構造変化と格差7(不適応対策)

補助金に話題がそれていましたが、2011-12-19「構造変化と格差4」の続きに戻ります。
グロ−バル化=賃金の国際平準化進行」ですが、これまでみて来た構造転換を国別格差でみて行くと、高度産業への転換に成功出来ない国々は新興国の追い上げにあって、(海外進出する力もなく)じり貧になるばかりで新たな受け皿も造れず失業者が溢れるようになってしまいます。
最終的には、失業の増加→賃金の低下を通じて新興国と賃金水準・ひいては生活水準が同等以下になって落ち着くことになるのでしょう。
従来の先進国の中で大量生産工場が新興国へ出て行った後も国内産業の高度化に成功出来る国と出来ない国に分かれて行きます。
ホワイトカラーの次世代で高度化向きに転進出来るものと非正規雇用に転落するものとに分かれるのと同じ結果が国にも待っています。
私の知っている分野では、顧客企業のサラリーマンの息子が弁護士(今から弁護士が良いとは限りませんが・・・)になった人が、結構いますがそのたぐいです。
元2流以下の先進国、あるいは中くらいの国々で高度化転換するだけの技術蓄積が少ない国々は、国内輸出産業・工場が縮小して行く穴埋め産業が育たず、それまでの貿易収支のトントンないし黒字国から赤字国へ転落して行きます。
一家で言えば、大量生産分野で働いていたお父さんが失業ないし非正規雇用になっても息子がハイテク系であれば良いのですが、親子まで現場系だと厳しいことになります。
巨額貿易黒字による蓄積がない国が、失業対策として黒字国並みに介護、福祉、公共工事を増やして行くと、貿易赤字が拡大して財政破綻の方向に進むしかありません。
これがイギリスポンドの恒常的下落・ギリシャ、南欧危機の基本的経済構造です。
農業や漁業は何千年も最も多くの人口を養える産業でしたが、産業革命以降の上昇した生活水準で人口を大量に維持出来るのは、近代工業化した産業だけです。
(知財も多くを養えません)
農漁業収入のままで、生活水準を近代化した都市・地域並みに引き上げるためには、地域人口を減らして一人当たり所得を上げるしかありません。
人口流出により仮に人口を半減〜6〜7割減にしても都市並みの生活水準を維持出来ない・・産業革命以降の生活水準向上は2〜3倍以上・・中国の改革解放以前我が国と数十倍の格差があったことから分りますので、国内格差の場合はどこの国でも、近代工業化に成功した地域・都市部からの資金流入・補助金で平衡を保っているのが普通です。
日本でも東北や沖縄・四国・山陰その他過疎地は、今回のグローバル化の2周回(明治維新と戦後の高度成長)前の明治以降現在に至る農業主体から近代工業社会化への構造転換がスムースに出来なかった地域です。
上記は国内の一部ですので、近代工業化に転換できた地域・都会へ人口が流出して行き易かったので、構造転換出来なかった地方に残る人が減って行く・・これを過疎化と呼んでいます・・メリットがありました。
時代変化に適応出来ない以上は、転換出来ない人や地域の人口が減れば減るほど格差是正の補助金が少なくて済みます。
とは言え、来年予算案では一般的な各種補助金とは別枠の沖縄新興予算が2937億円にものぼる巨額(僅か1年でこれだけ出て行くのですから10年では大変な額になります)が、南欧諸国はドイツ等豊かな國は別の国ですので、簡単に人口流出・過疎化しない上に補助金ももらえないので大変です。

構造変化と格差6(水平移動から垂直移動へ2)

ここ20年以上にわたるグロ−バル化の進展による国内企業の海外展開と国内生産の縮小は賃金格差(日本の突出した高賃金)がその基礎にあるので、石炭産業だけ・繊維だけ等の特定業種が駄目になる場合と違い、単純作業的職種すべてにわたって海外進出に向かいトキの経過で逆輸入も増えて来ました。
国内大量生産は縮小する一方になったので、現場系職種の人が水平移動的職種転換すべき産業として残っているのは国際競争に曝され難いサービスや介護・福祉中心になりました。
いわゆる3K職場もその現場で働くしかないことが多いので輸入競争に曝され難いのですが、その代わり外国人労働力が早くからこの穴埋めに入ってきますので、その分野の仕事も減ってきつつあります。
20年ほど前にイギリスやフランスへ行ったときに道路清掃などしているのは殆どが黒人でした。
外国人労働力を入れようと主張する人々は、3Kだけではなく車製造工場のような一般的職種にも外国人を導入して工賃を安く上げようと言うことでしょう。
これではただでさえ労働需要が細っているのに、日本人の多くは失業者ばかりになってしまいます。
いろんな理由を上げて外国人労働力の導入に01/04/03「外国人労働力の移入1」以下で連載しましたし、その後もあちこちで反対して書いている理由の1つです。
今回の構造転換では、高度化産業に這い上がれたかその能力を維持出来た人だけが高収入を維持出来ていて、その他の単なる近代工業労働者あるいは商店店員等になるだけでは職場需要が縮小する一方です。
(後進国の労働者と同じことしか出来ない人が、後進国の何十倍もの賃金を得続けるのは無理です)
今や、彼らの多くが非正規職に就くか失業の危機に陥る社会が来てしまいました。
新興国でやれる単純作業分野の職場が減れば、その分野では需給の力・市場原理が働くので溢れた労働者の立場が弱くなり、失業か非正規雇用=ワークシェアリング等に傾斜して行かざるを得ません。
労働者の人権等の関係で市場原理万能ではなく法によるある程度の修正(社会法の原理)は必要ですが、市場原理をまるっきり無視して法の力で強制し過ぎると、無理して国内残留している企業の海外進出を加速することになり、国内再編が急速に進み過ぎます。
遅かれ早かれ輸出向け大量生産部門は100%近く国内から出て行くにしても、激変を避けるために少しでも国内工場の閉鎖を遅くするように努力するのが政治の役割です。
労働者を守るために無理な労働条件を押し付けると、却って海外脱出が加速されて結果的に労働者が苦しみますから、政治はこの点を按配する必要があります。
国内大量生産工場の海外移転→国内雇用縮小を究極的には阻止出来ないとしても、これに時間を掛ければ、その間に次世代に入れ替わっていけるので、職種転換がスムースになります。
工場労働者が職を失ったときにサービス業や介護や福祉の職場さえあれば直ぐにそこで働けるかと言うと、工場労働者は対人関係向きの性質でない人が多いので、心理的その他無理がありますが、(接客業に就いても直ぐには「いらっしゃい」と言えないようです)次世代になると適応して草食系・・人当たりが優しくなって来ます。
それに加えて基本的問題点は単純労務に関する労働力過剰にあるので、その間に少子化が進み労働者自体が減少することが大きなメリットになります。
以前から主張しているように、赤ちゃんを増やすより人口減を図るのは急務です・・。

構造変化と格差5(水平移動から垂直移動へ1)

法律の分野でも弁護士は過疎地の法律相談を日当にもならない僅かな費用で分担していますが、公務員になると裁判官や検察官(これら補助職の公務員も)は全国一律給与で
各地に赴任しています。
地域の需要は地域の経済力で賄ってこそ自立していると言えるとすれば、全国平均以下の経済力しかない地方にとっては、全国的一律給与の公務員が配置されること自体も補助金の仲間でしょう。
自治体警察が経済的に成り立たなくなって都道府県警察になったのも、市町村には維持費が出せないことがその主たる原因であったでしょうが、これを補助金の視点で見直せば、零細市町村にとっては自力では維持出来ない高度な治安組織が張り巡らされ、全国平均レベルのサービスを受けられているのも補助金の御陰です。
医療や弁護士、あるいは美術展・音楽等の催し・・サービスを受けるために出かけられないことはないとしても、住民サービスとして身近に欲しいとなれば、地方と都会の支払能力の差額を補助して芸人に公演してもらったり医師等に赴任してもらうしかなくなります。
その地域の支払能力で負担出来ない高額なサービスを受けようとすれば、補助金に頼ることになるので結果的に地元市場経済の支払い能力で決まる低い収入の地元産業=農業等に就くよりは、補助金関連職種に就いた方が高額な収入を得られる結果になります。
ギリシャなどでは公務員だらけになっていると言われるのはそのせいです。
勢い、地元住民の政治・関心は補助金の枠の広がり(老人ホーム建設や弁護士派遣などは従来なかった分野です)や補助率の拡大に向くことになります。
(田舎では、政治家は密接な関係で都会から地方に行くと驚きますよ・・・)
地方公務員自体、過疎地地元の就職先としては一番恵まれた職場になっているのは公共団体の職務の殆どが補助金(の分配等の仕事)で成り立っているからです。
教育費も保育料も老人ホームも中央から回って来る負担金・補助金がなければ、多くの僻地の自治体では現状水準のサービスを提供出来ない筈です。
ラーメン屋等飲食店・理容・美容師、塾ですら、直接補助金をもらっていないとしても、補助金によって水増しになっている農業所得、土木建設や医師・教員・公務員の顧客・・現地消費があって成り立っています。
明治以降元々都市にいた人や農漁村から都市に出て行った人たちはそれぞれに適応して、工場労働者・商店の店員を経て個人経営者までなる人や、公務員、教師、ホワイトカラー等に転進して行けました。
せっかくこうして職種転換に成功した人たちでも、出た先の地方都市が衰退して行き、別の都市に移動せざるを得なくなった人もいたでしょうが、その都度新たに発達した別の近代工業や商業の働き手として転換して行けました。
たとえば、私が身近に知っている例では、石炭産業が衰退すると九州方面から多くの人が千葉の復興住宅(と言う埋め立て地の団地)に移住してきましたが、折りから勃興していた千葉の工業地帯での労働者として多くの人たちが吸収されて行ったようです。
大規模炭坑の閉山に応じて炭坑夫だけではなくそこで営業していた商人、床屋、教師、あるいは事務職等みんな余るので、いろんな人が来たでしょうから、数の多い炭坑夫→工員が目立つだけで元の職種に応じてそれぞれ転身して行ったこと思われます。
日本ではこうしたことを繰り返しながらも、農業→都会近郊の植木屋や土木建設現場系の出稼ぎ職として、農民の次世代は集団就職を経て工員=繊維→電気→車などその都度別の工業生産分野が成長したので、水平的職種転換して何とかなっていました。
(「百姓」というように農民は出稼ぎに行けば、大工の下働きから土木工事、植木屋の手伝い・・現場系の仕事は何でも出来る人たちです。)

構造変化と補助金2(過疎地2)

江戸時代のままの生産力であれば、近代的な立派な橋を架けたり舗装道路を造るには、(いくつもの信号機の設置やガードレールさえ造れないかも知れません。)地元経済の支払能力を超えるので、その差額を補助金に頼ることになります。
江戸時代並みの農業所得からでは、高度医療機器を備えたどこの田舎にもありそうな病院1つ造れないでしょう。
高額所得の医師など雇用したり開業医や小中学校の教員への給与支払が出来るのは、各種補助金の御陰であって江戸時代の小さなムラが合併を繰り返して5000人〜1万人単位になっても、農業からの税だけでは不可能です。
今や江戸時代と違って農家もかなりの所得かも知れませんが、それは生産性が仮に10倍になったから所得が10倍になったのではなく、生産性がもしかしたら2倍程度になっている場合でも、それは補助金による農機具や肥料の購入が出来ることにより収量が上がったり・・莫大な税の投入による耕地整理による合理化効果が大きい面があります。
これに加えて仮に生産量が2倍になったに過ぎないとしても、輸入規制することによる国際市場価格の何倍もの価格を国民に強制するなど農家に対する幾層にもなる各種補助で農業所得が何倍にも上がる仕組みになっています。
現在TPP参加に反対して農業がつぶれるという農業団体の主張自体が恥も外聞もなく声高に言えるのは、車のように丸腰で海外と競争出来ない・・・国民に市場価格以上の割高な農産品を買わせていることを自白しているようなものです。
政治による割高な農産品価格設定の恩恵・・・補助金によって、維新以降個人的努力によって、高度化転換出来た人と江戸時代までとにたようなことをしている人にまで同じ生活水準が補償されています。
この水増し所得を前提に農家が家を建て替えたり、昔買えなかった肉類を買って食べたり車を買ったり医療を受けたり子供が塾に通ったり進学出来たりしています。
この波及効果で、農業地帯にもいろんな商売が成り立っているのです、
農村の場合、公共工事等の直接的補助金だけが目立っていますが、実際には基礎的な生活費底上げ用の補助金こそが重要です。
市場価格以下の協力を求められる弁護士とは違い、医師や教員、警察官等は全国平均の給与をもらえるし、公共工事の場合は民間受注工事よりも割高で受注出来るのが常識ですから、(このうまみのために刑事事件になるリスクを冒してさえ、賄賂・汚職・談合が後を絶たないのです)都会での民間受注並み以上の単価で受注出来ます。
美術等のサービス受益は個々人が都会に出かければ足りますが、工事現場が都会に出かけることはないので、補助金が早くから発達し目立ちます。
出かけられないという観点からすれば小学校等の教育も地元でしか出来ないので、教育(関連の土木工事も含めて)も早くから補助金の対象になっています。
この結果、先生は全国一律的な給与水準です。

構造変化と補助金1(過疎地1)

個人レベルでは、飽くまで衰退して行く地元に残っている人の中にも農漁業に固執する人もいれば、中央からの補助金期待の土木建設業その他に転進する人もいたでしょう。
地元に残っている人は郷土愛の固まりかと誤解しがちですが、(震災報道はそう言うイメージです)中央からの地方交付金や各種補助金は、個々人に配られるのではなく地方公共団体経由ですので、この補助金に群がって(いるつもりはないでしょうが・・)地元に生き残る人も多くいました。
補助金目当てに生き残っていると言えば、土木建設業ばかり連想しますが、実際には多くの教員、保育士、医師関連職種、地方公務員、個人商店も実は同じ人たちです。
過疎地の医師は元は地元で代々医師をしていた人でしょうが、今では中央から派遣されて義務感で赴任してる人が多いので、補助金の恩恵に浴していないように見えます。
過疎地の医療保険は独立採算であればとっくに破綻している筈ですから、地元経済に限定すれば医療費支払能力が大幅に縮小している筈です。
全国の平準化した保険料と国庫負担金が中央から回って来るから、過疎地の医療財政は成り立っているし、派遣される医師も存在・高給が支給されるのです。
我々弁護士需要でも、日弁連補助金で過疎地に法律事務所を設置したり、国庫金による法テラススタッフ弁護士が、過疎地の法律需要に対応していますが、地元の支払能力のみであれば、これらの設備・事務員等の維持が出来ません。
そもそも補助金とは何かですが、地元の経済水準による支払能力が低すぎると、都市でその何倍も高額収入のある職種は寄り付きませんので、(例えば芸術家やタレントは一日1〜数万円で公演してくれと言われても応じられないでしょう)都会に出かけて行くしか近代文明の恩恵に浴せません。
教育者に来てもらったり芸能人に公演してもらったり、不採算の医療その他の専門家に来てもらうためには、何らかの補助金でその一部を負担し、(医師や教師は相場の給与で赴任するみたいですが・・)残りは弁護士等の公徳心による減額(採算割れ価格)で成り立っています。
ちなみに弁護士にとっては、過疎地の法律相談に行ってると、事務所維持費が出ないので、事務所経費負担がいらないイソ弁等若手が分担している状態です。
東北の震災被害の法律相談もそうですが、当事者がその費用負担能力がないので、日弁連が担当者に交通費の外に一日3〜4万円支給して現地相談を行っているのですが、これでは事務所家賃・事務員の給与その他経費にすらならないので、赤字で協力している関係です。
(日弁連はどこからも援助してもらってないので、弁護士から集めた会費で相談に行く人に支給しています)
土木工事の場合も地元経済水準で払える限度で土木工事をしようとする場合・・・仮に地域の産業として江戸時代同様の農漁業しかない場合を例にすると、その生産力だけでは江戸時代まであった程度の木造の橋や砂利道しか造れないし、(砂利だって買って来る資金がないでしょう)勿論村役場も木造平屋建てがやっとですし、学校も幼稚園も病院もその程度のものしか造れない筈です。

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