新型コロナウイルス対応の巧拙7(周期的変化2)

新型コロナウイルス対応の巧拙7(周期的変化2)

感染症には周期的進行〜収束サイクルがあるので、大邱の方が早く始まってピークがすで来ているとすれば、名古屋や北海道もピークを過ぎ去ってみないと比較が公平でないかもしれません。
合計死者50人としても数ヶ月に一人づつの場合と数ヶ月内に50人死亡・これに比例する重症者大量発生とは社会の受ける打撃が違います。
この違いを分けるのは政策の巧拙・民度です。
昨日引用の井戸端会議の表は感染者や死者等の数字の出典不明で、日本の日々変わる数値をニュースで追いかけて比較しても、統一した日付で比較しないと意味不明になります。
日々数字が動く流動的状態での意見ですので仕方ない面もありますが、約1週間遅れであればデータが出揃うので統一日付けの比較が可能になりそうです。
ヤフーニュースで3月8日現在で統一的に確認します。
https://news.yahoo.co.jp/byline/pyonjiniru/20200308-00166660/

新型コロナ感染者」が韓国、イタリアと違い、日本はなぜ少ない?
辺真一 | ジャーナリスト・コリア・レポート編集長

3/8(日) 10:02

世界で2番目に多いコロナウイルス感染者を出している韓国は7日午後4時基準でさらに274人増え、7041人に達した。死亡者も5人増え、49人となった。
日本はどうか。3月7日午後6時の時点で厚生省の発表によると、国内感染者はクルーズ船感染者696人を除くと、前日よりも71人増え、420人。韓国の約16分の1、イタリアの14分の1に過ぎない。
都道府県別別で最も多いのが北海道の82人。続いて首都・東京(52人)、愛知(51人)の順。大阪は15人に留まっている。東京はソウルの約半分、大阪は釜山の約6分の1に留まっている。
日本の死亡者数は6人のままである。これも韓国の約8分の1、イタリアの約38分の1とはるかに少ない。

上記は国内データは厚労省のデータによると書いてあるほか国外分はどういうデータ根拠かいつの日付け分かも書いていませんが、個人ブログと違い、大手ヤフーニュースに出ているので相応の根拠資料に基づいた数字であろうと一応信用して書いています。
(感染者数や死者のデータは累積数がほとんどですので、国内データより国外データが半日〜1日程度遅くても感染者や死者数等が低く出るだけですので、日本の方が少ないという比較においての誤差は、意見の信用性補完にはなっても不信感の根拠にならないでしょう)
GDPや各企業の決算数字などは発表の出揃う期間経過後の比較が正確なのと同じで、日々データ更新される感染者や死亡数は、日付誤差のない1〜2週間程度前のデータ・・政府発表のデータの場合一定期間ごとの発表など区切りがあるので(国家機関の公式データは、厚労書発表はニュースのように日々、あるいは数時間ごとに出るものではありません)10日前1ヶ月前のデータ比較などが有効です。
とはいうものの最新データを見たいものです。
以下厚労省データの通り昨日現在ではなんとイタリアが(高齢化率が高いからか?)死者数で中国を追い越して世界一になっているのは驚くばかりです。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_10316.htmlに入ってみると3月20日付け発表が出ています。

1.国内の発生状況(3月20日12:00)

3月20日12:00現在、国内で今般の新型コロナウイルスに関連した感染症の感染者は950例となりました。
内訳は、患者841例、無症状病原体保有者107例、陽性確定例(症状有無確認中)2例となります。国内の死亡者は33名となりました。
国内での退院者は、昨日より12名増加し、227名(患者193名、無症状病原体保有者34名)となりました。

【内訳】
・患者841例(国内事例829例、チャーター便帰国者事例11例、空港検疫1例)
・無症状病原体保有者107例
(国内事例97例、チャーター便帰国者事例4例、空港検疫6例)
・陽性確定例2例(国内事例2例)
うち日本国籍692名

 

3.国外の発生状況

・海外の国・地域の政府公式発表に基づくと3月20日12:00現在、日本国外で新型コロナウイルス関連の肺炎と診断されている症例及び死亡例の数は以下のとおり。

国・地域感染者死亡者
中国809673248
香港2084
マカオ170
韓国865294
台湾1081
シンガポール3450
ネパール10
タイ2721
ベトナム850
マレーシア9002
豪州6816
米国14250176
カナダ7369
フランス10995372
ドイツ1099920
カンボジア370
スリランカ600
アラブ首長国連邦1400
フィンランド4000
フィリピン21717
インド1944
イタリア410353405
英国3269144
ロシア1990
スウェーデン142310
スペイン17147767
ベルギー179521
エジプト2566
イラン184071284
イスラエル6770
レバノン1573
クウェート1480
バーレーン2781
オマーン480
アフガニスタン220
イラク19213
アルジェリア879
オーストリア20136
スイス310329
クロアチア1051
ブラジル6216
ジョージア400
パキスタン4542
北マケドニア480
ギリシア4186
ノルウェー15526
ルーマニア2770
デンマーク12256
エストニア2670
オランダ246076
サンマリノ11911
リトアニア360
ナイジェリア80
アイスランド3300
アゼルバイジャン441
ベラルーシ510
ニュージーランド280
メキシコ1181
カタール4600
ルクセンブルク3354
モナコ70
エクアドル1993
アイルランド5573
チェコ6940
アルメニア1150
ドミニカ共和国342
インドネシア31125
アンドラ530
ポルトガル7853
ラトビア860
セネガル310
サウジアラビア2740
ヨルダン690
アルゼンチン973
チリ2380
ウクライナ162
モロッコ632
チュニジア391
ハンガリー731
リヒテンシュタイン280
ポーランド3555
スロベニア2861
パレスチナ440
ボスニア・ヘルツェゴビナ630
南アフリカ1500
ジブラルタル(英領)30
ブータン10
カメルーン130
トーゴ10
セルビア1030
スロバキア1230
バチカン10
コロンビア1020
ペルー2340
コスタリカ690
マルタ530
パラグアイ110
バングラデシュ171
モルドバ491
ブルガリア943
モルディブ130
ブルネイ750
キプロス670
アルバニア642
ブルキナファソ331
チャンネル諸島(英王室属領)10
モンゴル60
パナマ1091
ボリビア120
ホンジュラス120
コンゴ民主共和国140
ジャマイカ151
トルコ1923
コートジボワール90
ガイアナ71
ガーンジー(英領)10
ジャージー(英領)50
ケイマン諸島(英領)10
キューバ111
トリニダード・トバゴ90
スーダン21
ギニア10
エチオピア60
ケニア70
グアテマラ91
ベネズエラ420
ガボン10
ガーナ110
アンティグア・バーブーダ10
カザフスタン440
ウルグアイ790
アルバ40
ナミビア30
セーシェル60
セントルシア20
ルワンダ80
エスワティニ10
キュラソー30
スリナム10
モーリタニア20
コソボ20
コンゴ共和国30
セントビンセント及びクレナディーン諸島10
中央アフリカ10
ウズベキスタン230
赤道ギニア60
プエルトリコ50
リベリア20
タンザニア60
グリーンランド20
ソマリア10
ベナン20
バハマ30
モンテネグロ30
バルバドス(英領)50
キルギス30
ザンビア20
ジブチ10
ガンビア10
モーリシャス30
フィジー10
エルサルバドル10
チャド10
ニカラグア10
モントセラト(英領)11

新型コロナウイルス対応の巧拙6(周期的変化1)

昨日紹介のhttp://vox.hatenablog.com/entry/2020/03/13/174636
の続きです。

画像:人口100万人あたりの新型コロナウイルスによる死者数

韓国(全土): 1.31人
テグ(大邱): 19.7人
韓国(テグを除く): 0.39人
韓国(テグと慶北を除く): 0.06人
日本: 0.12人
イタリア: 16.8人
韓国の新型コロナによる死者数はテグの死者数によって全体的に大きく引き上げられています。テグ広域市と慶尚北道での死者数を除外した韓国の人口100万人あたりの新型コロナによる死者数は 0.06 人です。
この数値は3月9日時点の日本と同じですから、ムン・ジェイン大統領が強気な姿勢を示す理由も理解できなくはないと言えるでしょう。
イタリアは3月6日の時点で「人口100万人あたりの新型コロナによる死者数」は 3.25 人でした。それが1週間ほどでテグの水準にまで達してしまったのですから、医療崩壊が起きているのは確実です。
新型コロナウイルス感染者への対応に医療リソース(人員・病床・機材など)が取られたことで他の疾患への治療に支障が生じるのが医療崩壊です。

人口比死亡率を見るのが合理的という意味では上記グラフの提示は合理的で、私の考え方にもあっていて目についたので引用したのですが、グラフ表示と文字解説・主張が一致していないような気がするのは残念です。
点線グラフが大邱の死亡率と表示されているにもかかわらず、韓国全体のグラフより低い数値を表すグラフになっている不合理性で頭がついていけない点と図面に19、7の数値表示場所さえないので、韓国全体と大邱のグラフ表記が入れ替わった単純ミスでもなさそうです。
そこで19、7がどこから出た数字か気になったものの、グラフ作成をどの資料に基づいてしたかの説明がついていません。
読者・私のような素人には大邱の人口と日々の死者数データを簡単入手できないので何と何を組み合わせて19、7になっているか、何月何日時点の数字かも検証不能です。
結果的に残念ながら、グラフに基づく解説あるいは主張としては意味不明になっています。
それらを措いて・・グラフでなく文字意見を前提にするとしても、論旨には以下の通り疑問があります。
井戸端会議の筆者は、韓国のデータからテグと慶北を除けば日本と比率が同じだから韓国全体では問題がないかのような説明ですが、日本でもっとも感染者の多い北海道を除けばとか言い出せばきりがないので、比較するなら同じ基礎条件・・日本全体との比較の場合は大邱周辺を含めた韓国全体数字で比較すべきでしょう。
日本全土対韓国全土で言えば、上記主張・解説によっても韓国の死亡率は日本の約10倍以上ですし、都市間比較ならば同規模都市同士で日本の最大感染率の都市と大邱市を比較するのが妥当でしょう。
国内最大感染率かどうか不明ですが、同規模都市として名古屋市・愛知県の感染報道が多いのでこれを比べてみます。
名古屋市の感染関連では、たまたま3月8日のニュースが出ていました。https://www.asahi.com/articles/ASN383FRRN38OIPE008.html

名古屋市は8日、市内在住の80代男性が7日に死亡し、直後の検査で新型コロナウイルスの感染が判明したと発表した。男性は別の感染者との接触があり、6日夕まで目立った症状がなかったが容体が急変したという。愛知県内で感染者の死亡が明らかになったのは初めて。
男性は7日午前8時ごろに県内の病院に救急搬送され、救急隊の到着時は心肺停止状態だった。離れて暮らす遺族からの聞き取りでは、6日夕の段階では発熱はなく、食事もとっていたという。

上記によれば日本国内で感染者数が伸びていて要注意になっている名古屋市でも、3月8日時点で初の死者が出た状態です。
14日時点では、以下の通り愛知県では増えています・このようにいつの時点かの特定がないと比較になりません。hhttps://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3929338.html

新型コロナウイルス、名古屋市で男性2人死亡
名古屋市は、これまでに新型コロナウイルスに感染していることが確認されていた男性2人が死亡したと発表しました。
名古屋市によりますと、1人は今月10日に感染が判明した90代の男性で、新型コロナウイルス肺炎で死亡。さらに、これまでに感染が判明した高齢の男性が死亡しましたが、年代や死因は明らかにされませんでした。
・・・愛知県では感染者が114人、死者は10人となりました

これらのニュースが正しければ、冒頭引用した井戸端会議が、なぜ大邱のデータと名古屋市あるいは愛知県とを比較しないかの疑問が膨らみます。
しかも3月8日の死亡者は前夜まで自宅で元気だったのに一晩でいきなり急変したものですから、仮に日本で希望さえあれば無制限検査できるようにしていても防げなかった事例です。
次に札幌で見てみると札幌の数字が直接出ないので北海道で見ると以下の通りです。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/402615

新型コロナ、札幌の80代女性死亡 道内死者5人目 感染4人増の148人に
03/16 11:36 更新

3月16日現在でも北海道全部で死者5人にすぎません。

伝言ゲーム的拡散2(余命3年)

常識でしょ!と言われるほど情報氾濫してくると却って大元の発信者がぼやけてきますが、バラバラ大量発信破片の基礎になる兵役法改正内容と在日帰化要件・外国人登録から住民登録への変更プラス犯罪人引き渡し条約をリンクさせたネット記事見つかりました。
これを見た限りでは、この記事が(今まで見た限り)一番詳細で現在一般化している図式の骨格を提示していてしかも早い段階の紹介・意見のようで、この種ネット意見のバイブル的印象を受けましたのでこれを紹介しておきます。
ただし、ネット発信している人々は他の情報や自己独自の情報源を加味して自分の意見にして発信しているのでしょうから、以下引用記事が仮に原始的発信者であったとしてもすべての情報源や意見であるという意味ではありません。
書き方から見ると、すでに一般化している意見紹介というより自分の独自入手情報の紹介とこれを前提にした意見表明が多いように見えますが、もしかしたらすでに流布している意見に自己の意見を追加しただけかもしれません。
下記意見は兵役改正法自体を見たような記述がなく民団での説明を前提にしているような記述があるので、これまで私が紹介してきたのと同じ民団情報を基礎にした紹介や意見のように見えます。
ただし韓国国籍法の紹介がありますが、条文そのものの紹介ではなく筆者の意見を書いたものですので引用省略します。
以下の引用は全部引用すると長すぎるので一部引用ですのでもしかして、解りにくい点があるかもしれませんが、その場合以下に入って全文を直接お読みください。
題名からするともっと前から書いているのがありそうですが、以前発表意見まで読む暇がないので以下は差しあたり発見した部分だけです。
http://www.osint-japan.com/index.php?514%E3%80%80%在日韓国人と改正韓国国籍法②

新版・余命三年時事日記第6部その2

・・・韓国の住民登録法の狙いは、現時点では、徴兵にしても何も言及せず、単に国外在住韓国人の利便をうたっているが、まず登録させて、あとは国内法による改正で対処にある。 2015年中の登録を呼びかけているが、これは2015年米韓相互防衛条約終了後の米軍撤退を埋めるための徴兵対策が見え見えだ。登録をさせたあと、徴兵制度を義務化して在日にも適用するということだ。拒否者に対しては犯罪人引き渡し協定によって送還させるという段取りだ。これによる送還は日本の永住権の喪失となるので拒否できないという仕掛けだ。
・・・在日同胞は現在、兵役法の(在外国民2世)という制度により、兵役義務は延期されており、実質的に免除されているような状態だ。
しかし東京と大阪で行われた兵務行政の説明会では、2012年から施行されている兵役法令により、1994年以後の出生者は、18歳から通算で韓国滞在期間3年を超えれば、「在外国民2世」とは認められないことが明らかになった。
3年を超えて、韓国に長期滞在(1年のうち半年以上)および営利活動をすると、兵役義務が課せられるようになっている。この時点で日本に戻るか、兵役義務を果たすかの選択を迫られる。
これまでは(在外国民2世)制度により、兵役は延期され、韓国での長期滞在および営利活動に制限はなかったが、94年以後の出生者からは制限されるようになっている。
海外同胞のうち9割の対象者が在日同胞であり、大きな法改正であったにもかかわらず、日本国内における兵務庁の説明は不十分だった。
民団中央本部で兵務行政担当の洪京振主任は「今後、改正の根拠を確認したうえで、在日同胞の立場を理解してもらえるような要望活動を検討している。 94年以後の人も、以前の人と同じ待遇にしたい」と話している。http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=74374&thread=04
前置きが長くなったが、今回の兵務行政の説明会では、韓国人として生きるか、日本人として生きるか、それともこのまま在日韓国人として生きるかを問うているのである。
・・・つまり、生まれたまま韓国籍を維持して18歳になる年の元旦を超えてしまった人そして満37歳の元旦に至ってない在日は兵役を果たさなければ国籍離脱ができないのだ。
在日韓国人の家庭で両親のどちらかが日本国籍の場合、22歳までに「日本国籍を選択」すれば、「日本国籍」を取得できる。よって、在日韓国人男性への兵役実施が決まると、日本国籍選択者が間違いなく増える。すでに韓国籍を選択した在日韓国人男性の場合は、韓国での兵役が終了しない限り、国籍離脱を認めないよう法律が改正されたため日本への帰化はできなくなった。

在日の場合日本国では外国人の子が生まれたら国籍選択ができる。期限は22歳まででそれまでに日本国籍を選択しないと、その在日は韓国人になる。つまり自動的に日本国籍を失う。その間は在日は2重国籍者というわけだ。
2重国籍の在日韓国人が日本国籍を選択した場合、日本では韓国の国籍離脱が必要だ。出生と同時に先天的二重国籍になった場合の韓国籍を放棄する手続きが国籍離脱である。国籍離脱をするためには法務部長官に国籍離脱申告をしなければならない。
二重国籍者は国籍離脱申告を行うまでは韓国国籍も持っているという点で韓国国民としての処遇を受け、同時に兵役など国民としての義務も当然負わなければならない
国籍離脱申告を行うのに制限事由はなく、ただ韓国の戸籍に編入されている男子で第1国民役(満 18 歳になる年の1月1日付け編入)に編入された人は、兵役を終えるか、免除を受けるまでは申告ができない。
従って、男子も第1国民役に編入される以前に国籍離脱をしようとする場合は、兵役事由に関係なく申告だけで国籍離脱が可能である。
つまり、生まれたまま韓国籍を維持して18歳になる年の元旦を超えてしまった人そして満37歳の元旦に至ってない在日は兵役を果たさなければ国籍離脱ができないのだ。
在日韓国人の家庭で両親のどちらかが日本国籍の場合、22歳までに「日本国籍を選択」すれば、「日本国籍」を取得できる。よって、在日韓国人男性への兵役実施が決まると、日本国籍選択者が間違いなく増える。すでに韓国籍を選択した在日韓国人男性の場合は、韓国での兵役が終了しない限り、国籍離脱を認めないよう法律が改正されたため日本への帰化はできなくなった。

....まとめると
22才未満が日本国籍を取得して日本人として生きる場合、当然すべての在日特権は剥奪される。彼ら特権はないといっているのだから、これについては文句はないだろう。 韓国人として生きる場合、兵役義務は永住の許可取り消しとなる。
在日韓国人として生きる場合、今後は韓国のあらゆる棄民的嫌がらせと、日本における不安定な地位、生活保護や一銭も払わぬ年金支給などの特権剥奪が目に見えている。日韓関係が険悪化する中ではこれが一番危険な選択だろう。

江戸時代産業構造の変化3(GDP指標1)

昨日見たように大阪市場に出回る金額比率では1711年にコメ100対綿製品18だったのが、1804年以降100対105の関係に逆転しています。
しかも主力製品である縞木綿等が統計から抜けているというのです。
他の商品も同率変化かどうかまでは分かりませんが、綿に関しては大幅な比率変化です。
1800年代に入ると、(工業制手工業の発達によって)大口取引は大阪市場を通さない直接取引が一般化していったとも一般に解説されていますので、コメの経済比重は大幅低下していたことが明らかです。
今では、食品でさえもコンビニその他大手スーパーの食品工場化によって農産物や魚介類も公設市場経由はなく、大手の場合契約農家から直接仕入れが普通になっていますが、こうなってきたのはまだ数十年のことです。
魚貝類も同様です。
小池都知事就任以来、築地市場移転問題が一般の注目を浴びましたが、実はこの数十年で魚介類や、農産物の市場離れが激しく市場に頼る率が急激に減少しています。
(今でも市場経由で仕入れている業者は個人経営のレストランをちょっと大きくした程度で全国展開規模の企業で築地や太田市場購入を基本にしている企業は皆無に近いのではないでしょうか?)
千葉市中心部で見ると青果物や魚などの商店は、ほぼ壊滅状態です。
数十年前には、各地域には数店舗以上経営する個人的商売(地元スーパーや飲食店の成功者など)がありましたが、昭和末頃から平成に入った頃から大手に負けてあるいは吸収されて、地元地盤の百貨店やスーパーなど事業体の多くが姿を消しました。
領内から集めた年貢米換金の場合、今のような食品工場化=大規模購入先がないので、領内消費地の大部分を占める自分の城下町での換金だけでは外貨(幕府発行の貨幣)を稼げないので余剰分を従来通り大名は大阪市場で換金するしかなかったのでしょう。
戦国時代が終わると大名領国の一円支配確立・・農村地域内での自給自足分プラスアルファを残して徴税する関係上・領内の大規模米取引が原則として成立しません。
大大名であればあるほど、大規模に集まった米の換金には京大阪江戸三都での大消費地へ輸出するしかないのですが、そのためには直接個別大名が直接販路を求めて輸送するのは無理があるので自然発生的に大阪のコメ市場が成立したものでしょう。
江戸時代中期以降藩政改革の一環として、特産品開発→専売制は広がりますが、もともとコメを大名が年貢として取り立てた結果、(今の金曜市場で年金資金が大口運用者になっているような現象?)コメの出荷者として大名・旗本等の領主が大口市場参加者になったことから、結果的にコメの専売制度の基礎になっていたようなものです。
大阪市場に消費者(例えば江戸の町民が)が直接参加できないので、問屋が大量買い付けして各地の二次問屋〜三次問屋〜小売に分散していく・・結果的に問屋資本蓄積が発達し、問屋資本が、家内制手工業を組織化するまでの過渡期があったのです。
現在でも公設の魚市場や青果物では、セリ参加資格のある仲買人がセリを通じてまとめ買いして、その仲買人から各個人商店が買って帰る仕組みです。
このように家内制手工業を組織化したのが問屋資本でしたが、すぐにこれが直取引拡大によって問屋資本から離れて行きます。
家内制手工業の初期イメージは、今は姿を消しましたが、私の高校時代以降・・昭和3〜40年台に一般的であった家庭内内職が十数人規模の雇い人利用規模に変わった程度の光景でしょうか?
家内制手工業がさらに成長して工場制手工業に脱皮していくといわゆる産業資本家が勃興し、問屋資本による家内制手工業が淘汰されていきます。
これに比例して工業製品の直接取引が始まり、大阪市場を経由しなくなってきたのが天保の改革頃の経済状況でした。
製鉄や車造船テレビみんなそうですが、工業製品は市場での競りによる取引ではなく相対取引が原則です。
以上のように綿製品等の主要製品が大阪市場離れを起こしていたにも関わらず、大阪市場だけで見てもコメの比率が綿製品にくらべて大幅低下していたことがわかります。
徳川政権樹立当時コメ収益を基本(実は当時もコメだけを基準にしたのではないので厳密には複雑・・コメを基準値とした換算であったと思われます)として、幕府や大名家の格式・経済力差・軍役基準を決めていた物差しでは、1800年頃には対応できない時代が来ていたのです。
まして約100年前の1600年代初期との比較データが出ていませんが、幕府草創期に決めた石高との比較では、まるで基準になっていなかったと思われます。
9月4日に唐津藩の石高が表6万石に対して実高25万石と紹介しましたが、幕藩体制確立時の当初格付けは意味をなさなくなっていたことがわかるでしょう。
「鉄は国家なり」とか建艦競争の時代には「造船力」で国力を測る時代がありましたが今は違います。
200年前の大企業が200年間リーデングカンパニーであり続けているか・・仮にリーデイングカンパニーであり続けているとした場合、主力商品入れ変えに成功しているからこそ生き残っているのでしょう。
江戸時代270年間に主力商品産業が入れ替わっていたのです。
最近では旧来型GDP数値にこだわるのは意味がないのではないか?という印象を持つ人が増えていると思いますが・・。
そういうメデイアの意見を見かけませんが・・。
いわゆる失われた20年論では、GDPの上昇率が低いという主張ですが、個人の生き方で言えば、収入や売り上げ前年比なん%増で嬉しいのは青壮年期のことで、一定以上の年齢や年収になれば、これ以上売り上げ増や新店舗展開のために長時間働くよりは、この辺でスピードを緩めたいと考え若い頃の行動パターンを修正するのは不合理ではありません。
(個人で見れば、ある日救急車で運ばれるまで猛烈社員を続けるのは愚の骨頂です)
国家や社会も生き物?としては同様で、一定の高原状態に達すれば現状維持するのが合理的であり、ゴムが伸びきっている状態で際限のない成長を目指してある日突然ゴムが切れるような事態・・急激な国家破綻を招くより合理的です。

江戸時代産業構造の変化2(工場制手工業)

昨日引用の続きです。

そこに十数人の賃金労働者を雇い規格品を分業制によって大量生産する方向へと移っていきました。
これがいわゆるマニュファクチュア(工場制手工業)の成立で、現在の工場勤務の原型とも言えるでしょう。
量産化に対応すべく技術革新もどんどん行われるようになります。
織物業では機織り機は「いざり機(ばた)」からのより高性能の「高機」へ。糸撚り機は人力の「紡車」から水力利用した「水力八丁車」へと機械がグレードアップしていきました。
マニュファクチュアは全国的に広がり、中には藩全体がマニュファクチュアを積極的に推進する動きがみられ、藩自らが工場を建設したり、生産された特産品を藩の専売とし、大成功を収める藩が出てきました。(専売→その藩のみが独占的に特産品を売ること。)
中でも雄藩としてのしあがったのは・・・そうです。薩摩藩と長州藩です。薩摩藩は砂糖の専売、長州藩は紙やロウの専売によって藩政改革に成功したのです。
「農民が工場に出勤し、製品を作り、賃金をもらう。」こうした農村の賃金労働のはじまりは、農村を貨幣経済へとどんどん巻き込んでいきます。一方で、農業従事者が減ったことで田畑が荒廃していったことも紛れもない事実です。
田沼に代わって老中となった松平定信は従来の土地至上主義へ回帰を目指し、自給自足を推進するため、商品作物の栽培を禁止する法令を出します。つまり、「お金儲けのための作物や特産品を作らずに、お米を作れということです。」
だって、貨幣経済が農村にまで普及し、経済は活性化。さらに技術革新によって飛躍的に経済成長しているというのに、この後に及んでこんな法令・・・・時代錯誤も良い所。
定信の政治が民衆の反感を買ったのは、これですよ。これ

上記意見でも定信の改革?の時代錯誤性を書いています。

藩が主役になる産業・・専売制度は長州が有名ですが、例えば阿波徳島に旅行した時に見学した藍屋敷・・の藍の専売制度もそのような一例でしょう。
産業構造変化については、木綿産業限定ですが具体的記述のある以下の論文がネットで見つかりました。
https://repository.kulib.kyotou.ac.jp/dspace/bitstream/2433/134214/1/eca1403-4_105.pdf

昭 和 62年 9・10月 京都大学経済学会
江戸後期における農村工業の発達 日本経済近代化の歴史的前提としての一一 中 村 哲
II 近世社会〔江戸時代の社会〉の経済的性格と木綿
日本では,中世社会〈鎌倉・室町附代〉と近世社会〔江戸時代〉は封建社会 という点で共通した面をもっているが,他面,非常に異質である。経済的側面 におけるもっとも大きな相違は,商品経済の発達であるυ
・・・幕末開港以後の主要 貿易品,すなわち輸出の生糸,茶,輸入の綿織物,砂精などは, もともと日本 にはなかったものであれ中世には輸入品であり,中世末から近世初に国屋化 されたのである。低技術の生糸は古代からあったが. 15位紀から発達した高級 絹織物である酉陣織の原料となる生糸はすべて輸入であり中世末,近世前期 (16~’17世紀)においては生糸は最大の輸入品であった。
木綿は・・・日本で国産化されたのは. 15世紀末からで 16世紀に全国に普及した。最初は かなり高価であったと思われるが,普及するにつれて大衆衣料となった。
この木綿をはじめとして,中世末から近世初にかけて,それまで輸入品であっ た砂糖,たばこ,茶,絹織物,生糸,磁器などが国産化されていった。
それによって日本人の生活が大きく変った。国産化された場合,農民でも生活するためには,商品経済関係に入 らなければならなくなったのである。
・・・木綿は16世紀, とくにその後半か ら急速に全国に普及し, 17世紀の初めに庶民衣料としての地位を確立したとみ られる。
ところがこの頃から商品生産としての綿作(原綿栽培), 綿工業は畿内(大阪,京都を中心とする地域で,当時,日本で経済的にもっとも進んでい た)に集中する傾向がみられ,畿内では農工の分離が始まる。
北陸,東北,九 州など綿作の立地条件のよくないところは畿内から大量の原綿を買い入れ,原 綿から綿糸を作って綿織物にするようになり,東北J 九州という後進的な農村 も全国的な商品経済のネットワークの中に入ることになる。
・・・1714年に大阪に集められた商品は銀44万貫余と いう巨額に達するが,そのうも35.8%は蔵米, 即ち年貢米であった。幕府,藩 は農民からとり立てた多量の年貢米を大阪に送って販売し,その金で大阪で必 要な物資を買うか,江戸や国元(自分の領国〕に送金して財政を維持していた。

上記によれば1714年(吉宗の将軍就任1716年の2年前)時点で、大阪の商品取引高中で米の比率はすでに35、8%しかなかったことがわかります。
引用続きです。

III 近世後期 (18世紀後半以後〉の商品経済の発展
近世的経済構造は18世紀中期以後解体してゆく。
文化・文政期には,主要商品しかわからないが, 米以外の商品の中で,集荷量の不明のものが,判明する商品と同じ割合でこの 1世紀聞に増加したものと仮定すると,文化・文政期には蔵米は 150万石(1 石は約 5ブッシェル〉で1714年の112万石より増えているが,価額では全商品の13.7%に低下している。
他の商品のふえ方がはるかに多いことと,米の他の 商品に対する相対価格が下ったためである。
蔵米を 100として, 1711年に綿関係商品は18 であったが, 1736年に31となり, 1804~29年には 105 となっている。つまり木綿 関係商品が蔵米より多額になっているのである。
しかもこの資料には 18 4~29 年の綿関係商品には相当多額にあったと思われる縞木綿〔先染の綿織物〉と綿糸が欠けている。 蔵米と綿関係商品はたんに物として(素材的に)ちがう(米と衣料というように〉ということだけでなしその経済的性質が本質的にちがっている。

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