構造変化と格差22(モラルハザード1)

我が国の世界に誇るべき同胞意識・絆を大切にする価値観を守るためには、個体能力差に応じて努力が報われる社会・・結果的に格差が生じるのを認めた上で、その格差がテコの原理のように何十〜何百倍にも拡大しない社会をつくること・・アメリカンドリームの否定こそが、求められていると思われます。
発光ダイオードを発明した人の裁判がありましたが、裁判の結果を見ると不当に安いと思う人がいるかも知れませんが、我が国では
「ある程度の報奨金までが許容されるが、それ以上は所属している会社・・ひいては同胞で成り立っている社会に還元して行くことが望まれていた」
と日本人の中に流れる「法」意識とすれば、判決が妥当だったことになります。
島津製作所のノーベル賞受賞者田中さんの対応と会社の対応は、日本人の琴線に触れる妥当な感じでした。
発光ダイオードの報奨金も適正妥当なところで交渉によって解決出来なかったのか・・・彼も権利主張一本槍で却って居場所をなくした感じですし、会社にとっても有為な人材を失い残念な結果でした。
ソフト化社会の権利主張について2月初めに連載したように我が国・ソフト社会では、権利主張の強すぎる人は生きて行けません。
かと言って,格差の生じない社会を賞賛する人があまり多いと、庶民に対して間違ったメッセージを送ることとなり、努力しなくて良いのかと誤解する人が多くなるのが困ります。
この誤解が広がればまじめに働くのは損だとなって、失業しても直ぐに就職しようとせずに、失業保険は貰える限度まで貰わないと損だという風潮になりつつありますし,生活保護費受給者も増えて来ます。
今よりも何十倍も貧しかった戦後の時代よりも、豊かな現在の方が生活保護費受給者が増えているのは、こうした風潮が広がっている結果でしょうか?
平成23年12月24日の日経新聞朝刊には、被災地では建設需要があって求人が多いのですが、一方で失業保険受給者が多いにも拘らず求職者が少なくて、人手不足のために復興工事を実行出来ないで困っている実態が出ていました。
被災地に限って失業保険の受給期間延長をしていたのですが,これを打ち切る必要が出ているようです。
「失業保険が出る間は働かない方が得だ」というモラルハザードが起きているのかも知れません。
(これは、割り増し退職金等で退職した中高年,あるいは定年退職労働者でも同じで、殆どの人は失業保険受給期間内は転職する気がない様子です)
被災地では失業保険を打ち切ると生活保護申請が増える可能性があって、(失業保険は自治体の支出にはなりませんが・・)震災で弱体化している自治体財政が余計苦しくなるので迷っている様子が報じられていました。

構造変化と格差21(結果拡大社会4)

明治維新以降の近代化の構造変化において、農業から都会人になった人でも経営層あるいはこれに準ずるホワイトカラー層(公務員)に食い込めた人材と底辺労働に組み込まれて行った人材がありました。
これまで書いているように、能力相応の格差は何時の時代にも(古代から)当然存在していたのです。
グローバル化までは、底辺労働でもそれなり生活が安定していた(今でも韓国や中国に比べて何倍という賃金格差があります)のと、我が国では元々上層部と労働者の所得格差が低い社会ですので能力相応に細かく分かれた格差は、大した問題ではありませんでした。
高度成長期に急拡大したホワイトカラーや工場労働者層(中間層)が、今回のグローバル化によって分解されて、本社に残れる5〜10%のエリート以外は中年になると関連会社に出されたり、割り増し退職金をもらって社外に出てしまう・・結果的に非正規雇用の職場しかなくなる不安定な身分に落ち込みました。
(これに連動して幹部候補生としてのホワイトカラーの新卒採用自体が激減です)
高度成長期にこれも拡大した現場労働者(・建設現場労務者・工場労働者)層の多くが、国内製造業の海外進出による職場喪失によって期間工や派遣・フリーター等になってしまいました。
こういう時代にこそ,新たなことに挑戦して新たな仕事を見つけて行くしか国の活路が開けません。
新たなことに挑戦して成功する人と成功しない人がいてこそ、(成功しない人が負け組です)社会変化に国が適応して行けるので、挑戦自体を否定していては民族の将来がありません。
とは言え、全員が変革の旗手になる・・成功するのは無理でしょうし、高度技術者になるのも無理ですから、負ける人の方が多く出るのは当然です。
負ける人がいなければ勝つ人がいない・・「負け組を造るな」の主張は、勝つことを許さない響きがあって、誰も新しいことに挑戦して成功してはいけない社会を理想にしていることになるとすれば、亡国の議論になります。
リクルートの江副氏に始まりホリエモン、村上ファンドなど新しく出て来た人材が直ぐに逮捕されたのは、それなりに指弾される理由はあるのでしょうが、ここ20年ばかりの検察の動きを見ると我が国では「結果として何か新しいことで成功すると、直ぐに摘発されてしまうような印象をもたれる社会」になっています。
昨年末頃に最高裁で無罪になった、ウイニーとか言うファイル交換ソフトを開発した元東京大学助手金子勇さんの例もありますが、新しいことをやると直ぐに逮捕・摘発が続くのでは、(後で無罪になっても)時代の進展に先駆けた能力を発揮しづらい社会になっています。
「負け組を造るな」・・あるいは「格差反対」のキャッチフレーズが流行っていると、本来防止しなければならない大きすぎる格差是正の問題としてではなく、庶民的には、「努力しなくっていいのか」と言う響きで受け入れられ易い危険があります。
(庶民の味方である・・庶民で構成されている警察が、そのように誤解して新規産業に敵意を抱いているのでしょうか)
優勝劣敗があって、その結果をどうするか・・セーフテイーネットの構築は別問題であって、競争→結果の差が生じること自体を否定していては、世界の発展に遅れてしまい、日本の将来はありません。
格差は変化に対する適応競争の結果生じることであって、逆にどんなに努力しても結果が同じでは困るでしょう。
国民全員が社会変化に同じ比率で適応出来ることはあり得ませんから、(個々人の適応力に凹凸があるのは当然です)その結果ウマく適応した人と出来なかった人の差が生じるのは当然です。
問題点・・修正すべき点は中間層が分裂してしまい、(比喩的に50〜60点の人が10〜20点の人と同じ扱いなってしまう)格差が大きくなり過ぎることではないでしょうか?
アメリカンドリームは、結果の格差が巨大であることを賞賛する社会ですが、我が国民性には馴染みません。

構造変化と格差21(結果拡大社会3)

我々弁護士の世界も同じで、過払い金バブルを経験して来て良い思いをして来てここ数年独立したばかりの経験10年前後の弁護士には厳しい試練が待ち構えている様子です。
(弁護士の世界には、日本経済の停滞に苦しむ現実が20年近く遅れて到来している感じです)
産業界ではこれを打開するために海外進出するのが普通ですが,弁護士業界もこの護送船団として一緒に進出するべきだという意見もあるでしょう。
部品等の下請け工場は,ついて行ってもそのまま生産出来ますが,弁護士の場合には出て行くときにだけ日本企業のアドバイザーになれるかも知れませんが、その後現地定着して現地の人を顧客に弁護士業をして稼げるようになることは考えられません。
トヨタやユニクロのように自分が国際競争力を持っていて自分のために海外に出るなら別ですが,他業界の進出について行くのは無理があるでしょう。
この点はおまけについて行っただけで自分自身の顧客を海外に求めたのではなく、海外進出した日本人客相手に海外に出て行った銀行やデパートと同じ結果になる筈です。
この問題は別の機会に譲って、格差問題に戻ります。
経験4〜5年前後の弁護士は修習生のときから大量増員による厳しい就職戦線を知っていますので、(さして良い思いをしたことがなくて)可哀想と言えば可哀想ですがその代わり弁護士になってからの厳しい現実には驚かないでしょう。
同じく一般の人も40台以降の若者は、大学卒業ころからの就職難で日本経済の厳しい現実を前提に生きてきましたので,今の中高年よりは打たれ強いと思われるので,今後彼らが中高年になると中高年の自殺者が減って来るのではないかと思います。
バブル期までに5〜60点レベルでも大企業に就職出来た人たちは、途中でリストラに遭えばその後は非正規雇用・・20〜30点レベルの仕事に転落してしまうのが普通です。
運良く大企業に就職出来た人たちは、今になってそのリスクに怯えた生活(うつ病等の多発や自殺率の上昇原因です)をしていますし、最近の新卒の場合、5〜60点クラスではマトモな正規社員としての就職がなく、残りは始めっから非正規雇用が待ってるだけの社会になってしまいました。
勝ち組負け組・・負け組を造るなというキャッチフレーズが我が国でここ10年前後流行っていますが、競争=淘汰とその結果による格差が今に始まったことではなく、明治以降ずっと適応と淘汰の繰り返しであったことは同じです。
たまたま経済大国化してから、中程度の賃金労働現場が拡大して誰もが就職出来て(大量生産社会は未熟練労働者の職場を拡大したので,言わば底上げ社会でした)良い生活を出来るようになりました。
これが普通になると「人皆同じ」のキャッチフレーズが、本当の社会であるかのような錯覚にとらわれる時代でもあったのです。
負けるのが可哀想という変な優しさが浸透して、2〜30年くらい前から運動会の徒歩競争は勝ち負けがはっきりするから廃止するという話を聞いたことがありますが、どうなっているのでしょうか?
優しいことは良いことだという風潮下で負け組を造らない社会に変質している点が、このようなアッピールを大きくしている面を否めないでしょう。
これまで書いて来た高度技術・ソフト産業時代が来ると、少しの能力差が結果では大きな差になる社会になったことを無視出来ません。
20〜30点の人に相応の仕事があり、3〜40点の人には工場労働、5〜60点の人(中間層)が5〜60点の事務系の仕事に就ける社会が大量生産型社会であるとすれば、7〜80点以上が高度産業・事務系に従事出来て5〜60点の人も最末端の10〜20点の人と同じ非正規雇用しかない社会になれば、中間層が消滅し格差が広がるのは当然です。
中間層向きの仕事がなくなった・・あるいは縮小した以上は,中間層が存続出来ない・あるいは縮小して行くのは当然です。
政治の世界では中選挙区制から、一人しか当選しない小選挙区制に移行したのがこれと軌を一にしていると言えます。
(地方議会はまだ中選挙区制のままですが・・・まだ国際競争の厳しさが直接及んでいない間接的な社会だからでしょう。)

構造変化と格差20(結果拡大社会2)

大分話題が飛んでいましたが,産業の構造変化と格差問題に戻ります。
今年の1月23日に「格差19」でしたので,今回は20になります。
国内で企業が生き残る・・従業員を守るには大量生産品の量で勝負するのではなく、品質競争で勝つしか生き残れなくなっています。
1月26日に書いたように味・うまみ等と違い部品競争力としての品質は、コストパフォーマンス上の品質が優る面が中心ですので(歩留まり率の向上・電池で言えば耐久時間の向上など)これも結局は価格競争局面で捉えるべきでしょう。
技術・品質優位性があると言っても、大量生産品よりは円高対応力が高いだけであって、一定以上の価格差になって来ると購入先は品質が多少劣っても安い方を利用することになるので、品質競争も一定以上の円高・・競争相手国との賃金格差には耐えられません。
何回も紹介していますが、2007年には1ドル120円平均でしたが最近の1ヶ月間では76〜77円です。
自動車業界が今回の円高で遂に持ちこたえられないということは、汎用品・大量生産品でちょっと水準以上という程度・・今のトヨタはその程度かな?・・では、高々度業種が稼ぎ出す貿易黒字・円高について行けなくなったということではないでしょうか?
これまで円相場と企業の盛衰を書いてきましたが、国に関しては産業革命以降の近代工業化に成功した国と成功しなかった国・・国内的には近代化に適応出来た地域と適応出来なかった地域(実際にはなだらかな分布でしょうが・・・)があったように、国民の中でもグロ−バル化に乗れた人材・・勝ち組とグローバル化について行けない負け組・・国際的格差・国内格差が大きく出て来たのが昨今の経済・社会です。
従来は40点〜50点〜60点〜70点〜80点と、能力に応じて多様な職種が用意され、会社内でも多様な職階が用意されていたので、格差が余り気にならなかったと言えます。
グローバル化までは、50〜60〜70点までの人はホワイトカラーになれて、世界企業・国内大手かあるいは中企業かは別として、そこそこ部長クラスまで出世出来る社会でした。
今では、既に就職出来た人でも世界シェアー何割を握る超優良部品企業に就職出来た人以外は、何時リストラに遭うか心配している状態でこの結果中高年男子の自殺が増えました。
中高年男性の弱さは、右肩上がりの高度成長期〜安定成長期に育ち就職時から7〜8〜10年まではバブル期でしたので、若いときに良い思いをして来た世代で、心の訓練が出来ていません。
就職後約10年間前後多くの企業は業容拡大期で、直ぐに部下が入社・配属されるなど良い思いできた後で、30代後半から40代になったころから勤務先ではリストラの連続ですから、何時自分がその対象になるかヒヤヒヤしながらの人生になってしまいました。
この境界線上にいる人材にとっては、ストレスの負荷が半端なものではありません。
日本の自殺率の高さが問題になっていますが、時代特性・・特殊技能を持たない半端な企業や人にとっては生き残りが苦しい時代・・格差社会が始まっていることを無視して政治批判ばかりしていても解決にはなりません。
この点40才代未満は、元々バブル崩壊後の就職氷河期から始まっているので、大企業に入社しても途中で追い出されることも覚悟の上・・心構えの訓練が違います。

構造変化と格差19(結果拡大1)

車が輸出産業の主役から降りても別の主役が育っていて貿易上収支上の問題が仮にないとしても大量採用をしている自動車産業の衰退は、雇用環境への影響が甚大です。
グローバル化以降の適応・変革は、大量生産型産業から東レの炭素繊維の成功例のように高度化への変革による国内総生産の漸増と黒字の獲得によるものですから、大量の労働者不要な産業形態になっています。
高度部品製造分野は高人件費に耐えられるからこそ、円高にも拘らず、高収益を維持出来ているのですから、高人件費に見合う能力のない人の職場が減る一方になるのは論理必然・・仕方のないことです。
仮に自動車産業が他産業の高度化同様に基幹部品・・シャフトやエンジンや電池の供給産業(これはサンヨー電機などの電機産業の得意分野です)だけになると、必要労働者数は激減することになります。
今後、上記のように高度化に成功した産業が貿易黒字を稼ぎだして円高を引っ張って行くようになっても(国家経済的・・貨幣経済的には成り立って行くのですが)・・あるいは知財・アニメその他の強い業種が出て来ても大量雇用が期待出来ません。
繊維産業内でも縮小して行くばかりの会社もあれば、昨年末から1月8日まで紹介した東レやクラレのように製品を高度化して生き残っているところもありますが、生き残っている企業でも薄利多売の高度成長期の頃よりは、汎用品製造向け労働者が減っている筈です。
まして縮小あるいは消滅してしまった他の繊維業に勤務していた労働者は、失業して他産業(車関連など新規勃興業界)に転職するしかなかったでしょう。
その次に産業の柱になった電気・造船・機械製造・製鉄その他関連職種の一々について紹介しませんが、それぞれの業界で似たような運命・・高度化対応しての生き残り組と不適合による縮小・消滅組の運命を辿っている筈です。
プラザ合意に端を発する1990年代以降のグローバル化進展によっても生き残れるように、我が国各種産業は高度化対応して来たので、汎用品向けの底辺労働の雇用吸収力を漸次失いつつあります。
アメリカで言えばプレスリーやアップルが大成功しても、知財・高度産業ではアメリカ国内の雇用はそれほど増えないことをみれば明らかですが、我が国の場合、幸い、高度化と言っても知財や研究部門だけではなく、技術部門の高度化・この分野では世界の何割を占めているという部品メーカーの輩出・高度化が基本です。
輪島塗その他各地伝統工芸品でも同じですが、元は各地の大量生産品の産地として名を成したでしょうが、工業製品化に押されて普及品は姿を消し、地元で逸品を造れる人だけが伝統工芸品製造者として生き残ってるのです。
陶器・磁器や藍染め、打刃物その他各地に残る伝統工芸品は、こうした歴史を経験している筈です。
この場合、瀬戸物のように大量消費材として全国展開する産地であったころと同量の大量従事者・裾野産業を養えませんが、伝統工芸として製造に従事し続ける人が残れた分(繊維でも電機でも各種機械製造でも高度部品製造分野が残ったので)、なお一定規模の雇用が守られているのが、アメリカや欧州との違いであり、救いです。
大量生産部門が海外流出して行っても優れた部品製造部門が残っている分だけ欧米に比べて、失業率が低く保たれて来たのです。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC