継続契約保障と社会変化2(借地借家法立法2)

昨日紹介した法改正の議論の結果、平成3年に成立したのが現行借地借家法で、この新法により定期借地や定期借家制度が創設され、さらに定期契約でない場合でも更新拒絶ができるように「正当事由」の条文内容を類型的具体化して使い安く変更されました。

借地借家法(平成3・10・4・法律 90号)
第1章 総 則(第1条-第2条)
第2章 借 地
第1節 借地権の存続期間等(第3条-第9条)
第2節 借地権の効力(第10条-第16条)
第3節 借地条件の変更等(第17条-第21条)
第4節 定期借地権等(第22条-第25条)
第3章 借 家
第1節 建物賃貸借契約の更新等(第26条-第30条)
第2節 建物賃貸借の効力(第31条-第37条)
第3節 定期建物賃貸借等(第38条-第40条)
第4章 借地条件の変更等の裁判手続(第41条-第60条)

(趣旨)
第1条 この法律は、建物の所有を目的とする地上権及び土地の賃借権の存続期間、効力等並びに建物の賃貸借の契約の更新、効力等に関し特別の定めをするとともに、借地条件の変更等の裁判手続に関し必要な事項を定めるものとする。
(借地契約の更新拒絶の要件)
第6条 前条の異議は、借地権設定者及び借地権者(転借地権者を含む。以下この条において同じ。)が土地の使用を必要とする事情のほか、借地に関する従前の経過及び土地の利用状況並びに借地権設定者が土地の明渡しの条件として又は土地の明渡しと引換えに借地権者に対して財産上の給付をする旨の申出をした場合におけるその申出を考慮して、正当の事由があると認められる場合でなければ、述べることができない。

附 則 抄
第四条 この法律の規定は、この附則に特別の定めがある場合を除き、この法律の施行前に生じた事項にも適用する。ただし、附則第二条の規定による廃止前の建物保護に関する法律、借地法及び借家法の規定により生じた効力を妨げない。
(借地上の建物の朽廃に関する経過措置)
第五条 この法律の施行前に設定された借地権について、その借地権の目的である土地の上の建物の朽廃による消滅に関しては、なお従前の例による。
(借地契約の更新に関する経過措置)
第六条 この法律の施行前に設定された借地権に係る契約の更新に関しては、なお従前の例による。
(建物の再築による借地権の期間の延長に関する経過措置)
第七条 この法律の施行前に設定された借地権について、その借地権の目的である土地の上の建物の滅失後の建物の築造による借地権の期間の延長に関しては、なお、従前の例による。

平成3年の借地借家法との比較のために旧借家法(わかりやすくするために「旧と書きましたが、実は以下に書く通り現行の借地権の大方は、この法律の規制を受けますので、実務家では廃止された借地法と借家法が日常的アイテムになっています)を紹介します。
そこで、借地法(大正十年法律第四十九号)を紹介したいのですが今のところ、ネット情報では現行法中心で改正前の法令情報が極めて少ないので、ネット検索では借家法しか出てきませんが、更新拒絶要件関連の基本は同じですので、借家法の引用だけしておきます。

大正十年四月八日法律第五十号
〔賃貸借の更新拒絶又は解約申入の制限〕
第一条ノ二
建物ノ賃貸人ハ自ラ使用スルコトヲ必要トスル場合其ノ他正当ノ事由アル場合ニ非サレハ賃貸借ノ更新ヲ拒ミ又ハ解約ノ申入ヲ為スコトヲ得ス

昨日紹介した大阪市立大学法学部生熊長幸氏の論文のとおり、借地借家法制定立案時に定期借地、定期建物賃貸借制度創設の他に一般(従来型)の借地借家契約でも、更新拒絶自由の合理化を図ったのですが、いわゆる現状維持派・反対勢力の主張が強くて法制定作業が進まないので結果的に当時すでに判例で認められている正当事由を法文化する程度で収まりました。
反対派の動きが強くて借地借家法の制定作業が進まないので催促するかのように、新判例の動きが出てきたとも言われます。
結果的にこの判例を条文化する程度までは仕方がないか!という妥協ができて国会通過になったようです。
最高裁のデータからです。
最判の時期は法制定後の平成6年ですが、高裁事件受理は昭和63年(ということは1審受理はその1〜2年前)で最高裁受理は平成2年の事件ですから、借地借家法制定準備・・審議会等での議論と判例の動きが並行していたことがわかります。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=52466

平成2(オ)326事件名 建物収去土地明渡等
裁判年月日 平成6年10月25日
法廷名 最高裁判所第三小法廷裁判種別 判決
結果 棄却
判例集等巻・号・頁  民集 第48巻7号1303頁
原審裁判所名東京高等裁判所原審事件番号 昭和63(ネ)3286
原審裁判年月日 平成元年11月30日
判示事項
借地法四条一項所定の正当事由を補完する立退料等の提供ないし増額の申出の時期
裁判要旨
借地法四条一項所定の正当事由を補完する立退料等金員の提供ないしその増額の申出は事実審の口頭弁論終結時までにされたものについては、原則としてこれを考慮することができる。
参照法条   借地法4条1項,借地法6条2項

判例さえあればいいのか?となるとそこは大違いです。
上記判例があっても、「相応の立退き料を払うので出てもらって跡地にマンションを建てたい、デパート用地に売りたい、工場用地に売りたい」と言う理由では(上記旧法の自己使用その他必要条件にあたらないので)長期裁判を經ないと(上記の通り1審判決から最判まで膨大な時間がかかっています)どうにもならない・・判決時期等が不確定過ぎて計画的進行を重んじる企業用地としては手を出しにくくなります。

継続契約保障と社会変化1(借地借家法立法1)

今になれば夢のような昔のことになりましたが、私は昭和30年代に高校〜大学と池袋東口に住んでいましたが、(生まれたのは戦時中でしたので戸籍謄本では「東京都」ではなく「東京市」豊島区池袋〇〇で出生となっています)昭和35〜6年頃に木造の豊島区役所が4階建てのビルになったのが地元に住む高校生としては誇りに思っていたものでした。
そのころに池袋付近にあったビルと言えるのは、西武、三越、丸物(その後パルコに)百貨店、西口の3階建ての東横(その後東武デパート)百貨店くらいでその他集積していた映画館も皆木造の時代でした。
その後急激にマンションやオフイスビルが建つようになり、いつの間にか巣鴨の拘置所がなくなり、跡地にサンシャン60ができるなど東京中がビル化のラッシュになりました。
余談ですが3年ほど前にサンシャイン60に用があって行ったついでにサンシャイン60の展望台に登り、見渡すとその自慢の区役所の老朽化手狭のせいか?新庁舎が雑司が谷のあたり(上から見たので地名はわかりません)に新築中で移転予定だったのに気付いて(高校時代の記憶がいきなり蘇って)まだあったのか?と驚きました。
区役所は明治通りからちょっと入ったところにあったので、池袋に住まなくなってから池袋に行っても路地の奥まで用がないから行ったことがなかったのです。
このブログを書くために念のために豊島区役所旧庁舎の写真をネットで見ると昭和30年代に出来たばかりの頃に目に焼き付いている建物の写真が出ていました。
上記の通りで、昭和30年代末ころにはまだ木造家屋中心であった都内の繁華街・・渋谷、新宿、池袋周辺では中高層ビル化が始まり、古い建物のトリ壊しが必要な時代が来ました。
都市の大変革が始まると、長期契約の代表例であり都市再開発のインフラである借地法、借家法分野での改正議論が昭和60年から公式に始まりました。
借地・借家法分野の改正機運が起きて、平成の初めになってようやく定期借地権などの契約が公認される新法が成立しました。
借地法&借家法分野での改正議論の経緯については、現在の最高裁長官が中堅判事のころに書いた論文が見つかりましたので以下紹介します。
借地借家法の制定経緯を以下の引用により紹介します。
http://seitojiyu.com/wp-content/uploads/2015/10/acade166cdf0cadbfc1e4f0aa7a55f8a.pdf

借家法の運用と実務判例タイムスNo.785 (I992 7 20)
新「借地借家法」の概要 寺田逸郎
・・・・その後は、今日に至るまで借地・借家法の改正はなく、基本的には、存続保障として、昭和一六年改正による正当事由がなければ契約は更新されていく」という枠組みが維持されている
2 借地・借家法制の見直し
我が国の経済は、今日までに戦前とは比べものにならない進展をとげ、これに応じて社会も著しく複雑化した。それに伴って、不動産の利用形態、特に土地の利用形態が多様化してきている。このような変化を前にして、現行の借地・借家法が当事者聞の
利益の調務のために適当であるとしてとっている方策と現実の要請との聞にずれが生じてきている面があるのでないか・・・中略・・なお、昭和五0年代後半からは、土地の供給促進の観点から法制度としての借地・借家法の見直しが主張されてきた・・
全面的な見直しをはかることは、難しい情勢にあった。
しかし、高度成長期を経て経済規模が拡大し、都市化がすすむと、借地・借家法が画一的な規制をしていることによる弊害が一層明らかになってくるようになった。
戦前・戦後の住宅難の時代には重要な役割を果たしたと評価されているが、その後は、むしろ現状維持に働きすぎ、社会・経済情勢の変化に対応せず、硬直的になっているとの批判もみられるようになっているのである。このことは、このことは、特に借地において顕著で、借地権の新たな利用は、目にみえて減少していることが、ひとつの裏書きとなっている・・・・・以下略。
法改正に至る経過
法制審議会の民法部会(加藤一郎部会長)は、以上のような問題意識から、昭和六O年一O月に現行法制についての見直しを開始する決定をした。具体的な・・・・・以下略

上記によれば私が抱いている関心の通り・・・継続関係の保護→現状維持政策では社会変化に適応出来なくなると言う私の意見同様の立法経過であったことが分かります。
いわゆる日支事変以降(軍需産業拡大に伴う人口の都市集中により)空前の住宅不足が生じ賃料高騰したことから、家主が期間満了を理由におい出すような事態が頻発した実情を受けて昭和16年改正で正当事由がない限り契約満了しても更新拒絶できないという法改正ができています。
この辺の経緯については、昭和16年2月3日の貴族院での議事録を読むと(急激な都市集中により6畳一間に8人が交代で寝起きするなどのすさまじい)当時の社会実態が如実に出ています。
借地借家で借主借地人保護の運用が支持されたのは、戦時中〜戦後焼け野が原で始まり住む家が絶対的に不足している時代を背景にすれば借家を追いだされれば野宿するしかない状態であれば「余程のことがない限り、家主の都合で追い出されない」という運用も合理的だったでしょう。
しかし昭和50年頃から住宅事情が緩和されて空き家が目立つようになって来たし、日本の国力復活に合わせて都市再改造が必須になってきたのですが、借地人等への過保護?が都市改造や新規工場立地などに支障を支障をきたすようになってきました。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/uhs1993/1993/4/1993_30/_pdfによると、以下の通りのせめぎ合いがあったことわかります。

借地借家法改正と土地の有効利用―賃貸住宅政策における意義ついて―大阪市立大
学法学部生熊長幸
2 借地借家法制定の経緯と概観
・・・・市街地再開発のあり方の問題およびそれに関係する業界の利害と深く結びついていた点にあった(水本浩「都市再開発と借地・借家法ジュリスト851号13頁)。1985年7月に公表された臨時行政改革推進審議会の「行政改革の推進方策に関する答申」は、新規借地・借家の供給促進とともに、都市再開発のための既存借地・借家契約の解消も企図したものであった。
・・・・問題は、正当事由の内容において旧法と新法とで実質的変化が見られるかである。
・・・中曾根内閣の公的規制緩和・民間活力導入路線のもとで、「借地・借家法改正に関する点」は、「土地の有効利用の必要性及び相当性」を正当事由の要素とすべきかを問うた。
これに対しては、民間ディベロッパーや不動産業界の意に沿うものであり、私人間の権利関係の調整を図るべき借地借家法の範囲を超えることになるといった批判が強かった。
中曾根内閣の公的規制緩和・民間活力導入路線のもとで、「借地・借家法改正に関する問題点は、「土地の有効利用の必要性及び相当性」を正当事由の要素とすべきかを問うた。
これに対しては、民間ディベロッパーや不動産業界の意に沿うものであり、私人間の権利関係の調整を図るべき借地借家法の範囲を超えることになるといった批判が強かった。
・・・・このような経緯を経て、新法6条が成立した。
・・・・(2)国会審議において繰り返し強調されたように、借地借家法6条の正当事由の内容は従来の判例を整理して法文化したにすぎないのであって、従来の正当事由の内容と変わらない。
・・・・(4)補完的要素は、限定的に列挙されているのであり、これ以外の「土地の効利用」、「市街地再開発の要請」などは、補完的要素に入らない(広中編・注釈借地借家法§61皿〔内田〕)。もっとも、立案担当者は、これらも「土地の利用状況」背景になる事情として考慮されるとされる。
(5)本条は、新法施行前に設定された借地権の契約更新に関しては適用されない(付則6条)。

政治の世界では社会党が、理論面では主に日弁連が反対意見の論陣を張っていたように記憶しますが、今になるとネットで意見書などが発見できないので、事実はよく分かりません。
以上の結果、正当事由に関しては新法制定前の契約に適用がないばかりか、新法制定後の契約でも実質的改正をしない方向で決着がついたとされています。

異次元緩和の先例・・金兌換の停止→紙幣の変化

もともと政治というものは、過去の踏襲だけでは社会変化に対応できないので、新たな方法を切り開いてこそ成功するものです。
日本では保守主義とは伝統を大事にしながら時代に即応して修正していく政党やその支持者のことであり、革新とか進歩主義者とは過去の理論にこだわり、現実即応を敵視・軽視する政党支持者のことであると書いてきました。
数百年続く老舗企業は概ね上記保守思想によって柔軟経営をしてきた企業です。
アメリカのGEが代表的ですが、祖業でさえ果敢に入れ替えていく方式が知られています・・これこそが企業を守る=保守の本領発揮というべきでしょう。
戦前の大恐慌に際して金交換停止したのは、既存の枠を乗り越える勇気ある行動の一つです。
昨日紹介した通り、アメリカFRBもリーマンショック後の金融市場の下支え・需要喚起策に取り組んだし、EUのECBもリーマンショックに遅れて顕在化した欧州危機の打開策として、伝統的な金利下げにとどまらず債権や株式の相場下支え目的で「異次元」量的緩和をして市場介入して来た点は同じです。
「大機小機」が異次元緩和の副作用を批判したいならば、リーマンショック後約10年もの実験期間を経ているのですから、この間の異次元緩和・市場介入が具体的にどのような悪い結果を引き起こしたかの具体的議論をすべきでしょう。
伝統理論に合わないことに対する反感から?「国内実体経済を反映していない」という結論だけを書いて、公的資金投入批判論に移行して行くのでは、「社会変化は何事でも良くない」という感情論と区別がつきにくくなります。
伝統的価値.慣行にはこれを裏付ける(キリスト教神学のような)確固とした理論があり、インテリ・専門家はせっかく習得した自己の優越的地位を守るために伝統解釈に反する行為に反感をいだきがちです。
私は、中国の政府による市場介入に関してMay 19, 2017「社会保障や国債と世代間損得論3」のコラムで先進国の異次元緩和とどこが違うかという疑問を呈して置いたことがあるのは、中国贔屓で書いているのではなく、同様の疑問によります。
「大機小機」が批判するならば、現在公的資金が市場にどのよう悪影響を及ぼしているかを具体的に論じれば分かり良いでしょうが、株式相場が「国内」実体経済と乖離している」ことに結びつけるから、ややこしくなるように思います。
もともと財政金融政策というものが発達したのは、国内実体経済の流れに委ねておけばスパイラル状に悪化して行くからこれを緩和しさらには逆転させるために行う・・あるいはバブル化していく場合、早めに引き締めて抑制するなど逆の場合もあります・・ものですから、もともと国内実体の方向性と違うものです。
金融政策は国内実体と逆方向を向くことは、あたり前過ぎる行為です。
昨日紹介したウイキペデイアによるFRB異次元緩和の説明は、「効果がないならやめる」べきという伝統理論を前提にした「必要悪論を前提にした出口戦略」の立場で解説(解説者=伝統理論を習得したものが中心)したものと思われます。
多分欧米や日本識者の見解は、こういう前提に立っているからでしょう。
戦前の金兌換停止が大恐慌による特殊臨時のものとして一刻も早く兌換制に戻るベキという原則論が底流にあり、一時金兌換制度を復活した国もありましたが、当時は金兌換の裏付けのない紙幣など信用される訳がないという天動説のような考えを忠実に守っていたのです。
兌換制廃止の国々は金がない(狐の発行した落ち葉のような)いつまでたっても本来の金交換ができないで紙切れで経済を運営している気持ちになっている可哀想な国だ・・というスタンス・・アメリカだけが金本位でやっていける国というスタンスでした。
戦後の通貨制度は、金本位制ではなく、「金為替本位制」と言われドル以外は擬似通貨・・江戸時代の藩札扱いでした。
「各国通貨は一定率(日本が1ドル360円であったように当時固定相場でした)でアメリカドルに替えて貰える→USドルはいつでも一定率で金に替えてくれる」ということで信用を保つ・・これがアメリカが基軸通貨國と言われた所以でしたが、ニクソンショックによるアメリカドルの金交換を廃止後は、理論上アメリカドルはその他諸国通貨と同じ地位になったので、本来の基軸通貨の地位を論理的に喪失したはずです。
幕末の大政奉還によって、対朝廷関係では将軍家が諸大名と同列になったのと同じです。
幕府は事実上政局に対する発言力が空洞化してからの政権投げ出しでしたから、想定どおりでショックもなくその後(直後の小御所会議のクーデターで)名実ともに発言力を失いましたが、アメリカの場合まだ十分な余力・実力を残しての投げ出しでしたので、世界にニクソン「ショック」を与えたのとの違いです。
為替の交換比率がUSドルとの交換中心で戦後約30年間発達してきた結果、その他の国同士の直接為替市場が育っていない結果、事実上「円を一旦ドルに替えてそのドルとさらにマルクやバーツ、フラン、ポンドに変えて行く」しかない状態・・一種の惰性が続いているにすぎません。
時の経過で円と人民元の直接取引き市場が育ってきたように、徐々にUSドル表示での世界取引比重が下がってきています。
いわば、メデイアがUSドルが基軸通貨の強みとしょっちゅう表現しますが、これは比喩的な表現でしかなく(だから分かりにくいのです)、国際ハブ空港が地域にないのでハブ空港まで行って乗り換えるしかない程度の意味です。
金本位制に関するウイキペデイアの記事からです。
https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/edit
その後1919年にアメリカ合衆国が金本位制に復帰したのを皮切りに、再び各国が金本位制に復帰したが、1929年の世界大恐慌により再び機能しなくなり、1937年6月のフランスを最後にすべての国が金本位制を離脱した。 日本では、戦後に金本位制の機会をうかがうも関東大震災などの影響で時期を逸し、1930年(昭和5年)に濱口雄幸内閣が「金解禁(金輸出解禁)」を実施したが、翌年犬養毅内閣が金輸出を再禁止した[7]。FRB議長のベン・バーナンキは、金本位制から早く離脱した国ほど経済パフォーマンスがいいことを証明した[8]。」
ニクソンショック以降、世界中が不換紙幣になりアンカーを失った結果、紙幣の信用維持のために発行主体の中銀の自己抑制が以前より強く要請されるようになったと思われますが、これは精神論であって紙幣価値の本質に関係がない・・金(または国際商品価値)の直接的裏付け・実体がない点は同じです。
今でも通貨発行体は国家・中央銀行だけであり、紙幣価値は発行体・国家の国際市場上の信用・実力・購買力平価や国際収支の動向によって市場で決まって行くことになっています。
実際それ以降の不兌換紙幣・通貨の信認は、為替相場・市場取引によって決まる・・文字どおり金融「商品」の一つになったのに、自制心という呪縛で発行を抑制した結果これを狙った格好の投機対象になっていったのです。
その後ポンド防衛で知られるように通貨の売買が国際的投機商品になったこと自体が、単なる商品の一種に過ぎなくなったことを示しています。
これがさらに進んで紙幣が金融商品の一つという一般認識が定着すれば、発行体を政府・中央銀行に限定する合理的理由がありません。
紙幣が何のためにあるか?商品交換媒体としての効能・・商品に純化していけば、誰が発行したかではなく製品利便性が勝敗を分ける時代が来ます。
老舗企業の製品の場合は当初の宣伝があまりいらない・当初の優位性でしかなく、時間が経てば老舗企業が作らなくとも、製品利便性・商品性能の優れたものが多く売れるようになるのと同じです。
その内ビットコインなどの仮想貨幣も含めて利用価値=使い勝手の良さの競争によって、世界通貨が決まって行く時代が来るかも知れません。
今の通貨は、その背景にある民族国家の経済力を背景にしている点で純粋な商品交換媒体としては不純な要素が混入しています。
金交換制は背景の国力を問題にしていない点・・どこの国の紙幣でも世界共通商品の金と一定率で交換してくれるので合理的でしたが、(この場合もある日突然デフォルトするリスクは防げません)不換紙幣になると紙幣相場は日々変動する・・このために約半年前までの先物引が発達しましたが、リスク管理に限界があります。
国際的商品交換手段である以上背景の民族集団の信用と結びつける必然性がないのですから、民族や国家集団から切り離すのが合理的でしょう。
日銀を紙幣という商品生産業者とすれば、日銀が紙幣発行して国債や株をどんどん買うのは、企業が自己の生産品を何と交換するかはその企業の勝手なのと同様に日銀の勝手と言えます。
将来的に日銀・中央銀行発行の紙幣の利便・信用性が落ちる時が来るとしたら、それに変わるもの・・ビットコインまたはそれに変わる新たな商品に競り負けた時ですから、世界は困りません。
よく地域から売り店がなくなったらこまるという議論がありますが、地域住民がその町内の小売店より遠くのコンビニを選んでいるならばその地域の自己選択です。

サービス社会化1(貿易依存度1)

WTO違反の裁定などどうせ時間がかかるので、その前に日本が屈服して来るだろうと言う実力主義・・WTO裁定(負けるのが分っていても)の結果を中国は気にしない態度を明らかにして来ましたが、僅か1年で大規模訪日団を送るところまで追い込まれたのは中国の方でした。
レアース禁前後には、事前に決まっていた訪中使節その他ありとあらゆる日中交流日程を予定が立たないなどと言う理由で次々とキャンセルして来たことから見れば、自分の方から訪問して来るなどは180度の方向転換です。
ただ、この辺はそれほどメンツにこだわらない中国人民の柔軟性で、韓国のようにトコトン修正出来ない硬直民族との違いです。
いろんな事象に対するネットコメントを見ると、韓国人のコメントでは北朝鮮政府声明のようにいつも決まりきった反日意見しか出て来ませんが、中国人のコメントはネット検閲が厳しいと言われる割に、自国を客観的に見るコメントが多いのをみるとこれが、政府の柔軟性と繋がっているのでしょう。
もしかして柔軟性と言うよりも実利100%の国民性・・恥も外聞もない・・実利優先と言う方が正しいのかも知れませんが・・。
中国地域は異民族支配の方が長い・現在でも多民族社会ですから、物事を相対的に見る習慣が本来あるとも言えます。
専制支配が長かった印象から外れますが、異民族・多民族社会であるから自由に意見を言わせると百家争鳴でまとまらない・・強権支配しか出来なかったとも言えます。
巨人と言われたチトー死亡後ユーゴスラヴィアが解体に向かった例でも分りますが、余程の指導者か強権支配しか社会が持たないのかも知れません。
低レベル社会では落ち着いたが話し合い解決が不可能なので、議院内閣制ではなく大統領制でないと国家運営出来ない原理に繋がっています。
大統領制とは専制支配の民主的修辞です。
元々漢民族自体が黄河中流域の洛陽〜開封までの盆地・・中原地域を囲む四囲の個性の異なった民族・・北狄(高原・山麓の狩猟民族・西戎(荒涼たる砂漠の騎馬民族)・南蛮(江南・湖沼水郷系民族)、東夷(黄河デルタ地帯の民族)が、市場交易を求めて渡河の容易な黄河中流域に集まって混合した民族がその原型です。
時代の進展により、狭い中原から交易圏が広がり、(春秋戦国時代に新興勢力楚王が、周王室の鼎の軽重を聞き、秦末漢楚の攻防も結局は長江流域が交易圏に組み込まれて来た時代を表しています)今では何千km単位の広大なイメージの西戎(アフガニスタン付近まで含む)南蛮(ベトナム〜インドを含む)東夷(朝鮮日本を含む)ですが、元は洛陽あたりを中心に目に見える範囲の周辺山地・原野・デルタ地帯の先を指していた言葉です。
交易権が広がると水運に便利な便利な下流に中心地が移り、洛陽から開封に都が移って行きます。
日本でも壬申の乱の頃の東国とは、今の岐阜県あたりを指していたのですが、中世では箱根以東をさすようになったように、周辺呼称の範囲は行動圏の広がりに連れて広がります。
レアアース禁輸に話題を戻します。
レアアース禁輸後約1年経過で勝負がついて中国経済代表団が訪日せざるを得ない結果になったのは、WTOの裁定(正義)によったのでなく、日本の技術力・抵抗力が上回ったことによります。
中国は嫌がらせで日本企業を閉め出したつもりだったのに、日本の高度技術が必要なので日本からの投資減退で参ってしまったことによります。
(穴埋めにドイツ誘致を計画しましたが補完し切れないことが分ったので、手のひら返しに訪日団を結成するしかなくなったのです。)
現在韓国が中国の締め上げに参っているのは、フィリッピン同様に韓国には代替の利かない高度技術が少ないのでスキなようにやられている原因です。
日本もBtoBではなくBtoCあるいは訪日中国人観光客や現地スーパーのような代替性の高い分野に頼る業界が増えると、中国が何か要求を通したくなるとイキナリ対日観光客を絞ったり、現地日経コンビニなどを標的の不買運動など嫌がらせが始まるので、リスクが大きくなります。
フィリッピンのバナナの通関手続を故意に遅らせて腐らせてしまったりしていましたが、レアアース事件のときにもこの味を占めてたのか?日本からの輸入品の通関手続を故意に遅らせるイヤガラセをしていましたが、部品は腐らないし困ったのは輸出向け工場で日本製部品の早期組み込みを必要としていた中国民族企業の方でした。
現在中国の対韓嫌がらせも観光・韓流その他消費系が困っているだけで、今朝の日経新聞によるとサムスン・SKなどの対中半導体輸出は今年二月は前年比5割増メモリーは8割増とかで好調らしいです。
今後中国の内需目的の進出企業が巨額投資してしまうと、フィリピンのバナナのように何をやられても我慢するしかない・・かなりのリスクが生じます。
ここからサービス経済化にどのように対応するべきかテーマに入って行きます。
3月11日日経新聞朝刊7pには、米雇用23.9万人増の見出しとともに「完全雇用の死角」の題名で1990年から2016年までに民間雇用者総数は3000万員増えたが製造業では500万人減り代わりにサービス業では2500万人増えている」
「長い目で見ると給与の高い製造業の減少傾向が続き給与水準の低いサービス業へシフトが進んでいる」
となっています。
その記事の冒頭に建設現場では、給与を2〜3割上げても人手不足のままと言う現象を紹介しています。
如何にも白人・中間層は元々3K職場・建設現場に来ない・・移民労働者が入って来ないとどうにもならないと言うイメージ操作っぽい記事でもありますが、一応こんなところです。
全体の論調は(移民に職を奪われたのではなく)完全雇用下なのに多くの人が不満を持つようになったのは、サービス業シフトが賃金低下・生活水準低下を進めたから・・と言う説明です。
先進国の発展過程は、一般的に地場で成功した企業が県外等へ輸出し、次いで◯◯地方から全国規模輸出となるに連れて工場も域外に作って行く、最後に海外展開して行くのでこの間に儲けの還元などで自然と内需・サービス業も追いついて行きます。
AI化やロボット化オートメ化進展で製造業の発展に連れて成長していたサ−ビス業が、(工場周辺飲食店ではなく)製造業と切り離して独自に必要な時代が来たのです。
中国、韓国などの中進国の足踏み現象を経済的に見ると、この順次発展の過程を経ていない分、より大きな構造問題が起きるように見えます。
自発的発展ではなく、低賃金を武器にした世界の工場機能を果たすときには、元々ゼロのところに先進国から先端的近代工場が進出して来るので後進国の前近代的生産性から見ると百倍?規模で生産性アップする上に、誘致にあたっては国内産業保護のために当初100%輸出用生産しか認めないことが多い・・国内需要無視の輸出型工場誘致ですので先進国本社で輸出先を用意してくれる・・作った分だけ売れます。
中国開改革開放後に日本向け野菜などの(日本人好みに合うように)生産指導が盛んでしたが、全量日本のスーパーなどが引き取る契約でした。
毒餃子事件の騒動の報道もこの種の流れは分るでしょう。

規模追及と民度2

EUが成立した当初人口約2億と言われ,本日現在ネタ帳によるとアメリカの場合,93年当時は260.15万人であり16年は323.98万人です。)アメリカの人口(市場規模)に対抗出来るようになったと話題になっていました。
(検索しても何故かEU成立当時の総人口が出ませんが,イギリスは後から加入した記憶ですから当時の独仏伊あわせても約1億5000万ですからそんなところだったでしょう)
マスコミではEU結成は独仏間の戦争の惨禍を繰り返さないためと言うきれいごと中心報道ですが,元は石炭鉄鋼連盟から始まったように市場統合・戦後植民地と言う囲い込み可能な市場を失って大規模市場を持つ米国と格差が開く一方になった・衰退に直面した西欧がキリスト教圏での共同市場創設による対抗の動きのグランドヴィジョンだったのです。
経済統合・・競争力回復が主要目的だったからこそ国家統合よりも先に貨幣統合・・ユーロ創設と(低賃金労働者の)移動の自由・シェンゲン協定を急いだことも分ります。
企業で言えば,大きいことは良いことだと言う思潮がはやり,売上何兆円企業でないと生き残れないと言う動きで、その頃クライスラーその他世界企業の大統合がはやりました。
その頃今後は本拠地市場2億人を単位とする時代が来た・1億あまりしか人口のない日本は苦しくなると言う意見を読んだ記憶です。
2億人程度の本拠地市場で新規事業の揺籃期に大事に育てて・一定規模に育ててから世界に打って出る必要があると言う意見がマスコミを賑わしていました。
アメリカはEUの人口挑戦に負けないようにその後も移民を入れて対抗し,EUもその後領域的に東方拡大を続けるとともに移民受け入れも進めました。
(植民地ではなく対等な合併・連合に切り替えただけ?)
この結果2015年の暫定値ではEU人口は5億820万人と発表されていますので、もの凄い膨張で,上記ネタ帳のデータによるアメリカの現人口を大幅に追い越して人口競争では大成功していたことが分ります。
上記のとおりEU全体の過去の人口統計が出ませんので,タマタマ出た14年のドイツ人口を見ますと,以下のとおりです。
p.reuters.com/article/ger-idJPKCN0Q90KB20150804
[ベルリン 3日 ロイター] – ドイツ連邦統計局によると、ドイツ在住の移民の数が2014年には3.7%増加し、過去最高の1100万人に達した。全人口の5分の1が何らかの移民のバックグラウンドをもっていることになる。
移民の多くは、ポーランド、ルーマニア、イタリア、ブルガリア、ハンガリーなど欧州連合(EU)諸国の出身。
2014年の移民人口は、2011年比で約10%(約150万人)増加。移民人口を除いたドイツ人の人口は逆に同1.4%減少した。」
移民概念がはっきりしませんが、一定年限までの国籍取得者も含むルーツを言うのか、国籍取得者を除くとすれば過去30年間累計すれば国籍取得者は膨大でしょうから,流入人口数は膨大です・・兎も角こんな状態です。 
フランスでは「移民とは」以下の分類で外国生まれの国籍取得者を含まないようですから,フランスで生まれた2世で国籍取得したものは含まないことになります。
http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2014_5/france_01.html
「フランスにおいて「外国人」とはフランス国籍を持たずにフランスに居住する全外国人がこれにあたる。フランス国内で外国人を親として出生し、フランス国籍取得を決めていない者も含まれる。これに対して、「移民」は出生地及び国籍の2重の基準により定義される 。つまり、(1)現在フランスに居住しているものの、外国において外国人として出生した者、(2)フランス国籍を取得後も外国において外国人として出生した事実に基づき移民の一部として類型される。」
ドイツ移民の統計ルールも仮にフランスと(EU)同基準であれば,オヤがドイツ国籍を取得した二世以降の場合には移民数としてカウントされていないことになります。
ドイツ人口の2割が移民とは言っても、既に移民2世が増えているでしょうから,2世以降を移民に含めれば,もっと多くの人が含まれていることになります。
「ドイツ、フランス等で出生率が上向いたのを見習え」とマスコミが報道しますが,アラブアジア系移民の出生率が高いのが普通ですが、独仏国籍取得者の生んだ子はドイツ、フランス人の出生率に数えるとすれば、実態(生粋のフランス人等の出生率でみれば)は怪しいところがあります。
しかも上記のとおりドイツではこれを含めても出生率が下がっていると書かれています。
話がEUやアメリカの人口増加政策に流れましたが,EU結成に成功した1993年前後頃からソ連崩壊・・中国の改革開放が始まり世界市場が急拡大し,消費人口・・購買力による発言力としては、アメリかもEUも中国に遠く及ばない存在になってしまいました。
言わば焼け石に水だったことになります。
一方で生産設備その他の自動化・コンピューター化が進んだ結果、比喩的に言えば熟練度2〜3点でも電化製品等の生産に従事出来るようになって来たので、中国その他の新興国でもテレビ冷蔵庫〜クルマでさえその他製造設備を先進国が投資さえすれば作れるようになったので,先進工業国の独占生産体制が崩れて来ました。
半導体で世界を席巻していた日本は今では,半導体製造設備輸出国になっていて半導体製造現場は中国等に移っているのを見れば分ります。
中国やインド、バングラデシュ、ブラジル等の練度2〜3点の低レベル労働力でも汎用品を作れるようになって来て、(先進国の優位性は製造設備があることだったのです)彼らが世界生産市場に参入して来ると今度は賃金格差によって先進国が負け始めました・・逆輸入の開始です。
人口さえ多ければ市場規模や,生産従事者数で有利と言う前提が揺らぎ始めるとアメリカの移民受入れ策やEU拡大政策に無理が出て来ます。
自動化,ロボット化の工夫による生産性向上努力は成功しても、半年もしない内に中国の工場でも取り入れられるのでは,いわゆるイタチごっこで人件費平準化圧力から逃れられません。
生産性向上の工夫努力の手を抜いて安い人件費・・移民に頼るか海外移転しかないと言うのが、世界の潮流・・アメリカ式発想だったことになります。
新興国対策として人口大国の地位を維持するために移民を受入れるようになる=低賃金競争するための移民受入れ政策に変質すると元々の国民・ピープルの賃金下げ圧力になり元々のピープルに犠牲を強いることになります。
製品で言えば品質競争ではなく、安売り競争のパターンに陥るとその業界はダメになると言われていますが,さしあたりしわ寄せが下請け泣かせや弱い労働者・・人件費圧縮→非正規化の加速→中間層縮小になります。
ついにこれの限界が来たのがイギリスのEU離脱決定であり、EU全体での移民反対論の盛り上がりとアメリカの移民排斥を煽るトランプ氏の当選です。
新興国の低賃金攻勢→輸入物価下落・デフレ圧力に対して移民を排斥しても,金利引き下げてもどうなる訳でもない・・金融緩和は無駄な努力であり,政治的に見ればヒステリー症状だと言うのが私のこれまでの意見です。

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