費率・労働分配率がどんどん下がっていくべき変動値である点を誤解?しているように思いながら、(私の方が素人ですので私の誤解によるのか?)引用しておいたものです。
私の意見は、生産力やサービスをアップしても省力化投資で労働者を少ししか増やさなくとも済む社会にして、その代わり高度な機械操作のできる人材の人件費「単価」をあげる(結果的に労働分配率は下がります)のが合理的という意見です。
中国並みの低賃金でなくとも国際競争できるようにするべきです。
従来システムだと100人の作業量が120人分に増えても省力化投資によって100人で間に合わせる代わりに高度対応できる100人の人件費をアップする政策が必要です。
そのためには、高度な設備を活用できるための労働者の質引き上げ(コンビニ店員の例で書きましたが)マルチ人間化・教育投資が必須です。
選挙目前から選挙中に「労働分配率が低くなっている」とメデイアでフィーバーした挙句に選挙が終わるとメデイアで全く取り上げなくなってしまったのが不思議ですが、政治的にうがった見方をすれば、「好景気というが、国民の実感がない」という根拠のない常套文句裏付けのイメージ強調に目立つフレーズだったからこの種議論が、メデイアのテーマに浮上してきたのではないでしょうか?
選挙期間直前から選挙中だけ尤もらしく騒いでおいて、「景気がいいと言っても労働者に恩恵がない」のかというイメージだけ国民に刷り込めばいいという戦略だったように見えます。
労働分配率は労働単価ではなく総人件費の収益に対する比率のことであるから労働総人口と設備投資額に関係するので、すぐに反論を受けるのがわかっているが、反論が出る頃には選挙が終わっているのでメデイアが反論を取り上げないでそのままそんな議論がなかったことにしてしまう・・・そのうち選挙さえ終わればそんな議論があったことは忘れてしまうだろうという思惑・・一定勢力応援戦略だった可能性があります。
選挙直前から選挙中怪文書が出回ることが数十年前には流行りましたが、怪文書がデマだったとわかった頃には選挙が終わり、落ちた方は切歯扼腕して終わりという構図でした。
怪文書ほど露骨でないのでわかりにくい・巧妙ですが、政権支持率をやけに低くしてみたり(ニコ動の支持率調査だけが選挙結果にほぼピタリあっていたことをNovember 5, 2017, に書きました)一定方向への誘導が顕著でした・・いろんな方法で公的メデイアが選挙を一定方向へ誘導するための方法)を駆使して選挙運動をしていた疑いがあります。
私もこのコラムを書いていて「選挙の頃にそんな報道があったなあ?」という程度の記憶で(数ヶ月前の新聞であれば廃棄しているのでそこから掘り出す・.図書館にいって探すのは大変な労力ですが・・)念のために検索してやっと思い出した程度です。
15日に紹介したhttp://www.toushin-1.jp/articles/-/4126によると第1回が9月12日と書いていますから、まさに総選挙・・解散日程直前の頃にメデイアでフィーバーしていたことが分かります。
それが選挙が終わった今ではまるで出てない・・変なカラクリです。
ネットの発達でマスメデイアが取り上げなくともネットでの反論や解説発表時点での記録が残るので、マスメデイアの言いっ放しの洗脳作戦の結果が残ります。
ちなみに選挙が終わって約2ヶ月経過の12月15日の日経朝刊9pの「21世紀の生産性を測る」というオピニオンには、いつの調査か書いていませんが、「中の上」と「中の中」意識が増えて「中の下」、「下」の意識が減っていることが主張されています。
町中を歩るくと若者の多くが好景気を謳歌している様子が見えますが、これが実態だったでしょう。
このように意識調査の報道は基礎データを誰もが簡単に見られないので、根拠不明の報道可能です。

民族の正義→外国人の政治活動2

日本人が外国の思想や商慣習等を紹介して民族意識の変革を試みるのは、国家発展に必要なことであり当然許された行為ですが、民族の共通価値観を外国人が自国主張に従わせるために、他国の国論を変えて行こうとしてそのクニで政治運動をするのは邪道でしょう。
まして日中韓で厳しく対立している南京虐殺や安婦問題等で中韓の主張を後押しするためのデモを日本でするのは論外です。
在日中国人が反日デモ行動した事実は、彼らが更新許可申請したとき、あるいは再入国許可申請したときには日本政府は国際ルールである相互主義も勘案して、(中国は政府基本方針に反する政治活動の自由を自国民にすら認めていないし、ましてや日本人に認めていません)裁量権の範囲内として毅然とした態度を示すべきでしょう。
中国人のデモ参加者は在留許可更新拒否を恐れて?ほぼ全員がマスク等で顔を覆って・・デモを始めると横断幕をぐるっとデモ隊の周囲に掲げて参加者の顔が道路から見えないように終始覆って参加していました。
彼らは日本人が気に入らないことを自覚してやっている・・嫌がらせのためにデモしていたのでしょうか。
相手に悪感情を抱いていても相手に知られないようにするのが普通・だから陰口で本音が漏れるのですが、韓国や中国は日本に嫌われるため明からさまな行動をする変なクニです。
昨日紹介した憲法学者の論文の内「入国の自由」に対する主権国家論については、トランプ氏の入国禁止令の根拠にもなっている点は、2月4日に紹介しました。
アメリカの入国禁止令に関する訴訟関係(・・請求側の主張自体が全く報道されないこともあって)の報道が散発的でよく分らないままでしたが、日々実態が明らかになって来ています。
2月11日日経朝刊報道によると、高裁の決定?では差し止めの可否に関する判断だけであって大統領令が違憲か否かがテーマになっていないような解説です。
入国禁止によってどう言う被害が出ているか・緊急差し止めが必要かどうかの攻防であったと言うのですが、企業がどれだけ困っているか・・政治効果の是非そのものを司法が最終決定出来るのでは三権分立の原理に反している可能性があります。
トランプ氏の「司法が政治的過ぎる」との批判が、三権分立の原理を無視した行き過ぎで非常識と言うのがマスコミの大きな報道姿勢ですが、現在の司法審査が政治が決めるべき分野を審査しているとすれば、トランプ氏主張の方が合理的印象をうけます。
ただ、昨日紹介したマクリーン判決の応用として入国禁止判断裁量権が行政府にあるとしても、判断材料となった政治活動をしたか否かの事実認定は司法審査の対象ですから、この法理を当てはめるとトランプ政権が緊急に入国禁止しなければならないと判断した前提事実・・その前提たるテロ発生リスクがあるとする判断資料の有無等の事実認定は司法審査の対象です。
我が国でも司法が政治に口出し過ぎていると言う批判がありますので、原発稼働停止に関する大津地裁の仮処分に関連して16年11月12日の「司法権の限界16・謙抑性4(民主主義の基礎1)まで書いていたところですが・・具体的審査次第・・立証責任に即してどうだったのかの検証・・私なりの解釈に入りかけて横道にそれていますので、近日中にこの続きとして割り込ませる予定です。
ただし、日本の場合大統領令のような制度がなく、行政権が法を変えられないので法の適用の有効性がテーマですからこの種議論が妥当しますが、アメリカの場合後から出来た大統領令が既存法に優先するとした場合、憲法に外国人の入国自由を書いていないとすれば、既存法の解釈で入国禁止の必要性を審査出来ない筈です。
報道による限り一般的な裁量の違法適法の判断を争っているように見えるので、もしかしたらアメリカ合衆国憲法に外国人にも入国の自由権みたいな規定があって例外的に国防上その他の自由があるときだけ制限出来ると言う憲法上の権利があるのかも知れません。
あるいは大統領令が法と同等の効力がある(ウイキペデイア解説なので正確性が不明)としても、一種の戒厳令みたいな緊急事態に備えてそう言う権能が認められているだけとすれば、緊急性がなければ無効と言う解釈もあり得ます。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakaokanozomu/20170210-00067544/トランプの研究(6):控訴裁判所での大統領令を巡る訴訟でトランプ大統領敗北、トランプ政権に大きな打撃
によると高裁の仕組みなど詳しく紹介されています。
また口頭弁論のやり取りの要約?の外「判決全文」として紹介されていますが、憲法のどの条項に反するか、大統領令の法的値位置づけなど法律家として関心のある点が漏れていますから「全文」ではないように見えます。
ただし、大統領令は仮に憲法で禁止している宗教差別に当たるかどうか、その有無認定のために・7カ国出身者のテロ行為が過去にあったのかなどがテーマになったとすれば、審査対象にした(政治判断分野ではない)合理性がありそうです。
憲法による外国人の入国権があるのか、緊急事態外には大統領令の効力がないのか等はっきりしないままですが、緊急性があれば憲法で許される範囲あるいは緊急事態がないと入国制限が出来ないことになりますので、その前提で念のため現在(報道による限り)行なわれているらしい訴訟の争点・・裁量の許される範囲の議論を書いておきます。
新たな入国基準策定までの臨時処置として6ヶ月間入国禁止すると言う大統領令の有効性判断には、7カ国の人に対して従来どおりの入国基準による入国を禁止しないとテロ発生リスクが高い・・差し迫った危険があると言う・・ある程度の証明が必要になります。
このリスク発生率が低いと禁止による損害とのバランス次第で行政権に認められた裁量を逸脱していることになります。
大きな被害防止のためにより小さな被害発生を我慢する・・ワクチン接種や崖崩れの危険があるときの規制など)のが物事の原則(比例の原則)です。
大きな被害発生の可能性が高い場合に、警察が緊急通行止めをするのは(迂回しなければならない損害があっても)合理的ですし、裁量の逸脱となりませんが、何ら危険もないのに(警察のスケート大会などに利用したいために?)何かしたいために通行止めにしたとすれば、裁量権の乱用です。
公的目的であっても、必要性の程度に応じて通行止めが裁量の乱用かどうかが決って来ます。
今回は入国禁止するほどの必要性があったかどうかです。
指紋押捺を求める程度の厳重化程度だとこれによる弊害は少ないでしょうから弊害よりはそれによる実効性がどう代わるのかが論点でしょうが、特定国人全面入国禁止→宗教差別・弊害がすぐに分るので、余程リスク発生率の高さを証明しない限り、禁止令維持は苦しくなります。
上記のように順に争点整理・・分析して行くと、政府側に直ちに入国禁止しなければならないような緊急性・リスクの証明力が薄い場合には、緊急事態実行による損害の大きさが重要になって来る・・「悪影響の大きさに比べて・」そんなことまでする必要があるの?と言う意味で入国禁止の影響の大きさが重要な争点になって来たことになります。
本来の争点は危険発生可能性だったのですが、これの証明度が低いために禁止による兵弊害がどのくらいあるかが次の争点になって来たとすれば、政治問題を司法が論じていることにはなりません。
そうとすれば、政治的過ぎと言うトランプ氏の批判は、逆に司法権への介入批判となるのでしょう。
日本では政府に不利な判決が出ても、司法の判断を尊重すると繰り返すのは判決内容の分析によって意味が違って来るリスクがあるので、政治家は発言に慎重です。
南京事件に関する中国人デモに戻します。
日本人の場合でも南京事件に関する認識がホテルオーナーと違うならば、自分も相応の表現活動すれば良いことで、大勢で押し掛けて相手を黙らせるような示威運動をするのは表現の自由に反するルール違反ですし、まして中国人が自国政府主張を通すためによその国に来て政治運動するのは礼儀にも反しています。
留学生や研修生等が留学先の政治に反対して政治運動するのは、他社へ研修目的で派遣された社員が研修見習い先の企業運営に反対運動するようなものです。
間違っていると思うならばそんな研修を受けるために来なければ良いことです。
日本批判するためのデモをするような人を、政府補助金で留学させているとすれば、おかしなものです。
大分前に書きましたが、北京五輪時に長野で、反チベットデモのため中国人が5000人規模でバスで集まって傍若無人に振る舞った報道を見て驚きましたが、今回はユーチューブの映像を見るとさすがに日本で嫌中韓意識が高まっている中ですので、遠慮ガチと言うかコソコソとした伏し目がちのデモでした。
中国政府の強制で、断り切れない立場の人だけが集められたのでしょうが、可哀相な雰囲気でした。
ただし、可哀相とばかり言ってられない・・やってしまったことに対しては相応のマイナス報酬・・在留許可更新不許可や再入国拒否などの影響を受けるべきでしょう。
そうしないとドンドン反日デモ・反日運動するために中国政府の意を受けて入国して来る外国人が日本ではびこってしまいます。
正義の行なわれているクニかどうかに戻ります。
フィリッピンのドウテルテ大統領就任後「犯罪者を容赦なく射殺しろ」と言う政治実行で国際人権運動家を刺激していましたが,犯罪者がゴロゴロいる社会では、犯罪者の人権と被害者とどちらが大切かと言う限界状況で判断すべきです。
一種の社会的正当防衛状況では、人権保障手続きでは間に合わないから、「話し合いより実力行使あるのみ」と言うのも一理あります。
殺されても後で裁判してやるから安心しろと言われても困るので、自己防衛しかなくなります・・これがアメリカで銃規制出来ない理由です。
大分前に死刑廃止のクニでは、現場射殺が多いと書いたことがあります。

民族の正義=共同体意識→外国人の政治活動1

権力と言うのは目に見える範囲で威令が行き届けば良いのではない・・大統領の目に見えるところや大通りだけでなく,中くらいの通りや路地裏まで行き渡らないと安定権力とは言えません。
法・権力の信頼喪失は、即ち共同体帰属意識の喪失へ繋がり・・自己中心主義・・見つからなければ悪いことをしても良い気風・強い者勝ちになり・社会が混乱して行きます。
正義とは何か?と言えば、長年の民族経験で積み重ねて来た共同体維持ルールですから,正義の乱れる社会で共同体が良くなる筈がありません。
犯罪の多い社会・正義が乱れているアメリカは共同体意識が乱れているか、未成立・不十分社会と言うべきです。
日本のように共同体意識の堅固な社会では物理的権力空白時と言うべき敗戦直後でも治安が殆ど乱れませんでしたし、3、11大震災でも世界が驚いたように犯罪より助け合う方に向かいます。
敗戦直後の権力空白時にも、負けてしまったので助け合って挽回するしかないと言うのが普通の意識で、違法行為を働いたのが、共同体意識の薄い朝鮮人中心だったことがこれを示しています。
民族の窮迫時に朝鮮人が共同体敵視の行為を働いたトラウマが、未だに日本人に残っている・・これコソを朝鮮人が歴史教訓にすべきことです。
韓国人に対する日本人のトラウマと同様に、中国人もおかしな人たちです。
現在南京事件に対する日本側の反論書物をアパホテルにおいていることを中国政府が問題視したことが切っ掛けで?例によって中国政府主導らしい、在日中国人によるアパホテルに対する威嚇デモが企画された報道が出ています。
横断幕などを見るとさすがに南京事件を理由にする対日攻撃はありませんでしたが、南京事件否定の書籍をホテルにおいていることが(思想統制している中国ではあるまいし)自由な日本で何故行けないのか?
ソモソモ日本に来てまで反対運動される筋合いがない・・日本人としては不愉快に思う人の方が多いからでしょうから、表向きの横断幕を見ると「中日友好」「日本が好き」と言うようなのが目立ちました。
中日友好のために南京虐殺事件を批判的に紹介するアパホテルに対する業務妨害的デモを企画するのか不明です・・「中日友好」のためには中国政府が大々的宣伝している「南京大虐殺」の主張をそのまま認めるべきと言う一方的立場をデモの実施で示そうとしているように見えます。
中国は、自分は言論規制や各種規制で自由な経済政治行動を許さないままで、相手国には民主主義・自由主義国だから、何でも許されると言う論理で押し通す自分勝手な自由主義(ダンピング輸出など)を謳歌しています。
これをトランプ氏が激しく批判しているのです。
相互主義が国際ルールの基本ですが、黙っているといくらでも図々しく圧して来る国相手には、譲っても仕方ない・・国際ルールを厳しく適用すべきだと思う人が増えているのではないでしょうか?
反日の意図が見え透ぎ過ぎていて、日本人に不快感を与えるのが明らかなデモを中国や韓国の人が日本に来てワザワザやる感覚が日本人には理解不能です。
1昨年ころには終戦記念日には韓国人が来て靖国神社周辺で天皇陛下の顔写真か似顔絵だったかに竹槍を突き刺した形のデモ行進をしていましたが、彼らは日本人・社会に何を訴えてたくて来ているのか不思議な印象を持ちました。
マスコミが彼らを応援するために?報道するのを楽しみにしているかも知れませんが、デモって元々自己主張支持者を増やすためのアッピールとすれば日本人の反感を広げるためのデモって意味不明です。
昨年靖国神社に爆発物を仕掛けていた韓国人が再入国しようとして検挙されましたが、爆発させれば日本国民の支持が広がると思っていたとは思えません。
日本の支持を広げる目的ではなく、本国向けパフォーマンスと見るべきでしょう。
そう言う目で見ればここ10年前後が激しくなっていた外国人のデモは了解可能です。
シバキ隊と言う名称の慰安婦問題応援団のようなマスコミ別働隊デモをマスコミが報道していましたが、ソモソモ日本で何のためにデモしているのか不明のために誰も支持しない結果、最近は自然消滅状態です。
最近では沖縄に転進?していることが知られるようになりましたが、長距離進出するコスト・・彼らの出動資金をどこが出していたのかがニュース女子などで話題になって来て東京新聞などは・・社説でその種報道を否定するなど火消しに必死の様子です。
在日外国人も多様な意見があっても良いですが、中国政府主張に反する日本人の個人主張を圧迫するために政治運動するのは入管法の精神に反するものです。
いわゆるマクリーン判決をウイキペデイアで見ると如何にも政治活動の自由が保障されたかのような紹介ですが、(虚偽紹介と批判されない程度のすれすれ?と言う感じです)少し長くなりますが、判決要旨を最高裁自体のデータを引用してありのまま紹介しておきます。
外国人の政治活動の自由と在留許可更新に際しての裁量の範囲に関する最高裁判例要旨は以下のとおりです。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=53255
昭和50(行ツ)120 事件名 在留期間更新不許可処分取消
裁判年月日 昭和53年10月4日法廷名  最高裁判所大法廷
一 外国人は、憲法上、わが国に在留する権利ないし引き続き在留することを要求しうる権利を保障されていない。
二 出入国管理令二一条三項に基づく在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由の有無の判断は「法務大臣の裁量に任されているものであり、上陸拒否事由又は退去強制事由に準ずる事由に該当しない限り更新を不許可にすることが許されないものではない。
三 裁判所は、出入国管理令二一条三項に基づく法務大臣の在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由の有無の判断についてそれが違法となるかどうかを審査するにあたつては、右判断が法務大臣の裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうかについて審理し、それが認められる場合に限り、右判断が裁量権の範囲を超え又はその濫用があつたものとして違法であるとすることができる。
四 政治活動の自由に関する憲法の保障は、わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても及ぶ。
五 外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、在留の許否を決する国の裁量を拘束するまでの保障すなわち、在留期間中の憲法の基本的人権の保障を受ける行為を在留期間の更新の際に消極的な事情として斟酌されないことまでの保障を含むものではない。
六 上告人の本件活動は、外国人の在留期間中の政治活動として直ちに憲法の保障が及ばないものであるとはいえないが、そのなかにわが国の出入国管理政策に対する非難行動あるいはわが国の基本的な外交政策を非難し日米間の友好関係に影響を及ぼすおそれがないとはいえないものが含まれており、法務大臣が右活動を斟酌して在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるものとはいえないと判断したとしても、裁量権の範囲を超え又はその濫用があつたものということはできない。 」
要約すると政治活動の自由はあるが、在留更新では法務大臣に裁量権があり、政治活動をしたかどうかを裁量事実に含めても構わないと言うことです。
裁量前提事実の事実誤認の有無は司法審査の対象になるものの、外交の基本政策に対する非難行為を裁量の対象に含めることが許されると書いています。
ウイキペデイアに引用されている文献紹介を引用しておきましょう。
「この判示を導き出したのは、在留更新の許否に関する法務大臣の裁量権は広範であり、司法審査の範囲は限定される。その論拠となったのは、国際慣習法上、外国人の入国の自由は保障されず、日本国憲法もその立場をとっている。
^ 参政権的機能を果たす政治活動の自由については、国民の場合と異なる特別の制約が許されると解する(通説・判例 芦部信喜『憲法学Ⅱ』[1994]151-153頁、本判決の立場)。」

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