フェイク報道とは?

報道の正確性の問題ですが
「小学生と中学生の比較です」あるいは受験者の年齢等を伏せたままテスト結果の数字だけ報道されると誤解がおきます。
あるいはテスト時間を一方だけ1時間で他方は15分間と限定した場合にも、あるいは一方にだけ事前にテスト問題を教えていた場合などその他条件が違う場合には、同学年のテストでも結果が違ってきます。
同じ内容のテストをした結果であることが虚偽ではないとしても、受験条件が共通という前提で合否判定会議が開かれるのが一般的であるとすれば、ある受験者だけテスト問題を知らせていたという事実を示さないまま会議資料として提出するのは全体としてフェイクになるでしょう。
最近文科省汚職に絡んで問題になっている東京医科大入試で得点操作していた問題も根本は同様です。
民法では、詐欺取り消しをできる場合の一種として「動機の錯誤」があります。
https://www.minpou-matome.com

(3) 詐欺と意思表示の因果関係
欺罔行為によって表意者が錯誤に陥り、その錯誤によって意思表示をしたという因果関係が必要である。欺罔行為が意思表示の内容に影響を与えなかったときは、詐欺は成立しない。
〔考察〕詐欺と錯誤の関係
詐欺の被害者は錯誤に陥っている。この錯誤は動機の錯誤であるが、要素の錯誤(法律行為の重要な部分の錯誤)に限定されていないので、95条の錯誤とは異なる。しかし、動機の錯誤も要素の錯誤となりうるとする判例・通説の立場にたつと、詐欺による錯誤も要素の錯誤になる場合がありうる。その場合に詐欺取消と錯誤無効との両方が要件を充足して競合することになるが、両者の効果の関係をどのように考えるかが問題となる(二重効の問題)。いずれも主張しうるものと解されている。
上記説明では学問的すぎて分かりにくいですが、以下の説明は具体的で分かり良いでしょう。
http://lantana.parfe.jp/keiyaku02-1.html
動機とは内心的効果意思を形成する以前の段階で発生して来る表意者の意欲です。
・・本物のエルメスと誤信して欲しいと思ったことが動機です。
そして、実際にはエセブランド
なのにそうとは認識していないのですから動機の錯誤があったことになります。
判例によれば、動機に錯誤があった場合、動機が表示されており動機が要素に関するもので
ある場合に限り意思表示は無効とされます。
その結果、動機の錯誤に関してはなかなか無効とはされない傾向にあります。
しかし、消費者契約の場面では業者の勧誘行為が消費者の動機形成段階から関与して来ることが
多く、情報・交渉力の圧倒的な格差が埋められぬまま不当なセールストークによって購買動機が形成
された場合には動機の錯誤により無効を認めてもリスク分配の公平には反しないのではないか。
つまり、消費者契約法や特定商取引法では契約締結過程の情報・交渉力の格差の是正こそが契約トラブルの予防になるとして、業者に情報提供義務を課しています。
業者が情報提供義務に違反し、それが消費者の動機形成に影響し消費者の認識と実際の表示との間に食違いが生じている場合には、消費者が動機を表示していなくても業者には動機が表示されている(認識されている)と扱っても不合理ではないはずです。

 

ここまで噛み砕いてくれると分かりよくなります。
ジャーナリズムなどの著名人・評論家・・情報発信を職業にしている人が業務として行う発言発信は、情報供給業者であり、視聴者・読者は消費者です。
※私の場合、繰り返し書いているようにこのコラムで直接間接に何の収入も得ていないし、このコラムを読んでいる依頼者もいないようですし、これを読んで気に入ったからといって(具体的事件処理に役立つ意見ではないので)相談に来た人もいませんし、弁護士業務に何の関係もありません。
このコラムでの政治的意見が弁護士会内で何らかの影響力も持ってもいません(誰も読まない以上あたり前ですが・・)・・年長者という程度で表向き大事にしてもらっている?
・・・我々法律家の世界では理論が中心ですから議論について行けてない・理解力の劣る高齢者が口出しすると議論が停滞して迷惑に感じるだけでないでしょうか?
大人になりきれていない結果、今でもよくわからないのですが、年長者に面と向かって「間違ってますよ・・」と言ってはイケナイ暗黙のルールがあるようで、その分年長者は早めに引退するか、滅多に余計な意見を言わない習慣にならざるを得ません。
話題を戻しますと、デパートなどでエルメスという商品名で売る以上は、ブランド品と消費者が思うのが普通です。
不動産取引では動機の錯誤の極小化のために宅建業者に対しては取り引き前に重要事項の説明義務が法定されています。

宅建業法(昭和二十七年法律第百七十六号)
(重要事項の説明等)
第三十五条 宅地建物取引業者は、宅地若しくは建物の売買、交換若しくは貸借の相手方若しくは代理を依頼した者又は宅地建物取引業者が行う媒介に係る売買、交換若しくは貸借の各当事者(以下「宅地建物取引業者の相手方等」という。)に対して、その者が取得し、又は借りようとしている宅地又は建物に関し、その売買、交換又は貸借の契約が成立するまでの間に、宅地建物取引士をして、少なくとも次に掲げる事項について、これらの事項を記載した書面(第五号において図面を必要とするときは、図面)を交付して説明をさせなければならない。
以下省略

プロが、素人相手に発信するときには、物件に関する都市計画等の間接的情報も開示する必要がある・・眺望抜群のマンションを売る場合には数年後に眺望を遮る施設が出来るの知っていた場合には重要情報ですから説明義務がある・・、というのが現在社会の基本ルールでしょう。
25日から紹介している辛氏の朝日新聞記載の意見はウイキペデイアに出ている限りで見れば、「何と何を比較するかもはっきりさせず」に「来日外国人」などという一般的でない言語をいかにも同質集団間の比較対象のように持ち出して、多くの人が誤った印象を持ってしまうのを意図したような文章に見えます。
最近ニュース女子事件のBPO決定を連載したばかりですが、ニュース女子報道はDHC持ち込み形式だったとしてもMXに校正チェック責任がないかが問題になっていたはずです。
朝日新聞は投稿その他の記事を載せるにあたって「論理にごまかしがないか」その他裏付けの有無を問題にしないのでしょうか?
朝日新聞は慰安婦報道では吉田調書の裏づけ調査しないで、大規模報道していた点が問題になったはずですが・・?
自社意見が先にあって、これに合致する意見は裏を取らずに事実のように報道する体質があるのでしょうか?
「誰それがこう言った」という直接事実はその通りでしょうが・・。
今の時代、直接事実に嘘がなくともその前提たる間接事実に虚偽があれば、全体としてみれば、フェイクニュースと評価されるべきでしょう。

報道自由度ランキング2(「公権力とは距離を保つ」1)

ここで、2018/06/13「報道の自由度ランキング1」〜2018/06/29「(フェイク?)報道と信用失墜3(国連特別報告2)」の続き・・日本の言論自由度ランキングが政府批判的意見を言う書店主が政府によって拉致されてしまう香港などよりも低いという国連報告に戻ります。
言論に関しては本当の自由市場があれば、国民の意向に合わない言論は売れないし、メデイアの場合視聴率も下がり自然に出番が減ります。
流行作家や流行商品が売れなくなるのと同じですが、それを言論の自由がなくなったと転嫁批判していないかの疑問があります。
実験らしい実験もしない研究発表が自由に出来なくなった場合に、研究発表の自由度が下がったと嘆くようなものです。
日本をより良くしたいと思うならば、国内の言論市場で先ずは勝負すべきです。
外国に向かって日本の批判ばかりする習癖(自虐史観)は、「自分だけは別」という優越思想発露の一環でしょうか?
数年〜4〜5年前に「そこまで言って委員会?」の議論を見ていたら、慰安婦事件に関連して日本兵の蛮行批判をしていたある有名女性の(父職業軍人であった?か忘れました)「ではあなたのお父様もその一人ですか?」という趣旨の質問をされて「私の父はそんな人ではありません」と「憤然」と言い切って会場の失笑を買っていましたが・・・。
日本人の多くが「自分の父さまはそんな人ではなかった」と思いたい人ばかり・・国民心情と切り離して日本批判する人は「自分または自分の父だけは違う」と問題の圏外・高みにいる思想の人が多い印象です。
社会派と称する映画を見ると、日本の最底辺層をアップして「日本はいかに貧しく汚い街か!」というイメージを海外に宣伝するものが多いのですが、そういう画像ばかり見て日本へ来てみると実態とは大違いなのに驚く人が多いようです。
社会が発展し景気が良くても、苦しい人や犯罪を少しでも減らせると言うだけであってゼロにはできません・・高成長や発展から取り残される人がいるのは当然です。
そういう人々・・日本の0、00何%!の人に焦点を当てる・・自分の収入が増えて成功者になっても、いつもそういう人へ想いを馳せることは重要ですし、他人に対しては、謙遜する姿勢が必要です。
しかし、それは個々人の内省や国内政治のあり方を国内で発信する問題であって、日本の暗部を対外宣伝する必要性とは関係のないことです。
日本の欠点とも言えない・強い絆で結ばれ一体感が強く過疎地の隅々まで貧窮に苦しむ人の少ない・世界一格差の少ない社会から暗部を探し出して国際社会に訴えたい人が多い・・そのような逆境でも健気に?頑張っている人を描くのが表向きのメッセージですが・・視覚的に圧倒的影響力がある(ことこそ映画の最大の強みです)のは汚い空間表現です。
・・映画界ではそんな最底辺に焦点を当てる監督ばかりが「社会派」と称して幅を利かしてきたのが不思議です。
どんなに頑張っても貧困率や犯罪率をゼロにできないが、その比率を下げることに政治は努力すべきですし、しているのです。
あばら家やゴミも不良も犯罪もゼロにはできないが、比率を下げる努力が重要です。
犯罪等をゼロにはできないが、日本をよくしようと頑張っている人や政府を嘲笑うために特別汚い場所を選んで報道する・・自分だけが偉くなったよう気になる人がいるようです。
最近カンヌ映画際で「万引き家族」という日本で現実にありえないような題名の映画ですが・・受賞した是枝監督が、政府のお祝いの招きを断った記事が新聞に出ていました。
私は例によって「見出し」しか見ていませんので読んだ時に「不思議なことをいう人がいるものだ」と印象だけ残っていたのですが、今回のテーマに関係ありそうなので以下検索して見ました。
https://www.asahi.com/articles/ASL68677QL68UCVL025.html

是枝監督、文科相の祝意を辞退 「公権力とは距離保つ」
2018年6月8日20時39
是枝監督は同日付で「『祝意』に関して」とする文章をサイトに掲載。
受賞を顕彰したいとする団体や自治体からの申し出を全て断っていると明記し、「映画がかつて、『国益』や『国策』と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、大げさなようですがこのような『平時』においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています」

「公権力とは潔く距離を保つ」とはどういう意味でしょうか?
公権力の主体は政府であり、民主国家においては政府は国民代表ですから、言い換えれば日本人代表と距離を保ちたいということでしょうか?
是枝監督は、「政府は国民を代表していない」というのでしょうか?
こう言う根拠のない言い切りを喝采して売れっ子?の虚像を作り上げてきたのが、情報独占にあぐらをかいてきたメデイア界でした。
もしかして、フランス政府主催の映画祭で受賞すれば、(フランス政府に公認されれば)日本国民代表になったつもりでしょうか?
上記論法によれば日本人代表が日本人の選挙によらずに、フランス政府によって選ばれるイメージです。
革新系運動家の政府批判はほぼ毎回、「国民大多数の声を無視して・・」という合唱ですが、根拠なく「国民大多数」を僭称しているのと共通です。
メデイア界にいると日本批判「自分は日本人一般とは違う人間・・高みにいる」と思い込んでしまうのでしょうか?
彼は戦前権力に抵抗した実績があるのでしょうか?
一見したところ戦後だいぶ経ってからの生まれで戦前政治と関係がなさそうな世代のようですから、いわば自分を安全地帯において格好つけているだけのようにみえます。
では現在の権力と戦ったことがあるのでしょうか?
メデイアという第4権力に身を置いて、その中の多数派の意見を代弁しているだけではないでしょうか?
是枝監督の公権力・・主張は、june 6, 2018,「慰安婦=性奴隷論の説明責任1(言葉のすり替え1)」以降書いてきた戸塚弁護士が「私」の主観を媒介に「売春婦を性奴隷」とすり替えたように「公権力」概念の巧妙なすり換えが行われています。
今彼が指す公権力は現在の公権力なのに、なぜか戦前の公権力のイメージに切り替えて距離を保つ必要があるのでしょうか?
いかにも現政府も国民を代表していない・・国民抑圧者のようなイメージすり替えが行われています。
その上で、「映画がかつて、『国益』や『国策』と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つ・・」というのですが、彼の脳裏では戦前の国民抑圧者的公権力が今も続いているような論理です。
いわば戦後の民主化と70年の結果を見ないことにしている・・現実無視の態度です。
そもそも戦前政治が権力による抑圧社会であったか?メデイアの誘導に抵抗できなかったか否か自体検証されていません。
メデイア界こそ敗戦時にきっちりした自己批判・総括してこなかったことが、未だに尾を引き我が国を変な方向へ引っ張っているのです。

袴田再審高裁決定6と報道

1年足らず前のことですが・・・町内会で野良猫繁殖防止のために有志グループが捕獲して避妊手術をする運動に自治会から避妊手術費の一部助成するかどうかが議論になった時に、「そもそも動物だからと言って避妊強制が許されない」という(人道的?)意見が出たことがあります。
その後避妊手術済みの猫(何匹もいます)に対しては、有志グループが責任を持って近所の公園で餌をやり、糞の始末もすることになっているので、猫らも可愛がられているのが分かったのか、(もともと4〜5匹が自由に出入りして気ままに昼寝していましたが・・以前に増して)気楽そうに我が家の庭に出入りしています。
晩秋、落ち葉の季節に私が掃き集めている落ち葉がある程度集まると(朝日が当たって暖かいらしく)落ち葉の上にお座りしてチリトリでゴミ袋に取るまで私の掃除を見ていることが増えました。
平成の初めから、ゴールデンレトリバーを飼っていましたが、そのころ、庭で芝生の草むしりをしていると、傍にいる犬が芝生以外の草を選んでくわえて一緒になって引き抜く真似ごとをしていたのを微笑ましく見ていたものです。
野良猫でも毎日庭に出入りし、私の庭仕事を見ていると「近所付き合いみたいなもの?)何か役に立たないと行けないかな?と思うようになるようです。
主義主張に戻りますと、特定立場の主張をしたいならば「社会の公器?」としての役割を降りて、特定思想集団としての意見発表するのは自由です。
古くから無政府主義者がいますし、(・・政府がなくてどうやって秩序を維持するのか不明・・刑事罰などを当然否定するのかな?・・・その代わり自分の生命・権利は自分で守れ→強い者勝ちを理想とするのかな)アメリカでもモルモン教徒やベジタリアン、中絶反対、ドイツの緑の党など極端な主張をする集団がいろいろありますが、それぞれ自己の主張が正しいと思うならば堂々と自己の主張立場を明らかにして論争すべきです。
朝日新聞は、今になると表向きの立場とは違って実質的な自己主張・.依って立つ立場がはっきりして来たように見えますが、(主張がはっきりしてくるとこれに対するコア支持者しか購読しなくなるのでしょう)それでも表向きは、中立であるかのように装ってごまかそうとするので「ズルイ」と批判されるようになったと思われます。
「証拠の有る無しに関わらず刑事処罰を全てなくすべき」という社是ならば、そう主張すればいいことですが、袴田再審開始取り消しの高裁決定に対しては、高裁裁判の途中経過の具体的論評を省略して如何にも「結果が不当である」かのようなイメージ表現で裁判制度の信用を貶そうとしているのはずるいやり方です。
すなわち郷原氏の6月20日引用の朝日新聞の意見は
「この決定に至るまでの経緯は、一般の市民感覚からすると理解しがたいことばかりだ。」
と意味不明の「市民感覚」を持ちだして批判しています。
訴訟経過を批判したいならば「市民感覚」という意味不明の決め付け」ではなく、具体的事実経過を示して「ここが納得できない」と具体的批判根拠を指摘すべきでしょう。
朝日新聞は「自分はエリートだ・・庶民相手に訴訟経過の不当性など説明しても庶民にわかる筈がない・.結論だけ示せばよい・・革新系政党のスローガン政治「ダメなものはダメ!」とか「少なくとも県外へ!」などと同じ発想ですが、朝日も同じエリート思想によっているのかもしれません。
あるいはまともな論評能力がないので、このような根拠のない主張に逃げているのでしょうか?
高裁決定書を理解できないならば、決定要旨そのまま報道すればいいのですが、肝心の決定要旨をそのまま引用をしない・・詳しくは有料記事で・.というスタイルで、無料記事は「市民感覚」よる批判ばかりです。
慰安婦問題も同様で、「強制か否かに関わらず売春制度自体が許せない」「あるいは世界の売春婦はよいが、日本の売春婦だけ批判したいのだ」というならば、そういう政治立場を明らかにした上で主張すれば良いことです。
軍の連行があった→性奴隷かのように(フィクションに過ぎない吉田調書が出ると報道機関として必須の事実裏付を取らずにあたかも事実かのように大規模報道していたのは、中立の報道機関の行為とは思えません。
「朝日ともあろう会社がまさか裏を取らずに大規模報道しないだろう」という信用が慰安婦騒動の「ことの始まり」でした。
静岡地裁の袴田再審開始決定に関しては、朝日新聞の慰安婦報道同様に科学者に対する信用を利用してずさんな?実験論拠?を提出して異様な鑑定意見を出したところ、地裁では大学教授の肩書きを信用して?実験経過を厳重チェックせず・・・・地裁段階で検察による緻密な反論がなかったのか?あったのにこれを軽視した結果か不明ですが、(全記録を見れば明らかでしょうが、私は記録を見ていないので不明です)その鑑定を採用してしまった所に端を発している点では似た展開です。
メデイアに限らず先人の信用を悪用(まさか「実験していないのにした」という「虚偽報告をしないだろう」という信用)した研究成果を装った科学分野の発表の罪深さ・各種分野で先人の築いた信用利用による検査偽装.会計偽装等が横行しているのが最近の風潮です。
いろんな分野で商品品質の逐一検査するのでは、社会が回っていきませんので一定資格者による自主検査を信用して公的検査省略が普通です。
この信用を悪用する事例・・今朝の日経朝刊13p他にも新事例・・日立化成検査不正や三菱モルガンの国債相場操縦などが出ています・各種分野で目立つようになってきました。
この機会にメデイアに限らず、科学者の世界でも先人の築いた信用利用に・教授等の名の知られた人が発表する以上相応の実験を本当にしたものと信じる習慣を利用して「根拠を欠いた発表」が横行している現実について、紹介しておきたいと思います。
この点は三越の長年の信用を悪用した三越(板倉社長)事件や、だいぶ前の姉歯事件の建築設計の偽装事件、近年では横浜のマンションの傾き事件、免震ゴムの品質偽装事件、神戸製鋼や富士重工などの工業製品の検査偽装などと根っこは多分同じでしょう。
会計分野ではエンロン事件以降、直近では東芝問題等々会計処理の問題性は周知の通りですが、一応監査法人等が存在します。
我々弁護士会でも懲戒システムが完備しています。
弁護士の信用を利用した方が裁判所も仕事がスムースなので、破産再生等では弁護士申し立て事件では、調査簡略化してしていますが、弁護士がその信用を悪用して不正をすると弁護士全体の信用に関係する・・システム運営上大変なことになり、相応の懲戒を受けます。
公共放送で公正性を担保するために放送倫理委員会があるようですが、新聞にはそういう仕組みがないどころか「表現の自由」は、「人権の中の人権」という宗教論のような主張が憲法学界で根強いことから、報道に対するあらゆる批判がタブー視されてきました。
その是正は「言論の自由市場」によるというのですが、テレビ、ラジオ、出版界は大手寡占市場ですから、(自費出版ができる以外は)実は本当の「自由市場」がなかったのにごまかしていたのです。
メデイア界全体で同じような不正虚偽報道または虚偽報道まがいの紛らわしい報道をしても同業者が等しくやっている限り、競争原理が働きません。
平成に入ってから、ネットによる情報発信が可能になったので、情報発信独占にあぐらを掻いていた大手メデイアの情報支配・独占が崩れてきました。
今回高裁で否定された鑑定意見の問題点・高裁の指摘がある程度事実とすれば、大学教授が権威に胡座をかいて不正な研究発表をしていても、大学の教授会やその教授の属している専門学会の自浄作用に委ねて置いて良いかの疑問が出てきました。

(フェイク?)報道と信用失墜3(国連特別報告2)

これまでザッと書いてきた朝日新聞の現状では、慰安婦報道のミスでは内心何も悪いことをしていない・うるさすぎるので仕方なしに謝罪会見したのかな?程度の意識で今も社内運営している実態が出ています。
その後何かいうとすぐにネット批判が飛んできて肩身がせまいのが納得出来ない・・実質賃金や労働分配率低下の記事でいえばすぐにネットが噛み付いてきて何もいえない・・「言論の自由度が下がった」と苦情を国外に宣伝したい気持ちがわかります。
メデイア界による市場独占の時には「自由市場だ」規制はおかしいと嘯いていたのに、メデイアの独占発信が崩れイェ批判に晒されるようになると言論の自由度が下がったとかオポチュニスト論などが幅を利かすようになりました。
6月14日に書き始めていた国連特別報告者派遣問題の続きですが、それを日本批判に利用したい外国がすぐに取り上げる連携プレーのようです。
日本政府は実態無視の勧告は受け入れられない態度です。
https://mainichi.jp/articles/20180621/k00/00m/030/056000c

「報道の自由」勧告拒否 日本政府
【ジュネーブ共同】国連人権理事会による日本の人権状況の審査について、日本政府は7日までに、特定秘密保護法などで萎縮が指摘される「報道の自由」に関する勧告を拒否…
会員限定有料記事 毎日新聞2018年3月8日 10時26分(最終更新 3月8日 10時45分
昨年11月の作業部会で各国から出された217項目の勧告を受諾するかどうか項目ごとに見解を公表した。145項目を受け入れたが、死刑廃止要求など34項目を拒否、38項目は一部受け入れや留意と…以下有料
5〜6日前にアメリカ国連人権委員会を脱退宣言を出して、大ニュースになっていました・・。
国連人権理事会
米国脱退に人権団体など懸念や遺憾
【ニューヨーク國枝すみれ】トランプ米政権が国連人権理事会(本部スイス・ジュネーブ)からの脱退を19日発表した。国際機関や国際協定に背を向け、孤立主義をさらに強…
(2018年06月20日 19:14

アメリカの不満はイスラエル関係の不満で日本とは違いますが、それとは別に国連は賄賂等にまみれている疑いが強く正義の場でなくなっている現実を直視する必要があるでしょう。
再審事件に戻りますと、朝日新聞や文化人(という自称も不思議ですが)は人権擁護目的さえ標榜すれば、どのようなこじつけ報道も許されるかのような思い上がりがあるのではないでしょうか?
どんどん国民レベルが上がってくるとメデイアが思う方向へ簡単に誤導できない・・そこで難解そうな熟語を持ってきてイメージ操作する誘惑が高まったのでしょう。
(実質賃金や労働分配率とか・直感的な語感とは違う熟語があるとこれを探し出して大規模報道する・・「好景気というが実質賃金が下がっている」「労働分配率が下がっている」「百貨店売上報道では高額ブランド品の売れ行きや外国人の爆買いばかりの報道・・・庶民には関係がない」というイメージ報道があると、俺の収入は上がったが全体統計では下がっているのか?と誤解する熟語の解説なしの大規模報道.・・説明がないと漢字だけ見ると、結果的に国民が誤解する・・実質賃金下落も労働分配率低下も虚偽ではないですが、国民の多くが受ける意味が違うのを利用する意図が濃厚です。
そもそも「好景気を実感できない庶民」「株価上昇→高額ブランド品売り上げ増加」という主張をあちこちに散りばめた上で、実質賃金や労働分配率下落の統計発表を毎月のようにすれば、いかにも誤解させたい報道意図が濃厚です。
ブランド品や5〜6千万円の車販売が伸びているのが事実であっても、これに対応する庶民向け汎用品消費が減っているか横ばいかのペアの報道がない・.そちらも伸びている事実報道がない→特定イメージを広げる報道姿勢が強いのが最近のパターンです。
再審事件報道に戻りますと、人権保障は重要ですが、被害者の人権を無視した被告人の利益ばかりに重きを置いている印象です。
社会ある限り、人権といっても限界がある・・社会有る限り人権はお互いに譲り合うしかないのですが、その辺の理解が難しい人が一定数いるように見えます。
理解できないというよりは、A人権とB人権の衝突・その利害調整が政治ですが、それも1対1の調整ではなく、ABCDE対FGHIの入り乱れた利害調整になってくると単純思考レベルの人にはお手上げです。
そこで「あちら立てればこちら立たずの」複雑な利害調整のいらない単純な「世界平和主義」とか「人権を守れ」とか、なんでも「政府批判」をしている方が安全・・破綻しないと言うことでしょう。
普通の人にいちゃもんばかりつけているといつ反撃されるか怖いですが、政府や大企業批判の場合、反撃されないので安全地帯で騒ぐ印象です。
ロシアや中国で政府批判するには勇気がいりますが、民主国家ではストレス発散先として政府や大企業・強者に対するクレーマーになるのが最も安全なストレス発散相手になります。
何か言うときにいつも「我々庶民には・」と弱者ぶって・「弱いものいじめするな!」と騒いでいれば、自分は安全地帯に居られる仕組みです。
刑事罰に触れる行為(殺人・傷害窃盗行為その他)が処罰される刑事制度は、一方に被害者がいる=人権被害を減らすための人権擁護目的の制度です。
道路交通法も金融商品取引法もすべての法は、対等な人権と人権の調整のためのルールです。
各種取引規制法は、消費者や国民の安全を守るためにあるのですし、いろんな規制法規は全てなんらかの人権保護の目的があります。
例えば6月18日の高槻市の地震でブロック塀が倒れて小学生が死亡しましたが、ブロック塀などの設置規制でさえ人命・人権を守るためにあることが実感できたでしょう。
このブロック設置に法令違反であったとして、その処罰や責任追求の段階を今の袴田再審事件に当てはめればわかりますが、朝日新聞的主張によれば、死亡した児童の人権を忘れて違反者の人権の方が重要として「市民感覚が許さない」と言って検察批判を繰り広げるのでしょうか?
被告人の人権保護は本当に犯人か、違法行為をしたのかの事実を厳密な究明をすることであって、事実の有無にかかわらず被告人を無罪にすることではありません。
事実確認の合理性チェックをないがしろにして、先ずは「無罪にしろ」と言わんばかりの大合唱では刑事制度は成り立ちません。
刑事制度が成り立たなければ、弱者の刑事被害・人権侵害が増える一方になります。
刑事制度は法を守らない人(強者)による弱者に対する人権被害が起きないための制度です。
朝日新聞や革新系野党あるいは人権派は、この辺の「複雑系の理」が理解できないか、理解できるが、そんなことは苦手というグループ・一方の人権だけ理解可能な一定率の支持者に支えられているように見えます。
平和主義といっていれば平和がくるような思考と似ています。
目の前の被告人が「何をしたか」?「何をしたという証拠の有無に関わらず」処罰するはかわいそう・無罪放免されることが人権擁護になるという立場(刑事制度否定論かな?)で一方的な報道をしたければ、中立的な立場を装わずに特定思想集団の立場での主張であると明らかにすべきです。
刑事制度否定論は無政府主義につながるし、非武装平和論にも繋がりやすいような印象ですが、それはそれで一つの主張です。
こうした意見の亜流が加害者側だけの人道論に立脚した死刑廃止論でしょうか?

メデイアの事実報道能力4(労働分配率)

好景気なってからいきなりこういう意味のない統計を毎月のように大規模報道するようになったのは、好景気というが庶民に恩恵がないとか、庶民は実感しないという政権批判意図としか見えません。
合理的根拠のある政権批判は必要ですが、意味のない指標を持ち出すのは、国家をより良くするための批判報道ではなく、批判のための批判・なんでも反対の業界になってしまっているように見えます。
私だけでなくいろんな人がこの種の反論をしているうちに、日経は流石に恥ずかしくなったのか大規模主張・・この種の意見記事はなくなりましたが、ネットで見るとまだ実質賃金が下がったことが、いかにも重要指標であるかのような報道が続いているようです。
例えば今でも以下の通り毎月のように報道しています。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30261420Z00C18A5EE8000/

実質賃金4カ月ぶりプラス 3月、人手不足で一時金増
経済2018/5/9 20:00

https://www.asahi.com/articles/ASL6562PCL65ULFA02Q.html

4月の名目賃金、0、8%上昇 実質賃金は横ばい
2018年6月6日10時27分

以下は
上記の通り、未だに続く実質賃金低下報道に対する批判意見です。

いまだに「実質賃金ガー」って言っている人いるんですね

いまだに「実質賃金ガー」って言っている人いるんですね
厚生労働省が発表した2017年の実質賃金の統計が、前年比でマイナス0.2%となり、案の定「アベノミクス失敗」というつぶやきがいたる所で見られます。
ですが、実質賃金とはどのような性質を持っているのか。それをきちんと理解していれば↓の様な批判は無くなるんじゃないかなと思います。
実際には国民の所得は増えていますからね。
”実質賃金が2年ぶり下落 「アベノミクスっていつ結果出るの?」という声が相次ぐ
2018/2/8 キャリコネニュース

https://news.careerconnection.jp/?p=49834

『厚生労働省が2月7日に発表した毎月勤労統計調査によると、2017年の実質賃金は16年に比べて0.2%減少し、2年ぶりのマイナスになった。名目賃金にあたる現金給与総額は0.4%増加したものの、物価の伸びに賃金の伸びが追い付いていない状況だ。
この報道を受け、「アベノミクス失敗」「私が死ぬまでにアベノミクスって結果出るの?」と経済政策の見直しを求める声が相次いでいる。(後略)』
実質賃金が低下=国民が貧しくなっている”
実質賃金を強調する人はそう主張しているわけなのですが、これらの方々には実質賃金が平均賃金であるという認識がゴッソリと抜け落ちている感じがします。
例えば、この場合 (月収です)
Aさん、Bさんがそれぞれ月収40万円、30万円で働いていました。この時の平均の賃金は35万円です。
そこに翌年、新たにCさんが月収20万円で雇用された場合、この三人の平均賃金は30万円と、Cさんが新規に雇用される以前に比べて5万円も減ってしまいました。
さてこの場合、Aさん、Bさん、Cさんは平均賃金が下がったことにより、貧しくなったのでしょうか?」

上記意見は4〜5年前から私が書いてきた主張と同意見というか事例の上げ方までほぼ同じです。
景気が良くなって失業者や無職待機中の主婦や学生が15〜20万前後の非正規に就職すると、全労働者の平均賃金(平均年収400万前後とすれば)が下がるのはあたりまえのことです。
家庭でいえば、夫一人の月収50万の所帯で無職専業主婦が月20万でも働くようになれば、夫婦2人の平均月収は35万に下がりますが、家庭の合計収入は50万から70万に増えるのでその家計としては格段に豊かになります。
まして非正規で夫の月収30万前後しかない子育て中家庭にとっては、保育所に預けて妻が1日の半分でも働いて月収10〜15万円前後を稼げれば生活水準アップの恩恵は桁違いです。
こいう簡単な仕組みを無視して「実質賃金」と意味深そうな語彙を利用して「 専門家が研究した統計だろう」と国民を思考停止に追い込み・「実質的賃金が下がっているのか?」と国民不満を煽ろうとしているように見えます。
完全雇用になっても更にに好景気が続くと非正規等の賃金相場があがるが(生産性があがったのではないどころか、半人前でも採用するしかない企業が出てくる結果)運賃や居酒屋等物価も上がるので、実質購買力はプラマイゼロが理論数値でしょう。
例えば、半人前の人が失業状態でゼロ収入から月収10数万円になれば彼にとっては、物価が1割上がっても実質賃金は前年比大幅増ですから、人や職種によって短期的には若干の凸凹が起きます。
雇用者増が止まる→人件費アップ→コストアップ→物価上昇=ここ1年〜半年前後の単価アップでも、超短期非正規雇用に頼る業種・例えば居酒屋やコンビニ等と、工場の期間工のような中期的業種とは効果の出る時期が違いますが、いつかは物価に追いつかれます。
1年半後に物価が追いついた時にその年も賃金アップしていれば別ですが、その時には賃上げが終わっていると、同時期の賃金と比較すると賃金は昨年からアップしておらず、物価だけ何%アップですから物価調整後の実質賃金下落と表現されます。
こうして「好景気なのに庶民には実感がない」(「市民感覚があ〜」とメデイアの一方的断定報道の潜在的した支えをしているのです。
街角景気・・千葉の繁華街を歩くと多くの現場系若者が街に出て元気に楽しんでいます。
実質賃金低下論が私のようなネット批判によって(メデイアの言論市場独占支配が破れた結果)化けの皮が剥がれてくると、労働分配率が下がりつづけていると主張が始まりました。
実質賃金低下論は、好景気の恩恵が庶民に行き渡っていない根拠として?始まったのですが、化けの皮が剥がれてきたので次に始まったのが労働分配率低下論です。
労働分配率は資本収益回収額と人件費の比率のような語感ですが、これも実質賃金論同様に実は違うのです。
労働分配率とは付加価値に占める人件費比率ですから、省力化投資あるいは補助器具等で弱者も働けるようなロボット等の装備が増えると付加価値に占める人件費率が下がります。
設備投資をすればするほど労働分配率が下がる(就労率アップが限界になってきた→人件比率アップ→価格転嫁を避けたい企業努力としての「工程短縮」等の投資ですから)のは当たり前すぎることです。
この辺の説明はJune 26, 2017「労働分配率の指標性低下2(省力化投資と海外収益増加)」で書いています。
このように朝日よりマシとはいえ、日経新聞も経済統計の意味を誤解しているのか、意図的に国民に不満を持たそうとしているのか不明ですが、(国民が貧しくて苦しんでいるという主張をさすがにしなくなりましたが、)厚労省の毎月の発表という形の大規模報道を続けて変な方向への誘導が目立ちます。

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